二十四孝
「おうッ、ごめんねえ」
「大きな声だなあ、だれだ? 熊だな」
「ああ、いたいた、あいかわらずつまらねえ面《つら》ァしてるね、ご隠居」
「なんてえことを言うんだ。人のうちへ来たら、立ってねえで座るもんだ。どうせわたしの顔はつまらないよ」
「まったく、そうおもってみるせいか、ひどくつまらねえ面だ……へえ、座ったぜ。なんか食わせるか?」
「なにも食わせやしねえ。そのかわり、叱言《こごと》を食わせてやるよ。……おれがいまさらあらためて言うこたあねえが、この長屋十八軒あって、子供のたくさんいるうちもあるが、みんな静かだ。そこへいくと、おまえのうちてえものは、三日にあげず喧嘩《けんか》だ」
「いやあ、そんな、三日にあげずてえこたあないよ」
「そんなにはやらねえか?」
「いやあ、毎日だあ」
「なお悪いや。なんだって毎日喧嘩するんだ?」
「わけ? そいつを聞かれると困るんだがね」
「じゃあ、今日はどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、今日っくれえ、あっしゃあ、腹たったこたあありませんよ。仕事が早くかたづいたんで帰ってきますと、魚屋の金公ンが、『今日は鰺《あじ》のいいのがあるから買ってくんねえ』てえから、鰺を十ばかりもらった。『湯から帰ったら、こいつを塩焼きにして一杯《いつぺえ》やるから頼むぜ』ってかかあに言い残して出かけたんですよ」
「それで?」
「帰って見ると、十ばかりあった鰺が影もかたちもねえ」
「どうしたい?」
「かかあに『魚《さかな》が見《め》えねえぜ』ったら、『へえー、そういやあ音がしてたけども、猫でも持ってたんじゃあないかしらん』てんでしょ。ばばあに聞いたら『おや、知らないよ』てんで……それからあっしが裏口へ飛び出して、ひょいと庇《ひさし》を見ると、隣の泥棒猫が、あぐらをひっかいて、ばくばく食ってやがる」
「猫があぐらをかくかい?」
「それが大あぐらをひっかきやがってね、生意気に鬚《ひげ》ェはやして……」
「なにも生意気なことはない。猫は鬚がはえてる」
「そいつを見て、癪にさわったから、出刃庖丁を持ち出して、これを逆手《さかて》ににぎると『やあやあ、卑怯なり泥棒猫、これへおりて尋常に勝負、勝負っ』と声高らかに呼びかけた」
「そんなことを言って、猫に通じるか?」
「むこうはにゃん[#「にゃん」に傍点]とも言わねえ」
「なにをばかなことを言ってる」
「とんでもねえ猫だ、てめえが魚を食っちまったんだから、こんどは猫を食っちまおって……」
「猫なんぞをおまえ食うのかい?」
「ええ、食いますとも、こうなりゃあ。でも鼬《いたち》をとっつかめえて食ったことがあるが、あんまりうまくなかった」
「変なものを食うな」
「大きな口を開《あ》いて飛びかかろうとしたがどうも庇《ひさし》までは飛びあがれねえ」
「あたりまえだ」
「それじゃあてんで、出刃庖丁を物干し竿の先へ結《いわ》いつけて、屋根じゅうひっかきまわすと、向こうでもおどろきゃあがって、残った魚をくわえて、つゥーと、こんどは屋根のてっぺんへ上がっちめえやがって、ここまでは竿がとどくめえて顔をしやがって、げらげらと笑った……」
「猫が笑うか」
「こうなりゃあもう、飼い主が相手だとおもいましたから、隣のうちの前でどなってやった。『ええっ、ぜんてえ、てめえのうちがよくねえ。高慢な面《つら》ァして猫なんぞ飼やあがったって、ろくなものを食わせねえから、猫が近所じゅう泥棒してあるくんだ。猫に稼がして、てめえとこはめしのお菜《かず》にするんだろう? こんな手くせの悪《わり》い猫がいたひにゃあ、長屋十八軒、枕ァ高くしてめしを食うことができねえ』って」
「変なことを言っちゃあいけないよ。枕ァ高くして寝ることができねえってえのはあるが、めしを食うてえのは聞いたことがねえ」
