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月蝕姫のキス11

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:CHAPTER 10監視《かんし》のためには、確かに絶好のポイントだった。いや、最上の桟敷席《さじきせき》といった方がふさわしかっ
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 CHAPTER 10

監視《かんし》のためには、確かに絶好のポイントだった。いや、最上の桟敷席《さじきせき》といった方がふさわしかったかもしれない。
ぼくらがよじ登り、体をねじこんだ枝はがっしりと頼《たの》もしく、あと二人や三人の体重なら余裕で支えられそうだった。何より、そこからはこの西洋館の二階——とりわけさっき電気のついた部屋のようすを、舞台さながらに見渡《みわた》すことができた。
窓|越《ご》しに見たところでは書斎兼《しょさいけん》応接室といった感じで、テーブルや椅子《いす》が配置され、本棚《ほんだな》や暖炉《だんろ》も備わっていれば、額縁《がくぶち》入りの絵も掛《か》けられている。もっとも、どれも古びてすすけてはいたけれど……。ぼくらと対面《たいめん》の壁《かべ》にはドアがあり、たぶん廊下《ろうか》に通じているものと思われた。
そこには、いかにもうさん臭《くさ》そうな大人たち三人がいた。年齢《ねんれい》は三十路《みそじ》から四十代、男二人に女が一人という取り合わせで、あるものは壁に寄りかかり、あるものは腕組《うでぐ》みをし、またあるものはテーブルに手を添《そ》えて妙《みょう》なポーズを取ったりしていた。そして、そんな立ち姿の彼らにまじって——
「おい」
夏川至《なつかわいたる》が、声を低く押し殺し、ぼくをそっと突っついた。
ぼくは「うん」と小声でうなずき、痛いほどに動悸《どうき》を感じながら、心中つぶやいていた。
(君はそこにいたのか……行宮《ゆくみや》)
そう、彼女はその部屋にいた。いま記したような連中に囲まれ、ただ一人|肘《ひじ》掛け椅子に座らされて。こちらには、やや斜《なな》めの角度をなしつつ背を向けているせいで、顔はよく見えないが、時折ちらりとかいま見えたプロフィルは、まぎれもなく行宮《ゆくみや》美羽子《みわこ》のものだった。
[#挿絵(img/01_137.png)入る]
彼女のとびぬけた若さと可憐《かれん》さ、加えてぼくらの学校の制服をまとった姿は、その部屋にあって異様なまでのコントラストをなしており、それに比べれば三人の男女はあまりに見苦しく、下品で、同じ人間とは思えないような気さえするのだった。
「あいつらだな。彼女を車で拉致《らち》したのは」
夏川が吐《は》き棄《す》て、グッと拳《こぶし》を握《にぎ》りしめた。おそらくそうだろうと、ぼくも思った。
彼らのうち、美羽子の一番間近にいるのは、この中で一番若い——もしくは若作りをした男だった。服装は派手なブレザーに丸首シャツ、大ぶりな顔に眉《まゆ》あくまで濃《こ》く、目鼻立ちのくどいところは、昔の二枚目映画スターみたいだった。
たぶん今の時代ではそんなにモテそうにないその男は、いやに押しつけがましい笑顔を浮《う》かべ、行宮美羽子の椅子にのしかかるようにして、しきりと話しかけている。むろん内容はわからないが、おためごかしに無理難題を押しつけているように見えた。
二人目の男は彼よりさらにド派手にして悪趣味《あくしゅみ》で、玉虫色とでもいうのか、細かく縫《ぬ》い取りが施《ほどこ》されてやたらキンキラした|立て襟《スタンド・カラー》の服をまとっていた。髪形はいっそう怪《あや》しく、自毛だかカツラだかわからない、マッシュルームカットを波打たせたみたいな髪形をしており、おまけに妙な色つきの丸|眼鏡《めがね》をかけていた。
もう一人の同室者である女は、いささか短く切りすぎたオカッパ頭に頬骨《ほおぼね》の突《つ》き出た黄色い顔が、ひどく意地悪そうに見えるうえに、手足も何もかもが竹ざおみたいに細長く、同性でありながら美羽子と最も生物学的に縁《えん》遠い存在に見えてならなかった。
