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落語百選72

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:宿屋の仇討宿屋では、夕方、灯《ひ》がはいると、宿屋の若い衆や女中が店先へ出て、さかんに客を呼んでいる。「ェェお泊まりさま
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宿屋の仇討

宿屋では、夕方、灯《ひ》がはいると、宿屋の若い衆や女中が店先へ出て、さかんに客を呼んでいる。
「ェェお泊まりさまではございませんか、ェェ玉屋でございます」
「ェェお泊まりさまではございませんか、ェェ蔦《つた》屋でございます」
「ェェお泊まりさまではございませんか、吉田屋でございます」
「ェェ、てまえどもは武蔵《むさし》屋でございますが……」
 年齢《とし》のころ三十七、八、色は浅黒いが人品のいい武士、細身の大小をたばさみ、右の手に鉄扇を持っている。
「許せよ」
「いらっしゃいまし、ェェお泊まりさまでございますか、武蔵屋と申します」
「ほう、当家は武蔵屋と申すか。ひとり旅じゃが泊めてくれるか?」
「へえ、結構でございますとも、どうぞお泊まりくださいまし」
「しからば厄介になるぞ」
「へえ、ありがとうございます」
「拙者は、万事世話九郎《ばんじせわくろう》と申す者。夜前《やぜん》は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚《ざこ》ももぞう[#「もぞう」に傍点]もひとつに寝かせおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落《かけおち》者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭《まぜま》でもよいが、静かな部屋へ案内《あない》をしてもらいたい」
「かしこまりました」
「その方の名はなんと申す?」
「ェェ伊八と申します」
「ああ、その方だな、鶏の尻《けつ》から生き血を吸うのは?」
「えっ、なんでございます?」
「鼬《いたち》と申した」
「いいえ、いたち[#「いたち」に傍点]ではございません。伊八でございます」
「ああ、それで重畳《ちようじよう》、夜前がむじな屋で、また今晩は鼬に出会ったかと……」
「おからかいなっては困ります……どうぞこちらへ……お花どん、お武家さまにお洗足《すすぎ》をお取り申して……それから、奥の八番さんへご案内だよ」
 あとから来たのが、江戸の魚河岸《うおがし》の連中三人づれ、結城《ゆうき》の着物に献上の博多の帯、脚絆甲《きやはんこう》掛け、草鞋《わらじ》ばき、金沢八景を見物しようという、ごくのんきな旅……。
「おッとッとッとッと、そうあわてて行っちまっちゃしょうがねえじゃねえか、宿場ァ通り抜けちまわァな。どっかいいかげんなとこで宿を取ろうじゃねえか」
「ェェお早いお着きさまでございます、お泊まりさまではございませんか、武蔵屋でございます」
「おゥおゥ、若《わけ》え衆《し》がなんか言ってるぜ、おい、ええ? 武蔵屋だとよ」
「待ちなよ……武蔵屋?」
「へえ、武蔵屋でございます」
「武蔵っていえば江戸のことだ。こちとら江戸っ子だ、気に入ったぜ」
「なにょう言ってやンでえ、武蔵ばかりが江戸じゃアねえや。武蔵ってなァそこらじゅうにあらア」
「そんなにあるのか?」
「昔ッからおめえ、十六武蔵ってえじゃァねえか」
「いいかい、おい? 若え衆が変な顔して笑ってるぜ。……おい若え衆、こちとら魚河岸のしじゅう[#「しじゅう」に傍点]三人だけど、どうだ、泊まれるか?」
「へえ、ありがとうございます。へえ、てまえども大勢さんほど結構でございまして……。おーいッ、喜助さァん、お客さま大勢さんだから、すぐ魚のほうへかかって……おもよさん、さっそくご飯を、釜のほうへどんどんしかけてくださいよっ、お客さまはみなさん江戸の方だから、お気が短いから……ありがとう存じます。さァさァ、お客さま、お洗足《すすぎ》をどうぞ……てまえどもちょっと見ますと狭いように見えますが、中ィ入りますと、これでわりあい間数もございます。もう、みなさんゆっくりおやすみになれます。で、あのゥ、おあと四十人さまはいつごろお見えになりましょう?」
「え? なんだい、そのあと四十人さまてえなあ?」
「あァた、いま四十三人《しじゆうさんにん》とおっしゃいました」
「おい、おめえ、欲ばったことを言うねえ。落ち着いて聞きなよ、おれたち三人は、飯《めし》を食うにも三人、湯ィ入《へえ》るにも三人、酒ェ飲むにも三人、女郎買いにいくのも三人、旅へ出るのも三人、年じゅう三人つるんで[#「つるんで」に傍点]歩いてるから、それでこちとらァ魚河岸のしじゅう[#「しじゅう」に傍点]三人てんだ」
