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落語百選99

时间: 2019-09-15    进入日语论坛
核心提示:文七元結《ぶんしちもつとい》本所の達磨《だるま》横町に、左官の長兵衛という、腕のいい親方。ふとしたことから博奕《ばくち》
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文七元結《ぶんしちもつとい》

本所の達磨《だるま》横町に、左官の長兵衛という、腕のいい親方——。ふとしたことから博奕《ばくち》に凝《こ》って、これが負《お》い目になっていまでは抜き差しできないほど、深間にはまってしまった。そこへ、一人娘のお久《ひさ》が、昨夜から姿を消してしまった。どうしたんだろうと、夫婦で途方に暮れていると、
「ご免くださいまし、ご免くださいまし」
「だれか来たよ……えへえ、おまえさん、どなただい?」
「どうもお久しぶりでございまして、あたくしは、佐野槌《さのづち》の藤助でございます」
「藤どんだァ、おもいだしたよ。お見それ申したねえ、どうも、わずかなうちに年齢《とし》をとったねえ」
「へえ、また店へ戻《もど》ってまいりましたんで、よろしく……。あのう、さっそくでございますが、女将《おかみ》さんのお使いでまいりましたんですが、ェェ親方がおいでンなりましたらば、すぐさまご同道願いたい、とこういうお伝言《ことづけ》でございますので、どうぞ、わたくしとごいっしょに店までお出ましを願いたいもんでございやすが……」
「女将《おかみ》さんが用があるてえのは、いずれ仕事の事《こつ》てやしょうがね。仕事ならちょいと待ってもらえませんかね。じつはね、家に取りこみができちゃってねえ、昨夜《ゆんべ》から十七ンなるあまっちょですが、娘がいなくなって、かかあの言うにゃ、ことによったら淵川《ふちかわ》へ身を投げていやあしねえかって、縁起でもねえことを言ってやがんで、あっしもどうもうっちゃっとくわけにもいかねえから、これから川通りでも捜すか、高尾山の呼ばわり山[#「呼ばわり山」に傍点]でも行って、ひとつ捜してこようとおもってね。そのほうのかた[#「かた」に傍点]がつきましたら、さっそく、お店《たな》へうかがいますんで、女将さんによろしくおっしゃってくださいまし」
「ェェー、つかぬことをうかがいますが、こちらの娘御《むすめご》さんのお名前は、お久さんとおっしゃいましたな」
「ええ」
「なら、ご安心くださいまし、へえ。娘さんは昨夜《ゆんべ》っからお店《みせ》へ来ていらっしゃいます」
「えっ!? お宅《たく》ィ、そうですかい。……お、おいおい、佐野槌《さのづち》さんへ行ってるとよ、お久は……」
「そりゃよかったねえ。まあ、よく知らせてくださいました。ありがとうございます。どんなにか心配したかわかりゃしませんよ……さあ、おまえさん、すぐにこれから行っといでよ、ね。あの、お供して、すぐに、佐野槌さん」
「うるせえなあ、いろいろこっちに都合があるんだよゥ。……あのね、藤どん、ひと足先へ店へ帰ってください。あっしはすぐ支度をしてね、うかがいますんで、女将さんによろしくおっしゃってください」
「さようでござんすか、じゃ、お待ち申しておりますから、お早くどうぞ……」
「へい、ご苦労さま。……おめえのようにそうせっついたってしょうがねえ。おれの着ているものを見ねえ。おれァ、おめえ、法被《はつぴ》一枚じゃあねえか」
「法被一枚だっていいじゃないか」
「よかあねえや。鳶《とんび》細川の部屋|博奕《ばくち》で、スッテンテンに取られたやつァ、寒さ凌《しの》ぎにこれを着て帰《けえ》ってくる。いいか、こんなものを着て歩いてたひにゃあ、あの野郎は博奕にふんだくられて一文なしだってえのを、ひろめに歩いているようなもんだ。こんなものを着ちゃあ、お店《たな》にも行けねえよゥ」
「だってほかに着るものはないよ」
