私は階段が、この世で六番目ぐらいに苦手だ。
階段を見ると私の体は緊張し、こわばってくるのがわかる。今まで何度、私は階段でずり落ちたことであろうか。だから必ず、手すりに沿って降りていく。すると地下鉄の駅などで、ルールを無視して向こう側から上がってくる人がいる。道を譲るために、私が命の綱とも思う手すりから手を離さなくてはならない。
そういう時、私は決して誇張ではなく、恐怖のあまり心臓が波打っているのがわかるのである。
そして腹立たしいことに、これほど気をつけていながら、私はしょっちゅう階段を滑っている。ついおとといのこと、友人二人で六本木のパブへ行った。先に何人か待たせていたので、かなり急いでいた。階段を大股《おおまた》で降りていく彼の後を私は追った。その時、
「ギャーッ」
と起こる絶叫。つい十段ぐらいの階段と甘く見たのが悪かった。私のパンツの裾がからまって、階段を踏み外したのである。たいしたことがなくてよかったが、これからは一瞬たりとも、油断をしてはならないと思った。
さて、こんな私であるが、ヒールの高いサンダルには目がない。よせばいいのに、グッチやプラダのものをよく買う。私は大足なので、いつもサイズは苦労していたのであるが、昨年香港で信じられないような光景を目にした。プラダの最新の靴が、ものすごいサイズで揃っていたのだ。
香港に詳しい人に聞いたところ、白人の大きい人が買いに来るので、こういう大きいものを置いてあるのだということであった。さすがに私の足にもゆるめであったが、それはタテのサイズのこと。横幅はぴったりで、喜んだ私は何足もまとめ買いをしたものである。
今年また履こうと、箱から出してしみじみと見た。全く何て高いヒールなんだ。
今年は便所サンダルとしか思えないような、シンプルで素朴なものがいっぱい出てきているが、やはり主流は高いヒールのものであろう。
最近の女の子は歩き方が上手くなったというものの、中には目もあてられないコがかなり多く見うけられる。腰がすっかり下がり、曲がった腰でひょこひょこ歩いているわけだ。
私も経験があるのであるが、八センチのヒールで一日中カッコよく歩こうなどというのは絶対に無理だ。素敵なサンダルを履いた日というのは、一日、車と男を確保しなくてはならない。車でサッと行き、サッと帰る、という場面こそ、高い靴がふさわしい。
たまに街で見かけて、目のやり場に困るというのが、むっちりした足でマイクロミニというやつだ。ちょっとでも前にかがむと下着が見えそうな短さで、やけに太い足というのは、見ていて本当に困る。別に太い足がいけない、と言っているのではないが、ものすごくナマナマしくてエッチっぽいのである。
マイクロミニが似合うのは、贅肉《ぜいにく》のついていない、きりっとした中性的な足である。女であるセクシャリティを捨て去って、ファッションのために着る、という姿勢こそがふさわしいのだ。はっきり言って、モデルクラスのプロポーションを持っていないと似合わない。
普通の女のコは、もっと愛らしさや素敵さを演出出来るものがいくらでもあろう。適度なミニはいいけれど、あのマイクロミニだけは本当にやめてね。
さて、これまた話が変わるようであるが、外国事情に詳しい友人からこんな話を聞いたことがある。
「欧米の男って、女の足を重視すること、日本の男の比じゃないわよね。白人と結婚する日本の女、見てごらん、顔はブスな人でも、みーんな足はすらっとして綺麗《きれい》だから」
なるほど、まわりの女の人を観察すると、外国人と結婚している女性、あるいは外国人を恋人に持っている女性というのは、みんな美しい足を持っている。エリートの男性と結婚している彼女たちは、服装もコンサバであるが、ほとんどが足を黒ストッキングで引き締め、なおいっそう細く見せているようだ。私の友人の一人に、お祖父《じい》ちゃんだかお祖母《ばあ》ちゃんが中国人という人がいるが、あちらの人はほっそりしているから、彼女の足の細さが普通ではない。すうっとまっすぐに伸びているのだ。
全く夏になると、あちこちの足が目に入って仕方ない。階段恐怖症でよたよた歩く私にとって、羨《うらや》ましくて仕方ない足が街を闊歩《かつぽ》している。
そして夏になると悩みが生まれる。
冬のようなタイツは暑苦しい。年増にナマ足は冷える、ソックスは恥ずかしい。そうかといって、コンサバ女の証明のようなナチュラルストッキングを履くのは抵抗がある。という私は、夏にいったい何を履くべきなのだろうか。「アンアン」のスタイリストの人に聞いたら、
「白っぽく透けないストッキングでいいんじゃないの。それか薄手のタイツね」
という答えでした。