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落語百選94

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:鼠穴《ねずみあな》「ええー、旦那さま、ただいまあの、竹次郎さん、とかおっしゃいますお方が、お見えでございますが」「うん?
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鼠穴《ねずみあな》

「ええー、旦那さま、ただいまあの、竹次郎さん、とかおっしゃいますお方が、お見えでございますが……」
「うん? 竹次郎、あァあ、おらが弟だ。うん、こっちへ通せ……やあ、どうした、よく来たなあ、こっちへ入《へえ》れ」
「兄《あに》さん、どうも、ごぶさたをいたしまして」
「いやあ、よく来たな。江戸見物か? やあ、われも郷里《くに》で別れたときにはまだ子供ばなれがしなかったが、やあ、たいそう立派になったの、あァよく来た、まあこっちへこい。見物か」
「そんだな見物というようなこっちゃあねえが、兄《あに》さんに折り入って頼みがあって来ました」
「なんだ頼みて、え? 何《あん》だ」
「えッへへへ、言いにくいこンだが、とっつぁまが亡くなるときに、兄《あに》さんとわたしへ身代《しんでえ》分けてくだすって、そんでまあ兄《あに》さんはそれをすぐ金にして、江戸へ出て……こんだなまあ立派な商人《あきんど》になっていなさるが、わしゃ郷里《くに》で百姓ぶってたが、悪い友だちができて、茶屋酒ェ飲むことをおぼえやして、女《あま》ッこにとろけて、とうとう大事な田地田畑《でんちでんぱた》ァみんな手ばなしちまって、これじゃ死んだとっつぁまにも申しわけがねえから、兄《あに》さんに頼んで、奉公をぶたしてもれえてえとおもって……どうかひとつ、よろしくこれから頼みます……いや、それも弟とおもうとあんたも使《つけ》えにくいから、他人だとおもって、かまわず使っておもれえ申してえんで、おらも他人だとおもって、どんな無理なことでも辛抱ぶつで、どうかひとつ、これから面倒見ておもれえ申してえんですが、お願え申しやす」
「……いやあ、まあしかたがねえ、なあ、若《わけ》えうちはありがちのこンだ。しかし、われが悪いとおもって、これから一所懸命に稼ぎゃあ、なに使った金は無駄にゃあならねえ……まあ、おらあとけえ奉公ぶたしてやってもええが、そりゃ、竹、つまんねえこンだ。どけへ奉公するにしても、他におめえの器量で、百両てえ金ェ儲《もう》けて、主人のまえへこれだけ儲けました。ああそうか、それはご苦労だったと、ま、くれたところで十両、ま、五両もくれりゃあ関の山だ。一文もくれねえといっても、こりゃ苦情も言えねえ。それより自分で商売《しようべえ》ぶってみろ、な? 自分で儲けたもんならば、一両しか儲からねえときには一両、百両儲ければ百両が自分のものになる。なあ、そのほうがええ、奉公ぶつより商売ぶってみろ」
「そんじゃあ、なにか自分で……」
「ああ、やってみるがええ、資本《もと》はおらが貸してやンべえ、ちょっくら待て……さあさ、これに資本《もと》が入《へえ》っとるから……大事な資本《もと》だから、なくさねえようにしっかりやれや」
