田舎を持つ女のコが帰省すると、あきらかにブスになる。
都会の最新ファッションで、同級生や近所の人たちを驚かせたりする行為は、うんと若いから出来ることであり、ちょっと年をくってくるとそんなことはどうだってよくなってくる。化粧もせず、うちでごろごろする日が続く。母親がつくってくれるおいしいものを朝昼晩食べ続けるから、太るというよりも顔がむくんでくる。緊張がとれていくと顔はだんだん昔に戻っていくから困る。このあいだまで私なんか故郷に帰ると、二重|瞼《まぶた》が一重瞼になってしまい、なかなか直らなかったものだ。今日東京へ帰るという日、必死で濃いメイクをしマスカラをつけたら、あら不思議、やっと二重になったではないか。
女の顔は一種のセンサーになっているから、半径三キロ以内にいい男がいないとわかると、ただちに役割を放棄する。夏の田舎に、いい男はなかなかいない。ホント。みんな東京へ行っているし、レベルの高いのに限って忙しくてなかなか帰省しないという事実。私の友人の何人かは、高校時代の同級生と同窓会がきっかけで結婚という古典的な道を辿《たど》っているが、よく聞くとそれは都会での集まりである。
そりゃあそうだ。東京の同窓会はまだよそゆきの顔でいられる。方言だってそんなに出てこない。女も男も、自分の変化を効果的に見せられる場所でもある。
が、田舎における同窓会というのは、なんといおうか気取りを捨てる分、楽しいことは楽しいが何にも起こらない。中心となるのは地元に残ったコたちだから、アカぬけたわくわくするイベントを期待するのは無理というものだろう。昔から行っているスナックにカラオケというコースでは、まず恋愛感情は芽ばえない。
そんなわけで、私にとって故郷というのは美しさが激減してしまう場所という認識があった(減るモンがあるのかという意見は、この際無視して)。
二年前のこと、うちからわずか車で四十分ほどのリゾート地にある、友人の別荘に招待されたことがある。夜はホテルで食事をすることもあるというので、それなりの洋服も用意した。
昼間はドライブに牧場遊び、夜は近くの別荘に来ている人との社交という生活をおくったところ、肌はいつもより調子いいし、顔も引き締まったままだった。
そして私はつくづくわかったのである。カントリーライフには二種類ある。それは自分とかかわりのある地に帰ること、もう一つは全く関係ない地を訪れることである。女が綺麗《きれい》になるのは、もちろん後者の方だ。
高校時代の参考書がまだ並んでいる実家の自分の部屋でごろごろする分には、他者の視線というのは全くない。けれどもリゾートホテルへ到着すれば、サングラスとドレスのコーディネイトを考えるはずだ。プールサイドに寛《くつろ》いでいるようでいても、ちゃんと意識して足を組むに違いない。ゆっくり休養をとるから肌もピッカピッカ。リラックスしても弛緩《しかん》することはないというのが、他人の土地で過ごすメリットである。
だから私は、若い時は親を泣かせてもあまり故郷に帰るべきではないと思う。ちょっと顔を出して特別のお小遣いを貰《もら》うのはいいが、あくまでもショートステイにすべきである。そして別のところで、素敵なリゾートライフをおくるというのが、賢いやり方だ。
今まで私はいろんなところで休暇を送ってきた。国内以外では、バリ島のコテージ、ケニアの草原ホテル、バンクーバーの私の別荘とかなり幅広い。最近は行く先々でスパやエステを必ずくっつける。
空気や土の力というのは、諸刃の剣というべきものかもしれない。人間を活性化させ、お肌もぐんとよくする力を持つが、同時に女をカントリーガール風にすることもある。へたにつき合うと、日焼けはするし体全体がだらっと締まりがなくなる。よって田舎へ行く時は、細心の注意が必要だ。何ごともやり過ぎは厳禁である。
野菜をつくる趣味などは、持つべきではない。せいぜいハーブを摘んでパスタに入れるぐらいであろう。郷土料理は人がつくってくれたものだけを食べる。自分で挑戦しようなどと思わないこと。つくるとしたら、地元の食材を使ったしゃれたものをね。私は高原の友人のところへ泊まった時、ラタトゥイユをつくった。ズッキーニとナス、トマトなどをニンニクとオリーブオイルでぐつぐつと煮たものである。これとクスクスを合わせたところ大好評であった。おやつは近くのお店で買ったアップルパイにハーブティ。
そう、もともとカントリー出身の私は、このぐらいの努力をしなくてはたちまち土に染まってしまうのである。
昨年の夏、故郷に帰った私は、家族や親戚《しんせき》の皆とで焼き肉を食べに行った。もちろん私はノーメイクにTシャツ。お店の人は近づいてきてずっと私の噂をしていたが、母親の隣で黙々とカルビを食べている女が当の本人とは全く気づかなかったようだ。田舎にいると、本当に凄い顔になってくる。戻すまでに一週間かかっていたのが、最近二週間になった。だから私はあんまり実家《うち》に帰らない。