「すごいよね、さっき家を出がけにテレビ見たら、まだけっこう燃え続けてるんだもの。そりゃ、あれだけのコンビナートじゃしょうがないのかもしれないわね。ちょうど、あの大爆発《だいばくはつ》があったときに——あんたの家も揺《ゆ》れた? そうでしょうね。あんたも? ふーん……でも、うちはある意味それ以上で、ていうのはうちのパパが、まさにその瞬間《しゅんかん》、火事の一部始終が特等席並みに見渡《みわた》せるホテルのパーティー会場にいたのよ。ほら、パパはあそこと関係の深い会社の重役でしょ……って知らない? まあいいわ、とにかくそういうつながりってか、つきあいがあったもんだから、現場に居合わせることになっちゃったのよ、ある国での何とかいうプロジェクトの成功を願っての会合に招待されてね。
で、いろんなゲストとか呼んでのパーティーも大盛り上がりってときに、いきなりドッカーンってなっちゃって、その衝撃《しょうげき》でガラスがこっぱみじんに——まではなりはしなかったみたいだけど、何しろ眼下の、しかも広い範囲《はんい》が火炎《かえん》に包まれちゃったもんだから、場内はたちまち大パニック。ご馳走《ちそう》のテーブルは引っくり返るし、われ先に外に逃《に》げ出そうとする人たちやら何やらで、大変な騒《さわ》ぎになったのよ。……え、私? 私は別にその場にいたわけじゃないけど、だってほら、お父さんの話を聞いたり、ニュースで見たりしたらだいたいわかるじゃない。それでね……」
[#挿絵(img/01_302.png)入る]
その翌朝の教室、授業開始前のひととき。目をむき顔を紅潮《こうちょう》させ、口をゆがめ、あんまり見たくないようなご面相でまくしたてているのは、京堂広子《きょうどうひろこ》だった。
——あのあとぼくは、何度か黒河内《くろこうち》刑事を揺り起こそうと試みたあと、見えない何かに追われるように屋敷《やしき》をあとにした。その後まもなく取り壊《こわ》しとなったそこから死体が発見されたという報道もなかったところを見ると、たぶんどうにか生きのびたのだろう。彼の消息を警察に問い合わせることは、また何かうっとうしい縁《えん》がつながりそうな気がして避《さ》けていた。
衣服ばかりか身も心もボロボロになり、憔悴《しょうすい》しきって戻《もど》ってきたぼくを、幸いにも家族は大して追及しようとしなかった。同じ晩におきた工場地帯の大火災と結びつける発想はなかったらしい。これが、もっと小規模な火事騒ぎとかなら関与を疑ったかもしれないが……。
あいにく町一つ分が吹《ふ》っ飛んだぐらいでは、授業も試験も中止にはならない。ぼくは、まだあちこちが痛む体を引きずって登校し、大いなる期待と恐《おそ》れを抱《いだ》いていつもの教室に足を踏《ふ》み入れた。そこで耳に入ってきたのが、くだんの長広舌《ちょうこうぜつ》だったのである。
京堂広子はぼくの方をちらと見やり、
「それがね、ここだけの話なんだけど、あのときこっぱみじんになった工場というのが、パーティーを主催してた大|企業《きぎょう》の所有で、招待客の中にもそこに出資してる人や、かかわりがある人がいっぱい。しかも何とその中に、的場《まとば》君がお父さんといっしょに居合わせたっていうからすごいよね。偉《えら》いわ、今からお父さんの秘書をしてるなんて……」
彼女は妙《みょう》な流し目で、クラス委員コンビの片割れの方を見た。
「秘書だなんて、そんなんじゃないよ。カバン持ちとか、そういったもんだよ」
的場|長成《おさなり》は気まずそうに、ボソボソと言った。京堂広子はなおも、妙に皮肉っぽく、
「パーティーに行くのだったら、言ってくれたら私もパパに頼《たの》んで連れて行ってもらったのに。水くさいなぁ」
「そんなこと言ったって……知らないよ。親父がとにかくついて来いって言うもんで、行っただけなんだから」
的場は下を向き、ぼそぼそと言った。
秘書にしてもカバン持ちにしても、高校生の男子がするような仕事とは思えないが、そういえば彼の父親は、地元議会の議員だの団体の役員だのを兼《か》ねていると聞いたことがある。そういう家の息子となると、今から地盤《じばん》やら人脈を受け継《つ》ぐことが決められていて、同年輩の人間など一人もいなさそうな場所に、将来を見すえた顔つなぎ目的で連れて行かれることもあるのだろう。
