まえがき
落語は、いわゆる〈江戸っ子〉と呼ばれる——長屋住いの職人、行商人、商家の若旦那、奉公人などの生活感——真実感《リアリテイ》から生まれた〈文化〉である。
いまから二百年まえ——江戸中期、寄席が発祥し、そこでプロの噺家《はなしか》が巧みな話芸と日常の悲喜こもごもの出来事を題材《ネタ》に、〈笑い〉をさそい、噺の最終《フイニツシユ》——仕上げに、機智頓智に富んだドンデン返しや他愛ない地口《じぐち》(洒落、語呂合せ)で落ち[#「落ち」に傍点](サゲ)を付ける——落し噺から、落語という独特な演芸娯楽を創り出した。
その〈笑い〉が〈江戸っ子〉の心意気を映し、生きる弾みとなって、心を解き放ち、なごませ、快感となって寄席は毎夜、賑わい、繁盛した。
明治になると、三遊亭円朝はじめ橘家円喬、鼻の円遊、三代目小さんなどの名人の輩出によって、落語は磨かれ、さらにコクのあるものとなって、近代に迎え入れられ、夏目漱石、永井荷風が憧れるような質《レベル》にまで到達した。
また速記による〈活字〉で読む落語、レコード、ラジオによる〈音声〉で聴く落語と、寄席以外でも娯しむことができ、全国的にひろまった。
そして、落語は時代の激動にも耐え、戦後には古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭金馬、桂三木助、三笑亭可楽、三遊亭円生、柳家小さん、金原亭馬生などによって一つの完成期を迎えた。——編者はその高座を〈生《ライブ》〉で聴けたことを、生涯の幸せの一つだ、と誇らしい気持でいる。
しかし、時代のめまぐるしい変貌に、人びとの暮らし、感性も変質し、と同時に落語も噺家もその拠所《よりどころ》を失なって変質せざるをえなくなってきた。
そこで〈活字〉によって落語を時代の変貌に耐える普遍性をとどめたい、と希った。
一例だが、「たらちね」の
「飯を食うのが恐惶謹言《きようこうきんげん》なら、酒を飲んだら依《よ》(酔)って件の如しか」
というサゲも、耳で聴いただけではさっぱりわからないが、〈活字〉で読めば、おおよその意味はわかる。〈活字〉の真価である。
本篇は、噺家の芸を取り除いて、落語の「素型」にもどし、時代の推移を停止《ストツプ・モーシヨン》して、その世界と|直か《ダイレクト》に向いあい、読者が一人で自由気ままに、その雰囲気に浸り、思い入れ、自分自身が演者になっていく……臨場感《リアリテイ》をとどめようと企てた。
この「落語百選」は、初版以来、約四半世紀を経て、三たび〈ちくま文庫〉として復刊された。
落語が夏目漱石、泉鏡花、宮澤賢治、坂口安吾等の全集と書架に並べられる……ということは、落語が長いあいだ〈笑い〉——演芸娯楽ということで蔑視されてきた歴史が、これでなにか価値上昇《グレード・アツプ》されたような思いで、私事を越えて、うれしいことである。
望外のことであったが、各巻に日ごろ尊敬し、教示をうけている鶴見俊輔、都筑道夫、加藤秀俊の各氏、そして、小生の�人生の師�である岡部伊都子さんから〈解説〉を頂いたことは、僥倖《ぎようこう》の一語に尽きる、感激である。
また表紙《カバー》に装画を飾ってくださった畏友、中島猛詞さんには刊行に至るすべてにお世話になった。
落語もこれで、鶴見俊輔氏の〈解説〉のごとく、「次の二百年」の命脈を保ちえる……であろうか。