「ぐずぐず言やがんなら、おれが相手ンなるから出てきやがれってんで、どなったがね、近所じゃあしィーんとして、鳴りをひそめてやがんの、えへへへ、あっしの威に恐れて……」
「嘘をつけ、むこうで気狂《きちげ》えみてえなやつだから、相手にしねえんだ」
「すると、うちのかかあが出てきやがって、『なにをおまえさんばかなことを言うんだ。お隣には、ふだんからいろいろご厄介になってるのに、猫が魚をとったぐらいのことで、そんなことを言うもんじゃあないよ。たかが猫がしたことじゃあないか。猫のしたことだよ』てんで、むやみと猫の肩を持ちやがる……こうなると、あっしだっておもしろくありませんからね。こんどはかかあに言ってやった。『この女《あま》め、てめえだって人間に籍があるってえのに、なにも猫の肩持つこたああるめえ。そうやって肩持つところをみると、てめえ、隣の猫とあやしいな』てんで……」
「猫とあやしいてえ、そんな話があるか」
「あっしは、だから、かかあとばばあに言ってやったんで……『ぜんてえ、てめえたちがまぬけだから、こういう騒ぎが持ちあがったんだ。猫があれだけの鰺をまさかいっぺんに持っていったはずはあるめえ。それを人間が二匹もいやあがって……』」
「おいおい、乱暴だな、言うことが……人間が二匹てえのは……」
「いいんですよ、あんなやつらは二匹で……、それから、てめえの出てくる幕じゃあねえ、引っこんでやがれってんで、いきなりあっしはそこでかかあの横面《よこつつら》をぽかっ……」
「どうした?」
「ぽかっ……と撫《な》でた」
「撫でた? ははあ、殴ったな?」
「まあ早く言えば」
「おそく言ったっておんなじだ」
「不思議なもんですね。去年までは、ぽかりといくと、そのはずみで二まわりくらいとんでひっくり返ったんですが、このごろはあっけねえ、ぽかりとやると、どたりとその場へ倒れちまう。ぽかどた[#「ぽかどた」に傍点]ってえやつ、ああ弱くなっちまったんじゃあ、来年はもう引退ですかねえ」
「なにを言ってるんだ。角力《すもう》じゃああるめえし……じゃあ、おかみさんも泣きわめいたろう?」
「ええ、泣きましたねえ。わーわーわーわーってんで……しかしねえ、うちのかかあてえものは、面ァまずいが、泣き声がいいんでしてね、あっしゃあ、あの泣き声で飼っとくんでさあ」
「それじゃ小鳥だよ、ばかっ」
「すると、その泣き声にびっくりしやあがって、うちから、ばばあがでてきやがってね、『おや、おまえは、また嫁をぶったんだね。なにかてえとおめえは嫁をぶつが、そんなにその子をぶちたけりゃ、あたしをおぶち』って、都々逸みてえなことを言いますからね、おあつらえならってんで、拳固《げんこ》をふりあげて……」
「あきれたやつだ。殴ったのか? 年寄りを……」
「いえ、殴ろうとおもったけども、なにしろひょろひょろしたばばあだからねえ。下手《へた》に殴ってこわしたひにゃあ、あとが厄介だとおもったから、この畜生めッ……と、拳固はふりあげたが、しまっちゃった」
「うん、そりゃあ感心だ、おもいとどまったか?」
「いや、あらためて蹴とばした」
「いやはや、どうも……じつに言語道断だ、自分のおふくろを蹴とばすとは、あきれたやつだ。おめえのようなやつには店《たな》ァ貸しておくわけにはいかねえから、店ァあけろ」
「なんだい? 店ぁあけろってえのは」
「ああ、お入用《いりよう》の節は、いつなんどきでも、すみやかに明け渡しをいたしますという、店請《たなうけ》証文が、こっちに入っている。さしあたって入用なことはねえが、貴様のような親不孝者を置くと長屋の名折れになる。店をあけろ」
「大きな声だな、どうも……じじいのくせに腹あしっかりしてんな」
「なんだ?」
「店ァあけろてえのは、家をあけるのか?」
「家をあけろ」
「お? すごいじじいだね、……お、そりゃあいけねえや、じゃあ、あやまら……」
