あくび指南
いろいろな稽古事があるなかで、なにか変わった、いままでにない稽古事をしてみようという方がいるもので、ある町内に喧嘩《けんか》を教える……「喧嘩指南所」という看板を出した。またこれを見た人が、
「おう、おもしれえなあ、喧嘩指南所……へっ、じゃあおれがひとつ喧嘩を教わってやろう」
これが喧嘩のひとつも教わろうという人ですから、入ってくるなり喧嘩腰で、
「やいっ、喧嘩を教《おせ》えるってえなァてめえかっ」
「ばか野郎っ、なんてえ言いぐさだ、ええ? 世の中にてめえほどのばかがあるか。喧嘩を教わるのはてめえだろ? おめえは弟子で、おれは師匠だ。その師匠をつかまえて、てめえってえやつがあるか、ばか野郎、帰《けえ》れっ」
「なにをゥこの野郎、大きなごたくを並べやがったな、てめえは弟子だあ? けっ、なあにをゥぬかしやがんでえ、べらぼうめえ、笑わせやがらあ、なにを言ってやんでえ、かぶっかじりめ。なにが弟子で師匠でえ、まだおめえからものを教わろうときめたわけじゃあねえやい。ものを教わらなきゃあ師匠でも弟子でもねえや。こん畜生ァ大きなことをぬかしゃあがって、野郎、まごまごしやがると張り倒すぞ」
「はははは、すこゥし待ちな、いいから待ちなよ、はっはっ……おまえを仕込んだらものになるだろう」
また、釣りを教えてやろうと、粋な人が「釣り指南所」という看板をかける。さっそく行ってみると、釣り竿をもって二階へ上げられて、
「さあさあ、針をずっと下へ垂らしなさいよ。手前が下で糸を引きますから、あたりというものをよくおぼえてくださいよ。……さあ、これはいかがで?」
「なるほど、引いてる、引いてる。師匠、このあたりはなんでございます?」
「これは、鯊《はぜ》でございます」
「ははあ、なるほど鯊《はぜ》ってえのはこんなもんですかねえ。……おや、つぎはぐっときたね……うッ、こりゃあ、すごい引きだッ、おっとっと……」
師匠が下で力いっぱい糸を引いたので二階から落ちかかり、
「あっ、あぶない、こりゃ、おどろいたあ、いまのはなんてえ魚で?」
「へえ、そういうのは河童《かつぱ》ですからお気をつけなさい」
「さあさあ、針をずっと下へ垂らしなさいよ。手前が下で糸を引きますから、あたりというものをよくおぼえてくださいよ。……さあ、これはいかがで?」
「なるほど、引いてる、引いてる。師匠、このあたりはなんでございます?」
「これは、鯊《はぜ》でございます」
「ははあ、なるほど鯊《はぜ》ってえのはこんなもんですかねえ。……おや、つぎはぐっときたね……うッ、こりゃあ、すごい引きだッ、おっとっと……」
師匠が下で力いっぱい糸を引いたので二階から落ちかかり、
「あっ、あぶない、こりゃ、おどろいたあ、いまのはなんてえ魚で?」
「へえ、そういうのは河童《かつぱ》ですからお気をつけなさい」
「おう、安さん」
「え?」
「すまないが、ちょっとつきあってくれ」
「つきあえ? なんだよ」
「じつはね、ちょいとひとつ稽古してみてえものがあるんだ、いっしょに行ってくれえ」
「稽古? へえー? なんでえ、なにを稽古するんだよ」
「この十軒ばかり行くてえと、左側に『あくび指南所』てえのができたんだ。で、そこへ行っておれはひとつあくびを稽古しようとおもうんだがなあ」
「ちぇっ、だからおめえは変わってるってんだ。あきれけえったな、おめえは……稽古するったって、よりによって、あくびの稽古なんてまぬけすぎるじゃあねえか。あくびなんてえものは、うっちゃっといても、なにかのはずみで出るんだ。あんなものは稽古しなくってもできるよ。世の中にあくびを銭出して稽古するばかがあるかい、ふん」
「そりゃあ、おめえのように言っちまやあ話はおしまいだ。なるほどおめえの言うとおり、あくびなんてえものは、うっちゃっといても出るよ。そりゃあ、なんかのはずみでも出るよ。出るけれども、向こうで銭をとって教えるんだから、どっかちょいとオツなところがあるんだよ。いっしょに行ってくれよ」
「よせよ、世の中にあくびにつきあうなんてえやつがいるかい、ばかばかしい。なあ、稽古したきゃあおめえひとりで行きねえ、おれはまっぴらごめんだ」
「だからさ、おまえは稽古をしなくてもいいんだ。おれだって初めて行くんじゃねえか。一人じゃあ間が悪いや。そばに友だちがいてくれるなとおもえば、こっちも気が強いてえやつだ。そばにいてくれりゃあいいんだ、な、頼むよ」