彼らは入れかわり立ちかわり、美羽子のいる椅子に歩み寄り、しばしば身を乗り出して、何ごとか話しかけていた。昔の二枚目風の男はにこやかに大げさな身振《みぶ》り手振りで、キンキラ色眼鏡は蜘蛛《くも》みたいにしなやかに忍《しの》び寄りつつ、竹ざおオカッパ女はもともと怖《こわ》そうな顔をクシャクシャさせながら——だが、あいにく話の内容はさっぱりわからない。そのことをもどかしく思ったとたん、
「あいつら何を話してるんだ。行宮をどうしようっていうんだ?」
夏川がぼくの思いを代弁するように、いらいらと言った。そう訊《き》かれても、とっさには答えようがなく、
「さあ……」
「『さあ』とは何だよ、この非常事態に」
夏川がいら立ちの矛先《ほこさき》を転じるように、にらみつけてきた。ぼくはいつもながらの自分の性癖《せいへき》を呪《のろ》い、しかし今さらごまかすわけにもいかず、
「いや、いったい、そもそも彼らは何をしたいんだろうと思って」
「何をしたい? そんなもん拉致|監禁《かんきん》に決まってるだろうが」
夏川はあきれたように言った。ぼくはもう引っ込《こ》みがつかなくなって、
「だとしても、何のために?」
「そりゃ、口封《くちふう》じのためだろう。あの通学路での殺しで何かまずいものを見ちまった彼女に対する……」
「それにしては、少しご大層すぎないか? 第一、口封じをするためのおどしに、あんな風に顔をさらすなんて矛盾《むじゅん》もいいとこじゃないか」
「でも、そのあとで殺すつもりなら……ああ、そうか。なら、さっさと始末しちまうか」
自分で自分の言葉が怖くなったらしい夏川は、次いで安心したように言った。
「だからといって」ぼくは続けた。「これが身代金《みのしろきん》目的の誘拐《ゆうかい》とか、彼女を人質にとって恐喝《きょうかつ》するつもりとかなら、さっさと家族に連絡すればいいわけだし、やっぱり妙だよね。ほかにも一味がいて、もう電話でもしてるのかもしれないし、接触《せっしょく》のタイミングを見計らっているとも考えられるけど、それにしたってこんなに総がかりで相手にする必要はないだろうし……」
言いながら、ぼくは行宮美羽子の家族はおろか、どこでどんな暮らしをしているのかについて何一つ知らないことに気づいた。一方、夏川はそんなことはおかまいなしに、
「そうか!」
いくら窓ガラス越しとはいえ、聞こえてしまいそうな大声をあげた。
「奴らの目的は、行宮そのもの——いや、むしろ彼女が持っている何か。あいつらはそれがほしくて、彼女をこんな屋敷《やしき》へ連れ込んだというんだな?」
「そう」ぼくは小声でうなずいた。「それが財産とか何か大事な品物といった具体的なものなのか、秘密だとか情報とかの形のないものかはわからないけどね」
「畜生《ちくしょう》、それであんな風になだめすかしたり、おどしたりしてやがるんだな」
夏川は、ますますいきりたった。「まずいな、この分だときっと……」などとつぶやきながら、ちょっとの間考えていたかと思うと、やにわに手近な枝をつかんだ。
「あ……」
と間抜けな声をあげたときには、夏川はもう体を宙に躍《おど》らせていた。そのままみごとに地面に着地するや、ぼくに向かって、
「じゃな、ちょっと行ってくるわ」
「ちょっと行ってくるわって、おい……」
こんなとこに置いてけぼりはたまらないと、つられてぼくも木から下りようとした。だが、あわてて幹にしがみついたそのとたん、
「こらっ、お前はそこにいろ」
「で、でも……」
「いいから、そこで彼女と奴らのようすを見守っててくれ。万一何かあったときには、警察への連絡を頼む」
「万一って、いったい何するつもりなんだ」
思わず尋《たず》ねたぼくを見上げ、夏川至はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。右手の親指をぐいっと立ててみせると、
「決まってるさ。行宮を助け出しに行くんだよ、あいつらがこれ以上ひどいことをしでかさない前に。じゃな!」
そのままダッと駆《か》け出し、もと来た道を戻《もど》っていってしまった。
おい、待て! とあげかけた大声を、あわててのみ下した。あいつ、まさか、建物の中に忍び込むつもりか? そんなむちゃな!