「はァはァ、始終三人ですか?」
「討入りするんじゃァあるめえし、四十何だなんてまとまって旅するわけはねえじゃねえか」
「ああそうですか。あァた、妙な言い方するからまちがえちゃうんですよ。……あのゥ喜助さん、あわてちゃいけないよ、魚はどうした? え? 切っちゃった。……おもよさん、ご飯は? しかけた。しょうがねえなァ、こんなときにかぎって手がまわるんだから……ちがうんだよ、客はたった三人だよゥ」
「おうおう、いやな言い方しやがンなァ、たった三人で悪けりゃどっか他所《よそ》へ泊まろうじゃねえか」
「いやァ、とんだことがお耳に入りまして……これはてまえどもの内緒話で……」
「内緒話でどなるやつがあるかい」
「へえ、ご勘弁願います。どうぞお泊まりくださいまし」
「そうだなァ、足も洗っちっまったことだし、おめンとこィ泊まろうか」
「ええ、どうぞお上がりくださいまし。おすみさん、奥の七番へご案内しておくれ」
「どうでえ、どうせ上がるんなら景気をつけて上がってやろうじゃねえか……わァ…い、らァらァらァらァらァッ……」
「あァた困りますなァ」
「なにを言ってやんでえ、景気よく上がってるんじゃねえか」
「いえ、その声の大きいのァかまわないんですけどもねェ……おあとからいらっしった方、まだ草鞋をはいたままお上がり……」
「草鞋取ってやれやい、かあいそうに、ねェ、足を洗おうとおもって待ってるじゃァねえか」
「どこだどこだどこだどこだいッ」
宿屋へ着いたんだか火事場へ着いたんだかわからないような騒ぎ、……この三人が最前の武士の隣の部屋に陣取った。
「おォい、え? 若《わけ》え衆《し》呼んで……とにかく、おい、姐《ねえ》や、おめえじゃ話がわからねえかもしれねえ、だれでもいいや、若え衆に来てもらおうじゃねえか」
「……ェェ、ありがとうございます、お呼びで……?」
「おい若え衆、ずうっとこっちへ入《へえ》っちゃってくれ……さっきも言うとおり、おれたちゃァまァ、魚河岸《かし》の三人だ、いいかい? これからまァ、おとなしく湯ィ入《へえ》って飯《めし》を食って床ン中ィ入《へえ》るなんて、そんな素直なことはできねえよ、おれたちのこったからよゥ、うん。とりあえず一杯《いつぺえ》飲みてえってやつだ、うん。生意気なことを言うわけじゃねえけれどもねェ、酒は極上てえやつを頼むぜ。頭ィぴィんとくるようなのはいけねえや。それから魚、さっきも言うとおり、魚河岸《かし》の連中だァ、ふだんぴんぴん跳ねてるような魚ァ食ってるんだ。こいつを吟味してもれえてえなァ。それから、芸者ァ三人ばかし頼もうじゃねえか。腕の達者なところを、ひとつ生け捕ってもれえてえなァ。いくら腕が達者だって、やけに酒の強いなァいけねえぜ。そうかといって、膳の上にあるものをむしゃむしゃ食うってえやつも、これもあんまり色気がねえなあ、とにかく、芸が達者で、器量よしで、酒を飲みたがらねえで、ものを食いたがらねえで、こちら三人にいくらか小遣いをくれるような……」
「それはありません」
「そうかい、ねえかい? いなかは不便だ」
「どこへ行ったってありません」
「そうかい、ま、そいつァ冗談だけどもね、とにかくねェ、威勢のいいのを三人呼んでくれ。今夜は夜っぴて騒ごうてんだ、ええ」
「……今晩ありィ……」
と芸者衆が来る。
「おゥ、……ありがてえありがてえ、待ってたんだよ。すぐにその、なんだ……お座つき? お座つきなんぞァいいんだよゥ、もう……とォんとぶっつけてもらおうじゃァねえか、都々逸《どどいつ》でいこうじゃァねえか」
そのうちに、
「どうだいひとつ、もっと、ぱァッといこうじゃねえか、ねェ、にぎやかに……おれ、裸で踊るから、相撲|甚句《じんく》でも、磯節《いそぶし》でもなんでも威勢よくやってくンねえッ」
「伊八いィ……伊八いィ(と、ぽんぽんと手を打つ)……」
「へえェい……奥の八番さん、伊八っつァん、お呼びだよ」
「へえェい……へえ、お武家さま、お呼びになりましたか?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっとこれへ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、その方になんと申した? 夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す間狭な宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚ももぞう[#「もぞう」に傍点]もひとつに寝かせおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが静かな部屋に案内《あない》してくれと、その方に申したではないか。なんだ隣の騒ぎは……宵からじゃんじゃかじゃんじゃか三味線を弾いて、あの騒ぎではとても寝られん。静かな部屋と取り替えてくれ」
