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月蝕姫のキス05

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:CHAPTER 04「ささ、そんなとこに突《つ》っ立ってないで、こっちへ。そう硬《かた》くならなくても、すぐすむんだから」ドアを開
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 CHAPTER 04

「ささ、そんなとこに突《つ》っ立ってないで、こっちへ……。そう硬《かた》くならなくても、すぐすむんだから」
ドアを開けたとたん、こっち向きに腰掛《こしか》けていた中年男がニコニコと笑いかけてきたので、ぼくもあいまいな微笑を浮《う》かべて返した。本物の刑事ってこんなに愛想のいいものかなと、ちょっと安心したり拍子抜《ひょうしぬ》けしたりしながら、お粗末《そまつ》な机をはさんで相手と向かい合った。
担任教師が付き添《そ》ってくれるのかと思ったら、ぼくだけ残して出て行ってしまったのには驚《おどろ》くより呆《あき》れてしまったが、ぼくが万一きつい取り調べを受けたとしても、あまり助けてくれそうにはなかったし、見たところそんな心配は無用のようだった。
何より、さっさとすみそうなのがうれしかった。というのも、ひょっとして授業をサボれるのではと期待したのだが、担任が言った「あとで」というのは何と昼休みで、おかげで空きっ腹のまま生徒指導室に行かされ、そのまま昼飯を食いそこねることにもなりかねなかったからだ。
その刑事の笑顔にうながされるまま、ぼくはぼく自身の住所氏名、クラス、それに昨日の下校時の状況《じょうきょう》などを話し始めたが、やがて妙《みょう》なことに気づいた。相手の笑顔が少しの変化も見せないのだ。
赤ら顔や変につやつやした肌質《はだしつ》のせいか、まるで木彫《きぼ》りの仮面のようだ。よく目だけは笑っていないとか言うが、この男の場合は、細めた目の奥にどんな光が宿っているのか、まるでうかがい知れなかった。
「それで」
刑事は、ぼくの中に生じた薄気味《うすきみ》悪さをお見通しなのか、そんなのは知ったことじゃないのか、猫なで声で言った。ふいに机上に置いてあった白いカード——それは裏返しに置いた写真だった——を取り上げたかと思うと、それをぼくの鼻先に突きつけて、
「君がすれ違《ちが》ったというのは、この男だった?」
「!」
ぼくは一瞬《いっしゅん》、ひるまずにはいられなかった。そこには草むらに横たわる中年男の、明らかに死に顔としか思えないものが大写しになっていたからだ。
「あの……」
ぼくはゴクリとつばをのみ下し、ジワリと汗《あせ》がわいて出るのを感じながら続けた。
「これは、ひょっとして、そのぅ——?」
「そう、この近くの空き地で見つかった死体だよ」
刑事は妙に楽しそうに、格別表情は変えないまま答えた。だが、そのとき口元からチロッと舌の先がのぞいた気がしたのは、錯覚《さっかく》ではなかった。
「生きてるときとは人相も変わっているだろうが、こいつに間違いなかったかい?」
「は……はい」
ぼくはかすれた声で、小さくうなずいてみせた。
「確かに……こ、この人だった、と思います」
よく刑事もののドラマや小説に出てきて、容疑者のアリバイやなんかを証言するチョイ役は、何で判で押したような受け答えしかできないのかとおかしく思っていたが、今日からは笑えなくなりそうだった。
「で、君はこの男と、このあたりですれ違った、と。——間違いないね?」
刑事は机上に、住居地図の拡大コピーらしいものを広げると、あの赤レンガ塀《べい》の屋敷《やしき》のあたりを指差し、ぼくがうなずくのにつれて△印をつけた。見ると、その右寄りにはすでに○印がついていて、それは京堂広子《きょうどうひろこ》が言っていた「高い木の塀があるお屋敷」に違いなかった。
そして左の方に視線を滑《すべ》らせると、あの通学路|脇《わき》の、地図上では空白になった小さな一画に×印がしてあって、それが何を意味するかは言うまでもなかった。
と、その上にスッと重ねられたものがあった。そうしげしげとは見たくない死体写真だった。
「さて、それで……」
刑事は何食わぬようすで、しかし明らかにぼくの反応を楽しみながら言った。
「この男のようすはどうだった? さぞかし瀕死《ひんし》の状態だったろうね。君がそのとき一一〇番でも一一九番でもしていてくれれば、まだ何とかなったかもしれないが……いや、これは別に君を責めているんじゃないんだよ。ただ、ねぇ……」
言葉とは裏腹な内心が、わざとらしくちらついていた。
「あ、あのぅ」
ぼくはあわてて、さえぎった。話が妙な方向に転がりだしたからだった。
「それはどういうことなんでしょうか。ひょっとして、この人は、ぼくがすれ違ったときにはもう——?」
「決まってるじゃないか」
刑事は一転、不機嫌《ふきげん》そうになって、
「君の前方にいて、この男とは当然君より先にすれ違った二人組——的場《まとば》君と京堂君だっけか、彼らはこの男のようすが明らかに変だったのを証言してる。あっちへよろよろ、こっちへふらふらと足取りもおぼつかなかったとね。このことは口外無用に願いたいんだが、女の子の方なんか、そいつの前をはだけた背広の下から銀色に光るもの——凶器《きょうき》の刃物《はもの》らしいものを見た、とまで証言してる」
