こんにゃく問答
むかしは、宗教問答ということがたいそう盛んに行なわれました。禅宗では禅問答といっていまでも行なわれているが、有名なのが天正元年に信長が安土の城中で行なった安土問答、日連上人が佐渡の塚原でやったのが塚原問答、紀州にあったのを山伏問答、品川の東海寺のが沢庵問答、青山にあるのが鈴木|主水《もんど》……これは問答(主水)がちがう……。
むかしの寄席で噺のあとで余興にお客さまから題をいただいて……一枚でもせんべい[#「せんべい」に傍点]とはこれいかに——一つをもってまんじゅう[#「まんじゅう」に傍点]というがごとし……なんてえことをいう。これは、駄洒落ですが……なかには、八っつぁん、熊さんという職人のあいだでも問答がたいへん流行《はや》ったことがあるそうで……でも、これは問答だか喧嘩だかわけがわからない……。
「おいおい、どこへ行くんだ、おい」
「え?」
「どこへ行くんだい?」
「湯へ行くんだい」
「湯へ行くのかい、おい、まあ少し待て」
「え?」
「おれはこのごろ、問答をやってるんだ。滅法うめえぞ。どうだ出来るか?」
「問答? なにを言ってやんで、問答ぐれえ出来ねえやつがあるか、いい若《わけ》えもんじゃねえか、持って来い」
「野郎、しからば一不審《いつぷしん》もて参ろうか」
「なにを言ってやんでえ畜生、高慢なことを言うな、なんでも持ってこい」
「われ、鉄眼《てつがん》の竜《りゆう》となって汝を取り巻くときは、これいかに? とくらあ、どうだおどろいたか、この土手かぼちゃ」
「土手かぼちゃ?……汝、鉄眼の竜となれば、炎《ほのお》となって汝を熔《と》かす、とくらあ。どうだおたんこなす[#「おたんこなす」に傍点]」
「うーん畜生、なかなかやりやがるんだな。汝、火となるときは、われ、水となってこれを消す、とどうだ」
「水となれば、土手となってこれを防ぐ」
「土手になれば、猪になってこれを崩す」
「猪なら、狩人になって、汝を撃つ」
「汝、狩人になれば、われ、庄屋となる」
狐《きつね》拳のような問答になったが、二人とも強情だから、おしまいにならない。
「汝、庄屋となるときは、代官となる」
「汝、代官となれば、われ奉行となる」
「奉行となれば、老中となる」
「将軍となる」
「将軍となれば、天子となる」
「太陽《てんとう》となる」
「高えもんになりやがったな、こん畜生……汝、太陽となれば、日蝕となって世界を暗くする」
「日蝕になれば……う…ン…こん畜生、えっへへへ変なものになりやがったな」
「どうだ」
「ん…畜生め、日蝕じゃあしょうがねえから、百万懸けの蝋燭《ろうそく》の灯りになって照らす」
「蝋燭になれば、風になってこれを消す」
「風になれば、壁となってこれを防ぐ」
「鼠となって食い破る」
「猫となって、汝をとる」
「おさんどんになって、猫をぶち殺す」
「おさんどんになれば、権助となって、汝を口説《くど》く」
上州の安中在に、禅宗の寺があって、和尚が亡くなって後を継ぐ者がいない。寺男の権助が留守居役、門前のこんにゃく屋六兵衛という男が後見役になっている。そこへ流れ込んできたのが、八五郎という男。道楽のあげく悪い病《やまい》を背負《しよ》いこんで、頭の毛が脱《ぬ》けてしまい、二本|杖《づえ》で往来を桂馬に歩くという始末、友だちが寄ってたかって奉加帳をこしらえ、路銀を集めてくれて、それで草津へでも湯治に行って根こそぎ癒《いや》してこいという、それならばというので江戸をたった……もともと道楽者ですから、湯治場へ行き着かないうちに、路銀を使い果たして、門に立ったのがこんにゃく屋の六兵衛の家。土地の顔利きで、世話好きの六兵衛は八五郎を気の毒におもい、家に置いて世話をしていたが、ある日のこと、
「ここの空寺だが、寺などというものは、まずいものを食って身体をまめ[#「まめ」に傍点]にしているから病気のためにはいいだろう。頭のまるいがもっけの幸い、とんだ宗俊じゃあないが、ひとつ和尚になってみねえか?」
「開いた口にぼた餅だ、そんならやってみよう」
ということで、八五郎、にわか和尚になりすました。最初のうちは神妙にしていたが、尻があたたまるとだんだんと地金を出して、もとよりお経が読めるわけでなく、戒名を書くこともできないので、毎日、朝っぱらから、褞袍《どてら》を羽織って大あぐらで茶碗酒をあおっている。
「やい、権助、権助っ」
「でけえ声だなまあ……何《あん》だな?」
「退屈だなあ……」
「退屈だんべえ」
「ちっとは葬いでもねえもんかなあ。寺で葬いがなかったひにゃあ、どうにもこうにもやりくりがつかねえじゃねえか。こんなことしてりゃあ、坊主の干物ができちまうぜ。おめえ、どっかへ村方でも歩いて葬いでも捜して来たらどうだ」
「なあに、捜しに行かなくっても近いうちに葬いが向こうからやってくるだ」
「へーえ、心当たりがあるか?」
「うむ、村はずれの松右衛門のとこのおしの婆さんがこのあいだから患っていて、もう長えことはあんめえてえことだ」
「そうか、そいつはありがてえ。いくらか小遣いになるだろう。前祝いに一杯やるか……酒の五合も取ってきて、泥鰌《どじよう》鍋かなにかでよ」
「しっ、だめだねえ和尚さま、酒だの泥鰌なんて……それは内緒でやるんだよ。檀家の衆でもござったら困るべえに、寺方には寺方の符牒があるってこねえだ教えたではねえか、符牒で言いなせえ」