「ありがとうがす……そんじゃあ、おもれえ申しやす、はい。また、何《あん》とか目鼻ァついたら、そのうちうかげえますで……。へえ、ごめんなせえやし……ありがてえもんだなあ、やっぱり兄弟《きようでえ》だ、なあ。郷里《くに》の者は、おらァ兄貴悪く言ってる、何《あん》だおめえのあの兄貴てえのは、人間じゃあねえぞ。郷里者《くにもの》が行っても、茶ァ一|杯汲《ぺえく》んでも出さねえ、あの野郎は人間じゃあねえ、鬼みてえなやつだなんて……えへへへ、しかしやっぱり血ィ分けた兄弟《きようでえ》だ、なあ、商売《しようべえ》の資本《もと》を貸してやるてえ、ありがてえ……だれもいねえ、なんぼ入《へえ》っとるか見べえ、あァ?……なんだ、こりゃ? 三文|入《へえ》っとる、三文……大事《でえじ》な資本《もと》だからなくさねえようにしろ……なるほど人間じゃあねえな、うちの兄貴ァ、鬼だあ、けっ、ばかにしやがって、三文べえの銭《ぜに》、なくすもなくさねえもねえ、こんだらもの……待てよ、地面《じびた》ァ掘っても三文の銭ァ出ねえちい譬《たとえ》がある。これで商売《あきねえ》ぶてねえことねえ……よし、やってみべえ」
三文の資本《もと》で商売をはじめるといっても、三文ではどうにもならない。いろいろ考えた末に、米俵……空き俵の、上へ載せるさんだらぼっち[#「さんだらぼっち」に傍点](藁《わら》製の丸い蓋《ふた》)を買って、これをほどいて、緡《さし》をこしらえた。昔は、孔あき銭を使っていたから、商人《あきんど》などは銭箱に一日に一杯ぐらいたまる。この孔あき銭を勘定するのに、この緡に差して勘定したから、緡をこしらえて、売り歩いた。これで、三文の資本《もと》で六文になった。これですぐまたさんだらぼっち[#「さんだらぼっち」に傍点]を買ってきて、緡をこしらえて売って、六文が十二文。二十四文になると、空き俵が買えたから、こんどは空き俵を買ってきて、ほどいて、藁《わら》を、とんとんとん叩《たた》いてやわらかにして、草鞋《わらじ》を作って、あまった藁で緡をこしらえて売る。一所懸命これをくり返しているうちに、いくらかの資本《もと》ができたので商売《あきない》を一つではなく、朝早く起きて、
「なっと納豆ォ、納豆……ォ」
帰ってくると、お昼まえに、
「豆腐ゥい、生揚げェーがんもどォき」
お昼過ぎになると、
「金ちゃん、甘いよォ」
と、茹《ゆで》小豆《あずき》を売る。夕方になると、
「茹出《ゆでだ》しィうどォん」
夜になると、
「えー、おいなァりさァん」
稲荷ずしを売って歩く。夜中になると、泥棒の提灯《ちようちん》持ちをした……これはまあどうだかわからない。
よくあんなに身体《からだ》が続くというほど、働いた。
二年半ばかりで、十両という金がまとまった。おかみさんをもらい、亭主は表へ出て働き、おかみさんはうちで内職をする。稼ぎ男に繰《く》り女……そのうちに、女の子も一人できた。裏店《うらだな》に住んでいるわけにもいかない、こんどは表店へ出る。奉公人を一人、二人、三人と、十年のちには、深川|蛤《はまぐり》町へ間口が四間半で、蔵の三戸前《みとまえ》もある立派な店の主人《あるじ》になった……。
「ああ、番頭さんや、おい、番頭さん」
「へい、お呼びでございますか」
「あっ、今日は、ちょっくらおれァ出かけべえとおもうがな、もう店ェしまえや……いや、ちょっくら早えが、今日は風がこうだに大《で》けえから、もう店ェしまって、いまあったけえもんでもこせえさしてるから、食わしてやったらよかんべえ。それからなあ、兄《あに》さんとけへおらァちょっくら行って来るから……。留守はあんたに頼むから、どうか、なあ、貰火《もらいび》はしかたがねえが、もし火事でもあったときは、蔵の目塗り[#「目塗り」に傍点]をどうか……あ、それから、気になるのは、あの鼠穴《ねずみあな》だが……」
