狸賽《たぬさい》
あるとき、人家のあるところへ子狸が一匹迷い出てきた。それをいたずらな子供たちが見つけ、寄ってたかって棒でたたいたり、足で蹴ったりしているところへ通りかかった男が、かわいそうにと、子供たちに小遣いをやって、ひん死の子狸を助けてやった。生きものの命を助けるというのは、まことに功徳のあるもので……。この男が用達《ようたし》をして、家へ帰り、一杯ひっかけて、煎餅《せんべい》布団へくるまり、ごろりと横になってひと寝入りしたころに、表の戸をたたくものがある。
「だれだい?」
「えー、狸でござい」
「だれだい? もう寝ちゃったんだ。あしたにしねえかい? だれなんだい?」
「……たぬゥ……す」
「なに? だれだ?」
「へえ……たぬ……です」
「民公か?」
「いいえ……たぬ……なんで」
「辰公か?」
「いえ……たぬ……で……」
「為か?」
「いいえ、たぬ……なんで」
「なんだかわからねえ。狸がもそもそ言ってるようでわからねえじゃねえか」
「その狸です」
「なんだ、狸だ? 狸なんぞに用はねえ」
「そちらになくても、こちらにあるんで……」
「狸なんぞに知り合いなんぞねえ」
「これから親類になります」
「ばかなことを言え。狸に親類になられてたまるものか……ははあ、そうか。だれか夜遊びかなんかしやがって、締め出しを食ったんで、泊めてくれってんだな。冗談じゃあねえや、せっかくいい心持ちに暖まったところじゃあねえか。おうおう待ちなよ、いま開《あ》けてやるから……さあさあ、お入りよ。あれっ、だれもいねえじゃねえか。おう、どこへ行ったんだい? どこかそこらへ隠れやがったな。つまらねえいたずらしてやがら、真夜中、ひとの家へ来やがって戸をたたいといて……開けさしたり閉めさしたりしやがって……」
「えッへっへっ、ちゃんと入ってます」
「なん、なん、なんでえ。竈《へつつい》のかげに、まっ黒いものが……なんだ」
「へえ、狸でござんす」
「狸だ? この野郎、気味の悪いやつだな。どっから入《へえ》ったんだ?」
「いま親方が開けたとたんに、股ぐらをくぐって入りました。たいそう褌《ふんどし》が汚れてますね」
「大きなお世話だ……狸がなんだってこんなところへとびこんで来やがったんだ」
「あの……なんでござんす。きょう、あの、藪寺のとこで、夕方子供にとっ捕まりまして、あぶなく殺されちゃうところを、親方に助けていただきました。あの子狸でござんす」
「ああ、そうか。あのときの狸か、おめえは……へーえ、狸だの泥鰌《どじよう》なんてのはみんなおなじような顔をしてやがるからなあ、わかりゃあしねえやな……そうかい、あれからどうした?」
「あれから穴へ帰りまして、両親に助けていただいたと話しましたら、両親ともたいへんよろこんで……もう、おやじなんぞは、じつに立派な方だってよろこんで腹たたいて感心してました」
「ふふふ、言うことが変わってやがら。膝ァたたいて感心するってえのはあるがな、狸のほうじゃあ腹をたたくのかい。へーえ、そんなに感心してたかい」
「ええ、人間にしておくのは惜しいって……恩人であるから、行って恩返しをしてこい。恩を知らないやつは、人間も同様だと言いました」
「ひでえことを言うな」
「恩返しのために、当分おそばへいて、ご用を足してこいと言いますからまいりました。どうぞ、ご遠慮なくお使いなすってください」
「いくら恩返しだって、狸なんぞをそばへ置いて使っていられるもんか。そうでなくとも、世間のやつが、おれのことを狸に似ているって言ってるんだ。てめえをそばへ置いてみろ、人間の籍をぬかれちまう、帰《けえ》れ、帰れ」
「いいえ、このまま帰ると、うちのおやじは昔気質の一刻者ですから『恩知らずめ、恩返しをしてこないやつなんぞ、穴にいれることはできねえ。勘当だ』と、叱られますから、どうかおそばへ一晩お置きになって……」
「困ったなあ。じゃあ、まあ、いいが、布団が一枚しきゃあねえ。そうかって、おめえといっしょに寝るのもいやだし……」
