首提灯《くびぢようちん》
昔は、武士の試《ため》し斬りというのがあった。新身《あらみ》の一刀を求めて、その切れ味を試そうと、辻斬りといって、橋の畔《たもと》を通りかかると、乞食が菰《こも》をかぶっていい心持ちで寝ている。あたりを見まわすと、人影のないのを幸い、抜き打ちに、
「えいッ」
刀は鞘《さや》へおさめて、屋敷へ帰って、あくる日になると、同僚をつかまえて、
「どうだ、ええ? 近藤、てまえな、昨夜、試し斬りをして来た。橋の畔《たもと》に乞食が一人、菰《こも》をかぶって寝ておったから、こいつを一刀のもとにいたしたが、どうだ刃こぼれひとつない、まことに業物《わざもの》である」
「そうか、では拙者《せつしや》も行こう」
その晩、人影が絶えるのを待って、橋の畔へやってきて、抜き打ちに、
「えいッ」
すると、寝ている乞食がひょいと菰をはねのけて、
「だれだ、毎晩来てなぐるなあ」
斬ったんではなく、なぐっていた……人間なんて、そう簡単に斬れるものではない。
また据物《すえもの》斬りといって、頭へ大根を載せて、それを気合いもろとも抜き打ちに、すゥーっと斬って、頭の上の大根だけが真っ二つに斬れて、頭のほうは傷一つないという、こういうあざやかな腕前の人もいたが、下手な人にやられたひには、大根と南瓜《かぼちや》といっしょに割られてしまう。うっかりこういうことを試されたんじゃあ、たまらない。
昔、人が斬られたのがめずらしくない時代に、胴斬りにされた人が、別々に奉公に行った……。胴が湯屋の番台へ座って、足がこんにゃく屋へ行って、こんにゃくを踏んで、双方ともたいへん繁昌した、という。
「おい、おまえさんかい、斬《や》られたてえなあ」
「ええ、どうもひどい目にあいました」
「どうしたんだい?」
「こっちも少し酔ってましたんでねえ。よしゃあよかったんだが、あんまり言うことが癪《しやく》にさわったからね、なにをぬかしやがんだって、二言三言《ふたことみこと》毒づいたんで、向こうが怒って、抜きやがったから、こいつァいけねえと、逃げようとおもったが、もう間にあわねえ、もろに、さァーと、胴へ……きましてねえ」
「おやおや、かわいそうなことをしたなあ、どうも……しかし、いい塩梅《あんばい》に命はとりとめたなあ」
「へえ、おかげさまで命だけは助かりましたけども、やっぱりなんですねえ、人間てえものは、二つンなっちゃったひにゃあ、なにかにつけて不自由でしょうがありません」
「足はどうしたい、いねえのかい? こっちに」
「ええ、はじめは置きましたけども、なにしろ向こう見ずに駆けだしやがってしょうがねえんで……帰《けえ》ってくるには野郎見当がつかねえんで、いちいち迎えをやらなくちゃあならねえで、遊ばしておいちゃあ無駄《むだ》だから、いま橋本町のこんにゃく屋のほうへ手間取りにやってあるんですよ」
「ふッふ。それァいいや、なあ、おめえが番台へ座って、足のほうがこんにゃく屋で稼いで、結構じゃあねえか……足になんか伝言《ことづけ》はねえかい?」
「ええ、あちらへもしおついでがありましたら、願いたいんですが」
「なんだって」
「どうも、のぼせの加減だか、目がかすんでしょうがねえんで、間をみて三里[#「三里」に傍点]へ灸《きゆう》をすえるように、足へ伝言《ことづけ》してやっていただきたいんで……」
「ああ、いいとも、どうせ用がねえんだから、これから行ってきてやるよ」
その客が、湯の帰りに、手拭《てぬぐい》をぶらさげて、橋本町のこんにゃく屋へ行き、
「おい、おめえさんのうちかい? 足が来ているてえなあ」
「へえ、いらっしゃいまし。足?……ええ、まいっております」
「どうだい仕事のほうは?」
「仕事はよくしますよ、よそ見をしませんから、うちじゃ真面目でいい職人でしてねえ。。だいいち飯を食わねえから、あんな得な職人はありません」
