饅頭《まんじゆう》こわい
「おお、大勢揃って来たな。さあさあずーとこっちへ入《へえ》って、とぐろ巻いてくんな、今日はたまの休みだ。ひとつばかッ話でもして遊ぼうじゃねえか」
「じゃ刺身かなんかあつらえて、一杯飲もうてんだね」
「そりゃおまえ、銭のあるもんの言うことだよ。ま、ひとつ、渋茶でも入れて……」
「渋茶?」
「おやおや」
「なにがおやおやだ、いいじゃねえか、これでみんな、揃ったかい? まだ留の野郎が来ない? しょうがねえなあ、あいつときたひにゃあ、いつだって愚図《ぐず》なんだから」
「うわーっ、おどろいた」
「なんだいそんな大《でつ》けえ声をして、留ッ、どうしたんだ」
「ああ、おどろいた、後から追っかけて来やしねえか」
「てめえが追っかけられたんじゃ、いつもの糊屋の婆さんか」
「なあに、そうじゃねえ。いま路地を抜けようとおもって、湯屋の塀のところを通ったら、塀の下に青大将がいやがって、ジロジロおれの顔を見ながら、ペロペロ舌を出して、おれはもう呑《の》まれちまうかとおもった、いやもう、おれは今日という今日は助からねえとおもったね」
「なにを言ってやんでえ、だらしのねえ野郎だなあ、大きな図体《ずうたい》しやがって、おい、みんな、留のやつは青大将を見ておどろいて逃げて来たんだとよ」
「そりゃあそういうこともあるよ。虫の好かねえってやつだ。なんでも、人間、胞衣《えな》を埋めたその上を最初《はな》に渡ったものが怖《こわ》いんだってな。大方《おおかた》なんだろう、留の胞衣を埋めたその上を青大将がいちばんはじめに通ったにちげえねえ」
「青大将ばかりじゃねえ、つづいて蚯蚓《みみず》が通る鰻《うなぎ》が通る、泥鰌《どじよう》が通る」
「ずいぶん通ったね」
「そうよ、長いものがみんな通りやがった。おれはいまでも長えもんを見るとぞっとするんだよ。食い物だって、蕎麦《そば》がだめ、うどんがだめ、もう長いもんはなんでもいけねえんだよ、だから、おれは褌《ふんどし》もしめねえ」
「褌ぐらいしめろよ。なるほど、あるんだねえ、虫が好かねえってやつが。そう言えば、おれはなめくじが嫌いだがね、吉っつぁん、おまえは何が怖い?」
「おれは蛙《けえる》ッ」
「そのつぎはどうだい?」
「蜘蛛《くも》」
「なるほど、あいつは気持ちのいいもんじゃないね、そのお隣は?」
「おれはおけら」
「おれはおけらだって威張ってやがら、てめえだっていつもおけらじゃねえか、そのつぎは?」
「蟻《あり》」
「妙なものが怖いんだね。そのつぎは?」
「おれは馬」
「馬? 馬なんざあ、虫じゃねえじゃねえか。馬車だの荷車ひいて、始終往来を歩いてるじゃねえか」
「けれどもよ。どうも虫が好かねえんだ。だいいち、ずいぶん大きな鼻の孔《あな》だ。あの鼻の孔へ吸い込まれやしねえかとおもうと、ぞっとするね。それにあれは蹴とばすだろう? 先《せん》にはそんなでもなかったんだが、それが、いまのかかあと一緒になってから、なんかあるたびにかかあに蹴とばされ、それ以来、馬を見るたびに怖くて怖くて……」
「だらしがねえ野郎だあ、そりゃ、馬よりもかかあのほうが怖いんじゃねえか。……おい松っちゃん、そっぽを向いて煙草ばかりぷかぷかのんでいちゃあいけねえ。まあこっちへ来て仲間に入《へえ》んねえ、おまえはなにが怖い?」
「やかましいやいッ」
「なんだよ、怒るこたあねえ、せっかくみんなでもって……」
「なにを言ってやんでえッ、だれが怖えって言ったッ、いま聞いてりゃなんだと、いい若えもんが、蛇が怖いの、蜘蛛が怖いの、蟻が怖いの、べらぼうめっ、あんまりばかばかしいや、いいか、人間は万物の霊長というじゃねえか」
「えらいことを知ってるな、万物の霊長というなあ、どんな字を書くんだい」
「はばかりながら字じゃ書けねえけれども、言うことだけは知ってらい」
「心細い威張り方だな」
「青大将が怖いだって、笑わせやがら、おれなんざァ、青大将をきゅっきゅっとしごいて、鉢巻きしてカッポレを踊ってやらあ」
「へーえ、たいへんな野郎が出て来たぜ」
「ええ? 蜘蛛が怖い? なにを言いやがんでえ、蜘蛛なんざあどこが怖えんだい。おれはな、蜘蛛を二、三匹つかまえてきて、納豆ンなかに叩こんで、掻きまわしてみろ、納豆が糸を引いてうめえのうまくねえの。だれだ? 蟻が怖えって言ったのは? 蟻なんざあ、赤飯《こわめし》を食うときに、胡麻《ごま》の代わりに蟻をパラパラとかけて……もっとも胡麻が駆けだして食いにくいが……黙って聞いてりゃ、馬が怖えだって? 馬なんざ図体《なり》は大きくたって了見は小せえもんだ、だいいち、食ったって桜肉といってオツ[#「オツ」に傍点]なもんじゃねえか。ふん、おれなんざ生意気なこと言うわけじゃないが、四つ足で怖いものなんざひとつもねえんだ。四つ足ならなんだって食っちまわ」
「おッ、じゃなにかい、四つ足ならなんでも食うか」
「食わねえでどうする」
