一五八 死の国へ行く途には、川を渡るのだといわれている。これが世間でいう三途の河のことであるかどうかはわからぬが、いったんは死んだが、川に障《さ》えられて戻って来たという類の話がすくなくなかったようである。土淵村の瀬川繁治という若者は、急に腹痛を起こしてまぐれることがしばしばあったが、十年ほど前にもそんなふうになったことがあって、呼吸を吹き返した後に、ああおっかなかった。おれは今松原街道を急いで歩いて行って、立派な橋の上を通りかかったところが、唐鍬を持った小沼寅爺と駐在所の巡査とが二人でおれを遮って通さないので戻って来たと語ったそうである。この若者は今はすこぶる丈夫になっている。また佐々木君の曾祖父もある時にまぐれた。蘇生した後に語った話に、おれが今広い街道を歩いて行ったら大橋があって、その向こうに高い石垣を築いた立派な寺が見えた。その石垣の隙間隙間から、大勢の子供たちの顔が覗いていて、いっせいにおれの方を見たと。