「あいすみませんでございます。先ほどでございますと、まだ旦那さまに入っていただくお部屋もございましたが、もうどの部屋もふさがってしまいまして、ェェ隣にまいりまして、隣の客を鎮《しず》めてまいりますから、この部屋でどうぞご辛抱を……」
「しからば、早く鎮めてくれ」
「へえへ、かしこまりました」
「ェェごめんください」
「よゥッ、来たな?……おい、この野郎だよ、入口でたいへん世話ァやかしちゃった……こっちィ入《へえ》れ、こっちィ入《へえ》ンなよ、おい、一杯《いつぺえ》やってくれ、大きなもので飲みなよ、飲めよ」
「へえ、ありがとうございます、へえ、ただいまいただきます。……あいすみませんが、少々お静かに願いたいんですが……」
「なんだと? お静かにとはなんだ? ふざけちゃァいけねえや。こちとらァお通夜へ来て酒ェ飲んでるんじゃねえんだぞ、陽気にぱァッと騒ぎてえから飲んでるんじゃァねえか、おめえんとこだって、でえいち景気がついていいじゃねえか」
「へえ、そりゃァたいへんに結構なんでございますが、お隣においでンなりますお客さまが、どうもやかましくて寝られないとおっしゃいます」
「なんだ? 隣にいる客がやかましくて寝られねえ? その野郎ォここへ連れてこい、その野郎を。言って聞かしてやるから。宿屋へ泊まってやかましくて寝られねえなんて言うなら、宿屋一人で買い切りにしろッて……その野郎ここへ引きずってこい……ぴィッとふたつに裂いて洟《はな》ァかんじまうから」
「ちり紙だね、まるで……お隣のお客さまてえものが、只者《ただもん》じゃァございませんで……」
「只者じゃァねえ? なに者《もん》なんだ?」
「じつは、差していらっしゃいますんで……」
「差してる?簪《かんざし》かァ?」
「簪じゃありません……腰へ差してるんですよ」
「煙草入れだろう?」
「いいえ、二本差してるんですがねェ」
「なんだい、なにを言ってやんでえ。二本差してようと、三本差してようと、こちとらァ、矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ、おどろくんじゃァねえんだ。なんだって若い衆、なにを言いに来たんだい」
「ちょいと清《せい》ちゃんお待ちよ。おしまいのほうで若い衆の言ったことで少ゥし気になることがあるんだけどもね……なんだか二本差してるってじゃねえか、腰へよゥ」
「なんだァ? 二本差してる? 焼豆腐みてえな野郎……なんだい、矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ、おどろくんじゃねえや……え? 二本? 二本、腰へ?……おい、ちょいと断わっとくけど、それはなんだろうね? 刀じゃねえんだろうねェ」
「腰へ二本差してるんですから、まァ刀でございますなァ……えへへ……あァた……あァた、いま矢でも鉄砲でも持ってこいっておっしゃった」
「矢でも鉄砲でもとは言ったけども、刀とまでは言わねえじゃねえか。じゃァおめえ、二本差してちゃ侍《さむれえ》じゃァねえか」
「へえへえ、たいへん威勢がよかったようですが、やっぱしお侍となりますと、おそろしゅうございますか?」
「おそろしかァねえけども、怖《こえ》えじゃねえか」
「おんなしだな、それァ……」
「そんなおめえ、怖えッたってよゥ、どうも侍《さむれえ》ってやつは虫が好かねえんだよ。侍《さむれえ》と茄子《なす》の煮たのはおれァ虫が好かねえんだよ……なにも怖《こわ》がるわけじゃねえけどもよゥ……で、なんだってんだい、静かにしてくれってのかい? よし、わかったわかった。静かにすりゃァいいんだろ? 静かにすりゃァ。若え衆、静かにするって隣へ言っとくれ……おゥ、それから芸者衆、すまねえなあ、じゃ三味線たたんで、早く引きあげてくれ、相手が悪いや……ああァ、せっかくいい心持ちに酔っぱらったのが醒《さ》めちまったぜ。とにかく侍《さむれえ》は始末が悪いや。気に食わねえと、抜きやァがるからね、あれを抜かれると、ぞォッとするんだよ。だめだめ……とにかくもおとなしく寝ようぜ、もうこうなりゃあ、寝るよりほかに手はねえや……姐や、ぼんやりしてねえで、早くこっちへ来て、早く床《とこ》敷いてくれ」
「あれ、おやすみンなりますか?」
