一 遠《とほ》野《の》郷《がう》は今の陸中上《かみ》閉《へ》伊《い》郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり。新町村にては、遠野、土《つち》淵《ぶち》、附《つく》馬《も》牛《うし》、松崎、青笹、上《かみ》郷《がう》、小《を》友《とも》、綾《あや》織《おり》、鱒《ます》沢《ざは》、宮《みや》守《もり》、達《たつ》曾《そ》部《べ》の一町十か村に分かつ。近代あるいは西閉伊郡とも称し、中古にはまた遠《とほ》野《の》保《ほ》とも呼べり。今日郡役所のある遠野町はすなはち一郷の町《まち》場《ば》にして、南部家一万石の城下なり。城を横田城ともいふ。この地へ行くには花《はな》巻《まき》の停車場にて汽車を下り、北《きた》上《かみ》川《がは》を渡り、その川の支流猿が石川の渓を伝ひて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。山奥には珍しき繁華の地なり。伝へ言ふ、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿が石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき邑落をなせしなりと。されば谷川のこの猿が石に落ち合ふものはなはだ多く、俗に七《なな》内《ない》八《や》崎《さき》ありと称す。内《ない》は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。