「おめえの着物を着ようじゃねえか」
「いけないよ。これをおまえさんが着て行ったひにゃあ、あたしァおまえ、困るじゃないか。ねえ、半襦袢《はんじゆばん》に腰巻だよ」
「いいじゃあねえか、この法被をおめえに着せるから」
「だって困るよゥ。お手水《ちようず》に行くこともできないやァね」
「いいやな、表へ出なくたって。畳《たたみ》上げて、根太板《ねだいた》ァひっぺがしとくからな、そこへしょご[#「しょご」に傍点]っちまいな。内《うち》から心張りを支《か》ってな、だれか来やがったら、留守だって、そう言うんだ」
「だっておまえ、おかしいじゃあないか」
「それでも開《あ》けて入《へえ》ってくるようなやつは、かまうこたあねえから、向こう脛《ずね》でもなんでも食《く》らいついちめえ、いいか。さあさあ、そんなことを言ってるうちに刻限《こくげん》が経《た》つ。その着物を貸しねえッ」
と嫌がるおかみさんの着物を無理やり着こみ、猫の腸《ひやくひろ》のような三尺を締め、丈《たけ》が長いから、尻《しり》をはしょって、汚い手拭《てぬぐい》で頬被《ほおかぶ》り。
 吉原の大門《おおもん》をくぐって、佐野槌の前へ来てみると、もう仲之町の引手茶屋《ひきてぢやや》は、両側ずうーッと行燈《あんどん》に灯がはいって、二階ではもう気の早い客が芸者、幇間《たいこもち》をあげて、ちりからたっぽゥ[#「ちりからたっぽゥ」に傍点]の大陽気《おおようき》……。
「へえー、世の中はいろいろだなあ。ええ? 吉原へ来やがって、ほんとうに、湯水のように金銀を遣《つか》おうってえやつもあるし、一文なしでこうやってかかあの着物を着ているやつもあるし、愚痴を言ったってしょうがねえが。こりゃ刻限がよくねえ。引け過ぎまでここに立ってるかあ、弱ったねえ」
さすがに表口からは入れない。裏口へまわって女将の部屋へ、
「ごめんくださいまし、ェェー、長兵衛でございますが……」
「さあさあ、遠慮はいりませんよ。こっちへ入っとくれ」
「へえ、どうも……まことにごぶさたしておりましてね、ええ? こう……ごぶさたしちまうッてえと、敷居《しきい》が鴨居《かもい》になっちまいやがって……、へえ、入《へえ》りにくいわけなんでござんす。どうも申しわけのねえこってございまして、また、ただいま、お使いをありがとうございまして、へえ。あの……ゥ、……あッ、お久ッ、おまえ、そこになんだって……。女将さん、ごめんくださいましよ。……おい、ここはねえ、親父《おやじ》の大事なお店《たな》だよ。その旦那場《だんなば》へ来て、そのおまえ、女将さんよりか上座へ座って、おめえ、めそめそ泣いてちゃいけないよ。……ご当家は、盛り塩をして、切り火を打ってご商売をなさるという、縁起|稼業《かぎよう》。そこへ来て、宵のうちからおめえ、めそめそ泣いてちゃいけねえやな、ほんとうに。また、酷《しど》い身装《なり》をして来たねえ。その、おめえの着ているものは、おめえ、……あれじゃねえか。こちらへ来るなら来るように、おふくろに話をして、箪笥《たんす》の抽出しにゃあお召《めし》、縮緬《ちりめん》の着物でもなんでもあるんだから、あれを引っ掛けて来たら、よかりそうなもんじゃねえか。なんだってそんなものを着て来たんだよう。まあ色気のねえッてえのは、しょうがねえもんでねえ。女将さんの前ですが、どうも……ええ、ま、からもう、ねんね[#「ねんね」に傍点]でござんすからねえ」
「この娘《こ》に叱言《こごと》を言わないで、おまえさんが、その箪笥の抽出しから、なにか着てきたらどうなんだ。そりゃあ、おかみさんの着物だねえ、袖《そで》が長い」
「へっ、へえ。こりゃ、まあ、ねえ。……あっしァ、お馴染《なじみ》でござんす」