「いやだよ、ばかばかしい、ほかのものならともかく……」
「そんなことを言うなよ……おれだって、ずいぶんてめえにゃあつきあってることがあるぜ。二、三年前によ。踊りを稽古してえと言うんで、とめたけど、つきあいだとおもうから、おめえといっしょに横町の師匠のところへ行った。また師匠も師匠だ。『寅さん、あんよを上げるんですよ』と言ったら、おめえもまたずうずうしいね。上げたのを見ると、大きなあんよだ。まあ、ふつう九文ぐれえまではあんよの部へ入れてもいいが、おめえのは、十三文甲高、大きなやつをぬーっと上げたのを見て、おれは、ぞーっとしたね。そのとたんに、おめえ、尻もちをつきゃあがって、猫が逃げ出す、近所のひとは、おどろいて表へ飛び出す……」
「おいおい、つきあうよ。なにも古いことをひっぱり出さなくってもいいだろう?」
「じゃあつきあってくれ……ここだ」
「なぁーるほど、『あくび指南所』と看板に書いてある」
「ごめんくださいまし」
「どーれ……どなたじゃな? あいにく取り次ぎの者もおらんでな、どうぞお入り……」
「じつは、なんでございます。町内の若い者でございますが、へえ、えっへへ、ひとつ稽古をしていただきたいとおもいまして……」
「ははは、お稽古、では、どうぞこちらへ……ああ、そちらの方、あなたもどうぞ……」
「へ? へえへえ、この野郎は稽古はしねえんで、へえ。お稽古をお願いするのはあたしだけで……」
「では、お連れさんはそちらで少々お待ちくださいまし。いえ、たいしてお手間はとらせません。すぐでございますから……。ところで、どういうあくびを稽古なさいます?」
「どういうあくび? あくびにもいろんなのがあるんでしょうか?」
「そりゃあございますよ。春夏秋冬《はるなつあきふゆ》、四季のあくびがあります。早いお話が、秋ならば月を見ながらあくびが出る、冬ならば炬燵《こたつ》のなかであくびをしたとか。いろいろございますが、どういうあくびをお稽古なさいますか?」
「へえ、どういうのって……初めてなもので、様子がわかりません。なるべくやさしいのをお願いいたします」
「なるほど、やさしいの……ではこういたしましょう。いま申し上げた四季のなかで夏のあくびをひとつご指南いたしましょうかな。これがいちばんお楽でしょう。……まあ、夏は、日も長く、退屈もするからというので、まず船中のあくびですねえ。では、お稽古にかかりましょう」
「へえ、では、どうかひとつお願いいたします」
「よくこちらをごらん願います。ええ、右の手にこう煙管《きせる》を持って、で、左の手は、この膝の上へこう置きます。身体はあまり大きく動かさないように……これは、舫《もや》ってある船ですから、そのおつもりで……『おい、船頭さん、船を上手《うわて》のほうへやってくんな。水神へでも行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れたら、堀から上がって、吉原《なか》へでも行って、粋な遊びの一つもしてこよう。船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(あくびをして)あああ、ならねえ』……とな」
「むずかしいねえ、こりゃあ。なんでも稽古をすりゃあむずかしいってことは聞いてましたが、これはたいへんだ。どうも一度や二度じゃおぼえられそうもねえや。へえ、すいませんがもう一度お願いいたします」
「なんべんでもやりますが、あまり長くないですから、なるべく早くおぼえてくださいよ。いいですか……心持ちはというと、八つ下がり、大川の首尾《しゆび》の松あたりに船を舫って、胴の間に客一人、艫《とも》のほうに船頭が一人、ぼんやり煙草を吸っている……という心持ちですよ。お断わりしておきますが、船は漕いではおりません。舫った船ですから……よろしいですか? 身体をこう少しゆすってな、これは船にゆられている、船に乗っている気分で……『おい、船頭さん、船を上手のほうへやってくんな。水神へでも行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れたら、堀から上がって、吉原《なか》へでも行って、粋な遊びの一つもしてこよう。船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(あくびをして)あーあっ、ならねえ』……とな」
