|〆込《しめこ》み
「こんちは、お留守ですか? ええ、開けっぱなしになってますが……物騒《ぶつそう》ですよ。ごめんください……え? 長火鉢の鉄瓶《てつびん》がチンチンたぎってらあ。こりゃあ、遠くへ行ったんじゃあないよ。いまのうちに仕事をしなくっちゃあ……」
泥棒の空き巣狙いというやつ……箪笥《たんす》の抽出《ひきだ》しを開けて、大きな風呂敷を出すと、そこへひろげて中のものを……女物でも男物でもかまわずひっぱり出して、一包みにこさえて、こいつを背負《しよ》って出ようとすると、路地のほうから足音がした。
「そうですか。そりゃどうもありがとう」
男の声だから、たいへんだとおもって、裏口から出ようとしたが、裏は塀《へい》で行き止まり。しかたがないから、あわてて台所の揚げ板をはずして、縁の下の糠《ぬか》味噌桶のとなりへ逃げ込んだ。
「なあ、日の暮れに家、開けっぱなしだ……しょうがねえなあ。亭主があくせく働いて帰《けえ》ってきて、家にかかあがいねえなんて、こんな張りあいのねえのもねえや……たいへん火を起こしやがって、鉄瓶をチンチン煮立たせやがって……いやだ、いやだ。また長屋を歩いてやがるな、あんなおしゃべりはいないね……はて、なんだい、この包みは?……はあ……古着屋が来やがったな、『きょうは夜店を出しませんからよろしいのをごらんなさい』って、買いもしねえのに、他人《ひと》さまのもの預かっときゃがって留守にしやがって、泥棒でも入って持ってかれたらどうしようってんだ、留守も満足にできねえんだから……まあ古着屋のやつもそうなんだ、こういうものを預けといちゃ遊んでやがる……あっ、これっ、この風呂敷は家《うち》のだ……あれっ似たようなものばっかりだぜ……なんだい、おれの羽織じゃねえ。え? こりゃかかあのもんでしょ。こりゃ家の、目星しいものがそっくり包んであるじゃねえか……なんだってこんな大きな荷物をこさえて置きやがったんだろう? 火事でもあったのかな? あッ、箪笥の抽出しが開いてやがる……あッ、畜生め、やりやがったな。どうもこのあいだから様子がおかしいとおもっていたら、うちのかかあのやつ、間男してやがる。どうもこのごろ、いやに白粉《おしろい》つけたり紅《べに》をさしたり、めかす[#「めかす」に傍点]とおもってたんだが……今日に限っておれが早く帰って来るというのは、なるほど、悪いことはできねえもんだ。ああ、油断はならねえ。おれがもう少し遅かったら、情夫《いろ》と二人でずらかるところだったんだな。畜生めッ、いまに帰ってきやがったら、どうするかみてやがれっ」
「あーあ、いい湯だった……あら、お帰んなさい。早かったねえ。おまえさんもいまのうちにお湯へ行ってきたらどう?……帰りに男湯のほうのぞいたらたいへんに空いてるようだったから……ねえ、ひとっ風呂入って来たらいいじゃあないの?……ねえ、ちょいと、どうなの?……こわい顔しているね、どうしたんだよ? あたしの帰りが遅いんで怒ってるのかい? いえね、このところ二、三日、お湯へ行きそこなっちまったから、今日もまた入りそこなっちゃあいけないとおもって、おまえさんがまだ帰る気づかいはないとおもって行ったんだけど、女の湯は遅くなるもので、お向かいのおかみさんが来ていて、なにも言わないのにお湯を汲《く》んでくれたから、あたしもお湯を汲んでかえすと、背中を流してくれるのさ。だから、あたしも向こうの背中を流したりして、早くも上がれず女のお付き合いで遅くなったが……おまえさん、いま時分お湯へ行ってわるかったねえ……それにしても、今日はたいそう早かったね」
「やかましいやいッ」
「なんてえ顔してんの……丁場《ちようば》でどうかしたのかい? ちょいと、顔色がわるいよ、心持ちがわるいのかい?……それとも喧嘩でもしたのかい?」
「うるせえやいッ。なにをつべこべぬかしやがるんだ」
