三人旅
むかしは道中に、どこへ行くのも草履《ぞうり》ばきで、てくてく歩くのですから日数もかかりました。乗りものといえば、駕籠《かご》に馬、川を渡るには人の背を借りました。しかし、まことにのどかで……とりわけ春の旅は、菜の花が咲き、麦畑は青々として、山は霞《かすみ》につつまれて、どこかで雲雀《ひばり》の声がきこえようという、田んぼ道を気のあった者どうし、気のむくまま、足のむくまま旅をするというのは、まことに結構でございます。
江戸をあとにして、一日二日はいいが、三日、四日となると、口のほうは達者だが、だんだん足のほうがだらしなくなってくる。
「どうした、さあさあ、しっかり歩けよ。どういうわけでてめえはまっすぐ歩かねえんだよ。鉋《かんな》っ屑みてえにふわふわして、風に吹きとばされて、川の中へ落っこっちゃうぞ」
「いや、もうだめだ。くたびれちゃった」
「情けねえ声を出すなよ。足を引きずるなよ。しっかり歩け」
「だってしょうがねえや、くたびれちゃったんだから」
「くたびれたあ? 江戸っ子だろ」
「おい、無理なことを言うなよ。江戸っ子だってくたびれたものはしようがねえ」
「やい、おめえはくたびれたくたびれたって、歩きようが悪い、かかとをずるずるひきずるからいけねえ、かかとをつけねえで、爪先でもってよって歩け、そうすりゃ草履もいたまねえしくたびれも少ねえや」
「ああそうかなあ、かかとをつけねえとくたびれねえかなあ、それで軍鶏《しやも》なんぞずいぶん駆けだすけどもなあ、あれはかかとをつけねえからくたびれねえのかなあ」
「なにを言ってんだ。軍鶏《しやも》にかかとなんぞあるかい」
「おめえは、さっきから文句ばかり言ってるが、おれの足は行儀がいいから、どうしたって、おめえたちより先にくたびれらあ」
「ほう、行儀のいいってえ足は、どういう足だ?」
「おれの足はおめえ、ちゃんと腰から出てるもの」
「あたりめえじゃねえか。だれの足だって、ちゃんと腰から出てらあ。腰から出てねえ足なんてあるか」
「あるさ」
「ある?」
「亀の子なんか横腹から出てらあ、蟹《かに》なんざあ肩から出てるよ」
「なにを言いやがる。亀や蟹なんぞといっしょになるかい……おめえ、うしろから、そんな情けねえ面して歩くなよ。くたびれねえような顔をして歩けよ」
「それなら大丈夫だ。顔はくたびれちゃいねえ、おりゃ足で歩いてんだから……足がくたびれら……」
「そりゃ、あたりめえだよ。顔で歩くやつがあるか」
「だけどおめえ、蛤《はまぐり》なんぞ舌で歩くぜ」
「よせよ、こん畜生。口のへらねえことばかり言ってやがら」
「そのかわり腹がへってらあ」
「掛け合いだよ、まるで……戸塚泊まりはまだ日が高い、駒をはやめて藤沢までってな、達者な足なら藤沢までのせるってんだ。四日もかかってやっと小田原じゃあねえか。合いの宿《しゆく》へばかり泊まっているから、こういうことになるんだい。さあしっかり歩け……前の山を見ろ。あれが東海道名代の箱根山だ」
「ああ、あれかい? 箱根山てえのは、話には聞いてたが、まのあたりに見たのははじめてだ。へえー、やはり箱根山とくるとずいぶん厚みがあるなあ」
「厚みだってやがら、よせやい、山は高さてんだい」
「へええ、そういうもんかね。ふうん、だけどなあ、この通り道にこんな大きなものを邪魔じゃねえか、この山、どうしようってんだい?」
「どうするてえことはない。越すのよ」
「これをかい? さあたいへんだなあ」
「だからしっかりしろてんだ」
「だっておめえ、これを越すとなったらずいぶんあるだろう?」
「戯《ざ》れ唄にもあらあな。なあ、箱根八里ってよ。小田原からのぼって四里八丁、三島へくだって三里二十八丁、あわせて八里あるんだ」
「ふうん。けど八里あるってのは、どうしてわかった?」
「物指しで測りゃあ、わからあ」
「そんなおまえ、長い物指しがあったのか?」