「なにを言ってるんだい、おやすみになりますかって、夜っぴて起きてられるかい。床敷いとくれ、……おゥおゥ、姐や、気の利かねえなァ、そうやって三つ並べて敷いちゃったひにゃあ真ン中のやつと端《はし》のやつとしゃべるときはいいけどもよゥ、端《はし》と端《はし》としゃべるときにゃあ、大きな声を出さなくっちゃならねえ、そうなりゃあ、また隣の侍がうるせえやなんか苦情ォ言うだろう。巴寝《ともえね》にしてくれ、巴寝に」
「巴寝といいますと?」
「布団を並べねえで、こう、頭を三つ寄せて敷いてくれ。そうすりゃァ巴みてえな格好になるじゃねえか、宿屋の女中だァ、そのくれえのこと覚えとけ……さあ、床へ入《へえ》ろう」
「ふん、こんなばかな話はねえや、なあ? ようやくおもしろくなってきたなとおもったら、隣の侍がうるせえことを言うじゃあねえか。こうなりゃあ、早く江戸へ帰って飲み直しといこうぜ」
「江戸ってえと、帰るとたんに相撲だなァ。おれァ、あの相撲が好きよ、ほら、捨衣《すてごろも》ってやつ、名前《なめえ》がおもしれえじゃねえか。もと坊主だったやつが還俗《げんぞく》して相撲取りンなったんで捨衣ってんだよ。出足の早《はえ》えやつよ、なァ。行司が軍配を持って、呼吸をはかってよ、さッと軍配を引くとたんにどォんとひとつ上突《うわづ》っ張《ぱ》りでもって向こうの身体《からだ》ァ起こしておいて、ぐっとこう(と、帯をさぐって)左が入って……」
「痛いッ痛いッ、痛いよ、おい……おめえ、ずいぶん手が長《なげ》えんだな、おい。そんなとっから手が届くとはおもわねえやな、おい」
「なにをこン畜生……やる気か? よォし、来いッ」
「いや、お待ちよ、寝てえちゃどうにもしょうがないよ、一ぺんお放しよ。また持たしてやるよ……褌《ふんどし》を締め直そう、竪褌《たてみつ》と前袋ォ気をつけとくれ……さ、来いッ」
「よいしょッ」
「なにくそッ」
真ん中の男も黙って見ているわけにもいかない。お盆を取って軍配の代わりにして、
「はっけよい、残った、残った残った、残った残ったッ……はっけよいッ」
どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりめりッ……。
「伊八ィ……伊八ィ(と、ぽんぽんぽんと手を打つ)……」
「しょうがねえなこりゃあ……へェ…い、お呼びになりまして……?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっと前へ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、その方になんと申した? 夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、むじな屋と申す間狭な宿屋に泊まりしところ、なにはさて雑魚ももぞう[#「もぞう」に傍点]もひとつに寝かしおき、親子の巡礼が泣くやら、駆落者が夜っぴて話をするやら、相撲取りがいびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが静かな部屋へ案内をしてくれと、その方に申したではないか。なんだ、隣の騒ぎは。三味線と踊りがやんだとおもえば、相撲取りだ。どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりめりッ……唐紙からこっちへ片足を出したぞ……さようなことはどうでもよいが、あの騒ぎではやかましくッて寝られん、静かな部屋と取り替えてくれ」
「あいすいません。最前申しましたとおり、どの部屋もふさがっております。隣へまいりまして客を鎮めてまいりますから、この部屋でご辛抱を……」
「しからば、早く鎮めてまいれ」
「どうもあいすいません……弱っちゃったなどうも、手がかかっちゃってしょうがねえな……」
「ェェごめんください」
「よう来たな、野郎……一番来るか」
「寝られねえや、これは……あァたさっきお願いしたじゃありませんか、お隣のお客さまがやかましくって寝られない……」
「あっ、そうそう。すまねえ、すっかり忘れちゃった。いや、もうすぐ寝るよ。いえ、もう大丈夫、もう話なんかしないよ。もういびきもかかない。息もしない。もうすぐ寝る。安心して帰れよ、すまねえ、あとぴったり締めてってくれや……ああ、おどろいたおどろいた、いけねえいけねえ、またやりそくなっちゃった、え? だめだよ、あんな力の入る話をするから、どたんばたん、どすんどすん、めりめりめりンなっちまうんだよ。もっとねェ、力の入《へえ》らねえ話をしようぜ。なんかねえかな、力の入《へえ》らねえ話は?」
「力の入らねえ話とくりゃあ、女出入りなんだけどもね、これはいちばん静かでいいんだが、ま、おたがいさまに、いずれをみても山家《やまが》育ちってやつでね、女出入りにゃああんまり縁のねえ面《つら》だからな」