「まあ、たいへんな権幕だこと……うふっ、いやだねえ、この人は。よそで喧嘩してきて、うちへ帰って来てあたり散らすやつもないもんじゃないか。およし、およし。喧嘩なんかして、怪我でもしたら困るじゃないか。相手はだれだい? 民さんかい? 源さんかい? 吉っつぁんかい? 六さんかい?」
「よくべらべらしゃべりやがる。だまってろいッ、なんでもいいや、離縁するから出ていけっ」
「あらっ、ちょいと、女房を離縁するような騒ぎが起こったのかい?」
「なんでもいいから出ていきねえッ」
「なんでもいいから出てけ? そんなに言うなら出てくけども……え……実家《うち》で『なんで出されたい?』って聞かれたら、あたしゃなんと言ったらいいのさ? 『なんでもいいから出てけ』って亭主にそう言われたからなんて、まさか十二や十三の子じゃああるまいし、そんなことが言えるもんかね……それともなにかい、あたしのお湯の帰りが遅いから出てけってえのかい? へーえ、それじゃあ、世間のかみさんはみんな出て行かなくっちゃあなんないねえ……どうしたのさあ、聞かしておくれよ」
「こちとらあ職人だ。口下手だから口きくのはめんどうくせえや。どうしたもこうしたもてめえの胸に聞いてみろい、ふんッ」
「なにがふんッなの……あらっ、その風呂敷包み、どうしたの?」
「なにを? どうした? とぼけやがって……おりゃ、てめえに傷をつけねえで出してやろうとおもって、だまってりゃいい気になりやがって……てめえがこせえねえで、だれがこせえるんだ。ふざけるねえ……てめえがこのごろいやに白粉つけたり紅つけたり変だとおもったら、おれが早出居残りで帰りが遅いとおもって、すっかり支度をして、野郎を呼びに行きやがったんだろう? てめえのものばかりならともかく、おれのものまでいっしょに持って行こうとしやがって、油断も隙もありゃしねえ。てめえを今日までそんな女とはおもわなかったが、今日という今日は勘弁ならねえ、とっとと出ていきやがれっ」
「ちょっと、おまえさん、どうかしたね……稲荷《いなり》さまの鳥居かなんかに小便ひっかけやしないかい?……ふん、間男だって? おまえさん、いくら夫婦の仲だって、言っていいことと悪いことがあるんだよ。ほかのこととはちがうよ。あたしゃ小さい時分から前っ尻《ちり》のことをかれこれ言われたことはないんだよ。女は盗人《ぬすつと》よばわりされるよりも間男したと言われるほうが恥なんだからね。なんだってそんなことを言うのさ。人をばかにして……ああ、わかった。おまえさん、女ができたんだね。女に無心かなにか言われて、あたしの留守を幸いに、箪笥から金目のものを選《よ》りだして、自分のものだけ持って行くならともかく、あたしのものまで持ち出そうとしたのを見つけられたもんだから、あたしを間男よばわりして……そうだ、それにちがいないよ」
「あれっ、この女《あま》、なにを言いやがる。反対だい、こんどこの包みをおれのせいにしやがって……盗人《ぬすつと》たけだけしいとはこのことだ……なんぞというと、じきに泣いておどかしやがる。てめえの面《つら》は泣く面じゃねえや、このおたふくめっ」
「なんだって? おたふく? ふん、おまえさん、あたしと一緒になったときのことを忘れたのかい?」
「なんだ?」
「あたしが伊勢屋さんにいた時分さ」
「そうよ、てめえは、伊勢屋のおさんどんだ」
「おさんどん? なに言ってるんだい。あたしゃあねえ、あそこへ修業に行ってたんだよ。冗談言っちゃあいけない。おっかさんの言うにゃあ、『おまえ、お嫁にいくったって、なんにもできないじゃあいけないから、伊勢屋さんへ行って女の仕事をひととおりおぼえておいで』てんで、お手伝いにいってたんじゃあないか。あたしゃ、お給金もらってご奉公してたんじゃないよ。そこへおまえさんが仕事に来て、あたしの袖をひっぱったんだろ? そのあげく、『みんなが、おめえとおれとあやしいってもっぱらの噂だから、ほんとにあやしくなろうじゃねえか』そう言いやがった、畜生。