「だんだんむずかしくなりますねえ」
「ではこういたしましょう。とにかくひとつ、やってみていただきましょう。で、いけないところはあたくしがお直しをいたしましょう。そのほうが、ことによると早くおぼえられるかもしれません」
「ははあ、やってみとうござんすねえ……へえ、すいませんが、煙管をあいにく忘れてきたもんで、それ、ちょっと貸してください」
「ええ、どうぞ、お使いください」
「では、さっそく一服……へへへへ、だから、言わねえこっちゃあねえんだ。なんでもぶつかってみなくちゃあわからねえ。どっかあくびのやり方がちがうんだって……ねえ、ありがてえ」
「そう煙草ばかり何服も召しあがってはいけません。煙草は、一服にかぎるので……」
「ああ、そうか」
「はじめる前に、こう身体をゆすぶってな……やってごらん……いやいや、それではゆすぶりすぎる」
「波のきたところで……」
「余計なことをしてはいけません」
「へえ、どうもむずかしいもんで……ええ、はじめは、なんと言うんでしたっけね?」
「船頭を呼ぶので……」
「ああそうか……やいやい、船頭っ」
「それじゃあまるで喧嘩だ。退屈をしているんですから、もっとこう下っ調子で……『おい、船頭さん』……とな」
「ああ、そうか……おい、おーい、船頭さんか……」
「そんなところへ節《ふし》をつけてはいけません。もっと、やんわりと『おい、船頭さん』……とな」
「なるほど……おい、船頭さん、船を……なんて言いましたっけな」
「上手のほうへやってくんな」
「へ、その、う、うわてのほうへやってくんねえー、へっ、笑わしやがる」
「笑わしちゃあいけませんよ」
「水神へ行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れればもうこっちのものだ。堀から飛びこんで……」
「堀から上がるので……」
「こんどは上がるのか……堀から上がって、吉原《なか》へでもわーっとくりこんで……」
「なんです。わーっとくりこむってのは、『吉原へでも行って、粋な遊びの一つもしてこようか』とな」
「ところが、なかなかそうはいかね……このあいだ、一貫二百勘定がたりなくって、えらい目にあった」
「そんなことは、どうでもよろしい。あくびのほうは……?」
「ああ、そうか」
「忘れてしまってはいけません。やってごらんなさい」
「ええ、……船もいいが一日乗ってると、退屈《てえくつ》で……退屈《てえくつ》で……」
「なんです? 退屈《てえくつ》って、もっと上品に」
「えへっへっへ、船もいいが、退屈で……退屈で……そりゃ、まったく、一日乗っていれば、どう考《かん》げえたって退屈《てえくつ》にちげえねえ」
「理屈を言ってはいけません」
「……船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(無理にあくびをしようとして)ハークショーッ」
「ばか野郎っ、どうもあきれたもんだ。けっ、なにを言ってやんでえ。教わるやつも教わるやつだが、教えるやつも教えるやつだ。いい年齢《とし》をしやあがって、てえげえにしろよゥ。なんだあ? 吉原へ行って、粋な遊びだってえ? 生意気なことを言うな。ごろ寝ばかりしてやがるくせに……なんだと? 船もいいが、一日乗ってると、退屈だ……なにを言ってやんでえ。稽古しているてめえたちはいいだろうが、そいつをばかな面ァしてここで待ってるおれの身になってみろ。退屈で……退屈で……(あくびをして)……あーあっ、ならねえ」
「ああ、あのお連れの方はご器用だ。見ていておぼえた」
「え?」
「すまないが、ちょっとつきあってくれ」
「つきあえ? なんだよ」
「じつはね、ちょいとひとつ稽古してみてえものがあるんだ、いっしょに行ってくれえ」
「稽古? へえー? なんでえ、なにを稽古するんだよ」
「この十軒ばかり行くてえと、左側に『あくび指南所』てえのができたんだ。で、そこへ行っておれはひとつあくびを稽古しようとおもうんだがなあ」
「ちぇっ、だからおめえは変わってるってんだ。あきれけえったな、おめえは……稽古するったって、よりによって、あくびの稽古なんてまぬけすぎるじゃあねえか。あくびなんてえものは、うっちゃっといても、なにかのはずみで出るんだ。あんなものは稽古しなくってもできるよ。世の中にあくびを銭出して稽古するばかがあるかい、ふん」
