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落語百選71

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:茶の湯蔵前のさる大家の主人、若いころから金を溜める一方で、なにひとつ道楽がない。倅《せがれ》に代を譲って、自分は楽隠居と
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茶の湯

蔵前のさる大家の主人、若いころから金を溜める一方で、なにひとつ道楽がない。倅《せがれ》に代を譲って、自分は楽隠居ということになったが、新たに隠居所を建てるというむだをせず、出入り者に出物を頼んでおいた。すると、根岸の里にもってこいという家が出た。前に住んでいたのが茶人で、茶道具一式、お囲いまでついて、孫店《まごだな》の長屋が三軒ついて売るという……話がまとまって、買い取ることになった。
賑やかな蔵前から、静かな根岸の里へ、定吉という小僧を連れて引き移った。
「定吉、定吉っ」
「ヘェ…い、ご用ですか? ご隠居さん」
「おまえ、少しは家にいなさい。表へばかり出歩いてては、家の用が足りないで困る」
「へい、……少しはご近所の様子をとおもいまして、ひとまわりしてみましたが、蔵前とちがって、根岸てえとこは寂《さび》しいとこですねえ」
「なぜ寂しいと言う。おなじ言うなら、閑静《かんせい》と言えば雅《が》があっていい。静かでいいなァ」
「ご近所に住んでる方、みんな上品な方ばっかりで……」
「そりゃそうだ、なんといっても風流な土地だからなァ」
「お向こうの垣根のあるお庭の広い家があるでしょ? あそこでね、いい音がしてンですよ、なんだろうって、そうっと行って覗《のぞ》いて見たら十七、八の娘さんが琴をひっかいてました」
「ひっかくてやつはないよ。猫じゃあるまいし……琴は弾《だん》じる、あるいは調べるとでも言うもんだ」
「へえ、そうですか。あのゥ、自分の爪で足りないんで、長ァい爪はめちゃうんですね。で、だれも見てないとおもって、安心しちゃって、目ェ据《す》えて、夢中ンなってバリバリッ」
「バリバリッってえのがあるか」
「こっちのお隣の奥さんは、お花|活《い》けてます」
「お上品なお遊びだなァ」
「こっちは変なことしてんですよ、お盆の上へ銀砂だの石っころを載せて、鳶《とんび》の羽根でこすってんです」
「はっはっはっはっ、おのおの風流な遊びをなさるなァ」
「ご隠居さんだって、火鉢の前で朝から晩まで煙草ばかり服《の》んでないで、なんかおやんなさいよ」
「うん、じつはな、かねがねやろうとおもってるものがあるんだ」
「なんです?」
「茶の湯だ」
「ああ、蔵前の若旦那がかきまわして飲んでるやつですね?」
「かきまわすてえのがあるか」
「あれはお上品ですね、あれ、おやんなさい」
「やろうとおもうんだがなァ、子供のうちに習ったんで、すっかり忘れてしまってな」
「おかしいなァ、うちのおやじがよくそう言ってましたよ、ものを習うなら子供のうちに習わなけりゃいけない、中年で習ったものは忘れていけないったんだけど、子供のうちに習ったんで忘れたんですか?」
「変なことを言うんじゃない」
「じゃ、知らないんですね」
「知らないんじゃない、忘れたんだ、やればおもい出す」
「忘れた忘れたって、なにを忘れたんです?」
「全部忘れた。第一番にあの茶碗の中へ入れる青い粉《こな》さ、あの粉がなんの粉かなァ」
「なんだ、あれか」
「知ってんのか?」
「お銭《あし》をください、買ってまいります」
定吉は、表へ飛び出すと、まもなく帰ってきた。
「どこへ行ってきた?」
「角の乾物屋へ」
「なにを買ってきた?」
「青黄粉《あおきなこ》」
「そうそう、青黄粉青黄粉、おもい出した。伝授に書いてあった。『ひとつ、青黄粉を入れるべし』とな。これさえあれば茶の湯ができる」
