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落語百選64

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:ねずみ大工のほうで、名人といえば、左甚五郎|利勝《としかつ》。飛騨山添《ひだやまぞえ》の住人で、十二歳のときに、三代目|
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ねずみ

大工のほうで、名人といえば、左甚五郎|利勝《としかつ》。……飛騨山添《ひだやまぞえ》の住人で、十二歳のときに、三代目|飛騨匠墨縄《ひだのたくみすみなわ》という人に弟子入りして、二十歳のときには師匠墨縄がおどろくほどの技倆《うで》になり、修業のため、飛騨を発《た》って京へ上《のぼ》り、山城の国伏見藤の森に住居して、ここで「竹の水仙」を作りあげた、これを御所へ献上をし、左官《ひだりかん》を許された、という。以来、甚五郎の名は、津々浦々に知れわたった。それからまもなく、京を発って江戸へ下《くだ》ってきて、日本橋|橘町《たちばなちよう》、大工政五郎の家に居候をして、この居候の期間が十年、……いるほうもいるほうだが、置くほうも置くほう。そのあいだに「三井の大黒」を彫り、有名な日光東照宮陽明門を造った。
大工政五郎が若死にした後、倅の政五郎の代になって、甚五郎が後見をしていたが、十年も江戸にいると、生来旅好きの人だから、あらかたもう落ち着いたというので、ある日、思いたち奥州へ旅立った。その仙台での逸話——。
「おじさん、おじさん、あの、旅の人でしょう?」
「そうだなァ、草鞋《わらじ》を履《は》いて、脚絆《きやはん》を着《つ》けて、振分けの荷物を持っている、たいがい旅の人だろうね」
「どっかへ泊まるんでしょう? どうせ泊まるんならあたしの家《うち》ィ泊まってくださいな」
「ほゥ、坊やは宿の客引きさんか? そうかい、どこへ泊まってもおんなじだ。坊やンとこへ、じゃ、今夜泊めてもらおうかな」
「泊まってくれますか? その代わり断わっておきますがね、家はあんまり大きくはありませんよ。座敷もきれいじゃありませんよ」
「あァ、いいとも。ねェ、おじさんの身装《なり》を見ねえ、どれほど大きな身体《からだ》じゃァねえ。十五尺の座敷がなきゃ窮屈で寝られねえ、二十畳の座敷がなきゃ足がつかえる、なんてんじゃァねえやな、うん。そんなになあ、きれいじゃなくてもひと晩ぐらいならどこへ泊まってもいいよ」
「泊まってくれますか? 障子が破けてますよ。障子が破けている代わりにゃあ畳がぼろぼろですよ」
「ずいぶん行き届いているな、おい。いいよいいよ、泊めてもらうよ」
「そうですか……おじさん、あの、寝るとき布団敷いたり掛けたりしますか?」
「変なこと言うなよ、おい。たいがい寝るときには布団を敷いたり掛けたりして寝るもんだよ」
「すいませんが、じゃァ二十文先にくださいな」
「前金かい?」
「前金てえわけじゃねえですけどね、布団屋に借りがありますから、金を持ってかないと、布団貸してくれないんです。で、おじさんが今夜寒いおもいをしたくないとおもったら、二十文出したほうがおためでしょ」
「妙なことを言うなよ。そうか、よしよしわかった、正直でいいや。坊や、二十文でいいかい? ……あいよ」
「へい、すいません……ほんとうはおじさんをご案内して、あたしの家まで連れていかなくちゃいけないんですけどね、おじさんを家《うち》へご案内したり、それから布団屋へ行ったりすると遅くなりますから、すいません、おじさん一人で行ってくださいな。その仙台の町をずゥッとはいって行きますとね、両側にずいぶん旅籠屋《はたごや》があります。右っ側を見て行くと、虎屋っていう大ゥきな家があります。これァ仙台一の旅籠屋なんです。その虎屋の前に小《ち》ィさな家があります。気をつけて行かないと見落としますよ、気をつけて行っても見落とすんですから」