「おゥッとッとッと……ちょっと待ってくれ、清ちゃん。いかに親しい仲だとは言いながら、少ゥし言葉が過ぎやしねえかい?」
「なにが?」
「だってそうじゃァねえか。なんだいその、いずれをみても山家育ち、女出入りにゃああんまり縁のねえ面だとは、少し言葉が過ぎるだろう? 気障《きざ》なことを言うんじゃァねえが、色事なんてもなあ、顔や姿でできるんじゃねえんだよ。……人をふたァり殺して、金を百両盗って、間男《まおとこ》をして、三年|経《た》っていまだに知れねえってんだ。どうせ色事をするんなら、このくれえ手のこんだ色事をしてもれえてえなァ」
「へーえ、してもらいてえなってところをみると、源ちゃんはそういう色事をしたことがあるのかい?」
「あたりめえよ。あるから言うんじゃねえか。おれが三年ばかり前《めえ》に江戸をはなれて、川越《かわごえ》の方へ行ったことがあったろう?」
「うんうん、そんなことがあったっけなァ」
「あんときゃ、川越にいる伯父貴《おじき》ンところへ行ってたんだよ。伯父貴はな、小間物屋をやってるんだが、店で商《あきな》いをするだけでなくって、荷物を背負《しよ》って、ご城内のお侍のお小屋お小屋を歩く、まあ、糶《せり》小間物屋とでも言うのかなァ」
「ふゥん」
「おれもいい若《わけ》え者《もん》だ、毎日ぶらぶらしてるのも気がひけるから、『伯父さん、おれもひとつ手伝おうじゃねえか、なァに、伯父さん年をとってるからそんな大きな荷物を持っちゃあ骨が折れるだろう、おれが担ぐからいいよ』ってんで、伯父貴にくっついて、毎日城内のお侍《さむれえ》のお小屋を歩いてた。ある日、伯父貴が具合いが悪《わり》いもんだから、おれが一人で荷物を背負って、ご城内のお侍のお小屋を歩いていると、お馬廻り役、百五十石取りのお侍で、石坂段右衛門という、この人のご新造さんが家中《かちゆう》でも評判の器量よしだ、なあ? おれがここの家へ行って、『こんにちは、ごめんくださいまし』と言うと、いつもなら女中さんが出てくるんだけども、その日にかぎって、ご新造さんが出てきて『おゥ小間物屋、ちょうどよいところへ来た、どうぞこちらへ上がってくりゃれ』と、こう言うんだ」
「なんだい、その『上がってくりゃれ』てえなあ」
「おめえなんか知らねえんだよ。お侍のご新造さんなんてえなあ、こういう、くりゃれ言葉[#「くりゃれ言葉」に傍点]てえのを使うんだ、なァ? それからおれが上がってくりゃれ[#「くりゃれ」に傍点]た」
「なんだい、おまえまでが使うことァねえじゃねえか」
「お座敷へ通されると、ご新造さんが『小間物屋、そなたは酒《ささ》を食べるか』と、こう言うんだ。それからまァ『たんとはいただきませんが、少しぐらいなら』と、おれが返事したんだ」
「へえェ、おまえがか? 笹を? そうかねェ……筍《たけのこ》を食うことは知ってたけどもねェ……笹を食うてえなァ気がつかなかったなァ……あァ、そう言われてみりゃあ、きのうも、海苔《のり》巻がなくなってから、まだ口をもごもごやってるのァ……」
「なに言ってやんでえ。ささ[#「ささ」に傍点]ったって、笹っ葉じゃねえやい。酒のことをささ[#「ささ」に傍点]というんだよ、なァ? ま、そんなことはどうでもいいや……しばらくすると、お膳が出てきて、乙なつまみもンが二品三品あって、ご新造さんが、おれに盃《さかずき》を渡してくれて、お酌までしてくれるじゃあねえか。せっかくのお心持ちだから、おれは一杯《いつぺえ》いただいて、ご新造さんのほうを見ると、ご新造さんがなんか召しあがりてえようなお顔をしているんだよ。これはおれだけごちそうンなってちゃァまずいなとおもうから『失礼でございますが、ご新造さんも、おひとついかがでございます?』と言うと、ご新造さんが、にこッと笑って、その盃を受け取る。おれがお酌をする、ご新造さんが飲んでおれにくる、おれが飲んでご新造さんに返す、ご新造さんが飲んでおれにくれる、やったり取ったりしているうちに、縁は異なものてえのかな、このご新造さんとおれと割りなき仲になったとおもいねえ」
「おもえない! おめえは器量のいいご新造さんと割りなき仲ンなる顔じゃァねえもの。おめえは、その器量のいいご新造さんに使われている、ちんくしゃ[#「ちんくしゃ」に傍点]の女中と薪《まき》でも割ってる顔だよ」
「なによゥ言ってやンでえ、縁は異なもの味なものてえのァそこなんだよ、なァ? それからというものは、おらあ、石坂さんの留守をうかがっちゃあ通《かよ》ってたんだよ」
「泥棒猫だねェ、まるで……うん」