「いえ、布団は持っていますから、よろしゅうございます」
「感心だな。布団を持ってきたのか?」
「布団は持っておりませんが、睾丸《きんたま》をひろげてかぶって寝ます」
「ああ、なるほど、狸の睾丸八畳敷なんてって、たいそうでけえそうだな」
「へえ、ですが、わたしのはまだ、せいぜい四畳半……」
「あははは、そうかい。四畳半なんざオツなもんじゃあねえか」
「へえ、まだ一人前にならねえで、これが精一杯なんで。親方、お寒けりゃあ頭からこれを掛けてあげましょう」
「ばかを言うな。睾丸など掛けられてたまるもんか……まあ、そっちへ行って寝てろ」
「じゃあ、お先へおやすみなさい」
「おいおい、縁の下へなんぞ入《へえ》らねえでもいい。夜中に、人の来る気づけえはねえから大丈夫だ」
「そうでございましょうが、畳が敷いてありますから……」
「畳が敷いてあったって遠慮するな」
「べつに遠慮はしません。畳の上は冷えていけません」
「言うことが変わってやんな? 縁の下のほうがよけりゃ、勝手にそこで寝ろ」
「へえ、ありがとうございます……ぐー、ぐー……」
「おっ、早えな、もう寝ちまったのか? あれっ、目をあいたままいびきをかいてやがる」
「へえ、狸寝入りで……」
「なんだな、ふざけちゃあいけねえやな」
狸は睾丸、人間は四布《よの》布団の柏餅、まるくなって寝てしまった。
夜が明けると、
「親方、お起きなさい、親方、親方」
「うん、あーあー……これはどうもたいそうお早く、どちらの爺さんで……」
「へえ、昨晩うかがいました狸で……」
「おっ、びっくりさせるねえ。爺さんなんぞに化けやがって」
「いえ、びっくりさせるわけじゃございません。狸のままでもいられませんから、最初、女に化けてみましたが、お長屋のお釣り合いもあるし、だしぬけにおかみさんになってもおかしいとおもって、婆さんに化けましたが、どうもうまくゆきませんから、ちょいと爺さんに化けました。親方が見て人間に見えますか?」
「うーむ。だれが見たって人間に見える、うめえもんだ。けど、爺さんにしちゃあ、狸みてえにまるまるして、少し太《ふと》りすぎてやしねえか」
「じゃあ、少しやせます」
「そううまくいくのか?」
「へえ、ちょっとごらんなすって……」
「お、おう、やせた、やせた……おっとっと、そのくれえでよかろう。さっき、顔がお向こうの爺さんに似ていたが、少し変わってきたぜ」
「へえ、ときどき変わります」
「おいおい、いけねえな。ときどき変わったりしちゃあ。八公のところにゃあいろんな爺さんがいるなんて言われらあ」
「へえ、せいぜい気をつけます」
「やあ、いつの間にかばかにきれいになったな」
「ねえ親方、あなたは、ずいぶん無精だとみえて汚くしておきますね。うす暗い時分から起きて、すっかり掃除をしてしまったんで、いい心持ちになりました。それからまあ、顔を洗って、手をきよめて、ご飯を炊いて、お汁《つけ》をこしらえて、納豆と卵と漬物を買ってきました」
「おい、飯を炊いたと言うが、おれんところには米はなかったはずだぜ」
「ええ、一粒もありません」
「だいいち銭がねえや。どうやって買った?」
「へえ、長火鉢の抽出しをあけたら、はがきの古いのが入っていましたから、札《さつ》に見せて買ってきたんで……」
「ふーん、そうかい……あれっ、ここに銭がずいぶんあるじゃあねえか」
「へえ、お釣銭《つり》をもらってきましたから……」
「えっ、はがきの札で、釣銭まで取ってきたのか? こりゃうめえ話だな。どうだい、当分おれのうちにいてくれねえか。おれんところはごらんのとおり貧乏で、じつはな、うるさく催促にくる借金があるんだが、毎日きやがって困ってるところなんだ。どうだいひとつ、それをかた[#「かた」に傍点]をつけてくれねえか、後生だが……頼むよ」
「でも……もう日があたると人間を化《ば》かすことができません」
「しょうがねえな、どうにかならねえか?」
