二三一 維新の当時には身に沁みるような話が世上に多かったといわれる。官軍にうち負かされた徳川方の殿様が、一族ちりぢりに逃げ落ちた折のことであったが、ある日村のなかに美しいお姫様の一行が迷って来た。お姫様の年ごろははたち前らしく、今まで絵にも見たことがないうつくしさであった。駕《か》籠《ご》に乗っておられたが、その次の駕籠にやや年をとったおつきの婦人が乗り、そのほかにもお侍が六人、若党が四人、医者坊主が二人までつき添っていた。村の若い者は駕籠舁《か》きに出てお伴をしたが、一行が釜石浜の方へ出るために仙人峠を越えていった時、峠の上には百姓の番兵どもがいて、無情にもお姫様に駕籠から降りて関所を通れと命じた。お姫様は漆《うるし》塗《ぬ》りの高下駄に畳の表のついたのを履《は》かれて、雇われて行った村の者の肩のうえに優しく美しい手を置いた。その様子がいかにもいたわしく淋しげであったから、心を惹かれた若者たちは二日三日も駕籠を担いでお伴をしたという。佐々木君の祖父もその駕籠舁きに出た者の一人であった。駕籠の中にはお姫様は始終泣いておられたが、涙をすすり上げるひまに、何かぽりぽりと噛まれた。たぶん煎豆でも召し上がっているのであろうと思ったところが、それは小さな菓子であった。今考えると、あの頃からもう金米糖があったのだと、祖父が語るのを佐々木君も聞いた。またお姫様が駕籠からおりて関所を越えられる時に、何ゆえにこんな辛《つら》い旅をあそばすのかとお聞《き》きしたら、お姫様はただ泣いておられるばかりであったが、おつきの老女がかたわらから、戦《いくさ》が始まったゆえと一口答えた。あれはどこのお城の姫君であったろうと、常に追懐したという。