『伊勢屋のご主人はもちろん、うちの親てえものは堅いから、おまえさんがその気なら、順に話してもらおうじゃないか。そうすれば来年はお暇をもらうから、そのうえで女房になろうじゃないか』と言ったら、おまえさんそのとき、なんと言ったい? 懐中《ふところ》から出刃庖丁を出して、『そんなことは待っちゃあいられねえ。さあ、言うことをきけ。うんと言わねえか。いやならばこれで殺しちまうから……うんか出刃か、うん出刃か?』って、そう言いやがったくせに……しかたがないからおとっつぁんに話したら『うん、八公か、あいつはことによるとなんかやりかねねえな。しかし、まあ、あいつは人間は乱暴だが、腕はいいんだから、おれが野郎におめえを大事にするか、言ってきかせてやる』ってえから、あたしゃおとっつぁんにまかした。そうしたら、おまえ、おとっつぁんに呼ばれて家へ来ただろう? そのときのことを忘れやしめえ。おまえさんは、おとっつぁんの前でなんて言った、『おふくさんと一緒になれりゃあ、あっしはなんでもします。朝だって早く起きます。ご飯も炊《た》きます。おふくさんみたいないい女はありません。生きた弁天さまみたいだ』って、そう言ったじゃないか。ええ、それがおたふくとは、どういうわけだい?」
「な、なにをぬかしやがるッ。この野郎っ」
「おやッ、ぶったね。ぶつんなら、いくらでもぶちやがれっ」
「ああ、ぶってやるとも、こん畜生め」
「さあさあ、殺しやがれっ、あたしゃ、おまえさんに殺されりゃあ、本望だ。さあ殺せっ」
「なにしやがるっ」
亭主は、いきなり長火鉢の鉄瓶をつかんでぱっと放り投げたが、おかみさんがうまく身をかわしたから、鉄瓶が台所の柱にぶつかってひっくり返った。それが縁の下の泥棒の頭へザァーとかぶったからたまらない。
「あッ、熱いっ、熱いっ……あぶないよ。おかみさん、お逃げなさい。お逃げなさい。まあ、親方も、おやめなさいっ」
「おうおう、どけっ……仲へ入ったって……おや? おまえさん、どこの人だい?」
「へえ、えっへへへ……あたしはもうずっとこの……つまり、その……どうも、こんばんは……熱いっ」
「なんでえ。どこの人か知らねえがやぶから棒に、よけいなことをするねえ」
「親方、そんなことをおっしゃらずに、わたしはここへ出られた義理じゃございませんが、まあまあ、ここのところは、あたしにまかせて……」
「どうでもいいが、おまえさん、どっから入《へえ》んなすった?」
「へえ、台所の縁の下から……」
「ええっ、鼠《ねずみ》みてえな野郎だな?」
「ねえ親方……えへへへ……この夫婦喧嘩のはじまりは、この風呂敷包みでござんしょう?」
「おや、おまえさん、よくご存知だね」
「ええ、そりゃあもう……で、つまり、早い話が、あの包みをだれがこしらえたかがわかればいいんでしょう?」
「うん、そりゃどういう経緯《いきさつ》であの包みができたかさえわかれば、勘弁しねえこともない」
「そんなら大丈夫で……あの包みてえものは、ありゃおかみさんがこさえたんじゃない……といって、親方がこさえたというわけじゃあない」
「おかしいじゃねえか。おれがこせえねえで、かかあがこせえねえで、あんな包みがピョコピョコできるかい」
「それができるんでござんす……てえのは、つまり、お二人とも留守になっているところへ、つまり、その……ぬーっと入ってきたやつがあるんで……これが箪笥の抽出しをあけて、風呂敷包みをこしらえて、すーと背負って逃げようとするところへ、親方が帰ってきた。しかたがないから、風呂敷包みをそこへ置いて、台所の揚げ板はずして、縁の下の糠味噌桶のかげに隠れた。すると、おかみさんが帰ってきて、喧嘩がはじまって、あげくの果てに、親方が鉄瓶を放り投げたやつが台所へ飛んできて、熱い湯が揚げ板のあいだからポタポタ……とても熱くって縁の下にいられませんから、飛びだして仲裁に入ったというわけだ……」