そして、このぼく自身はいったいどうしたらいいのだ。やっぱり、彼のあとを追い、行動をともにした方が……と木を下りかけたところ、ズルッと足を滑《すべ》らせてしまった。
悲鳴をあげそうなのをこらえ、冷や汗《あせ》かいて必死に幹にへばりつく。やっとのことで元の場所にはい上がったとき、一つの衝撃《しょうげき》がぼくの総身《そうみ》を貫《つらぬ》いた。
行宮美羽子が、ぼくを見た。ほんの一刹那《いちせつな》だが、椅子に腰《こし》掛けたまま横顔をふと後方にねじ向けた彼女と、視線が合った——確かにそんな気がしたのだ。
(彼女が……気づいてくれた?)
もしかして、そうかもしれないと思った瞬間《しゅんかん》、急に元気がわいてきた。今すぐ救いに行きたいのはやまやまだが、夏川のあとを犬っころみたいについていったってしょうがない。ここに踏《ふ》みとどまって不測の事態に備え、何か起きたら自分一人で決断し、行動するまでだと腹を決めた。
とにかく、彼女に自分の存在をもっとはっきりと伝えたかった。ここにいて見守っていること、いざとなれば助けに行くこと、少なくとも君はもう孤立無援《こりつむえん》ではないこと——それらの事実を教えてあげたかった。
だが、それきり彼女はこちらを向くことはなかった。そのかわり、かろうじて見える片頬に、さっきまではなかったかすかな笑みが浮かんでいるような気がしてならなかった。
(ということは——行宮はぼくらの、いや、ぼくの存在に気づいたんだ。ほんのちょっとかもしれないけど、そのことで安心してくれたんだ!)
その思いは、ぼくをさらに大きく力づけた。こうして猿《さる》みたいに木の上にいたって、やれることはいくらだってある。そして、とりあえず今のぼくにできることは、待つことと観察すること、そして考えることだった……。
あの中年の男女は、いったい何がしたいのか? さっき夏川に話したように、身代金目的の誘拐といった、ほかに恐喝する相手が必要なことでないとすれば、彼女自身が目的だということになる。そこには、彼女の身に暴行《ぼうこう》——考えたくないことだが——を加えることも含《ふく》まれるが、どうもそのようでもないし、いささか人間|離《ばな》れしているとはいえ女性が一人まじっているのも否定材料だ。だとすると、やはり行宮美羽子から有形無形の何かを奪《うば》い取ろうとしているということになる。
それはいったい何なのか。ぼくには、あの通学路の殺人など、そのほんの一部に過ぎないような巨大な何かのただ中に彼女がいるような気がし始めてならなかった。
たとえば、彼女には莫大《ばくだい》な遺産《いさん》の相続権があって、あの連中はそれを横取りしようと権利の放棄《ほうき》を迫《せま》っているのかもしれない。あるいは、連中にとって重要な秘密を握っていて、それを吐かせようとしているのかもしれない。ぐっとロマンチックなことに埋蔵金《まいぞうきん》だか財宝のありかについて先祖から言い伝えられたのを、聞き出したいという場合だってあり得るかもしれなかった。
どんなに冗談《じょうだん》っぽい理由にせよ、当の三人が真剣そのものであることは見ていればわかった。三者三様の表情の下には、しだいに焦《あせ》りや困惑《こんわく》が垣間見えるようになり、ことに仲間どうし顔を見合わせるときには、はっきりわかった。
これに対し、美羽子はどこまでも気丈《きじょう》だった。三人組に返す言葉は、彼らのそれと同様一切聞き取れなかったが、それでも一言二言発するたびに連中を手こずらせ、ときには逆に追いつめてゆくようだった。