「じゃあ、わたしが札に化けますからそれをお使いなさい」
「おめえが札になれるのか?」
「ええ、札や銀貨には、ちょくちょく……小さいときによくやって、おやじに叱られました」
「なんで叱られた?」
「夜遅く、道端の灯りの下なんぞに、札や銀貨になってころがってるんで……通りかかった人が拾おうと手を出すと、爪でひっかいて逃げるんです。そりゃあ、おもしろくて……」
「悪いいたずらをするんだな」
「これは、ずっと小さいときのことで……」
「じゃあ、気の毒だが、一円札五枚に化けてくれ」
「一つの身体を五枚には分けられません。じゃあ、穴へ行って兄弟を連れて来ましょうか?」
「そんなにぞろぞろ引っぱってくることはない。五円札一枚ならいいだろう」
「へえ、大札ならどんな大札にでもなります」
「おれの見ているところで化けられるか?」
「ええ、わけはございません。では、手拍子を三つ打ってください」
「よし、いいか? ひい、ふう、みい……あれっ、どっかへ行っちまやがった……おや、大きな札になりゃあがったな、ばかっ、畳四畳敷もあらあ。こんな札があるもんか。もっと小さくなってくれ、五円札らしく……なに、さすってくれ? さすってどうするんだ、睾丸《きんたま》をみんなひろげちまった? ばかなことをするな、もっともっと……まだいけねえ、座布団ぐらいある。もっと小さく……おいおい、それじゃあんまり小さすぎらあ。切手ぐれえになっちまった。もうちょっと大きく……うんうん……いいだろう。ああ、うまくできあがった……なんだって札がのこのこ歩くんだ」
「向こうから来ないうちに、こっちから出かけようとおもって……」
「札が歩いていくやつがあるもんか。手にとっても大丈夫か?……おや、持ちあがらねえ。札が踏んばっちゃあいけねえ……うん、なるほどうまく化けたな……おいおい、こりゃあいけねえや。表はいいけれども、裏は毛だらけだ。毛の生えた札があるもんか。なに裏毛のほうがあったけえ? ばかなことを言うな。毛をひっこましてくれ。あれあれ、蚤《のみ》がはってるじゃあねえか。どうもあきれた札だ。札の蚤《のみ》をとるのははじめてだ。なに小便にいきてえ? なにを言うんだ、札が小便しちゃあいけねえじゃねえか、少しのあいだ我慢しろ……さあ、来た来た。縮《ちぢ》み屋が来たから、うまく懐中《ふところ》へ入ってくれ」
「へえ……ああ、たたんじゃあいけません。背骨が曲って苦しいから……」
「そうか。よしよし」
「へえ、ごめんくださいまし」
「ああ、縮《ちぢ》み屋さんか。どうもすまねえ。わずかばかりのことで、たびたび足を運ばして……」
「きょうはぜひともお願い申します」
「ああ、あげるよ。けさは、おまえさんが来るだろうってんで、泡食って四畳敷をこしらえて……いや、ちゃんと都合して待っていた。五円札だ。釣銭はいらねえ」
「へえ、どうもありがとう存じます」
「じゃあ、五円たしかにあげるよ。この札は、そーっとしまいな、たたんじゃいけねえ……背骨が曲がるから」
「え?」
「いえ、こっちのことで……そうやたらにひっくりけえしなさんな。かわいそうだから……なにもあやしいところはありゃあしめえ」
「へえ、たしかに頂戴いたしました」
「じゃあ、まあ、大事にな……道中、犬をそばへ寄せねえようにしてくれ。腹がへったら、なにか拾ってつまんどくがいい。懐中《ふところ》で小便をするなよ」
「え? 札が小便するもんじゃございません……では、おいとまいたします」
「へい、さようなら……と、しめしめ、縮《ちぢ》み屋のやつ、いくどもひっくりかえして見てやがった。しかし、あのまんま越後まで行ってしまやぁしねえかな? 考えれば五円ばかりの抵当《かた》に重宝な狸を持っていかれちゃあ合わねえな。狸もかわいそうだ。親に会うこともできねえ。しかし、札が狸になって懐中から飛び出したら、縮《ちぢ》み屋のやつ目をまわすだろうな、どうか途中でうまくぬけだしてくれればいいが……」
「親方、ただいま」
