五人回し
エエ、五代目古今亭志ん生のマクラから……。
寄席から帰《かい》ってきて、夜一杯飲んで行くと……そんなことはしない。なんかこの佃煮《つくだに》かなんかで茶漬けかッこんで、で、電車通りィ出てみると、いま南千住の終電車《あか》が出たとこッてえことになる。電車ァなくなっちゃった。なくなったからって、帰りッこないですな、行こうとなった以上は……。しょうがないから尻《しり》を端折《はしよ》って、電車通りを駆け出しますね、女郎《じよろう》買いに行くんだか、マラソンをしたんだかわからない。
で、まず、吾妻町から土手へ上がって、大門を入るきわになるってえと、尻を降ろして、そして、共襟《ともえり》ンとこへ挟《はさ》んである楊枝《ようじ》を出してこいつをくわえて、酔っぱらったふりィして仲《なか》ィ入ってく。駆けて歩いてるから、カアッとのぼせて上気をしておりますから、楊枝をくわえて入っていくと、酔ったように見《め》えるんですな。
そういうおもいで上がるんですからね。
「おまえさん、今夜寝かさないよォ」
なんてことを言う。
なるほど寝られない、わけで……。こりゃ寝かさないほうですな。
こういうときに限って、朝になっても女ァこねえから、くやしいから、起きて顔を洗って帰《かい》ろうとするときに女が、どッからくるか知らないけども、あわてて駆け出してまいりますな。
「あら、もうゥちょいと帰ンの? ずいぶん早いのねェ」
「なにを言ってやんでえ、べらぼうめェ」
と、腹ン中ではおもうけども、そこでなんか言やあ、あの人は甚助《じんすけ》を起こすとか、野暮《やぼ》だとか提灯《ちようちん》だとか言われなくちゃならねえから、
「あァ、いいんだよ、また来るよ」
「ね? また来てねほんとうに、待ってるわよォ」
てんで、背中をとォんと……叩《たた》く。叩いたって、つまり向こうじゃあ、
「てめえみたいなやつァ、来なくったっていいやい、いまいましいやつだなァ」
とおもうから、どォん……と叩く。
その痛さッてなないね。息がとまるようで、表へ出るッてえと、ざァ……ウッと雨が降ってェる。悪《わり》いときに悪いもんですな。しょうがねえから、尻を端折って、方々の軒下を、雨の当たらないように、こう、ずゥッと歩いていくッてえと、ちょうど漬物屋がある、漬物屋の看板てえものは、このくらい(目の高さ)のとこへ下がってる。その漬物屋の看板へ、こつゥん……寝不足だから向こうが見《め》えない。ぶつけると、その痛えのなんのッて、
「あァ痛え……」
とおもって、その看板を見ると、「ざぜん豆」としてある看板なんで……。それが、寝不足だから、よく見えないから、ざ[#「ざ」に傍点]の濁りが見えねえ、
「させん豆……」
あァなるほど振られるわけだ、なんてことを考える。
妙なもんですな。
女郎買いに行って振られる、これほどつまらないことはない。明け方近くなっても、まだ女は来ない。
「煙草はなくなる、火は消える、命に別条がないばかり……」
という大津絵がある。
「あァあ(と、大あくび)……よしゃよかったな、つまらねえことをしちゃった。今夜ァ、よそうかなとおもったんだけどなァ……こないだはばかにまわりっぷりがいいんだからなァ、初会《しよかい》でこのくれえなんだから、裏でも返《けえ》してやったら、ちょいッと乙《おつ》なことになるかなァとおもって、へッ、助平了見でやって来たらいけねえや、もろ[#「もろ」に傍点]に振られちゃった、ちぇッ……もっとも振られるかもしれねえ、昨夜《ゆうべ》の夢見が悪かったなァいやな夢ェ見ちゃったよなァ、帝釈《たいしやく》さまとおらァ差し向かいで安倍川餅《あべかわもち》食った夢ェ見ちゃった……変な夢だよ、どうも。ああいう夢を見るてえなァ、なんかあるんじゃねえか気にはしていたんだが、振られる前表《ぜんぴよう》てえやつだなァどうも……おれの部屋ァだんだん陰気になってきやがった……それにひきかえて、また、隣の部屋はうるせえなァ……宵《よい》からべちゃべちゃべちゃべちゃしゃべってばかりいやァがるン、女だってどッかへ出ていきゃァいいんだが、回しがねえのかなァ……うるせえなァ……ちょいとォ、もしもしィ、隣の方……お静かに願いますよ。こっちにゃァ独り者がいるんだ。なに? そんなとこォさわっちゃくすぐったいわ? なに言ってやんでえ、うるせえやいッ畜生めッ。……あァあ、いやンなっちゃうなァ……勘定でも払ってなけりゃあ、いめいめしいからこのまンま、すうッと帰っちゃうってえ手もあるんだけども、抜かりはねえや、宵勘定(前払い)だからなァ、ええ? 上がってくるなり、すぐおばさんが出て来やがって、『勘定ッ、いただきますッ』——三円八十五銭也、と。高《たけ》え楼《うち》だね……襟巻《えりま》きでも買やァよかった。替わり台なんかおれァよそうとおもったんだ。あいつが入《へえ》って来やがって、『淋《さび》しいわねェ、なんかお取ンな、ねェ、お鮨《すし》が食べたいわ』ッてやがン。『おゥ、じゃいいや、弥助《やすけ》(鮨)そう言ってこいやい、ちょいとつまもうじゃねえか』なんて、いい間《ま》の振りィして鮨《すし》ィ誂《あつら》えたが……たんと入《へえ》ってやァしねえからなァ、鮨だって……鮨と鮨のあいだが二寸五分ずつぐれえはなれてやがン……数をしてみたら笹ッ葉のほうが余計|入《へえ》ってやがン……、鮪《まぐろ》は一つなんだ……鮪を食いたかったんだけど。女の子のいる前で、いきなり鮪へ手ェ出すわけにもいかねえや、しょうがねえから海苔巻《のりまき》をおれァ食ってるうちに、おばさんが、あッてえうちに、あいつを食っちまやがった……あれで銭《ぜに》を取られるんだからなァ、いやだいやだ……こうなってみると、かかァはやっぱり安いやなァ……かわいそうだ、大事にしてやろう、かみさんを、なァ……かみさんは安い、安い証拠にゃあ回しがなくッて玉代《ぎよくだい》が出ねえ」
そのうちに、廊下でぱたりぱたりと、草履の音……。