「いくら馴染だって、困らァね、そんな身装《なり》をして来る人がありますかい、ねえ。この娘《こ》から何もかにも聞きましたよ。じつは昨夜《ゆんべ》ね、大引け近くンなって、この娘《こ》があたしの店《うち》へ来て、会いたい。へーえ、若い娘《むすめ》さんが、こんな場所へ来て会いたがるってえのはおかしいが——って、会ってみたらねえ、おまえさんの娘だってさあ。名乗られるまでは気がつかなかったねえ、大音寺前《だいおんじまえ》の寮の仕事のときに、おかみさんといっしょになにか持っちゃあ来なすったが、なにしろ、あのときは小さかったからね。こんないい娘になろうとはおもわないから、すっかりあたしゃあお見それしてしまったんだね。それから、ま、話を聞いてみると、——親父《おやじ》がこのごろでは仕事をしませんで、博奕にばかり精を出しまして、家のものは、屋財家財《やざいかざい》持ち出して、なにひとつございません。わたくしのような不器量な女《もの》でも、こちらさまでもってお抱《かか》ィくださいまして、その身代金とやらは、親父《おやじ》を呼んで、女将さんから、よォくご意見をしてくだされば、堅くもなりましょうから、お願い申します——と、この娘が言うじゃあないか。あたしゃまあ、ともに涙にくれてしまったよ。……なんだって、おまえ。あんないい腕ェ持っていて、そう博奕にばっかり凝っちまったんだね。仕事なんぞしないってねえ。困ったもんだねえ、長兵衛さん。おまえさんは、ね、仕事にかけては名人だよ。竜泉寺前《りゆうせんじまえ》のあの寮の土蔵なんぞは、職人が褒《ほ》めて通るね。——この土蔵《くら》だ、見ねえ、長兵衛が手をかけたのは……。長兵衛の仕事だから、この土蔵《くら》には目塗《めぬ》りがいらないよ——と言っちゃあ、職人衆が通りなさる。いずれご同業だろうがね。あたしゃ、そのたびに鼻が高いじゃないか。なんだってあんないい腕を持っていて、おまえ、博奕になんぞ凝ってしまうんだね、長兵衛さん」
「そんなことを、女将さんのお耳に入れましたかい。しょうがねえもんですねえ。あまっちょ[#「あまっちょ」に傍点]ってえのは、おしゃべりだ」
「なにを言ってるんだね。それどころじゃないよ。あたしも相談に乗ろォじゃないか。ね、いくらあったら、もとの堅気《かたぎ》の職人になれるんだい?」
「へえ、そうおっしゃられるってえと、面目しだいもございません。あっしゃあねえ、根っからの博奕打ちじゃあねえんでござんす。鳶《とんび》細川の屋敷へ仕事に行ってますってえと、煙草《たばこ》休みに役当ての部屋をちょいとのぞくってえと、——おう親方、いいところへ来てくれた、今日は少うし駒《こま》が足りねえから、遊《あす》んでってくれ——持っている金、二両ばかりですが、それをすっかり取られてしまいまして、こうなるってえと、くやしい、取り返《けえ》してやろうって、あっしも男ですから意地がござんす。家《うち》のものは屋財家財持ち出して、命から二番目の鏝《こて》まで質に入れて注《つ》ぎこみました。まあ、いっぺん目と出たらば、足を洗って、女房娘《にようぼこ》に新しいもんの一枚も着せてやろうと、こうおもったんでございますが、どうもうまくいきませんで、今日《こんにち》までとうとう、ま、のびのびになっちまったわけなんでござんすが、ここで女将さんが、こんなおかめ[#「おかめ」に傍点]ですが、これをまあ、お抱《かか》ィくださいますれば、あたしァまたもとの堅気の職人になれますんで……」
「そう、話は早いほうがいい。いったい、いくらありゃあ、いいの?」
「そうですねえ……。義理の悪《わり》ィ借財があって、それから、鏝《こて》に鏝板《こていた》、質受けをして、それから職人の手間代、食い繋《つな》ぎ、なにやかやでもって、五十両あれば、あっしゃあもとの職人になれます」
「五十両。ああ、よォござんす。お貸し申しましょ」
「へえ、……女将さん、お貸しくださいますか」
「ああ、貸しましょ。……ああ、米《よね》や、用《よう》箪笥のね、深い抽出しに財布があるでしょ? あれ、持って来ておくれ。いやいや……あの……ああ、そのままでいい。……ああ、ご苦労さまね。このなかにはねえ、窄《つぼ》めて五十両入っている。じゃおまえ、勘定して持ってっておくれ」