「はァはァ、ねずみ……へえへえ……わたくしも気にいたしまして、左官のところへちょいちょい催促にまいりますが、なにしろ仕事がたてこんで[#「たてこんで」に傍点]いるので、もうちょっとご猶予を願いたい、ということでございますが、もしものことがございましたら、店の者も大勢おりますから、なんとか手当てをいたしますから」
「ま、あんたがいなさるから、おらも安心だが、どうかな、鼠穴ァ気ィつけてもれえてえ……あ、それから……おい、あのう三文なあ、半紙へ、いやいや三文でいいから、それへ包んで、別に二両、包んで、二つこせえて、できたらこっちへ持ってきてくんろ……あ、よしよし……そんじゃあな、ちょっくら行ってくるだで、頼むぞ」
「行ってらっしゃいまし」
「行ってらっしゃいまし」
「行ってらっしゃいまし」
「行ってらっしゃいまし」
店の者がずらりと並んで、送られて、出て行く……。
「ええー、ごめんなせえやし、ちょっくらごめんなせえ」
「あっ、いらっしゃいまし、竹次郎さんでいらっしゃいます?」
「あんたまあ十年も会わねえで、よくおぼえていなされたね」
「いえ、旦那さまとも始終お噂《うわさ》をいたしておりますでございます。へえ、おいででございます、どうぞ、お上がりくださいまして……ええー、旦那さま、竹次郎さんがお見えでございますが」
「竹が……おォお、よく来たな、さあさあさあ、こっちへ入《へえ》れこっちへ、まあ挨拶はいい。いや、ぶさたは互《たげ》えのこった、まあよく出てきたな……それからな、ちょっくらあの、番頭さんや、店ェもうしまったらよかんべえ。あ、それから、ちょっくら耳ィ貸せや……酒の支度してな、うん……おらが呼んだらくるように、それまではだれもよこさねえように、そこを閉めてな……ああ、まあもっとこっちへこいや」
「はい、ごぶさたァしてすんませんで、ええー、いつぞや、兄《あに》さんにお借りしました商売《しようべえ》の資本《もと》を、なげえことになりまして、ありがとうがした……これをお返しに上がりまして……」
「おうおう、そうかそうか、ううん、どれどれ……ああ、三文|入《へえ》っとる、たしかにこれは……よく使《つけ》えこまなかった」
「……それから、こりゃ兄《あに》さん、けっしてその利子なんちゅうもんじゃあねえが、何《なん》ぞ買《こ》ってこべえとおもったが、何《あに》買ってええかわかんねえから、口に合ったもんでもこれで……」
「おゥお、そんだな心配《しんぺえ》してもらっちゃあすまねえ……そうか、じゃあせっかくだで、もらっとくべえ……失礼だがあけて見べえ……二両|入《へえ》っとる。豪儀なもんだなあ、うん? 三文の銭も、十年経てば、二両の利子がつくだよ、やっはっはは、ありがてえ。こりゃあもらっとくべ……さ、まっとこっちへこいや。ああ、なあ竹、十年|前《めえ》におめえがおらあとけえ奉公ぶちてえちゅう、おらがそれを、商売《あきねえ》でもしろ、資本《もと》は貸してやるからと言って、おめえに三文貸してやったが、あんときァあとで、さぞ腹ァ立ったべえ……うん?」
「……いやッは、腹なんぞおらァ立たねえ」
「いやいや、立たねえことねえ、たしかに立ったにちげえねえ、もしわれがあれで腹ァ立てなきゃあ、人間じゃあねえ、なあ。あんときにおらあ考《かん》げえた、おめえに五両貸してやろうか、それとも十両貸そうかともおもったが、いや、おめえはまだ茶屋酒が腹へしみこんでる。そこへ五両てえ金が入《へえ》れば、ま、三両でも商売《あきねえ》はできるから、二両は別にして、まあちょっと、景気づけに一杯《いつぺえ》飲んで……これが竹、いかねえ。まだ商売《あきねえ》ぶたねえうちに資本《もと》へ手をつけるようなこンではだめだ。