ユーコちゃんと久しぶりに会った。
最後に会ったのは昨年のことだったが、今年大学を出た彼女は、ファッションメーカーに勤める社会人だ。
雰囲気ががらりと変わったのには驚いた。彼女はうんといいところのお嬢さまなので、学生の時はどこかしらコンサバのにおいを残していたのであるが、今はすっかりモード系だ。セミロングだった髪をベリーショートにしているが、それもすごく可愛い。自社のニットに、ドリスヴァンノッテン(バーゲンで死ぬほどの覚悟で買ったそうだ)のスカート、手には、くちゃくちゃと革が古くなった、ケリータイプのバッグを持っている。これは本物ではないが、お母さまのお下がりだそうだ。とてもセンスのいいユーコちゃんであるが、これがどうしてつくられたのかと、私は首をかしげる。
なぜならば彼女の環境から考えて、「ヴァンサンカン」系になっても少しも不思議ではないからだ。事実、彼女と知り合ったのは、ヴァンサンカン系おハイソの牙城《がじよう》ともいうべき友人の家で、彼女はここでフランス語を習っていたのである。彼女の行っていた学校も、超お嬢さま学校だ。
偶然、先日、ブラックタイという指定付きのディナーパーティで、彼女のお母さまにお会いした。
「娘がいつもお世話になりまして……」
と声をかけてくださったママは、ヒェーッと息を呑《の》むほどの美しさ、エレガントさ。イブニングドレスを着慣れている人独特の貫禄《かんろく》があたりに漂っていた。本当に素敵な人であったが、このママと、あのモード系の女のコがなかなか結びつかない。事実、ユーコちゃんのお姉さんは、とてもブランド好きだということである。
「あなたみたいなお嬢さまって、普通モード系にならないんじゃないの」
私が尋ねたところ、彼女はこんな風に分析した。子どもの頃から、親にとても厳しく育てられた。他の同級生のようにお小遣いをあまり貰《もら》えなかったので、ずうっとアルバイトをしていた。動きやすい服、汚れても構わない格好ばかりだった。お金もない、でもおしゃれはしたい、という心が古着やジーンズに向かわせたそうだ。
つまり彼女の反骨精神、ただのお嬢さまになりたくないという気持ちが、ファッションセンスを磨いたのではなかろうか。他のお嬢さまのようにブランド品を持ったり、着たりするだけの生活を、彼女は知らず知らずのうちに拒否したのだ。
次の日はマミコさんに会った。彼女はユーコちゃんよりやや年上でヒトヅマをしている。睫毛《まつげ》の長い大きな目、真っ白い肌、小さな唇と、まるで少女漫画から抜け出してきたような顔。超プリティな女性だ。
そして彼女もまたモード系で、いつもコムデギャルソンを着ている。
「あなただったら、ラブリーな服も似合いそう」
と言ったところ、そんなことはない、と否定された。甘い服を着ると、顔の甘さがますます強調されるようで嫌なんだそうだ。なるほどなあ、と思った。彼女みたいな顔立ちに、今年流行のパフスリーブや花柄は似合いすぎて、かえってへんかもしれない。もし、某ラブリーブランドの服なんか着たら目も当てられなくなるだろう。コムデやコキュのハードさが、彼女の愛らしさを引き締めているわけだ。といっても、彼女が着るとコムデもまるっきり別のものになるから面白い。つい先日、テツオと三人でお茶をしたところ、彼もマミコさんの着ているワンピースを見て、
「へぇー、それもギャルソンなんだ」
と驚いていた。着る人の個性が服の個性を越えた、いい例であろう。
こういうことを言うと、どこかのファッションジャーナリストみたいで恥ずかしいのであるが、洋服というのはその人の生き方である。どういう自分に見せたいか、ということはすなわち、どう生きたいかということである。
ストリート系が多い原宿でも、ラブリー系は結構いる。時々そうした女のコが、連れ立って道を歩いていることがある。ペチコートのたっぷり入った、花柄のフレアスカートのワンピースをこの季節よく着ている。だからすごくカサ高い。こうした女のコが三人歩いていると前を塞《ふさ》がれてしまうので通れない。急いでいる時など、イライラする。しかし、私は彼女たちを見ていると、性格のいい人たちなんだろうなあと思う。こんな夢いっぱいの服を好きな人に、悪い人はいないはずだ。恋だとか、ラブストーリーや、人の善意をきっと無邪気に信じているに違いない。こういう服をついに好きになれなかった私は、きっとひねくれていたんだと思う。決して皮肉ではなしに。
「それにしてもさー、ラブリー系って遺伝するんだよなー」
とテツオ。そういえばラブリー系を着ているママって、幼い娘にも必ずラブリー系を着せている。
「ああいうラブリーな服って、女の根元的なものを刺激するからね。娘も自分みたいに素直な女のコっぽい人になって欲しいと思うんじゃないの」
だが、娘は母のそういう好みや願いから脱皮して、自分独自のものを身につけるはずだ。母と似た人生を選ぶか、選ばないか、やがて服に表れてくる。