「おやおや……そうがっかりしたもんじゃァねえや、ええ? 来やがったねェ。情夫《まぶ》は引け過ぎてえことがあるからなァ、それンとこィ来て落ち着こうてえやつかもしれないよ。『すまないわねェ、おまはん[#「おまはん」に傍点]待たしてさァ、遅くなっちゃって、ほんとに。堪忍してよ、なにしろお客さまがたて混んだからさ。遅くなっちゃったの、急いで来たんだよ、あらいやだわ、この人ァ、そんな顔をしてないでさァ、こッちをお向きよゥ』……ヘヘヘッ……足音ァどッかへ消えちまやがった……ちぇッ、よろこんでいるうちに立ち消えになっちまやがる……。あッ、こんだァ本物だ、えッ? 裏|梯子《ばしご》を上がって来やがった。おゥ、急いでやがんなァ、駆け上がって来た。とんとんとんとんとん……と、あァァ、向こうへ行っちゃった。廊下ばたばた[#「ばたばた」に傍点]胸どきどき[#「どきどき」に傍点]てえやつだ……寝ようとおもやァこれだからいやンなっちゃうなァ、女郎屋ってえものァ落ち着かねえで……、あァ、こんどの音はあいつかな? あいつ、少しこう、片ッ方《ぽ》引きずる癖があったな、ぱたりぱたりッてやがン、ヘヘッ……来られてみると、起きてるのはいけねえかなァ。『あら、ちょいとおまえさん、起きていたの?』『あたりめえじゃねえか、おめえが来ねえから寝られやしねえじゃねえか』なんてえと、いやに甚助な野郎だとおもわれるし……寝たふりをしていようかなァ……寝たふりってえやつも、考《かん》げえもんだからなァ。『あらまァ、せっかく寝ついているのを起こしちゃあ悪いから、どっかほかへ行こうかしらん?』なんてね、すうッと行かれちゃったひにゃあ川流れができるからなァ……。もっとも友だちがそ言ったよ、『おまえは他人《ひと》に寝顔を見せるな』ってえやがった、『どうしてだ?』ったら、『知らねえ者がだしぬけに見るとおびえる[#「おびえる」に傍点]』ってえやがン。『おびえるって事《こた》ァねえや、じゃあ起き顔はどうだい?』『起き顔もよくねえ』って……『起き顔が悪くって寝顔が悪い? どうすりゃいい』ったら、『死顔がいいだろう』って……ばかにしてやがン……いくらよくったって死んでるわけにゃァいかねえや……しょうがねえから、目を開《あ》いて鼾《いびき》をかこうかしら? ふんッ目を開いて鼾をかいてりゃ、寝ているか起きているかわからねえだろう、なァ? 銭を使っちゃあ神経を痛めてやがらほんとうに……くう……ッ、来た来た来た来た……ぐうッ……ぐうッ……ぐうッ……」
「へい、今晩は、あけましてよろしゅうございましょうか?……へッ、今晩は」
「けッ、若い衆か?」
「エエ、えッへへへ、どうも……お目ざめでいらっしゃいまして……? あのゥ、お一人さまで……?」
「見りゃァわかるだろう、この野郎ッ。てめえの面《つら》ァの真ン中で二つ光ってンなァなんだ? 銀紙張ってあるわけじゃァねえだろう。お一人さまだ。宵の口からずうっとお一人さまだい、それがどうかしたかい?」
「いえ、どうも……お一人さまでお淋しゅうございましょうなァ」
「いやな野郎だなァこの畜生ァ。悔みを言ってやがら。昔っから、お一人さんでお賑やかなんてなァねえや。お淋しいかお淋しくねえか、てめえこの布団の上へ一人で座っててみろい」
「あいすいませんで、少々今晩はたて混んでおりまして、お客さまが。へえへえ、それがために花魁《おいらん》のほうもちょっと、なに[#「なに」に傍点]でございますが、もう少々ご辛抱願いまして、そのうちにお回りでございましょうから、ひとつ…」
「なんだと? もう少々ご辛抱願います、そのうちにお回りンなりますゥ? なによゥ言ってやンでえ、なんだ、お回りンなるてえのァ?……腰抜けが神輿《みこし》を待ってるんじゃァねえや、お回りになるてえのァ、ふざけたことを言うない、こうッ、おれなんざあなあ、買った女がそばにいねえから甚助をおこしてぽんつく言うような、はばかりながら野暮な人間じゃァねえんだ、いいか。こッちゃァもう女なんてえのァ飽きてるんだ。そばでなんかされるのは、うるせえんだ。なるたけこうはなれてる……あっさりしたやつが好きなんだ、なァ……これじゃあ少しあっさりしすぎてらいッ……。女にそう言え、生意気なことをするなッて。だいいち客を振る面じゃァねえや、あの女郎の面ァ……廊下で尻《けつ》でも振ってやがれッて……」
「お腹立ちもごもっともでございますが、なにしろ、申し上げましたようなわけでございますので、もうほどなくお見えでございましょうから、もう少々ひとつ、えッへへへッ、ご辛抱いただきたいのでございますが……」
「なにを言ってやンでね、なにがご辛抱いただきてえんだい。てめえみてえな朴念仁《ぼくねんじん》にゃァわからねえ、もう少し話のわかる人間らしいのを連れてこい、ええ? 一閑《いつかん》張りでねえ、叩きゃあ音のするような……切って赤《あけ》え血の出る、人間らしいのを連れてこい」
「へえ、人間らしい……? てまいは人間らしくございませんか?」
「なにを言ってやン、なにが人間らしい、てめえなんか、できのいい猿じゃァねえか」
「こりゃァどうもお言葉で……できのいい猿は恐れ入りましたが……お腹立ちもごもっともでございますが、廓《くるわ》はまたこの、引け過ぎましてから、不寝番《ねずばん》という者がお客さま方のご用を承りますのが、これが廓の法でございまして、へッへへッ、すなわち廓法《かくほう》でございますので……」
「なんだとこの野郎、勘弁できねえこと言やがったな、なんだ、すなわち廓法てえのァ。なにを言ってやン、すなわちてえ面《つら》かい、摺鉢《すりばち》のこわれたような面ァしやがってこン畜生。なにが廓法だい、そんなことを言ってなにか、客をへこませりゃァどこが見栄なんだ、筋ッぽいことを言うない、なにを言ってやンでえ……この切り出し[#「切り出し」に傍点]……」
「へ?」
「筋ッぽいことを言うなてんだ、切り出し」
「切り出し[#「切り出し」に傍点]?……なるほど筋を言うところから切り出し[#「切り出し」に傍点]というようなお叱言《こごと》……」
「筋を言うから切り出し[#「切り出し」に傍点]? なに言ってやンで、洒落《しやれ》がわからねえか。わからなきゃ言って聞かせてやろうか、見世《みせ》にいて客を勧《すす》めるのを妓夫《ぎゆう》てえだろう。てめえなんかァ妓夫《ぎゆう》(牛)の屑だから切り出し(こま切り)てんだ」
「妓夫の屑で切り出し……どうも、へッへへ、恐れ入りまして……」
「よろこんでやがる、こン畜生ァ……なァによゥ言ってやンでえべらぼうめ、このこま切れ[#「こま切れ」に傍点]野郎め。てめえッちにな廓法なんぞを言われて、え? さようでござんしたか、そいつァどうも恐れ入りましたてんで、尻《し》ッ尾《ぽ》を巻いて引っこむようなお兄《あに》ィさんたァお兄ィさんのできがちがうんだ、はばかりながら……こちとらァおぎゃァと生まれて三《み》っつのときからおばあさんに手を引かれて吉原へ遊びに来ているんだ」
「……たいへんお早くのお道楽で……」