そこで、おらがわざと三文貸し、おめえが腹ァ立って一分《いちぶ》でも、二分でも、おらがとけえ持ってきたら、そんときァおらあ、五十両でも、百両でもおめえに資本《もと》は貸してやるつもりだ……さすがに、おらが弟だ、おめえも強情だ、おらあとけえはこねえ。十年経ったいまじゃあ、深川蛤町で、蔵の三戸前もある立派な店へ住んでいる。それでこそ、死んだとっつぁまも、草葉のかげでどのくれえよろこんでいなさるかわからねえぞ、うん? あんときにおらが五両でも、十両でも貸してやったら、おめえ、いまの身代《しんだい》にゃなっちゃあいねえ。ま、そういうわけで、おらがおめえに資本《もと》を貸さなかったわけだ、こりゃま、おめえに会ったら、ひとことおめえに詫《わ》びすべえとおもっていたから……どうかまあ、勘弁してくんろ、な?」
「……兄《あに》さん…すんませんでした……わしァねえ、三文兄さんから、おらおくんなすったとき、何《なん》てえ人だ、まるでまあ鬼みてえ……いや、おっかねえ人だとおもってましたが、そういうこととはおらあ知らなかったで、ちょっくらでも恨んだのァおらが悪かったで、どうか……勘弁しとくんなせえ」
「やッはははは、話がわかりゃあええ、まあまあええ……おいおい……どうした、支度はできたか? ああ、そんじゃあこっちィ持ってこいや。久しぶりだ、まあまあ、一杯《いつぺえ》いくべえ」
これから、久しぶりで兄弟が、杯《さかずき》のやりとり……。
「さあさ、まっと飲めや、遠慮ぶつことねえ。久しぶりだ、なあまあゆっくりやれや」
「や……もうえかく馳走《ちそう》になりやしたから、こんでおらァ帰《けえ》るべえとおもうだ」
「なんだ、帰るっちゅうこともなかんべえに、せっかくのこンだ、今夜泊まってけや」
「いや、泊まっちゃあいかれねえ」
「泊まっていかれねえてえのは……うふふふ、われのかかさまァなにか、やきもち焼きか」
「いや、そんだなことじゃあねえが、こんだにえかく風が吹くだで、もし火事でもあっちゃあなんねえから、おら帰るべえとおもう」
「そんだなこたあ何《あん》も案じることもねえで、なあ、おめえのとこは蔵もあるべ……」
「いや、蔵はあったとこで、兄《あに》さんとこみてえなええ蔵じゃあねえ、おらあとこはぼろ蔵だ、鼠穴があるで、もし、正月《はる》の支度もしてあるから、火でも入《へえ》ったら……」
「あっははははは……われみてえにそう、先の先まで人間案じちゃあ、暮らしていけるもんじゃあねえよ。大丈夫《でえじようぶ》だよ……じゃ、こうすべえ、われがとこがもし焼けた……ま、万が一にだ、焼けるようなことがあったらば、おらの身代《しんでえ》おめえにみんなやるべえ。なあ、そんならよかんべえ。十年|前《めえ》じゃあ、ま、三文しきゃ貸せねえ、いまのおめえなら、おらが身代みんなやったとこで、けっして惜しかねえ。な、そんだらよかんべえ、まあ泊まってけ、な、われもこれまでになるにゃあ、苦労もしたべえ、な、おらも人に言えねえような、つれえおもいをしてこれまでになった。まあいろいろそうだなことも話ぶつべえよ。ま、いいから泊まっていけ」
と、久しぶりで、兄弟が枕を並べて、積もる話をしているうちに、酒の酔いが出て、ぐっすり寝入った……。
 真夜中、ジャァーン……。
「……おい、だれか起きねえか、半鐘を打《ぶ》ってる、火事があるぞ、ああ、火の見ィ上がってみろ」
「はい」
その時分、大きな商人《あきんど》には火の見|櫓《やぐら》があった。
「ええー、見てまいりました」
「おう、どこだ?」
「深川|蛤《はまぐり》町近辺だろうという……」
「う? 深川蛤……そりゃいかねえ、竹の家《うち》だ……おい、竹……起きろ、おい、竹次郎っ」