「なんだ、だらしのねえやつだ。……なんだ、あやまるんなら、ちゃんとあやまれっ」
「じゃあ、すいません」
「じゃあ、とはなんだ」
「ごめんよ。ねえ、ごめんねえ」
「なんだ、子供の喧嘩じゃねえや。なんだ、ごめんねえとは……ちゃんとあやまらねえか」
「へえ……お爺ちゃん勘忍してちょうだい」
「ばかにすると殴るぞ。両手をついてあやまるんだ」
「なんだって?」
「いままでは、重々《じゆうじゆう》心得ちがいをしておりました。これからは、了見をいれかえて親孝行にはげみますから、どうぞお店《たな》へおいてくださいまし」
「ええ、そのとおりでござい」
「なにを言ってるんだ。あやまるのに、そのとおりてえやつがあるか。困ったもんだ。まあいいや……おまえのおとっつぁんてえものは、食べる道は仕込んだが、人間の道というものを教えねえから、おめえのようなべらぼうができあがっちまったんだ。昔から、親不孝するようなやつにろくなやつはいねえ。いまのうちにせいぜい親孝行しておけ。孝は百行《ひやつこう》の基という……」
「へーえ、そうですかねえ」
「無二膏《むにこう》や万能膏《ばんのうこう》の効目《ききめ》より、親孝行はなににつけても……」
「してみると、親孝行は、あかぎれやしもやけにも効きますか?」
「なにをばかなことを言ってるんだ……孝行のしたい時分に親はなしというぞ」
「そうですかねえ」
「さればとて、墓石《いし》に布団も着せられず」
「ふーん、なるほど」
「わかったか?」
「わかりません」
「ひとが話をしているのに、なにを聞いてる?」
「おまえさんのあごがぴょこぴょこ……動く……」
「この野郎、ひとが叱言を言ってりゃ……あごの動くのを見てやがるっ」
「まあまあ怒っちゃあいけねえや……じゃ親孝行しろとご隠居さんは言うのかい?」
「そうだ、子と生まれて親を大事にするのが人の道だ。昔は、孝行するとお上から青緡《あおざし》五貫文のごほうびをくださったてえほどだ」
「へーえ、親孝行なんて儲かるもんなんですねえ」
「なにを言ってる。儲かるってえやつがあるか。なんでもいいから、親を大事にしろ」
「ああ、そうか。大事にすりゃいいんだな。じゃあうちに大きな葛籠《つづら》があるから、あんなかへ古い綿《わた》でも敷いて、ばばあを入れてどっかへ頂けましょう」
「ばかっ、そんなことで大事にしたことになるもんか」
「だって親孝行ってえのはやりつけねえもの、どんなことをすりゃあいいんで……」
「どんなことと言って……そうさなあ……昔から、親孝行な方はいくらもあるが……なかでも有名なのが二十四孝だ」
「ああ、知ってる」
「えらいな、知ってるか?」
「ええ、あの……きれいなお姫さまが出てきますね、八重垣姫ってんでしょ……『おまえの姿を絵にかかせ』なんてえやがってね」
「おまえの言うのは、それは芝居の『本朝二十四孝』という。わたしの言うのは唐土《もろこし》だ」
「あ、もろこしか。じゃあ団子よりほかに知らねえや」
「なんだ、しょうのないやつだ……この中で、二、三おまえにわかりやすいのを話をして聞かせる……王褒《おうぼう》という方があってな」
「ああ、赤い魚だね、頭の角張《かくば》った……」
「あれは|魴※[#「魚+弗」、unicode9b84]《ほうぼう》だ、王褒、お、う、ぼ、おゥ」
「うぷッ……人間の面てえものは、うっちゃっとくとのびますね」
「殴るぞ、ばかにしやがって、おい。ひとにものを聞いといてまぜっかえすやつがあるか」
「おうぼおゥてんだな、ええ、わかった。そん畜生がどうした?」
「そん畜生とはなんだ……この方に一人《いちにん》のおっかさんがあった」
「へえ」
「たいそう親に孝をつくしたが、とる年でおっかさんが亡くなった」
「捜したらいいだろう?」
「そうじゃあない。死んでしまったのだ」
「ああ、くたばったのか」