「ばかだなおめえは、なにもそんな長い物指しで測らなくとも、早い話が、一間しか測れねえもんでも、一間が六十ありゃ一丁、一丁が三十六ありゃ一里だ。そういうぐわいに測ってって、しまいに算盤《そろばん》でよせてみりゃあ、道のりてえものが出てくるんだ」
「なるほどねえ……じゃ目方はどのくらいある?」
「なに?」
「目方よ」
「なんの?」
「この山の」
「山の目方がわかるけえ」
「だって、秤《はかり》にかけたらいいだろう」
「こんな大きなものをかけるような秤はねえや」
「大きくなくたっていいじゃあねえか。早い話が、一貫目しか量れねえ秤でも、泥をしゃくってきちゃ一貫目量り、またしゃくってきちゃあ一貫目量り、しまいに算盤でよせてみろ」
「そうはいくかい。この野郎は、ひとをからかいやがるんだから……」
「おまえがむきになるからいけねえんだよ」
「だけどこう、ほかに平らな道を通るわけにはいかないのかい?」
「そんなわけにはいくものか。ここは東海道ののどっくび[#「のどっくび」に傍点]だ。関所もあるところだ。ほかへまわりゃあ関所破りてえことにならあ、捕まったらおめえ、こんど逆さ磔《はりつけ》だ」
「おやおや、逆さ磔は困んなあ。東海道ののどっくび[#「のどっくび」に傍点]か。軍鶏なら臓物《ぞうもつ》になるところだな……どうだい、この山を平らにしちまう考えがあるぜ」
「この山をか?」
「ああ、通るやつにちょいちょい鮑《あわび》っ貝かなんか持たしてな」
「うん」
「で、高いところの泥をしゃくっちゃあ平らなところへいって撒《ま》くんだ……しょっちゅうそれをやってるうちにゃあ、この山、平らになっちまうだろう」
「そんなうまいわけにいくもんか。こりゃ、おめえ、泥だけでこんなに高くなってるんじゃないぞ、中には岩や石なんかになってるんだからな」
「ああ、そうかなあ……まぬけなもんだなあ。だれがこんなものをこさえやがったかなあ」
「あーあ、こいつと話してるとばかばかしいや……おうおう、どうしたい、だいぶ遅れるじゃねえか。おめえ、へっぴり腰で歩いてるけど、どうしたんだ?」
「いやあ、兄いのまえだが、めんぼくねえ、足にマメができちゃったんだ」
「いくつ?」
「ひとつ」
「なんだひとつぐらい、つぶせ」
「乱暴なことを言っちゃいけねえ、つぶせばどうなる?」
「あとから新マメが出てくらあ……辰の野郎が足をひきずって、文公のやつがへっぴり腰で、こうだらしのねえ格好で歩いていると、道中の駕籠屋や馬子が足もとをつけこんで、うるさくってしようがねえぜ」
「おーい、そこの旅のお三人づれのひと。そこへふらふら足を引きずって行くひとォ……」
「ほーれ、見ねえ、さっそく馬子さんに見こまれた。……なんでえ、おれたちか?」
「どうだな、でえぶお疲れのようだが、馬やんべえかな」
「どうする? 馬をくれるとよ。もらうかい?」
「よせよせ。旅先で馬なんかもらったって、どうにもあつかいに困るからなあ……」
「それもそうだ。せっかくだが、馬子さん、おれたちゃあ、これからまだ旅を続けるんだ。馬なんかもらったってどうにもならねえ」
「お客人、おかしなことを言うでねえ……やるではねえ。ちっかって[#「ちっかって」に傍点]くだせえちゅうだよ」
「ぷッ、ちっかれ[#「ちっかれ」に傍点]とよ」
「乗っかれって言うんだ……おうおう、馬子さん、乗ってやってもいいが、おれたちゃ三人だよ。馬は三頭あるのか?」
「ちゃんと三頭ごぜえますだ。これから宿《しゆく》へ向かっての帰り馬だ。お安くねがいますべえ」
「なに言やぁがる。こちとらぁ江戸っ子だ。高《たけ》えの安いの言うんじゃあねえんだ。金のことをぐずぐず言うんじゃねえぞ。いいか、だから、そのつもりでまけとけ」
「ああれまあ、なんのことだかわかんねえやね、江戸の方《かた》かね?」
「そうよ。江戸は神田の生まれだ。自慢じゃあないが道中明るいんだ。だから高《たけ》えこと言っちゃあいけねえ」
「あんた方そんなに道中明るいかね」