あいつがそんなことを! とぼくは驚かずにはいられなかった。あのとき彼女が言いかけ、的場|長成《おさなり》が押しとどめたのはそのことだったのか。たぶん、今のぼくのように警察から口止めされたのだろう。
ぼくは、京堂広子のあのときの顔を思い浮かべた。何がそんなに自慢《じまん》かと思ったら、自分たちが重大な目撃《もくげき》証言をしたのがうれしかったのだろうか。それへの反発もあったのだろう、ぼくは半ばむきになりながら、
「でも……ぼくが見たときには、そこまで変な感じではなかったですよ。そりゃ、顔色は悪かったし、足取りもしっかりはしてなかったけど、まさかあのときもう刺《さ》されてたなんて……そんな刃物も見えませんでしたし」
だが、話すにつれ、笑顔のままで固まっていた刑事の表情が、ゆっくりと渋面《じゅうめん》に変わっていった。おかげで何もかぶってなどいないことが明らかになったが、だからといって安心できたわけではなく、むしろ正反対だった。
「ふうん……だとすると、ちょっと困ったことになりはしないかねぇ。だってそうじゃないか。君より先にこの男を目撃した二人が明らかに瀕死の状態だと証言し、うち一人は凶器らしいものさえ目撃したというのに、そのあとこいつと遭遇《そうぐう》した君が、これらを全否定するというのは……」
「いえ、別にそこまでとは」
弁解しながら、ぼくは京堂広子の奴、さぞ得意げに目撃談をしたのだろうなと推測していた。刑事はさらに、
「かりにその証言が、何かの間違いか思い込みによるものだとすればだよ。その時点では、まだ刺されていなかったことになる。では誰に——? 君を含《ふく》めた、後から来た誰かに」
「!」
ぼくは不意打ちをくらった感じで絶句した。確かにそういうことになるが、まさかこの刑事はぼくのことを——?
いや、そうではない、と相手の表情から気づいた。彼は、せっかく組み立てかかった推理(ともいえない程度のものだが)を崩《くず》されるのが、いやなのだ。まして、ぼくのような一介《いっかい》の高校生に。
むろん、ぼくが見も知らない男に切りつけるわけもなし、といって、的場たちの証言もあながち無視はできない。男の服の下に凶器らしいものを見かけたという京堂広子の言い分が、記憶《きおく》の後付けに由来する錯覚や誇張《こちょう》の可能性が、多分にあるとしてもだ。
確かなことがあった。目の前にいる刑事が、そうしたことも含めて、一つの死体をめぐって互《たが》いに矛盾《むじゅん》する�事実�のパズルピースを検討してみる気などないということだった。
相手はひたすら、ぼくの口から「あの人は今にも死にそうでした。あとから思えば、そのときもう致命傷《ちめいしょう》を受けていたのでしょう」と言わせようとし、何なら勝手に言ったことにする腹で、それ以外のことに耳を貸す気はないようだった。
この刑事もどうしようもない男だったが、ぼくも別の意味で困ったものといえた。相手が、まして警察が白を黒と言いくるめたがっていたら、素直に従っておくのが賢明《けんめい》な態度だろう。まして、こちらにとっても白と確信があるわけでなく、せいぜいが灰色なのだから。
だが……どんな些末《さまつ》なことでも、考えて考え抜かずにはいられない悪癖《あくへき》と同様、事実をねじ曲げ、自分にうそをつくのは断じてできないことだった。全く、それができさえすれば、このときに限らず、どんなに楽な人生を送れたことだろう!
だが、できないものはできない。そのあげく、目の前の相手だけでなく、自分との葛藤《かっとう》にほとほと疲《つか》れはて、虚《むな》しくなりかけたときだった。
「そうだ!」
大げさに言えば天啓《てんけい》のようなものがひらめき、ぼくはいきなり立ち上がっていた。
な、な、何だ? と、初めてあわてたようすを見せる刑事をおかしがりながら、ぼくは小走りに生徒指導室を出て行きかけた。戸口のところで振《ふ》り返りざま、
「ちょっと、待っててください。見せたいものがあるんです」
(あの鍵《かぎ》だ……)
ぼくは心中、つぶやいていた。言うまでもなく、昨日あの男とすれ違った直後の路上に見つけ、ついつい拾い上げたキーのことだが、実はまだぼくの通学カバンに入ったままになっている。
いや、あのあと確かに最寄りの交番に届けるつもりだったのだが、立ち寄ってみると誰もいなかった。不在交番とか空き交番とかいうやつで、一般市民に面倒《めんどう》な訴《うった》えを持って来させないため、通り魔《ま》や強盗《ごうとう》に襲《おそ》われて逃《に》げ込んだ被害者を見捨てるため、なるべく警察官を配置しないことになっているらしい。
まさか、そこに拾得物を放置しておくわけにもいかず、机の上に本署への連絡用の電話はあったのだが、何となくおっくうでそのまま立ち去ってしまったのだ。この点に弁解の余地はないが、どこかでお巡りさんに遭遇《そうぐう》し次第、ちゃんと届け出るつもりだった。
考えてみれば、今こそその絶好のチャンスではないか。そして、それだけではなかった。
(あれがもし、この事件にかかわりがあるとしたら? ひょっとして、あの男の人と、ひいてはその死とかかわりがあるのでは——?)
