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落語百選36

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:百川《ももかわ》江戸っ子は、祭りとなると気ちがいのようなさわぎで、女房を質に置いても祭りを派手にしようとたいへんに気負っ
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百川《ももかわ》

江戸っ子は、祭りとなると気ちがいのようなさわぎで、女房を質に置いても祭りを派手にしようとたいへんに気負った。その、祭りには、かならず四神剣《しじんけん》というものが出た。青竜《せいりゆう》、白虎《びやつこ》、朱雀《しゆじやく》、玄武《げんぶ》……東西南北の神さまを祀《まつ》り、その四神旗《しじんき》に剣がついている。それを俗に四神剣と呼んでいる。これを祭りのたびに、ひとつの町内で預かり、つぎの年は、隣の町内、その翌年は、その隣町というように、順にまわした。その祭りの寄り合いなぞには、日本橋浮世小路にあった百川という会席料理屋がよくつかわれた……、そのころの話——。
「はいごめんくだせえ。わし、はあ、葭町《よしちよう》の千束屋《ちづかや》からめえりました」
「ああそうか、たのんでおいためし炊きは、おまえさんかい?」
「へえ」
「そりゃあご苦労さま……一人で来たのか? さあさ、こっちへお入り……いままでどこに奉公していたんだ。ふーん、こんどがはじめてか? いやそのほうがいい、わたしのほうでも奉公ずれのしちゃったものは、まことに使いにくいから……で、おまえさんの名前はなんといいなさる?」
「わしゃはあ、百兵衛《ひやくべえ》っていいやす」
「百兵衛? いやあ、うちが百の川と書いて百川というんだ。そこへ百兵衛さんが来るとはおもしろいな、よほど縁があるんだ。まあまあ、辛抱しておくれ。めし炊きということだが、洗い方の手伝い、慣れてくると、岡持《おかもち》を持って近所へ出前に行くのが、おまえの仕事だ……まあ、今日はなんにもしなくてもいい。二、三日は目見得《めみえ》だから、うちの様子を見たほうがいいから、ま、そこへ座っておいで……へえーい、二階で、お手が鳴るよ。竹や、お花、おみつ、おい、女中たちはどうしたんだ、いないのか? なに? 髪結いさんが来た? いくら髪結いさんが来たって、みんないっぺんに髪をほどいちまってどうするんだ? 今日は、お客さまがもうお見えになってるんじゃあないか。二階で、あの通りお手が鳴るんだ。……へえへえ、だれかほかにいないのか? 困ったなどうも……あ、おまえさん、なんてんだ、百兵衛さんか、すまないが、あたしが行くってえわけにはいかないし、おまえさん羽織を着ているからちょうどいい、二階へ魚河岸《かし》のお客さまが来ていらっしゃるんだ。ちょっと行って、ご用をうかがってきておくれ……」
「ひぇー、かしこまりやした」
二階から、ぽんぽんとまた手が鳴る。
「ひぇーっ」
「なにをしてやがんだなあ、じれってえなどうも……へえへえへえへえ、返事ばっかりしやがって、ちっとも上がってきやがらね、冗談じゃねえやっ」
「う……ひぇっ」
「おどかすないッ、だれだ? そんな頓狂な声を出すなあ」
「おれはなんとも言いやしねえよ」
「おめえじゃあねえのか?……はて、あっ、そこにいるのは、だれだっ?」
「ひぇーっ」
「おめえか? ぴいッたなあ」
「ひぇー」
「まだやってやがら、なんだい?」
「へえ、わし、はあ、この主人家《しじんけ》の抱《かけ》え人《にん》でごぜえまして、主人家の申されるには、ご用があるで、ちょっくらはあ、うかがってこいちゅうで、めえったようなわけがらでがしてな、ひぇっ」
「うふっ……おいおい、ちょっと代わりあってみてくれ。この方は、すがたは人間だが、言うことがちっともわからねえや、いちばんよくわかるのが、しまいの、ぴいッ」
