うどんや
冬、だんだん寒くなると、御酒《ごしゆ》をあがる方は、寝しなに一杯飲んで寝ようということになるが、下戸の方は、なにか温かいものでも食べて寝ようということになる。夜鷹そばのあとの時代になって、鍋焼きうどんというものが売りにきた。鍋は今戸焼きの赤い鍋で、なかはうどんに鳴戸巻き、かまぼこ、それに青味をきかせてある。これを食べると身体が温《あつた》まる、というのでたいへんによく売れた。めくら縞《じま》の筒っぽを着て、手拭《てぬぐい》で鉄砲かぶり、屋台を担いで夜の町を、
「なーべやーき、うどォーん」
「うーい、ああいい心持ちだ……おい、うどん屋」
「お、いけません。もしもし、親方、その荷につかまって揺すぶっちゃあいけません、お汁《つゆ》がこぼれますから……いま、荷をおろしますから……」
「なに、荷をおろす?……うん、おろしてくれ」
「へえ、おろしました……どうもお寒うございます」
「寒いなあ……なんでえ、このやかんは?」
「これは、お汁でございます」
「おう、そうか。ちょっとおろしてみてくれ」
「へえ、おあたんなすって……だいぶごきげんですな」
「どうだい、うどん屋、景気は?」
「ええ、どうも不景気で困ります」
「なに? 生意気なことを言うない、うどん屋のくせに。不景気なんてえことは、てめえたちが言う文句じゃあねえや。景気がよくって、だれがうどんなんてえまぬけなものを食うやつがあるもんか、不景気だからしかたがねえ、我慢して食うんじゃあねえか。人間並みのことを言うない」
「どうも恐れ入りました」
「なにも詫びるこたあねえ、なあ……※[#歌記号、unicode303d]なんたら愚痴だえ、チリツン、チンツンツン……(と長唄『越後獅子』)……牡丹《ぼたん》は持たねど越後の獅子は……って、おらあこの唄が大好きなんだ」
「さようでございますねえ、にぎやかで……」
「なんだい、にぎやかてえのは。縁日じゃあないんだよ……だんだん文句をたたんでいって、ござれ話しましょか、こン小松のこかげで、松の葉のようにこン細やかに……と」
「へえ、三味線の手がこんでよろしいところですなあ」
「いやあ、三味線じゃねえんだよ。おりゃ、唄の文句が気に入らねえんだ」
「さいですか」
「さいですかって、てめえも、言葉の様子じゃあ江戸っ子だろう? こン小松なんて言葉があるかい、おい。こン細やかになんて言葉があるけえ」
「へえ、そういうことはあっしどもにはよくわかりません」
「わからねえったって、気に入らねえじゃあねえか。こン小松のこかげで、松の葉のようにこン細やかにと、ひとつやってみてくれ」
「そんなことは言えません」
「言えねえことがあるか」
「どうも恐れ入ります」
「あやまるか? あやまられてみりゃあしかたがねえ。てめえのあやまるものを、それをおれが腹を立つということはねえ……だけどおめえいい商売だな、おい。この寒いのにこうやって火を担いで歩いていられてよ。往来の者はどれだけ助かるかわからねえぞ、ほんとうに、なあ。世間をひろく歩いてりゃあ、なかなかこれでつきあいも多いや……あっそうだ、つきあいてえばおめえ、仕立屋の太兵衛知ってるかい?」
「存じません」
「知らねえことはねえだろう。つきあいのいい男だぜ。職人に似合わず字《て》をよく書いて、人の応対も立派にできて、かみさんが愛嬌者で、お世辞がよくって、娘が一人いる。ことし十八だ。みい坊って、いい女だぜ」
「へえ、さようでございますか」
「今夜、これが婿《むこ》をとったんだ。養子が来たんだ。同業から来たんだが、これが親父より仕事がうまくって、男っぷりもよし、似合いの夫婦だ。めでてえじゃあねえか」
