ベルサイユ宮殿での、大夜会に出席した私。ヨーロッパ各地から集まった、イブニングドレスの美女をいっぱい見た。やはりこういう正装というのは、白人のものだとつくづく思った。
男の方もかなり若い美形が多く、ひょっとしたら国際的ロマンスが、などという私の夢はすぐに打ち砕かれた。なぜならば99パーセントはカップルだからである。ひとりでドレス着て、うろうろしているのは、私と、日本から一緒に来たプレスの女性ぐらいかもしれない。
カップルというものは面白いと改めて思った。美男には美女が寄り添い、リッチそうな男性にはリッチそうな女性がワンペアだ。夫婦で招かれているから、当然といえば当然かもしれないが、ヨーロッパ社会ではあまりちぐはぐな組み合わせというものがない。日本よりも、はるかに階級社会だからかもしれないなあ。
日本のおハイソな方々の中にも時々いらっしゃるが、ヨーロッパには、お金によって磨き抜かれた美女、というのがいる。若いコはちょっとかなわない貫禄《かんろく》と輝きを持っている方々。十五区とか十六区のお金持ちエリアへ行くと、こういう素敵なマダムが、金髪をきりりとまとめ、黒いスーツにバーキンを持って買い物している。
「ああ、バーキンってこんな風にして持つのね。本当にすいませんでした。失礼しました」
と土下座して謝りたくなる。私の年齢でさえそう思うのだから、二十代のコが持つというのは本当にヘン。
そうはいうものの、久しぶりのパリでやはり物欲の鬼と化してしまった私である。まずはモンテーニュ通りのプラダへ行き、可愛いハンドバッグと革のロングコートを買う。その後はジル・サンダーへ向かったのであるが、サイズの小ささと日本と変わらないお値段の高さに一時退却。が、私は隣りのセリーヌのショーウインドウに、それはそれは素敵なチェックのスカートを見つけた。可愛い、ステキ。セリーヌは本当に変わった。
若い読者の皆さんはご存知ないと思うが、大昔、第一次ブランドブームというものがあった。私が女子大生の頃だ。あの頃、セリーヌのスカートをはき、グッチのベルトを締め、カーディガンの間からチェーンを垂らす、というのがお約束であった。
あのイメージを長く引きずり、グッチのキーホルダーや、セリーヌのスカートなどお土産に貰《もら》っても�フン�という感じであったが、今はそんなことを憶《おぼ》えている人も少ないことであろう。グッチはご存知のように、いちばんトレンディなブランドになり、セリーヌもデザイナーを替えてから、このところ大人気だ。しみじみと時の流れを感じ、感じついでに中に入ってスカートとスーツを購入。私がはいても、ここのスカートは可愛い。
ところでご存知のように、今年の流行色は赤である。パリもどこへ行っても、赤、赤、赤が溢《あふ》れている。私はデパートへ行き、赤いセーターを何枚か仕入れてきた。思えば昨年の秋から冬にかけて、街はグレイ、グレイ、グレイだったっけ。あの時買った、セーター、ジャケットをどうしてくれるんだ、とわめいたら、
「今年の赤を、差し色にすればいいのよ」
と友人が言ったが、私の見た限りパリのショーウインドウは、もっと赤を前面に押し出している。全身赤のコーディネイトだけれども、あれは日本人にはちょっとむずかしいかも。
さ、お買い物でセンスを磨いたら、おいしいものをいただきましょう。パリで今、いちばん話題の店といったら、シャンゼリゼ通りの回転寿司だ。例のブッダ・バーよりもおしゃれな人たちが集まっているということでさっそく出かけていった。日本人の観光客などひとりもいない。みんなフランス人で、気取ってランチをとっている。
当たり前だ。すっごく高くてまずいんだもの。乾いたような海老《えび》や白身が二個のってて三十五フランもする。約六百三十円っていうとこか。ひどい、ひどい、と言いながら結局三人で二十皿近く食べて口惜しい。
パリはおいしいところが山のようにある。ベトナム料理なんか最高だ。野菜はたっぷり食べられるし、ワインによく合う。生春巻、春雨のサラダといったポピュラーなものもいいけれど、魚の蒸し料理なんかもいける。夜は三ツ星レストランで、豪華なフランス料理。
朝は朝で、焼きたてのクロワッサンにカフェオレという、ホテルの朝食が何ともいえないぐらいおいしい。バターもジャムも日本のものと全然違う。
ここで読んでいる人は誰もが思うだろう。
「ちょっと、ダイエットはどうしたの」
海外へ行くと治外法権という感じで、すべてを許してしまう私。あんなに歩くんだし、早く起きるんだしさあ、といいわけを十個ぐらい用意したが、三日目にはもうスカートがきつい。
「人間の体が、そんなにすぐ太るはずがない」
と一緒に行った人が言ったが、そういう人は肥満に苦しんだことのない幸福な人だ。帰って測ったら、三・五キロ増えていた。
ああ、パリ。悦楽の都よ。あなたに魅せられた私を、どうしてこんなに苦しめるのか。