「そうかい、どこだい?……奥から三番目の桶……おう、やってるやってる。おっそろしいどうも威勢がいいな、向こう鉢巻をして……」
「褌《ふんどし》ですよ」
「なんだい褌かい、おりゃ鉢巻だとおもった……おう、どうしたい」
「……やあ、これはどうも、おいでなさい」
「おや? 足が口をきいてやがら……胴のほうへ行ったら伝言《ことづけ》ェ頼まれてきたぜ、なんだかのぼせの加減で、目がかすむから三里へ灸をすえてくれってな」
「ああ、さようでがすか、かしこまりました……それで、恐れ入りますが胴へもういっぺんお伝言《ことづけ》が願いたいんですが」
「なんだい」
「三里はまめ[#「まめ」に傍点]にすえるかわりに、咽喉《のど》がかわいても湯茶をたくさん飲むなって、そう言っとくんなさい。冷えるんで、どうも小便が近くっていけねえから……」
「おい、おまえさんかい、斬《や》られたてえなあ」
「ええ、どうもひどい目にあいました」
「どうしたんだい?」
「こっちも少し酔ってましたんでねえ。よしゃあよかったんだが、あんまり言うことが癪《しやく》にさわったからね、なにをぬかしやがんだって、二言三言《ふたことみこと》毒づいたんで、向こうが怒って、抜きやがったから、こいつァいけねえと、逃げようとおもったが、もう間にあわねえ、もろに、さァーと、胴へ……きましてねえ」
「おやおや、かわいそうなことをしたなあ、どうも……しかし、いい塩梅《あんばい》に命はとりとめたなあ」
「へえ、おかげさまで命だけは助かりましたけども、やっぱりなんですねえ、人間てえものは、二つンなっちゃったひにゃあ、なにかにつけて不自由でしょうがありません」
「足はどうしたい、いねえのかい? こっちに」
「ええ、はじめは置きましたけども、なにしろ向こう見ずに駆けだしやがってしょうがねえんで……帰《けえ》ってくるには野郎見当がつかねえんで、いちいち迎えをやらなくちゃあならねえで、遊ばしておいちゃあ無駄《むだ》だから、いま橋本町のこんにゃく屋のほうへ手間取りにやってあるんですよ」
「ふッふ。それァいいや、なあ、おめえが番台へ座って、足のほうがこんにゃく屋で稼いで、結構じゃあねえか……足になんか伝言《ことづけ》はねえかい?」
「ええ、あちらへもしおついでがありましたら、願いたいんですが」
「なんだって」
「どうも、のぼせの加減だか、目がかすんでしょうがねえんで、間をみて三里[#「三里」に傍点]へ灸《きゆう》をすえるように、足へ伝言《ことづけ》してやっていただきたいんで……」
「ああ、いいとも、どうせ用がねえんだから、これから行ってきてやるよ」
その客が、湯の帰りに、手拭《てぬぐい》をぶらさげて、橋本町のこんにゃく屋へ行き、
「おい、おめえさんのうちかい? 足が来ているてえなあ」
「へえ、いらっしゃいまし。足?……ええ、まいっております」
「どうだい仕事のほうは?」
「仕事はよくしますよ、よそ見をしませんから、うちじゃ真面目でいい職人でしてねえ。。だいいち飯を食わねえから、あんな得な職人はありません」
「そうかい、どこだい?……奥から三番目の桶……おう、やってるやってる。おっそろしいどうも威勢がいいな、向こう鉢巻をして……」
「褌《ふんどし》ですよ」
「なんだい褌かい、おりゃ鉢巻だとおもった……おう、どうしたい」
「……やあ、これはどうも、おいでなさい」
「おや? 足が口をきいてやがら……胴のほうへ行ったら伝言《ことづけ》ェ頼まれてきたぜ、なんだかのぼせの加減で、目がかすむから三里へ灸をすえてくれってな」
「ああ、さようでがすか、かしこまりました……それで、恐れ入りますが胴へもういっぺんお伝言《ことづけ》が願いたいんですが」
「なんだい」
「三里はまめ[#「まめ」に傍点]にすえるかわりに、咽喉《のど》がかわいても湯茶をたくさん飲むなって、そう言っとくんなさい。冷えるんで、どうも小便が近くっていけねえから……」