「ふん、ふん、なるほど。じゃ、まァその虎屋を目当てにして行きゃァいいんだな。虎屋の前で、坊やの家はなんてんだい?」
「鼠屋《ねずみや》です」
「鼠屋? はァ? おもしろい名前だね、そりゃ。よしよしわかった。いや大丈夫だ。坊やがついて来てくれなくっても、それだけ聞きゃァわかるよ」
「家には、おやじが一人いますから……じゃあすぐ帰りますから……」
「あァ、よしよし。……さすがに五十四万石のお殿様だ、ええ? 立派なご城下だなァ……八百万石の将軍さまのお膝元の江戸からくらべりゃあ、やっぱり見劣りァするけれども、しかし、これだけのご城下はそうざらにあるもんじゃァねえ……どうでえ、どっちを見ても、はァ、いいご城下だなァ……あ、なるほど、ここか、虎屋というのは……? ヘェ、木口といい、仕事といい、なかなかしっかりしたもんだ。名は体を表わすてえことを聞いたが、なるほどなァ、威風堂々あたりを払ってらあ。虎屋たァ付けたな。その前で鼠屋……と、なるほど、これも名は体を表わしたな。ふゥん、よくこういう細《こま》けえ家があったねェ。虎屋から見るとこりゃあ、家とはおもえねえ、掃溜《はきだめ》だな、まるで。でえち[#「でえち」に傍点]虎屋にしちゃあ鼠屋が小さすぎらあ、こりゃ。ふつうの鼠じゃァねえ、独楽鼠《こまねずみ》だ、こりゃ……ま、ま、いいや……今晩は、泊めてもらいますよ」
「ありがとう存じます。は? ェェ、倅がお願いいたしまして……? はァ、さようでございますか。さっそくあのお洗水《すすぎ》をとりまして、おみ足を洗うはずでございますが、あいにくあたしが腰が抜けておりまして」
「はァ、なるほどねェ、話のわかりそうな大人の腰が抜けてんのかい。ま、ま、いいよ」
「あの、そこに桶がございます。わきに履き替えの草履がございますので、ちょっとそれをお持ちになりまして、裏の小川でおみ足をどうぞお洗いくださいまして……」
「はァはァ、なるほどねェ、あ、草履てえのはこれかい? ええ? おとっつぁん、鼻緒が片っ方《ぽ》切れてるよ」
「あァ、さようですか。では片方でぴょんぴょん……」
「兎だね、まるで……うふ、まァいい……(足を洗い、手をふきながら)きれいな水だねェ」
「え、ェェ、川は小《ちい》そうございますが、水はきれいでございまして、広瀬川へ流れておりまして……」
「そうか、いい気持ちだ。いや、なまじね、水を取ってもらうよりあんなきれいなところがありゃあ、ちっと行って洗ってきたほうがずっと気持ちがいい」
「あ、おじさん来てますね。わかりましたか、家が?」
「あァ、坊やか、ご苦労ご苦労。あァ、わかったよ。布団屋行ってくれたか」
「行ってきました、ええ、もうじき布団が来ますから、安心してください。それからおじさんね、あの、ご飯食べますか?」
「いちいちおめえは妙なことを訊くなァ。旅籠屋へ泊まって、たいがいまァ、めしを食うだろうなァ」
「これからご飯炊いたり、お魚を焼いたり、お菜《かず》を煮たりしていると遅くなりますから、あの、お鮨《すし》でも、そ言ってきましょうか?」
「はァ、はァ、まァひと晩くらいなら鮨もいいなァ」
「どのくらいそ言ってきます? 五人前もそ言ってきましょうか?」
「五人前? 一人だからまァそうは食わねえやな。一人前てえのもなんだから、二人前ぐらいそ言ってきてもらおうかねェ」
「いえ、あたしもお腹空いてますしねェ、おとっつぁんもお鮨好きですから……」
「なんか行き届いてるなァ、おまえのすることはなァ……よしよし、わかった……あいよ、坊や、ここに二分《にぶ》あるからねェ、これでねェ、酒が二升……」
「あ、せっかくですけどあたし、お酒飲まないんで……」
「いや、おまえに飲ませようてんじゃァねえんだ。それからな、残ったやつで鮨を五人前でも十人前でもいいだけそ言っといで」
「どうもあいすみません、勝手なことをお願い申しまして、お腹立ちもなく……」