「ばかっ、てめえぐれえの世の中に場知らずはねえや。どういうご用でお見えなすったかわからねえじゃあねえか。失礼なことを言うない。人間どうしが話をして、わからねえ理屈があるもんか」
「だって、おめえ、わからねえものはしょうがねえ」
「わからねえこたあねえてんだよ。そっちへひっこんでろ。ものの掛け合いてえものはむずかしいもんだ。よくみておけ……へへへへ、どうも……ただいまはとんだ失礼を申しあげまして……ええ、どちらさまでござんすか? ま、このとおり大勢|雁首《がんくび》をそろえちゃおりますが、どれ一匹として満足に口のきけるやつはござんせんので、花会、参会、仲直り、魚河岸《かし》にことのあったとき、口のひとつもきこうというなあ、まあ、あたしぐれえのもんでござんすので、あなたさまが、どういうご用むきでおいでになったのか、もう一度その……お物語りを願いたいんでござんすが……」
「そうだにあらたまったこんではごぜえましねえで……わし、はあ、この主人家の抱え人でごぜえまして……主人家の申されるには、ご用があるで、ちょっくらうかがってこうちゅうで、めえったようなわけがらでごぜえます。どうぞまあ、ご一統さまご相談の上、お返事をうかげえやして、まかり帰りてえと存じやしてなあ、ひぇー」
「えへん……なるほど、それはまあ、おっしゃるところも、重々、ごもっともではござんすが……」
「どうしたんだい、兄い、なにをあやまってるんだ?」
「だからよ、いまこのお方がおいでになったんだ」
「なにを言ってんだよ?」
「だまってろよ……ええー、ただいまのお言葉の中《ちゆう》でござんしたか……なにか四神剣《しじんけん》のことについて、お掛け合いというようなことでござんすが……」
「はあ、そうでがす。わし、はあ、この主人家の抱え人でごぜえます」
「へえっ、あ、そうですか、そりゃあどうも、とんだ……おいおい、布団だ、布団だよ、まごまごしてやがる、布団を出すんだ、てめえの敷いているほうを出すやつがあるかい、布団てえものは、ひっくり返して出すんだな、気のきかねえ野郎だ……まあまあ、どうぞ、お乗りんなすって……そうでしたか、あなたさまのほうからわざわざ、足を運んでいただきまして、まことに申しわけがござんせん。いま、あのことで、みんながこう寄っておりますんで……すぐにこうという、ご挨拶はできませんが、あとから四、五人、人もまいりますんで、ま、そいつらとも相談の上、のちほどご挨拶はいたすつもりでござんすから……あっしゃあ、魚河岸《かし》の若《わけ》え者《もん》で、初五郎と申します。あっしが、こうやって口をきくからにゃあ、けっしてお顔は、万々《ばんばん》つぶさねえつもりでござんすから、それだけはご安心を願いたいんでござんす」
「はあ、あんでがすか。まあ、こうだにつまんねえ顔だけんども、顔なんか、どうかつぶさねえように願《ねげ》えてえもんで……」
「や、どうも恐れ入りましてござんす……そうおっしゃられちゃあ、痛み入ります。まあ、けっしてお顔をつぶすようなことはいたしませんで……ええ、せっかくおいで願って、おかまいもできませんが、いかがで、持ちあわせで、ひとつ召しあがっていただきてえんで……」
「いや、どうぞもうおかまいくだせえませんで、ご酒《しゆ》はいっこうたべませんで……」
「さいですか? お嫌《きら》いで、ちょっと口をつけていただきてえんですが……じゃあ、酒はだめだとおっしゃるから、甘味はねえかい? ああ、下戸のものも、こういうときにゃあ役に立つ。おめえの前に金団《きんとん》があるじゃあねえか。それをあげな。そのまんまじゃあ手がついちまってるから、小皿へ分けるんだ、きれいなところを……小皿を先にとって、金団をあとではさむんだよ。金団をとって小皿をさがすから、餡《あん》がぼたぼた落ちらあな、することがまぬけだなあこいつァ。とったあとを箸をなめるなよ。汚《きたね》えなあ。なめるんなら横になめなよ。縦になめやがって、咽喉仏《のどぼとけ》突っついて、涙ぐんでやがらあ、ばかだなあ……ひとつかふたっつありゃあいいんだ。早くしろい、じれってえ野郎だ……ええ、こんなとり散らかしたなかでおかまいもできませんで、仇《かたき》のうちへきても口を濡《ぬ》らさずに帰《けえ》るもんじゃあねえという、ま、お口よごしですが、おひとついかがでござんす?」
