二一〇 大正十五年の冬のことであるが、栗橋村字中村の和田幸次郎という三十二歳の男が、同じ村分の羽山麓へ狩りに行っていると、向こうから三匹連れの大熊がのそのそとやってきた。見つけられては一大事だと思って、物陰に隠れて見ていると、三匹のうちの大きい方の二匹は傍《わき》へ行ってしまったが、やや小さ目の一匹だけは、そこに残って餌でもあさっている様子であった。早速これを鉄砲で射つと、当たり所が悪かったのか、すぐに振り返って立ち向かって来た。二の弾丸《たま》をこめる隙もなかったので、飛びつかれたまま、地面にごろりと倒れて死んだふりをすると、熊は方々を嗅《か》いでいたが、何と思ったのか、この男の片足を取って、いきなりぶんと谷底の方へ投げ飛ばした。どれほど遠くへ投げ飛ばされたかは知らぬが、この男は投げられるとすぐに立ち直って二の弾丸を鉄砲にこめた。そうして悠々と向こうへ立ち去る熊を、追い射ちに射ち倒した。胆は釜石へ百七十円に売ったということで、これは同年の十二月二十八日の岩手日報に、つい近頃の出来事として報道せられたものである。