「ぞんざいな口をきくな……泣く泣く野辺の送りをすませ、それからというものは毎日母の墓前へながいこと涙をこぼして、まだ名残《なごり》を惜しんでいる。と、ちょうど初七日のこと、夏のことで一天にわかにかき曇って初雷《はつらい》がきたな」
「岡持に入れて持ってきたんで……」
「それは誂いだ、雷さまが鳴ってきた、王褒のおっかさんてえ人は雷が大嫌い、そのとき王褒が裸になって、母の石碑にすがりついて『母上ご安心なさいまし、王褒これにおります』と言って、亡き母にまで孝をつくしたというな」
「冗談言っちゃあいけねえ。この野郎はばか野郎だ。だっておまえさん、雷の鳴るときにゃあ臍《へそ》でも取られちゃあいけねえてんで、裸になってるやつさえ着物を着るんだ。ごろごろ鳴ってる最中にすっ裸になって、そこへ雷が落っこったらどうする、え? おうぼう(ほうぼう)火傷《やけど》をすらあ」
「なにを言ってるんだ……おまえのような者ならば、落雷のために命《めい》おわるかもしれんが、それが雷が落ちないというのは、孝行の威徳によって天の感ずるところだ」
「なんだい? 天の感ずるところって……」
「天が憐《あわ》れんでこれを助ける。孝行の徳だ」
「へーえ、不思議なもんですねえ。ご隠居まだありますかい?」
「孟宗《もうそう》てえのがある」
「もうそう[#「もうそう」に傍点]よりは食っちゃあ淡竹《はちく》のほうがうめえってね」
「孟宗というのは人の名前だ」
「うーん」
「この方が大の親孝行だ。寒中にな、おっかさんが筍《たけのこ》が食べたいとおっしゃった」
「おっしゃりやあがったねえ。寒中、筍なんぞありっこねえ。そんなばばあは、とても面倒みきれねえから絞め殺せ」
「乱暴なことを言うな」
「で、どうしました?」
「おまえの言うとおり寒中で雪の降ってるときに筍というんだから、こりゃあ無理な話だ。しかし、どうか差しあげたいものだと、鍬《くわ》をかついで竹やぶへ行って、あっちこっち捜してみたが、どうしても筍がない。これでは母に孝をつくすことができないてんで、天を仰いで、はらはらと落涙におよんだ」
「へーえ、まぬけな野郎だねえ。筍がねえんだったら、やぶをにらみそうなもんじゃあありませんか。天を仰ぐなんて、まるっきり見当ちげえだ。ははあ、見当ちげえのことを、やぶにらみってえのは、これが元祖ですか?」
「くだらんことを言うな、少し黙っておいで……ああ、残念なことであると、さめざめと泣いていると、足もとの雪がこんもり高くなった。そこを鍬で払いのけると、ころあいの筍が、地面からぬーっと出た」
「ほう、いい仕掛けになってますねえ」
「仕掛けじゃあない、ほんとうの筍が出た」
「うぷッ、そんな……だってばかばかしいや。いくら親孝行だって、天をにらんで涙をこぼしただけで筍がぴょこぴょこ出てくるんなら、八百屋は買い出しになんか行かねえよ。みんな竹やぶへ行って、わーわーわー泣くねえ」
「さ、その出ないはずのものが出るというのが、孝行の威徳によって天の感ずるところだ」
「あっしも、そんなことだろとおもってたが、なんでえ都合が悪くなると、すぐ感ずるんだからなあ、ずるいや……じゃあ、とにかく感ずるところとしときましょう。で、それを食わしたらよろこんだでしょう?」
「ああ、たいそうなよろこびかただ」
「そうでしょうねえ。あんまりうめえから、もっとおかわりをくれと言ったら、もうそう(孟宗)はねえって……」
「なにをおまえ言うんだ」
「しかし、こいつぁおもしれえねえ……まだほかにありますか?」
「王祥《おうしよう》という人がいた」
「ああ、寺の?」
「和尚じゃねえ。王祥という名前の人だ。この人は継母《ままはは》につかえて大の孝行、いたって家が貧乏。これも寒中のことだ。重病のおっかさんが枕べで鯉が食べたいとおっしゃった」