「てめえなんかァ廓法なんぞを言いやがったって、どういうわけで吉原ができたんだか、その由縁《いわれ》を知るめえ。後学《こうがく》のため言って聞かしてやらァ、耳の穴ァかッぽじってよく聞け、この才槌《さいづち》野郎め。そもそも吉原というものの初まりは、元和三年の三月に、庄司甚右衛門というお節介野郎が、淫売《いんばい》というものを制せんがために公儀幕府へ願って出て、はじめて廓というものが許されたんだ。はじめっからここにあったんじゃァねえんだ、葺屋《ふきや》町の二丁四面を公儀から拝領をして、そこへ廓をたてた、それがためにいまだにあすこに大門《おおもん》通りという古跡が残っているんだ。そのころは一面に葦《よし》の茂った原で、そこへできた廓だから葦原《よしわら》といったのを、縁起商売だから字を吉原《きつげん》と書いて……。それから三十八年目に、浅草へ引き移って、はじめてこれを新吉原というんだ。近くは明治五年の十月の幾日《いつか》には解放……切り放しというものがあって、女郎屋が貸座敷と名が変わり、女郎が出稼ぎ娼妓となって、大見世《おおみせ》が何軒、中見世《ちゆうみせ》が何軒、小見世《こみせ》が何軒、まとめれば何百何十軒あるんだか、女郎の数が何千何百何十何人いるか、どこの楼にゃァどういう女がいて、年齢《とし》がいくつで情夫《いろ》があるとか借金があるとか貯金があるとか、芸者が何人|幇間《たいこもち》が幾人《いくたり》、横丁芸者は何人いて、おでん屋が三十六軒あって、どこの汁《つゆ》が甘《あめ》えとか辛《かれ》えとか、蒟蒻《こんにやく》の切り方が大きいか小せえか、共同便所へ幾人《いくたり》入って小便をしたやつがあるか、糞をたれたやつが何人だか、ちゃんと心得ていようてえお兄ィさんだ……ふざけやァがって、まごまごしやァがると頭から塩ォつけてかじっちゃうぞ、この野郎ッ」
「……へェへェッ、……少々お待ちを、……ただいますぐうかがい……少々お待ちを……、勘定は少ねえが言うことが多いや……なんだい、よくべらべらしゃべりゃあがる。いちばんしまいに、頭から塩をつけてかじっちゃうッて、なにを言ってやン、生梅とまちがえてやがる。……ェェ喜瀬川さんえ……しょうがねえな、この花魁ときたひにゃまた、くらい[#「くらい」に傍点]抜けだからどッかィしけこん[#「しけこん」に傍点]じまってるんだ……ェェ喜瀬川さんえ……」
「煙草はなくなる、火は消える、命に別条がないばかり……」
という大津絵がある。
「あァあ(と、大あくび)……よしゃよかったな、つまらねえことをしちゃった。今夜ァ、よそうかなとおもったんだけどなァ……こないだはばかにまわりっぷりがいいんだからなァ、初会《しよかい》でこのくれえなんだから、裏でも返《けえ》してやったら、ちょいッと乙《おつ》なことになるかなァとおもって、へッ、助平了見でやって来たらいけねえや、もろ[#「もろ」に傍点]に振られちゃった、ちぇッ……もっとも振られるかもしれねえ、昨夜《ゆうべ》の夢見が悪かったなァいやな夢ェ見ちゃったよなァ、帝釈《たいしやく》さまとおらァ差し向かいで安倍川餅《あべかわもち》食った夢ェ見ちゃった……変な夢だよ、どうも。ああいう夢を見るてえなァ、なんかあるんじゃねえか気にはしていたんだが、振られる前表《ぜんぴよう》てえやつだなァどうも……おれの部屋ァだんだん陰気になってきやがった……それにひきかえて、また、隣の部屋はうるせえなァ……宵《よい》からべちゃべちゃべちゃべちゃしゃべってばかりいやァがるン、女だってどッかへ出ていきゃァいいんだが、回しがねえのかなァ……うるせえなァ……ちょいとォ、もしもしィ、隣の方……お静かに願いますよ。こっちにゃァ独り者がいるんだ。なに? そんなとこォさわっちゃくすぐったいわ? なに言ってやんでえ、うるせえやいッ畜生めッ。……あァあ、いやンなっちゃうなァ……勘定でも払ってなけりゃあ、いめいめしいからこのまンま、すうッと帰っちゃうってえ手もあるんだけども、抜かりはねえや、宵勘定(前払い)だからなァ、ええ? 上がってくるなり、すぐおばさんが出て来やがって、『勘定ッ、いただきますッ』——三円八十五銭也、と。高《たけ》え楼《うち》だね……襟巻《えりま》きでも買やァよかった。替わり台なんかおれァよそうとおもったんだ。あいつが入《へえ》って来やがって、『淋《さび》しいわねェ、なんかお取ンな、ねェ、お鮨《すし》が食べたいわ』ッてやがン。『おゥ、じゃいいや、弥助《やすけ》(鮨)そう言ってこいやい、ちょいとつまもうじゃねえか』なんて、いい間《ま》の振りィして鮨《すし》ィ誂《あつら》えたが……たんと入《へえ》ってやァしねえからなァ、鮨だって……鮨と鮨のあいだが二寸五分ずつぐれえはなれてやがン……数をしてみたら笹ッ葉のほうが余計|入《へえ》ってやがン……、鮪《まぐろ》は一つなんだ……鮪を食いたかったんだけど。女の子のいる前で、いきなり鮪へ手ェ出すわけにもいかねえや、しょうがねえから海苔巻《のりまき》をおれァ食ってるうちに、おばさんが、あッてえうちに、あいつを食っちまやがった……あれで銭《ぜに》を取られるんだからなァ、いやだいやだ……こうなってみると、かかァはやっぱり安いやなァ……かわいそうだ、大事にしてやろう、かみさんを、なァ……かみさんは安い、安い証拠にゃあ回しがなくッて玉代《ぎよくだい》が出ねえ」
そのうちに、廊下でぱたりぱたりと、草履の音……。
「おやおや……そうがっかりしたもんじゃァねえや、ええ? 来やがったねェ。情夫《まぶ》は引け過ぎてえことがあるからなァ、それンとこィ来て落ち着こうてえやつかもしれないよ。『すまないわねェ、おまはん[#「おまはん」に傍点]待たしてさァ、遅くなっちゃって、ほんとに。堪忍してよ、なにしろお客さまがたて混んだからさ。遅くなっちゃったの、急いで来たんだよ、あらいやだわ、この人ァ、そんな顔をしてないでさァ、こッちをお向きよゥ』……ヘヘヘッ……足音ァどッかへ消えちまやがった……ちぇッ、よろこんでいるうちに立ち消えになっちまやがる……。あッ、こんだァ本物だ、えッ? 裏|梯子《ばしご》を上がって来やがった。おゥ、急いでやがんなァ、駆け上がって来た。とんとんとんとんとん……と、あァァ、向こうへ行っちゃった。廊下ばたばた[#「ばたばた」に傍点]胸どきどき[#「どきどき」に傍点]てえやつだ……寝ようとおもやァこれだからいやンなっちゃうなァ、女郎屋ってえものァ落ち着かねえで……、あァ、こんどの音はあいつかな? あいつ、少しこう、片ッ方《ぽ》引きずる癖があったな、ぱたりぱたりッてやがン、ヘヘッ……来られてみると、起きてるのはいけねえかなァ。『あら、ちょいとおまえさん、起きていたの?』『あたりめえじゃねえか、おめえが来ねえから寝られやしねえじゃねえか』なんてえと、いやに甚助な野郎だとおもわれるし……寝たふりをしていようかなァ……寝たふりってえやつも、考《かん》げえもんだからなァ。『あらまァ、せっかく寝ついているのを起こしちゃあ悪いから、どっかほかへ行こうかしらん?』なんてね、すうッと行かれちゃったひにゃあ川流れができるからなァ……。もっとも友だちがそ言ったよ、『おまえは他人《ひと》に寝顔を見せるな』ってえやがった、『どうしてだ?』ったら、『知らねえ者がだしぬけに見るとおびえる[#「おびえる」に傍点]』ってえやがン。『おびえるって事《こた》ァねえや、じゃあ起き顔はどうだい?』『起き顔もよくねえ』って……『起き顔が悪くって寝顔が悪い? どうすりゃいい』ったら、『死顔がいいだろう』って……ばかにしてやがン……いくらよくったって死んでるわけにゃァいかねえや……しょうがねえから、目を開《あ》いて鼾《いびき》をかこうかしら? ふんッ目を開いて鼾をかいてりゃ、寝ているか起きているかわからねえだろう、なァ? 銭を使っちゃあ神経を痛めてやがらほんとうに……くう……ッ、来た来た来た来た……ぐうッ……ぐうッ……ぐうッ……」
