七六 神の数は伝説その他から考えて、当然二体であるべきであるが、四体または六体の例も稀ではない。気《け》仙《せん》の盛《さかり》町《まち》の近在には、十二体のオシラサマを持つ家もあるといい、二《にの》戸《へ》郡浄法寺村の野田の小八という家では、オシラは三体でその一つは小児の姿であるという。しかし普通には村々の草分け、すなわち大同と呼ばれる家のものは二体であるらしい。そうするとあるいは家を分けて後に出た家だけが、何か理由があって新たにその数を加えたものではなかったか。土淵村五日市の北川氏は、今は絶えてしまったが、土淵の草分けと伝えられていて、この家のオシラサマは二体であった。その分家の火石の北川家では四体、そのまた分家の北川には六体であった。その形像も火石北川の本家の四体には馬頭のものも交っているが、分家の六体はすべて皆丸頭である。田の代《しろ》掻《か》きの手伝いをしたという柏崎の阿部家のオシラサマは四体であった。一体は馬頭で一体は烏帽子、他の二つは丸頭である。長《たけ》はいずれも五、六寸で、彫刻は原始的だが顔に凄《すご》味《み》を帯び、馬頭などはむしろ竜頭に似ている。