タクシーに乗り、ラジオから聞こえてくる声にぼんやりと耳を傾けていた。そのうちにゲストの女性の紹介があった。女性雑誌によく出ている人で、翻訳家兼エッセイストということだ。
私は断言してもいいのだが、この業界、エッセイストと名乗る女がいちばん怪しいぞ。テレビや雑誌に出たいんだけど、タレントと名乗るのはイヤ。作家というには小説書いてないけど、本なら一冊出したことがあるし……というような若い女が、この頃もの凄く増えているような気がする。
が、その女性はかなり年をくっているし、本も何冊か出している。かなりちゃんとした人だ。フランスのおしゃれや情報に詳しく、その道のオーソリティといってもいい。しかも美人だ。こういう人が何か言うと説得力がある。私はいつしか姿勢を正して聞いていた。
キャスターのオジさんが聞く。
「パリの女性って、本当に綺麗でおしゃれですよね。そこへいくと、日本の若い女性っていうのはみんな個性がなくて、同じような格好してますよね」
おい、おいと思った。このオジさんが幾つかわからないが、声からして五十代か六十代といったところであろうか。あんた、ちゃんと渋谷や原宿を歩いたことがあるのか、と私は言いたくなった。
私はその翻訳家兼エッセイストの発言に期待した。きっと日本の若い女のコを弁護してくれると思ったのだ。ところがとんでもない、彼女はもっとレトロなことを言いだしたではないか。
「本当に日本の若い女性は個性がなくて、おしゃれを知りませんよね。流行にすぐ飛びついて、みんな同じ格好をしてる。そこへいくとパリの女のコたちは、お祖母《ばあ》さんやお母さんから受け継いだ古いものと新しいものとを、うまく合わせてとてもセンスが良くて……」
うんぬん。私は本当にびっくりしちゃった。私はタイムマシーンで、二十年前のタクシーに乗ったのではなかろうか。一九九八年の終わりに、日本でこんなことを言う人がいるなんて信じられない。
確かにパリに限らず、フランスの女のコはとてもおしゃれだ。安いものを上手に着こなすことにもたけている。しかしそれも金髪やブルーネットの髪や、プロポーションですごく得する部分が多いのではなかろうか。金色の髪をぐるっとアップにして、ピンをさせばそれだけで決まる。長い足にパンツ、男もののブルゾンを羽織れば、それだけで素敵なパリジェンヌの出来上がりで、�おしゃれスナップ�に出てもいいぐらい。
けれども日本の女のコたちは、まだまだ背も低いし足も長くない。顔も大きいし、黒くて硬い髪を持っている。だけどみんなすごく頑張っているぞ。私は表参道に住んでいるので特に思うのかもしれないが、この国の女のコほど個性にとんで、「何でもアリ」の人たちはいないかもしれない。まだまだ発展途上で、大人から見れば仮装行列みたいな女のコもいるにはいるが、それもすごく可愛い。今日も全身ピンクで、イチゴやパンダのぬいぐるみをいっぱいつけた女のコが、ラフォーレの前をうろうろしていたが、私は思わず立ち止まり、あ、いいなと眺めていた。いったいどこを見れば、
「日本の若い女性は、没個性でみんな同じ格好をしている」
ということになるんだ。オジさんキャスターは言う。
「いやあー、パリの女性は本当に綺麗ですよね。日本の女性はどうしてあんな風になれないんでしょうかねぇ……」
それはあんたが外国人コンプレックスを持っているからよと、私は怒鳴りたくなった。白い肌と金髪に憧れを持っているオヤジに、ファッションを語らせるなんて、いくらNHKでもひど過ぎる。
私はタクシーの運転手さんに、よっぽどラジオを切ってくれと言おうとしたのであるが、そのうちにいつもの(?)冷静さを取り戻した。おそらくこのオジさんとか、翻訳家兼エッセイストの住んでいるところはコンサバの世界なのだ。雑誌でいえば、「ヴァンサンカン」とか「クラッシィ」に出てくる女性しか知らない人だ。確かにコンサバ業界では、髪型も似ているし、着ているものも似ている。みんな、
「上品ないいとこのお嬢さん」
をテーマにしているから、どうしたって似かよってくる。といっても、近頃のファッションはコンサバにもモードの血が流れ出して、今とてもいいマリアージュの時を迎えている。モードのいいところも取り入れ、ブランドも昔みたいに拒否反応を起こしたりしない。反対にモード系もエルメスやルイ・ヴィトンを取り入れ、どっちもカッコいいぞ。
もうパリをお手本にすることはない、などと断言するつもりはないけれど、まるで属国みたいに言われる時代はとっくに終わっているはずなのに……。私は腹が立った。パリがなんぼのもんじゃ、T・P・Oがどうした。お祖母さんの服がそんなにエライか。やっぱりエッセイストを名乗る女というのは信用出来んぞ。