「ある日のこと、ご新造さんとおれとが盃をやったり取ったりしていると、段右衛門さんの弟で石坂大助、家中一等《かちゆういつとう》の使い手だよ。この人が朱鞘《しゆざや》の大小のぐーっと長《なげ》えのを差して『姉上はいずれにござる、姉上、姉上……』がらッと唐紙をあけると、ご新造さんとおれが盃をやったり取ったりしている。これを見ると、この大助てえ野郎が怒ったの怒らねえの『姉上にはみだらなことを。不義の相手は小間物屋、なんじから先に、兄上に代わって成敗《せいばい》してくれん』ってえと長えやつをずばりと抜きやがった。おどろいたねェ、おれは。斬られちゃァたまらねえとおもうから、ぱァッと廊下へ跳《と》び出す。続いて大助てえ野郎も跳び出してきた。こっちはたまらねえから夢中でうわッと逃げ出した。大助てえ野郎が『やァ逃げるとは卑怯なやつ、返せェ戻《もど》せェッ』とどなってやがら。こっちは返したり戻したりしちゃァたまらねえからよ、夢中で駆け出した……そうたいして広いお屋敷じゃァねえから突きあたりになっちまった。どうにもしょうねえから、ぱッと庭へ跳び降りると、続いて大助てえ野郎も跳び降りてきたが、人間、運不運てえやつはしかたのねえもんだ。大助てえ野郎が足袋《たび》の新しいのを穿《は》いてやがったもんだから、雨あがりの赤土の上でつるりとすべって、すぽォんと横っ倒しになったとたん、敷石でもって、したたか肘《ひじ》を打った。手がしびれたから持っていた刀をそこへ放り出した。しめたッとおもうから、その刀をおれが拾ってね、大助てえ野郎を、うわーッとめった斬りにしちまった」
「えれェことをやりゃァがったなあ……それで?」
「ご新造さんはまッ青な顔ンなって、なにをおもったか箪笥《たんす》の抽出しを開《あ》けると、このくらいの袱紗《ふくさ》包みをつかんで、『小間物屋、ここに金子《きんす》が百両ある、これを持ってわらわを連れて逃げてくりゃれ』ってんだよ。『ええ、よろしゅうござんすとも』ってんで百両の金をおれは懐中《ふところ》へ入れちゃった。ご新造さんが着替えの着物をってんで、箪笥を開けて着物を出している隙《すき》をうかがって、うしろからおらァご新造さんを、うわーッとめった斬りにしちまった」
「ひでえことをしやがったなァ……ご新造さんを殺すことはねえじゃねえか」
「そうはいかないよゥ、おめえ。あとから追手《おつて》のかかる身だよ。足弱《あしよわ》なんぞ連れて逃げきれるもんか。とうとうおれは川越を逐電《ちくでん》よ。どうでえ? 金を百両盗って、間男をして、人をふたァり殺して、三年たっていまだに知れねえッてんだい。どうせ色事をするッてんなら、おれはこのくれえ手のこんだ色事をしてもらいてえなァ」
「へえェッ……ひとは見かけによらないッてえけど、ほんとうだねェ。たいした色事師だねェ、これだけの色事をする人とはおもわなかったなァ、え? 色事師だよ、源ちゃんは……※[#歌記号、unicode303d]色事師は源兵衛、源兵衛は色事師、スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ……源兵衛は色事師、色事師は源……」
「伊八ィ(と、ぽんぽんぽんと手を打つ)」
「寝られねえや、また手が鳴ってやがる、こりゃどうも……へえェい、……お呼びになりまして……?」
「これ、敷居越しでは話ができん、もそっと前へ進め。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節その方になんと申した?」
「夜前は相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて…」
「黙れッ、万事世話九郎と申したは世を忍ぶ仮の名、まことは川越の藩中にして、石坂段右衛門と申す者。前年|妻弟《つまおとうと》を討たれ、逆縁ながらその仇《かたき》を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ、めぐりめぐって三年目、隣の部屋に仇《かたき》の源兵衛というやつがいることがあいわかった。すぐに隣の部屋に踏ンごんで斬り捨てようとは存じたが、それではあまりに理不尽。一応その方まで申し入れるが、てまえが隣の部屋へ参るか、隣の部屋から源兵衛と申す者が斬られに来るか、二つに一つの返答を聞いて参れッ」
「これはどうも……少々お待ちください……こりゃたいへんなことンなった、えらいことだぞォ……」
「ええ、ごめんくださいッ」
「※[#歌記号、unicode303d]スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ、源兵衛は色事師、色事師は源……あァツ、はッはッは、また来やがった。わかったわかった、すぐ寝る」
「いえ、こんだァ寝ないで起きててください……こン中に源兵衛さんてえ人がいますか?」
「おれだよ」
「あァたねェ、人を殺《あや》めたとか傷つけたとかいう覚えはありませんか?」