これも、彼女がぼくの存在に気づいたせいかもしれない。だが、いかに頼もしく立派な態度ではあっても、このままでは連中の憤激《ふんげき》を買い、「小娘だと思っておとなしく出てりゃ、つけあがりやがって」——申し訳ない、こんな紋切《もんき》り型《がた》のセリフしか思い浮かばなかった——などということになりかねない。
だからといって、どうすればいいのか。こっちから行動を起こそうにも、夏川が何かやるつもりかもしれないし、共倒《ともだお》れにならないためには彼の動きを待つほかない。とはいえ、これも言い訳じみていて、自分の臆病《おくびょう》さと優柔不断《ゆうじゅうふだん》さを思い知らされる結果となった。たぶん夏川なら、おとなしく木の上に取り残されてはいないのだろう……。
そのことを思い、あらためて何ともいえない焦燥《しょうそう》にチリチリと身を焼かれたときだった。窓枠《まどわく》の中のドラマに一つの変化が生じた。
それまで、主導的に彼女への尋問《じんもん》もしくは詰問《きつもん》を繰《く》り返していた二枚目男が、いつのまにか後ろに退き、あとの二人に場を任せる形になっていた。
さらにゆっくりと、さりげなく——だが、ぼくの目からすると相当にわざとらしく後ずさりしながら、戸口の前に立った。後ろ手に何かをつかんだようなのは、たぶんドアのノブだったろう。それが証拠《しょうこ》に、左に蝶番《ちょうつがい》のあるドアは外側に向かってゆっくりと開き始め、男はその空隙《くうげき》へと身をうずめていった。
あとの二人は、いっこうに気づく素振《そぶ》りもなく、相変わらず美羽子を責め立てている。その間抜けな状況《じょうきょう》は、二枚目男がスルリと戸口の向こうの暗がりに姿を消し、ドアが音もなく(特にリアクションもなかったところからすると、そうだったのだろう)閉じられたあとも続いた。
次なる変化は、その十数秒後に起こった。
先に述べたように、美羽子があの連中に連れ込まれたらしき部屋は、二階の向かって左側にあって、その隣《となり》の部屋の窓は暗いままだった。やや小さい以外、造りは大して変わらないようだったが、それ以上のことはよくわからなかった。ただ、ふだんは使われていないらしく、家具にはシーツみたいな布が掛けられているのが見て取れる程度だった。
そこに、にわかに灯りがついた。どうやら、さっきの部屋とは廊下でつながっていたらしく、左の�尋問室�にあるのと位置も大きさもほぼ同じドアが、これまた同様に外開きになって、そこから二枚目男が半身を滑り込ませるところだった。
戸口のすぐ脇《わき》を手で押えているのは、そこにあるスイッチを入れたためだろう。男はそのまま部屋の中に入ると、ミュージカルみたいな身のこなしと泥棒《どろぼう》コントみたいな抜き足差し足忍び足で、ぼくから見て右の壁へと歩み寄った。
舞台でいうと上手《かみて》の端《はし》っこに当たるそこには、額縁入りの絵が掛かっていた。二枚目男はしばしその前で立ち止まったあと、その片端に手をかけた。ややあって、思い切ったように自分の方に引き寄せる。
すると驚《おどろ》いたことに、額縁がひょいと小さなドアのように開いたではないか。もう片端が蝶番のようなもので固定されていたらしい。男はその向こうに手を突っ込んで、しきりと何かをいじくっているようすだ。
ぼくは必死に目を凝《こ》らし、首をねじった。その結果確認できたのは、額縁よりさらに何回りか小さな金属製の扉《とびら》らしきもの、その中央に突き出たダイヤルだった。
(これは、ひょっとして……?)