人間が牛蒡《ごぼう》や人参《にんじん》のように、そうあっさり斬れるはずはないが、ほんとうの達人に斬られると、斬られた当人が気がつかない。人斬りの名人の白井権八は、鼻唄三町矢筈斬《はなうたさんちようやはずぎ》りといって、斬られた人が知らずにいい心持ちで、鼻唄を唄っていた、という。
「うゥ……うゥ……イ」
「おいおい、どこへ行くんだよ、そっちへ行っちゃあだめだ、おい、こっちへ曲がるんだ」
背中をぽんとたたくとたんに、二つに、ぱしゃり……。
「うゥ……うゥ……イ」
「おいおい、どこへ行くんだよ、そっちへ行っちゃあだめだ、おい、こっちへ曲がるんだ」
背中をぽんとたたくとたんに、二つに、ぱしゃり……。
武士というものは、ふだん帯刀していて、こわいものだということは、町人にもしみわたっている。ところが、酒の勢いでつっかかるなんてえのがいると、始末が悪い。
「ういーッ、いい心持ちだね。こりゃ……あっはは、久しぶりに品川へでも繰りこむかな。女に無事な顔でも見せてやろう。女がおまえさんの顔が見たい、顔を見ないと虫がおさまらないときたね。おれの顔は、虫おさえの顔だからなあ。あっはは……おや、こりゃいけねえ、ここは芝の山内《さんない》だな、もう四つを打っちゃって、人っ子一人通らねえ、このごろやけ[#「やけ」に傍点]に物騒《ぶつそう》だってんだが、ちょいと懐中《ふところ》があったけえ、てえのはまずかったかねえ、といってひき返すのもくだらねえし……えっへへへっへ、ものはなんでも景気づけだあー……※[#歌記号、unicode303d]惚れて……え……」
「おいおい、おいおい」
「なんでえ、おっそろしく背の高《たけ》え野郎だね。日当たりのいいところで、むやみに値の知れねえ米ェ食ったとみえて、おっそろしく伸びたんだなあ……なんだい、おじさん」
「おじさんとはなにを申すか」
「なにを? おめえのほうで、おいおいって言っただろう? おれが甥《おい》なら、てめえは伯父《おじ》さんじゃねえか。伯父甥の間柄じゃあねえか。なにを言ってやんでえ、とんがるない、この丸太ん棒」
「人間をとらえて丸太ん棒とは、はなはだ乱言《らんげん》である」
「なにを言ってやんでえ。らんげんもじゃんけんもあるかい、人間だから夜中にそうやってふらふら歩いてやがんだろう? 丸太ん棒なら親舟のほうへとうに引き取られてらあ、この帆柱野郎めっ、なんか用があんのか?」
「だいぶ、たべ酔うておるな」
「なにを言ってやんでえ。変なことを言うない、たべ酔うとるんじゃねえやい、のみ酔うとるんだい、酔っぱらうほど食ってたまるけえ、てめえだろう酒飲みながら、他人《ひと》の肴《さかな》までぱくぱく食っちまやァがんなあ。冗談じゃあねえ。なんか用があるのかよ、ええ? 用があるなら早くしてくれえ、おれだって先を急ぐんだから」
「それがしは、江戸表へ勤番に相成った者で、今日《こんにち》浅草へ用足しに参《めえ》って、これから麻布《あざぶ》の屋敷へ帰ろうとおもうが、土地不案内で道が相わからん。麻布へ参《めえ》るは、町人、どう参《めえ》る」
「ふッ、なんだ、道を聞くのかい、ええ? いやにくそ落ち着きに落ち着きやがって……麻布へ参《めえ》るには町人どう参《めえ》るてえやがら。なにを言ってやんでえ。どうとでも勝手なほうへ参《めえ》っちまえ、ばかっ。てめえみてえな田舎侍《いなかざむらい》道に迷ってくるだろうてんでな、夜中に手銭で酒飲んで、こんなとこに突っ立ってるばかがあるかい。おうおう、麻布へ行くんだったら、いいことを教えてやら。爪先を先にして踵《かかと》をあとにして、互いちがいに歩いてみねえ、方角が知れなきゃあ、最初東へ行って、それでいけなきゃあ、西へ行って南へ行って北へ行って、それでまだわからなきゃあ東西南北のあいだを捜して行け、なにを言ってやんでえ、領分の百姓をおどかして道を聞くのとわけがちがわあ。江戸っ子はつむじが曲がってるんだ。そんな道の聞き方でだれ一人教えるものはねえや、この擂粉木《すりこぎ》ッ。てめえなんざあ並の擂粉木じゃあねえや、ばかげた大ぶりだあ、蒲鉾《かまぼこ》屋の擂粉木だな、このぼこすり野郎め、どうでも勝手にしろい、このかんちょうれえッ[#「かんちょうれえッ」に傍点]」