隠居はお囲いへ入って……もとより置き炭なぞわきまえはない、きれいに切ってある炉の中へ山形に組ませ、ため火を手伝わせるなんてまだるっこいことはしない、消壺《けしつぼ》から消炭をわしづかみにして、炉の中へ放りこんで、渋《しぶ》団扇《うちわ》でバタバタバタバタ、あおぎはじめた。……茶の湯だか、栄螺《さざえ》の壺焼きだかわからない。
「定吉や」
「へい」
「今日は、あたしが主《あるじ》で、おまえが客だ」
「あたしがお客さまですか?」
「仮にもお茶の湯だから、お行儀よくしなきゃいけない、膝が割れてるから、きちんと座んな、衣紋《えもん》を直して、肌がはだけてちゃいけない。……洟《はな》をかめ」
「ズルズル……」
「なぜ吸いこむ? ちゃんとかみなさい」
「かんだって、またあとから出てくる」
「出てきたら、出るたびにかめばいいじゃないか」
「紙が損だ」
「厄介な洟だなァ。……それ、うしろにあるお茶の道具、いろいろあるだろ、こっちへ取りな」
「なにを取ります?」
「茶碗がいるな」
「深いのと浅いのがあります」
「深いほうがたくさん入るから、おまえだって得だろう? それを取れ、それから、長い柄の竹の杓《ひしやく》があるだろう? そうだそうだ、それだ」
「へい、これですか? ずいぶん長いんですねえ。お湯がはねると熱いからって遠くから汲《く》むようになってるのかな?」
「それから、粉入れがあったな。あとでこの中へ粉を入れるんだ。それから、大きな粉ァしゃくうものがあるな、大仏さまの耳かきみたいなやつが……」
「これですか? これで象の耳を掻いてやるとよろこぶでしょうねえ」
「うん、それからまだあるぞ。ほら、布巾《ふきん》があるだろ? 絹の袷《あわせ》の……」
「赤い真四角な布巾ですか? これ布巾ですか?」
「うん、お茶の湯はお上品だから、汚れたものは布巾で拭くんだなァ。それからまた、かきまわすものがある、こういうのが……(と、茶筅《ちやせん》の形を示す)」
「これは、おもしろい格好をしてますね、なんてんです?」
「なんてんだって? こりゃおまえ……うん……座敷ざさら、てんだ」
「座敷ざさら?」
「うん、一名、泡《あわ》立たせとも言う。さァ、茶釜が鳴ってるよ。ちりんちりんいってたのが、いまがばんがばん[#「がばんがばん」に傍点]沸いてきた。根岸の里へ引き移って茶の湯三昧……(釜の蓋《ふた》を取ろうとして)あッちちちち……俗物にはこういうことがわからないな、わッはははは」
「そろそろごちそうになりたいものですね」
「よしよし。いま飲ましてやる。ええっと? 粉、粉……初日でわからんでなァ、分量を少し余計に入れといてやれ、まあ、三杯ぐらいがいいだろう……あッははははは、……こうやってかきまわしているうちに泡が立つ。……泡が立ったらおまえに飲ましてやろうという段取りなんだが……おかしいな、いくらかきまわしても泡が立たない、どうしたんだろう?」
「おかしいですね、……蔵前の若旦那がやるてえと、ちょいちょいとやると泡が立って、お茶碗のはじをこちんとやるとおしまいになっちゃって……ご隠居さんのは立ちませんね」
「泡が立たなくちゃあ、なんだか茶の湯をやってるような気がしないなァ……こりゃなにかほかに泡の立つ薬を入れるんじゃないか?」
「わかりました。あれを入れりゃきっと泡が立ちます」
「そんなものがあるのか?」
「ええ、買ってきますから、お銭《あし》をください」
定吉が駆け出していくと、帰ってきて、
「買ってきました」
「なんだ?」
「椋《むく》の皮です」
「あッそうそう、椋の皮椋の皮、いや、そういえば、師匠が許し物をくれたなかにあった。『ひとつ、泡の立て方、椋の皮を用うべし』としてあった。茶釜ン中へ入れちまえ」
ぐらぐら沸《わ》いている茶釜の中へ椋の皮を放りこんだから、かきまわさなくても泡が立つ……。
「おっそろしい立っちゃったなァ、蟹《かに》が飯炊《まんまた》くみたいだ」
「うまくいったな、しかし少々立ちすぎたかな」