「ぜいたくなことをおっしゃったねえ。唐土《もろこし》のばばあてえものは、どうしてそう食い意地がはってんだい? で、買って食わしたのかい?」
「もとより貧乏だから買うことができない。そこで、釣り竿を持って池へ釣りに行ったんだが、厚い氷がはっているから釣ることができない。しかたがないから、裸になって、この氷の上に腹ばいになって寝たんだ」
「へえ、つまり氷の上に寝るのが趣味なんだ」
「ばかっ、そうじゃあない。身体の温か味で氷を溶かそうてんだ」
「冷《つべ》てえね、そりゃあ……で、どうしました?」
「そのうちに氷が溶けてな、そこから鯉が飛び出したので、寝ているおっかさんにこれを食べさせたところ、これまで草根木皮の力もおよばぬ病が、その鯉を食してから全快をしたというな」
「うふっ、笑わしちゃあいけねえ。そんな話があるもんか」
「どうして?」
「だって、うまく鯉が飛び出すだけの穴があいたなんて……だいいち、氷が溶けるほど人間が寝てごらんなさいな、人間のほうが先へ冷《つめ》たくなっちまうじゃあねえか。てめえの腹ンとこだけ溶けるならいいが、身体ごとすっぽり池の中へおっこっちゃって……てめえの方があえなくそこで往生(王祥)しちゃう」
「なにをくだらねえことを言ってるんだ。おまえのような不孝者ならば、一命をおとすかもしれないが、これは、孝行の威徳が、天の感ずるところでおっこちない」
「あああ、親孝行なんてものは、都合のいいようにできてるんだねえ。ちょいと具合が悪くなると、天の感ずるところ……てんだからねえ。まだありますか?」
「まだある。呉猛《ごもう》というのがある」
「ああ、牛蒡《ごぼう》ね」
「そうじゃない。呉猛だ……この方に一人《いちにん》のおっかさんがおった」
「ちょいと待っとくれよ。さっきから聞いていると、唐土にはばばあばっかりしかいねえんですかい?」
「そんなこともないが……で、この呉猛の家がいたって貧乏だ」
「ふーん、ばばあと貧乏でつながってんだな」
「夏になっても蚊帳《かや》をつることができない」
「なに言ってやんでえ」
「どうした?」
「どうしたもこうしたもあるもんか。さっきから貧乏だ、貧乏だって、貧乏のところだけ力をいれやがって……それもいいや、夏になって蚊帳がつれねえたあなんでえ……唐土まで行かなくったって、江戸にだって、つらねえうちは、あらいっ」
「どこのうちだ?」
「おれんとこだい」
「つまらねえことでえばるなよ……毎晩蚊にさされて、どうしても眠ることができない。なんとかしておっかさんだけでも蚊に食わせたくない。一晩ゆっくり眠らせてあげたいと、子供のことでほかに分別がないから、酒屋へいって|※[#「さんずい+胥」、unicode6e51]酒《したみ》という安い酒をもらってきて、裸になってこれを身体へ吹きつけ、『どうか母を刺さずに、わたしにたかって腹を肥やしてくれ。打ちも叩《たた》きもしない』と、夜っぴてうつ伏せになって寝た」
「蚊が出ましたろうね。講中を組んで、わーっとたかって刺し殺した」
「ところが、その晩にかぎって一匹も出ない」
「あれっ? おかしいじゃねえか。蚊は酒が好きだってえじゃねえか」
「さあ、そこだ」
「どこです?」
「捜すんじゃあねえ、出るべきはずの蚊が出ないというのが、つまり、孝行の威徳によって……」
「おーっと、天の感ずるところだ」
「そうだ」
「へへへ、もうこんどこそおまえさんに感じさせちゃあおもしろくねえから、さきに、感ずっちまった、あははは、感ずりそこなったなあ、ざまあみろ」
「なにを言ってるんだ」
「けども、その呉猛てえやつは、利口じゃあありませんね。あっしならそんなことはしませんね」
「ほう、どうする?」
「二階の壁へ酒を吹きます」
「うん」
「蚊がよろこんで、みんな二階へ上がってしまうでしょ?」
「うんうん」
「蚊がみんな上がりきったところで、そーっと梯子をとる」
