うちの近くにグッチの路面店が出来、そのオープニングパーティの招待状が来た。よくこういうのをいただくけれども、私は行ったことがない。なぜなら着ていくお洋服がないことと、芸能人が多くて気後れしてしまうからだ。
最近こうしたファッション関係のパーティに、芸能人の人たちはすごく気張っておしゃれをし、それを目当てにマスコミがどっと押し寄せるという構図が出来上がっている。もちろん私なんか撮られることもないのであるが、ごくごくたまにテレビのクルーや雑誌社の人にインタビューされることもある。間違って映ったりすると、女優さんやタレントさんとの差は歴然、というよりも全く違う人種であることがはっきりとわかり、私はとてもハズカシイ。みじめな気持ちになる。だから私はそういうところには近づかない。現代のセレブリティたちは、テレビや雑誌で見ることにする。
セレブリティといえば、アメリカのその人たちがいっぱい出てくるアカデミー賞の授賞式を見るのが私は大好き。せいぜい年に五本ぐらいの話題作しか出ない、日本アカデミー賞の寒々とした光景とは、比べものにならないほどの華やかさとゴージャスさ。衛星放送のリアルタイムで必ず見る。
今年は日本女性が、短編ドキュメンタリー部門でオスカーを貰《もら》い大変な話題となった。元ミス日本というからかなりの美貌《びぼう》だ。こういう国際的スケールの才色兼備が出てきたというのは、同じ日本人として嬉《うれ》しい限りである。
けれども意地悪なことをひとつ言ってもいいかしらん。授賞式のドレスがいまひとつだったのよ。
ハリウッドを代表する女優たちに有名デザイナーがついているというのは、周知の事実である。誰がどこのものを着ているか大きな話題となるから、デザイナーはこの時ぞとばかり頑張る。それを旬の美女たちが着る。そういう人たちと比べるのは酷だとわかっているが、やはり彼女のドレスの袖《そで》の造花は野暮ったい。グウィネスやユマを見てわかるとおり、今のイブニングドレスのトレンドは、シンプルということだ。生地とカッティングの良さ、そして体の美しさで見せる。ドレスに造花なんて誰もつけていない。私は日本女性の受賞を心から祝いつつ、袖のピラピラが気になって仕方なかった。
さて、女と生まれたからには、モード系の流行服は当然のことながら、イブニングも着こなせる女にならなくてはならない。これが若い人にとっては、とてもむずかしいことだ。まず着慣れることが第一条件となる。
私が初めてイブニングをつくったのは、ヨーロッパ社交界にデビューした十年以上前のことであった。というのは、半分嘘で半分ホント。あのバブル景気の頃で、ウィーンのオペラ座で繰り広げられる大舞踏会へ行きませんかと招待を受けたのだ。イブニングといえば、やっぱり森|英恵《はなえ》先生。私は先生に頼んでエメラルドグリーンの、それはそれは素晴らしいイブニングをつくっていただいた。その後は、チャールズ皇太子と今は亡きダイアナ妃をお迎えしての、英国大使館のレセプションだったかしらん。この時は、紫色のイブニングね……などと書いていて照れてしまう私。やはりイブニングのことを語るっていうのは、自慢たらたらおハイソっぽくなってしまうのね。
その後もオーケストラをバックに歌う、エイズのチャリティコンサートのためにドレスをつくったりしている。キレイとか似合うなんて誰も言ってくれないけれども、迫力はあるという意見は多い。
そうよ、私は頑張る。胸をそらし、背筋を伸ばしながらドレスの裾《すそ》を引きずって歩く。こう言い聞かせる。
私はお姫さまなのよ。私はカッコいいのよ。みんなが私を見ているのよ。すっごく決まっているのよ。
この自己陶酔がなければ、イブニングは着こなせない。とにかく堂々と振る舞う。恥ずかしさから背中が丸まりがちになるが、それだけは避ける。
ある時パーティに出たら、目の前のテーブルに黒いイブニングドレスの女性が座っていた。キレイなコだけれども、芸能人ではない。
「この若さで、こんなにイブニングが似合うコっていったい誰だろう」
とずっと気にかかっていたら、渡辺プロダクションのご令嬢であった。アメリカ留学から帰ったばかりだったらしいが、あの着こなしと度胸のある立ち居振る舞いはさすがと、今でも記憶に残っている。
でもどうせ、私なんか普通のコ。イブニングを着ることも似合うこともない、とこれを読んでいる人が思ったら、それは大きな間違いだ。
たいていの女のコが、イブニングを着る。それは披露宴のお色直しというやつですね。この時、誰でもすごくキレイ。すごく似合っている。幸福なあまり、胸の肌なんかピカピカしているし、緊張のあまりかえって姿勢がいい。あの時の心を忘れなかったら、女はずうっとキレイでいられるのにね。
ところで今年の秋、パリのパーティに行く私。どんなドレスをつくろうかしら……やっぱりオートクチュールじゃなきゃなんて、なんか叶《かのう》姉妹のようになってきたぞ。