「その代わりかきまわす世話がないやァ」
「しゃくって茶碗に入れればできあがりだ。早茶の湯ってんだ。……さあ、定吉、飲め」
「えッ?」
「飲みなよ」
「あたしが飲むんですか?」
「そうだよ」
「ご隠居さまからおあがりなさい」
「おまえがお客だから先に飲むんだ」
「いえ、ご隠居さまが主《あるじ》ですから、どうぞお先に」
「お茶の湯には遠慮があってはいけない、とにかくおまえ飲め」
「飲み方がわかりません。ご隠居さまが、お手本を見せてください」
「ああ、そうか……よく見ておきなさい。茶碗の縁をこう……二本の指でつかむ。そうしたら、こうやって上へ持ってきて、目八分ここでこう……三べんまわすんだ」
「お呪《まじな》いですか?」
「お呪いじゃァない、作法だ。……なぜって、青黄粉が下へおどんでる[#「おどんでる」に傍点]といけないから、手元へ引いて、このまんま飲むと泡が鼻につくだろ? ついちゃァいけないから、泡を向こう河岸《がし》へ、ふッと吹きつけて、こっち河岸へ来ない隙《すき》をうかがって、くいっ(と、飲み)……ごほっ、あはっ、うふっ(と、むせて)ああ、こりゃ風流だぞォ」
「じゃあ、あたくしもいただきます。こう二本の指で茶碗をおさえるんですね? 目八分に持ってきて……三べんまわすんですね? 三べんまわって煙草にしょ、じゃない、三べんまわして茶の湯にしょだ。なるほどすごい泡だね……吹きゃいいんでしょ、向こう河岸へ……ふうゥゥッ……と、こっち河岸へかえってこない隙をうかがって……こりゃまずいな。隙をうかがおうとおもうてえと泡のほうが、すうっとかえってきちゃう」
「強く吹きすぎるんだ、おまえのは、心得のないやつはしかたがないもんだな。軽く吹いてごらん、軽く……」
「軽く? へえ、やってみます……けどご隠居さん」
「なんだ?」
「茶の湯だの空巣|狙《ねら》いなんてえものは隙をうかがわなきゃいけないもんですかね?」
「空巣狙いといっしょにするやつがあるか」
「軽く向こう河岸へ、ふうっと……よし、いまだな……(と、飲み)うゥ、うゥん、ぎゃあっ」
「なんてえ顔をするんだ。飲め」
「うゥ……ん(と、含んだまま)」
「早く飲めッ」
「うゥん(と、飲み)あはっ、うゥうゥ、こりゃ、こりゃ風流だ」
 毎日毎日、風流だ風流だと、青黄粉と椋の皮の煎《せん》じたのを飲んでいるうちに、四、五日|経《た》つと、二人とも腹の具合いがおかしくなってきた。
「定吉や、定吉」
「ふえェい……また火を熾《おこ》しますか?」
「いや、今日はやめとこう。いいからそこへ座れ。おまえ顔がよくないな」
「お腹《なか》が、ずーと下りっぱなしで……」
「おまえもやられたか? あたしは昨夜《ゆうべ》、厠所《はばかり》へ十六ぺんも通ったよ」
「あたしゃ一ぺんしか行きません」
「若いからえらいなァ、たった一ぺんですんだかい?」
「いいえ、一ぺん入ったきり出なかったんです」
「おやおや、かわいそうに……おしめ[#「おしめ」に傍点]の乾いたのないかな。え? 厠所へ通い切れずにおしめ[#「おしめ」に傍点]をしてるんだ。雨の降る日は茶の湯は休みにしよう。おしめ[#「おしめ」に傍点]が間に合わない。明日でも蔵前へ行ったら、しめし籠を取っておいでよ。しかし、なんだな、下っ腹に力がなくて、えへんと咳《せき》をしてもピイッとくる。じつに風流だなァ」
「風流なんてものは、お腹が下るんですか?」
「まァ、そーっと静かに暮らすことになるから、風流だ」
「ご隠居さんとあたしと二人でお腹下してもつまりません、だれかほかの人を呼びましょうよ」
「だれを呼ぶ?」
「蔵前の若旦那呼びましょう」
「あれとあたしと流儀がちがう」
「お茶の湯にお流儀なんかあるんですか?」
「ああ、襖《ふすま》の開《あ》けたて、座り方から、物の褒《ほ》めようにな」
「へーえ」
「どうだろう、このご近所にお茶の湯はやるが、お流儀がないってえ人はどっかにいないかな?」
「そんな重宝な人あるもんですか」
「困ったな」