「呆《あき》れた奴だ」
「まだほかにありますかい? その感ずるやつが……」
「なんだい? その感ずるやつてえのは……このほかに郭巨《かつきよ》という人がいた」
「ああ、漬物屋にあるやつ? らっきょでしょ」
「郭巨だ……この人にも一人《いちにん》のおっかさんがあった」
「またばばあですかい」
「女房に子供がいた……いたって貧乏だ」
「そうでしょうね、食いつぶしが多いから……で、ばばあはなにを欲しがった?」
「いや、欲しがらない。おっかさんはお年を召して、なにも召しあがらない。そこで、嫁の乳を差しあげた。ところが母に乳を飲ませると、子供にやることができない。子供に飲ませれば母に乳を差しあげることができない。子のかけがえはあるが、親のかけがえはない。わが子があるために母へ十分に孝行をつくすことができない。夫婦相談の上、ふびんではあるが、子供を生き埋めにしようということになった」
「ひでえことをするねえ、冗談言うねえっ」
「おいおい、お待ち、そう怒ってもだめだ。その昔の唐土の話だから……山へつれてって、子供を埋めようというんだが、さすがに親子の情にひかれて、一鍬いれては涙をうかべ、二鍬目には落涙し……」
「三鍬いれては、くしゃみをし……」
「と、鍬の先にガッチとあたったものがある。掘り出してみると、それが金の釜だ」
「へっ、甘酒屋の焼け跡だね、金の釜だとおもったが、ブリキの色つけだろう」
「いや、釜ったってめしを炊く釜じゃない。金の塊を一釜、二釜という……金の延べ棒だ」
「ふーん」
「これに『天、郭巨に与うるものなり、他の者これをむさぼるなかれ』と書いてあった。すぐにこれをお上《かみ》へ届けると、おまえに授かったものだというので、これを頂戴して、昨日までの貧乏がたちまちにして大金持ちになったという」
「はあ、しかし、あてずっぽうに掘ってよく金の釜を掘りあてましたね」
「そこが天の感ずるところだ」
「あ、いけねえ。感じようとおもっているうちに、さきへ感ずかれちゃった、こすいぞ」
「こすいってやつがあるか……まあ、おまえもこれからあんまり乱暴なんぞしないで、親孝行をしなよ」
「親孝行てえのは、そういうことをすりゃあいいんですかい? よく、わかりました。へえ、ようがす。じゃあね、これからさっそく、うちのばばあも、あっしゃあ孝行しちまわあ」
「だいいちおまえ、親をつかまえてなんだ、そのばばあてえのは、もっと丁寧に言え」
「丁寧に? じゃあ母上とかなんとか……」
「母上?……どうもあまりあらたまって変だが、悪い言葉じゃあないからよかろう」
「そうですか、じゃあこれから、母上にね、親孝行のほうにとりかかるから、おどろくな」
「まあ、せいぜい大事にしな」
「おう、おっかァ、いま帰った」
「どこへ行ってたんだい?」
「隠居のところよ……それより、これから親孝行にとりかかるから、びっくりするなよ」
「なんだい? 親孝行にとりかかるてえのは……」
「うちの母上はどうした? 母上は?」
「ははうえって、なんだい?」
「ばばあだよゥ」
「その隅にいるよ。ばかばかしい」
「ばかばかしかあねえや……なるほど、こんな隅っこでかたまってやがら……痩せこけちまって、ろくに肉なんかついちゃあいねえや。ガラだね、まるで……これじゃあ目方で売ってもいくらにもなりゃあしねえ……おう、母上、母上……居眠りしてやがらあ……うすぼんやりしちゃあいけねえ。今日からおめえに、おれは親孝行するから、おめえもそのつもりで覚悟しなくっちゃあいけねえぜ……鯉をおめえにおれが食わせよう、なあ……どうだ、食いてえだろう?」
「……? 鯉を食わせる?」
「どうだよ、おどろいたろう……食うか、鯉を」
「めずらしいことがあるもんだ。煎餅のかけら一つでも食えと言ったことがないのに、鯉を食えだなんて……。せっかくだがおれはなあ、川魚は泥臭えから、昔から嫌《きれ》えだ」