「へええ、じゃあ、おまえさんがこの風呂敷包みをこさいたんだ」
「そうそうそう、まあ、早く言えば……」
「遅く言ったってそうじゃねえ……すると、おまえは、どろ……泥棒さんだね?」
「えへへへ……まあ、そういったもんで……」
「それにちげえねえじゃねえか……それ、みやがれっ、日の暮れがた、うちを開けっぱなしにしとくから、こんな泥棒……さんが入《へえ》るんだ。この泥棒さんが出てきてくれなきゃあ、おめえとおれは夫婦別れをしちまうところだったじゃあねえか。めそめそ泣いているどころじゃあねえや、泥棒さんにお礼申しあげろい」
「……泥棒さん、よく出てきてくださいました。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして、お手をお上げなすって……おかみさん、泣いちゃあいけません……しかし、まあ、無事におさまってようございました。あっしは熱かったねえ、どうなるかとおもいましたよ」
「どうも、ご迷惑をかけまして……」
「いや、どういたしまして……けどねえ、縁の下でうかがってましたがね。お宅なんざあ喧嘩をなさる仲じゃあありませんね。仲がよすぎるてえやつだ。うかがいましたよ。親方とおかみさんの馴れ染めを……うんか出刃か、うん出刃か……って、どうもおやすくない話で……えへへ」
「おい、よせよ」
「えへへへ、まことにおめでたいことで……」
「うん、まあ、すべてがまちげえだったわけだ」
「まちがいだって、ばかげているじゃないか。おまえさんが気が早いからああいうことになったんだよ。あたしがお湯から帰ってきたら、いきなりけんつくを食わすんだもの……」
「すまねえ、すまねえ……まあ、いずれにしても厄《やく》落としだ。一杯《いつぺえ》やろうじゃあねえか……そうだ、泥棒さん、おめえもいける[#「いける」に傍点]んだろう?」
「へえ、どうもありがとうござんす。いたって好きなほうで……」
「そうかい、それじゃあ、なんにもねえけど、やってってくんねえ。泥棒さん」
「いえもう、あたしは……泥棒に入ってお酒をご馳走になるのははじめてで……」
「おれも泥棒さんと飲むのははじめて……」
「これをご縁として、親方これからたびたびまいります」
「たびたびこられてたまるかよ……おう、もう燗《かん》がついたか……おい、泥棒さん、まあ、ひとついこう」
「へえ、いただきます……うーん、こいつはいい酒だ」
「ほー……、なかなか飲みっぷりがいいな、泥棒さん」
「そういちいち泥棒さんと言うのはよしてくださいよ」
「うん、そうだなあ。すまねえ、すまねえ……どうも小せえもんじゃあはか[#「はか」に傍点]がいかねえようだから、この湯飲みでぐっとやんねえ」
「こりゃ、どうもご親切に……どうか、おかみさん、お気になさらないでください……ねえ、ご馳走になったから言うわけじゃないが、親方はおかみさんに惚《ほ》れてるくせに、むやみにひっぱたくのはいけませんよ。また、ひっぱたかれたおかみさんのせりふがよかったね。『さあ殺せ、あたしゃおまえさんに殺されりゃ、本望だ』ってねえ、あははは、いい心持ちになったね。唄でも唄いましょう」
と、鼻唄かなんか唄っているうちに、だんだん酔いがまわってきて、泥棒はそこへ酔いつぶれて気持ちよさそうに高いびき。
「やあ、見ねえ、罪はねえや、泥棒さん、寝ちまったぜ」
「ほんとうだねえ。起こそうか?」
「寝た者を起こすわけにもいかねえから、布団をかけてやんねえな……それはそうと、おれも明日《あした》、早いぜ。物騒だから戸じまりをして、これから寝ようじゃあねえか」
「おまえさん、物騒だって言ったって、泥棒は家に寝ているじゃあないか」
「そうか、それじゃあ、表から心ばり棒で、しっかりしめ込んでおけ」
「やかましいやいッ」
「なんてえ顔してんの……丁場《ちようば》でどうかしたのかい? ちょいと、顔色がわるいよ、心持ちがわるいのかい?……それとも喧嘩でもしたのかい?」
