一八八 安政の頃というが、遠野の裏町に木下鵬石という医師があった。ある夜家族の者と大地震の話をしていると、更けてから一人の男が来て、自分は遊《ゆ》田《だ》家の使いの者だが、急病人ができたから来ていただきたいと言うので、早速その病人を見舞って、薬を置いて帰ろうとすると、その家の老人から、これは今晩の謝儀だと言って一封の金を手渡された。翌朝鵬石が再び遊田家の病人を訪ねると、同家では意外の顔をして、そんな覚えはないと言い、病気のはずの人も達者であった。不思議に思って家に帰り、昨夜の金包みを解いてみると、中からは一朱金二枚が現われた。その病人はおそらく懸《かけ》ノ稲荷様であったろうと、人々は評判したそうである。