「いいえ、勘定なんぞ、どうでもよろしゅうござんす」
「この財布は、旦那さまが生きている時分、好んで着ていらした羽織のきれっぱしでこしらえたものだよ。おまえさんも見覚えがあるでしょ、ね? この財布を見るたんびに旦那に意見をされているんだとおもって、仕事に精出して、励んでくださいよ。いいかね、で、いつ返《かい》しに来るね?」
「さいでござんすねえ……。今年ももうわずかでございますから、来年、目一杯稼いで、大晦日《おおみそか》までにゃあ、必ずお返しにあがります」
「来年の大晦日。ああ、ようござんす。それまでは、こうしましょ。この娘《こ》は、家《うち》の娘分《むすめぶん》でもって、預かっておこう。家《うち》にはお針《はり》さんもいるし、花を活《い》ける妓《こ》もいれば、茶を立てる妓《こ》もいるから、それに手習いの師匠も出入りするから、まあ女ひととおりのことは仕込んで、あたしの娘分でちゃあんと預かっとく、ね。しかし、それをおまえさんがいいことにして、いつ返してもいいんだという油断があっちゃあならないよ。来年の大晦日には必ず返してくださいよ。さもないと、あたしは鬼になりますよ、長兵衛さん。あたしの家じゃ商売だから、この娘《こ》をお女郎《じよろう》にしてしまいますよ。こんな気立てのやさしい娘《こ》だから……、それがために悪い病《やまい》を引きうけないものでもないし、お客さまにせがまれて指を切るようなことをしても、あたしを恨《うら》んでくれちゃ困りますよ。この娘《こ》がかわいそうだとおもったら、どうか来年の大晦日までに、そのお金、持って来ておくれ。利分なんぞ持って返しに来ると、あたしゃ腹を立てますよ。元金だけで結構、わかったね。じゃ、そう話がわかったら、この娘《こ》に礼を言って、さ、持っておいで」
「なんですって?」
「この娘《こ》に礼を言って持ってらっしゃいよ」
「この娘《こ》にって……こりゃあ、あっしの、あっしの餓鬼《がき》です」
「こんなに立派になった娘《むすめ》を、餓鬼だなんて、この娘《こ》がいればこそ、おまえ、五十両という才覚ができたんだよ。この娘《こ》に礼を言うのがいやなら、あたしゃ貸しませんよ」
「ちょっと待ってくださいよ、女将《おかみ》さんも気が早くていらっしゃる。礼を言やあいいんでしょ。ええ、言いますよ。……おう、お久、おめえのおかげでもって、女将さんから五十両という大金を拝借ができた、なあ、ありがてえや、礼を言うよ。……ばかばかしい」
「なんだい、ばかばかしいってえのは……そんな礼の言い方がありますかね」
「おとっつぁん。そのお金を持って帰って、また博奕なんぞしないようにしてください。ねえ、博奕で取られて家《うち》ィ帰ってきて、おっかさんをぶったりなんかして、おっかさんが癪《しやく》でも起こすようなことがあると、あたしがそばにいないから、看病の仕手がない。おとっつぁん、わかった。……わかった、ね。……ね。……ね」
「あいよ、あいよ。わかったよ。……変なことを言ってやんな、別れぎわに。うゥッ(と、こみあげてきて)……女将さん、気だてのやさしい娘《こ》でしてね。おふくろの身を心配して、泣いております。へへ……泣いておりやす、ええ、ええ……へえ、へえ……」
「おまえさんも泣いてるねえ」
「いいえ、あっしゃ目から水が出るんでござんす。……じゃあいいか。人さまに憎まれねえようにな。ええ、あんまり気がねして、食うものを食わねえようじゃ瘠《や》せちまうから、……いいな、わかったな。辛抱してくれ、来年の大晦日までにゃあどうしたって、おいら金を持って迎《むけ》えに来る。じゃ、頼むよ。え、おまえが大事にしているみィ[#「みィ」に傍点]ちゃんとこィいってる香箱《こうばこ》なんぞ届けてやろう」
「いいよ。そういうものはね、欲しけりゃあ家《うち》で買いますしね。たってこの娘が、それでなくちゃあいけないと言えば、使いの者に取りにやるからね。……じゃ、おかみさんによろしくね」
「へえッ、ありがとうございました」
