松山鏡《まつやまかがみ》
古い中国の笑話本「笑府」のなかに、鏡のない国の女が酒壺をのぞいて、その映った顔を見て嫉妬心を起こした、というのがあって、これをもとにして謡曲「松山鏡」が出来たと言われているが、その謡《うた》いに「総じてこの松の山家《やまが》と申すは、無仏世界のところにて、女なれども歯鉄漿《はごね》をつけず、色を飾ることもなければ、まして鏡などと申すものを知らず候ひしを云々……」とある。
その越後の国、松山《まつのやま》村に、庄助という百姓、まことに素朴で、評判の孝行者。これが領主に聞こえおよび、褒美《ほうび》を下しおかれるということになった。
「松山村庄助、村役人一同付き添いおるか?」
「ははあ、一同付き添いましてございます」
「庄助、面《おもて》をあげ」
「はい」
「そのほうは何歳になる?」
「四十二歳でごぜえます」
「うん、そのほうはよく親に孝行をいたすそうであるな」
「いえ、ふた親はとうに死んでしめえやした」
「いや聞けば、そのほうは、ふた親がこの世を去ってより十八年の間、親の墓詣りを欠かしたことがないそうではないか、その孝心、ほめおくぞ」
「いや、殿さまからほめられるなんて、とんでもごぜえません。とっつぁまとかかさまがこの世におりました時分には、親孝行をしたくも貧乏でおもうようになんねえ、うめえものを買って食わせべえとおもっても銭はなし、ええ着物を買って着せべえとおもってもそれも出来ねえ、親孝行をすることが出来ねえでがした」
「いやいや、その一言《いちごん》のうちに親孝行の心はじゅうぶんに籠っておる。しかし、そのほうのような心では、定めて孝行がしたらんとおもうであろうが、そのしたらんとおもう心が、孝行である。感心なやつじゃ、褒美をとらせるぞ」
「いやあとんでもねえ、おらあ殿さまからご褒美なんぞもらわねえでございます。よそのとっつぁまやかかさまを大事にしたのならご褒美ももらうだけど、おらのとっつぁまかかさま、おらが大事にした、こりゃあたりめえのこんでごぜえます。もらえねえでごぜえます」
「いや、そのほうの心底《しんてい》ではそうおもうであろう。褒美はなんでもそのほうの望みのものをとらせるであろう。人としての望みのないものはない、なにかそのほうの望みのものがあろう」
「いえ、なんにも望みなんてものはありませんだ」
「なにかあるであろう。田地が欲しいか、屋敷でも欲しいか、金子《きんす》か……なんなりともそのほうの望み通りのものを遣《つか》わすから、遠慮なく申すがよい」
「へえ、ありがとうごぜえますが、田地田畑はとっつぁまからもらいましただけで手いっぱいでごぜえます。これ以上ふえましたら一人で手におえねえ、小作人おかねばなんねえ、屋敷なんぞはおらあ、一日じゅう野良へ出ておりますので、雨露しのぐいまの家で結構でごぜえますだ……それから、金もよけいにありますと、働く気がなくなりますので、身のためになりませんので、お断りするでごぜえます」
「うん、感心な心がけじゃ、それにしてもなにかひとつぐらい望みはあるであろう」
「へえ、そらあ、おらあでも望みはあるでがす……望みあるだけど、それは願い申したところでだめでがす」
「いや、だめとはどういうわけじゃ、いかなる無理難題でも上の威光をもって叶《かな》えてつかわす。なんなりと望め」
「へえ、そんだば申し上げますが、おらあ死んだとっつぁまに、夢でもええから、いっぺん顔が見てえとおもっておりますだあ。無理なこんだけども、殿さまのご威光で、死んだとっつぁまに、一目会わしてくんろ」
これは無理な願いにはちがいありませんが、いまさらそれはならんと言うわけにはいきません。
「これ、名主、権右衛門」
「はい」
「庄助の父、庄左衛門は、何歳でこの世を去ったのじゃ?」
「はい、なんでもはあ四十五歳とおぼえております」
「して、庄助は、父親に似ておるか?」
「はい、村人は生き写しだと申しております」
「うむ」
領主が目配せをすると、そのころ、諸国の領主は八咫御鏡《やたのみかがみ》の写しを京の禁裡より預かり、唐櫃《とうびつ》に納めてあった。それを庄助の前へ持ち出して……。