「へえ、どうもおめでとう存じます」
「おれはな、若《わけ》え時分から太兵衛とは仲よしで、おらあまあ安かなかったけど茶箪笥《ちやだんす》を一つ祝ってやるてえとな、向こうは『親類は少ないし、兄弟《きようでえ》同様にしている間柄だから、ぜひ来てもらいたい』と、こう言うから行ったんだよ」
「さようでございますか」
「向こうへ行くとおめえ、『これはこれは、ようこそ』って、娘が出てきて、おれを上座に座らせて、おれのことを『おじさん、おじさん』って言やあがるんだ、へへへ、どうだ、うれしいじゃあねえか」
「さようでございますか、どうも結構でございます」
「結構?……もっとほんとうに結構らしく言いねえ。口先だけで結構でございますなんて、ばかにしやがる」
「どうも恐れ入りました。まことにおめでとうございます」
「ああ、ありがとうよ……おまえに見せたかったね。そうこうしているうちに、正面の唐紙がすゥーと左右に開いたよ。見るとおめえ、娘とおふくろが立派な扮装《なり》をして突っ立ってやんだよ。おどろいたなあ。なかなかあれは銭かけたぜ、うどん屋。膝ンとこなんぞいっぺえ絵が描《か》いてありやんだ。え? 頭ァ白い布《きれ》で囲っちめえやがってな、簪《かんざし》をいっぺえ差してやんのよ。で、胸ンとこへきらきらしたものを突っこみやがって、それでおめえさァーとしたものを肩からはおって……どこかで見た格好だなとおもったらな、箪笥屋の看板にああいうのがあったぜ……それでおめえ、立ったまんまで挨拶しやがんだよ。おらあ、ムッとしちゃったなあ、ばかにしてやがるとおもってよう。立って挨拶するこたあねえ、座るてえと着物が皺《しわ》がよっちゃうんで、野郎しみったれて座んねえのかとおもったら、そうでもなかったね。うん、ははは……おれは、そばへ来たら言ってやろうとおもった……『みい坊うまくやったなあ、一緒ンなったら亭主を大事にしてやれよ』って、肩のひとつもポンと叩いてやろうとおもった……そばへ来ねえんだよ、おめえ。親子のなれあいで、一間も先の方へ座りやがって、両手をついてさ、なあ、おれの顔をじっと見てやがるのよ。でね、いやにあらたまった調子で『おじさん、さて、このたびは……』っていきなり毒気をふっかけやがんだよ。おどろいたねえ、だってそうじゃあねえか。『さて、このたびは……』なんてえことは、うどん屋のまえだけど、よっぽど学問があるか、軽業《かるわざ》の口上でもなきゃあ、なかなか言えるもんじゃあねえぞ……『おじさん、さて、このたびは、いろいろご心配をいただきまして、まことにありがとうございます』なんてなあ……ねっへっへっ、おらあなあ、みい坊が、まだよちよち歩きのころから知ってるんだよ。よくおんぶしてやったもんだ。その時分にゃあ、小便もらしちゃあ、ぴいぴいぴいぴい泣いてばかりいやがったんだが……なあ、それがなあ、立派な扮装《なり》をしちゃってよ、おれのまえへぴたっと両手をついて、『おじさん、さてこのたびは……ご心配をいただきまして、まことにありがとうございます』なんてよ、おらあ、うれしくて、うれしくて……なあ、めでてえなあ、うどん屋、めでてえじゃあねえか、おいっ」
「えへへへ、さようでございますな。へえ、たいへんにおめでとうございます」
「たいへんにおめでとうございます?……めでてえならめでてえでいいじゃねえか。口先だけで、いやに大げさに、たいへんおめでとうございますなんてえと、なんだかおかしいじゃねえか、ええ?」
「はっは、さいでござんすか。じゃあ、おめでとうございます」
