皆さん、『美女入門PART2』買ってくださいましたア?
原宿の交差点のところにある、私の大看板見てくれましたア? あれはすごかったですね。このあいだタクシーに乗っていたら、友人が大きな声で、
「わー、すごいわねー。まるで鈴木その子の大看板みたいじゃない」
と騒ぎ出し、運転手さんもミラーの位置を変えてこちらを見たのがわかった。その恥ずかしさといったらない。うちの夫は車であそこを通るたびに「いいかげんにしろ」とつぶやくんだそうだ。
そう、そう。それはそうと、キョンキョンと並んで表紙になったのはもちろん見たわよね。あの反響といったらすごくて、多くの友人、女性編集者から電話、FAXが入ってきた。その声を集約すると、
「キョンキョンと並んで、顔がそんなに大きく見えなかったのに驚いた」
というものである。
キョンキョンにお目にかかったのは初めてだが、そのキュートな印象は思っていたとおりであった。体もきゃしゃだが、顔の小ささときたら、私の握りこぶしぐらいだ。
二人並んで撮影をし、ポラを撮った。そしてそれを見たカメラマン、テツオ、他の編集者たちは一様に沈黙する。
「どれ、どれ、見せて」
明るく覗《のぞ》き込んだ私も、言葉を失った。顔の大きさがまるで違うのだ。大小、なんていうもんじゃない。なんていうか、その、
「単位がまるで違うんだよな」
とテツオ。
「こりゃ、キロとグラムの違いぐらいだよ」
ひどいことを言うと頭にきたが、確かにそのとおりなんだ、こりゃ。急きょ椅子を動かし斜めにした。そして私は一メートル近く奥に下がって遠近法を利用した。そしてやっと普通の大小の違いになったのである。
終わった後、テツオは私に焼肉をご馳走《ちそう》してくれた。
「ま、芸能人でアイドルの人と、並んで写真を撮ったオレたちがイケないんだから、そんなに気にしなくたっていいよ」
慰めてくれているつもりらしい。
いいの、そんなに気を遣わないで。どうせ私はもともと顔が大きいんだからさ。
つい先日のこと、友人と食事に行ったら知り合いがいた。その知り合いが女優さんと一緒であった。名前を言えば誰もが知っている若手の女優さんである。私は彼女の顔がわりと大きいことに心を打たれた。わりと、なんていうもんじゃない。一般人の中でもこのくらい大きなコは珍しいだろう。けれども目がとても大きいのでバランスがとれている。きっと舞台に立ったら映えるんじゃないだろうか。
あと私の知っている顔の小さい女優さんというと、やはり川島なお美さんだろうか。ちっちゃくってすごくキレイ。私はあの小さな顔を見るたび、
「うーん、男はたまらんだろうな」
と、オヤジみたいな気持ちになるのである。なんていうか、あんな風にちっちゃい顔だと、愛玩物《あいがんぶつ》として男の人の掌にちゃんとおさまるという感じ。すぐに顎《あご》をつまんでキスをしたくなるだろうなあという大きさである。
ニャゴニャゴしていてすごく可愛いのだ。私はなお美さんを見るたび、
「一度でいいから、こんな小顔になりたかった」
と思うのである。洋服だって何だって似合いそう。かよわく見えて、男の人が守ってくれそうではないか。私のようにデカ顔の女は、それだけで圧迫感があり、強そうである。よほど目鼻立ちが大きくないと、顔の大きさに負けてしまう。
私の友人のスタイリストで、やっぱりすごいデカ顔のコがいた。彼女は目が細くて、すべてのパーツがこぢんまりとしている。すると、どういうことが起こるかというと、ただ、
「顔の大きい人」
という印象を人に残してしまうのである。頬っぺただけが記憶されたりする。
ところで、ついおとといのことである。京都駅のホームで、新幹線を待っていた私は、ものすごい大顔の女性が、ピンクのスーツを着てこちらに歩いてくるのを見た。五頭身しかない。しかも帽子をかぶっているので、ますます顔が大きく見えるのだ。なんと京唄子さんであった。
顔だけが歩いてくるという感じ。が、なんだか迫力があってカッコよかったのである。全身から「私は、京唄子よ」というオーラが出ている。まわりの人たちも騒ぐことはせず、あまりのオーラに遠まきにして眺めていた。
うーん、すごいと私もうなった。デカ顔の私としては、将来あんな風になりたい。中身がいっぱい詰まったデカ顔である。もうその人の存在自体が人に迫ってくるような、そんなデカ顔に私はなりたい。
けれども写真を撮る時、やっぱり悲しい。せめて少しでも小さくなるように、記念写真の時は決して端っこにいかない。真中にどーんと立つ。デカ顔の女は態度がデカくてそうしてるんじゃない。いじらしい女心からである。