「孫店の長屋が三軒あるじゃありませんか、手習いのお師匠さんに、仕事師の鳶頭《かしら》、豆腐屋さん。手紙をお書きなさい」
「なんだって?」
「お茶の湯をするから飲みに来いって」
「三人とも茶の湯を知らなけりゃいいがなァ、知ってて『ご隠居さん、あなたのお流儀がちがいます』なんて言われたら面目ない」
「そんなこと言ったら、怒ってやるんですよ、『お茶の湯ゥごちそうになりにきて、流儀がちがうなんてえのはとんでもないやつだ、店《たな》ァ貸しとくわけにいかないから店立《たなだ》てだァ』って、言っちゃうんです。こんど越してくる人の店請《たなうけ》証文の中へ書き入れるんです。『店賃は遅れてもさしつかえないから、お茶の湯のときに呼びにやったら、いさぎよく来て、ガブガブ飲んで、ピーピー腹を下せ』」
「そんな店請証文があるか」
「とにかく手紙をお書きなさいよ」
定吉は、自分ばかり茶の湯の相手をさせられるものだから、手紙を三本書かせて、豆腐屋、仕事師の鳶頭《かしら》、手習いの師匠へ案内状を出した。
「おい、おっかァ、たいへんだ、ちょっとこいッ、こんどの家主の隠居さんとこから、茶の湯するから飲みに来いとよ」
「なんだね、まァ、びっくりしたよ。お茶の湯ぐらいでおまえさん、その豆ェ挽《ひ》いちまえば用ないんじゃないか。それから行って、ちょっとガブガブ飲んでおいでよ」
「ばかなことを言うない。おれだって、この土地で、親方とかなんとか言われて、口のひとつも利《き》き、なんかことのあったときにゃあ上座《かみざ》へ座らせられる人間だ。家主のほうでもおれを相当な人物とみて、こう言ってよこしたにちげえねえ。……おめえの言うように、ちょいとお茶をガブガブッと飲めるかい。襖の開けたて、座り方、物の褒めようとお流儀がたいへんむずかしいんだ」
「豆腐屋|風情《ふぜい》で茶の湯なんか、知らないものは知りませんて言やァいいじゃないか」
「そうはいくけえ。町内でも豆腐屋の六兵衛はもの知りだって言われてるおれだぞ。茶の湯も知らねえなんてことが世間に知れたひにゃあ、とんだ恥をかいちまわァ」
「じゃあ、今日は行かれませんて、断わりゃァいいだろ?」
「今日行かれねえったら、明日来いって言うだろう。明日断わりゃ、明後日《あさつて》来いだ。向こうは閑人だ、こうなりゃあ茶の湯にとっつかれたようなもんだ」
「茶の湯がとっつくかい。どうすんの?」
「しかたがねえ、引っ越そう」
「引っ越す? なにを言うんだよ。茶の湯ぐらいで引っ越してどうするんだよ。ここへ越してきて、こいだけのお顧客《とくい》をふやすの、並みたいていじゃないよ。よその豆腐屋より、雁《がん》もどきや生揚げを少しずつ大きくして売ってんのァなんのためだい。一軒でもお顧客ふやそうとおもえばこそじゃないか。茶の湯ぐらいで引っ越したんじゃ、せっかく雁もどきや生揚げ大きくしたのが、なんにもならないじゃないか」
「おもしろくねえなッ。……じゃ、亭主は茶の湯で恥をかいても、雁もどきや生揚げさえ大きくして売ってりゃいいてえのか? おれより雁もどきのほうが大事だてえのかよ。それほど大事な雁もどきなら、おれと別れて雁もどきと夫婦になれッ」
「くだらないことを言うもんじゃないよ。……おまえさん、どこへ越すの?」
「わからねえ。とにかく店請の家へ行ってくる、羽織を出してくれ」
「どうするんだい?」
「これから、鳶頭《かしら》の家へ暇乞《いとまご》いに行ってくらあ。こまけえもんだけ片しときな」
「ェェごめんください、鳶頭《かしら》ァ……?」
「おォッとッとと、静かにしろい。だれだい、二階ィ上がりやがったの。ちぇッ、引っ越し馴《な》れねえやつが揃ってやがるじゃねえか。……台所《だいどこ》ィまわったのはだれだ? 鍋《なべ》だの釜だの、ガチャガチャガチャガチャやっちゃァいけねえや、ぼろ[#「ぼろ」に傍点]きれか藁ァかう[#「かう」に傍点]んだ。……おッととと、火鉢ィ出すなら、灰の飛ばねえようにすんだよ。畳はあとだ、畳は……」