「いやあ、こりゃあまあごっつぉうさんで、これはあんでがすか?」
「ええ、さようでござんす、餡《あん》でござんす」
「いや、そうではねえ、これはあんちゅうもんかね?」
「あんちゅう? うぷっ……けっして召しあがってお毒になるもんじゃござんせんで、慈姑《くわい》の金団でござんすから」
「これが慈姑でがすか……うーん、野郎、化けたな……この野郎」
「へへへ、どうもその、化けるのなんのとおっしゃられちゃあきまりが悪いんでがすが、おっしゃりてえことはそりゃ、重々ござんしょうが、今日のところはなんにもおっしゃらねえで、あなたの胸三寸にたたんでいただいて、ご無理でもいかがでござんす。まあまあおひとつ、この具合いをぐっと呑みこんで、お帰りを願いたいもんですが……」
「はあ、この慈姑を呑みこむかね? まっと……ちいちゃっければ、呑みこめねえこともなかんべえが、こんだにへえ、大《え》けえでは、呑みこめるかどうかわかんねえで……」
「あなたにいけねえとおっしゃられちゃあ、立つ瀬がござんせんので、男と見こんでお願い申しますんでがすから、なんとかひとつ、ぐっと、呑みこんでいただきてえんでがすがなあ」
「はあ、じゃあ、ようがす。呑みこむには呑みこむが……これがまた大《え》けえもんだねえ。そんじゃ、やっちゃあみますが…………うっ、うっ……」
「あれっ、金団を呑みこんで苦しがってる。あなた、しっかりなさい」
「とほほほ……ようようのこんで、呑みこんだでがす」
「どうも恐れ入りました。お呑みこみになったら、お引き取りを願いまして、いずれ改めてご挨拶に出ますのでござんすが……お帰りになりましたら、どうか、みなさんによろしくおっしゃってくださいまし。へえ、ごめんなすっとくんなさい」
「ぷッ、なんだい、兄い、あいつは……あははは」
「ばかっ、大きな声で笑うない。まだそこにいるじゃあねえか」
「だって、まぬけじゃあねえか。あんな大きな慈姑の金団を、丸呑みにしたやつははじめて見たよ……くッくッくッ」
「なにを言ってやがる。こっちだって、お初会《しよかい》でおどろくじゃあねえか」
「兄い、いってえなんだい、あれは?」
「だから、てめえたちは素人だてんだ。考《かん》げえてみろ、いいか、あの人なんかは、掛け合いごとはなれてるんだ。ああ、掛け合いごとは、ぜひああいきてえ」
「掛け合いごと?」
「おい、白ばっくれたことを言うない。去年の祭りをあんまり派手にやりすぎちまったんであとで勘定がおっつかねえ、二度も三度も町内をほっつき歩くわけにもいかねえ、『どうしよう?』『四神剣をまげちまおう』っててめえが言って『そんなことをしたら、あとが厄介じゃあねえか」ったら、『一年はあきもんだからなんとかならあな』ってんで四神剣を融通しようってんで、伊勢屋へまげて[#「まげて」に傍点]なんとか格好をつけたんだろう」
「ああそうだった。ちげえねえや」
「なにを言ってやんでえ。今年になって、祭りが近づいても、なんとも言ってやらねえからおれたちが寄り合ってるのを知って、隣町からあいつが催促に来たんじゃあねえか」
「えっ、そうなのかい?」
「あれっ、てめえ、いまなにを聞いていたんだ? 気がつかなかったか? 『あたくしは四神剣の掛け合い人でございます。四神剣のことについてうかがったが、ご一統さま、ご相談の上、ご挨拶をうかがって、まかり帰りてえ』って、言ってたじゃねえか」
「そんなことを言ったかい? 辰っあん」
「ああ、言った、おれも四神剣てえことを聞いたときは、おいでなすったとおもって、どきッとしたよ」