  闇の夜は吉原ばかり月夜かな
五十両の金を懐中《ふところ》へ佐野槌《さのづち》を出て、大門をそこそこに、見返り柳あとにして、土堤《どて》の道哲、待乳山《まつちやま》、聖天町《しようでんちよう》、山《やま》の宿《しゆく》、花川戸を過ぎ、吾妻橋……。
「おいッ、待ちねえッ」
「へえッ、……あたくしァ生きていられないことがございまして、これから身を投げます。どうぞはなしてくださいまし」
「いや、はなさねえ」
「いや、助けるとおもって殺してくださいましッ」
「そうはいかねえ。助けたり殺したりはできねえから、その助けるほうへいこうじゃねえかッ。おいッ、その欄干《らんかん》につかまっている手をはなせよ。手をはなせッ、はなさねえかッ(と、突き飛ばす)、この野郎めッ」
「ああ、痛ッ……あなた、こんなところィ人を叩きつけて、怪我《けが》ァしたらどうします」
「なァにを言いやがる。てめえ、いま、ここから身を投げて死んじまうって、言ってやがったじゃねえか。怪我ぐれえ愚かなこったァ。おめえは、お店《たな》者だな? 縞《しま》の着物に角帯を締めて、前垂れ掛けでもって、腰ィ矢立てェ差してやがるなあ、おう。おう、若《わけ》えの、この曇っている空にあそこだけはぽーッと映るのは、ありゃあ吉原の灯《あかり》だ。あれにゃ憶《おぼ》えがあるだろう? どうでえ、てめえは女郎買いの遣《つか》いこみだなあ、そうだろう。帳尻が合わなくなった、面目《めんぼく》ねえ、生きちゃあいられねえてんで、申しわけのためにドカンボコンだあ、なあ、たいてい相場は決まってら、そうだろ?」
「いえッ、あたくしは、吉原……なんぞへまいりますような道楽者じゃございません」
「そうかい、そいつは悪かったな。おめえはどこの者《もん》だ?」
「へっ、わたくしは横山町《よこやまちよう》二丁目の近江屋卯兵衛《おうみやうへえ》と申しまする鼈甲問屋《べつこうどんや》の手代《てだい》で文七《ぶんしち》と申します」
「うん」
「小梅《こンめ》の水戸さまがお出入り先でございまして、今日お屋敷へお掛け金を頂戴にまいりまして、五十両、たしかに懐中《ふところ》に入れて、あのう、枕橋《まくらばし》の上までまいりますと、風《ふう》の悪い方がトーンと、わたくしに突き当たりました。ああ、ああいう方が他人《ひと》の懐中《ふところ》を狙う方だと、手をやったときにはもう遅うございました。うゥッ、五十両盗られてしまいました」
「なんだッ、五十両盗られた? 待ってくれ、待ってくれッ。……お、おれは持ってるよ。おれは持ってるが、五十両ったら、大金だぜ。それを手ぶらで歩いているから、いけねえんだ。なあ、財布の上からしっかり握っていなくちゃいけねえ。けどォ他人《ひと》事じゃねえなあ、とんだ災難だなあ。……けどよ、死ぬのはつまらねえ、なあ。おめえの家《うち》は鼈甲問屋だってなあ。鼈甲問屋なら左官たァちがうから、五十両ねえからといって身代が左前《ひだりめえ》になる気づけえはねえだろう? なあどうでえ? おい、おめえより上手《うわて》な番頭さんがいるだろう? よォくその番頭さんにわけを話して、主人に詫《わ》びをしてもらいなよ、いいか。人間に災難ってえのはあるこったから、盗られたものはしかたがねえ、なあ、わかったかい。死ぬなんて了見を起こしちゃいけねえぜ、わかったな。ちょっとおれは急ぐからな(と、行きかけて)……お、おッ、ちょっと待てよ、待てッ、……てめえは死ぬつもりか、おい。おれの言うことがてめえにはわからねえかよゥ」
「へっ、おっしゃることはよくわかりますが、あたくしも、九《ここの》つや十《とお》の子供じゃあございません。ながらくご恩を受けましたご主人さまのお金を、五十|金《きん》、盗られたと言って、このまま、とても店《みせ》へは帰れません」