「へい、今晩は、あけましてよろしゅうございましょうか?……へッ、今晩は」
「けッ、若い衆か?」
「エエ、えッへへへ、どうも……お目ざめでいらっしゃいまして……? あのゥ、お一人さまで……?」
「見りゃァわかるだろう、この野郎ッ。てめえの面《つら》ァの真ン中で二つ光ってンなァなんだ? 銀紙張ってあるわけじゃァねえだろう。お一人さまだ。宵の口からずうっとお一人さまだい、それがどうかしたかい?」
「いえ、どうも……お一人さまでお淋しゅうございましょうなァ」
「いやな野郎だなァこの畜生ァ。悔みを言ってやがら。昔っから、お一人さんでお賑やかなんてなァねえや。お淋しいかお淋しくねえか、てめえこの布団の上へ一人で座っててみろい」
「あいすいませんで、少々今晩はたて混んでおりまして、お客さまが。へえへえ、それがために花魁《おいらん》のほうもちょっと、なに[#「なに」に傍点]でございますが、もう少々ご辛抱願いまして、そのうちにお回りでございましょうから、ひとつ…」
「なんだと? もう少々ご辛抱願います、そのうちにお回りンなりますゥ? なによゥ言ってやンでえ、なんだ、お回りンなるてえのァ?……腰抜けが神輿《みこし》を待ってるんじゃァねえや、お回りになるてえのァ、ふざけたことを言うない、こうッ、おれなんざあなあ、買った女がそばにいねえから甚助をおこしてぽんつく言うような、はばかりながら野暮な人間じゃァねえんだ、いいか。こッちゃァもう女なんてえのァ飽きてるんだ。そばでなんかされるのは、うるせえんだ。なるたけこうはなれてる……あっさりしたやつが好きなんだ、なァ……これじゃあ少しあっさりしすぎてらいッ……。女にそう言え、生意気なことをするなッて。だいいち客を振る面じゃァねえや、あの女郎の面ァ……廊下で尻《けつ》でも振ってやがれッて……」
「お腹立ちもごもっともでございますが、なにしろ、申し上げましたようなわけでございますので、もうほどなくお見えでございましょうから、もう少々ひとつ、えッへへへッ、ご辛抱いただきたいのでございますが……」
「なにを言ってやンでね、なにがご辛抱いただきてえんだい。てめえみてえな朴念仁《ぼくねんじん》にゃァわからねえ、もう少し話のわかる人間らしいのを連れてこい、ええ? 一閑《いつかん》張りでねえ、叩きゃあ音のするような……切って赤《あけ》え血の出る、人間らしいのを連れてこい」
「へえ、人間らしい……? てまいは人間らしくございませんか?」
「なにを言ってやン、なにが人間らしい、てめえなんか、できのいい猿じゃァねえか」
「こりゃァどうもお言葉で……できのいい猿は恐れ入りましたが……お腹立ちもごもっともでございますが、廓《くるわ》はまたこの、引け過ぎましてから、不寝番《ねずばん》という者がお客さま方のご用を承りますのが、これが廓の法でございまして、へッへへッ、すなわち廓法《かくほう》でございますので……」
「なんだとこの野郎、勘弁できねえこと言やがったな、なんだ、すなわち廓法てえのァ。なにを言ってやン、すなわちてえ面《つら》かい、摺鉢《すりばち》のこわれたような面ァしやがってこン畜生。なにが廓法だい、そんなことを言ってなにか、客をへこませりゃァどこが見栄なんだ、筋ッぽいことを言うない、なにを言ってやンでえ……この切り出し[#「切り出し」に傍点]……」
「へ?」
「筋ッぽいことを言うなてんだ、切り出し」
「切り出し[#「切り出し」に傍点]?……なるほど筋を言うところから切り出し[#「切り出し」に傍点]というようなお叱言《こごと》……」
「筋を言うから切り出し[#「切り出し」に傍点]? なに言ってやンで、洒落《しやれ》がわからねえか。わからなきゃ言って聞かせてやろうか、見世《みせ》にいて客を勧《すす》めるのを妓夫《ぎゆう》てえだろう。てめえなんかァ妓夫《ぎゆう》(牛)の屑だから切り出し(こま切り)てんだ」
「妓夫の屑で切り出し……どうも、へッへへ、恐れ入りまして……」
「よろこんでやがる、こン畜生ァ……なァによゥ言ってやンでえべらぼうめ、このこま切れ[#「こま切れ」に傍点]野郎め。てめえッちにな廓法なんぞを言われて、え? さようでござんしたか、そいつァどうも恐れ入りましたてんで、尻《し》ッ尾《ぽ》を巻いて引っこむようなお兄《あに》ィさんたァお兄ィさんのできがちがうんだ、はばかりながら……こちとらァおぎゃァと生まれて三《み》っつのときからおばあさんに手を引かれて吉原へ遊びに来ているんだ」
「……たいへんお早くのお道楽で……」
「てめえなんかァ廓法なんぞを言いやがったって、どういうわけで吉原ができたんだか、その由縁《いわれ》を知るめえ。後学《こうがく》のため言って聞かしてやらァ、耳の穴ァかッぽじってよく聞け、この才槌《さいづち》野郎め。そもそも吉原というものの初まりは、元和三年の三月に、庄司甚右衛門というお節介野郎が、淫売《いんばい》というものを制せんがために公儀幕府へ願って出て、はじめて廓というものが許されたんだ。はじめっからここにあったんじゃァねえんだ、葺屋《ふきや》町の二丁四面を公儀から拝領をして、そこへ廓をたてた、それがためにいまだにあすこに大門《おおもん》通りという古跡が残っているんだ。そのころは一面に葦《よし》の茂った原で、そこへできた廓だから葦原《よしわら》といったのを、縁起商売だから字を吉原《きつげん》と書いて……。それから三十八年目に、浅草へ引き移って、はじめてこれを新吉原というんだ。近くは明治五年の十月の幾日《いつか》には解放……切り放しというものがあって、女郎屋が貸座敷と名が変わり、女郎が出稼ぎ娼妓となって、大見世《おおみせ》が何軒、中見世《ちゆうみせ》が何軒、小見世《こみせ》が何軒、まとめれば何百何十軒あるんだか、女郎の数が何千何百何十何人いるか、どこの楼にゃァどういう女がいて、年齢《とし》がいくつで情夫《いろ》があるとか借金があるとか貯金があるとか、芸者が何人|幇間《たいこもち》が幾人《いくたり》、横丁芸者は何人いて、おでん屋が三十六軒あって、どこの汁《つゆ》が甘《あめ》えとか辛《かれ》えとか、蒟蒻《こんにやく》の切り方が大きいか小せえか、共同便所へ幾人《いくたり》入って小便をしたやつがあるか、糞をたれたやつが何人だか、ちゃんと心得ていようてえお兄ィさんだ……ふざけやァがって、まごまごしやァがると頭から塩ォつけてかじっちゃうぞ、この野郎ッ」