「嫌《きれ》えか?……じゃあ筍ならどうだ。食うか?」
「もう歯がなくなっちまって、堅いものはだめだ」
「じゃあ、鯉なら柔らけえから食えるだろ?」
「嫌《きら》いだてんだよ」
「だって我慢すりゃ食えるだろう。え? たんと食わなくったっていいや、こっちもおめえ、都合があるんだから……」
「頼まれてもいやだよ」
「じゃあ筍を食いねえな」
「堅えから食えねえ」
「のんじまえばいいじゃあねえ……少し食いねえ、頼むから……後生だから……」
「くどいよ。嫌《きれ》えなものはいやだよ」
「勝手にしゃあがれっ、狸ばばあめっ、せっかく、人が食わせようとおもやあ、嫌《きれ》えだの、歯が悪《わり》いだの、すべったころんだ言やあがって……こん畜生め、食わねえったって食わさねえじゃあおかねえぞ……口を割って無理にねじこんで、踵《かかと》で蹴こむから……そうおもえ」
「なに言ってるんだよ。そんな乱暴なことして親孝行になるもんかね」
「なに言ってやんでえ、よってたかって人の親孝行の邪魔をしやあがって……おうおう、辰、辰公じゃあねえか?」
「おう、うちにいたのか?」
「どこへ行くんだ?」
「これからむしゃくしゃするから一杯《いつぺえ》やりに行こうってんだ」
「どうしたんだ、いま時分?」
「なーに、いま、おやじと喧嘩して飛び出してきたんだ」
「どうして?」
「どういうもんだか、うちのおやじときたひにゃあ頑固でしょうがねえんだよ。仕事を早目に切りあげて、うちへ帰って一杯《いつぺえ》やろうとしたら『てめえみてえな卵の殻《から》が尻《けつ》へくっついてるやつが、明るいうちから酒なんぞくらって生意気だ』とこう言いやがる。むやみに人を子供あつけえにして癪にさわるから、『なに言ってやんでえ、この耄碌《もうろく》じじいめ、勝手にしやがれ』ってんで、いまうちを飛び出してきたんだあ」
「この野郎、親不孝なやつだ。こらっ、てめえは親不孝だぞ」
「うふっ、笑わしちゃあいけねえや。てめえこそ名代の親不孝じゃあねえか」
「おれは名代の親不孝、てめは新名題の親不孝だ」
「なんだい? 新名題てえのは役者だな、まるで……」
「なんでもいいから、そこへ座れ」
「なんだい?」
「どうもおめえのような者はないな。言語ひょうたんのやつだ」
「なんだ?」
「なんでもいいから、すぐに店《たな》をあけろ。おめえのような親不孝なやつを長屋に置いとくわけにいかねえから、店をあけろ、店をあけろっ」
「店をあけろって、どうするんだ?」
「おめえの住んでるうちをあけるんだ」
「大きなお世話だ。あれはおれのうちだ」
「おめえのうちでもかまわねえ。あけろ、あけろっ」
「そんなわからねえやつがあるもんか」
「よく聞けよ。昔から孝は……ひょっとこの基だ」
「なんだい?」
「無二膏や、絆創膏《ばんそうこう》や按摩膏《あんまこう》、親孝行はどこへつけても……」
「なんだい、薬屋の看板か?」
「そうじゃあねえや……こうこうの漬《つ》かる時分に茄子《なす》はなし」
「へえー」
「さればとて、南瓜《かぼちや》は生《なま》で食われねえ」
「なんのことだ? さっぱりわからねえや」
「そうだろう。おれにだってまるっきりわからねえ……もろこし……もろこしだ。もろこしに四十孝てえのがあった。この中で……なあ……ぽうぽうてえ人があった」
「ぽうぽう?」
「この人に一人《いちにん》のおっかさんがいて、いたってうちが貧乏だ……てんだ。これで、もろこしは、貧乏とばばあがみんなつながってんだ。おぼえてろい。で、ある雪の降る寒中に、このおっかさんが鯉が食べたいとおっしゃった。なにしろ親孝行な人だ。よろしゅうがすてんで鍬を持って裏の竹やぶへ行ったんだ」
「え? おかしいじゃあねえか。鯉が食いてえってのに、竹やぶへ行ってどうする?」
「黙って聞いてろ……あっちこっちと掘ってみたがどうしても鯉が出ねえ」