「しょうがねえなあ、おめえのようにそう一途《いちず》じゃなあ。……じゃあ、こうしたらどうでえ、おめえは若《わけ》え衆《し》だろう? 若え衆なら、給金がもらえるだろう? もらう、なあ。よしッ、なら、どっかから融通して来てな、これはお屋敷のお金でございますよ、主人《あるじ》の前をつくろっておいて、月々もらうおめえの給金のうちから、そのほうへ返《けえ》していきゃあいいじゃねえか、そうだろう? わかったかい、わかったか」
「へえ」
「おまえにも親ァあるだろう? なあ、子供ってえもんは、かわいいもんだよ。わかったねえ、わかりゃいいんだよ。……お、おッ、待ちねえ、てめえはいま、こっくり[#「こっくり」に傍点]をしてやがったから、おれの言うことを聞いていたんだろッ。それを、おれがひと足も歩かねえうちに欄干のほうへいざり寄って、てめえはまだおれの言ったことがわからねえのかよう」
「へっ、おっしゃることはよくわかりましてございますが、お店者|風情《ふぜい》のわたくしに、四十の五十のという大金は、とうてい工面ができません」
「えらいッ、おめえは正直|者《もん》だなあ。……五十両は大金だ、無理はねえぜ。……じつは、おれはいま、五十両のために親子生き別れをしてきた。……よしッ、おれはてめえの正直なところへ惚《ほ》れこんだから、おれの持っている金、おめえにやっ……、ね…、ね…、五十両ときちんと揃ってなくったって、いいんじゃねえか。どうでえ、二十五両ッ、半分ン、え? だめかい。三十両……いけねえか? 四十《しじゆう》両ッ……どうしても五十両なくちゃいけねえのかッ……はァーッ(と、ため息)、えッ、どうせ、おれにゃ授からねえ金だ……さッ、おう、この財布の中に五十両|入《へ》ってる、おめえにやるから持ってって生命《いのち》を助かんねえ」
「へえ、見ず知らずのあァたさまから、五十金という大金をいただくわけがございません」
「おうッ、おおおっ……おれだってやりたかねえ、やりたかねえよ。いいか、てめえのを盗ったんじゃねえ。財布《せえふ》を見ろ、財布を……、財布の縞《しま》がちがってるだろ? おれはこんな女の身装《なり》をしているから、てめえは怪しい野郎だとおもうだろうが、これでもおれは、堅気《かたぎ》の職人だ。商売《しようべえ》は左官だがなあ、つまらねえことで博奕《ばくち》に凝っちゃって、にっちもさっちもいかねえ、首のまわらねえほど借財《しやくぜえ》ができちゃった。一人娘のお久ってえのが、吉原の佐野槌という旦那場へ駆けこんでこせえてくれた、この五十両だ。女将《おかみ》さんとの約束でね、来年の大晦日までに持ってって返さねえと、娘は女郎になっちまう……。おれァいま、おまえにここで五十両やっちまって、来年いっぱいどう稼いだって、職人の痩《や》せ腕じゃ五十両は揉《も》み出せねえ。おれはもう、返さねえときめちゃったがね。こうしてくんねえか、おめえもこの金でもって生命《いのち》が助かった、ありがてえ、とおもったら、お店者だァ、たいしたことはできめえが、店《みせ》の隅へ棚ァ吊ってね……不動さまでも金比羅さまでもいいから、おめえの信心する神仏を拝んでやってくんねえ。な、吉原の佐野槌に勤め奉公をしておりまする、お久という女でございますが、どうぞ悪い病を引きうけませんように、商売繁昌いたしますように……、おまえ、拝んでやってくれ、なあ、頼むよ。えッ、さ、さ、事がわかったら持ってきねえ、持ってきねえッ」
「へえ、さようにわけがございますお金は、なおさらもっていただくわけにはまいりません」
「なにォ言ってやんでえ、てめえは五十両なけりゃ生きちゃあいけねえんでィ……おれッち親娘《おやこ》はな、おれが左官の手間取りになろうとも、娘が女郎ンなろうとも、生命《いのち》に別条はねえんだから、わかったか……安心して持ってけよ、持ってけってんだッ」
「でも……」
「でももなんにもねえッ、気持よく懐中《ふところ》へ入れるんだよ」
「いえ、これは……」
「なにをまごまごしてやんで、持ってけッ」
「いいえ……」
「いいえじゃねえ……持ってきやがれッ」