「……へェへェッ、……少々お待ちを、……ただいますぐうかがい……少々お待ちを……、勘定は少ねえが言うことが多いや……なんだい、よくべらべらしゃべりゃあがる。いちばんしまいに、頭から塩をつけてかじっちゃうッて、なにを言ってやン、生梅とまちがえてやがる。……ェェ喜瀬川さんえ……しょうがねえな、この花魁ときたひにゃまた、くらい[#「くらい」に傍点]抜けだからどッかィしけこん[#「しけこん」に傍点]じまってるんだ……ェェ喜瀬川さんえ……」
「……ちょと、廊下を通行の君、拙宅へも、ちょと、おほン、お立ち寄りを願いたいね、ほほほ……」
「気味の悪いやつが来やァがっ……へェい、へ? へえへ、へいッ」
「廊下かれこれ[#「かれこれ」に傍点]はいけやせんよ、こっち[#「こっち」に傍点]へ入りたまえ」
「ェェお呼びになりましたのはこちらでございまして」
「ほほほ……もちりん[#「もちりん」に傍点]」
「もちりん[#「もちりん」に傍点]?」
「まず、ずっとこちらへ入って、あとを締めていただきやしょう、ね? 後締め愛嬌守り神なんてね、えへッ」
「……どういうご用でございましょうか?」
「恐れ入りましたね、え? うかがっていたよ、おッほ、向こうの野蛮人がなにかぽんつい[#「ぽんつい」に傍点]てましたねェ、え? それを君が、柳に風とすうッと受け流すとこなぞは、さすがに千軍万馬往来をしただけありやすねェ。君なぞはもう、人間の角がすうッと、とれて丸くなってやすな、どうも……、ほんとに、角が丸いよ、もらい物の角砂糖のように……」
「お口が悪くていらっしゃいます……ご用をまずうかがいますが……」
「あァゆるりとしたまいよ。君も、おぎゃァと生まれてすぐお女郎屋のお若い衆《し》じゃごわすまい、ね? いろいろ婦人を迷わした、その罪滅《つみほろぼ》しというところで、なにかその、わけありでがしょ? ねェ、君の、おッほほ、うかがおう、お惚気《のろけ》なぞを……ありやしょう、なにか……え? ありやしょ?……ありやしょッ?」
「へッへへへ、恐れ入りまして、てまえなぞはもう、さようなことはございませんで、野暮天《やぼてん》でございまして」
「いえ、野暮はないよゥ、君なぞはなんとなく拝見したところお品がいいねェ、品がよくって相《そう》がいい、どうも、おほッ、品相《ひんそう》(貧相)だ」
「えへんッ……また後《のち》ほど、うかがいます……」
「ま、逃げちゃいけませんよ。君にちょっと、お話があるが、つまりこの遊《あそ》びというものがでげすな、二階へ上がる、おばさんや新造衆《しんぞし》などが出てきて、そのお世辞をお肴《さかな》にご酒いただきなぞは、ま、とにかくとして、いわゆるこの、お引け、閨中《けいちゆう》のばやい[#「ばやい」に傍点]になって、婦人のいるほうが愉快かそれとも……かくの如く、だれもいないほうが君愉快か……」
「……ェェ、真綿《まわた》で首で恐れ入りますが、なにしろ今晩はたて混んでおりますので……」
「いや、なにも婦人の来ないのをとやこう[#「とやこう」に傍点]言うわけじゃァありやせんよ、ね? 傾城傾国《けいせいけいこく》に罪なし、通いたもう賓人《まろうど》にこそ罪あれ……などとは、ほほ、吉田の兼好《けんこう》も乙《おつ》ゥひねりやしたね……しかし、いまさら姫がご来臨になったところゥで、もはよ鶏鳴暁《けいめいあかつき》を告ぐるから、いかんともすべ[#「すべ」に傍点]なしでげす。それよりも君のお身体《からだ》を拝借しよう、ね? 花魁の代わりに……君の……身体をお貸し」
「ェェどうも花魁のご名代を若い衆が勤めるわけにはまいりませんが……どういうことに……?」
「こちらィ背中を向けたまい、背中を」
「へェ?」
「ここに火箸が真っ赤に焼けている、これをひとつ君の背中にじゅう…ッ……と押しつけてみたい」
「……ご冗談を……ただいまうかがいます……しんねりむっつりして、いやな野郎だな、どうも、背中へ焼火箸を突っ通すッて、ばかにしてやがら……ェェ喜瀬川さんえ」
「気味の悪いやつが来やァがっ……へェい、へ? へえへ、へいッ」
「廊下かれこれ[#「かれこれ」に傍点]はいけやせんよ、こっち[#「こっち」に傍点]へ入りたまえ」
「ェェお呼びになりましたのはこちらでございまして」
「ほほほ……もちりん[#「もちりん」に傍点]」
「もちりん[#「もちりん」に傍点]?」
「まず、ずっとこちらへ入って、あとを締めていただきやしょう、ね? 後締め愛嬌守り神なんてね、えへッ」
「……どういうご用でございましょうか?」
「恐れ入りましたね、え? うかがっていたよ、おッほ、向こうの野蛮人がなにかぽんつい[#「ぽんつい」に傍点]てましたねェ、え? それを君が、柳に風とすうッと受け流すとこなぞは、さすがに千軍万馬往来をしただけありやすねェ。君なぞはもう、人間の角がすうッと、とれて丸くなってやすな、どうも……、ほんとに、角が丸いよ、もらい物の角砂糖のように……」
「お口が悪くていらっしゃいます……ご用をまずうかがいますが……」
「あァゆるりとしたまいよ。君も、おぎゃァと生まれてすぐお女郎屋のお若い衆《し》じゃごわすまい、ね? いろいろ婦人を迷わした、その罪滅《つみほろぼ》しというところで、なにかその、わけありでがしょ? ねェ、君の、おッほほ、うかがおう、お惚気《のろけ》なぞを……ありやしょう、なにか……え? ありやしょ?……ありやしょッ?」
「へッへへへ、恐れ入りまして、てまえなぞはもう、さようなことはございませんで、野暮天《やぼてん》でございまして」
「いえ、野暮はないよゥ、君なぞはなんとなく拝見したところお品がいいねェ、品がよくって相《そう》がいい、どうも、おほッ、品相《ひんそう》(貧相)だ」
「えへんッ……また後《のち》ほど、うかがいます……」
「ま、逃げちゃいけませんよ。君にちょっと、お話があるが、つまりこの遊《あそ》びというものがでげすな、二階へ上がる、おばさんや新造衆《しんぞし》などが出てきて、そのお世辞をお肴《さかな》にご酒いただきなぞは、ま、とにかくとして、いわゆるこの、お引け、閨中《けいちゆう》のばやい[#「ばやい」に傍点]になって、婦人のいるほうが愉快かそれとも……かくの如く、だれもいないほうが君愉快か……」