「だっておかしいじゃあねえか。掛け合いにくるんなら、もう少し話のわかる、筋の立ったやつが来そうなもんだ。あんな慈姑の金団を呑みこんで、目を白黒させるようなやつをよこすこたああるめえ?」
「それがてめえがばかなんだよ。なまじっか、小生意気なやつがきて、変な口のきき方をすりゃ、こっちは気の荒えやつが揃ってんだから、まちげえになっちゃあいけねえってんで、わざと、どじごしれえ[#「どじごしれえ」に傍点]で、とぼけてきたんだよ。早く言やあ、芝居《しべえ》をしてるんだ。あれで、浅黄の頭巾を脱ぎゃあ、なんの某《なにがし》という、立派な名のある親分とか兄いとかいわれるやつだ」
「いま来たのがかい?」
「そうだよ」
「だって、どう見たって、そんな風に見えねえじゃあねえか」
「そこが役者がいいんだなあ」
「ほーお? そんなことがわかるかい?」
「それが証拠に、あいつにおれが、むこう脛《ずね》を蹴られてるじゃあねえか。『あっしゃあ、魚河岸の若え者で、初五郎と申します。あっしが、こうやって口をきくからにゃあ、けっしてお顔のつぶれるようなこたあいたしません。それだけはご安心を願いたいんでござんす』と、おれが啖呵を切ったときに、あの野郎の言ったせりふがすげえじゃねえか。『こんなつまらねえ顔だが、顔だけは、どうかつぶさねえように願《ねげ》えてえ』と、野郎に一本釘を刺されたときゃァ、おらあぞーとしたぜ」
「そうかい? うーん、それにしたって、掛け合いに来たやつがなんだって慈姑の金団を呑みこまなくったってよさそうなもんじゃあねえか」
「そこだよ。こっちの持ってきようがうめえんだ。あなたのほうでおっしゃりてえ文句はござんしょうが、今日のところはなんにも言わねえで、どうぞこの具合い[#「具合い」に傍点]をてえのを、慈姑[#「慈姑」に傍点]へ引っかけて、お呑みこみのうえ、お引き取りを願いますと言ったから、向こうも苦労人だ。四神剣のことについちゃあ、これっぱかりもいやなこたあ言わねえで、わかった、てめえたちの懐中《ふところ》つごうが悪《わり》いなら、おれが万事ひきうけた。呑みこんだてえのを見せるために、金団を呑みこんで、目を白黒させて、みんなを笑わして、帰ったとこなんざあ、芸が枯れたもんだ」
「なんだ、そうかい? 枯れてるかなあ? なんだか、おめえひとりで感心しているが、ほんとうにそうかい?」
「ああ、そうだとも」
「そんなら、女中かなにかついてくるがいいじゃあねえか」
「だからこのうちがまぬけだよ、『ただいまこういうお客さまが、お見えになりました』と、ちょいと通しゃあいいんだなあ……それにしても、ここの女は、また、なにをしてやがるんだろう? 言うだけのことを言ってやらあ。おいッ……おいッ、おもしろくもねえ」
……と、また手をたたく。
「どうしたんだ? 百兵衛さん、二階から降りてきて、柱へよっかかって、涙ぐんでちゃあしょうがないな。二階のご用はどうしたい?」
「呑みこんだでがす」
「おまえがひとりで呑みこんでちゃあいけないよ。あたしにも呑みこませてくれなけりゃあ困る」
「そりゃあだめだ。おらあ、もう呑みこんだで……」
「……なんのことだい?」
「大《え》けえ慈姑突ンだして、おらに呑みこめっちゅうでがす」
「えっ、慈姑を?……で、お断わりしたのかい?」
「断わるべえとおもったけンども、客人の機嫌そこねては悪かンべえとおもって、呑みこむには呑みこんだが、咽喉《のど》のめどっこ[#「めどっこ」に傍点]痛くって、てッこ[#「てッこ」に傍点]に負えねえ」
「ふふウ、そりゃおからかいになったんだ。お若いお客さまだから、いたずらをなすったんだ。まあいい、そういうところを勤めておけば、とんだひょうきんでおもしろいやつだてんで、おまえがまたご贔屓《ひいき》になれるから……へーい。おい、また、お手が鳴ってるよ。もういっぺん二階へ行っておくれ」
「あり、まためえりますかな、こんだ、なにを呑みこむ……」
「大丈夫だよ。そうたびたび呑みこませやしないよ」