「おう、もう帰ってきたか、いま心配していたんだ。こんどは狸のままで帰ってきやがった。どうして?」
「へえ、もう、札はこりごりしました。親方が変なことを言ったもんですから、路地へ出ると懐中から出して、透《すか》してみたり、たたいてみたり、引っぱってみたり、ぐるぐる巻いてみたり、いろんなことをするんで目をまわしました。それでも我慢していると、しまいには、四つにたたんで、蟇口《がまぐち》へ押しこんだので、背骨が折れるかとおもいました」
「そいつはたいへんだったな。で、どうして逃げてきた?」
「あんまり苦しくってたまりませんから、蟇口の底を食い破ってようやく逃げ出してきました。中に五円札が三枚ございましたからついでにくわえて持ってきました」
「乱暴なことをするな、札が札を持ってくるやつがあるか。まあ無事で帰ってきたのはなによりだ。恩返しとは言いながら、おめえにもたいへんに骨を折らしちまったな」
「いえいえ、それほどのことはありません。あたしも、年は若いが、なかなか性《たち》がいいと、仲間からほめられております」
「あれっ、いばってやがる」
夕方になりますと、
「おい、八公、うちか?」
「あっ、だれか来た。あっちへ行ってろ、早く早く……おう、いま開けるからな……やあ、辰じゃあねえか、どうした?」
「おう、いたか、ちょうどいいや。大きな声じゃあ言われねえが、これから薪屋《まきや》の二階で……近所の若え連中が五、六人集まって、ちょいと手なぐさみをやろうてえんだ。それで、おめえもにぎやかしにとおもって迎えにきたんだよ」
「そうか。いまちょいと手がはなせねえんだが……あとからすぐ行くよ。じゃあ先へ行っててくんな」
「待ってるぜ」
「よろしく……そこをぴっしゃりと閉めてってくれ……おい、こっちへ出てこい。狸公《たぬこう》、狸公……」
「へえ」
「こんどはな、すまないが、おめえ、さい[#「さい」に傍点]に化けてくんねえか」
「おかみさんですか?」
「そうじゃねえ、賽《さい》ころよ」
「賽ころ? なんです?」
「知らねえのか? 弱ったなあ……知らなくちゃあ化けられねえなあ……あ、そうそう、正月になあ、双六《すごろく》をやるとき、四角い目の刻んだものを子供がころがして遊んでるだろう。あれ、見たことねえかなあ」
「それならあります」
「その賽ころに化けられねえか?」
「ええ、よろしゅうございます。あたしの先祖は茂林寺《もりんじ》の文福茶釜でございますから、化けるほうじゃあ自信があります」
「そうかい。そりゃありがてえ。これから薪屋の二階で、仲間が集まって、わるさするんだよ。いや、てえしたことじゃあねえ、ちょぼいち[#「ちょぼいち」に傍点]なんてってなあ、賽の粒をなあ、壺皿へ伏せて目をあてて、勝負をあらそうんだけどなあ」
「へえ、よろしゅうございます」
「じゃあ、頼むぜ。おっ、断わっておくが目をまちげえちゃあいけねえよ。いいか? 表と裏が七つの数に合わねえとおかしいんだ。一《ぴん》の裏が六だからなあ……ぴんてえのは、一《いち》のことだぜ。それから、二の裏が五《ぐ》だ。ぐは五つだよ。三の裏が四。そういうぐわいに、表と裏が七つにならねえとおかしなことになっちまうんだから……大丈夫か? そうかい。じゃあ、ひとつ賽ころに化けてみてくれ」
「手拍子を三つお願いします……」
「ああ、そうだったな。いいか? ひい、ふう、みい……あれっいなくなっちゃったじゃねえか。おい、どこだ? え? おれの膝の前? ああ、なるほど、こりゃあうめえもんだなあ……だけど、こりゃ少し大きいな。双六で遊ぶのとちがうんだからなあ。もっと小粒でなくっちゃいけねえ。え? いくらでも小さくなる? おほほう、なるほど小さくなってきやがった……おいおいっ、そうだしぬけに小さくなるなッ、そんな米粒みてえになっちまっちゃあ、畳の目へ入《へえ》っちゃうじゃねえか。もう少し大きく……おう、そうだ。そのぐれえだ。動くなもう……ふふふふ、なかなかどうしてたいしたもんだ……いいか、ちょっと目のかわりをみるからなあ。さあ、振ってみるよ……うめえなあ、ころがっているぐあいなんざ……ああ、最初の目が一《ぴん》か。おれは、この一《ぴん》が大好きなんだよ。いつ見てもいい心持ちだなあ。もう一度振るぜ……なんでえ、また一《ぴん》かあ。そう一《ぴん》ばかり出ちゃあいけねえ。たまには、ほかのものも出なくっちゃあいけねえな」