「いろいろなことを申すやつ。なんであるか、そのかんちょうれえ[#「かんちょうれえ」に傍点]というのは?」
「なんでも聞きやがるな、弱ったな。かんちょうれえ[#「かんちょうれえ」に傍点]てな、なんだ? そんなこたあ、こっちだって知らねえやい、知らねえことは教えられねえやい、いやな野郎だあ」
「おのれ、たべ酔っておるから不憫《ふびん》を加えておると、これ、二本差しが、そのほう、目に入らんか」
「なにを言ってやんでえ、べらぼうめ。そんな長《なげ》えものが目へ入《へえ》りゃあ手品《てづま》使いにならあ、なんだい、二本差しっていばってやがら、二本差しがこわかったひにゃ、焼き豆腐は食えねえや。おでんだって一本差してら。気の利いた鰻《うなぎ》を見ろ、五本も六本も差してらあ。そんな鰻を食ったことはねえだろ、てめえは……おれも久しく食わねえけど。どうだい、仲直りにどっかで一杯《いつぺえ》やるかい、おい。そんな勇気はあるめえ、ざまあ見ろい……ははあ、てめえなんだな、道を聞くんだってやがって、そうじゃあねえだろう。追剥《おいはぎ》だな、おう、そうだろう? もっとも無理はねえや、なあ、わずかな扶持《ふち》きり米[#「きり米」に傍点]で、とても食えねえから曰窓《いわくまど》の下で小|楊枝《ようじ》をけずって内職をするより、夜出てすっぱ抜きをするほうが稼げるからやるんだろう、おう、いい仕事があったかい、おう、大将……大将ッたってそっくり返《けえ》るなよ、大将って柄じゃあねえや、てめえなんざあ鬱金《うこん》の二引《にびき》に根太笠ァかぶって、富士の巻狩りで猪《しし》の尻を追ってる柄だ、勢子《せこ》組め、ざまあみやがれ」
「あちらへ行け、行けっ」
「フン、顎《あご》でしゃくりやがったね。へへん、病人が蠅を追うような格好をしやがったな。てめえの言い状を立てて、あちらへ行かなけりゃ義理が悪いのか? てめえは顎で人さまを指図するほど偉《えれ》えのか。ふざけやがって、てえげえにしやがれ。ええ? さっと体をかわしやがったよ。ほほう、そうなるとてめえは、追剥じゃあねえな。物盗りじゃあねえな。試し斬りか? よし、試し斬りなら斬られてやろうじゃねえか、おじさん。おう、どっから斬る? 肩から斬るか、それとも腕から斬るか、尻《けつ》から斬るかい、叩《たた》きゃあ音がするんだ、なあ。叩いたってむやみに壊《こわ》れるような金華糖《きんかとう》じゃあねえんだ。斬って赤《あけ》え血が出なかったら赤えところととり代えてやろうじゃあねえか……西瓜《すいか》野郎ってえのはこちとらのことをいうんだ……おう、斬れねえのか? なんでえ、てめえ剣術を知らねえんだろう? 刀掛けッ、長《なげ》え刀掛けだ、ちぇッ、面《つら》ァ見やがれ、カーッ」
「おのれッ……武士《さむらい》の面部《めんぶ》へ痰唾《たんつば》を吐《は》っかけたな」
「言うことが変わってやんね。吐《は》っかけたって……へへへ、吐《は》っかけたんじゃねえや、ひっかけたんだ。唾をかけて怒る面《つら》じゃあねえや、面目ねえ面《つら》ァしてやがって……まごまごしていると、素首《そつくび》を引っこ抜いて、胴がら[#「胴がら」に傍点]ン中へ叩きこむぜ。一度で気に入らなきゃ、もういっぺんやってやろう、カーッ、ぷーッ」
「待てッ」
