三〇 小《お》友《とも》村字上《かみ》鮎《あゆ》貝《かい》に上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に行っていたが、そのうちに帰って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なくなった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連れて来るなと言った。そうして乳飲み児ももう行きたがらなくなった。それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に乗って、蛇体となって小友川に流れ出て氷《すが》口《くち》の淵で元の女の姿になって見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。それからその淵をおせんが淵といい、おせんのはいった山をば蛇《じや》洞《どう》という。上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っているくらいだから、そう古い時代の話ではなかろうとは、同じ村の松田新五郎氏の談である。