「ごめんくださいッ」
「おォう、だれ?……なんでえ、豆腐屋の親方じゃァねえか。うっははは、羽織なんぞ着こんで、葬式でもあったのか?」
「いえ、そうじゃァねえんですが……たいそうこちらとり混んでますが……?」
「おめえにね、ずいぶん厄介になったがねェ、よんどころねえ事《こつ》て急に引っ越しだ」
「あァ、そうですか。じつはあたくしもよんどころないことで引っ越しで」
「おお、もったいねえじゃねえか、あんなに商売繁昌してるのに、お顧客《とくい》をおいて引っ越すのか?」
「鳶頭だってそうじゃありませんか。四、五日前に大工が入って造作、直したのに」
「ああ」
「で、どのへんへお引っ越しになります?」
「まだ、どこへといって、じつは、あてもござんせんが、ともかくも坂本の兄弟分の家まで一時立ち退《の》いてね。……なァに遠くへ行きゃしません。どうせ近所へ家を見つけるつもりなんで……」
「鳶頭ァ、なんだって越すんです?」
「ばかばかしいッて、聞いてくれ。隠居のとっから手紙が来たんだ。開いてみると茶の湯するから飲みに来いってやんだ。おいらァ知らねえで行こうとすると、かかあ出て来やがってね、『茶の湯を知らずに行ったら恥をかこうじゃァありませんか』ときやがった。『おいらァ男だなァ、呼び出しかけられて行かねえのァ男の恥だ。隠居さんの前へ大あぐらァひっかいて、茶の湯てえやつにぶつかって、ガブガブくらって立派に男らしく恥をかいてくンだ』……ばあさんが出てきやがってよ『先祖の代からうしろ指さされたことのない家が、お茶の湯ぐらいで恥ィかいて、先祖のお位牌《いはい》に対してすまなかろうじゃないか』、子分のやつらの言うにァよ、『鳶頭ァ、茶の湯ぐらいで恥ィかいたひにゃ、往来ィ大手ェ振って歩くわけにいかねえから、親分子分の手ェ切ってくれ』ッて、言いやんのよ。なにしろ、悪いやつにこの地面を買われたのがこっちの災難、しかたがござんせん。こんなとこでびくびくしてるより、どこか茶の湯に攻めたてられねえとこへ一時引っ越すことにきめて、急に騒ぎ出したんでござんす」
「そうですかい。いえ、じつはね、あたしのとこもその茶の湯で引っ越しなんで」
「へーえ、行ったかい? 親方ンとこへも」
「するってえと、隣の手習いのお師匠さんとこへも来ている勘定ですね」
「こうして二軒へ来たくれえだから、あちらはまっ先に来てるにちがいねえ」
「そんなら好都合だ。あの先生なら知ってましょう」
「あっ、こりゃァうっかりしてた。なるほど、こりゃ知ってるにちげえねえ。仮にも人の子供を集めて読み書きを教えようてえ人だもの、茶の湯だって心得てるにちげえねえ」
「行って聞こうじゃァありませんか、『隠居の茶の湯へいらっしゃいますか?』って、『行く』ってったら、ひととおり教わっといて、あとは先生に上座に座ってもらって、諸事万端、先生のするとおり真似をするってことに」
「さあ、そううまくいくかなあ?」
「いくかいかないか、先生のとこへ行ってみようじゃありませんか」
「それもそうだなァ、だめでもともと、引っ越しはそれからあとでいいや」
「そうですとも、せっかくのお顧客《とくい》をふいにするかしないかの瀬戸際ですから」
「よし……おゥ、ちょいと待ちなッ、え? 待て待て待てってんだよッ、荷物出すのは待てよ。ああ、風向きが変わったんだ。おゥい、羽織出してくれ、羽織……うん、ちょいと先生ンとこへ暇乞いに行ってくるから。……や、親方、行きやしょう」
「お供します」
「これこれ、金之助、彦之丞《ひこのじよう》、そう騒ぐでない。おまえたちは、お机も、そっくり持って帰んなさい。ああ、お染ちゃん、かなえちゃん、おまえたちのお机は届けてあげるから、硯箱《すずりばこ》だけをよく始末して持って帰るのじゃよ。いずれ、おとっつぁんやおっかさんにお目にかかって、くわしいお話をするが、お師匠さんは、よんどころない事情で、急に引っ越さなくてはならなくなった。いいか、みんな、お師匠さんは、よんどころない事情で転宅……」