「ああ、そうか。忘れちゃったな、酒はなんてんだっけな?」
「あれは般若湯《はんにやとう》だ」
「鮪《まぐろ》は?」
「赤豆腐だ」
「赤え豆腐、ふふん。うめえことつけやがったな、まだあったな?」
「そりゃいくらもあるだ。栄螺《さざえ》が拳骨《げんこつ》、鮑《あわび》が伏鉦《ふせがね》、卵が遠《とお》眼鏡《めがね》、御所車ともいうが……」
「御所車?」
「中に黄味(君)が入《へえ》っとるからよ」
「なるほど……それから、鰹《かつお》節はなんていったっけ?」
「あれは巻紙だ」
「ああ、削《か》(書)いていると減るから、巻紙か」
「それから泥鰌が踊り子、蛸《たこ》が天蓋《てんげえ》」
「そうそう、天蓋。こないだは、しくじった」
「そうさ、檀家の久兵衛どんがござるのに、あんたでけえ声して『権助っ、台所の天蓋を酢蛸にしろっ』って、わしが目で知らせたら『酢天蓋』ってえ……」
「あははは、こっちも面くらったよ。じゃあ、般若湯を五合に、踊り子鍋でやるか。権助、頼む」
これから本堂と庫裡《くり》のあいだで酒盛りをはじめると、門前で、
「頼もう、頼もう」
「やあ権助、気のせいだかもしれねえが、頼む頼むって声が聞こえるぞ。ことによったら、松右衛門とこの婆さんがくたばったかな。しめしめ、早く行ってみねえ」
「前祝いしたで、ありがてえまあ、穴掘り賃ももらえりゃ小遣いも入《へえ》るし、ええあんべえだ……ええ、おいでなせえまし……あんだ? あんた坊さまだね。寺へ坊さま来たってだみだ。共食いだ。何《なに》か用けえ?」
「愚僧は、越前の国永平寺学寮の沙弥《しやみ》、托善《たくぜん》と申す諸国行脚雲水の僧にござる。ただいまご門前を通行いたすに戒壇石《かいだんせき》に『不許葷酒入山門《くんしゆさんもんにいるをゆるさず》』とござりまする、まさしく同門の道と心得て推参つかまつってござる。大和尚ご在宅なれば一問答つかまつりたく、この儀よろしゅうお伝えを願いとうござる」
「そうかね、ちょっくら待っておくんなせえ……和尚、たいへんだ、たいへんだァ」
「どうした? 葬いが重なって来たのか?」
「ひゃっ、とんでもねえことになったぞ」
「なにが?」
「なにがって、一膳めしを食わせるか、諸国を般若の面をかぶって歩くって……」
「え、般若の面をかぶって? 飴《あめ》屋かい? おもしれえや、ははは、上げて踊らせろ」
「ばかなことを言わねえもんだ。飴屋でねえ、坊さまだ」
「なに?」
「坊さまが来ただよ」
「なんだ、坊主のとこへ坊主が来りゃあろくなことじゃねえや、花会かなにかするんだろう」
「そんなこんじゃねえ。なんでもはあ、おめえさまのところへ問答ぶちに来ただよ」
「なんだと、問答ぶつたあ?」
「あれっ、和尚さまで問答知んねえかね。しょうのねえ和尚さまだ。おらもよくわかんねえが、向こうでなにか言い出したら、おめえさまが返事ぶつだよ」
「おれがか?」
「で、返事がぶてりゃあ、おめえさまの勝だ。すると向こうじゃあやまって帰るだ。返事が出来ねえちゅうと、あんたが負けだ。鉄の棒で頭《どたま》ァぶっ殴《ぱ》りけえされて、傘一本でこの寺|追《お》ん出されるだ」
「ばか、そんな割の悪い話があるもんか、勝ってあたりまえで、負けたらおれが放り出されるのかい? 冗談言うない、かまわねえ、断われよ。いま、うちじゃ問答はやりませんから、ほかで聞いてくれ……」
「そりゃあだめだ、あの門の入り口さでけえ石が立っているだ、それ、問答いつでもぶつべっちゅう、看板みてえなもんだ」
「えっ、なんだってそんなことがあるなら早く言うがいいじゃねえか……あの石か? そう言やあ叩っこわしちゃったんだ、黙ってるから後手を食っちまったじゃねえか。しょうがねえな。じゃ衣《ころも》、貸しな、褞袍《どてら》で出て行きゃあ、かっぽれ屋が休んでるようだ。どけ、どけ……どうせ面ァ知らねえんだから、おれが行って断わっちまう……へえ、こんちは、おまえさん、なんだってね、般若の面をかぶって歩くんだってね?」
「愚僧は、越前の国永平寺学寮の沙弥、托善と申す諸国行脚雲水の僧にござるが……」
「さようですかい、せっかくおいでのところ、ただいま大和尚は留守で、またどうかこちらのほうへお出向きのついでにお立ち寄りを願いとう存じます」
「ご不在で……? ご不在とあるならば、当ご門前を借用いたして、お帰りまでお待ち受けをいたそう」
「どうしようてえの? ここで待っている? 冗談言っちゃあいけないよ。ずうずうしいことを言うねえ。大和尚は帰るったって、なにしろ遠くですからね。ことによると二、三日帰らねえかもしれませんよ」
「たとえ、三日が五日でもわれらの修行でござれば差し支えはござらぬ」
「それがね、五日ぐらいで帰ってくりゃいいが、ことによると十日ぐらい……用の都合で、十日が半月……半月がひと月」
「いや、この身の修行でござる。半月がひと月なりとも愚僧、宿場の旅籠に宿泊し、大和尚お帰りまで毎日お待ちいたす。しからばまた明日、ごめん」
「勝手にしやがれ、かんかん坊主っ……やいやい、やいやい権助、権助」
「どうなったね?」
