世の中には、異様に写真映りとテレビ映りのよい人がいる。実際に会うとそれほどでもないのに、写真に撮られるとぐっと美人に変身する。
そこへいくと、私ぐらい不利な女がいるだろうか。私は初めての人に会うと、
「こんなに背が高いとは思わなかった」
「思っていたより痩《や》せているのね」
と必ずこの二点を口にされる。それじゃあ、私のことをいったいどんなにチビでデブだと思っていたというんだ。私に対して、いかにひどいイメージが流布されているかという証拠である。口惜しい。
ある時、インタビュー番組を見ていたら、若手の女優さんが出ていた。肌の美しさといい、黒目がちの大きな瞳《ひとみ》といい、完璧《かんぺき》といっていいほどの顔だ。美人というのは、こういう人のことをいうのだろうと、私はすっかり感心してしまった。そのことを編集者に言うと、
「ダメですよ、あのコは」
と即座に否定された。顔は確かに綺麗なのだが、背が低く胴体がとても長い。近くで見ると、びっくりするぐらい顔が大きいんだそうだ。
「だからテレビでバストアップするとまあ見られるんだけど、今はそういう時代じゃないから。服のセンスが悪いのも、人気がいまひとつ出ない原因かな」
彼女に言わせると、今は松嶋菜々子ちゃんとか藤原紀香ちゃんなど、モデル出身のスタイル抜群、しかも顔がうんと綺麗という女優さんが出てきている。だから彼女みたいなコは負けちゃうんだそうだ。
しかしそうはいっても、芸能人を直で見られるのはごく限られた人たちである。女優の○○子ちゃんの顔がデカくて、五頭身だということを誰が知ろう。みんなが好きなシンガーの○○夫は、一度会ったことがあるけどすごいチビだったぞ。まあ芸能人というのは、ブラウン管をとおしていかに輝くかという人たちであるから、たいていのことは許そう(エラそうだな)。けれども私がズルイ、と思うのは芸能人以外で美人のイメージが高いが、実際はそんなことないという人たちであろう。
名前を出せないのがつらいが、写真を撮るとえらく知的な美女に見えるのだが、本人はどうってことのない某有名人がいる。どうってことがないどころか、かなりアホっぽい感じでスタイルもよくない。私は彼女の素敵なポートレイトを見るたびに「ズルイ!」と歯ぎしりするのである。
私はごくたまにテレビカメラを向けられたりすると、さっと緊張する。顔がこわばり、もともと下がり気味の口角がいっきに下がっていく。恥ずかしいので目を伏せる。すると、もともとの垂れ目がするする下がっていく。愛想よくしようと思えば思うほど、すごい早口でぶっきらぼうになる。自分でテレビを見ていても、感じが悪い。
そこへいくと私の友人で、テレビでとても感じよく素敵に映る人がいる。私の夫も、
「君も○○さんみたいに、ニコニコいい感じに映らないのか。少しは勉強しなさい」
という始末だ。私は彼女に聞いてみた。
「ねぇ、どうして実物より十倍ぐらい綺麗にいい感じに映るの。誰か演出家についてレッスンしたの」
彼女はこうアドバイスをしてくれた。私は質問に対して、すぐ答えようとする。拍手の語尾が消えないうちに、それにかぶさって声が発せられるのは、怒っているようで感じがよくないそうだ。
「必ずひと呼吸置くの。質問が終ったら、大きく頷《うなず》く。そしてにっこりする。あなたのおっしゃること、楽しくてたまらないわ、という風ににっこり笑い続けるの」
これって普段の生活にも使えるのではなかろうか。
これまた違う女友だちであるが、実力以上にモテるのがいる。私は彼女も観察してみた。バーのカウンターで、彼女は必ず男性の方に膝《ひざ》を向ける。そして反応がものすごくいいのだ。私にしてみれば、ただのオヤジネタだと思われることでも、彼女はコロコロと笑いころげる。やだーっと軽く肩をぶったりする。
ふーん、このくらい努力しなくっちゃいけないんであろうか。私はそう面白《おもしろ》くないことに笑いたくはない。好きな男の発したものならば、どんなにつまらぬだじゃれにも爆笑しよう。けれどもその他大勢、もしくはちょっとその上ぐらいのランクにそう気を使いたくないと思う。
が、こういう考え方がいけないんだろうなあ。写真映り、もしくはテレビ映りのいい人というのは、不特定多数の人々にも、好意のオーラが出せる人たちである。顔が派手なつくりの人は得だ、という説もあるが、そう関係はない。
「私を見て。私、みんなのことが大好きなのよ」
そういう無言の電波が出せるからこそ、みんなカッコよく映るのだ。
しかし私もこの頃はちっとは考えてる。下から撮らないで、二重|顎《あご》になるから、とカメラマンに注文をつける。出来るだけ自然な笑みで、しかも目尻《めじり》に皺《しわ》をつくらないように喋《しやべ》る。美人の傍らには立たない、などと日々励んでいるのです。もしテレビや写真で私を見たら、五割増しに考えて欲しい。今回はそれが言いたかったの。