そう、そこにあったのは、隠《かく》し金庫だったのだ。それも、よりによって額縁の裏とは、古式ゆかしいことだった。
男は金庫の扉に顔をくっつけんばかりにして、右に左にダイヤルを回す。その横顔には、ひきつったような笑みが浮かんでいたが、それはスリリングな緊張《きんちょう》とともに、隣室《りんしつ》の仲間二人を出し抜《ぬ》いてやったという喜びから来たものかもしれなかった。
だが、彼ら二人もそれほど間抜けではなかった。壁を隔《へだ》てた左の部屋では、キンキラ色眼鏡と竹ざおオカッパ女が、急にぎょっとした顔を見合わせ、弾《はじ》かれたように背後を振り向く。何か言おうとするオカッパを色眼鏡が手で制し、彼一人だけがそっとドアを開き、廊下へと出て行った。
それから、どれくらいの時間がたったろう。二、三分だったような気もするが、たかだか隣の部屋に移動するにしては長すぎるようでもあり、そのあとの劇的な展開を考えると十分短いようにも感じられた。
右側の部屋の壁際で、引き続き金庫と格闘《かくとう》している二枚目男の後方でドアがそろそろと開き始めた。さっき他の二人を出し抜いたときとは立場逆転した格好《かっこう》で、彼は気づく気配《けはい》もない。
なおも見守るうちに、ドアのすき間からヌーッと突き出たものがあった。あのキンキラした玉虫色のジャケットの袖《そで》と、その先っぽでうごめく右手だった。
そいつが延びてゆく先、といっても戸口のすぐそばだが、そこにはやはり白いシーツを掛けられた長椅子があり、手はそこから探り当てた何かをスッと取り上げた。五十センチ角ばかりの正方形をした、布製で何やらふっくらとした代物だった。
あれは枕、いやクッションのたぐいか。とにかくそういったものをつかみ取ったまま、手はいったんドアの陰《かげ》に引っ込んだ。
いったいこのあと何をしようというのか? と見守るうちに、ドアがもう少し開かれ、今度は腕の部分だけなく、キンキラしたジャケットをまとった人物の本体[#「本体」に傍点]がズイと身を乗り出させた。
さきほどからさんざん見飽《みあ》きた、マッシュルームカットが波打ったような髪形に色眼鏡——だが、そこから下は例のクッションに覆《おお》われて見えなかった。
まさか、あんなもので顔を隠そうというのか? だが、そんな目的でなかったことはすぐにわかった。その人物はクッションを左手に持ち替《か》え、空いた方の手をポケットに突っ込んでいたが、そこからおもむろに何かを取り出した——太字のLのような形をし、黒くて金属製らしき何かを。
その何とも不吉な代物が、顔の前にかざされたクッションの陰に隠れるのと、二枚目男がハッとして振り返るのとがほぼ同時だった。
(…………!)
ぼくが思わず息をのんだそのとき、二枚目男は何か叫《さけ》びだそうとするように大口を開き、身をひるがえそうとした。次の瞬間、クッションのほぼ中央に小さな穴がうがたれ、中から閃光《せんこう》もろとも羽毛が飛び散った。そこから飛び出したのが、ただの詰《つ》め物だけでないことは、窓ガラスがビリッとかすかに震《ふる》えたことからも明らかだった。
とたんに、二枚目男は苦悶《くもん》の表情もものすごく体をくねらし、バレエダンサーのように回転《スピン》すると、たまたま手近にあったテーブルにすがりつくようにして倒れ込んでしまった。ひん曲がったようなおかしな格好で、そうしてなおオーバーアクションの癖《くせ》は改まらないようだったが、それも時間の問題かもしれなかった。
一方、キンキラしたジャケットに色眼鏡の人物は、顔の前にかざしたままのクッションの陰から右手を出した。そこに握られていたもの——それは見まがいようもなく小型の拳銃《けんじゅう》だった!