「どうもこうもありゃあしねえや。おっそろしい執念|深《ぶけ》え者に見込まれちゃったよ。これから毎日毎日おうかがい申すてえんだ。あんな強情な坊主に毎日来られてたまるもんけえ。そのうちにこっちの化けの皮がばれちまわあ。どのみちこの寺を追《お》ん出されちまうんなら、こっちから追ん出ちまおう、夜逃げをするんだ」
「夜逃げするだら、おらあ郷里《くに》へ来たらよかんべえ。なあに、こうだな空寺ならおめえに世話してやんべえ」
「じゃあ、おれは和尚になれるかい、向こうで? そりゃありがてえや。じゃ向こうの寺へ坊主が来やがったら、またこっちへ逃げて来りゃいいや。寺のかけ持ちなんか洒落たもんだ。先立つものは路銀だ、かまうこたあねえや、道具屋の吉兵衛を呼んでこい、寺のものをバッタに売っちまえ」
本堂の銅羅《どら》、|鐃※[#「金+跋のつくり」、unicode9238]《にようばち》、阿弥陀さまをひっぱりだしてセリ市がはじまった……そこへ、こんにゃく屋の六兵衛がやってきた。
「なんだ、掃除か? おい、なにをしてんだ。吉兵衛さんじゃねえか……だめだだめだ。……おい、ふざけたことをしちゃあいけない。寺のものを売ってどうするんだっ、この野郎っ」
「あっ、親方……どうもすみません。いやあ、じつはね、相談に行こうとおもったんだが、急にねえ、問答の坊主てえのがとび込んできやがってさあ。あっしが負けりゃこの寺を追ん出されるってんだ。どうせ負けるにちげえねえし、それからいまいましいから、こっちから追ん出っちまおうかとおもったがね、なにしろ銭が百文《しやく》もねえんで……しょうがねえから寺のものを少したたき売って、権助と二人で逃げちまおうとおもって……」
「やいやい、そんなことをされてみろ。おめえを世話したおれがあとで村方の者に言いわけができねえじゃねえか。おれがこの寺を預かってるんだ。そんなことがあるんなら、いちおうおれに断わるがいいや……吉兵衛さん、売りゃしないよ、帰んな帰んな、質《たち》の悪い道具屋だ。……で、その坊主てえのはまた来るのか?」
「ええ、来るどころじゃあねえ。毎日、修行でござるってね」
「禅宗の坊さんじゃそのくらいのことは言うかもしれねえ。ま、ま、いい。あしたおれが問答の相手をしてやろう」
「親方、問答、知ってるかい?」
「知らねえや、おれはこんにゃく屋だ……なあに、問答なんてやったことも見たこともねえが、まあ、おれにまかしておけ」
あくる朝になると、六兵衛さん。
「ああ、すまねえ、すまねえ、ちょっと遅くなった……さあ、後手を食っちゃあなんにもならねえ。和尚の扮装《なり》をここへ持って来い、さあ、衣《ころも》を出しな……え? なんだい、こりゃひどいな、もっといいのはねえかい?」
「ねえんだよ。茶のほうがあったんだが、このあいだ、質において飲んじゃった」
「しょうがねえなどうも……袈裟《けさ》だ、あれ? なんだい、袈裟のここに象牙の輪がついてたろう?」
「あああ、象牙って白い輪っぱでしょ? あれは値がいいってから、このあいだ屑屋に売っちゃった」
「なんでも売っちまやがる……なんだ、このまっ黒けなのは?」
「なにもねえとかたちが悪いから、蚊帳《かや》の吊手をくっつけた」
「ひでえことをするな、帽子《もうす》を持ってこい」
「なに?」
「帽子《もうす》」
「なんだい?」
「頭へかぶる頭巾だよ」
「ああ、とんがり頭巾」
「これは帽子てんだ……おや? こりゃ焼けっ焦げだらけじゃあねえか」
「このあいだ、新田《しんでん》に小火《ぼや》があったんでね。そいつをかぶって火がかりをしたんだ」
「坊主が火がかりなんかしなくったっていいやな……あとは払子《ほつす》だ」
「なんだい? 払子てえのは」
「おめえ坊主のくせになんにも知らねえんだな。白い毛のついた棒だよ」
「ああ、だるまのはたき[#「はたき」に傍点]か」
「なんだだるまのはたき[#「はたき」に傍点]てえのは?……なにしてたんだ、厠《はばかり》、開けて……」
「これ厠のはたきに使ってた」
「ばかなことをするな……毛が抜けちまったじゃねえか。ひどいことをしやがる。商売道具はもっと丁寧に扱わなくっちゃあいけねえ……さあ、どうだ、和尚に見えるか?」
「ええ、こりゃあいい。和尚に見えるどころか、いい坊主っぷりだなあ。権助、ふだんてめえなんて言ってる、こんにゃく屋の親方は二三本|眉毛《まゆげ》のなかに長いのが出ていておかしいなんて言ってやがったが、こうなって見ると眉毛の長いのがすっかり和尚らしいぜ、鼻があぐらをかいて、目の下にほくろがあって、白い毛が二本とぐろ[#「とぐろ」に傍点]巻いているところなんざ、たいしたもんだ」
「そうか」
「でも親方、腹掛けがかかってるぜ、おかしいや」
「まあいいや、聞いたらそう言ってやれ、この和尚はもと職人だって……」
「そんな不精しちゃあいけねえよ」
「いいんだ……さて、と、これで問答の坊主が来たら、おれは本堂になにも言わずに黙って座ってるから、その野郎が『どういうわけで返事をしねえ』と聞いたら、『うちの大和尚はつんぼだからだめだ』とこう言え」
「うまいね、なるほど、それなら問答にはなるめえ」
「で、なんか書いて出したら、『眼はそこひで見えません』、なにもおっしゃいませんと言ったら『おしでございます』とこう言いな。わかったか。つんぼでそこひでおし、そう揃ってりゃ先方も閉口して帰っちまうだろう。それで野郎がまだぐずぐず言ってやがったら、おい権助、おめえな、大釜に煮え湯を沸かしといて、大きなひしゃくで野郎の頭から煮え湯ぶっかけろ。それを合図に角塔婆《かくとうば》かなんかで向う脛《ずね》ェかっぱらえ」
