二三四 これは維新当時のことと思われるが、油取りが来るという噂が村々にひろがって、夕方過ぎは女子供は外出無用との御布令さえ庄屋肝《きも》入《い》りから出たことがあったそうな。毎日のように、それ今日はどこ某の娘が遊びに出ていて攫《さら》われた、昨日はどこで子供がいなくなったという類の風説が盛んであった。ちょうどその頃川原に柴の小屋を結んだ跡があったり、ハサミ(魚を焼く串)の類が投げ棄ててあったために、油取りがこの串に子供を刺して油を取ったものだなどといって、ひどく怖れたそうである。油取りは紺の脚《きや》絆《はん》に、同じ手差をかけた人だといわれ、油取りが来れば戦争が始まるとも噂せられた。これは村のたにえ婆様の話であったが、同じような風説は海岸地方でも行なわれたと思われ、婆様の夫治三郎爺は子供の時大槌浜の辺で育ったが、やはりこの噂に怯《おび》えたことがあるという。