「うるせえやいッ。なにをつべこべぬかしやがるんだ」
「まあ、たいへんな権幕だこと……うふっ、いやだねえ、この人は。よそで喧嘩してきて、うちへ帰って来てあたり散らすやつもないもんじゃないか。およし、およし。喧嘩なんかして、怪我でもしたら困るじゃないか。相手はだれだい? 民さんかい? 源さんかい? 吉っつぁんかい? 六さんかい?」
「よくべらべらしゃべりやがる。だまってろいッ、なんでもいいや、離縁するから出ていけっ」
「あらっ、ちょいと、女房を離縁するような騒ぎが起こったのかい?」
「なんでもいいから出ていきねえッ」
「なんでもいいから出てけ? そんなに言うなら出てくけども……え……実家《うち》で『なんで出されたい?』って聞かれたら、あたしゃなんと言ったらいいのさ? 『なんでもいいから出てけ』って亭主にそう言われたからなんて、まさか十二や十三の子じゃああるまいし、そんなことが言えるもんかね……それともなにかい、あたしのお湯の帰りが遅いから出てけってえのかい? へーえ、それじゃあ、世間のかみさんはみんな出て行かなくっちゃあなんないねえ……どうしたのさあ、聞かしておくれよ」
「こちとらあ職人だ。口下手だから口きくのはめんどうくせえや。どうしたもこうしたもてめえの胸に聞いてみろい、ふんッ」
「なにがふんッなの……あらっ、その風呂敷包み、どうしたの?」
「なにを? どうした? とぼけやがって……おりゃ、てめえに傷をつけねえで出してやろうとおもって、だまってりゃいい気になりやがって……てめえがこせえねえで、だれがこせえるんだ。ふざけるねえ……てめえがこのごろいやに白粉つけたり紅つけたり変だとおもったら、おれが早出居残りで帰りが遅いとおもって、すっかり支度をして、野郎を呼びに行きやがったんだろう? てめえのものばかりならともかく、おれのものまでいっしょに持って行こうとしやがって、油断も隙もありゃしねえ。てめえを今日までそんな女とはおもわなかったが、今日という今日は勘弁ならねえ、とっとと出ていきやがれっ」
「ちょっと、おまえさん、どうかしたね……稲荷《いなり》さまの鳥居かなんかに小便ひっかけやしないかい?……ふん、間男だって? おまえさん、いくら夫婦の仲だって、言っていいことと悪いことがあるんだよ。ほかのこととはちがうよ。あたしゃ小さい時分から前っ尻《ちり》のことをかれこれ言われたことはないんだよ。女は盗人《ぬすつと》よばわりされるよりも間男したと言われるほうが恥なんだからね。なんだってそんなことを言うのさ。人をばかにして……ああ、わかった。おまえさん、女ができたんだね。女に無心かなにか言われて、あたしの留守を幸いに、箪笥から金目のものを選《よ》りだして、自分のものだけ持って行くならともかく、あたしのものまで持ち出そうとしたのを見つけられたもんだから、あたしを間男よばわりして……そうだ、それにちがいないよ」
「あれっ、この女《あま》、なにを言いやがる。反対だい、こんどこの包みをおれのせいにしやがって……盗人《ぬすつと》たけだけしいとはこのことだ……なんぞというと、じきに泣いておどかしやがる。てめえの面《つら》は泣く面じゃねえや、このおたふくめっ」
「なんだって? おたふく? ふん、おまえさん、あたしと一緒になったときのことを忘れたのかい?」
「なんだ?」
「あたしが伊勢屋さんにいた時分さ」
「そうよ、てめえは、伊勢屋のおさんどんだ」