「うふっ、こいつはおもしれえやどうも。喧嘩とくりゃあこちとらあ馴れてるからね、じゃまごまごしやがったら、ぶち殺しちゃって、裏に埋めるところはいくらもあるから……」
「頼もう、頼もう」
「来た来た来た来たッ、親方ようござんすか」
「よし、おれは本堂にいるから、すぐ連れてこい、大丈夫だ」
「へえ、こんちは、おいでなさい」
「大和尚はお帰りになりましたか?」
「へえ、ゆうべ帰って参りました。おまえさんが問答に来たということを話したら、そりゃありがてえ。久しく問答をしねえんで、溜飲が起きるなんて言ってるんだ。また問答が滅法好きなんだ。きょうは朝っから支度をしておまえさんの来るのを本堂で待っているんだ」
「それはありがたい幸せで、さっそく、お取り次ぎを願います」
「へえへえ、どうぞ」
「して、当山大和尚のご法名はなんとおおせられますか?」
「ご法名? なんです?」
「大和尚のお名前は……」
「ああ、名前は六……いや、なに……ほら、高野山弘法大師……」
「これはまたおたわむれで、弘法大師は真言の祖師でござる、当山は禅宗なれば祖師は達磨でござろうに」
「そんなことはどうでもいいよ。なにしろ目の下にほくろがあって、白い毛が二本とぐろを巻いて出てるとこなんざあ、滅法ありがたいぜ、早く問答してみろ」
「しからばごめん」
……案内につれ、竜の髯《ひげ》を踏み分け踏み分け来てみれば、本堂は七間の吹きおろし、幅広の障子を左右に押し開く、寺は古いが曠々《こうこう》としたもので、高麗縁《こうらいべり》の薄畳は雨もりのために茶色と変じ、狩野法眼元信《かのうほうげんもとのぶ》の描きしかと怪しまるる格天井《ごうてんじよう》の一匹竜は、鼠の小便のため胡粉地《こふんじ》のみと相成り、欄間の天人蜘蛛の巣に綴《と》じられ、金泥の巻柱ははげわたり、幡天蓋《はたてんがい》は裂かれて見るかげもなく朝風のために翩翻《へんぽん》と翻《ひるがえ》り、正面には釈迦牟尼仏《しやかむにぶつ》、かたわらには曹洞禅師《そうとうぜんじ》、箔を剥《へ》がし煤《すす》をあび、一段前に法壇を設け、一人《いちにん》の老僧、頭《かしら》に帽子《もうす》をいただき、手には払子をたずさえ、まなこ半眼《はんがん》に閉じ、座禅観法寂寞《ざぜんかんぽうじやくまく》として控えしは、当山の大和尚とは、まっ赤な偽り……なんにも知らないこんにゃく屋の六兵衛さん——。
旅僧は答礼をして問答にかかる。
「愚僧は、越前の国永平寺学寮、沙弥、托善と申す諸国行脚雲水の僧にござる。修行のため、一問答願わしゅう存じます……えへん、一不審もてまいる。法華経五字の説法は八遍《はつぺん》に閉じ、松風の二道は松に声ありや松また風を生むや……この儀いかに」
なにを言われてもこんにゃく屋の六兵衛黙っている。
「しからば、有無《うむ》の二道は禅家悟道にして、いずれが是《ぜ》なるやいずれが非《ひ》なるや……お答えいかに」
「(独り言)なにを言ってやんで、ふん、つんぼにおしにそこひの三点ばりだ……」
「いま一不審もてまいる。法海《ほうかい》に魚あり、尾もなく頭《かしら》もなく中の支骨《しこつ》を断つ。この儀いかに、お答えッ…お答えッ……説破《せつぱ》……」
「(独り言)なにが喇叭《らつぱ》だ……煮え湯はいいか……まごまごしていると湯掻《ゆが》いちまうぞ」
六兵衛がなにを言っても黙っている。二言三言問いをかけても答えがない。旅僧は力負けがして、さてはこれは無言の行と心得、
「しからば、無言にて……」
と、旅僧は両方の人差し指と拇《おや》指で自分の胸のあたりにまるい輪をこしらえ、これをうんッとばかりに前へ突き出した。
と、六兵衛は、くわッと目を開き、両手で空に大きな輪を描いてみせた。
と、旅僧は、
「ははッ」
と、平伏して、こんど両手をぱっと開いて十本の指を前に突き出す。
六兵衛は、それに答えて、右手だけを開いて五本の指をぐっと突き出した。
「ははッ」
と、旅僧はまた平伏し、こんどは右手の三本指を立て、またぐっと突き出す。
と、六兵衛は、大きくあかんべえ[#「あかんべえ」に傍点]をして見せた。
「はァーッ」
と、旅僧はすっかり恐れ入って平伏し、逃げるようにしてそこを立ち去る……。
「おいおいおい……待った、坊主、なんだかわからねえ、なにをしてんだ。狐拳《きつねけん》みてえなことをして、どうなったんだ?」
「ははッ、恐れ入ってございます。当山の大和尚は博学多才、なかなかわれわれごとき者の、遠く及ばざるところでござる」
「ど、どうでもいいがよ。問答はどっちが勝ったんだ?」
「愚僧が負けました」
「えっ? おまえさんが負けた……」
「はい、大和尚に二言三言問いかけましたるところ、なんのお答えもなし、これは禅家|荒行《あらぎよう》のうちの無言の行中《ぎようちゆう》と心得、はじめ、『大和尚のご胸中は』……と、おたずねいたしましたるところ、『大海のごとし』とのお答え、まことに恐れ入りましたること。二度目に『十方《じつぽう》世界は』と聞けば、『五戒で保つ』との仰せ。及ばぬながらいま一問答と存じ『三尊の弥陀《みだ》は』と問えば、『目の下にあり』とのお答え。とうてい愚僧ごときの及ぶところでございません。いま両三年修行を成して参上いたします。ご前《ぜん》よろしくおとりなしを……ごめん候え」