「おいおい、親方、子供が机を担いで、ぞろぞろ出てきたよ」
「聞いてみようじゃありませんか。ごめんくださいまし」
「こんにちは、いませんかねェ」
「どォれ……これはこれはご両所、お揃いで見苦しきあばら家へ。まァ、いざまず、これへ」
「気取ってちゃいけねえや。先生、たいへんとり混んでますが、どうかしましたか?」
「あなたがたにえらいご厄介になりましたが、このたびはよんどころないことで転宅をなァ」
「ぷッ……よんどころないが流行《はや》ってやがら。けさ隠居さんとこから手紙が来たろ?」
「ああ……いいや」
「なにを言ってやんでえ、開いてみると、茶の湯するから飲みに来いてんだ。茶の湯知らねえんだろ。で、行って恥をかくより引っ越しをしようてんだろう?」
「鳶頭、人相を見るのかい」
「じゃあ、先生も茶の湯ゥご存じねえんですかい?」
「いや、なに……知らんというわけではござらん。少しは学びましたが、そのころは、学問にばかり心を入れて、とんと風流の道は怠《おこた》っておりましたために、なにぶん深く嗜《たしな》みがござらんでな、まァまァ、飲みようぐらいは存ぜぬこともないが、それも、とんと失念いたしましてなァ」
「飲みよう知ってりゃいいじゃねえか、え? こっちはからっきし[#「からっきし」に傍点]知らねえもんだから、豆腐屋もろとも引っ越しだよ」
「では、あなたがたも?」
「先生が知ってるんならなにも引っ越ししねえでもすむんだ。おれたちは、下《しも》へ座って万事真似してごまかしちまうから」
「飲みようは知っているが、それがさ、茶の湯というものは、なかなかにむずかしいもので、会席ひととおり、道具ひととおりは知らんければ、挨拶もできない。また、流儀など問われたおりに当惑するのでのう」
「流儀のほうは、もしも聞かれたら、杉山流とか、新陰流とか、やっつけたらようござんしょう」
「それは、柔術《やわら》や剣術の流儀で、茶のほうへもちいるわけにはいかん」
「いかんも糸瓜《へちま》もありゃしねえ。こうなったら出かけましょう。向こうだって、それほど名人でもねえでしょう。行って、あなたの飲みようを見て、なんでもあなたのするとおり真似をして、お流儀はって訊《き》かれたら、聞こえないふりをして知らん顔していりゃあいい。それでももしまたお流儀はと来たら、拳固《げんこ》をこさえて待ってて、三度目にお流儀はてえのを合図に、隠居の横づっぽひっぱたいちゃう。隠居があッとその場へひっくり返ったのを見て帰ってきて、引っ越したって遅くねえだろう」
「しかし、三度目にうまくぽかりといけばよいが」
「任しとけッ、茶の湯は知らなくたって喧嘩《けんか》は慣れてるんだ、矢でも鉄砲でも持って来やがれッ」
 三人は隠居のを見て覚えよう。隠居は三人を呼んで、見て覚えよう……、例のとおり、青黄粉と椋の皮を煎じたものがそれへ出てきた。——茶の湯では、おつめ[#「おつめ」に傍点]といって、いちばんおしまいに座を占める人がむずかしい、とされている。鳶頭はそんなことは知らないから、茶の湯だの八八(花札)ははじに限るって、いちばんおしまいに座った。
上客の手習いの師匠から飲みはじめた。
「では、いただきます。……お先へ……うん(と、飲み)うゥ……ん(と、顔をしかめる)」
つづいて、豆腐屋の親方にわたして、豆腐屋も、手習いの師匠の見よう見まねで、
「うゥ……ん(と、飲み)うゥゥ……ん(と、顔をしかめる)」
「ははァ、妙なことをしやがる。茶碗をぐるぐるまわして、飲んで、あんな面ァするもんかね? 千振《せんぶり》だの茶の湯なんて飲んだあと顔をしかめるもんらしい」
自分の前へ茶碗が来たから、鳶頭も見よう見まねで、茶碗を持ちあげてがらんがらんとまわして、がぶっと飲んだ。
「うわッ……ぎゃァッ……すげえものを飲ませやがったな、畜生ッ、……なんか口直し口直しッ」
前にあった羊羹《ようかん》をがばッと口へ押しこんだ。