うちみたいな平凡《へいぼん》な家庭とは違《ちが》って、お気の毒なことだ。だが、彼があの晩、そんな場所であの大火災《だいかさい》を目撃《もくげき》していたとは知らなかった。
京堂広子の得々としたしゃべりに、お義理でつきあっていた気配《けはい》もないではないクラスメートたちも、これには興味をわかしたようだった。
「そうなのか、的場?」
「どんなだった? その瞬間は見れたの」
などと、小さな町一つが吹っ飛んだのに匹敵《ひってき》する災害のあととしてはどうかと思われる、野次馬《やじうま》根性むき出しの質問が飛んだ。
だが、的場はいよいよ顔を伏《ふ》せ、何かをこらえているかのように、
「もういいよ……思い出したくもない」
と、口ごもるばかりだった。そのようすに、さすがの押しつけがましい京堂広子も、ちょっと心配になったか、
「的場君?」
と声をかけたが、彼はさしのべられた手を振《ふ》り払《はら》うように、教室を飛び出していってしまった。そのあとに唖然《あぜん》とした、何とも気まずい空気が漂《ただよ》った。
だが、広子たちの輪から少し離《はな》れた場所から、彼らのやりとりをながめていたぼくは見逃《みのが》しはしなかった——時折、チロチロともたげられる的場の視線が、とある席に向けられていることを。そこが、ふだんならとっくに登校して、一人静かに本など開いているはずの行宮《ゆくみや》美羽子《みわこ》によって占《し》められるべき場所であることも……。
ぼくは、小うるさい広子らに気取られぬようにそっと席を立つと、的場のあとを追った。廊下《ろうか》の隅《すみ》っこで壁《かべ》に手をついている彼の背後から、ぐいと肩《かた》をつかんで、
「おい」
と声をかけた。
的場はぎょっとしたようすで振り返り、だが相手がぼくとわかったとたん、意外さと同時に「なぁんだ」というかすかな軽侮《けいぶ》をこめて見返してきた。
だが次の瞬間、彼の顔には困惑《こんわく》が、次いで�何でこんなやつに?�と言いたげな驚《おどろ》きが表われ、それは大げさに言えば畏怖《いふ》にも似た感情によって塗《ぬ》りつぶされた。
「話せよ」
ぼくは単刀直入に言った。生まれて初めて、他人を壁際にぐいぐい押しつけるなんてことをしながら、
「見たんだろ、ホテルのパーティー会場で彼女——行宮美羽子を」
と訊《き》いた。何しろ、それまで人に暴力《ぼうりょく》を振るうなんて体験の皆無《かいむ》だったぼくだけに、手加減というものがよくわかっていなかったのは、的場に対して申し訳ない次第だった。そのおかげで聞き出すことができた内容というのは——。
——それは、街一番のホテルの高層階フロアでの宴《えん》もたけなわの出来事だった。
眼下に宝石箱を引っくり返したような夜景を見下ろし、その向こうにはことさら美しくライトアップされたコンビナートが、まるで遊園地か夢の国の城のように見え、いくつもあるタワーのてっぺんでは航空機用の標識灯《ひょうしきとう》が点滅《てんめつ》していた。
パーティー会場に集うのは、あの工場群の持ち主を含めたさまざまな企業、それらとつながったさまざまな人々——中央や地方の政界、それらとのパイプ役を自称《じしょう》する奴、現役だったり天下りしてたりするお役人たち、マイナーとメジャーとりどりのマスコミ関係者や文化人、タレントなどもいて、人脈の広さをうかがわせるものがあった。
だが、それらは結局一つに集約される。それは、世界のどこかで、小さな国や力なき人々に何が起きようと、どんな暴虐《ぼうぎゃく》が行なわれようと眉《まゆ》一つ動かさず、平然と見過ごしにしたり、それどころか積極的に加担したりしたものたちの集まりであった。
そんな卑劣《ひれつ》と邪悪《じゃあく》さが、きれいごとと微笑《ほほえ》みのオブラートに包まれた真っただ中に、一人の招かれざる客が現われた。