「こりゃ、庄助、その唐櫃の蓋《ふた》を取ってみよ」
庄助が唐櫃の蓋を取りなかをのぞいて見ると、それへ自分の顔が映りましたから、
「あっ、あれまあ、とっつぁまでねえか。おめえさま、こんなところにござらしゃったか。おらでがすよ。庄助でがす。まあ、とっつぁま、そんなに泣かねえでもええだ。泣くでねえってば……とっつぁまがあまり泣くだから、おらも涙が止まんねえで困るでねえか……まあ、とっつぁま、達者でなによりだあ、それにちょっと若くなっただな……久しぶりで会ったで、こらあこんなうれしいことはねえ、とっつぁま、泣かねえでもええだよ。おらあ殿さまにお願え申して、おめえさまをもらって帰るだから、安心しゃっせえ……ええ、殿さまへお願えがごぜえます」
「なんじゃ」
「このとっつぁまをおらにくだせえまし」
「いや、それは遣わすわけにはまいらん」
「これこれ控えろ、庄助、これは御家の重宝、こやつにお遣わしの儀は堅くおとどまりくださいますように……」
殿さまはしばらく考えていたが、
「いや、苦しゅうない。聖教の教えにも唯、善をもって宝とす、とある。孝行に越す宝はないはず……これ、庄助、その品は、当家の重宝であるが、そのほうの孝心に愛《め》でて遣わす。かならず余人に見せてはならぬ、たとえ名主村役人、妻子兄弟たりとも見せることはあいならぬ。よいか」
殿さまはみずから筆をとって、「子は親に似たるものぞと亡き人の恋しきときは鏡をぞ見よ」という歌をつけ、この鏡を庄助に遣わした。
「なんせはあ、ありがてえこんで……さあ、とっつぁま、おまえさまを殿さまからもらっただから、うちへ一緒に帰るだ……あれ、とっつぁまよろこんで笑ってござらっしゃるだ、うれしかんべえ、おらだってうれしいだあ……殿さま、ありがとうごぜえます。じゃいただいて帰りやす」
「これこれ、庄助、ただいま申した通り、かならず人に見せることあいならんぞ、そち一人にて大切に秘めおくようにいたせ、わかったか」
「はい、どんなことがあったっておらのとっつぁまでがす、大切にして他人《ひと》には見せねえでがす。ありがとうごぜえます。……はい、さいなら……」
庄助は、この鏡を背負って自分の家へ帰ったが、妻子にも見せるなと言われているから、裏の納屋にある古|葛籠《つづら》のなかに、この鏡をしまって、朝夕、
「とっつぁま、行ってめえります」
「ただいま帰りました」
と、挨拶をしている。これを女房が不審におもって、
「どうもこのごろ、亭主の様子がおかしい、納屋になにか隠しているんじゃあんめえか」
と、ある日、庄助の留守に裏の納屋へいって古葛籠の蓋を取るとなかに女の顔が見えたのでおどろいた。
「あれッ、たまげたなあ。やあ、これだっ、どうりでおらに隠してるとおもったら、こげな女子《あまつこ》を隠しとくだね……われどこの者だっ、よくもまあ、うちのとっつぁまを欺《だま》くらかして、こんなところに隠れていやがったなっ、てめえの面をみろ、そんなろくでもねえ面しやがって、畜生っ……きまり悪いもんだから泣いてやがんな、お、おらのほうが泣きてえくれえだ、ずうずうしい女子《あまつこ》だ、おらがを出そったってそうはいかねえぞ。とっつぁんが帰ってきたら、てめえひきずり出してぶっ叩くだから、そうおもえっ、よくもこんなところへ隠れていやがったな……」
と、女房が腹を立てているところへ庄助が帰って来た。
「これ、いま帰っただ。どうした? わりゃ泣いてるな」
「なに言ってるだ。隠しごとされたり、だれだっておもしろくねえべ」
「隠しごと? あれっ、おめえ裏の納屋へ行ったな。あれほど裏の納屋へ行ってはなんねえって言ってるのに……もしや、おめえ、おらがの大切なもの開けて見たでねえか?」
「はあ、見ただよ、見たがどうしたえ。おめえさま、あの葛籠《つづら》のなかの女子《あまつこ》はどっからひっぱってきただ?」
「葛籠のなかの女子《あまつこ》? ばかこくでねえ。おらがとっつぁまでねえか」