「おさんどん? なに言ってるんだい。あたしゃあねえ、あそこへ修業に行ってたんだよ。冗談言っちゃあいけない。おっかさんの言うにゃあ、『おまえ、お嫁にいくったって、なんにもできないじゃあいけないから、伊勢屋さんへ行って女の仕事をひととおりおぼえておいで』てんで、お手伝いにいってたんじゃあないか。あたしゃ、お給金もらってご奉公してたんじゃないよ。そこへおまえさんが仕事に来て、あたしの袖をひっぱったんだろ? そのあげく、『みんなが、おめえとおれとあやしいってもっぱらの噂だから、ほんとにあやしくなろうじゃねえか』そう言いやがった、畜生。『伊勢屋のご主人はもちろん、うちの親てえものは堅いから、おまえさんがその気なら、順に話してもらおうじゃないか。そうすれば来年はお暇をもらうから、そのうえで女房になろうじゃないか』と言ったら、おまえさんそのとき、なんと言ったい? 懐中《ふところ》から出刃庖丁を出して、『そんなことは待っちゃあいられねえ。さあ、言うことをきけ。うんと言わねえか。いやならばこれで殺しちまうから……うんか出刃か、うん出刃か?』って、そう言いやがったくせに……しかたがないからおとっつぁんに話したら『うん、八公か、あいつはことによるとなんかやりかねねえな。しかし、まあ、あいつは人間は乱暴だが、腕はいいんだから、おれが野郎におめえを大事にするか、言ってきかせてやる』ってえから、あたしゃおとっつぁんにまかした。そうしたら、おまえ、おとっつぁんに呼ばれて家へ来ただろう? そのときのことを忘れやしめえ。おまえさんは、おとっつぁんの前でなんて言った、『おふくさんと一緒になれりゃあ、あっしはなんでもします。朝だって早く起きます。ご飯も炊《た》きます。おふくさんみたいないい女はありません。生きた弁天さまみたいだ』って、そう言ったじゃないか。ええ、それがおたふくとは、どういうわけだい?」
「な、なにをぬかしやがるッ。この野郎っ」
「おやッ、ぶったね。ぶつんなら、いくらでもぶちやがれっ」
「ああ、ぶってやるとも、こん畜生め」
「さあさあ、殺しやがれっ、あたしゃ、おまえさんに殺されりゃあ、本望だ。さあ殺せっ」
「なにしやがるっ」
亭主は、いきなり長火鉢の鉄瓶をつかんでぱっと放り投げたが、おかみさんがうまく身をかわしたから、鉄瓶が台所の柱にぶつかってひっくり返った。それが縁の下の泥棒の頭へザァーとかぶったからたまらない。
「あッ、熱いっ、熱いっ……あぶないよ。おかみさん、お逃げなさい。お逃げなさい。まあ、親方も、おやめなさいっ」
「おうおう、どけっ……仲へ入ったって……おや? おまえさん、どこの人だい?」
「へえ、えっへへへ……あたしはもうずっとこの……つまり、その……どうも、こんばんは……熱いっ」
「なんでえ。どこの人か知らねえがやぶから棒に、よけいなことをするねえ」
「親方、そんなことをおっしゃらずに、わたしはここへ出られた義理じゃございませんが、まあまあ、ここのところは、あたしにまかせて……」
「どうでもいいが、おまえさん、どっから入《へえ》んなすった?」
「へえ、台所の縁の下から……」
「ええっ、鼠《ねずみ》みてえな野郎だな?」
「ねえ親方……えへへへ……この夫婦喧嘩のはじまりは、この風呂敷包みでござんしょう?」
「おや、おまえさん、よくご存知だね」
「ええ、そりゃあもう……で、つまり、早い話が、あの包みをだれがこしらえたかがわかればいいんでしょう?」
「うん、そりゃどういう経緯《いきさつ》であの包みができたかさえわかれば、勘弁しねえこともない」
「そんなら大丈夫で……あの包みてえものは、ありゃおかみさんがこさえたんじゃない……といって、親方がこさえたというわけじゃあない」
「おかしいじゃねえか。おれがこせえねえで、かかあがこせえねえで、あんな包みがピョコピョコできるかい」
「それができるんでござんす……てえのは、つまり、お二人とも留守になっているところへ、つまり、その……ぬーっと入ってきたやつがあるんで……これが箪笥の抽出しをあけて、風呂敷包みをこしらえて、すーと背負って逃げようとするところへ、親方が帰ってきた。しかたがないから、風呂敷包みをそこへ置いて、台所の揚げ板はずして、縁の下の糠味噌桶のかげに隠れた。すると、おかみさんが帰ってきて、喧嘩がはじまって、あげくの果てに、親方が鉄瓶を放り投げたやつが台所へ飛んできて、熱い湯が揚げ板のあいだからポタポタ……とても熱くって縁の下にいられませんから、飛びだして仲裁に入ったというわけだ……」