「一がいちばん出しいいんです」
「どうして?」
「逆立ちして尻の穴を見せるんで……」
「汚《きたね》えな、一《ぴん》は尻の穴かい?……じゃあ、二は目の玉か」
「あたりました」
「あははは……でも、こりゃおかしいぜ。二の目が縦に二つてえのはねえぜ。二でも三でも肩から斜《はす》になってなくちゃいけねえ……あ、そうだ。それでいい、それでいい」
「あははは……」
「笑うない、ばか、賽ころが笑ってどうするんだ……じゃあ、これからおめえの賽を向こうへ持ってって、おれんところへ胴がまわってきたら、向こうの賽とおめえの賽をすり替えちゃってな、それで勝負をするから、おれの言うとおりの目を出してくれりゃあいいんだ。なあ、おれが一《ぴん》だよって言ったら、おめえが壺皿の中で逆立ちして尻の穴を出して、二だよって言ったら二の目、三だあってったら三の目。おれの言うとおりの目を出して、おれはどんどんどんどん儲かっちゃうんだからなあ、いいな、わかったな、じゃあ、うまく頼むぜ」
「おう、遅くなってすまなかったな」
「よう、どうしたい? ずいぶん待ったぜ」
「うふふふ、みんな揃ってんな」
「ああ、こっちへ来いよ」
「どうしたんだ、いやに陰気じゃねえか」
「ああ、きょうは妙な日なんだ。だれが胴とっても、みんな胴つぶれがしちまうんだよ。おかげで胴のとり手がいなくなっちまったんで、このへんでやめちまおうかとおもって……」
「おいおい、そりゃあひでえじゃねえか。せっかくおれが来たってえのに、やめるこたあねえじゃねえか……胴つぶれ?……じゃあ、おれが、胴とろうか?」
「胴とろうかって……おめえ、懐中《ふところ》は大丈夫か?」
「ああ、きょうは、ふんだんに持ってんだから……」
「そうか。じゃあ、やってみろ」
「おっ、すまねえ。じゃあ、ちょいと遊ばしてもらうよ。おい、ちょいと待ってくんねえか。その胴のつぶれた賽ころてえなあ縁起が悪《わり》いやな。おれが持ってきたのを使っていいだろう? なあに大丈夫だよ。ここへきて使おうってんだもの、おかしなものを持ってくるもんか。見せる、見せる。そんないかさまなんか持ってくるわけはねえんだから……さあ、手にとって、噛みつぶしたって鉛なんざ出やあしねえ。そのかわり悪くすると血が出るかも知れねえが……」
「なんだ、変な手つきしてねえで、すっと出せよ……これかい? うーん……あれっ、なんだかむずむずっとしたぞ」
「そんなはずはねえや。気のせいだろう」
「なんだかなまあったけえじゃねえか」
「なにしろ出来たてだ。……いや、いままで懐中へ入《へえ》ってたからな」
「そうかい? おめえのだから、まあ安心してるけどもねえ、ちょいと振らせてみてくんねえ」
「よせよ。そう乱暴に振っちゃあ目がまわっちゃうぜ」
「なんだと? 賽ころが目がまわるわけがねえじゃあねえか……こういうものはねえ、ちょいと目のかわりをみるんだ……あれっ、変だなあ、この賽ころは……ころがらねえで、ずってくじゃねえか」
「そりゃ気のせいだよ」
「気のせいったって、ころがらねえんだから……じゃあ、もう一度振ってみよう……おうおう、それつかまえてくれ……こんどはまた、ずいぶんころがりゃあがったねえ。おい、いやだよ。この賽ころの目がおれをにらんでやがる」
「おい、いつまでやってんだよ。てえげえにしねえとひっかかれるぜ」
「ひっかかれる? 変なことばかり言ってやがら……まあいいや。やってみろい」