「むゥ…ン、むゥ…ン、むゥ…ン」
「なにうなされてるでえ、起きろよ、おい、おいッ」
「あッ……鼠穴が……」
「なに鼠穴だ」
「何《なん》でえ?」
「いま火事がある、深川蛤町……いやまあ、われがとこかどうかわかんねえが、蛤町の見当だというから起こしたが、ちょっくら行ってこう」
「あっ……」
「ああこれこれ、待て待て……提灯《ちようちん》出してやれ、蝋燭《ろうそく》の代《か》えをなァつけて……気をつけて行ってこい」
「はい」
 来てみると、もうあたり一面火の海と化している。その中に自分の店《うち》の蔵だけが、黒くぽっ、ぽっ、ぽっと浮き出たように見える。
「えれえ火事になったなあ、まあ何《あん》だって……おう、番頭さんじゃあねえか」
「お帰んなさいまし、どうも、えらいなんでございまして、なにしろ火のまわりが早うございましたので……それでもまあ、たいていの物は蔵へ入れまして、目塗《めぬ》りをいたしましたからご安心を願いまして」
「そうか、ああ、ありがと、おめえがいなさるから、おらもそりゃ安心ぶってた……どうした、あァあ、みんないるか、怪我ァなかったかみんな、そうかそうか、まあ怪我ァなきゃあよかった……あっ、それからあの、鼠穴ァやってくれたなあ、あ? 鼠穴」
「……あッ……鼠穴だけ忘れました」
「なんだ忘れた? 目塗りィしたって、鼠穴ァふさがねえじゃ何《あん》にもならねえ……おい、一番蔵の戸前のとっから、白い煙《けぶ》が出ちゃあいねえか」
「…………」
「え? いやそんだなことはねえ……おいおい、煙《けぶ》が……おい、だれか屋根へ上がってみろ」
店の者が、蔵の屋根へ上がって、瓦を二、三枚はがすと、どォーッと燃え上がった……。
「……危ねえ、降りろッ……一番蔵ァ落ちたが、まだ二つ助かっとるから……おい、二番蔵からまた、戸前のとっから煙《けぶ》が出ちゃあいねえけえ?」
また、屋根へ上がって、二、三枚瓦をはがすと、どォーッと、燃え上がる。
「……まあしかたがねえ、二つ落ちたが、しょンねえ、一つでも助かってくれたら……」
と、言っているうちに、三番蔵の観音開きが、中からぴゅッと、左右に開き、ガラガラガラガラガラッ……。見ているまえで三戸前の蔵が焼け落ちた。
竹次郎は、持っていた提灯を落とさんばかりにがっくり……。おかみさんが、その時分|流行《はや》った夫婦《めおと》巾着《ぎんちやく》へ、なにがしかの金を持っていたので、その金ですぐに、掛け小屋をつくり、ほとぼりのさめないうちに商売《あきない》をはじめた。——それが、その時分の商人《あきんど》の自慢。さて、店を開《あ》けてみると、どうしたことか、商売がぱったり……いけない。奉公人も暇をやるでなく、もらうでなく、一人減り、二人減り、親子三人になる。
表店も張っていられないので、裏へひっこむ。これを気病《きや》みに、おかみさんがどッと病の床に就くようになる。
「……どうだな、今日はちっとァええか、あ? 薬ィあとにするか、そうか。おれァなあ、ちょっくら兄《あに》さんのとけへ行ってくべえとおもう。正月《はる》の支度もしなきゃなんねえからな、いいか……なんだ? ふん、おめえも? いっしょに行きてえ……芳《よし》が行きてえと言うから、そんじゃこれ連れて行くから、ええか一人で……」
子供の手を引いて、兄の店《うち》のまえまで来たが、表口《おもて》からは入りにくいので、裏口へまわって、
「ごめんくだせえ、ごめんくだせえ」
「だれ……あっ……どうもこのたびはとんだこってございましたなあ。へえまあ、とんだご災難で……へ? ええー、おいででございますが、どうぞ、お上がりくださいまして……ええー、旦那さま」