「慈姑ぐれえなら呑みこめるが、こんな大《え》けえどんぶり鉢でも呑みこめって言ったら……」
「そんなことを言うもんか。早く行っておいで」
「あーあ、ここなうちは、長く奉公ぶてねえぞ。いのちがけだあ」
「こんなに手を鳴らしてんのに、なにしてやがるんだ。おいっ」
「うひぇーっ」
「また来たよ、おい」
「なんかお忘れもんでもござんすか」
「忘れものではねえでがすが、まことにすまえねが、どうかまあ、からかわねえで、ご用をおっしゃっていただきとうがす」
「からかわねえでご用を?……兄い少しちがうぜ」
「あなたは隣町の方でございましょう?」
「おらあ、このうちのめし炊きで、百兵衛ちゅうでがして、ひぇー」
「だって四神剣のことで来たんじゃねえか?」
「主人《しゆじん》の件《けん》でこれへ出やした」
「あははは、なんだ、おめえ、奉公人か? ここのうちの……けっ、ちがってらい、こん畜生……おい、聞いたか? 四神剣じゃあねえや。だれだい? 掛け合い人だなんて言ったなあ」
「あははは、ちがったか?……おれもそうとはおもったが……」
「なにを言ってやがる、しゃあしゃあしてやがら、どうも……じゃ、女中を呼んでもらいたいんだが……なに? みんな髪結いが来て髪を結ってる。それでおまえが出たのかい。それじゃ、……おめえでもいいから、ちょっと使いに行ってくんな」
「どけえめえりやすか?」
「じつは、いま、三味線《いと》がほしいというんだが、芸者でもあるめえから、長谷川町《はせがわちよう》の三光新道《さんこうしんみち》に、常磐津《ときわず》の歌女文字《かめもじ》ってえ師匠がいるから、そいつを呼んできてくれ、頼むよ」
「あんだって、ねえ……?」
「じれってえ野郎だなあ、この畜生ァ。長谷川町の三光新道に常磐津の歌女文字てえのがいるから、そいつを呼んでこいってんだ、早く行ってこい」
「……長谷川町の、三光新道に、常磐津の、か、か、かめ、歌女文字てえ、先生呼ばるかね?」
「あれっ、先生だってやがらあ。常磐津の師匠だよ。いいか? か、め、も、じだぜ。向こうへ行って忘れたらなあ、長谷川町で、かの字のつく名高え人と言やあ、すぐにわかるから……そこへ行って、魚河岸の若え者が今朝《けさ》っから四、五人来ているから、師匠にすぐ来るようにと、こう言ってなあ。で、向こうで三味線箱《はこ》を渡すから、そいつを先へ背負《しよ》って帰ってこい、いいか? 早く行け」
「へ、行ってめえります」
 これから、百兵衛さん、表へ出ましたが、あっちで道を聞き、こっちで道を聞きしているうちに、名前をすっかり忘れてしまった。
「ええ、ちょっくら、うかげえやすが」
「なんだ?」
「長谷川町の三光新道……」
「ここだよ」
「ここに、なにはいますべえか、名高え先生が?」
「なんてんだ?」
「それを忘れたが、おもいだしてくんろ」
「無理なことを言うじゃあねえか。おめえの忘れたことをおれにおもいだせるもんか。落ち着いておもいだしてみねえ」
「ええ……うーん……か、か、かあ……」
「烏だな、まるで、なんだ、かあてえのは?」
「かの字のつく名高え人だっちィば、すぐわかるっちゃした」
「か[#「か」に傍点]の字のつく名高え人?……待てよ、おい、金ちゃん、このへんで、か[#「か」に傍点]の字のつく名高え人を知らねえか?」
「そうさな……あっ、鴨池《かもじ》さんじゃあねえかい?」
「あっ、そうか、おい、おめえのたずねてるのは、鴨池といやあしねえか?」
「鴨池?……あっ、そうでがす、鴨池でがす」
「そんなら、鴨池|道哲《どうてつ》てえお医者さまだ。向こう側の横町を入《へえ》って、三軒目の立派な門構えの家がそうだ」
「どうもありがとうごぜえます……ええ、ちょっくらお頼み申します」
「どーれ、……はい、いずれからおいでかな?」
「はい、わしァ、浮世小路の百川からめえりました。魚河岸の若え者が、今朝がけに[#「今朝がけに」に傍点]四、五人きられ[#「きられ」に傍点]やして、先生にすぐおいでを願いてえちゅうんでがす」