「あたりめえだ」
「これじゃあとても親孝行ができねえ。どうしたらよかろうと、天をにらんで、からからと笑った」
「なんだい?」
「足の下の雪がこんもり高くなったから、鍬で払いのけてみると、ころあいの鯉が飛び出した」
「嘘をつけ」
「この鯉をおっかさんに差しあげて孝行をしたってんだ。どうだ、おどろいたろう」
「だっておめえ、竹やぶゥ掘って鯉が出たのかい?」
「さあ、出ねえところを出るのが天の感ずるところだ。これすなわち、てんかん[#「てんかん」に傍点]てえやつだ」
「なんだか話がちっとも、まとまらねえなあ」
「まとまらなくってもいいから、とにかく親孝行をしろ」
「こりゃあおどろいたなあ。おめえに親孝行の意見をされるとはおもわなかったぜ……そうか、じゃあ飲みに行こうとおもったが、うちへ帰っておやじと仲直りでもするか」
「そうしろ、そうしろ、親孝行をすれば、お上《かみ》より青緡五貫文のごほうびがもらえる」
「くれるか?」
「やりてえけれども、いま銭がねえから、いくらかおれに持ってこい」
「なにを言ってやんでえ」
「あははは、おどろいて帰っちまやあがった……なあ、婆さん、おめえ鯉を食わねえか?」
「またはじめやがった。いやだよ」
「しょうがねえな。これじゃあ親孝行ができゃあしねえ。どうしたら?……ああ、いいことがある。おい、おっかァ、子供をつれてこい」
「どうするんだい? うちに子供なんかいやあしないよ」
「じゃあ、隣の子を借りてこい」
「隣の子をどうするのさ?」
「生き埋めにするんだ」
「なんだって? おまえさん、気でもちがったのかい? いいかげんにおしよ」
「ばばあも、おめえも、おれが親孝行して、銭儲けをしようとすると邪魔ばっかりしやあがって、どうしてそうさからうんだ……あっ、そうだ。まだあった。親孝行が……おい、酒はあるか? ねえ? なかったら一升ばかり買ってこい。なんでもいいから買ってこい。ええ? 親孝行するったっていくらか元《もと》を掛けなくちゃあなあ……婆さん、もう寝なよ」
「まだ日暮れにはだいぶあるよ」
「じゃ、雨戸を締めちまえ」
「戸を締めたって表はまだ明るいよ」
「表は月夜だとおもえっ」
「まだ眠くないよ」
「眠くなくたっていいから、さあさあ、寝ちまいな。こっちはまじないにとりかかるんだ。親孝行てえのはむずかしいもんだ……ああ、買ってきたか。よしよし。こっちへよこせ。婆さんが蚊に食われねえようにしてやるから……ふーっ、ふーっ……ああいい匂《にお》いだ。この匂いじゃあたまらねえ……けれども、この身体へ吹いておくやつが、だんだん消えちまうとつまらねえ。おんなじことなら、腹のなかへ吹きこむほうがもちがいいだろう。腹のなかなら匂いだってすぐ消えやあしめえ。このほうが蚊のためにもおれのためにもいい……ああ、うめえ、うめえ。なるほど親孝行てえのはやってみると悪くねえもんだなあ。こんなことならもっと早く親孝行にとりかかりゃあよかった。これなら、おらあ仕事をやすんで毎日親孝行をやってらあ、隠居も無駄には年齢《とし》をとってねえ……ああ、腹のへってるところへ吹きこんだら、よけいきいちまった。どうもありがてえ……あーあ、すっかりいい気持ちになった……」
「おまえさん、どうしたんだねえ、裸でこんなところへ寝ちまってさあ」
「いいから、みんな寝ちまえ。……おれはもう親孝行のほうで頑張るから……ああ、ありがてえ、親孝行でござい……グーッ、グーッ……」
夜ががらりと明けると……、
「ちょいと、起きな起きな。いつまで寝てるんだ」
「うう…ん、あ…ああ、あはは、おっかァ、てえしたもんだなあ。おれが酒飲んで、すっ裸で寝ていたのに、ゆうべにかぎって蚊が一匹も食ってねえ。うーん、これがすなわち、天の感ずるところだ」
「なに言ってんだよ。あたしが夜っぴて煽《あお》いでいたんだ」