「そんな嘘ついたってだめだ。さあ、あの女子《あまつこ》をどこから連れて来ただ。さあ、言わねえかっ」
「女子《あまつこ》でねえ、とっつぁまだって言うに……これ、この野郎、おらの胸ぐらとってどうするだ。これっ、放せっ、放せちゅうに……これ、放さねえと、こうしてくれるぞっ」
「あれっ、おめえ、おらをぶっただね。内緒で女子《あまつこ》をひっぱりこんでおきながら、おらをぶつたあ、なんてえ人だ。あんなろくでもねえ面した女子《あまつこ》を隠しておきやがって、とっつぁまだなんて、よくもそんなとぼけたことが言えたもんだ。さあ、ぶつならぶたっせえ」
と、ふだん仲のいい夫婦が、とっ組み合いの大喧嘩になった。
そこへ通りかかったのが、隣村に住む尼寺の尼さんで……、
「まあまあ、待ちなさい。ふたりともどうしたもんで……これ、待ちなさいと言うに、これこれ、いい年齢《とし》をしてなんで喧嘩などしなさる? え? なに? 泣いてたってわからない……話をしてみなさい……え? 庄助さんが、女子《あまつこ》を納屋の葛籠のなかに? ほんとうか? ふん、ふん、そうか、そりゃ、庄助さん、おめえがよくねえぞ」
「とんでもねえ。いつおらが女子《あまつこ》を隠した? あれはとっつぁまでがす。というのは、じつは、こねえだ、殿さまにおらが呼ばれただ。なんだとおもって行くと、よく孝行をした。褒美になんでも望むものをくれると言うから、死んだとっつぁまに逢わしてくれっと言っただ。すると、殿さまがあのとっつぁまの入ってる箱をくださって、これはだれにも見せてはなんねと、堅く言われたで、おらあ内緒にしていただ」
「なに、あんなとっつぁまがあるもんか、ろくでもねえ女子《あまつこ》だ」
「まだそんなことを言うか。とっつぁまだってえのに……」
「女子《あまつこ》だ」
「まあまあ、そうお互いに喧嘩しててもきりがねえ。とっつぁまか、女子《あまつこ》か、わたしがとにかく見てやるべえ、もしも女子《あまつこ》やったら、おらがとっくりと話をして、始末をつけてやるべえ。よしよし……この葛籠か? 開けてよく見てやるべえ。よいしょと……」
と、葛籠の蓋を払い、錦の布《き》れを除いて、ヒョイと見ると、坊主頭が映ってるので、
「ふふふ、ふたりとも喧嘩はやめたほうがええよ。なかの女は面目ないとおもったか、坊主になって詫びている」
「松山村庄助、村役人一同付き添いおるか?」
「ははあ、一同付き添いましてございます」
「庄助、面《おもて》をあげ」
「はい」
「そのほうは何歳になる?」
「四十二歳でごぜえます」
「うん、そのほうはよく親に孝行をいたすそうであるな」
「いえ、ふた親はとうに死んでしめえやした」
「いや聞けば、そのほうは、ふた親がこの世を去ってより十八年の間、親の墓詣りを欠かしたことがないそうではないか、その孝心、ほめおくぞ」
「いや、殿さまからほめられるなんて、とんでもごぜえません。とっつぁまとかかさまがこの世におりました時分には、親孝行をしたくも貧乏でおもうようになんねえ、うめえものを買って食わせべえとおもっても銭はなし、ええ着物を買って着せべえとおもってもそれも出来ねえ、親孝行をすることが出来ねえでがした」
「いやいや、その一言《いちごん》のうちに親孝行の心はじゅうぶんに籠っておる。しかし、そのほうのような心では、定めて孝行がしたらんとおもうであろうが、そのしたらんとおもう心が、孝行である。感心なやつじゃ、褒美をとらせるぞ」
「いやあとんでもねえ、おらあ殿さまからご褒美なんぞもらわねえでございます。よそのとっつぁまやかかさまを大事にしたのならご褒美ももらうだけど、おらのとっつぁまかかさま、おらが大事にした、こりゃあたりめえのこんでごぜえます。もらえねえでごぜえます」
「いや、そのほうの心底《しんてい》ではそうおもうであろう。褒美はなんでもそのほうの望みのものをとらせるであろう。人としての望みのないものはない、なにかそのほうの望みのものがあろう」
「いえ、なんにも望みなんてものはありませんだ」