「……あなたッ、なにをなさるんです。……酷《しど》い方だッ、こんなものを叩《たた》きつけて、……あんな汚《きたな》い身装《なり》をして、お金なんぞォ、おや?……お、あッ、お金だッ。ああー、お金だ。ああー、お金だッ、ああー……助かった。……あァーッ、うううううッ……(財布を押しいただいて)ありがとうございます。……おかげで生命が助かりましたッ」
 トン/\/\/\、トン/\/\/\。
「はいはい、だれだい? えッ? 文七ッ、あっ……文七が帰ってまいりましたよ」
「文七が? ……ああ、鳶頭《かしら》にそ言ってくれ、もう捜しに行かなくてもいいって。提灯の灯《あか》りを消してくださいよ。あの文七が帰ってきたって、旦那さまに申し上げてくれ……ああ、いい按配《あんばい》だったねえ、あのうそこのね、締まりはしてないんだから潜戸《くぐりど》が開《あ》くよ、やえん[#「やえん」に傍点]は下りていないから、……さあ、こっちィお入り」
「どうも遅くなりまして」
「おう、どうしたんだ? 心配したよ。まあまあ遅くなったのはいい。おまえさんの帰りが遅いんで、旦那もまだ就寝《おやすみ》にならない、店の者は一人も寝やァしないよ、まあこっちィお上がりよ……あら、おまえ足袋《たび》裸足《はだし》だね?」
「へえ、あんまり急ぎましたので、どっかへ下駄ァ……脱ぎ忘れてしまいました」
「そうかい……どうも顔の色もよくないし、鬢《びん》の毛やなんかほつれているね、えッ? 着物の前もはだかってるよ。まあ、ま、いいやね。ェェ心配にはおよばないよ、うん。いま旦那に申し上げるからね……ェェ旦那、文七が帰ってまいりました」
「おう、そうかいッ。……待っていましたよ。ああ、ご苦労、ご苦労……どうしたね。こっちへ来なさい。こっちへおいで……、あのう、さっそくだが、お屋敷のご勘定はどうした?」
「はい、いただいてまいりました」
「うーん」
「財布がちがっておりますが、どなたかおまちがいになったらしいんでございまして、この次のご勘定日にはまた取り戻してまいります。お金はこれでございます」
「へえッ、お金を持って来た? へえーッ、番頭さん。文七がお金を持って帰ってきたよ。おい、どういう経緯《いきさつ》なんでしょうねえ。番頭さん、よく聞いとくれ」
「へえ、へえ。かようなことを等閑《なおざり》にいたしますと、店の者の示しがつきませんので、あたくしもよく問いただしてみますが、どうぞ旦那さまもそこでお聞き取り願いたいものでございます。……おい、文七や、もう少うし、おまえ、前のほうへ出ておくれ、そこじゃ話が届かない。え? おまえね、いまさら改めて言うんじゃあないが、おまえはどうしてああ、碁が好きだい。そりゃ、ま、人間にはなんか道楽があるがね、おまえは碁を囲《かこ》ってるところだと、商売先でもなんでも夢中になる。今日おまえ、お屋敷へ行ってお掛け金を頂戴しちまって、御用人の中村さまのお部屋の前を通ると、中村さまと河田さまが碁を囲っていらしたね、おまえがそのそばへ座って拝見をしていた、そうだろ? そのうちに河田さまがお立ちになると、そのあとへおまえが座って、中村さまのお相手をしていた。そのうち『おい、文七、もう門限だよ』と言われたんで、おまえは慌《あわ》ててお暇《いとま》をしてお屋敷を退散してきた。そうでしょ? そうだね。あとでねえ、中村さまが碁盤をお片づけンなると、碁盤の下に、おまえのいただいたお金が財布ぐるみ、出てきたんだよ。お屋敷じゃびっくりして、中村さまも、このお金を持って帰らなければ、当人も心配しているだろうし、店でも案じているだろうって、わざわざお使いをもってねえ、先ほどお届けくださったのが、ごらんなさい、旦那さまのあの手文庫の上にある、財布だ。なかに印形《いんぎよう》も入っているし、店《うち》のありゃあ財布だよ。お金が先に届いて当人が帰ってこないんだ、だから、おまえ、店じゃ心配するじゃないか。なあ、刻限は経《た》ってしまう、暗くはなる、さあどうしよう、ついに鳶頭《かしら》ァ呼びにやってえ、鳶頭ァ先立ちになって川通りでも捜そうかってんで、いま、支度をしているところへおまえが帰ってきた……それはそれでようがすがね。文七、おまえが手ぶらで帰ってきたんなら事はよくわかる。おまえ、お金を持って帰ってくるってえのは、どういうわけだい。おまえが持って帰ってきた金と、お屋敷から届いたお金と、お金が増えて、倍になっちゃったよ。これはいったい、どうしたわけだい?」