「へええ、じゃあ、おまえさんがこの風呂敷包みをこさいたんだ」
「そうそうそう、まあ、早く言えば……」
「遅く言ったってそうじゃねえ……すると、おまえは、どろ……泥棒さんだね?」
「えへへへ……まあ、そういったもんで……」
「それにちげえねえじゃねえか……それ、みやがれっ、日の暮れがた、うちを開けっぱなしにしとくから、こんな泥棒……さんが入《へえ》るんだ。この泥棒さんが出てきてくれなきゃあ、おめえとおれは夫婦別れをしちまうところだったじゃあねえか。めそめそ泣いているどころじゃあねえや、泥棒さんにお礼申しあげろい」
「……泥棒さん、よく出てきてくださいました。ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして、お手をお上げなすって……おかみさん、泣いちゃあいけません……しかし、まあ、無事におさまってようございました。あっしは熱かったねえ、どうなるかとおもいましたよ」
「どうも、ご迷惑をかけまして……」
「いや、どういたしまして……けどねえ、縁の下でうかがってましたがね。お宅なんざあ喧嘩をなさる仲じゃあありませんね。仲がよすぎるてえやつだ。うかがいましたよ。親方とおかみさんの馴れ染めを……うんか出刃か、うん出刃か……って、どうもおやすくない話で……えへへ」
「おい、よせよ」
「えへへへ、まことにおめでたいことで……」
「うん、まあ、すべてがまちげえだったわけだ」
「まちがいだって、ばかげているじゃないか。おまえさんが気が早いからああいうことになったんだよ。あたしがお湯から帰ってきたら、いきなりけんつくを食わすんだもの……」
「すまねえ、すまねえ……まあ、いずれにしても厄《やく》落としだ。一杯《いつぺえ》やろうじゃあねえか……そうだ、泥棒さん、おめえもいける[#「いける」に傍点]んだろう?」
「へえ、どうもありがとうござんす。いたって好きなほうで……」
「そうかい、それじゃあ、なんにもねえけど、やってってくんねえ。泥棒さん」
「いえもう、あたしは……泥棒に入ってお酒をご馳走になるのははじめてで……」
「おれも泥棒さんと飲むのははじめて……」
「これをご縁として、親方これからたびたびまいります」
「たびたびこられてたまるかよ……おう、もう燗《かん》がついたか……おい、泥棒さん、まあ、ひとついこう」
「へえ、いただきます……うーん、こいつはいい酒だ」
「ほー……、なかなか飲みっぷりがいいな、泥棒さん」
「そういちいち泥棒さんと言うのはよしてくださいよ」
「うん、そうだなあ。すまねえ、すまねえ……どうも小せえもんじゃあはか[#「はか」に傍点]がいかねえようだから、この湯飲みでぐっとやんねえ」
「こりゃ、どうもご親切に……どうか、おかみさん、お気になさらないでください……ねえ、ご馳走になったから言うわけじゃないが、親方はおかみさんに惚《ほ》れてるくせに、むやみにひっぱたくのはいけませんよ。また、ひっぱたかれたおかみさんのせりふがよかったね。『さあ殺せ、あたしゃおまえさんに殺されりゃ、本望だ』ってねえ、あははは、いい心持ちになったね。唄でも唄いましょう」
と、鼻唄かなんか唄っているうちに、だんだん酔いがまわってきて、泥棒はそこへ酔いつぶれて気持ちよさそうに高いびき。
「やあ、見ねえ、罪はねえや、泥棒さん、寝ちまったぜ」
「ほんとうだねえ。起こそうか?」
「寝た者を起こすわけにもいかねえから、布団をかけてやんねえな……それはそうと、おれも明日《あした》、早いぜ。物騒だから戸じまりをして、これから寝ようじゃあねえか」
「おまえさん、物騒だって言ったって、泥棒は家に寝ているじゃあないか」
「そうか、それじゃあ、表から心ばり棒で、しっかりしめ込んでおけ」