「なにかあるであろう。田地が欲しいか、屋敷でも欲しいか、金子《きんす》か……なんなりともそのほうの望み通りのものを遣《つか》わすから、遠慮なく申すがよい」
「へえ、ありがとうごぜえますが、田地田畑はとっつぁまからもらいましただけで手いっぱいでごぜえます。これ以上ふえましたら一人で手におえねえ、小作人おかねばなんねえ、屋敷なんぞはおらあ、一日じゅう野良へ出ておりますので、雨露しのぐいまの家で結構でごぜえますだ……それから、金もよけいにありますと、働く気がなくなりますので、身のためになりませんので、お断りするでごぜえます」
「うん、感心な心がけじゃ、それにしてもなにかひとつぐらい望みはあるであろう」
「へえ、そらあ、おらあでも望みはあるでがす……望みあるだけど、それは願い申したところでだめでがす」
「いや、だめとはどういうわけじゃ、いかなる無理難題でも上の威光をもって叶《かな》えてつかわす。なんなりと望め」
「へえ、そんだば申し上げますが、おらあ死んだとっつぁまに、夢でもええから、いっぺん顔が見てえとおもっておりますだあ。無理なこんだけども、殿さまのご威光で、死んだとっつぁまに、一目会わしてくんろ」
これは無理な願いにはちがいありませんが、いまさらそれはならんと言うわけにはいきません。
「これ、名主、権右衛門」
「はい」
「庄助の父、庄左衛門は、何歳でこの世を去ったのじゃ?」
「はい、なんでもはあ四十五歳とおぼえております」
「して、庄助は、父親に似ておるか?」
「はい、村人は生き写しだと申しております」
「うむ」
領主が目配せをすると、そのころ、諸国の領主は八咫御鏡《やたのみかがみ》の写しを京の禁裡より預かり、唐櫃《とうびつ》に納めてあった。それを庄助の前へ持ち出して……。
「こりゃ、庄助、その唐櫃の蓋《ふた》を取ってみよ」
庄助が唐櫃の蓋を取りなかをのぞいて見ると、それへ自分の顔が映りましたから、
「あっ、あれまあ、とっつぁまでねえか。おめえさま、こんなところにござらしゃったか。おらでがすよ。庄助でがす。まあ、とっつぁま、そんなに泣かねえでもええだ。泣くでねえってば……とっつぁまがあまり泣くだから、おらも涙が止まんねえで困るでねえか……まあ、とっつぁま、達者でなによりだあ、それにちょっと若くなっただな……久しぶりで会ったで、こらあこんなうれしいことはねえ、とっつぁま、泣かねえでもええだよ。おらあ殿さまにお願え申して、おめえさまをもらって帰るだから、安心しゃっせえ……ええ、殿さまへお願えがごぜえます」
「なんじゃ」
「このとっつぁまをおらにくだせえまし」
「いや、それは遣わすわけにはまいらん」
「これこれ控えろ、庄助、これは御家の重宝、こやつにお遣わしの儀は堅くおとどまりくださいますように……」
殿さまはしばらく考えていたが、
「いや、苦しゅうない。聖教の教えにも唯、善をもって宝とす、とある。孝行に越す宝はないはず……これ、庄助、その品は、当家の重宝であるが、そのほうの孝心に愛《め》でて遣わす。かならず余人に見せてはならぬ、たとえ名主村役人、妻子兄弟たりとも見せることはあいならぬ。よいか」
殿さまはみずから筆をとって、「子は親に似たるものぞと亡き人の恋しきときは鏡をぞ見よ」という歌をつけ、この鏡を庄助に遣わした。
「なんせはあ、ありがてえこんで……さあ、とっつぁま、おまえさまを殿さまからもらっただから、うちへ一緒に帰るだ……あれ、とっつぁまよろこんで笑ってござらっしゃるだ、うれしかんべえ、おらだってうれしいだあ……殿さま、ありがとうごぜえます。じゃいただいて帰りやす」
「これこれ、庄助、ただいま申した通り、かならず人に見せることあいならんぞ、そち一人にて大切に秘めおくようにいたせ、わかったか」
「はい、どんなことがあったっておらのとっつぁまでがす、大切にして他人《ひと》には見せねえでがす。ありがとうごぜえます。……はい、さいなら……」
庄助は、この鏡を背負って自分の家へ帰ったが、妻子にも見せるなと言われているから、裏の納屋にある古|葛籠《つづら》のなかに、この鏡をしまって、朝夕、