「いやいや、おとっつぁん、心配しなくってもいいよ。倅さんかい? え? はァ、いい息子だねェ、いくつだい?」
「十二でございます」
「ふゥん、感心だなァ。十二なんて年ごろは近所の子供と悪戯《いたずら》をして遊びたい年ごろだけどねェ。宿《しゆく》はずれまで出て、ま、一人でも客を引っぱってこようてえなあ、えれえ[#「えれえ」に傍点]じゃァねえか、いい息子を持って幸せだなァ。だけどねェ、おとっつぁん、これァまァ、あたしの気持ちだよ、ねェ? 倅はまだ十二だ、いくらいい息子でもおとっつぁんはそうやって腰が抜けてるんだ。来る客ァたまにはいやなことを言ったり、腹立ったりする客がありゃあしないか?」
「へえ、へえ、さようでございます。どうかするとお腹立ちになりましてお帰りになるお客さまもございます」
「そうだろうねェ、一人でも二人でも、女中さんでも置いたほうが、商売はしやすいんじゃァねえかい?」
「へえ、ありがとう存じます。へ、そのご親切なお言葉に甘えまして、年寄りの愚痴を聞いていただきます。へ、あたくしァ、もと、この前の虎屋の主人《あるじ》でございました」
「へえ? 虎屋の主人《あるじ》がなんだって、鼠屋の主人《あるじ》に変わっちゃったんで……」
「へえ、……五年前に女房に先立たれまして、へ、奉公人だけでも三十何人あります。男の手だけでは足りません。目の行き届かないところもたくさんございまして、ま、いろいろの人たちが心配してくれましたが、店にながく働いております女中|頭《がしら》をしておりまするお紺《こん》、これがまァ、あたくしの家にながくおりますのでね、これを後添《のちぞ》えに直しました。店のことはよォくわかっておりますので、万事が行き届きまして、『あァ、いい後添えをもらった』とじつはよろこんでおりましたが、ェェ、ちょうどその年の七夕祭《たなばたまつり》でございました。ご存じでございますか、仙台の七夕といいますと、いや、にぎわいまして、近郷近在から見物に出ていらっしゃいます。どの旅籠屋もいっぱいでございます。あたくしどもも階下《した》も二階もいっぱいのお客さま。二階のお客さま同士で喧嘩がはじまりましてな、皿小鉢をぶっつける、丼をほうる、どちらにお怪我がありましても、とおもいまして、あたくしが留めに上がりました。仲裁にまいりましたら、あっちィ押され、こっちィ押され、どなたに押されましたか、二階から突き飛ばされまして、ひと息に下へ落とされました。梯子段がきれいに拭きこんでありまして、ふだんでも足袋が新しいと、ちょいッとすべって危いくらいでございますから、突き落とされましても、梯子段の途中へ止まるどころじゃございません。二階からひと息に土間へ落ちました。そのときひどく腰を打ちまして、打ちどころが悪かったとみえまして、それっきり腰が立ちません。すぐに離れへ床を敷いてもらいまして、医者よ、薬よ、加持祈祷《かじきとう》とあらゆる手をつくしましたが、どうしてもよくなりません。腰はとうとう立たずじまいでございました、へえ。半年ばかり経ちましたとき、この一軒おいて隣に生駒屋《いこまや》という旅籠屋がございまして、こりゃァあたくしと子供のうちからの喧嘩友だちでございまして、見舞に来てくれました。『おい、卯兵衛《うへえ》』……あたくしは、卯兵衛と申します……『卯兵衛、おまえ子供の身体《からだ》を見てやったことがあるか? 腰の抜けているのは知っているが、了見まで腑《ふ》抜けになっているとは知らなかった。おまえみたいな者とはもうつきあいをしねえからな』……そのまま畳を蹴立てて帰りました。あたくしは『おい、生駒屋』と声をかけましたが、腰は立ちません。あァ、妙なことを言ったな、気になることを言ったな、とおもっているところへ寺子屋から倅が帰ってまいりました。『おい、おまえ裸になってごらん』と言いますと、もじもじしていまして裸になりません。『裸にならねえかッ』とわたくしがおどかしつけますと、いやいや、裸になったのを見ておどろきました。