「そうかい、ざまあみやがれ。むやみやたらに問答なんぞ持ち込みやがって、ずうずうしい野郎だ。なあ、この近所で坊主に会ったらそう言え、この寺にはえれえ大和尚がいるんだから、だれが来たって勝てやしねえと、よおくことづけてくれッ……、あっ、しっぽ巻いて逃げだしやがった。おっ、早く逃げな、まごまごしてると角塔婆で向う脛をかっぱらって頭から煮え湯をぶっかけるぜ、あっははは……」
旅僧がまっ青になって逃げて行く後姿を見送って八五郎と権助が本堂へ来てみると、こんにゃく屋の六兵衛は衣を脱いで、腹掛け一つになりまっ赤になって怒っている。
「どうした? いまの坊主、逃がしちゃあいけねえ、とんでもねえ野郎だッ」
「親方、親方……うまくいったな、問答に勝ったってえじゃねえか?」
「なに、問答に勝った?……なにを言ってやがんだ。あの野郎は永平寺の坊主なんかじゃあねえ。ここらうろついている乞食坊主だ。とっつかまえて、こらしめてやるッ……なに? 逃がした? ばか野郎っ。あの野郎、おれの前へ来やがって、いろいろぐずぐず言ってやがったが、そのうちにおれの顔をじっと穴のあくほど見てやがって、こんにゃく屋のおやじだってえことがわかったもんだから、てめえンところのこんにゃくは、これっぱかりだと小さなまる[#「まる」に傍点]をこしらえて、手でけち[#「けち」に傍点]をつけやがった。いまいましいじゃねえか。だからおれんところのは、こんなに大きいと手をひろげてやったんだ。すると、こんどは十丁でいくらだって値を聞いてやがる。五百文だって言ったら、しみったれな坊主よ。三百文に負けろてえから、あかんべえをしたんだ」
「ここの空寺だが、寺などというものは、まずいものを食って身体をまめ[#「まめ」に傍点]にしているから病気のためにはいいだろう。頭のまるいがもっけの幸い、とんだ宗俊じゃあないが、ひとつ和尚になってみねえか?」
「開いた口にぼた餅だ、そんならやってみよう」
ということで、八五郎、にわか和尚になりすました。最初のうちは神妙にしていたが、尻があたたまるとだんだんと地金を出して、もとよりお経が読めるわけでなく、戒名を書くこともできないので、毎日、朝っぱらから、褞袍《どてら》を羽織って大あぐらで茶碗酒をあおっている。
「やい、権助、権助っ」
「でけえ声だなまあ……何《あん》だな?」
「退屈だなあ……」
「退屈だんべえ」
「ちっとは葬いでもねえもんかなあ。寺で葬いがなかったひにゃあ、どうにもこうにもやりくりがつかねえじゃねえか。こんなことしてりゃあ、坊主の干物ができちまうぜ。おめえ、どっかへ村方でも歩いて葬いでも捜して来たらどうだ」
「なあに、捜しに行かなくっても近いうちに葬いが向こうからやってくるだ」
「へーえ、心当たりがあるか?」
「うむ、村はずれの松右衛門のとこのおしの婆さんがこのあいだから患っていて、もう長えことはあんめえてえことだ」
「そうか、そいつはありがてえ。いくらか小遣いになるだろう。前祝いに一杯やるか……酒の五合も取ってきて、泥鰌《どじよう》鍋かなにかでよ」
「しっ、だめだねえ和尚さま、酒だの泥鰌なんて……それは内緒でやるんだよ。檀家の衆でもござったら困るべえに、寺方には寺方の符牒があるってこねえだ教えたではねえか、符牒で言いなせえ」
「ああ、そうか。忘れちゃったな、酒はなんてんだっけな?」
「あれは般若湯《はんにやとう》だ」
「鮪《まぐろ》は?」
「赤豆腐だ」
「赤え豆腐、ふふん。うめえことつけやがったな、まだあったな?」
「そりゃいくらもあるだ。栄螺《さざえ》が拳骨《げんこつ》、鮑《あわび》が伏鉦《ふせがね》、卵が遠《とお》眼鏡《めがね》、御所車ともいうが……」
「御所車?」
「中に黄味(君)が入《へえ》っとるからよ」
「なるほど……それから、鰹《かつお》節はなんていったっけ?」
「あれは巻紙だ」
「ああ、削《か》(書)いていると減るから、巻紙か」
「それから泥鰌が踊り子、蛸《たこ》が天蓋《てんげえ》」
「そうそう、天蓋。こないだは、しくじった」
「そうさ、檀家の久兵衛どんがござるのに、あんたでけえ声して『権助っ、台所の天蓋を酢蛸にしろっ』って、わしが目で知らせたら『酢天蓋』ってえ……」
「あははは、こっちも面くらったよ。じゃあ、般若湯を五合に、踊り子鍋でやるか。権助、頼む」
これから本堂と庫裡《くり》のあいだで酒盛りをはじめると、門前で、
「頼もう、頼もう」
「やあ権助、気のせいだかもしれねえが、頼む頼むって声が聞こえるぞ。ことによったら、松右衛門とこの婆さんがくたばったかな。しめしめ、早く行ってみねえ」
「前祝いしたで、ありがてえまあ、穴掘り賃ももらえりゃ小遣いも入《へえ》るし、ええあんべえだ……ええ、おいでなせえまし……あんだ? あんた坊さまだね。寺へ坊さま来たってだみだ。共食いだ。何《なに》か用けえ?」
「愚僧は、越前の国永平寺学寮の沙弥《しやみ》、托善《たくぜん》と申す諸国行脚雲水の僧にござる。ただいまご門前を通行いたすに戒壇石《かいだんせき》に『不許葷酒入山門《くんしゆさんもんにいるをゆるさず》』とござりまする、まさしく同門の道と心得て推参つかまつってござる。大和尚ご在宅なれば一問答つかまつりたく、この儀よろしゅうお伝えを願いとうござる」