「なに? 魚河岸の若い者が、袈裟《けさ》がけに四、五人斬られておる? うん、ちょっと、お待ち……先生、申しあげます。ただいま浮世小路の百川からの使いの者が参りまして、魚河岸の若い者が、四、五人袈裟がけに斬られまして、先生、急いでおいでいただきたいと申しております」
「しょうがない、また喧嘩だろう。魚河岸の連中は威勢がいいから困ったもんだ。よろしい、じゃすぐ見舞うが、使いが参っておる? それになあ薬籠《やくろう》を持たして、先へ帰しなさい。それから、手おくれになるといかんから、焼酎《しようちゆう》を一升、白布《さらし》を五、六反、鶏卵を二十ほど用意しておくようにな」
「かしこまりました……ああ、先生は、ただいま、丸の内のお屋敷へお出かけになるところだが、さっそくお見舞いすると、そう言ってください」
「そうでごぜえますか。それから、箱を……」
「うん、これだ。それから、うちへ帰ったら、先生がおいでになるまでに、手おくれになるといかんから、焼酎を一升、白布を五、六反、鶏卵……たまごを二十ほど用意しておくように……急いで帰りなさい」
「はい、かしこまりました」
「おうおう、帰ってきやがったな。どうした、わかったか?」
「へえ」
「来ると言ってたか?」
「へえ、先生、さっそくお見舞《みめ》え申すってやした、ひぇっー」
「粋な師匠だな、あの椋鳥《むくどり》が飛びこんでったから、……お見舞いはおもしろいな、……おい、箱はどうした?」
「へえ、持ってめえりやした。これでごぜえやす」
「おい、ちょっと見な、なんだか薬籠みてえだな」
「えーおい、師匠は粋だな、三味線は三つ折りだ、真田の紐で結んだなあ、凝ってるぜ」
「そんで、手おくれになるといかねえで、焼酎を一升、白布を五、六反と、たまごを二十ほど用意しておけと言って……」
「え? おかしいなあ……なんだい? 焼酎を一升てえのは?」
「あの師匠はたいへん酒が強いんだ、夏場は焼酎の冷たいのがいいもんだ」
「ふーん……白布はどうするんだい?」
「しっかり語ろうてんだ。その白布を腹へ巻こうてんだ」
「じゃあ、たまごは?」
「常磐津を語るにゃあ、咽喉が大事だ、生たまごを呑むんだ」
「しかし、常磐津が手おくれになるといけねえってのは聞いたことがねえなあ」
「はい、ごめんよ」
「おやっ、鴨池先生、よくおいでなさいました……この前の勘定もまだあれっきりで……今日は、また、なにかご用で?」
「なにをのんきなことを言っているんだ。怪我人はどこにおる?」
「へえ?……先生、なにかおまちがいじゃあございませんか?」
「いや、魚河岸の若い者が、袈裟がけに四、五人斬られているそうではないか」
「え?……そりゃあ、お門ちがいで……」
「門ちがいではない。わしの薬籠がそこにきている」
「えっ、こりゃ先生の薬籠ですかい? しょうがねえなあ、先生のところへ飛びこみやがったんだ、あの野郎……どうもお忙しいところを、とんだご迷惑で、いえ、少し祭りのことで相談がありまして、まあ、ここへ集まったんですがね。お宅の裏にいる、常磐津の歌女文字を呼びにやったんですよ。まちげえるにことを欠いて、鴨池先生を呼んできやがった……あっ、そこに突っ立っているその男なんで……やいっ、そんなところへ突っ立ってねえで、こっちへ入《へい》れ」
「あんた方ァ、先生ござったで、うれしかんべえ」
「なに言ってやんでえ。このばかっ、鴨池先生と歌女文字とまちがやがって、この抜け作っ」
「あんだね?」
「抜け作めっ」
「おらあ、抜け作でねえ、百兵衛ちゅうだ」
「てめえの名前を聞いてるんじゃあねえやいっ、抜けてるってんだい」
「抜けてる? どれくれえ?」
「どれくれえも、これくれえもあるもんか。それだけ抜けてりゃあたくさんだ」
「それだけって……か、め、も、じ。か、も、じ……たった一字だけだ」
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