「……ェェ、真綿《まわた》で首で恐れ入りますが、なにしろ今晩はたて混んでおりますので……」
「いや、なにも婦人の来ないのをとやこう[#「とやこう」に傍点]言うわけじゃァありやせんよ、ね? 傾城傾国《けいせいけいこく》に罪なし、通いたもう賓人《まろうど》にこそ罪あれ……などとは、ほほ、吉田の兼好《けんこう》も乙《おつ》ゥひねりやしたね……しかし、いまさら姫がご来臨になったところゥで、もはよ鶏鳴暁《けいめいあかつき》を告ぐるから、いかんともすべ[#「すべ」に傍点]なしでげす。それよりも君のお身体《からだ》を拝借しよう、ね? 花魁の代わりに……君の……身体をお貸し」
「ェェどうも花魁のご名代を若い衆が勤めるわけにはまいりませんが……どういうことに……?」
「こちらィ背中を向けたまい、背中を」
「へェ?」
「ここに火箸が真っ赤に焼けている、これをひとつ君の背中にじゅう…ッ……と押しつけてみたい」
「……ご冗談を……ただいまうかがいます……しんねりむっつりして、いやな野郎だな、どうも、背中へ焼火箸を突っ通すッて、ばかにしてやがら……ェェ喜瀬川さんえ」
「おいッ……だれかおらんか(手をぽんぽんと叩く)、おいッ(ぽんぽん)、小使いはおらんか、小使い……(ぽんぽんぽんッ)、給仕ッ……」
「へえい……役所とまちげえてやがる、給仕だってやがら、情けない。へい、へェい……お呼びになりましたのはこちらさまで……」
「そこでは話がでけん[#「でけん」に傍点]。もそっと前へ進め……面《つら》をあげろ、面を……おいッ」
「へ?」
「貴様はここで何役を勤めとるもんか?」
「へいへい、大引け過ぎが手前の役で、二階を回します、へえ」
「ほう、この二階を、貴様|一人《いちにん》で回すちゅうのか。非常な力の者じゃのう」
「え?」
「貴様、年齢は?」
「……お調べでは恐れ入ります。もう、へへッ、てまえなどはいけませんでございまして……」
「人間にいけませんという年齢《とし》があるか。何歳じゃ」
「四十六でございますので……」
「四十六?……男子たるべきものが、四十六歳に相なって、いまだ一個の分別がつかんで、今日《こんにち》客と娼妓と同衾《どうきん》する夜具布団を運搬をして、貴様それが……なにがおもしれえか」
「別にたいしておもしろくはございませんが、商売でやむなくやっておりますので……」
「貴様の両親もあえてかようなものにいたすべく教育をほどこしたわけではあるまいが、貴様の遊惰、惰弱なる精神薄弱性によって、かかるところで賤業婦の奴隷となって、ただ今日《こんにち》を空々寂々《くうくうじやくじやく》で暮らしとおる。いまさらとなって両親を恨むな」
「別に恨みゃァいたしませんが……お叱言《こごと》は抜きにいたしまして、まず、そのご用をうかがいたいのでございますが……」
「貴様も三度のめしを食い、打《ぶ》たれて痛いという感覚のあるやつならば、ものを見て黒白《こくびやく》は判然するじゃろうが、僕の部屋が、かく一目瞭然たることは明らかであろう。見るが如く四鄰沈沈閨中寂莫《しりんちんちんけいちゆうせきばく》、人跡絶えて音さらになし。はなはだこれ遺憾の至りである。僕の陰鬱たる部屋に引きかえ、向こう座敷はまた何事である、彼は娼妓の待遇によって、喜悦の眉を開いて胸襟《きようきん》を開き、歓楽の極に達し、狂喜乱舞し、果てはあやしき淫声を洩らしつつ、喋々喃々《ちようちようなんなん》と語らいつつある。いかにこれ怨羨《えんせん》の極みではねえか……ここにまた……二個の枕があるが、一個は僕が当然使用すべきものであるとして、いま一個は、これは何人《なんびと》がする枕であるか、うん? あえて寝相が悪いというてかけ替えの枕というわけでもあるまい」
「けっしてそういうわけではございませんで、お一つは敵娼《あいかた》のあのお妓《こ》さん……」
「あのお妓《こ》さん……? あのお妓さんちゅうのはどこにおる? あのお妓さんにもこのお妓さんにも、宵から娼妓なぞというものは一回もこれへはまいらんではないか……貴様その、頭を冷静にもって判断してみなさい。男子がこれに登楼するじゃね。その目的ははたして那辺《なへん》にあるか、貴様。語を変えて言えば、女郎買いの本分これなんにとどまる……」
「やかましいことをおっしゃられては困りますが……なにしろたて混んでおりましたために、かようなわけに相なりまして、もう少々でございますから、ご辛抱を……」
「おいおい、おいッ待て。貴様にまだ質問すべき事項がある。ここにこの、領収書というのがある。これに台の物、小物などというものを記《しる》してあるが、これは僕が、酒食に浪費したとあきらめてええが、この劈頭《へきとう》の、娼妓揚代金という点に至っては、大いに解釈に苦しんでおる。この娼妓揚代金ということは、これは有名無実であるな、これは……あん? なに?……いや、貴様さように弁……いやァ、いや……貴様、いや……いやさように弁解するがじゃね、しからば当楼の娼妓に限っては、お酒の相手はいたしますが、閨房中の相手は絶対にできませんということが、なにかその、貴様のほうに、……この法律上……」
「いえ、ただいまうかがいます。少々お待ちを願います……たいへんなやつが来やがった、ええ? 女郎屋の二階で法律上だってやがる……なに言ってやがるン……」
「へえい……役所とまちげえてやがる、給仕だってやがら、情けない。へい、へェい……お呼びになりましたのはこちらさまで……」
「そこでは話がでけん[#「でけん」に傍点]。もそっと前へ進め……面《つら》をあげろ、面を……おいッ」
「へ?」
「貴様はここで何役を勤めとるもんか?」
「へいへい、大引け過ぎが手前の役で、二階を回します、へえ」
「ほう、この二階を、貴様|一人《いちにん》で回すちゅうのか。非常な力の者じゃのう」
「え?」
「貴様、年齢は?」
「……お調べでは恐れ入ります。もう、へへッ、てまえなどはいけませんでございまして……」
「人間にいけませんという年齢《とし》があるか。何歳じゃ」
「四十六でございますので……」
「四十六?……男子たるべきものが、四十六歳に相なって、いまだ一個の分別がつかんで、今日《こんにち》客と娼妓と同衾《どうきん》する夜具布団を運搬をして、貴様それが……なにがおもしれえか」
「別にたいしておもしろくはございませんが、商売でやむなくやっておりますので……」
「貴様の両親もあえてかようなものにいたすべく教育をほどこしたわけではあるまいが、貴様の遊惰、惰弱なる精神薄弱性によって、かかるところで賤業婦の奴隷となって、ただ今日《こんにち》を空々寂々《くうくうじやくじやく》で暮らしとおる。いまさらとなって両親を恨むな」
