青山のスーパーマーケットへ行き、レジに並んでいた。見るともなしに隣りの行列の人を眺めていて、あーっと声をあげそうになった。
モロ整形のすごい顔をしていたからである。今どき整形をした女性など珍しくも何ともないが、その中年の女性ときたら、手術のし過ぎでマネキン人形のようなのっぺりとした顔になっているではないか。
ひと昔前の整形らしく、唇の輪郭がぼんやりと厚ぼったくなっている。目は不自然な二重だからすぐわかる。今どきこんなヘタクソな整形も珍しいなあと、つくづく見てしまった私である。
さて芸能人の話であるが、いったいどのくらいの割合でしているものなんだろうか。さる業界通によると、
「属しているプロダクションの方針によってかなり違う」
ということらしい。つまり社長が整形手術を黙認しているところは幾つかあって、そこのプロダクションの女優さんやタレントさんならしている可能性があるということだ。
名前を挙げたら、エッと驚くような人も、
「してないとは言い切れない」
と彼は言う。
これは中年過ぎの某大女優であるが、お正月を過ぎてからはっきりと顔が変わった。露骨なぐらい目がつり上がり、若々しくなっているのだ。おそらく暮れの休みの時に病院へ行ったのであろう。
ヘアメイクの人から聞いたところ、こういうリフティングをすると、こめかみのところに傷跡が残るんだそうだ。まだ若いタレントさんが目や鼻をいじったりしても、プロのヘアメイクは感触ですぐにわかるという。ファンデーションやアイシャドウが、そこだけつきが悪かったりするんだそうだ。
これで謎が解けた。芸能人というのはヘアメイクの人とくっついている場合がある。友だちは彼女、もしくは彼ぐらいしかいないんじゃないかと思うぐらい、どこへ行くのもヘアメイクの人と一緒だ。芸能人と対談というと、それこそ、ぞろぞろ従《つ》いてくるぞ。
私は最初、
「やっばり体に触るわけだし、孤独な芸能人の悩みを聞くわけだし、すんごく信頼関係を結んでいるのね」
と思っていた。が、それだけじゃない。ヘアメイクの人は、スターの秘密もしっかりと握っているわけだ。だから女優さんやタレントさんは、ヘアメイクの人を決めていて、どんな仕事でも彼ら以外には触らせない。よって結びつきはどんどん深くなっていく。なんかすごい世界だなあ……。
とここまで読んで、賢明な読者はこう思うに違いない。
「アンタってやっぱりイヤな性格ね。自分が整形する勇気ないもんだから、整形した人のことをおちょくったりしてさ。そんなに羨《うらや》ましいんだったら、自分もやればいいんじゃないの」
それは半分当たっているけれど、半分当たっていない。なぜならば歯の矯正をして以来、私は自分の顔のいちばん嫌なところが失くなったのだ。それに観察したところ、私は目は充分に大きいのであるが、黒目が足りない。こればっかりは手術ではどうすることも出来ない。鼻を高くしたいと思うが、平べったい顔立ちの中でこれを直したって仕方なかろう。さしあたって、私は自分の顔と何とか折り合いをつけていくしか仕方ないという境地に達している。
だから手術をした女優さんをどうのこうのいう気はまるでないの。美しさを売り物にしている人たちが、より美しくなろうとするのは当然のことである。プロとしての権利であり義務である。
最近�お宝発掘�ということで、スターの昔の写真が出てくる。レースクイーン時代や売れないモデル時代のものだ。昔はぽちゃぽちゃしていることもあるが、それを差し引いても顔がはっきり違うことがわかる。目も小さいし、鼻のあたりがもっさりとしている。
しかしそれを見た女のコたちは、決して意地悪なことを言わない。
「○○○子ってさ、あざといぐらい顔を直してんだよね」
という評価をしないところが、今日びの女のコのエラいところだ。それどころか自分を昂《たか》め、どんどん綺麗《きれい》になっていった彼女たちを心から賞賛していく。つまり彼女たちにとって、人気者となり、お金持ちとなって顔をどんどん直す、体をどんどんスリムにし、どこから見ても完璧《かんぺき》なボディをつくったスターというのは、尊敬に値すべき人なのだ。過去なんてどれほどのことがあろう。今、美しい人が勝利者なのだ。
ところで話は変わるが、昔ちょっと売れていたけど、現在はいまふたつ……という女優さんや歌手に限って、どうして化粧が濃くなり洋服が派手になるのか。どうしてあんなにパーティが好きになるのか。そのたびにどうして違ったブランドのドレスを着ていくことが出来るのか……。
�旬の人�というのはメイクもシンプルだ。流行のものをさらっと着て、カメラマンのフラッシュを浴びる。オーラというのは整形手術をしたからといって、決して損なわれるものではない。当たり前のことだけど。