二 遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七《*》七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚《あつ》め、その市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早《はや》池《ち》峰《ね》といふ。北の方附《つく》馬《も》牛《うし》の奥にあり。東の方には六《ろつ》角《こ》牛《うし》山立てり。石神といふ山は附馬牛と達《たつ》曾《そ》部《べ》との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり、今の来《らい》内《ない》村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の姫眼覚めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、つひに最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三つの山に住し、今もこれを領したまふゆゑに、遠野の女どもはその妬《ねた》みを恐れて今もこの山には遊ばずといへり。(注 この一里は小道すなはち坂東道なり。一里が五丁または六丁なり)