「そりゃあ、おめえのように言っちまやあ話はおしまいだ。なるほどおめえの言うとおり、あくびなんてえものは、うっちゃっといても出るよ。そりゃあ、なんかのはずみでも出るよ。出るけれども、向こうで銭をとって教えるんだから、どっかちょいとオツなところがあるんだよ。いっしょに行ってくれよ」
「よせよ、世の中にあくびにつきあうなんてえやつがいるかい、ばかばかしい。なあ、稽古したきゃあおめえひとりで行きねえ、おれはまっぴらごめんだ」
「だからさ、おまえは稽古をしなくてもいいんだ。おれだって初めて行くんじゃねえか。一人じゃあ間が悪いや。そばに友だちがいてくれるなとおもえば、こっちも気が強いてえやつだ。そばにいてくれりゃあいいんだ、な、頼むよ」
「いやだよ、ばかばかしい、ほかのものならともかく……」
「そんなことを言うなよ……おれだって、ずいぶんてめえにゃあつきあってることがあるぜ。二、三年前によ。踊りを稽古してえと言うんで、とめたけど、つきあいだとおもうから、おめえといっしょに横町の師匠のところへ行った。また師匠も師匠だ。『寅さん、あんよを上げるんですよ』と言ったら、おめえもまたずうずうしいね。上げたのを見ると、大きなあんよだ。まあ、ふつう九文ぐれえまではあんよの部へ入れてもいいが、おめえのは、十三文甲高、大きなやつをぬーっと上げたのを見て、おれは、ぞーっとしたね。そのとたんに、おめえ、尻もちをつきゃあがって、猫が逃げ出す、近所のひとは、おどろいて表へ飛び出す……」
「おいおい、つきあうよ。なにも古いことをひっぱり出さなくってもいいだろう?」
「じゃあつきあってくれ……ここだ」
「なぁーるほど、『あくび指南所』と看板に書いてある」
「ごめんくださいまし」
「どーれ……どなたじゃな? あいにく取り次ぎの者もおらんでな、どうぞお入り……」
「じつは、なんでございます。町内の若い者でございますが、へえ、えっへへ、ひとつ稽古をしていただきたいとおもいまして……」
「ははは、お稽古、では、どうぞこちらへ……ああ、そちらの方、あなたもどうぞ……」
「へ? へえへえ、この野郎は稽古はしねえんで、へえ。お稽古をお願いするのはあたしだけで……」
「では、お連れさんはそちらで少々お待ちくださいまし。いえ、たいしてお手間はとらせません。すぐでございますから……。ところで、どういうあくびを稽古なさいます?」
「どういうあくび? あくびにもいろんなのがあるんでしょうか?」
「そりゃあございますよ。春夏秋冬《はるなつあきふゆ》、四季のあくびがあります。早いお話が、秋ならば月を見ながらあくびが出る、冬ならば炬燵《こたつ》のなかであくびをしたとか。いろいろございますが、どういうあくびをお稽古なさいますか?」
「へえ、どういうのって……初めてなもので、様子がわかりません。なるべくやさしいのをお願いいたします」
「なるほど、やさしいの……ではこういたしましょう。いま申し上げた四季のなかで夏のあくびをひとつご指南いたしましょうかな。これがいちばんお楽でしょう。……まあ、夏は、日も長く、退屈もするからというので、まず船中のあくびですねえ。では、お稽古にかかりましょう」
「へえ、では、どうかひとつお願いいたします」
「よくこちらをごらん願います。ええ、右の手にこう煙管《きせる》を持って、で、左の手は、この膝の上へこう置きます。身体はあまり大きく動かさないように……これは、舫《もや》ってある船ですから、そのおつもりで……『おい、船頭さん、船を上手《うわて》のほうへやってくんな。水神へでも行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れたら、堀から上がって、吉原《なか》へでも行って、粋な遊びの一つもしてこよう。船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(あくびをして)あああ、ならねえ』……とな」
「むずかしいねえ、こりゃあ。なんでも稽古をすりゃあむずかしいってことは聞いてましたが、これはたいへんだ。どうも一度や二度じゃおぼえられそうもねえや。へえ、すいませんがもう一度お願いいたします」