「そうとも……東海道、中仙道、木曾街道と、日のうちに何度となく往き来してらあ」
「ばかなこと言わねえもんだよ。天狗さまではあるまいし。東海道が日のうちに何度も往き来できるもんでねえ」
「もっとも……それは双六《すごろく》の話だ」
「こりゃどうも、おもしれえことを言うもんだ……まあ、しかし、道中明るいんじゃあ、そんなに高えことを言ってもなんめえ。では、宿場までやみ[#「やみ」に傍点]ではどうかね」
「え?」
「なんだい、そのやみ[#「やみ」に傍点]てえのは?」
「あれ、道中明るい方は、馬子のほうの符牒《ふちよう》でもなんでもご存じだあ」
「符牒かあ、なら知ってるとも……やみ[#「やみ」に傍点]か? まあ、そんな見当だろうな……おい、どうする? やみ[#「やみ」に傍点]だとよ、乗るかい?」
「やみ[#「やみ」に傍点]ってのは、いくらだい?」
「わからねえ」
「おいおい、わからないで掛け合っちゃあしょうがねえじゃあねえか。おめえが道中明るいなんて言うから、馬子さんのほうでやみ[#「やみ」に傍点]だなんて、暗くしちゃったんだ」
「そうか。じゃあ明るくしちゃおう……おい、馬子さん、やみ[#「やみ」に傍点]だなんて、そりゃだめだ」
「やみ[#「やみ」に傍点]だらば高くねえはずだが」
「高えやい、やみ[#「やみ」に傍点]でなくて……月夜にしろ」
「月夜? なんだね、その月夜てえのは?」
「月夜に釜を抜くってえから、ただよ」
「とんでもねえ、ただはだめだ」
「ただはだめだとよ」
「そんじゃ……こうしますべえ、じば[#「じば」に傍点]ではどうだ」
「こんどは襦袢《じばん》だとよ」
「おめえはひっこんでろい。こんどおれが掛け合うから……おう、馬子さん、なに言ってやんでえ。襦袢じゃあ足が寒いや、股引《ももひき》にまけろい」
「股引? わからねえことを言うな、股引だと? なんのこんだあ……客人、股引てえのは?」
「そのくらいの符牒はおぼえておけよ。股引てえのはな、お足が二本へえるだろ、だから二百だ」
「はははは、うめえことを言うもんだな、二百か、まけとくべえ」
「お、どうだい、掛け合いがうまいとトントンまけちゃうだろう。じゃあ、乗ってやるから、馬を持ってこい」
「待て待て、待ちなよ。まけたっておめえ、馬子さんの言い値はいくらなんだい?」
「さあ、わからねえが……おい、馬子さん、おめえの言う襦袢てえのはいくらなんだ?」
「じばんではねえ、じば[#「じば」に傍点]だ」
「そのじば[#「じば」に傍点]ってのは、いくらなんだい?」
「やっぱり二百だ」
「なんだ、値切ったんじゃねえ、言い値じゃあねえか」
「ああ、じゃあ、言い値にまけたんだ」
「まあしかたがねえ。さあ、乗れ……おい、馬子さん、三人に馬一匹じゃしょうがねえ」
「いや、仲間大勢いるで、いま呼ばわりますでな……おーい、花之丞、茂八っつぁーん、いたんべえな、いやあ、決めたもんだでこの客人乗っけて行ったらよかんべえにな、きのうみてえに、空馬ひっぱって帰るよりも、安かんべえが、油っかす積んだ帰りだで、ま、こうだなかす[#「かす」に傍点]でも積んで行けや」
「おいおい、なにを言ってやんでえ、こんなかす[#「かす」に傍点]てえことはねえだろう」
「ははは、聞こえたかね」
「聞こえるよ」
「いまのはおらのほうの内緒話で……」
「こんな大きな内緒話があるかい。世間じゅう聞こえちまわあ。冗談じゃねえ」
「さあさあ、乗っかってくだせえ」
「おう、乗るから、馬をしゃがませてくれ」
「馬はしゃがまねえだよ」
「高くて乗れやしねえ、梯子《はしご》をかけろい」
「なに言うだ。馬に乗るのに梯子も脚立《きやたつ》もいらねえだ。さあ、それへ足をかけて……馬の乗り方わからねえか? それじゃあ尻《けつ》押してやるだから……ええか? そおらっ」
「あっ、畜生、荷鞍の上へ放り上げやがった。荷物じゃあるめえし……」