身体じゅうが生傷《なまきず》だらけ……『どうしたんだ?』と訊《き》くと『近所の子供と喧嘩をしたんだ』と言う。『ばかなことを言え、子供同士の喧嘩でそんな傷になることがあるか、ほんとうのことを言わねえと承知しねえぞッ』と言うと、裸のまんまわたくしの首ッ玉にしがみついてきまして『おとっつぁん、おっかさんはなぜ死んだんだ』と言われましたときには……(と涙ぐんで目頭をおさえ)あたくしも泣きまして……あァ、えらいことをした、自分のことばッかし考えてて、子供のことを考えてやらなかった……すぐに番頭を呼びまして、ちょうどその時分ここが物置になっておりました。『おい、番頭、前の物置をすぐに掃除させとくれ、あたしと卯之吉と向こうに移るから』番頭が『へえ、旦那さまよいところにお気がおつきになりました。ひと部屋でもいい部屋をお客さまに使わしていただきとうございます。すぐに女中に掃除させましょう』二階がふた間、階下《した》がふた間ございます。親子二人には広すぎるくらいでございまして、あたくしと倅がこちらへ移りまして、三度のものは前から運ばせておりましたが、ひと月ばかり経ちますと、三度のものが二度になり、しまいには一度になります。倅を前に取りにやりますと、番頭が『いまお客さまの忙しいところで、病人の世話までしていられるか』と、倅の頭をぶったとか、なぐったとか……いや、あたくしァ腹が立ちましてねェ。仮にも主人の息子だ、子供でこそあれ、番頭が手をあげるとはなにごとだ。腹は立ちましたが、腰は立ちません……で、生駒屋がやってきまして『いや、そう怒るな。ついお客さまが立て混んでて気が立ってたから、そんなことをしたんだろう、ほんとうにぶったわけじゃあるまい。いや、心配するな。家から運ばせるからいいよ』と、三度のものは生駒屋から運ばしてくれておりました。あるとき生駒屋が、顔色を変えて家へ来まして『卯兵衛、おまえ前の虎屋をいつ番頭の丑造《うしぞう》に譲り渡した』とこう言うんで『いやァ、とんでもない、あたしゃあ譲り渡した覚えなんざあない』『いやァ、そんなことはない。番頭のすることがあんまりひどいから、前に文句を言いに行くと、丑造が「生駒屋さん、この虎屋と前の旦那さまとはもうなんの関わりあいもございません。これをごらんください」と見せられたものが、〈譲り渡すものなり〉という一札《いつさつ》がはいって、首と釣り替えの印形《いんぎよう》が押してある。おまえさん印形をどうした』と言われて『あァ、しまった。お紺に預けっぱなしだった』と気がついたときにはもう間に合いません。生駒屋が『よし、わかった。心配するな。おまえたち親子を路頭《ろとう》に迷わせるようなことはしないから』と、生駒屋から、三度三度運んでくれておりました。倅が申しますには、『おとっつぁん、生駒屋のおじさんからただ食べさしてもらっていたんでは、乞食同様だ。二階にふた間ある。汚くってもいいから、お客さまに泊まっていただこうじゃァないか。あたしが宿はずれへ出て一人でも二人でも、お客さまを連れてくれば、細々ながらでも命がつなげる』と、こういうわけでございましてな。そいでまァ、倅が宿はずれへ出まして、お客さまへお願いして泊まっていただきます」
「ふん、ふん、なるほどねェ。ふゥん、世の中にゃひどい人があるもんだねェ。……ェェ、鼠屋という名前……?」
「ええ、さようでございます」
「どういうとこで、鼠屋だい?」
「へえ、へ、あの前の虎屋は番頭に乗っ取られましたがな、この、こちらは、物置でございまして、鼠がたくさんおりましてな。で、そこをまァ、倅とあたくしとふたァりで乗っ取ったようなもんだからまァ、鼠に義理を立てまして、鼠屋といたしました」
「はァはァ、なるほどなァ、うん、おもしろい名前だね……おとっつぁん、家に端切《はぎ》れがあるかい?」
「はァはァ、洟紙《はながみ》でございましたらありますけれど」
「いやいや、洟《はな》をかもうってんじゃァねえんだ。端切れというとねェ、柱の切り屑、または板ッ切れみたいなものが家にあるかい?」