「なんべんでもやりますが、あまり長くないですから、なるべく早くおぼえてくださいよ。いいですか……心持ちはというと、八つ下がり、大川の首尾《しゆび》の松あたりに船を舫って、胴の間に客一人、艫《とも》のほうに船頭が一人、ぼんやり煙草を吸っている……という心持ちですよ。お断わりしておきますが、船は漕いではおりません。舫った船ですから……よろしいですか? 身体をこう少しゆすってな、これは船にゆられている、船に乗っている気分で……『おい、船頭さん、船を上手のほうへやってくんな。水神へでも行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れたら、堀から上がって、吉原《なか》へでも行って、粋な遊びの一つもしてこよう。船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(あくびをして)あーあっ、ならねえ』……とな」
「だんだんむずかしくなりますねえ」
「ではこういたしましょう。とにかくひとつ、やってみていただきましょう。で、いけないところはあたくしがお直しをいたしましょう。そのほうが、ことによると早くおぼえられるかもしれません」
「ははあ、やってみとうござんすねえ……へえ、すいませんが、煙管をあいにく忘れてきたもんで、それ、ちょっと貸してください」
「ええ、どうぞ、お使いください」
「では、さっそく一服……へへへへ、だから、言わねえこっちゃあねえんだ。なんでもぶつかってみなくちゃあわからねえ。どっかあくびのやり方がちがうんだって……ねえ、ありがてえ」
「そう煙草ばかり何服も召しあがってはいけません。煙草は、一服にかぎるので……」
「ああ、そうか」
「はじめる前に、こう身体をゆすぶってな……やってごらん……いやいや、それではゆすぶりすぎる」
「波のきたところで……」
「余計なことをしてはいけません」
「へえ、どうもむずかしいもんで……ええ、はじめは、なんと言うんでしたっけね?」
「船頭を呼ぶので……」
「ああそうか……やいやい、船頭っ」
「それじゃあまるで喧嘩だ。退屈をしているんですから、もっとこう下っ調子で……『おい、船頭さん』……とな」
「ああ、そうか……おい、おーい、船頭さんか……」
「そんなところへ節《ふし》をつけてはいけません。もっと、やんわりと『おい、船頭さん』……とな」
「なるほど……おい、船頭さん、船を……なんて言いましたっけな」
「上手のほうへやってくんな」
「へ、その、う、うわてのほうへやってくんねえー、へっ、笑わしやがる」
「笑わしちゃあいけませんよ」
「水神へ行って、ひとっ風呂とびこんで、日が暮れればもうこっちのものだ。堀から飛びこんで……」
「堀から上がるので……」
「こんどは上がるのか……堀から上がって、吉原《なか》へでもわーっとくりこんで……」
「なんです。わーっとくりこむってのは、『吉原へでも行って、粋な遊びの一つもしてこようか』とな」
「ところが、なかなかそうはいかね……このあいだ、一貫二百勘定がたりなくって、えらい目にあった」
「そんなことは、どうでもよろしい。あくびのほうは……?」
「ああ、そうか」
「忘れてしまってはいけません。やってごらんなさい」
「ええ、……船もいいが一日乗ってると、退屈《てえくつ》で……退屈《てえくつ》で……」
「なんです? 退屈《てえくつ》って、もっと上品に」
「えへっへっへ、船もいいが、退屈で……退屈で……そりゃ、まったく、一日乗っていれば、どう考《かん》げえたって退屈《てえくつ》にちげえねえ」
「理屈を言ってはいけません」
「……船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……(無理にあくびをしようとして)ハークショーッ」
「ばか野郎っ、どうもあきれたもんだ。けっ、なにを言ってやんでえ。教わるやつも教わるやつだが、教えるやつも教えるやつだ。いい年齢《とし》をしやあがって、てえげえにしろよゥ。なんだあ? 吉原へ行って、粋な遊びだってえ? 生意気なことを言うな。ごろ寝ばかりしてやがるくせに……なんだと? 船もいいが、一日乗ってると、退屈だ……なにを言ってやんでえ。稽古しているてめえたちはいいだろうが、そいつをばかな面ァしてここで待ってるおれの身になってみろ。退屈で……退屈で……(あくびをして)……あーあっ、ならねえ」
「ああ、あのお連れの方はご器用だ。見ていておぼえた」