二〇九 近所の鶴という男の女房は、まだ年の若い女である。先日山に行って自分の背よりも丈の高い萱の中を分けて行くと、不意に大熊に行き逢った。熊も驚いて棒立ちになったが。たちまち押しかかって来た。なにぶん人間の体よりもずっと大きな熊ではあり、他にしかたがないので、その場に倒れたまま身動きもせずにいると、熊は静かに傍へ寄って来て、手首や足首などを何度も握って見る。それから乳房や腹まで次々と体のそこらじゅうを探り、さらに呼吸をうかがっている。女は今にも引き裂かれると思って生きた心持もなかったが、そのうちに熊はなんと思ったか、女の体を抱いて沢の方へ投げつけた。それでもこの女は声をたてずにいると熊ははじめて悠々と立ち去ったそうである。これは昭和三年の九月十五日に、つい二、三日前の事だと言って話していたのを聞いた。