「別に恨みゃァいたしませんが……お叱言《こごと》は抜きにいたしまして、まず、そのご用をうかがいたいのでございますが……」
「貴様も三度のめしを食い、打《ぶ》たれて痛いという感覚のあるやつならば、ものを見て黒白《こくびやく》は判然するじゃろうが、僕の部屋が、かく一目瞭然たることは明らかであろう。見るが如く四鄰沈沈閨中寂莫《しりんちんちんけいちゆうせきばく》、人跡絶えて音さらになし。はなはだこれ遺憾の至りである。僕の陰鬱たる部屋に引きかえ、向こう座敷はまた何事である、彼は娼妓の待遇によって、喜悦の眉を開いて胸襟《きようきん》を開き、歓楽の極に達し、狂喜乱舞し、果てはあやしき淫声を洩らしつつ、喋々喃々《ちようちようなんなん》と語らいつつある。いかにこれ怨羨《えんせん》の極みではねえか……ここにまた……二個の枕があるが、一個は僕が当然使用すべきものであるとして、いま一個は、これは何人《なんびと》がする枕であるか、うん? あえて寝相が悪いというてかけ替えの枕というわけでもあるまい」
「けっしてそういうわけではございませんで、お一つは敵娼《あいかた》のあのお妓《こ》さん……」
「あのお妓《こ》さん……? あのお妓さんちゅうのはどこにおる? あのお妓さんにもこのお妓さんにも、宵から娼妓なぞというものは一回もこれへはまいらんではないか……貴様その、頭を冷静にもって判断してみなさい。男子がこれに登楼するじゃね。その目的ははたして那辺《なへん》にあるか、貴様。語を変えて言えば、女郎買いの本分これなんにとどまる……」
「やかましいことをおっしゃられては困りますが……なにしろたて混んでおりましたために、かようなわけに相なりまして、もう少々でございますから、ご辛抱を……」
「おいおい、おいッ待て。貴様にまだ質問すべき事項がある。ここにこの、領収書というのがある。これに台の物、小物などというものを記《しる》してあるが、これは僕が、酒食に浪費したとあきらめてええが、この劈頭《へきとう》の、娼妓揚代金という点に至っては、大いに解釈に苦しんでおる。この娼妓揚代金ということは、これは有名無実であるな、これは……あん? なに?……いや、貴様さように弁……いやァ、いや……貴様、いや……いやさように弁解するがじゃね、しからば当楼の娼妓に限っては、お酒の相手はいたしますが、閨房中の相手は絶対にできませんということが、なにかその、貴様のほうに、……この法律上……」
「いえ、ただいまうかがいます。少々お待ちを願います……たいへんなやつが来やがった、ええ? 女郎屋の二階で法律上だってやがる……なに言ってやがるン……」
「どこだい、ばたばたやってるの?……へ、ごめんくださいまし、開《あ》けますでございます、ちょっと……どうなすったんで……?」
「入《へえ》ってくれ、え? 入《へえ》ってくれィ」
「……なん?」
「なくなりものがしたから、いま捜してるところだから手伝いな」
「なにがなくなりました?」
「玉代《ぎよく》を払った女がいなくなったよ」
「冗談言っちゃいけませんよ……畳をあげたってあなたしょうがない……」
「これからあれァ天井へ入《へえ》るんだ」
「まァどうか勝手にしてくださいな……大掃除だね、畳をあげて上であぐらァかいてやがる、牢名主《ろうなぬし》だね。厄介なやつばかり来やァがる……ェェ喜瀬川さんえ、……ェェ喜瀬川さんえ……」
「入《へえ》ってくれ、え? 入《へえ》ってくれィ」
「……なん?」
「なくなりものがしたから、いま捜してるところだから手伝いな」
「なにがなくなりました?」
「玉代《ぎよく》を払った女がいなくなったよ」
「冗談言っちゃいけませんよ……畳をあげたってあなたしょうがない……」
「これからあれァ天井へ入《へえ》るんだ」
「まァどうか勝手にしてくださいな……大掃除だね、畳をあげて上であぐらァかいてやがる、牢名主《ろうなぬし》だね。厄介なやつばかり来やァがる……ェェ喜瀬川さんえ、……ェェ喜瀬川さんえ……」
「おゥいッ(と、手をぽんぽんッと叩き)若《わけ》ェ衆《し》さァんッ(ぽんぽんぽんぽんッ)、ちょっくら来てもらうべえや(ぽんぽんぽんぽんッ)、若ェ衆さァんッ」
「たいへんな声を出してやがる……へえい、どちらさま」
「こつら[#「こつら」に傍点]さまだこつら[#「こつら」に傍点]さまだいッ(ぽんぽんぽんッ)、返事《へんず》べえぶって来《き》ねえだば話わかんねえな。ちょっくらこけェこう[#「こけェこう」に傍点](ぽんぽんぽんッ)、ちょっくらこけェこう[#「こけェこう」に傍点]ッ」
「なんだい、鶏《にわとり》みてえなやつが来たよ、こけッこう[#「こけッこう」に傍点]だてえやがる……へえい、ただいま……へッ……おや、いらっしゃいまし、なんでげす、どうも……どなたかと存じましたら杢《もく》さんでいらっしゃいますんで……?」
「あんだ[#「あんだ」に傍点]この野郎木助でねえか。あんまり心安く言ってもれえ[#「もれえ」に傍点]たくにええ[#「にええ」に傍点]、ええ? あんだ[#「あんだ」に傍点]、杢さんとは」
「あなたなぞはお馴染《なじ》みでいらっしゃるんで、どうも、酸いも甘いも心得ていらっしゃるんですから、もう少々ひとつご辛抱願いたいもんで……」
「だまれ、この狸野郎め……ふふン、あンまりばかにす[#「す」に傍点]ねえもんだって。ふんと[#「ふんと」に傍点]にほんとうに、呆れ返《け》ってそっくり返《け》って天神《てんずん》さまのお脇差《わきざす》だァほんとうに、ねェ、女《あま》ッ子《こ》におめえから…そう言ってもらうべえ、なァ、客を振るなら田舎者でも振ったらよォかんべえッて、田舎者ォ……おらなんざァこう見《み》いても江戸《いど》ッ子《こ》だァ、この野郎」
「ごもっともで……」
「あァに笑っとるけえ、ええ? おらなんざァ日本橋《ぬほんばす》の在《ぜえ》の者《もん》だァ。肥《こえ》たご桶ェ担いでも真鍮箍《すんつうたが》でなけりば担がねえてえお兄ィさんだ。おらが顔を三日見ねえば女《あま》ッ子《こ》が肺病《へえびよう》になるちゅうだ。疣取虫《いぼたりむし》よりありがてえ顔だって、ねェ……お女郎屋《ぞうろや》へ来てお床《とこ》の番をするだらば、はァ、損料屋《そんろうや》へご奉公に参《めえ》りますてェ、おらのような者を振ったら、女郎|冥利《みようり》に尽きやァしねえかッてねェ……ふんとにふんとにえや[#「ふんとにふんとにえや」に傍点]になりんこ……とろんこ……とんとら、はァ、とことんやれ……とろすく……とんとこォ、おォ……うわァ…いィッ」