「なにを言ってやんでえ。屁《へ》もたれられねえくせに大きなことを言うねえ……こちとら江戸っ子だい、あははのはァだあ……」
鼻唄を唄いながらぶらぶらぶらぶら……。
「待てッ……わが面部ばかりなら勘弁もなるが、殿より拝領のご紋服、ご定紋に痰唾を吐っかけたおのれ不届きなやつ、その分には捨ておけん……待て待て待てッ」
タタタタタタッ……。雪駄《せつた》の後金を鳴らして近づいて、刀の鞘《さや》に手がかかると見るまに、
「えいッ」
チャリーンという鍔音《つばおと》もさせず、懐紙《かいし》を出してゆうゆうとこれを拭《ぬぐ》い、払い除《の》けた腰のものが鞘にすぅーとおさまると、袴の塵《ちり》をひとつ叩き、突袖《つきそで》にして『猩々《しようじよう》』の謡かなにかで、屋敷町をすぅっと曲がった……。
「ういーッ、いい心持ちだね。こりゃ……あっはは、久しぶりに品川へでも繰りこむかな。女に無事な顔でも見せてやろう。女がおまえさんの顔が見たい、顔を見ないと虫がおさまらないときたね。おれの顔は、虫おさえの顔だからなあ。あっはは……おや、こりゃいけねえ、ここは芝の山内《さんない》だな、もう四つを打っちゃって、人っ子一人通らねえ、このごろやけ[#「やけ」に傍点]に物騒《ぶつそう》だってんだが、ちょいと懐中《ふところ》があったけえ、てえのはまずかったかねえ、といってひき返すのもくだらねえし……えっへへへっへ、ものはなんでも景気づけだあー……※[#歌記号、unicode303d]惚れて……え……」
「おいおい、おいおい」
「なんでえ、おっそろしく背の高《たけ》え野郎だね。日当たりのいいところで、むやみに値の知れねえ米ェ食ったとみえて、おっそろしく伸びたんだなあ……なんだい、おじさん」
「おじさんとはなにを申すか」
「なにを? おめえのほうで、おいおいって言っただろう? おれが甥《おい》なら、てめえは伯父《おじ》さんじゃねえか。伯父甥の間柄じゃあねえか。なにを言ってやんでえ、とんがるない、この丸太ん棒」
「人間をとらえて丸太ん棒とは、はなはだ乱言《らんげん》である」
「なにを言ってやんでえ。らんげんもじゃんけんもあるかい、人間だから夜中にそうやってふらふら歩いてやがんだろう? 丸太ん棒なら親舟のほうへとうに引き取られてらあ、この帆柱野郎めっ、なんか用があんのか?」
「だいぶ、たべ酔うておるな」
「なにを言ってやんでえ。変なことを言うない、たべ酔うとるんじゃねえやい、のみ酔うとるんだい、酔っぱらうほど食ってたまるけえ、てめえだろう酒飲みながら、他人《ひと》の肴《さかな》までぱくぱく食っちまやァがんなあ。冗談じゃあねえ。なんか用があるのかよ、ええ? 用があるなら早くしてくれえ、おれだって先を急ぐんだから」
「それがしは、江戸表へ勤番に相成った者で、今日《こんにち》浅草へ用足しに参《めえ》って、これから麻布《あざぶ》の屋敷へ帰ろうとおもうが、土地不案内で道が相わからん。麻布へ参《めえ》るは、町人、どう参《めえ》る」
「ふッ、なんだ、道を聞くのかい、ええ? いやにくそ落ち着きに落ち着きやがって……麻布へ参《めえ》るには町人どう参《めえ》るてえやがら。なにを言ってやんでえ。どうとでも勝手なほうへ参《めえ》っちまえ、ばかっ。てめえみてえな田舎侍《いなかざむらい》道に迷ってくるだろうてんでな、夜中に手銭で酒飲んで、こんなとこに突っ立ってるばかがあるかい。おうおう、麻布へ行くんだったら、いいことを教えてやら。爪先を先にして踵《かかと》をあとにして、互いちがいに歩いてみねえ、方角が知れなきゃあ、最初東へ行って、それでいけなきゃあ、西へ行って南へ行って北へ行って、それでまだわからなきゃあ東西南北のあいだを捜して行け、なにを言ってやんでえ、領分の百姓をおどかして道を聞くのとわけがちがわあ。江戸っ子はつむじが曲がってるんだ。そんな道の聞き方でだれ一人教えるものはねえや、この擂粉木《すりこぎ》ッ。てめえなんざあ並の擂粉木じゃあねえや、ばかげた大ぶりだあ、蒲鉾《かまぼこ》屋の擂粉木だな、このぼこすり野郎め、どうでも勝手にしろい、このかんちょうれえッ[#「かんちょうれえッ」に傍点]」