小柄《こがら》で華奢《きゃしゃ》で、しかしその姿を目にしたものは、例外なく立ちすくみ、見とれずにはいられないほど美しく可憐《かれん》な少女だった。加えて、その身にまとう装束は金銀砂子《きんぎんすなご》のようにキラキラと輝き、肢体をゆったりと包み、あるいはシルエットをきわだたせて、不思議な形に結い上げられた髪といい、化粧といい、とにかく目を引くことこのうえなかった。
いつしか集まりだした好奇《こうき》と疑問の視線をものともせず、少女はこの場の中心をなしていた人々の輪に向かって歩を進めた。そこには何の迷いもなく、強い意志とはっきりした目的が感じられた。
やがて、その輪をかたちづくる人々が、一人また一人と彼女に気づき、談笑《だんしょう》がふと途絶《とだ》えた。彼らに広がる驚き、畏怖——中には恐怖《きょうふ》の叫《さけ》びをあげたものも一人や二人ではなかった。
会場全体に広がる、水を打ったような静寂《せいじゃく》、鉛《なまり》よりも重苦しい沈黙《ちんもく》。少女は、年齢的にも体格的にも、何より数においてはるかに上回る男たちと対峙《たいじ》して、少しもひるむところを見せなかった、それどころか、気迫《きはく》において圧倒《あっとう》しているようにさえ見えた。
それからどれほどたったろう、少女はおもむろに口を開いた。その内容は遠巻きに見守る人々の耳には届かなかったが、少なくとも、聞かされたものたちに激しい動揺《どうよう》と衝撃《しょうげき》を与えたことは確かなようだった。彼らが彼女に投げ返せたものといえば、せいぜい冷笑がいいところだった。
そして、その直後に工場地帯の爆発炎上《ばくはつえんじょう》が起きた。揺らぐパーティー会場、客たちの周章狼狽《しゅうしょうろうばい》。ガラス越《ご》しに見下ろされる光景は、たまらないほどまがまがしく、そしてエキサイティングだった。
そんな中にあって、不思議《ふしぎ》な装束の美少女は、全てに超然《ちょうぜん》とするかのように立っていた。次いで、彼女が発した凜《りん》とした言葉は、そのよく響《ひび》く声音もあって周囲で打ち騒《さわ》ぐものたちにも聞き取れた。
「今からはあなたたちの番です。そして、私も——」
それは何の宣言、もしくは予告であったのか。そうと聞いてますます震《ふる》え上がり、ついには自暴自棄《じぼうじき》となったか襲《おそ》いかかってくるものさえあったのを平然と受け流し、少女はその場に佇立《ちょりつ》し続けた。
さらに血なまぐさい何かが起きるのを覚悟《かくご》して待つかのように、それでいて何ごとか期待し、祈るかのように——そしてその果てに、一つの謎めく微笑を残したかと思うと、場内の混乱に乗じるかのように、いつしか忽然《こつぜん》とそのたおやかな姿を消し去ってしまった……。
眼下に宝石箱を引っくり返したような夜景を見下ろし、その向こうにはことさら美しくライトアップされたコンビナートが、まるで遊園地か夢の国の城のように見え、いくつもあるタワーのてっぺんでは航空機用の標識灯《ひょうしきとう》が点滅《てんめつ》していた。
パーティー会場に集うのは、あの工場群の持ち主を含めたさまざまな企業、それらとつながったさまざまな人々——中央や地方の政界、それらとのパイプ役を自称《じしょう》する奴、現役だったり天下りしてたりするお役人たち、マイナーとメジャーとりどりのマスコミ関係者や文化人、タレントなどもいて、人脈の広さをうかがわせるものがあった。
だが、それらは結局一つに集約される。それは、世界のどこかで、小さな国や力なき人々に何が起きようと、どんな暴虐《ぼうぎゃく》が行なわれようと眉《まゆ》一つ動かさず、平然と見過ごしにしたり、それどころか積極的に加担したりしたものたちの集まりであった。
そんな卑劣《ひれつ》と邪悪《じゃあく》さが、きれいごとと微笑《ほほえ》みのオブラートに包まれた真っただ中に、一人の招かれざる客が現われた。
小柄《こがら》で華奢《きゃしゃ》で、しかしその姿を目にしたものは、例外なく立ちすくみ、見とれずにはいられないほど美しく可憐《かれん》な少女だった。加えて、その身にまとう装束は金銀砂子《きんぎんすなご》のようにキラキラと輝き、肢体をゆったりと包み、あるいはシルエットをきわだたせて、不思議な形に結い上げられた髪といい、化粧といい、とにかく目を引くことこのうえなかった。