むろん何の根拠《こんきょ》もないことだった。だが、無残な死体となって発見された男と、その通り道で発見された鍵とが、全然無関係だと考える方が、無理があった。
何より、ぼくは自分が望む答えにしか耳を貸そうとしない刑事に、一矢《いっし》報いてやりたかった。ぼくの証言と同様、あっさり無視できるものなら無視してみろという気だった。
「あっ、こら、まだ話はすんでないんだぞ」
狼狽《ろうばい》と憤慨《ふんがい》を半々にブレンドしたみたいな声を背中で聞いて、廊下《ろうか》に飛び出したときだった。見知らぬ大人と危うくぶつかりそうになった。
「おっと」
ちょっとおどけた調子で言い、身軽に飛びのいたのは、三十歳ぐらいで顔のやや青白い男。引き締《し》まった体を、まるで葬式《そうしき》帰りみたいに黒ずくめのスーツに包んでいた。もっとも、お弔《とむら》いならワイシャツは白にするだろうが、そんな風に表現したくなるような不吉な気配《けはい》があった。
今のも警察の人間だろうか? さっきの奴に比べると、やけにニヒルというかクールな感じだったが……。
だが、そんな詮索《せんさく》は後回しだった。ぼくはそのまま教室に駆《か》け戻《もど》った。
ちょうど昼飯の最中だった連中の何人かが�おや?�という感じで顔を上げたが、大半は気にもとめなかった。
そのまま自分の席に歩み寄ると、机の脇に置いたカバンを取り上げ、その中を探った。
——ない!
そんなはずはなかった。確かにあのとき拾ってつい届けそびれたまま、一度も出し入れすることはなかったはずだ。
ぼくは何度も何度も、しまいには中身を全部ぶちまけかねない勢いで、あの鍵を捜《さが》し求めた。だが、全ては徒労《とろう》だった。
カッと頭に血が上り、背中には汗をかいていた。そのくせ全体としては、うそ寒いような脱力したようなところもあったりして、やがて手の動きも止まってしまった。
数分後、ぼくはたとえようもなく情けない気分で、重い足を生徒指導室に向け引きずっていた。
(確かに入れたはずなのに……一度も出しはしなかったのに……家の誰かが間違って持って行ってしまったのか……いや、そんなはずはない、今朝、授業中に読む文庫本を放り込《こ》むときに見たら、確かにあのオレンジ色のキーホルダーらしいものが……いや……)
いっそ、そのまま戻らずにすませようかと思った。だが、相手は警察、しかも校内での尋問《じんもん》のあととあっては逃《のが》れられるわけもない。
いきなり席をけり、いかにも何ごとか重大なことでもありげに出て行っていながら、手ぶらですごすご舞《ま》い戻ってきた。そのことの説明をつけ、あの底意地悪そうな刑事にかんべんしてもらうしかなかった。だが、いったいどう言えばいいのだろう。
戸口でさんざん躊躇《ちゅうちょ》してから、取っ手に指先をかけた。大きく息を吸ってから、
「あ、あのぅ」
消え入るような声で言いながら、思い切ってドアを開いてみた。
次の瞬間、ぼくは思わず立ちすくんでいた。
ドアの向こうにあった刑事の顔は、もはや笑ってはいなかった。たとえ作り笑顔でも、ないよりあった方がずっとましであることを、今ごろになって思い知らされた。
いや、部屋の中から笑みが消えたわけではなかった。というのは、くだんの元・笑い仮面の刑事のほかに、いつのまにか加わった人物がいて、彼がニヤリニヤリと皮肉な笑みを浮かべながら、こちらを見ていたからだ。
黒ずくめの服のポケットに両手を突っ込み、斜《しゃ》に構えた体を手近な壁《かべ》にもたせかけている。そして、青白い顔色と冷笑するような表情の主は——そう、ついさっき、ここを出るときにぶつかりかけた人物だった。
やはり彼も刑事で、ここへは同僚《どうりょう》の応援《おうえん》にでもやってきたのか。それとも——と心の中でつぶやいたとき、その男がふいに口を開いた。
「さてと……暮林《くればやし》君だっけ、君はこちらの彼になかなかユニークな証言をしたうえに、何か相当に興味深いものを見せてくれるんだって? よかったら、このおれもお相伴《しょうばん》にあずからしてもらえないもんかな。え、どうだい?」
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