「そうかね、ちょっくら待っておくんなせえ……和尚、たいへんだ、たいへんだァ」
「どうした? 葬いが重なって来たのか?」
「ひゃっ、とんでもねえことになったぞ」
「なにが?」
「なにがって、一膳めしを食わせるか、諸国を般若の面をかぶって歩くって……」
「え、般若の面をかぶって? 飴《あめ》屋かい? おもしれえや、ははは、上げて踊らせろ」
「ばかなことを言わねえもんだ。飴屋でねえ、坊さまだ」
「なに?」
「坊さまが来ただよ」
「なんだ、坊主のとこへ坊主が来りゃあろくなことじゃねえや、花会かなにかするんだろう」
「そんなこんじゃねえ。なんでもはあ、おめえさまのところへ問答ぶちに来ただよ」
「なんだと、問答ぶつたあ?」
「あれっ、和尚さまで問答知んねえかね。しょうのねえ和尚さまだ。おらもよくわかんねえが、向こうでなにか言い出したら、おめえさまが返事ぶつだよ」
「おれがか?」
「で、返事がぶてりゃあ、おめえさまの勝だ。すると向こうじゃあやまって帰るだ。返事が出来ねえちゅうと、あんたが負けだ。鉄の棒で頭《どたま》ァぶっ殴《ぱ》りけえされて、傘一本でこの寺|追《お》ん出されるだ」
「ばか、そんな割の悪い話があるもんか、勝ってあたりまえで、負けたらおれが放り出されるのかい? 冗談言うない、かまわねえ、断われよ。いま、うちじゃ問答はやりませんから、ほかで聞いてくれ……」
「そりゃあだめだ、あの門の入り口さでけえ石が立っているだ、それ、問答いつでもぶつべっちゅう、看板みてえなもんだ」
「えっ、なんだってそんなことがあるなら早く言うがいいじゃねえか……あの石か? そう言やあ叩っこわしちゃったんだ、黙ってるから後手を食っちまったじゃねえか。しょうがねえな。じゃ衣《ころも》、貸しな、褞袍《どてら》で出て行きゃあ、かっぽれ屋が休んでるようだ。どけ、どけ……どうせ面ァ知らねえんだから、おれが行って断わっちまう……へえ、こんちは、おまえさん、なんだってね、般若の面をかぶって歩くんだってね?」
「愚僧は、越前の国永平寺学寮の沙弥、托善と申す諸国行脚雲水の僧にござるが……」
「さようですかい、せっかくおいでのところ、ただいま大和尚は留守で、またどうかこちらのほうへお出向きのついでにお立ち寄りを願いとう存じます」
「ご不在で……? ご不在とあるならば、当ご門前を借用いたして、お帰りまでお待ち受けをいたそう」
「どうしようてえの? ここで待っている? 冗談言っちゃあいけないよ。ずうずうしいことを言うねえ。大和尚は帰るったって、なにしろ遠くですからね。ことによると二、三日帰らねえかもしれませんよ」
「たとえ、三日が五日でもわれらの修行でござれば差し支えはござらぬ」
「それがね、五日ぐらいで帰ってくりゃいいが、ことによると十日ぐらい……用の都合で、十日が半月……半月がひと月」
「いや、この身の修行でござる。半月がひと月なりとも愚僧、宿場の旅籠に宿泊し、大和尚お帰りまで毎日お待ちいたす。しからばまた明日、ごめん」
「勝手にしやがれ、かんかん坊主っ……やいやい、やいやい権助、権助」
「どうなったね?」
「どうもこうもありゃあしねえや。おっそろしい執念|深《ぶけ》え者に見込まれちゃったよ。これから毎日毎日おうかがい申すてえんだ。あんな強情な坊主に毎日来られてたまるもんけえ。そのうちにこっちの化けの皮がばれちまわあ。どのみちこの寺を追《お》ん出されちまうんなら、こっちから追ん出ちまおう、夜逃げをするんだ」
「夜逃げするだら、おらあ郷里《くに》へ来たらよかんべえ。なあに、こうだな空寺ならおめえに世話してやんべえ」
「じゃあ、おれは和尚になれるかい、向こうで? そりゃありがてえや。じゃ向こうの寺へ坊主が来やがったら、またこっちへ逃げて来りゃいいや。寺のかけ持ちなんか洒落たもんだ。先立つものは路銀だ、かまうこたあねえや、道具屋の吉兵衛を呼んでこい、寺のものをバッタに売っちまえ」
本堂の銅羅《どら》、|鐃※[#「金+跋のつくり」、unicode9238]《にようばち》、阿弥陀さまをひっぱりだしてセリ市がはじまった……そこへ、こんにゃく屋の六兵衛がやってきた。
「なんだ、掃除か? おい、なにをしてんだ。吉兵衛さんじゃねえか……だめだだめだ。……おい、ふざけたことをしちゃあいけない。寺のものを売ってどうするんだっ、この野郎っ」
「あっ、親方……どうもすみません。いやあ、じつはね、相談に行こうとおもったんだが、急にねえ、問答の坊主てえのがとび込んできやがってさあ。あっしが負けりゃこの寺を追ん出されるってんだ。どうせ負けるにちげえねえし、それからいまいましいから、こっちから追ん出っちまおうかとおもったがね、なにしろ銭が百文《しやく》もねえんで……しょうがねえから寺のものを少したたき売って、権助と二人で逃げちまおうとおもって……」
「やいやい、そんなことをされてみろ。おめえを世話したおれがあとで村方の者に言いわけができねえじゃねえか。おれがこの寺を預かってるんだ。そんなことがあるんなら、いちおうおれに断わるがいいや……吉兵衛さん、売りゃしないよ、帰んな帰んな、質《たち》の悪い道具屋だ。……で、その坊主てえのはまた来るのか?」