「みんなちっかったか? そんなら出るぞ、それっ、ドウ、ドウ、ドウッ」
「やあ、馬子さん、この馬動くぜ」
「あたりめえでえ、動かねえ馬なんてえなあねえだ、ドウドウドウッ……どうだい客人、乗り心地は?」
「おどろいたなあ、人には添ってみろ、馬には乗ってみろてえが、馬なんてものは案外おとなしいもんだな」
「いやあ、おとなしいさ……ただなあ、客人の酒手のくれようがわるいと、ときたまくらいつくだ」
「うそつきやがれ。おどかすない……けれどこれで、馬なんてものは利口なもんだなあ」
「利口なもんだよ。自分の背に客乗せるだんべ、この客人が利口かばかか、馬のほうでよく知ってるんだから」
「そういうものかね……だけどこうして馬に乗ると、背が高くなって、野山がずーっと見渡せて、いい心地だな。こういうところへ住んでると、寿命ものびるだろうなあ」
「ああ、そうだよ。こいでなあ、日ごと日ごと山のかたちが変わって見えるんだからなあ」
「おう、そういうもんかね。きょう丸く見えた山があしたは三角や四角に見えるか?」
「いやあ、そうとってはいかねえだよ……ごらんなせえ、黄色っけな花あったり、青っけな草あったりなあ、枝々ののびが早えだよ、それでまあ、山のかたちが変わるように見えるだあ」
「はじめて見るおれたちにゃあわからねえが、毎日見ている馬子さんにはわかるんだろう……馬子さんはなにかい? しょっちゅうここらへ出てる馬子さんかい」
「いやあ、おら馬子でねえだあ、百姓だ。仕事のあいまあいまに上り下りの客人のお供をぶってるでえ」
「ああ、そうかい、じゃいいや、気楽でいいてえもんだ」
「お客さまはこれからどこへござらっしゃるです?」
「おれたちか? お伊勢詣りだ、帰りにゃ京大坂を見物して帰ろうてんだ」
「あれまあ、そうかねえ。そりゃあお楽しみなこんだなあ、伊勢へ七度《ななたび》、熊野へ三度《みたび》なんてえがなあ、そうけえ、そりゃまあ結構なこんだあ」
「ところで、馬子さん、おれたち三人をなんと見る?」
「そうよなあ、ごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]でもあるめえ」
「おいよせよ。ふざけるのは……おれたち三人は、こう見えたって役者だ」
「へーえ、役者かね。へぼ役者だんべえ、えかく色がまっ黒だの」
「道中したから日に焼けたんだ」
「なんちゅうお役者さまだえ?」
「尾上菊五郎、あとからくるのが市川団十郎」
「はははは、田舎者だとおもって、ばかこかねえもんだ……おい、花之丞、おめえが乗っけてる客人、団十郎だとよ」
「どれ、これがか? 市川団十郎てえ役者は絵双紙で見たが、こんだら粗末な面ではねえ。まっと鼻のつん[#「つん」に傍点]と高《たけ》え、ええ男だ」
「なにを言ってやんでえ、おれだってもとは鼻もつん[#「つん」に傍点]と高くていい男だったんだが、道中したからすりきれたんだ」
「草履じゃあるめえし、すりきれるなんて、おもしろいこと言って」
「おらの考えじゃ、源右衛門のところにあった、あれに似てるとおもうんだがなあ」
「なんだい、源右衛門のところにあったあれっていうのは?」
「なあに、木偶《でく》芝居がありやしてなあ、あんた方その木偶まわしだんべえ」
「木偶まわし? ああ、人形使い……うーん、なるほど、うまく見やがったなあ。そうあらわれたらしかたがねえ、白状するが、なにを隠そう、おれが吉田国五郎、あとからくるのが、大人形の開山で、西川伊三郎てんだ、いちばんあとからくるのはなんだ……」
「ああ、いちばんあとの客人は、義太夫のずりこき[#「ずりこき」に傍点]だんべえ」
「義太夫のずりこき[#「ずりこき」に傍点]?……はてな、なんだい、ずりこきてえのは?」
「三味線弾きだんべ」
「うーん、そうだ。義太夫の三味線弾きとは、うまく当てやがった。どこでわかった?」
「さっき松原で小便ぶってたが、えかく前のものが太棹《ふとざお》だんべえ」