「なんだ……竹が? おうおう、こっちィ入《へえ》れこっちィ……どうした、焼けたってなあ」
「箸《はし》も出ませんで、まる焼けになりまして……」
「気の毒なことをしたなあ、おらも行ってやるべえとおもうが、なにせえ目のまわるように忙しいて、見舞《みめえ》もぶたなかったが……そうか、まあ怪我ァねえのがなによりだ……はい、はいはい、ほほう、かわいい子だなあ、あ? いくつだ、七つか、ええ子だなあ、あァあ、そうか、よく来た、まあこっちィこい」
「ええー、兄さんに頼みがあって来やしたが……」
「うん」
「正月《はる》の仕込みをしなきゃなんねえで、資本《もと》を少し貸しておもれえ申してえとおもって……」
「あァあ、そうか、ううん、商売《しようべえ》の資本《もと》、ああええ、貸してやんべえ、いくらあったらええ、あ? 一両も持ってくか、二分でいいか」
「……二分や一両じゃどうにもなんねえが、まあ百両と言いてえとこだが……五十両べえ、お借り申してえでがすが」
「……五十両……?……そりゃ竹、だめだ、もとのおめえの身代《しんだい》ならば、そりゃ貸してやってもええが、いまじゃあおめえ、焼け出されで、そんだな大《で》けえ金借りてどうする、う? 一両か二両なら、おら貸してやるだ」
「それァ、おらだって三文からとっついて[#「とっついて」に傍点]商売《あきねえ》したが、その時分といまたあ、年も違《ちげ》えやすし、ひとり身じゃあねえ、女房もあれば……こんだな子供もあるだからねえ、そんだ……」
「そりゃおめえの勝手だ。おらがなにも頼んで持ってもらったかかあじゃあねえ。ま、第一《でえいち》だ……おらに言わせれば、女房持つてえことは贅沢《ぜいたく》なこンだ、う? 女房持てば子供のできるぐれえのことはだれでもわかっとる。おれェみろ、まだひとり者だ。汝《うぬ》が勝手に持った女房だ、そんなこたあ、おらの知ったこッちゃあねえ……何《あん》だ、五十両だ、百両だなんて、そんだな大《で》けえことはだめだ、一両なら貸してやんべえ」
「……兄さん、そんじゃあ、あんた、話ィちがうべえ、なあ、おらが帰《けえ》るってえとき、あんた何《なん》て言いなすった、もしおらとこが焼けたら、あんたァ身代みんなやってもええちゅうて……」
「……そりゃあ言ったかもしんねえ……いやあ、待て待て、言ったかもしれねえが、ありゃあ、おらが言ったんじゃあねえ」
「……おらが言ったんじゃあねえ? あんたがたしかに言った……」
「いや、おらが言ったじゃあねえ、ありゃあ酒が言っただ、な? 酒ェ飲みゃあ、人というものは気が大《で》かくなるもんだ、なあ。そんで、おらが身代みんなおめえにやンべえ、ぐれえなことは言うだ、な? あっはははは……酒のうえの戯言《たわごと》、浮世の世辞ちゅうもんだ、それをまともに受けて、百両貸せの、五十両貸せのって、ばかなことをこきやがって、なあ、そんだなことはだめだ」
「……それじゃああんた、あんまりだ……人間じゃあねえ、人の皮ァかぶった畜生みてえなも……」
「なんだ、畜生とは、兄に向かって畜生とはなんだ……なんだ、朝っぱらから来やがって、縁起でもねえ野郎だ。帰れっ、ばか野郎……帰《けえ》れッ……」
「……何《あに》をするだッ……痛えッ……喧嘩じゃねえ。喧嘩じゃねえから泣くな泣くな……兄《あに》さん、おらあねえ、とっつぁまにだって、頭に手ェあげられたこたあねえだ……芳《よし》、この顔をよくおぼえとけ、これがおめえの、たった一人の伯父さまだ。人間じゃあねえ、鬼だまるで……おぼえていなせえッ」
子供の手を取って表へ出たが、