「じゃあ[#「じゃあ」に傍点]てえこたあねえだろ? じゃあ[#「じゃあ」に傍点]なんていやいや言うなよ。そういう不実なやつァ嫌《きれ》えだ。おうおう、なんでえ、いやに火が勢いがねえな。もっと炭をついだらどうなんだ? そのこまっけえとこでなく、大きなところをどんどん入れろやい……しみったれたことをするない。威勢よくやってくれ、威勢よく。めでたくどんどん熾こしてくれよ……おうおう、そう七輪をあおぐなよ……ずいぶん火の粉が飛ぶじゃねえか、見ろよ、物騒でいけねえや。よくこの近所で小火《ぼや》があるけど、火元はおめえじゃねえか」
「いえ、ご冗談、大丈夫でございます」
「いや、大丈夫なこたあねえ。どうもおめえは物騒な面ァしてらあ、なあ。あっははは、勘弁してくれよ、なあ。だけどおめえいい商売だな。この寒いのにこうして火を担いで歩いていられてよ。ほんとうだぜ。往来の者がどのくらい助かるかわからねえや。まあ、おめえなんぞ、世間をひろく歩いて、なかなかつきあいも多いだろうなあ……あっ、そうそう、つきあいが多いって言やあ、おめえ、仕立屋の太兵衛を知ってるか?」
「へっへっへ」
「あれっ、へっへっへだって、おめえ知ってんのか? おう、おめえ、はっきりしろい。おらあな、ずーっと以前からつきあってんだ。つきあいのいい男だぜ。職人に似合わず字《て》をよく書いて、人との応対が立派にできて……おかみさんが愛嬌者で、お世辞がよくって、娘が一人いる。ことし十八だ。みい坊って、いい女だぜ」
「今晩|婿《むこ》をとりました」
「あれっ、おめえそれ知ってんのかい? うーん、それを知ってるところをみると、おめえ、あの近所だな? いや、それにちげえねえ。いやあ、ありがてえな、そうなってくると話は早えや。はっはっは、で、おれはな、若え時分から太兵衛とは仲よしで、おらあまあ、安かなかったけど茶箪笥を一つ祝ってやるてえと、向こうは『親類は少ないし、兄弟《きようでえ》同様にしている間柄だから、ぜひ来てもらいたい』なんて……それから、おらあ行ったんだ。今晩だ、今晩当日だよ。そうしたら、娘が出てきて……」
「娘さん、あなたのことを『おじさん、おじさん』って言ったでしょう?」
「あっはっはっはは、ああよく知ってやんな、この野郎。うん、そうなんだよ。『おじさん、おじさん』って、おりゃあ、もううれしくなっちゃってな……『これはこれは、ようこそ』なんてね、おれを上座に座らせて、で、うどん屋、娘のやつは唐紙の向こうから出てきやがって、おれのまえに両手をついてさ」
「『さて、このたびは』と言いました」
「あっ、おめえ、そばで聞いてやがったな。あっはっはっははッ、ありがてえ、ありがてえ。こりゃどうも……そうなんだ。おらあ、もうほんとうにな、こんなありがてえこたあねえとおもっちゃったな……おう、うどん屋、おめえなかなかどうして苦労人だな……あっはっはっは、笑ってやがらあ、この野郎。しらっぱくれて、若え時分にゃあ、浮名流したほうだな? ああ、いいともいいとも……なんかいうやつは言わしておけてんだ、ほんとうだ、なあ……※[#歌記号、unicode303d]さらばおけ、人の口には、戸が立てられぬゥ、くやしきゃあ噂を、立ててェみろォ……なんてな、うわーい、こりゃこりゃッとくら。うどん屋、どっかへ行こうか?」
「冗談言っちゃあいけません」
「はっはっは、勘弁してくれ。酔っぱらったもんだからな。おう、ちょいと、こう、のどがかわいたような心持ちだな、水を一杯くれ」
「たくさん召しあがれ」
「たくさんは召しあがれねえ……ああ、うめえなあ。酔いざめの水、千両なんてえけど、うん、うめえ……ああ、いい心持ちだ。おい、この水、いくらだ?」
「水は、お代《だい》はいただきません」