「へえへ、物置でございましたので、そういったようなものは、あそこの隅にたくさんございますが……」
「そうかい。あたしがねェ、一人でも二人でもお客さまを引くように、鼠を彫《ほ》ってみよう」
「あァ、お客さま、彫物をなさいます……さようでございますか。この仙台にもね、彫物ではかなり名前の売れた方もおいでになりますし、仙台さまのお抱えの彫物をなさる方もおいで……あ、まだ宿帳をつけさせていただいてございません。へえへ、腰は立ちませんが、筆はたちます……へ、ご生国《しようごく》はどちらでございましょう」
「飛騨高山ですよ」
「はァは、高山からこの仙台のほうへおいでになりまして……」
「いや、じかに来たわけじゃァありません。江戸へ出て来まして、そうだな、もう十年になるかね。いまだに、その、居候をしている風来坊ですよ」
「はァ、さようでございますか。で、江戸はどちらさまで……」
「日本橋橘町、大工政五郎内甚五郎とつけてください」
「飛騨のあの、甚五郎さまで……」
「いやいや、そう目の色を変えたり、顔色を変えたりされるとかえってきまりが悪《わり》い。え? 日本一……ふッふッふ、冗談言っちゃァいけねえ、他人《ひと》さまは日本一だのね、名人だのおっしゃってくださるが、自分じゃァそんなことァおもっちゃァいません。いや、まァまァ、おとっつぁん、扱いが変わると、かえってこっちが気が詰まっていけない。まァま、任しておきなさい」
金銀を山と積まれても自分が仕事をしようという気にならなければ、鑿《のみ》を持たない人だが、一文の金にならなくっても自分が仕事をしようとなったからには、魂を打ちこんで仕事にかかる。……あくる朝までに鼠を一匹彫りあげた。
「坊や、そこに盥《たらい》があるね、え? あんまりきれいな盥じゃァねえけども、使ってるかい? 使ってない? そうかい、そいつを借りてえんだが……あ、おじさんが手を貸すよ」
盥を店先へ据えて、その中へ彫りあげた鼠を入れて、上へ竹網をかけた。
「おとっつぁん、縁《えん》と時節があったらまた逢いましょう」
「ありがとうございます」
「……見ろやい、え? 鼠屋さんじゃァなんかなァ、甚五郎先生となんか関《かか》りええ[#「りええ」に傍点]があるだかなァ。あすこに書《け》えてあらあな。飛騨高山甚五郎作『福鼠《ふくねずみ》』……はァこりゃあ、なんだべなァ。はァ、鼠屋さんにあっただかねェ、聞かなかったなァ、いままで……鼠屋さん……ごめんくだせえ」
「はァは、どうも、こんにちは。どうしました、ここンところ久しく姿を見せないからねェ、身体でも悪いんじゃァないかとおもってたが……さァさ、休んでってください。いまお茶ァいれますから……」
「ありがとうごぜえやす……ねェ、旦那、妙なことを訊くようだけど、ここに、はァ、甚五郎作『福鼠』なんて書《け》えてあるけど、こりゃァ、旦那のとこにあるだかね?」
「あァ、ありますよ」
「あれ、ほんとうにあるだかね……あるとよゥ……へー、そうかねェ、じゃァなにかねェ旦那さまァ、甚五郎さまァ心安いだかね?」
「なァに、心安いなんて言われると、はァ、おしょうしい[#「おしょうしい」に傍点]けどもね」
「なァに、恥ずかしがることなんざねえさ。へェ、そうかねェ。じゃ、あの、名人の甚五郎先生……へーえ、で、どこにあるだ、その『福鼠』てのは?」
「その、盥があるでしょう? そン中へ下《さ》がってんだ」
「あれェ、そうか、見せてもらってもいいかね? そうか、見せてもらうべえ、え? ここかね、こン中へ入《へえ》ってるだかね……あ、入《へえ》ってるよ。妙な色の鼠だ、木ィ彫っただからねェ、へェ……あ(と、息をのんで)動いた、動く……動くぞ、これ……」
「なァにを吐《こ》きゃがるだ、ほんとうにおめえは、あわて者《もん》だからいが[#「いが」に傍点]ねえよ。木ィ彫った物が、動くわけがねえでねえか。おめえは自分の身体がこう動いてるだから、鼠が動いてるように見えるだよ、ばか吐《こ》け、あわて者《もん》だなァあいかわらず、え? ばかなこと(と、のぞきこみ、思わず息をのみ)……動く、動く」