 これから隠居は、おもしろくなり、退屈しのぎに、毎日毎日、茶の湯だ茶の湯だと、近所の者まで呼ぶようになった。
「おゥ、正さん」
「なんだい?」
「隠居さんの茶の湯ってやつに呼ばれたかい?」
「ああ、おどろいたなァ。ひでえものを飲ませやがんだねェ。おらァ初めて口ィ入れたときにゃあ、こりゃァとても生きて帰《けえ》れめえとおもったね」
「だけど、おめえ、菓子は乙《おつ》だろ?」
「ああ、いい羊羹が出るねェ。だから、おいらちょくちょく行くんだよ。お茶の湯を一服いただきますてんでね、飲んだふりして飲まねえで、羊羹を五つぐらい食っちゃうんだ。それで隙を狙って、二つ三つ袂《たもと》へ入れてきちまうのさ」
「そりゃうめえなァ、おれもやろう」
羊羹泥棒が出入《ではい》りしたから、晦日《みそか》になって菓子屋の勘定《つけ》を見て、隠居はびっくり仰天、根が嗇《けち》な人だから、茶の湯もいいが、羊羹にこう金がかかったんではかなわない。なにか安いいい菓子を自分でこしらえようと薩摩芋《さつまいも》を一俵買ってきて、よく蒸《ふか》して皮をむいて、摺鉢《すりばち》の中へ入れて、黒砂糖と蜜を加えて、摺粉木《すりこぎ》でがらがらがらがら摺《す》って、できたものを椀型の猪口《ちよこ》へつめて、型を抜こうとしたが、芋だの砂糖でべとつくから、うまく抜けない。そこで、油をつけたらうまく抜けるだろうと、あいにく胡麻油がないので、灯油《ともしあぶら》を綿へしめして、猪口のまわりに塗ると、すぽんとうまく抜けた。……芋が黄ばんでいるところへ、黒砂糖と蜜で黒味がついたところへ照りがかかって、見た目にはいかにもうまそうな菓子。それへ、「利休饅頭《りきゆうまんじゆう》」と名付けて、来る人ごとに出していた。
 根岸の里が紅葉し、隠居庵の閑雅深まったある日、蔵前にいたころの知り合いの客が、ひょっこり訪れた。
「おや、吉兵衛さん、おめずらしい」
「ご隠居さま、ひさしくお目にかかりません。こちらへお移りの由《よし》をうかがいまして、ちょっとおたずね申さねばならないのでございますが、ついごぶさたいたしましてあいすいません。どうもいいお住居《すまい》でございますな」
「いや、店のほうは倅に任せっきりでな、こちらで風流を嗜んでおる次第で……」
「どうも、それは結構で、ときにご隠居、うけたまわりますれば、近ごろお釜がかかるそうでございますな」
「え? 釜がかかるとは?」
「いえ、お茶の湯を遊ばすそうで……」
「そうです。このごろはもっぱら茶の湯をやっています」
「それは、恐れ入りました。あなたがお茶をなさるとは、少しも心づかずにおりました。そうと存じましたら、とうに上《あ》がるのでございました。今日《こんち》も、お釜がかかっておりましょうか?」
「はい、いつでも、ぐらぐら煮立《にた》っております」
「ははァ、ご定釜、釜日をお定《さだ》めがなく、つねにぐらぐら煮立っているとは、恐れ入りました。ぜひ一服頂戴を…」
隠居は大よろこびで、囲いへ招き入れて、奇特な客人というので、青黄粉と椋の皮をいつもの倍入れた。
「さァ、どうぞ」
「では、頂戴ィ……う、うゥ…んッ」
吐き出すわけにはいかないので、目を白黒させ死ぬ苦しみで飲みこんだ。口直しは、と見ると、おいしそうな、例の「利休饅頭」があったから、欲ばって二つばかり取って、あぐっとやってみると、とても食べられるような代物《しろもの》ではない。あわてて紙へ包んで、袂《たもと》へ隠すと、
「ちょっとご不浄《ふじよう》を拝借」
縁側へ飛び出して、菓子を捨てようとしたが、一面の敷き松葉、掃除が行き届いて塵《ちり》一本落ちていない。前を見ると、建仁寺《けんねんじ》の垣根越しに、向こうが一面、菜畑になっている。ここなら捨ててもわかるまいッて、ひゅーッと放った菓子包みが、一所懸命畑仕事をしている百姓の横っつらへぴしゃりッ、
「あッはは、また茶の湯やってんな……」
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