「そうかい。じゃあね、二、三番いれてみるからね。変わるだろ、いいかい? ほら、ね……じゃあ、いいね? いれるよッ、はい、張っとくれ……おい、どうしたい? この一《ぴん》は……だれも張らねえのかい? 空目《あきめ》かい?」
「ああ、さっきからひとつも出てねえんだ。死目《しにめ》だあ、そんなものぁ、張り手がねえや」
「ふーん……じゃあ、一《ぴん》と出りゃあ、みんなおれのもんだぜ」
「ああ、いいよ」
「ありがてえな。勝負は、おれのもんだ」
「そんなことがわかるもんかい」
「それがわかるんだ。一《ぴん》がいちばん出しいいんだ」
「なんだ?」
「なんでもいいやな。じゃあ、いいな、勝負になるからな。さあ、頼むぞ」
「だれに頼むんだ?」
「いいか? 最初の目は一《ぴん》だからな……まん中一つだよ……尻の穴だ」
「おいおい、汚《きたね》えことを言うなよ……早く勝負しろい」
「はいっ、勝負ッ、……ほら、一《ぴん》だ」
「あっ、出たよ。一《ぴん》が出たなあ。おどろいたなあどうも……」
「ああ、ありがてえ、ありがてえ。これみんなもらっとくよ……さあさ、張っとくれ。ほう、一《ぴん》が出たんで、いやに一《ぴん》にかぶって、裏目にいこうてんで六に……はあ、なるほどなあ。よし、こんどは二と出りゃあこっちのもんだな。じゃあ、いいね、勝負になるからね。さあ。こんどの目は二だぞ、二だからなあ……肩から斜《はす》っかけだよ。まちげえんな……」
「まちげえる? うるせえな、この野郎、いちいち……早く勝負しろい」
「勝負になるよ。勝負ッ、……ほらっ、二だ」
「あれっ、また出やがった。おどろいたなあ……なんだい、この賽ころ、おれのほうをみて笑ってるようだなあ」
「なにを言ってんだ。賽ころがにたにた笑うわけはねえ。さあさあ、もう一番、もう一番いこうじゃあねえか……ほほう、一、二ときたんで、こんどは三にかぶったな……この賽ころはそうはいかねえんだから、こんどは五《ぐ》と出りゃあ、こっちのもんだ。よしっ、さあ勝負になるよ。いいか、こんどの目は……」
「おい待ちなよ」
「なんだい」
「おまえねえ、目を読んじゃあいけねえよ。おまえが目を読むと、そのとおりに出てくるんだから、気になるじゃあねえか……黙って勝負しろい」
「黙ってちゃあわからねえ」
「なにがわからねえんだ。こんど目を読んでみやがれ。その壺皿ごと踏みつぶしちまうぞ」
「おいおい、そんな踏みつぶす……そんな乱暴なことしちゃだめだよ。そいじゃあ中で死んじ……いや、あの……なにさ、目を読まなきゃいいんだろう? そんなら読まないよゥ……さあ、こんどは、加賀さま、加賀さまの紋だ。梅鉢……梅鉢だぞ、天神さまだ。天神さまっ、頼む、勝負ッ」
さっと壺皿をあけると、狸が冠《かんむり》をかぶって、束帯《そくたい》で座っていた。
「よう、どうしたい? ずいぶん待ったぜ」
「うふふふ、みんな揃ってんな」
「ああ、こっちへ来いよ」
「どうしたんだ、いやに陰気じゃねえか」
「ああ、きょうは妙な日なんだ。だれが胴とっても、みんな胴つぶれがしちまうんだよ。おかげで胴のとり手がいなくなっちまったんで、このへんでやめちまおうかとおもって……」
「おいおい、そりゃあひでえじゃねえか。せっかくおれが来たってえのに、やめるこたあねえじゃねえか……胴つぶれ?……じゃあ、おれが、胴とろうか?」
「胴とろうかって……おめえ、懐中《ふところ》は大丈夫か?」
「ああ、きょうは、ふんだんに持ってんだから……」
「そうか。じゃあ、やってみろ」
「おっ、すまねえ。じゃあ、ちょいと遊ばしてもらうよ。おい、ちょいと待ってくんねえか。その胴のつぶれた賽ころてえなあ縁起が悪《わり》いやな。おれが持ってきたのを使っていいだろう? なあに大丈夫だよ。ここへきて使おうってんだもの、おかしなものを持ってくるもんか。見せる、見せる。そんないかさまなんか持ってくるわけはねえんだから……さあ、手にとって、噛みつぶしたって鉛なんざ出やあしねえ。そのかわり悪くすると血が出るかも知れねえが……」