いつしか集まりだした好奇《こうき》と疑問の視線をものともせず、少女はこの場の中心をなしていた人々の輪に向かって歩を進めた。そこには何の迷いもなく、強い意志とはっきりした目的が感じられた。
やがて、その輪をかたちづくる人々が、一人また一人と彼女に気づき、談笑《だんしょう》がふと途絶《とだ》えた。彼らに広がる驚き、畏怖——中には恐怖《きょうふ》の叫《さけ》びをあげたものも一人や二人ではなかった。
会場全体に広がる、水を打ったような静寂《せいじゃく》、鉛《なまり》よりも重苦しい沈黙《ちんもく》。少女は、年齢的にも体格的にも、何より数においてはるかに上回る男たちと対峙《たいじ》して、少しもひるむところを見せなかった、それどころか、気迫《きはく》において圧倒《あっとう》しているようにさえ見えた。
それからどれほどたったろう、少女はおもむろに口を開いた。その内容は遠巻きに見守る人々の耳には届かなかったが、少なくとも、聞かされたものたちに激しい動揺《どうよう》と衝撃《しょうげき》を与えたことは確かなようだった。彼らが彼女に投げ返せたものといえば、せいぜい冷笑がいいところだった。
そして、その直後に工場地帯の爆発炎上《ばくはつえんじょう》が起きた。揺らぐパーティー会場、客たちの周章狼狽《しゅうしょうろうばい》。ガラス越《ご》しに見下ろされる光景は、たまらないほどまがまがしく、そしてエキサイティングだった。
そんな中にあって、不思議《ふしぎ》な装束の美少女は、全てに超然《ちょうぜん》とするかのように立っていた。次いで、彼女が発した凜《りん》とした言葉は、そのよく響《ひび》く声音もあって周囲で打ち騒《さわ》ぐものたちにも聞き取れた。
「今からはあなたたちの番です。そして、私も——」
それは何の宣言、もしくは予告であったのか。そうと聞いてますます震《ふる》え上がり、ついには自暴自棄《じぼうじき》となったか襲《おそ》いかかってくるものさえあったのを平然と受け流し、少女はその場に佇立《ちょりつ》し続けた。
さらに血なまぐさい何かが起きるのを覚悟《かくご》して待つかのように、それでいて何ごとか期待し、祈るかのように——そしてその果てに、一つの謎めく微笑を残したかと思うと、場内の混乱に乗じるかのように、いつしか忽然《こつぜん》とそのたおやかな姿を消し去ってしまった……。
その後まもなく授業が始まったが、美羽子はついに姿を見せなかった。二時限目も三時限目も昼になっても、とうとう放課後になってからも、翌日もその翌日も、翌週もさらにその翌月になっても。
彼女のことは少しだけ話題になり、人気者だったはずの夏川至《なつかわいたる》が回復したのかしないのか、ついに登校することのないままひっそりと退学していったという噂《うわさ》と同様、やがて忘れ去られていった。おそらくはぼく一人を例外として。
彼女のことは少しだけ話題になり、人気者だったはずの夏川至《なつかわいたる》が回復したのかしないのか、ついに登校することのないままひっそりと退学していったという噂《うわさ》と同様、やがて忘れ去られていった。おそらくはぼく一人を例外として。
結局、行宮美羽子とはいったい何者だったのだろう。遠い昔に滅《ほろ》びた国の〈姫〉その人なのか子孫か、それとも今まさに起きている悲劇の地からやってきたのか。その復讐《ふくしゅう》の目的にしても、どれか一つに絞《しぼ》り込もうとするとスルリと手のうちから抜けてしまいそうでもあり、過去と現在、虚《きょ》と実その他もろもろの互いに相反する要素が複雑に重なり合っているような気さえしてくる。
その後の調査では、工場地帯の爆発炎上は新種の高性能爆弾を用いたテロ行為ということに結論が落ち着いたようだ。それが正しかったとしても、ぼくは少しも驚かないし、あのとき自分が目撃し体感したからくり[#「からくり」に傍点]の〈力〉と矛盾《むじゅん》するとも思わない。真実とは、たぶん一つだけではないのだ。
真実といえば、彼女から死の宣告を受けた名士たちは、具体的にどんな罪を犯したのか。彼らは彼らだけの罪業において処罰《しょばつ》されなければならなかったのか。それとも、これにも何か複雑にからみ合う何かが——?