「ただか? じゃあ、もう一杯くれ」
「へえ、たくさん召しあがれ」
「おい、おめえ、変なことを言うねえ。たくさん召しあがれって、この寒の中にそうがぶがぶ水が飲めるかい。おめえは、おれに水をたくさん飲まして、おれを患わせようってのか?」
「いいえ、えへっへっへ、べつにそんなことはございません、恐れ入ります」
「いや、それにちげえねえ。うどん屋、こう見えたっておらあ客なんだよ。なんでえ、客に向かいやがって、鉢巻《はちまき》なんぞしやがって」
「どうもあいすいません。こりゃ気がつきませんで、取りますから、どうぞ……」
「言われたからって取るこたあねえだろう。それだから嫌《きれ》えだよ」
「どうもあいすみません。じゃあいたしますから……」
「せっかく取ったものを、またしめるやつがあるかい。いやなやつだなあ。……またあやまる。おめえはすぐあやまっちまうからおもしろくねえ……あっはっはっは、ありがとう、ありがとう。おかげで水は飲んだし、すっかり温《あつた》まらしてもらって、こんなにかじかんでた手がこんなにぴんぴんしちゃったぜ。あんまり温まったんで、なんだか眠くなってきちまった。これから家へ帰《けえ》って寝ちまうが、うどん屋、かみさんにはまだ会ったこたあねえけどもなあ、よろしく言ってくんねえ……あばよ」
「親方、親方ッ」
「なんだよ」
「うどんをあがってってください」
「おらあ、うどんは嫌《きれ》えだよ」
「それでは雑煮《ぞうに》はどうです?」
「なにを言ってやんでえ。おい、気をつけて口をきけよ、ほんとうに。酒飲みに餅をすすめる、そんなとんちきがあるかい、気のきかねえ野郎だ……あばよ」
「なんだい、あいつは……えれえやつにつかまっちゃったい。冗談じゃねえや、ほんとうに……こんなに火を熾こしちまって、あんなのに会ったしにゃ、夜《よ》商人《あきんど》はたまらねえや、悪い晩だねえ、早く帰《けえ》っちまおう。この新道を抜けて行くかなあ……なーべやーきうどォん」
「うどん屋さん」
「へいッ」
「あのね、子供が寝かかっているの、静かにしてちょうだい」
「へい……ばかにしてやがるなあ。夜、表を荷ィ担いで歩いてるやつに、家の中の子供が寝たか、起きたか、そんなことがわかるもんか。第一、静かにしていりゃ商売にならねえや。今夜は、家でかかあの言ったとおり休んじまやあよかった。いやだ、いやだ。おう、寒い。大通りへ出よう。大通りのほうがいいや……なーべやーきうどォーん」
「(低くおし殺した声で)うどん屋さーん、うどん屋さーん」
「あっ、あそこの大店《おおだな》の大戸のくぐりを開《あ》けて呼んでいる。ははあ、主人が寝ちまってから、奥に内緒で、奉公人がうどんを食べて、温《あつた》まって寝ようってんだな。あれだけのお店じゃ、どう少なくっても奉公人は十人からいるからね。一杯ずつ売れても十杯。お代わりでも出りゃあ二十杯。こりゃ総じまいにしてくれるだろう。まずああやって最初に斥候《せつこう》が出て、それから代わりばんこに出てきて食べようてんだ。ありがてえなあ。だから商売は怠けられねえ。悪いことばっかりはねえや……はァーい」
「うどん屋さん、ここですよ。ここですよ」
うどん屋は、気をきかして荷を遠くへ置いて、しのび足で近寄り、
「(ささやき声で)うどんを差しあげますか?」
「熱くしてくださいっ」
「おいくつ」
「一つ」
「(手ばやく、うどんのどんぶりをつくって)……お待ちどおさまっ」
「(ふうふう熱いうどんをすすりこみ)……ごちそうさま」
「へい」
「いかほど?……ここへ、置きますよ」
「ありがとうございました」
「うどん屋さん」
「へえ」
「おまえさんも風邪をひいたのかい?」