「きっと食うか」
「ああ」
「よし、そんならあそこに置いてある炬燵櫓《こたつやぐら》、あれをひとつ食ってみてくれ、四つ足ならなんでも食うと言ったろ、さあ食え」
「うーん、食って食えねえことはねえが、おりゃ、ああいうあたる[#「あたる」に傍点]もんは食わねえ」
「なんだい、こんなところで落とし話をして……」
「松兄ィ、おまえぐらい世の中でつき合いのねえ男はねえな、ええ、みんな怖いものがあるというんだから、たとえ怖いものがないにしろ、なにかひとつ怖いものを言いなよ」
「ないよ、おらあ」
「わかったよ、おまえの強えってことは、そんなことを言わねえで、なんか考《かん》げえてみねえな」
「考げえたって、ねえものはねえ」
「わからない男だな、でもなんかひとつぐらい……」
「ねえったらねえ。……おまえはしつっこいから嫌いだよ。せっかくおれが思い出すめえと、一所懸命、骨折ってるときに、しつっこく聞きやがって……ああ、とうとう思い出しちゃった」
「何だ」
「いや、これだけは言えねえ。思い出すだけでもぞッとする」
「よせよ、なあ、愛嬌じゃねえか。みんな怖えものを言ったもんだ。え、なにが怖いんだ、言ってみろ」
「そりゃあ言ってもいいけど、おめえたちは笑うだろう?」
「笑わないよ」
「ほんとうに笑わねえか? じゃ言うけど、じつは、おれの怖いのは、饅頭ッ」
「饅頭? あの、中に餡《あん》の入った、むしゃむしゃ食う、あの饅頭かい? あれが? おめえが怖い? はははは……」
「みろ、笑ったじゃねえか」
「へーえ、わからねえもんだあ、じゃあなにかい、往来かなんか歩いていて、ぽっぽっと湯気《ゆげ》の立っている饅頭屋の前を通るときは困るだろう」
「困るのなんのって、もうたまらねえから、目をつぶって逃げ出すんだ。よく法事で饅頭の配り物やなんかに出会《でつくわ》すが、あのなかに饅頭が入ってるなとおもうと、ぞッとするね。ああ、話しているうちに、なんだか気持ちがわるくなって、寒気がしてきやがった、ああ……」
「いけねえ、顔色がわるくなってきたよ。おい、医者呼んでこようか?」
「いや、それほどじゃねえ、ちょっと横になってりゃ大丈夫だよ」
「それじゃ、そっちの三畳で少しの間、横になっといでよ。戸棚に布団があるから勝手に出してもらって、この唐紙を閉めておくが、気分がわるくなったら遠慮なく声をかけてくれ」
「ああ、ありがとう、じゃそうさせてもらうよ」
「ふふん、どうだい、おかしいじゃねえか。ええ、饅頭が怖いんだとよ。不思議じゃあねえか。してみると、なんだね、あいつの胞衣をいちばん先に饅頭が渡ったんだね」
「饅頭が渡るということはねえが、おおかた子供でも饅頭を食いながら渡ったんだろう。けどなんだね、こいつは耳よりの話じゃねえか、なにがって、あのくらい世の中に癪《しやく》にさわるやつはねえな、人が面白いと言やあつまらねえと言うし、つまらねえと言やあ面白いと言う。さっきだってそうだ。ひとりで強がりやがって、ええ、饅頭が怖いってえのはありがてえじゃねえか。うんと饅頭を買ってきて、あの野郎の枕もとへずらりとならべてやろうじゃねえか。そうしたら、やつはおどろくだろう。ぶるぶるふるえて、これからおとなしくするから勘弁してくれ、かなんか言って謝るにちげえねえ。なあ、友だちのよしみだ、あん畜生を饅頭で真人間にしてやろう」
「およしよ、くだらねえ。だいいち、さっきのあの野郎の様子を見ねえな、話をしただけで顔色がまっ青になっちまったんだよ。それをおまえ、ほんものが枕もとにずらっとならんでみろよ、目を醒《さ》ましたとたんに、卒倒してそのままあの世行きなんてえことになって、これがほんとのアン殺……」
なんという、みんなでわるい相談がまとまりまして、てんでに饅頭を買ってきた。
「いやあ、こっちへ出しな、出しな。この大きな盆の上に順に載っけてくんな。おまえの買って来たのは何だ? 葛《くず》饅頭。そのつぎは? 唐饅頭。おあとは? 蕎麦饅頭。それから、田舎饅頭。そのつぎは? 栗饅頭。これだけありゃたくさんだ。どうだい、枕もとへ饅頭の堤ができてしまった。ふふふ、ざまあみやがれってんだ」
「じゃいいかい、起こすよ。おう、松兄ィおい松ッ」
「うっ、あっあーッ、あいよ、少しトロトロとしたら起こしやがって、あっ、うっうっうゥ……ま、饅頭ッ」
「ふふふ、あん畜生、泡吹いて怖がってら……」
「畜生、おれが怖がっている饅頭をどこからこんなに買って来やがったか……。ああ、葛饅頭か、これは怖いや(と、ほおばる)、うう、怖い唐饅頭(と、食べる)、うう怖い、栗饅、うう怖い、怖いッ」
「あっ、あれあれ、饅頭を食ってるぜ」
「畜生、いっぺえ食わされた。食っていやがるな、あっ、懐中《ふところ》へ入れたり、袂へ入れたりしてやがる、こん畜生ッ、てめえその饅頭を食ってやがるじゃねえか。やいっ、てめえのほんとうに怖いのは何だ?」
「へへへ、あとは、お茶が怖い」