「とっつぁま、行ってめえります」
「ただいま帰りました」
と、挨拶をしている。これを女房が不審におもって、
「どうもこのごろ、亭主の様子がおかしい、納屋になにか隠しているんじゃあんめえか」
と、ある日、庄助の留守に裏の納屋へいって古葛籠の蓋を取るとなかに女の顔が見えたのでおどろいた。
「あれッ、たまげたなあ。やあ、これだっ、どうりでおらに隠してるとおもったら、こげな女子《あまつこ》を隠しとくだね……われどこの者だっ、よくもまあ、うちのとっつぁまを欺《だま》くらかして、こんなところに隠れていやがったなっ、てめえの面をみろ、そんなろくでもねえ面しやがって、畜生っ……きまり悪いもんだから泣いてやがんな、お、おらのほうが泣きてえくれえだ、ずうずうしい女子《あまつこ》だ、おらがを出そったってそうはいかねえぞ。とっつぁんが帰ってきたら、てめえひきずり出してぶっ叩くだから、そうおもえっ、よくもこんなところへ隠れていやがったな……」
と、女房が腹を立てているところへ庄助が帰って来た。
「これ、いま帰っただ。どうした? わりゃ泣いてるな」
「なに言ってるだ。隠しごとされたり、だれだっておもしろくねえべ」
「隠しごと? あれっ、おめえ裏の納屋へ行ったな。あれほど裏の納屋へ行ってはなんねえって言ってるのに……もしや、おめえ、おらがの大切なもの開けて見たでねえか?」
「はあ、見ただよ、見たがどうしたえ。おめえさま、あの葛籠《つづら》のなかの女子《あまつこ》はどっからひっぱってきただ?」
「葛籠のなかの女子《あまつこ》? ばかこくでねえ。おらがとっつぁまでねえか」
「そんな嘘ついたってだめだ。さあ、あの女子《あまつこ》をどこから連れて来ただ。さあ、言わねえかっ」
「女子《あまつこ》でねえ、とっつぁまだって言うに……これ、この野郎、おらの胸ぐらとってどうするだ。これっ、放せっ、放せちゅうに……これ、放さねえと、こうしてくれるぞっ」
「あれっ、おめえ、おらをぶっただね。内緒で女子《あまつこ》をひっぱりこんでおきながら、おらをぶつたあ、なんてえ人だ。あんなろくでもねえ面した女子《あまつこ》を隠しておきやがって、とっつぁまだなんて、よくもそんなとぼけたことが言えたもんだ。さあ、ぶつならぶたっせえ」
と、ふだん仲のいい夫婦が、とっ組み合いの大喧嘩になった。
そこへ通りかかったのが、隣村に住む尼寺の尼さんで……、
「まあまあ、待ちなさい。ふたりともどうしたもんで……これ、待ちなさいと言うに、これこれ、いい年齢《とし》をしてなんで喧嘩などしなさる? え? なに? 泣いてたってわからない……話をしてみなさい……え? 庄助さんが、女子《あまつこ》を納屋の葛籠のなかに? ほんとうか? ふん、ふん、そうか、そりゃ、庄助さん、おめえがよくねえぞ」
「とんでもねえ。いつおらが女子《あまつこ》を隠した? あれはとっつぁまでがす。というのは、じつは、こねえだ、殿さまにおらが呼ばれただ。なんだとおもって行くと、よく孝行をした。褒美になんでも望むものをくれると言うから、死んだとっつぁまに逢わしてくれっと言っただ。すると、殿さまがあのとっつぁまの入ってる箱をくださって、これはだれにも見せてはなんねと、堅く言われたで、おらあ内緒にしていただ」
「なに、あんなとっつぁまがあるもんか、ろくでもねえ女子《あまつこ》だ」
「まだそんなことを言うか。とっつぁまだってえのに……」
「女子《あまつこ》だ」
「まあまあ、そうお互いに喧嘩しててもきりがねえ。とっつぁまか、女子《あまつこ》か、わたしがとにかく見てやるべえ、もしも女子《あまつこ》やったら、おらがとっくりと話をして、始末をつけてやるべえ。よしよし……この葛籠か? 開けてよく見てやるべえ。よいしょと……」
と、葛籠の蓋を払い、錦の布《き》れを除いて、ヒョイと見ると、坊主頭が映ってるので、
「ふふふ、ふたりとも喧嘩はやめたほうがええよ。なかの女は面目ないとおもったか、坊主になって詫びている」