「いろいろなことを申すやつ。なんであるか、そのかんちょうれえ[#「かんちょうれえ」に傍点]というのは?」
「なんでも聞きやがるな、弱ったな。かんちょうれえ[#「かんちょうれえ」に傍点]てな、なんだ? そんなこたあ、こっちだって知らねえやい、知らねえことは教えられねえやい、いやな野郎だあ」
「おのれ、たべ酔っておるから不憫《ふびん》を加えておると、これ、二本差しが、そのほう、目に入らんか」
「なにを言ってやんでえ、べらぼうめ。そんな長《なげ》えものが目へ入《へえ》りゃあ手品《てづま》使いにならあ、なんだい、二本差しっていばってやがら、二本差しがこわかったひにゃ、焼き豆腐は食えねえや。おでんだって一本差してら。気の利いた鰻《うなぎ》を見ろ、五本も六本も差してらあ。そんな鰻を食ったことはねえだろ、てめえは……おれも久しく食わねえけど。どうだい、仲直りにどっかで一杯《いつぺえ》やるかい、おい。そんな勇気はあるめえ、ざまあ見ろい……ははあ、てめえなんだな、道を聞くんだってやがって、そうじゃあねえだろう。追剥《おいはぎ》だな、おう、そうだろう? もっとも無理はねえや、なあ、わずかな扶持《ふち》きり米[#「きり米」に傍点]で、とても食えねえから曰窓《いわくまど》の下で小|楊枝《ようじ》をけずって内職をするより、夜出てすっぱ抜きをするほうが稼げるからやるんだろう、おう、いい仕事があったかい、おう、大将……大将ッたってそっくり返《けえ》るなよ、大将って柄じゃあねえや、てめえなんざあ鬱金《うこん》の二引《にびき》に根太笠ァかぶって、富士の巻狩りで猪《しし》の尻を追ってる柄だ、勢子《せこ》組め、ざまあみやがれ」
「あちらへ行け、行けっ」
「フン、顎《あご》でしゃくりやがったね。へへん、病人が蠅を追うような格好をしやがったな。てめえの言い状を立てて、あちらへ行かなけりゃ義理が悪いのか? てめえは顎で人さまを指図するほど偉《えれ》えのか。ふざけやがって、てえげえにしやがれ。ええ? さっと体をかわしやがったよ。ほほう、そうなるとてめえは、追剥じゃあねえな。物盗りじゃあねえな。試し斬りか? よし、試し斬りなら斬られてやろうじゃねえか、おじさん。おう、どっから斬る? 肩から斬るか、それとも腕から斬るか、尻《けつ》から斬るかい、叩《たた》きゃあ音がするんだ、なあ。叩いたってむやみに壊《こわ》れるような金華糖《きんかとう》じゃあねえんだ。斬って赤《あけ》え血が出なかったら赤えところととり代えてやろうじゃあねえか……西瓜《すいか》野郎ってえのはこちとらのことをいうんだ……おう、斬れねえのか? なんでえ、てめえ剣術を知らねえんだろう? 刀掛けッ、長《なげ》え刀掛けだ、ちぇッ、面《つら》ァ見やがれ、カーッ」
「おのれッ……武士《さむらい》の面部《めんぶ》へ痰唾《たんつば》を吐《は》っかけたな」
「言うことが変わってやんね。吐《は》っかけたって……へへへ、吐《は》っかけたんじゃねえや、ひっかけたんだ。唾をかけて怒る面《つら》じゃあねえや、面目ねえ面《つら》ァしてやがって……まごまごしていると、素首《そつくび》を引っこ抜いて、胴がら[#「胴がら」に傍点]ン中へ叩きこむぜ。一度で気に入らなきゃ、もういっぺんやってやろう、カーッ、ぷーッ」
「待てッ」
「なにを言ってやんでえ。屁《へ》もたれられねえくせに大きなことを言うねえ……こちとら江戸っ子だい、あははのはァだあ……」
鼻唄を唄いながらぶらぶらぶらぶら……。