ぼくには何一つわからなかった。わからないままに時は過ぎ、一切合財がのっぺらぼうな日常に塗りつぶされようとしていた。甚大《じんだい》な被害をもたらした、あの爆発炎上でさえもが、ありふれた一つの出来事に過ぎなくなるまで大した日数は要しなかった。
終わってみれば、何一つ変化はないように思われた。いや、ぼくに関してはないでもない。あの月蝕《げっしょく》の夜以来——おそらくは、あのからくりのせいで灼熱《しゃくねつ》の光を浴びてからと思うのだが、まるで人が変わったようだと言われることが一度ならずあった。
確かに、ぼくの中で何かが変わった。もう人の目を気にすることはなくなったし、彼らに期待することも、そもそも関心を持つことがなくなったのだ。
そのかわり、論理的思考に対する偏愛《へんあい》はますます強くなって、その能力も前より高まったような気がする。そのちょっとした副産物のおかげで、得をすることもあった。それでわかったことだが、家族にしても教師にしても、いい成績を取るようになるのと入れかわりに、冷淡酷薄《れいたんこくはく》な人間となってしまったとしても、別にかまわないものらしい。
それはそれとして、あの運命的な一夜について、気づいたことが一つある。
あのとき彼女が言った「死」と「パズルを解く」の二者択一《にしゃたくいつ》は、もしあの場に踏みとどまれば、あのからくり仕掛《じか》けを停止させない限り、ぼくは死なねばならないことになる——てっきりそういう意味だと思い込んでいた。
だが、それは哀《あわ》れむべき勘違《かんちが》いだった。美羽子は、彼女の仇敵《きゅうてき》たちにとって、最大のダメージであり衝撃だったに違いない工場地帯の爆破《ばくは》だけで矛《ほこ》を収めるつもりは毛頭なかった。そのことは、あの太陽系儀《オーラリー》の作動のしかたを見ても明らかだ。
おそらく彼女は、その第二のターゲットとして、自らも身を置いたパーティー会場を選んでいた。何のために? 罪人たちに直接、処刑《しょけい》宣告したうえで首斬《くびき》りの斧《おの》を振り下ろすために!
そのためには、絶好のカタストロフィ・ヴューだった。燃え上がり、焼け崩《くず》れる建物を見せつけて彼らを恐怖させ、喪失《そうしつ》の痛みと苦しみを与えたうえで、爆殺しようとしていた——彼女自身の肉体と精神をもろともに、それに呪《のろ》われた宿命までを道連れにして。であればこその「そして、私も——」という発言であったに違いない。
ひょっとして、彼女はぼくに自分の運命を賭《か》けたのかもしれない。もし、あのからくりというパズルを解き、計り知れない惨害《さんがい》をもたらす光の発射を、それもなるべく早くに押しとどめることができれば、望みは達せられないかわりに命ながらえる。
なぜ、行宮美羽子は——月蝕姫《げっしょくひめ》はそんなことをしたのか。自分の運命に、与えられた使命にあらがってみたくなったのか、それともただの気まぐれだったのか。
最大の疑問は、夢うつつの中で彼女がぼくにくれたキス。もしあれが現実ならば、彼女はなぜあんなことをしたのか。もし幻かぼくの妄想《もうそう》だったのなら、なぜそんなものを夢見たのだろうか……。
確かなことが一つだけあった。彼女が、ぼくと同じ世界にいる限り、きっとまた会える、必ず会ってみせるということだった。それだけが、ずいぶんと冷えきってしまったぼくの心を、かきたてるものだった。
ぼくは彼女を追い続ける。彼女が投げかける謎をことごとく解いてみせ、ついにはこの手に彼女を捕《つか》まえてみせよう。だって、ぼくは——これまで書かれた幾多《いくた》の物語、わけても彼女が示した戯曲《ぎきょく》に自らをなぞらえるなら——月蝕姫という名の女賊《じょぞく》を追う〈探偵〉なのだから。
その後の調査では、工場地帯の爆発炎上は新種の高性能爆弾を用いたテロ行為ということに結論が落ち着いたようだ。それが正しかったとしても、ぼくは少しも驚かないし、あのとき自分が目撃し体感したからくり[#「からくり」に傍点]の〈力〉と矛盾《むじゅん》するとも思わない。真実とは、たぶん一つだけではないのだ。
真実といえば、彼女から死の宣告を受けた名士たちは、具体的にどんな罪を犯したのか。彼らは彼らだけの罪業において処罰《しょばつ》されなければならなかったのか。それとも、これにも何か複雑にからみ合う何かが——?