「え?……ああそうか。廊下かなんかで聞いてやがったんだよ……おゥ、若《わけ》え衆《し》、もう少しこっちへ入《へえ》ンな。生意気なことを言うわけじゃァねえけどねェ、色事をするんならこのくれえ手のこんだ色事をしてもらいてえ、いいかい? 人を二人殺して、金を百両盗って、間男をして、三年経っていまだに知れねえてんだ、どうだ、てえしたもんだろう?」
「いえ、あんまりたいしたもんじゃァありません。お隣のお侍さまは、石坂段右衛門とおっしゃいます。三年前にご新造さんと弟さんを殺されて、その仇を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ、めぐりめぐって三年目、隣に源兵衛……あ、あァた……あなたですよ……仇のいることがわかった。すぐ踏ンごんで斬り捨てようとおもったが、まァわたしを呼んでね、源兵衛のほうで隣の部屋に斬られに来るか、そのお侍がこっちへあァたを斬りに来るか、二つに一つの返答を聞いて参れッてんですけどもねェ、あァた隣に斬られに行きますか?」
「おい、ほんとうかい? それァ、おい、ちょっと待ってくれ、そいつァ。落ち着いとくれよ」
「あァたが落ち着くんですよ」
「若え衆、まァ聞いとくれ、世の中に石坂段右衛門なんて、そんな間抜けな名前の人があったのかい、おい? 知らねえやな、こっちは……まァ聞いとくれよ、こういうわけだ、おれがね、両国の小料理屋でもって、一杯《いつぺえ》飲んでたんだ。そうしたらそばでもって、この話をしていたやつがあるんだよ。そンときおれは、あァおもしろそうな話だな、どっかでもってこいつを一ぺん使ってみてえなあとおもってたんだよ。そうしたら清ちゃんが、さっき、色事のできる顔は一つもいねえなんてことを言やがったろう? しめた、ここだなとおもうから、おれァもう、両国で聞いた話をいまおもい出しながら、ここで話をしたんだよ。めった斬りにしたてのはね、両国にいるんだから、その隣の人に両国へ行ってもらって……」
「じゃあ、なんですか? この話は受け売りなんですか? あァたねえ、こんなややっこしい話を口から出まかせに、むやみに受け売りなんぞしちゃあ困りますよ」
「いや、面目ねえ。つい調子に乗っちまったもんで」
「こいつァなにしろ魚河岸きってのおしゃべりだからしょうがねえ」
「ほんとうにしょうがァありませんねェ。あなた方のために、こっちゃあ寝られやしねえんだから……ま、まァなんてえかわからねえけれど、とにかく、隣へ行ってお侍さまによく話をしますからね……しょうがねえなあ、ほんとうに世話ばっかり焼かせて、どうも……」
「ェェどうもお待たせをいたしました」
「いかがいたした?」
「へえ、どうも……なにかのおまちがいじゃァございませんか? まァ間男をしたの、金を百両盗って、人を殺したのなんのというお話でしたが、いえ、とても間男をするどころの男じゃァございません。いまごろ自分のかみさんが、もう間男をされてるような顔でございまして……それでとても人を殺すなんて、とてもそんな度胸のある男じゃァございませんで、源兵衛という男の申しますには、あれは、なんでも両国の小料理屋でもって、隣で……」
「黙れッ。現在、自分の口から金を盗った、人を殺したと白状しておきながら、ことここにおよんで、嘘《うそ》だ冗談だですむとおもうか、たわけ者め。さようなことを言って、この場を逃《のが》れんとする不届至極の悪人めッ、ただちに隣室に踏みこみ、そやつの素っ首|叩《たた》き落とし、血煙あげて……」
「少々お待ちください、お武家さま、ただの煙とはちがいますよ、その血煙ってのァいけませんよ。武蔵屋でもってあの部屋で血煙があがったなんてえことが評判になりますと、てまえどもにこれから先お客さまが泊まってくださる方がございませんで、どうか、せめて庭へでも引きずり出して、血煙をおあげになるというようなことに願いたいもんで……」
「いや、わかった。その方の申すところ一応もっともだ。仇討とはいいながら、死人が出たとあっては、当家へ迷惑をかける。……しからばかよういたそう、明日までそやつの命をその方に預けおこう。明朝《みようちよう》、当宿はずれにおいて、出会い敵《がたき》といたそう。しからば、当家に迷惑はかかるまい」
「へえ、ありがとうございます。大助かりでございます、ええ。そう願えればもう、このうえありがたいことはございません」
「さようか。仇は源兵衛|一人《いちにん》であるが、あと朋友《ほうゆう》が二名おったな。これはきっと朋友のよしみをもって助太刀いたすであろう。よしんば助太刀をいたすにもせよ、いたさぬにもせよ、ことのついでに首をはねるゆえ、三名のうち、たとえ一名たりともとり逃がすようなことがあらば、当家はみな殺しにいたすから、さよう心得ろ」
「えっ、一名でもとり逃がすと、当家はみな殺し?!