「ええ、来るどころじゃあねえ。毎日、修行でござるってね」
「禅宗の坊さんじゃそのくらいのことは言うかもしれねえ。ま、ま、いい。あしたおれが問答の相手をしてやろう」
「親方、問答、知ってるかい?」
「知らねえや、おれはこんにゃく屋だ……なあに、問答なんてやったことも見たこともねえが、まあ、おれにまかしておけ」
あくる朝になると、六兵衛さん。
「ああ、すまねえ、すまねえ、ちょっと遅くなった……さあ、後手を食っちゃあなんにもならねえ。和尚の扮装《なり》をここへ持って来い、さあ、衣《ころも》を出しな……え? なんだい、こりゃひどいな、もっといいのはねえかい?」
「ねえんだよ。茶のほうがあったんだが、このあいだ、質において飲んじゃった」
「しょうがねえなどうも……袈裟《けさ》だ、あれ? なんだい、袈裟のここに象牙の輪がついてたろう?」
「あああ、象牙って白い輪っぱでしょ? あれは値がいいってから、このあいだ屑屋に売っちゃった」
「なんでも売っちまやがる……なんだ、このまっ黒けなのは?」
「なにもねえとかたちが悪いから、蚊帳《かや》の吊手をくっつけた」
「ひでえことをするな、帽子《もうす》を持ってこい」
「なに?」
「帽子《もうす》」
「なんだい?」
「頭へかぶる頭巾だよ」
「ああ、とんがり頭巾」
「これは帽子てんだ……おや? こりゃ焼けっ焦げだらけじゃあねえか」
「このあいだ、新田《しんでん》に小火《ぼや》があったんでね。そいつをかぶって火がかりをしたんだ」
「坊主が火がかりなんかしなくったっていいやな……あとは払子《ほつす》だ」
「なんだい? 払子てえのは」
「おめえ坊主のくせになんにも知らねえんだな。白い毛のついた棒だよ」
「ああ、だるまのはたき[#「はたき」に傍点]か」
「なんだだるまのはたき[#「はたき」に傍点]てえのは?……なにしてたんだ、厠《はばかり》、開けて……」
「これ厠のはたきに使ってた」
「ばかなことをするな……毛が抜けちまったじゃねえか。ひどいことをしやがる。商売道具はもっと丁寧に扱わなくっちゃあいけねえ……さあ、どうだ、和尚に見えるか?」
「ええ、こりゃあいい。和尚に見えるどころか、いい坊主っぷりだなあ。権助、ふだんてめえなんて言ってる、こんにゃく屋の親方は二三本|眉毛《まゆげ》のなかに長いのが出ていておかしいなんて言ってやがったが、こうなって見ると眉毛の長いのがすっかり和尚らしいぜ、鼻があぐらをかいて、目の下にほくろがあって、白い毛が二本とぐろ[#「とぐろ」に傍点]巻いているところなんざ、たいしたもんだ」
「そうか」
「でも親方、腹掛けがかかってるぜ、おかしいや」
「まあいいや、聞いたらそう言ってやれ、この和尚はもと職人だって……」
「そんな不精しちゃあいけねえよ」
「いいんだ……さて、と、これで問答の坊主が来たら、おれは本堂になにも言わずに黙って座ってるから、その野郎が『どういうわけで返事をしねえ』と聞いたら、『うちの大和尚はつんぼだからだめだ』とこう言え」
「うまいね、なるほど、それなら問答にはなるめえ」
「で、なんか書いて出したら、『眼はそこひで見えません』、なにもおっしゃいませんと言ったら『おしでございます』とこう言いな。わかったか。つんぼでそこひでおし、そう揃ってりゃ先方も閉口して帰っちまうだろう。それで野郎がまだぐずぐず言ってやがったら、おい権助、おめえな、大釜に煮え湯を沸かしといて、大きなひしゃくで野郎の頭から煮え湯ぶっかけろ。それを合図に角塔婆《かくとうば》かなんかで向う脛《ずね》ェかっぱらえ」
「うふっ、こいつはおもしれえやどうも。喧嘩とくりゃあこちとらあ馴れてるからね、じゃまごまごしやがったら、ぶち殺しちゃって、裏に埋めるところはいくらもあるから……」
「頼もう、頼もう」
「来た来た来た来たッ、親方ようござんすか」
「よし、おれは本堂にいるから、すぐ連れてこい、大丈夫だ」
「へえ、こんちは、おいでなさい」
「大和尚はお帰りになりましたか?」
「へえ、ゆうべ帰って参りました。おまえさんが問答に来たということを話したら、そりゃありがてえ。久しく問答をしねえんで、溜飲が起きるなんて言ってるんだ。また問答が滅法好きなんだ。きょうは朝っから支度をしておまえさんの来るのを本堂で待っているんだ」
「それはありがたい幸せで、さっそく、お取り次ぎを願います」
「へえへえ、どうぞ」
「して、当山大和尚のご法名はなんとおおせられますか?」
「ご法名? なんです?」
「大和尚のお名前は……」
「ああ、名前は六……いや、なに……ほら、高野山弘法大師……」
「これはまたおたわむれで、弘法大師は真言の祖師でござる、当山は禅宗なれば祖師は達磨でござろうに」
「そんなことはどうでもいいよ。なにしろ目の下にほくろがあって、白い毛が二本とぐろを巻いて出てるとこなんざあ、滅法ありがたいぜ、早く問答してみろ」
「しからばごめん」