「見ろ、動くべえ。どうだ、偉《えれ》えもんだな、さすがにはァ、名人の甚……あれェ? これは、但書《ただしがき》が書《け》えてあるぞ……『この鼠をご覧の方は、土地の人、旅の人を問わず、ぜひ鼠屋へお泊まりのほど、お願い申し上げます』と、こりゃ、今夜鼠屋へ泊まらねばだめだ」
「ばか吐《こ》け、おらァ村まで十一丁しかねえものを、そんな鼠屋へ泊まるなんて、わけにいくかよ」
「十一丁でも十二丁でもしかたがねえ。名人の甚五郎さまに泊まってくンろと頼まれて泊まらんわけにいが[#「いが」に傍点]ねえ」
「そらァだめだな、弱ったな、偉《えれ》えものを……つまらねえものを、おめえ、のぞくからいが[#「いが」に傍点]ねえよ。おらァとこのかかあは、はァ、えけえ[#「えけえ」に傍点]焼餅だからなァ。おらァ仙台《せんでえ》泊まってきたなんて『なにを吐《こ》きやがるだ、仙台とこことどれだけはなれてるだ。野郎どっけえ行ってまた悪《わり》いことしてきたんじゃァねえか』なんて偉《えれ》えことになるぞ」
「ま、しかたがねえ、おらがに任せとけ、おらァいっしょに行って、はァ、言訳ぶってやるから。まァ、しかたがねえ、泊まるべえや、まァ、……鼠屋さん、今夜泊めてもれえます」
「あ、泊まってくれますか、どうもありがとうごぜえます」
この二人が鼠屋へ泊まって、話を聞き、
「へーえ、虎屋の主人《あるじ》てえのはそんなひどい人かなァ……」
と、これがまた他所《わき》ィ行って噂をする。
「まァ、行って見ろやァ、その甚五郎さまのこしらえた鼠動くだから」
「そうかねェ、ほんとにまァ、動くかねェ。じゃ、おらも見せてもれえに……」
鼠を見に鼠屋へ来る。来ては鼠屋へ泊まる。これが仙台じゅうの評判になり、いつか近郷近在まで評判になって、どんどんどんどんお客が来て、鼠屋はたいへんな繁昌ぶり……。
「おゥ、鼠屋さん、泊めてもらうよ、五人」
「ありがとうございます。二階がふた間、階下《した》がふた間ンところへもう四十六人さまお泊まりで、へえ。せっかく泊まっていただきましても、お寝《やす》みになっていただくなんてわけにいきませんで……」
「あァ、いいよいいよ。馬じゃァねえけどひと晩くらいなら立って寝るよ」
「え、もう立っても寝られません。あとはもう天井へぶらさがるよりしょうがありません」
「じゃ、干柿《ほしがき》だなァ、まるで」
こんな具合いだから、裏の空地へ建て増しをして、女中を頼む、料理番を頼む、いや、たいそうな繁昌。……これに引きかえて、前の虎屋のほうはお客が一人減り、二人減り、どんどん減って、しまいには一人も泊まり手がなくなった。三十何人の奉公人をかかえて、ただ指をくわえているわけにもいかない。虎屋の主人《あるじ》の丑造はかんかん[#「かんかん」に傍点]に怒った。
 丑造のほうにしても言い分はある。というのが、丑造とお紺とは前々からでき[#「でき」に傍点]あっていた。旦那が見て見ないふりをしているものだとおもっていた。ところがおかみさんが亡くなると、旦那のほうはお紺を後添えにしてしまった。
「畜生、他人《ひと》の女を寝取りゃァがって……」
いつか折があったらと、おもっているところへ、主人の卯兵衛が七夕の晩に二階から突き落とされて、腰が抜けたのを幸い、三月、半年と経つうちに、
「ねェ、お紺さん」
と、袖を引っぱった。これがまた丑造とお紺との焼棒杭《やけぼつくい》に火がついて、より[#「より」に傍点]が戻った。そうなると、卯兵衛と卯之吉が邪魔になってしょうがない、とうとういじめ倒して、二人を前の物置へ追っ払って、うまく虎屋を乗っ取った……が、さて一人の客も来ないとなると、どうすることもできない。
「畜生、ばかにしてやがる。よォし、向こうが甚五郎に鼠を彫ってもらったんなら、おれのほうにも考えがある」
