一六〇 生者や死者の思いが凝《こ》って出て歩く姿が、幻になって人の目に見えるのをこの地方ではオマクといっている。佐々木君の幼少の頃、土淵村の光岸寺という寺が火災に遭った。字山口の慶次郎大工が頭《とう》梁《りよう》となって、その新築工事を進めていた時のことである。ある日四、五十人の大工たちが昼休みをしていると、そこへ十六、七の美しい娘が潜り戸を開けてはいって来た。その姿は居合わせた皆の目にはっきり見えた。この時慶次郎は、今のは、俺の隣の家の小松だが、傷寒で苦しんでいてここへ来るはずはないが、それではとうとう死ぬのかと言った。はたしてこの娘はその翌日に死んだという。その場に居合わせて娘の姿を見た一人、古屋敷徳平という人の話である。