今年流行のロングジャケットを買った。色はグレイで、さらっと羽織るとなかなかいい感じ。ところで、ここで問題が生じた。私はロングジャケットを着ているつもりなのであるが、世間はそう受け取ってくれないのである。
レストランへ行くたびに、
「コートをお預かりします」
と言われ、私は憤慨しているのである。コートが、一枚仕立てでこんなに軽いもんであろうか、よく見て欲しい。
また、私は時々エルメスのバーキンを使用する。自慢じゃないけど、イヤミったらしいことを言うとバーキンは三個持っている(ケリーは別よ)。こういうのは大事に大事に使うのではなく、無造作に持つのがコツだ。よって私は、留め金をかけない。わざとだらっとさせている。するとすれ違うオバさんが、五人に一人ぐらいの確率で必ずこう注意してくれる。
「ちょっとォ、バッグの口が開いてるわよ」
親切で言ってくれているのはわかるけれども、大きなお世話である。
が、人には注意出来ることと出来ないことがあるというのを、この頃知った。本当に悲惨な場合、人は口をつぐんでしまうものなのね。ついこのあいだまで、私は冬だろうとスリップをつけなかった。ニットの下も、もちろんブラだけだ。
踊りのお稽古《けいこ》に行くと、着替えの際、みんな下着姿になる。たいていスリップを着ていたり、中には矯正下着をつけている人もいる。私は何もつけていないので、よく驚かれた。
「男の人と会うとき以外、スリップなんか着ないもんね」
とエバっていた私であるが、この二、三年は寒さには勝てずスリップを着るようになった。もちろん袖《そで》つきとか|ババ《ヽヽ》専用のやつではない。シルクでレースのいっぱいついたやつが、私のお気に入り。
ある時電車から降りた私は、ふと何気なく後ろに手をやり、真っ青になった。何かのはずみでスリップの裾《すそ》がちゃんとしまわれていない。レースの部分がジャケットから見えているではないか。シミチョロというのは古い言い方であるが、チョロどころではなく、堂々とレースを一列見せていたらしい。
友人が慰めてくれた。
「この頃、いろんなデザイナーが、ジャケットやスカートの裾にレースをつけるじゃない。みんなあれだと思ったわよ。まさかスリップの裾をはみ出させている人が、電車に乗っているとは思わないんじゃないの」
それにもし電車の中で、私にレースのことで注意してくれる人がいたら、私は殺意を抱いたに違いない。自分に対する恥ずかしさや嫌悪を他人に転嫁しようとする心の表れである。人に注意をしようとする時は、そのぐらいの覚悟がいる。それなのに皆はどうして、あのようにお気楽に、他人に何やかんやと言うんだろうか。特におしゃれやダイエットに関して、女友だちというのはかなり辛《しん》らつだ。
私は�女ロバート・デ・ニーロ�と呼ばれるぐらい、体重が変動する。十キロぐらいどうということもない。今から十年以上前、私がうんと太っていて、例の保険金殺人容疑のオバさんとそっくりの体型をしていた頃の話だ。仲のいい女友だちと温泉へ行った。そうしたら、彼女、何て言ったと思います?
「あんたさあ、もうちょっと痩《や》せなさいよ。その体で、男の人に抱かれちゃいけないわよ」
私は当時恋人もいたので、その言葉にかなりむっとしてしまった。ものには言い方があるじゃないか。
私は気の弱さや人の良さが、すぐに見抜かれてしまうためか(?)、人にあれこれ言われることがとても多い。世の中に言いやすい人っているけれど、たぶんそれなのね。
うんとおしゃれな人や、センスのいい人にあれこれ言われるのはいい。ありがたい助言として聞いておく。が、むかーっとくるのは、私と同じレベルで思い込みの激しい女というやつである。こういうのに限って、人のものにケチをつけるから頭にくるぞ。
私が昨年ヒョウ柄のとてもカッコいいバッグを買った。すると彼女は、
「ヒョウ柄なんて、おミズの人が持つもんよ」
と言って、私をむっとさせた。彼女はコンサバ系のスーツが多く、私から言わせると典型的なキャリア金持ちオバさんファッションだ。こんなのに、流行のものがわかるわけないじゃないか。
また数年前のことになるが、私はラップコートを買った。前をだらっとさせるのが気に入った。色はキャメルで足首までの長さだ。そうしたら、私の秘書は何と言ったと思います?
「ニューヨークにいる、ショッピングバッグ・レディーみたい」
それどころかゴミの収集日に黒いビニール袋(当時)を持たせ、「ぴったり」と笑い転げたのである。こういうデリカシーのない人も悲しい。
ああ、人に文句を言われない強い女になりたいわ。ファッションもボディも完璧《かんぺき》、私の持つものは女たちの憧《あこが》れとなり、流行となるような女に。が、そんな女になれるはずもなく、それも淋《さび》しいかもしれない。私みたいなレベル、人が寄ってたかってあれこれ言い、何かしてくれようとするぐらいがいちばん得なのかもと、ひとり納得するのである。