「待てッ……わが面部ばかりなら勘弁もなるが、殿より拝領のご紋服、ご定紋に痰唾を吐っかけたおのれ不届きなやつ、その分には捨ておけん……待て待て待てッ」
タタタタタタッ……。雪駄《せつた》の後金を鳴らして近づいて、刀の鞘《さや》に手がかかると見るまに、
「えいッ」
チャリーンという鍔音《つばおと》もさせず、懐紙《かいし》を出してゆうゆうとこれを拭《ぬぐ》い、払い除《の》けた腰のものが鞘にすぅーとおさまると、袴の塵《ちり》をひとつ叩き、突袖《つきそで》にして『猩々《しようじよう》』の謡かなにかで、屋敷町をすぅっと曲がった……。
「どこへ行きゃがった木っ葉侍。てめえなんぞ相手にならねえや。こちとらあ、おどろくようなお兄《あに》ィさまとわけがちがうんだ。矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ。おれはこれから、品川の女ンところへ逢いに行くんだよォ、ふざけやがって、どこへ行きやがった……それともなにか? 一人じゃあとてもかなわねえってんで、屋敷へ帰《けえ》って、先祖伝来のぼろ鎧《よろい》を着て、痩《や》せ馬へ乗って錆槍《さびやり》をぶらさげて、友だちを頼んで仕返しに来《こ》よってのか? そんな仕返しにきたって、おれはここに突っ立っちゃあいないよ。石灯籠じゃあねえんだからな、歩き出すよ。ざまあみやがれ、えーッ(息がもる)……こりゃ、いけねえ、声の出どころが変わったね。ふん、早く品川へ行って、無事な顔を(首が横を向いたので、おやっとおもい、すぐに元どおりにする)見せなくっちゃあ、おれの顔は、虫おさえの顔なんだからなあ……虫おさえの顔はいいが、どういう加減でこう、横向きになっちゃうんだろうねえ? 歩くについちゃ正面を向いて歩かなくちゃあ歩きにくいよ(首を正面にすえる)、品川じゃあ心配しているだろうね。由《よし》さんどうしてたんだねえ、ほかで浮気でもしてたんじゃあないのォ、もう今夜は九つ半(午前一時)まわっちゃったのよ。どこをのそのそしてたんだよッ(首がぐらりと横を向く)なんだい、いやにおれの首は行儀が悪くなりやがったなあ……おれはねえ、芝の山内でりゃんこ[#「りゃんこ」に傍点]と喧嘩しちゃった。いやだよ、この人は、お侍《さむらい》と喧嘩する人がありますか、おまえさんの身にもしものことがあってごらんなさい、あたしはだれを頼りに生きていけるとおもうの、おまえさんばかりが頼りだよ。短気な真似をおしでない、命を粗末にしちゃいやッ(首がガクンとまわる)、なんだいこりゃ、おれの首はこんなにガタつく首じゃねえんだが、どうかしちまったねえ。えっ? 襟がいやににちゃにちゃして……あッ、斬《や》りゃあがったな、畜生っ……斬《や》るなら斬《や》ると、断わりゃあいいじゃないか。とんでもねえことをしやがって……これ、膠《にかわ》でつけてもつかねえよ……あッあ、情けねえことになっちゃった」
両手で頭をかかえて歩き出すと、ジャンジャンジャンジャン……。
「こりゃあいけねえ、悪いところへ火事がはじまったぜ……」
「あらーいッ、らァらァらァらァい……どいたどいた、おう、どいたどいたッ」
「お、おッ……と、押しちゃあいけねえ、こっちゃあ、壊《こわ》れものを持ってんだから……冗談じゃあねえ……あ、いけねえ、混んできやがった、落っことすといけねえ」
自分の首を、ひょいと差しあげて、
「はいごめん、はいごめん」
両手で頭をかかえて歩き出すと、ジャンジャンジャンジャン……。
「こりゃあいけねえ、悪いところへ火事がはじまったぜ……」
「あらーいッ、らァらァらァらァい……どいたどいた、おう、どいたどいたッ」
「お、おッ……と、押しちゃあいけねえ、こっちゃあ、壊《こわ》れものを持ってんだから……冗談じゃあねえ……あ、いけねえ、混んできやがった、落っことすといけねえ」
自分の首を、ひょいと差しあげて、
「はいごめん、はいごめん」