落ちぶれて袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるる——
「おとっつぁん……お金いくらあったら、ご商売できンの?」
「む?……われと相談ぶったところでどうにもなんねえが……まあ、少なくとも二十両はなきゃあだめだ」
「それじゃあ、あたしがその金こしらいるわ」
「ばかなことを言うもんじゃあねえ。そんだな大《で》けえ金が、子供に何《あん》でできる、うん?」
「ううん、できるの。あの、女の子は吉原《よしわら》へ行って、花魁《おいらん》になればお金ができるって、お隣のおばさんに聞いたから、あたしはお女郎になって、お金こさいるわ」
「そんだなばかなことを言うもんじゃあねえよ、われみたいな小《ち》っちゃっけな子供が、何《あん》でお女郎なんぞになれるよ」
「だからいいじゃないの、あたしを売っておとっつぁんがご商売をして、また連れにきてくれれば、ほんとうのお女郎にならなくてすむから、あたしを売ってお金をこさいてよ、おとっつぁん」
「……おめえは何《なん》てえ発明な子だ……親の口から言いにくいが、それじゃあ頼む」
これから、その道[#「その道」に傍点]に話をして事情《わけ》を話して二十両の金をこしらえ懐中《ふところ》へ……大門を出て、見返り柳、そこへ来ると後朝《きぬぎぬ》をおもいだして、だれしもあとを振り返る。
吉原の空は、紅《べに》を流したようにぽう……と赤くなっている。
「……辛抱してくんろ、なあ。われも辛《つれ》えこともあンべえが、きっとおらあ稼いで、おめえを連れに来るからなあ、どうか、淋《さむ》しかろうが、辛抱ぶて……」
「気をつけろいッ」
「……はっ……ばか野郎……何《なん》だ、汝《うぬ》がほうから行き当たりゃがって、気ィつけろって……おう痛《いて》え、息がとまるかとおもった、まあ、何《なん》てえ野郎だ、おらが胸へ突き当たりゃがって、気ィつけろ…も……あッ、ど、泥っ……あー、もうだめだ……」
と、帯を解くと、木の枝へかけて、輪を結び、足もとに大きめの石を運んできて据《す》えて、首を帯の輪に突っこんで、手を合わせ、
「……南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
ぽォーん、と、石をひとつ蹴る。
「うゥ…ん……」
「……こんだによくうなるやつァねえなあまあ。眠ることなンねえで、おい竹、起きろ、おい……竹、おい、竹ッ」
「わはッ……どこだ? ここはどこだ」
「何《あん》だ……どこだっておらあとこだ」
「あんた、兄《あに》さんか? 火事があって……」
「火事? どこに火事があった」
「鼠穴《ねずみあな》……」
「なにが鼠穴だ」
「今日は幾日《いつか》だ」
「なにを言っとるだ、しっかりしろ。おめえおらあとけへ来て泊まって……なにも火事なんざあねえちいに……なんだ、まあきょろきょろして、夢でも見たか」
「……あッ、夢だ……夢だッ、ああありがてえ、夢だった……、ああ、えれえ夢見ただ」
「どうしただよ、う? うん、火事で焼けておらあとけ来たら? 金貸さねえで、うん、首ィくくって死……えれえ夢見やがったな、この野郎は……しかし竹、夢は逆夢《さかゆめ》というし、火事の夢は焼けほこる[#「焼けほこる」に傍点]というから、われがとこの身代《しんでえ》は正月《はる》から大《で》かくなるぞ」
「……ああ、ありがてえ……おらああんまり鼠穴ァ気にしたでよゥ」
「はははははは、夢は土蔵(五臓)の疲れだ」
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