——狙撃者《そげきしゃ》は、そのまま凝然《ぎょうぜん》と二枚目男の断末魔《だんまつま》を見下していたが、やがてドアのあわいに身を滑り込ませ、姿を消した。そのあとで、穴の開いたクッションがポイと投げ入れられた。
全てはサイレント映画さながら、ぼくの目前で恐ろしいほどの沈黙《ちんもく》のもと繰り広げられた。言うまでもなく、クッションは銃口《じゅうこう》を押しつけ、発射時の音を殺すためのものだった。
むろん、それで完全な消音が可能なわけはなく、まして二枚目男が倒れる音を防ぐことなどできるはずはなかった。少し離れた場所にいるぼくですら、発砲《はっぽう》の衝撃《しょうげき》を感じたのだから、隣部屋に聞こえないわけがなかった。
今やたった一人ぼっちとなった竹ざお女は、発砲があったとたん、ハッとして廊下の方を振り返った。ひどくソワソワしたようすで、背後のドアと目前の美羽子を見比べていたが、彼女が何か言いかけた——たぶん「どうしたんですか?」とでも尋ねたのだろう——のをきっかけに、ダッとドアの向こうに飛び出して行った。
竹ざお女の姿は、すぐに右側の部屋に現われた。二枚目男の死体(まだ生きていたかもしれないが、少なくとも動きはやんでいた)を目にしたとたん、ギクンと手足を痙攣《けいれん》させ、そのまま操り糸の切れたマリオネットみたいに、爪先《つまさき》立ちのおかしな格好で硬直《こうちょく》してしまった。
そのときだった。左側の窓越しに、行宮美羽子がこちらを振り向いた。そして、今度こそはっきりとぼくのことを見た——そう確信できた刹那、
「!」
ぼくの心臓をなおもドキつかせたことに、彼女のこちらを見すえた表情には、あるメッセージが込められていた。固く引き結ばれた口元は、かすかに微笑んでいるようでもあり、意を決しているようにも見えたが、確かめている暇《ひま》はなかった。
次の瞬間、肘掛け椅子からスッと立ち上がった彼女は、しなやかな足取りで戸口に歩み寄った。それら一連の動作には、ひとかけらの躊躇《ちゅうちょ》も見出せはしなかった。
その間にも、右側の部屋では新展開があった。
なおも立ちつくす竹ざおオカッパ女に、いつのまにか背後霊よろしく寄り添う人影があった。開け放たれたままの戸口から、入り込んできたらしい。人影は、特徴《とくちょう》のあるマッシュルームカットに丸い色眼鏡というご面相を、相手の首筋に息のかかりそうなほど近づけていった。
だが、女もさすがに気配を察したらしく、はじかれたように真後ろを振り向こうとした。そのとたん、キンキラしたジャケットの袖が電撃《でんげき》のように動いて、さきほどの拳銃で女の頭部を激しく殴《なぐ》りつけた。
遠目にも痛みが伝わってくるほどの勢いだったが、竹ざお女もただやられてはいなかった。たちまちクタクタと崩折《くずお》れつつも、女は相手の襟元《えりもと》を引っつかみ、床《ゆか》への道連れにしようとした。
したたかに殴りつけはしたものの、どうやら急所をわずかに外れていたらしい。だが、ぼくにその勝負の行く末を見届ける余裕はなかった。そんなことより、はるかに大事なことがあった。
(そうだ、このすきに彼女を!)
ぼくは再び左の部屋に目をやった。すると、ドアの陰に身を寄せていた美羽子と、まるで打ち合わせていたように目が合ったではないか。
——奴らは三人とも隣の部屋にいる。今なら大丈夫、早く逃《に》げて!