「なんだい、こりゃあ……冗談じゃァねえ。花魁はどこへ引けこんじまったんだろうな?……ェェ、喜瀬川さんえ、ェェ喜瀬川さんえ」
「あいーッ」
「どこでござんす?」
「ここだよ」
「なんです、襖の向こうにいて……開けますよ。花魁、あなた、困りますよ。少し回ってやってくださいよ。お客がうるさくってしょうがありませんよ」
「あれッ、女《あま》ッ子、おめえ、そこにいたけえ、おらァとこィ、こっちこい」
「ねえ、杢兵衛大尽、あなた、花魁を少ゥし、回しに出してくださいよ」
「そんだなことォ言ったって……そりゃァおらァだって、商売だから身請けするまでは辛抱《しんぼう》しねえ、そこが苦界《くげえ》の勤めだ、いやな客でも我慢すろてえのに、回らねえだァ……おらァに、お惚《ぽ》れてるだァよ」
「恐れ入ります、どうも……」
「これが回らねえといって、客がわれにつらく当たるべえ?」
「それなんですよ、玉代《ぎよく》を返せなんて、不粋なことを言うのがいちばん困りますンで……」
「玉代|返《けえ》せってか? 呆れたもんだァ、そんなことを言うのは、おおかた田舎者だべえ……そんなざまだから、女《あま》ッ子《こ》に嫌われるだァ……で、一人けえ?」
「いえ、お四人《よつたり》で」
「どうも、呆れたもんだ。……花魁、どうすべえ?」
「玉代を返して、帰ってもらっておくれよ」
「そうけえ、われがそう言うなら、玉代《ぎよく》は、おらが出してやンべえ。……木助、四人前《よつたりめえ》だと、これでええ[#「ええ」に傍点]か?」
「へえ、よろしゅうございます」
「釣銭《つり》はおめえにやるだ。……そんじゃあ、みんなに帰ってもらってくんろ」
「どうも相すいません。まことに恐れ入ります。では、ごゆっくり、えへへへッ」
「さあ、これでわれも安心してここにいられるだぞ」
「だけどもねェ、旦那、すいませんがもう一人前、出しておくれなね」
「どうするだ?」
「あちき[#「あちき」に傍点]がもらって、あらためておまはんにあげます」
「あんで[#「あんで」に傍点]、あらためて、おらがもらってどうするだ?」
「それを持って、おまはんも帰っておくれ」
「たいへんな声を出してやがる……へえい、どちらさま」
「こつら[#「こつら」に傍点]さまだこつら[#「こつら」に傍点]さまだいッ(ぽんぽんぽんッ)、返事《へんず》べえぶって来《き》ねえだば話わかんねえな。ちょっくらこけェこう[#「こけェこう」に傍点](ぽんぽんぽんッ)、ちょっくらこけェこう[#「こけェこう」に傍点]ッ」
「なんだい、鶏《にわとり》みてえなやつが来たよ、こけッこう[#「こけッこう」に傍点]だてえやがる……へえい、ただいま……へッ……おや、いらっしゃいまし、なんでげす、どうも……どなたかと存じましたら杢《もく》さんでいらっしゃいますんで……?」
「あんだ[#「あんだ」に傍点]この野郎木助でねえか。あんまり心安く言ってもれえ[#「もれえ」に傍点]たくにええ[#「にええ」に傍点]、ええ? あんだ[#「あんだ」に傍点]、杢さんとは」
「あなたなぞはお馴染《なじ》みでいらっしゃるんで、どうも、酸いも甘いも心得ていらっしゃるんですから、もう少々ひとつご辛抱願いたいもんで……」
「だまれ、この狸野郎め……ふふン、あンまりばかにす[#「す」に傍点]ねえもんだって。ふんと[#「ふんと」に傍点]にほんとうに、呆れ返《け》ってそっくり返《け》って天神《てんずん》さまのお脇差《わきざす》だァほんとうに、ねェ、女《あま》ッ子《こ》におめえから…そう言ってもらうべえ、なァ、客を振るなら田舎者でも振ったらよォかんべえッて、田舎者ォ……おらなんざァこう見《み》いても江戸《いど》ッ子《こ》だァ、この野郎」
「ごもっともで……」
「あァに笑っとるけえ、ええ? おらなんざァ日本橋《ぬほんばす》の在《ぜえ》の者《もん》だァ。肥《こえ》たご桶ェ担いでも真鍮箍《すんつうたが》でなけりば担がねえてえお兄ィさんだ。おらが顔を三日見ねえば女《あま》ッ子《こ》が肺病《へえびよう》になるちゅうだ。疣取虫《いぼたりむし》よりありがてえ顔だって、ねェ……お女郎屋《ぞうろや》へ来てお床《とこ》の番をするだらば、はァ、損料屋《そんろうや》へご奉公に参《めえ》りますてェ、おらのような者を振ったら、女郎|冥利《みようり》に尽きやァしねえかッてねェ……ふんとにふんとにえや[#「ふんとにふんとにえや」に傍点]になりんこ……とろんこ……とんとら、はァ、とことんやれ……とろすく……とんとこォ、おォ……うわァ…いィッ」
「なんだい、こりゃあ……冗談じゃァねえ。花魁はどこへ引けこんじまったんだろうな?……ェェ、喜瀬川さんえ、ェェ喜瀬川さんえ」
「あいーッ」
「どこでござんす?」
「ここだよ」
「なんです、襖の向こうにいて……開けますよ。花魁、あなた、困りますよ。少し回ってやってくださいよ。お客がうるさくってしょうがありませんよ」
「あれッ、女《あま》ッ子、おめえ、そこにいたけえ、おらァとこィ、こっちこい」
「ねえ、杢兵衛大尽、あなた、花魁を少ゥし、回しに出してくださいよ」
「そんだなことォ言ったって……そりゃァおらァだって、商売だから身請けするまでは辛抱《しんぼう》しねえ、そこが苦界《くげえ》の勤めだ、いやな客でも我慢すろてえのに、回らねえだァ……おらァに、お惚《ぽ》れてるだァよ」
「恐れ入ります、どうも……」
「これが回らねえといって、客がわれにつらく当たるべえ?」
「それなんですよ、玉代《ぎよく》を返せなんて、不粋なことを言うのがいちばん困りますンで……」
「玉代|返《けえ》せってか? 呆れたもんだァ、そんなことを言うのは、おおかた田舎者だべえ……そんなざまだから、女《あま》ッ子《こ》に嫌われるだァ……で、一人けえ?」
「いえ、お四人《よつたり》で」
「どうも、呆れたもんだ。……花魁、どうすべえ?」
「玉代を返して、帰ってもらっておくれよ」
「そうけえ、われがそう言うなら、玉代《ぎよく》は、おらが出してやンべえ。……木助、四人前《よつたりめえ》だと、これでええ[#「ええ」に傍点]か?」
「へえ、よろしゅうございます」
「釣銭《つり》はおめえにやるだ。……そんじゃあ、みんなに帰ってもらってくんろ」
「どうも相すいません。まことに恐れ入ります。では、ごゆっくり、えへへへッ」
「さあ、これでわれも安心してここにいられるだぞ」
「だけどもねェ、旦那、すいませんがもう一人前、出しておくれなね」
「どうするだ?」
「あちき[#「あちき」に傍点]がもらって、あらためておまはんにあげます」
「あんで[#「あんで」に傍点]、あらためて、おらがもらってどうするだ?」
「それを持って、おまはんも帰っておくれ」