……案内につれ、竜の髯《ひげ》を踏み分け踏み分け来てみれば、本堂は七間の吹きおろし、幅広の障子を左右に押し開く、寺は古いが曠々《こうこう》としたもので、高麗縁《こうらいべり》の薄畳は雨もりのために茶色と変じ、狩野法眼元信《かのうほうげんもとのぶ》の描きしかと怪しまるる格天井《ごうてんじよう》の一匹竜は、鼠の小便のため胡粉地《こふんじ》のみと相成り、欄間の天人蜘蛛の巣に綴《と》じられ、金泥の巻柱ははげわたり、幡天蓋《はたてんがい》は裂かれて見るかげもなく朝風のために翩翻《へんぽん》と翻《ひるがえ》り、正面には釈迦牟尼仏《しやかむにぶつ》、かたわらには曹洞禅師《そうとうぜんじ》、箔を剥《へ》がし煤《すす》をあび、一段前に法壇を設け、一人《いちにん》の老僧、頭《かしら》に帽子《もうす》をいただき、手には払子をたずさえ、まなこ半眼《はんがん》に閉じ、座禅観法寂寞《ざぜんかんぽうじやくまく》として控えしは、当山の大和尚とは、まっ赤な偽り……なんにも知らないこんにゃく屋の六兵衛さん——。
旅僧は答礼をして問答にかかる。
「愚僧は、越前の国永平寺学寮、沙弥、托善と申す諸国行脚雲水の僧にござる。修行のため、一問答願わしゅう存じます……えへん、一不審もてまいる。法華経五字の説法は八遍《はつぺん》に閉じ、松風の二道は松に声ありや松また風を生むや……この儀いかに」
なにを言われてもこんにゃく屋の六兵衛黙っている。
「しからば、有無《うむ》の二道は禅家悟道にして、いずれが是《ぜ》なるやいずれが非《ひ》なるや……お答えいかに」
「(独り言)なにを言ってやんで、ふん、つんぼにおしにそこひの三点ばりだ……」
「いま一不審もてまいる。法海《ほうかい》に魚あり、尾もなく頭《かしら》もなく中の支骨《しこつ》を断つ。この儀いかに、お答えッ…お答えッ……説破《せつぱ》……」
「(独り言)なにが喇叭《らつぱ》だ……煮え湯はいいか……まごまごしていると湯掻《ゆが》いちまうぞ」
六兵衛がなにを言っても黙っている。二言三言問いをかけても答えがない。旅僧は力負けがして、さてはこれは無言の行と心得、
「しからば、無言にて……」
と、旅僧は両方の人差し指と拇《おや》指で自分の胸のあたりにまるい輪をこしらえ、これをうんッとばかりに前へ突き出した。
と、六兵衛は、くわッと目を開き、両手で空に大きな輪を描いてみせた。
と、旅僧は、
「ははッ」
と、平伏して、こんど両手をぱっと開いて十本の指を前に突き出す。
六兵衛は、それに答えて、右手だけを開いて五本の指をぐっと突き出した。
「ははッ」
と、旅僧はまた平伏し、こんどは右手の三本指を立て、またぐっと突き出す。
と、六兵衛は、大きくあかんべえ[#「あかんべえ」に傍点]をして見せた。
「はァーッ」
と、旅僧はすっかり恐れ入って平伏し、逃げるようにしてそこを立ち去る……。
「おいおいおい……待った、坊主、なんだかわからねえ、なにをしてんだ。狐拳《きつねけん》みてえなことをして、どうなったんだ?」
「ははッ、恐れ入ってございます。当山の大和尚は博学多才、なかなかわれわれごとき者の、遠く及ばざるところでござる」
「ど、どうでもいいがよ。問答はどっちが勝ったんだ?」
「愚僧が負けました」
「えっ? おまえさんが負けた……」
「はい、大和尚に二言三言問いかけましたるところ、なんのお答えもなし、これは禅家|荒行《あらぎよう》のうちの無言の行中《ぎようちゆう》と心得、はじめ、『大和尚のご胸中は』……と、おたずねいたしましたるところ、『大海のごとし』とのお答え、まことに恐れ入りましたること。二度目に『十方《じつぽう》世界は』と聞けば、『五戒で保つ』との仰せ。及ばぬながらいま一問答と存じ『三尊の弥陀《みだ》は』と問えば、『目の下にあり』とのお答え。とうてい愚僧ごときの及ぶところでございません。いま両三年修行を成して参上いたします。ご前《ぜん》よろしくおとりなしを……ごめん候え」
「そうかい、ざまあみやがれ。むやみやたらに問答なんぞ持ち込みやがって、ずうずうしい野郎だ。なあ、この近所で坊主に会ったらそう言え、この寺にはえれえ大和尚がいるんだから、だれが来たって勝てやしねえと、よおくことづけてくれッ……、あっ、しっぽ巻いて逃げだしやがった。おっ、早く逃げな、まごまごしてると角塔婆で向う脛をかっぱらって頭から煮え湯をぶっかけるぜ、あっははは……」
旅僧がまっ青になって逃げて行く後姿を見送って八五郎と権助が本堂へ来てみると、こんにゃく屋の六兵衛は衣を脱いで、腹掛け一つになりまっ赤になって怒っている。
「どうした? いまの坊主、逃がしちゃあいけねえ、とんでもねえ野郎だッ」
「親方、親方……うまくいったな、問答に勝ったってえじゃねえか?」
「なに、問答に勝った?……なにを言ってやがんだ。あの野郎は永平寺の坊主なんかじゃあねえ。ここらうろついている乞食坊主だ。とっつかまえて、こらしめてやるッ……なに? 逃がした? ばか野郎っ。あの野郎、おれの前へ来やがって、いろいろぐずぐず言ってやがったが、そのうちにおれの顔をじっと穴のあくほど見てやがって、こんにゃく屋のおやじだってえことがわかったもんだから、てめえンところのこんにゃくは、これっぱかりだと小さなまる[#「まる」に傍点]をこしらえて、手でけち[#「けち」に傍点]をつけやがった。いまいましいじゃねえか。だからおれんところのは、こんなに大きいと手をひろげてやったんだ。すると、こんどは十丁でいくらだって値を聞いてやがる。五百文だって言ったら、しみったれな坊主よ。三百文に負けろてえから、あかんべえをしたんだ」