ぼくに手話の心得はなく、ジェスチャーゲームも得意な方ではなかったが、とにかくその旨《むね》を、身振り手振りは言うに及《およ》ばず、顔面筋肉まで動員し、冗談ではなくテレパシーさえ試みて何とか伝えようとした。
驚いたことに、それは成功した。美羽子はドアのすき間から廊下のようすをうかがったかと思うと、もう一度ぼくの方に視線を投げてから、戸口の向こうの暗がりに身を躍らせた。
「やった!」
小さく快哉《かいさい》の声をあげながら、ぼくもまた行動を開始していた。もうこれ以上、こんな木の上にとどまっている理由はなかった。彼女の脱出を助けるのだ。どんな形でもいいから援護《えんご》するのだ。
どうやら木登りの才能はなくても、早降りの方はそうでもなかったらしい。着地の際に根っこのあたりにしたたかに靴底《くつぞこ》をぶつけながらも、ぼくは屋敷の表を目指して駆け出していた。
何が飛び出してこようと、そのときはそのときだ……そう度胸を決めて玄関の扉に手を掛けると、これが難なく開いた。
すぐにも彼女が飛び出してくると期待したが、中はシンと静まり返り、奥へとつながる廊下と上へ延びた階段が、どちらも洞窟《どうくつ》を思わせる暗がりの中へ、ぼくをいざなうかのようだった。
美羽子はいったいどうしたろう? 迷っているのか、それとも別に出口があって、そちらへ向かったのか、それとも誰かに捕《つか》まってしまったか——。どれであるにしろ、このまま玄関ホールで立ちすくんでいるわけにはいかなかった。
(よ、よし……)
意を決し、古風な飾《かざ》りを施した手すりをつかみながら、まさに一段目に足をかけようとしたそのとたん、背後で「うわーっ」という男の叫びもろとも、ガッシャーンとガラスの砕《くだ》けるえらい音が鳴り響《ひび》いた。
あわてて振り向いたぼくは、玄関の真上から何かの塊《かたまり》が降ってきて、そのまま黒塗《くろぬ》りの乗用車の屋根にたたきつけられる光景を目の当たりにした。
その何かが正真正銘《しょうしんしょうめい》の人体であることは、すぐにわかった。それだけではなく、墜落《ついらく》時のショックのせいでおかしな風にズレてしまってはいたものの、丸い色眼鏡とマッシュルームまがいの髪形をしていることも見て取れた。
(あれは、さっきのあの男?)
当然の疑問に答えるかのように、ワンテンポ遅《おく》れてひらひらと舞い降り、さしもの高級車の屋根をひしゃげさせた男の体に覆いかぶさったものがあった。それはもちろん、あのキンキラした玉虫色のジャケットだった。
一瞬、どうしようかと思った。だが、取って返して、あの男がどうなったかを調べてもしかたがないし、第一、どんな事情があったにせよ、あの二枚目男をあっさり射殺し、竹ざお女にも襲いかかった一番|物騒《ぶっそう》な奴がもういないとなれば、突入《とつにゅう》には好都合というものであった。
あと一人、敵はあの女一人だけ……そう自分に言い聞かせながら、階段を上がっていった。とはいえ、あの部屋にいた三人組の中では、あの竹ざおオカッパ女が一番の苦手かもしれなかった。
それでも、ぼくは囚《とら》われの行宮美羽子を助け出せるかもしれないという希望に夢中になっていた。そう、ほかならぬこのぼくが、だ。そのためとあっては、もう尻込《しりご》みしてはいられなかった。
そのとき、ぼくは確かに主人公だった。塔《とう》の中の姫君《ひめぎみ》を救い出す王子様だった。だが、そんな自分への過大評価は、階段を上りきった直後までしかもたなかった。
「わわわっ……」
何ものかに足を引っかけられたぼくは、頓狂《とんきょう》な叫びを半分はのみこみながら、派手にすっ転んだ。痛ててて……いったい何なんだ、とすぐに体を起こしたぼくは、そのままのけぞって、後ろに手を突いてしまった。