と、伊達《だて》さまのお抱えで、飯田丹下という彫物師——。仙台一というより、当時、日本で一、二といわれる人物、三代将軍家光の御前で、甚五郎と二人で、三蓋松や鷹を彫って、甚五郎に敗れて、日本一のお墨付を甚五郎に取られた、いわば、甚五郎の好敵手、ここへ訪ねて行って、
「お礼はいかほどでも出しますが、じつは、前の鼠屋へ甚五郎が鼠を彫りました。この鼠が動くために評判となり、お客がみんな鼠屋へ泊まって、あたくしの家は一人のお客も泊まりません。先生どうぞ、あたくしの家に虎をひとつお彫り願いとうございます」
「なに? 甚五郎が鼠を彫った。よォし、相手が甚五郎なら、あたしが虎を彫ろう」
飯田丹下が請《う》けて、大きな虎を彫りあげた。彫りあがった虎を運んできて、虎屋の二階の手摺のところへ、でんと据えると、これがちょうど鼠屋の鼠をぐッと睨まえるように、虎がすわった。とたんにいままで、ちょろちょろ動いていた鼠が、ぴたっと動かなくなった。
「あッ、おとっつぁん。鼠が動かなくなっちゃった」
「なに? 鼠が? 動かなくなった? どうして……泣いてねえで、はっきり……え? 虎屋へ? 虎がすわった?……どこどこ……どれだァ、あッ、うッー、畜生ッ……あんなにまでしてッ……」
と、卯兵衛が腹を立てたとたんに、腰が立った。……これは、腹を立てたから立ったわけではなく、腰はもう治っていて立っていた、ただ立たないとおもって立たなかったから、立たなかった……と、たいへんややっこしい。
すぐに、江戸日本橋橘町甚五郎のところへ手紙を出した。
「あたしの腰が立ちました。鼠の腰が抜けました」
 この手紙を見ると、甚五郎は、二代目政五郎を連れて、仙台へ乗りこんできた。
「先生、その節はどうもありがとうございました」
「たびたびお便りをありがとう。え? たいそうなご繁昌だそうだ、いやァ、陰ながらよろこんでいました、うん。さっき、卯之坊が宿はずれへ迎えに来てくれていたがねェ、いやァ、大きくなった。見ちがえてしまってねェ『おじさん』と声をかけられて『なんだ卯之坊だったか』と気がつくような始末だ」
「ありがとう存じます。おかげさまで、ごらんください……建増しをいたしますし、ま、こうやって大勢奉公人を使うようにもなれまして……」
「いやァ、結構結構、うん。手紙を見たが、鼠が動かなくなった……うん。はァてね? どういうわけだ……?」
卯兵衛から、事情《わけ》を聞いて、
「うん、飯田丹下が虎を彫った……うん、その虎てえのはどこにある、え? 前の虎屋の二階の手……ほほゥ、うゥん……飯田丹下が彫ったという虎はあれかい?……うゥん?……政坊、おまえのおとっつぁんは大工のほうでは名人といわれた人だが、政坊の目から見て、あの虎はどう思う?」
「……そうですねェ、おじさん、ええ、あっしァまだ年もいきませんしねェ、それほどの腕ァありません。『政、おゥ、おめえ彫りあげてみろ、仕事をしてみろ』と言われても、仕事はできませんけどもね、見る目は持ってるつもりだ。……腹ン中から大工《でえく》ですからねェ、あっしが見た目じゃあ、あの虎ァそんなにいい虎だとァおもえねえなァ。目に恨みを含んでる。でえいちあっしァ他人《ひと》に聞いた話ですから、よくはわからねえけどもねェ、虎って獣《けだもの》ァごくいい虎ンなると、王頭の虎とかいって、この、頭《かしら》ンところへ王という縞《しま》が出てくるそうですねェ、え? それほどの獣だ。あっしが見た目じゃァそれほどの虎とァおもいにくいなァ。どうです? おじさん」
「そうか、あたしもそれほどいいできとはおもわないがなァ……(盥の中をのぞきこみ)鼠、おれはおまえを彫るときに、魂を打ちこんで彫りあげたつもりだけど、おまえ、なにかい? あんな虎が恐いのかい?」
「え? あれ、虎ですか? あっしは猫だと思った」
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