へえへえ、いえ、もうかならず逃がすようなことはいたしません。へえ、かしこまりました。いえもう逃がすどころではございませんで、てまえどもも大助かりで、たしかにお請けあいいたしました。へい、ありがとう存じます。では、どうぞ、旦那さま、ご心配なくおやすみくださいまし……さあ、善どん、益どん、寅どん、喜助どん、みんな来てくださいよ。いえね、悪くすると家で仇討が始まるとこだった。お武家さまのおはからいで、明朝、当宿はずれで出会い敵ってえことになった。その代わりね、三人のうち一人でも逃がすようなことがあると、家じゅうみな殺しだってんだから、こりゃおだやかじゃあないよ。え? そうだよ、仇は、さっき泊まった江戸の、うん、あいつらだよ。悪いやつらなんだ、逃がしたひにゃァえらいことになる。……縄ァ持ってきて、で、あたしが声をかけたら、かまうことァないから、あいつら、ぐるぐる巻きにふンじばって、柱へでもなんでも縛りつけとかなくちゃァ、うん。今夜は寝ずの番だよ、みんな覚悟しといてくれ……」
「ごめんください」
「おゥ、どうしたい、若え衆、話はついたかい?」
「つきました、あしたの朝までつきました。明朝、当宿はずれで出会い敵ということで、話は無事につきました」
「おいおい、話は無事についたなんて言ってるけど、冗談じゃァねえや、その出会い敵てえのはなんだい?」
「ええ、宿はずれであァた殺《や》られます。ェェそれでね、仇は源兵衛一人であるが、あとの二人、これは朋友のよしみで助太刀をするだろう……?」
「しないッ……しないよ、こっちは」
「ああ、しないよ、二人とも……」
「いいえ、してもしなくても、ことのついでに首をはねる」
「おいおい、ことのついでにって、気やすく言うなよ」
「あァた方のうち一人でも逃がすようなことがあると、こんだ、こっちの笠の台が飛んじまう、家じゅうみな殺しというようなことで……まことにお気の毒ですが、少し窮屈かもしれませんが、あァた方一ぺん縛らせて……」
「おい若い衆、おい堪忍……」
「堪忍もくそもあるもんか」
「おい、なにをするッ……」
「なにもくそもあるもんか……おい、みんな、かまうこたァねえから、縛っちまえッ」
店じゅうの者が、寄ってたかって三人を荒縄でぎゅうぎゅう縛りあげて、柱へ結《ゆわ》いつけた。江戸っ子三人は、さっきの元気はどこへやら、青菜に塩で、べそをかいている。一方、侍のほうは、さすがに度胸がすわっているとみえて、隣の部屋に仇を置いて、大いびきで、ぐっすり寝てしまう……。
 一夜明けて、侍は、うがい手水《ちようず》をすませ、ゆうゆうと朝食も終えた。
「ェェお早うございます」
「おう、伊八か。昨夜はいろいろとその方に世話を焼かせたな」
「へ、ェェどういたしまして……ェェ先ほどはまた、多分にお茶代まで頂戴いたしまして、ありがとう存じます」
「いや、まことに些少《さしよう》であった。今後、当地へ参った節は、かならず当家に厄介になるぞ」
「ありがとう存じます……ェェそれから旦那《だア》さま、あの昨夜の源兵衛でございますが……」
「源兵衛?」
「はい。ただいま、あの、一ぺんその唐紙をあけてお目にかけます……ェェ旦那さま、よく顔をおおぼえになっておいていただきませんといけないと存じますが……あの、真ン中に縛ってございますのが、あれが源兵衛でございます。その向こうでべそをかいておりますのが清八に喜六でございます」
「ほほう、ひどく厳重にいましめられておるが、昨夜、なにかよほど悪事でも犯《おか》したか?」
「いえ、あの方は、別に悪事というほどのことはいたしません。ただ、裸でかっぽれを踊ったくらいでございます……」
「それが、なにゆえあのように?」
「でございますから、あの真ン中の源兵衛が、旦那さまの奥さまと弟御さまを殺した悪人でございます」
「ほほう、それは、なにかまちがいではないか? 拙者、ゆえあっていまだ妻をめとったおぼえもなく、弟とてもないぞ」
「いえ、そんなはずはございません。ねエ、お武家さま、あァた昨夜《ゆうべ》おっしゃったでしょう。前年妻弟を討たれ、その仇を討たんがため、雨に打たれ風にさらされ……って」
「ああ、昨夜《ゆうべ》のあれか、はッはッはッ……あれは座興じゃ座興じゃ」
「えっ、座興? 座興とおっしゃいますと、口から出まかせで……? 旦那も口から出まかせにおっしゃったんで?……へーえ、口から出まかせが流行《はや》るね、こりゃどうも……しかし、旦那さま、冗談じゃァございませんよ。あァたが一人でも逃がしたら、家じゅうみな殺しだっておっしゃったでしょ? あァたがそうおっしゃったから、家じゅう一人だって寝た者はおりません。ええ、逃がしちゃァたいへんだとおもうから、みんな寝ずの番で、あの三人を……あの三人だってかわいそうに、生きた心地はありませんよ。みんなまッ青になって、あそこへ縛られてべそをかいて……寝てるものは一人もいませんよ。あァた、なんだってそんな口から出まかせの嘘をおっしゃったんでございます?」
「いや、あのくらい申しておかんと、拙者が夜っぴて寝られん」
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