「な、夏川……!」
それは夏川至だった。ついさっき、意気揚々《いきようよう》と木を下りてこの屋敷内に乗り込んで行ったはずの夏川が、すぐ目の前に倒れていた。それも、頭からタラタラと血潮《ちしお》をしたたらせ、彼のファンの女子たちには見せたくない、阿呆《あほ》のような、どこか恍惚《こうこつ》とした表情を浮かべながら……。
邸内《ていない》に潜入《せんにゅう》したのはいいものの、誰かに手ひどくやられた結果に違いなかった。とっさに上体を抱《だ》き起こして、
「お、おい……どうした?」
震え声で呼びかけたが答えはなく、温もりさえも感じられなかった。
まさか、ひょっとして? 彼の体以上に冷たいものをわが身に感じながら、とにかく必死に彼の頬をたたき、肩《かた》を揺《ゆ》すぶった。だが、ここに来て新たな焦燥と不安にさいなまれだした、まさにそのさなか、
「…………!」
ぼくは、半ば自分の意思ではなく全ての動きを止めた。夏川を抱いて二階の廊下にへたりこんだ姿勢のまま、前方を見すえた。いや、あまりの恐《おそ》ろしさ、というより厭《いと》わしさのために、目の玉と首筋その他を担当する筋肉が硬直してしまった結果、視線をそらすことができなかったのだ。
あの竹ざおオカッパ女が、真っすぐこっちに向かってやってくる。いや、もう、そんなおかしげな名前で呼ぶにふさわしい相手ではなくなっていた。
顔つきや体格、服装は、むろんさっきのままだが、長くもない髪は乱れに乱れ、しかもその身には顔面といわず手足といわず、大小のガラスの破片《はへん》が突き刺さっていて、そこから異様に赤い血が漏《も》れにじんでいた。それが、うつろな、どう見てももはや正気ではない表情で、フランケンシュタインの怪物《かいぶつ》よろしく、よろめくように歩いてくるのだ。
その先には玄関の真上に当たるらしい窓があり、そこのガラスがめちゃめちゃに破られていた。
(あの女が、あの男を突き落としたのか!)
いや、そんな小学一年の算数ドリル並みの結論はどうでもいい。さらにぼくの心臓を跳ね上がらせたことに、竹ざおオカッパ女の背後には行宮美羽子がとりすがるようにくっついていたではないか。
いや、彼女が自発的にそんなことをするわけがないから、これは無理やり手をつかまれ、引きずられていたのだ。大方、すきを見て逃げ出そうとしたところを、キンキラ眼鏡との争闘《そうとう》に勝利したばかりの女に捕まってしまったのに違《ちが》いない。
化け物じみた女は獲物《えもの》が一人では満足しないのかのように、ますますこちらに近づいてくる。
「お、おい……」
情けないことに、ぼくはこの期《ご》に及んで、頼みの夏川を起こそうとした。共に戦ってくれる仲間がほしかったのだ。いや、いっそ彼に任せてしまいたかった。けれど、彼は相変わらずピクリとも動こうとしてはくれなかった。
だが、そのときぼくは見てしまった。女の陰からすがるような視線を向ける美羽子の顔を。こんな表情の彼女を見るのは初めてだった。
——た・す・け・て。
彼女の震える唇《くちびる》が、おびえた瞳《ひとみ》が、いつもにも増して蒼白《そうはく》な面《おもて》が、ただその言葉を伝えてきていた。
(よ、よし……)
そう心の中でつぶやくより、体が自然と立ち上がる方が早かった。
あとはもう破れかぶれだ。ぼくはやや体勢を低めると、ウォーッともヤーッとも自分でもよくわからない奇声を発しながら、ただもうやみくもに化け物女めがけて突進して行った……。
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