「なんだ、変な手つきしてねえで、すっと出せよ……これかい? うーん……あれっ、なんだかむずむずっとしたぞ」
「そんなはずはねえや。気のせいだろう」
「なんだかなまあったけえじゃねえか」
「なにしろ出来たてだ。……いや、いままで懐中へ入《へえ》ってたからな」
「そうかい? おめえのだから、まあ安心してるけどもねえ、ちょいと振らせてみてくんねえ」
「よせよ。そう乱暴に振っちゃあ目がまわっちゃうぜ」
「なんだと? 賽ころが目がまわるわけがねえじゃあねえか……こういうものはねえ、ちょいと目のかわりをみるんだ……あれっ、変だなあ、この賽ころは……ころがらねえで、ずってくじゃねえか」
「そりゃ気のせいだよ」
「気のせいったって、ころがらねえんだから……じゃあ、もう一度振ってみよう……おうおう、それつかまえてくれ……こんどはまた、ずいぶんころがりゃあがったねえ。おい、いやだよ。この賽ころの目がおれをにらんでやがる」
「おい、いつまでやってんだよ。てえげえにしねえとひっかかれるぜ」
「ひっかかれる? 変なことばかり言ってやがら……まあいいや。やってみろい」
「そうかい。じゃあね、二、三番いれてみるからね。変わるだろ、いいかい? ほら、ね……じゃあ、いいね? いれるよッ、はい、張っとくれ……おい、どうしたい? この一《ぴん》は……だれも張らねえのかい? 空目《あきめ》かい?」
「ああ、さっきからひとつも出てねえんだ。死目《しにめ》だあ、そんなものぁ、張り手がねえや」
「ふーん……じゃあ、一《ぴん》と出りゃあ、みんなおれのもんだぜ」
「ああ、いいよ」
「ありがてえな。勝負は、おれのもんだ」
「そんなことがわかるもんかい」
「それがわかるんだ。一《ぴん》がいちばん出しいいんだ」
「なんだ?」
「なんでもいいやな。じゃあ、いいな、勝負になるからな。さあ、頼むぞ」
「だれに頼むんだ?」
「いいか? 最初の目は一《ぴん》だからな……まん中一つだよ……尻の穴だ」
「おいおい、汚《きたね》えことを言うなよ……早く勝負しろい」
「はいっ、勝負ッ、……ほら、一《ぴん》だ」
「あっ、出たよ。一《ぴん》が出たなあ。おどろいたなあどうも……」
「ああ、ありがてえ、ありがてえ。これみんなもらっとくよ……さあさ、張っとくれ。ほう、一《ぴん》が出たんで、いやに一《ぴん》にかぶって、裏目にいこうてんで六に……はあ、なるほどなあ。よし、こんどは二と出りゃあこっちのもんだな。じゃあ、いいね、勝負になるからね。さあ。こんどの目は二だぞ、二だからなあ……肩から斜《はす》っかけだよ。まちげえんな……」
「まちげえる? うるせえな、この野郎、いちいち……早く勝負しろい」
「勝負になるよ。勝負ッ、……ほらっ、二だ」
「あれっ、また出やがった。おどろいたなあ……なんだい、この賽ころ、おれのほうをみて笑ってるようだなあ」
「なにを言ってんだ。賽ころがにたにた笑うわけはねえ。さあさあ、もう一番、もう一番いこうじゃあねえか……ほほう、一、二ときたんで、こんどは三にかぶったな……この賽ころはそうはいかねえんだから、こんどは五《ぐ》と出りゃあ、こっちのもんだ。よしっ、さあ勝負になるよ。いいか、こんどの目は……」
「おい待ちなよ」
「なんだい」
「おまえねえ、目を読んじゃあいけねえよ。おまえが目を読むと、そのとおりに出てくるんだから、気になるじゃあねえか……黙って勝負しろい」
「黙ってちゃあわからねえ」
「なにがわからねえんだ。こんど目を読んでみやがれ。その壺皿ごと踏みつぶしちまうぞ」
「おいおい、そんな踏みつぶす……そんな乱暴なことしちゃだめだよ。そいじゃあ中で死んじ……いや、あの……なにさ、目を読まなきゃいいんだろう? そんなら読まないよゥ……さあ、こんどは、加賀さま、加賀さまの紋だ。梅鉢……梅鉢だぞ、天神さまだ。天神さまっ、頼む、勝負ッ」
さっと壺皿をあけると、狸が冠《かんむり》をかぶって、束帯《そくたい》で座っていた。