ぼくには何一つわからなかった。わからないままに時は過ぎ、一切合財がのっぺらぼうな日常に塗りつぶされようとしていた。甚大《じんだい》な被害をもたらした、あの爆発炎上でさえもが、ありふれた一つの出来事に過ぎなくなるまで大した日数は要しなかった。
終わってみれば、何一つ変化はないように思われた。いや、ぼくに関してはないでもない。あの月蝕《げっしょく》の夜以来——おそらくは、あのからくりのせいで灼熱《しゃくねつ》の光を浴びてからと思うのだが、まるで人が変わったようだと言われることが一度ならずあった。
確かに、ぼくの中で何かが変わった。もう人の目を気にすることはなくなったし、彼らに期待することも、そもそも関心を持つことがなくなったのだ。
そのかわり、論理的思考に対する偏愛《へんあい》はますます強くなって、その能力も前より高まったような気がする。そのちょっとした副産物のおかげで、得をすることもあった。それでわかったことだが、家族にしても教師にしても、いい成績を取るようになるのと入れかわりに、冷淡酷薄《れいたんこくはく》な人間となってしまったとしても、別にかまわないものらしい。
それはそれとして、あの運命的な一夜について、気づいたことが一つある。
あのとき彼女が言った「死」と「パズルを解く」の二者択一《にしゃたくいつ》は、もしあの場に踏みとどまれば、あのからくり仕掛《じか》けを停止させない限り、ぼくは死なねばならないことになる——てっきりそういう意味だと思い込んでいた。
だが、それは哀《あわ》れむべき勘違《かんちが》いだった。美羽子は、彼女の仇敵《きゅうてき》たちにとって、最大のダメージであり衝撃だったに違いない工場地帯の爆破《ばくは》だけで矛《ほこ》を収めるつもりは毛頭なかった。そのことは、あの太陽系儀《オーラリー》の作動のしかたを見ても明らかだ。
おそらく彼女は、その第二のターゲットとして、自らも身を置いたパーティー会場を選んでいた。何のために? 罪人たちに直接、処刑《しょけい》宣告したうえで首斬《くびき》りの斧《おの》を振り下ろすために!
そのためには、絶好のカタストロフィ・ヴューだった。燃え上がり、焼け崩《くず》れる建物を見せつけて彼らを恐怖させ、喪失《そうしつ》の痛みと苦しみを与えたうえで、爆殺しようとしていた——彼女自身の肉体と精神をもろともに、それに呪《のろ》われた宿命までを道連れにして。であればこその「そして、私も——」という発言であったに違いない。
ひょっとして、彼女はぼくに自分の運命を賭《か》けたのかもしれない。もし、あのからくりというパズルを解き、計り知れない惨害《さんがい》をもたらす光の発射を、それもなるべく早くに押しとどめることができれば、望みは達せられないかわりに命ながらえる。
なぜ、行宮美羽子は——月蝕姫《げっしょくひめ》はそんなことをしたのか。自分の運命に、与えられた使命にあらがってみたくなったのか、それともただの気まぐれだったのか。
最大の疑問は、夢うつつの中で彼女がぼくにくれたキス。もしあれが現実ならば、彼女はなぜあんなことをしたのか。もし幻かぼくの妄想《もうそう》だったのなら、なぜそんなものを夢見たのだろうか……。
確かなことが一つだけあった。彼女が、ぼくと同じ世界にいる限り、きっとまた会える、必ず会ってみせるということだった。それだけが、ずいぶんと冷えきってしまったぼくの心を、かきたてるものだった。
ぼくは彼女を追い続ける。彼女が投げかける謎をことごとく解いてみせ、ついにはこの手に彼女を捕《つか》まえてみせよう。だって、ぼくは——これまで書かれた幾多《いくた》の物語、わけても彼女が示した戯曲《ぎきょく》に自らをなぞらえるなら——月蝕姫という名の女賊《じょぞく》を追う〈探偵〉なのだから。