「はあはァーッさよですか。……うーッ、えらいことになりました。わ、わたくしはそんなこととは知りませんで……、これはてっきり途中で、と…と、盗られたもんだとおもいまして、吾妻橋から身、身を投げようといたしました」
「えっ? ばかなことを、まあ、あきれたもんだなあ。おまえが身を投げるってえ……」
「そこへ通りかかった方があたくしを助けてくださいまして、それでこのお金をくださいました」
「ほう、五十両という大金をねえ、ふーん、見ず知らずの通りがかりの方がねえ。……どこのなんてえ方だ」
「それはうかがいません」
「おまえも迂闊《うかつ》だねえ。聞かないってえのは困ったもんだ。どんな身装《なり》をしていたい?」
「へえ、身装《なり》はァ……なんでも袖の長い女の着物を着ていました」
「へえ、あんまり身装《なり》はよくないねえ。そりゃあことによったら、泥棒じゃあないかい?」
「いえ、とんでもないこって。……この財布をわたしの目の前にお出しんなって、たいへん出しにくそうな様子でしたが……あッ、『おれァ堅気の職人だ』って、ああ、左官だとおっしゃいました」
「ふーん」
「なんでも、博奕に凝っちまって首のまわらないほど借財ができちまって、一人娘のお[#「お」に傍点]、ひ[#「ひ」に傍点]、さ[#「さ」に傍点]、さん?……あッ、お久さん、そのお久さんというのが、吉原の佐野屋? じゃない……さの…さのづ…ち? あ、佐野…槌……。そこへ駆けこんでこしらえてくれた五十両だそうで、来年の大晦日までに持って返さないと、女将さんとの約束で、その娘さんがお女郎になってしまうそうで……おまえにこれをやってしまえば、もうとても返す見込みはない……どうか悪い病にならないように、店の隅へ棚ァ吊って不動さまでも金比羅さまでも拝んでやってくれと、わたくしは頼まれてまいりましたんで、えェッ(泣き声で)……まことに、お、恐れ入りますが、不動さまと金比羅さまと棚は二つ吊っていただきたいもんでござい……」
「そうかい、いや、よくわかりました。旦那ァ、お聞きになりましたかなあ……」
「……聞きましたよ、聞いてますよゥ。恐れ入ったねえ……世の中にはえらい方があるもんだねえ……そうかい、それで五十両の金を恵んでくだすったか……文七、もう泣かなくてもいいよ、わかった、わかった……」
「はい、そのお方のおっしゃるには、おまえはこの金がなけりゃあ生きていられない、おれたち親娘《おやこ》は左官の手間取りになろうとも、娘が女郎になろうとも、生命《いのち》に別条はないから持ってけとおっしゃって、財布ゥ叩きつけてお出でになりました」
「ほ、ほほほ、ふふン、そうかい。いやあ、よくおまえそこを耳にとめてきたねえ、ええ。ェェーと、吉原のお店《みせ》の名前が佐野槌ってんだなあ。娘さんの名前がお久さんか。そこまで手蔓《てづる》がありゃもう、それで充分だよ、ああ。まあまあ、いつまで泣いてなくてもいい、あっちィ行って顔でも洗ってきなさい……ところでね、番頭さん、こうなるとあんまり堅いというのも良し悪《あ》しだ。おまえさんもわたしも吉原なんぞ足踏みしたことがない、大門《おおもん》てえのは噂には聞いているが、どっちを向いて建っているか、そんなことも知らないしねえ。また、家《うち》のォ店の者が堅いからね……栄次郎、佐野槌ってのはどこだい!?」
「へい、あれは、そのゥ……いかがでございますか……」
「なにがいかがだよ、おい。おまえ、ありゃそのォって乗り出したが、知ってるんじゃないかい?」
「ええ、知らないってえことは、へえ、申しませんで、へえ。知ってはおりますが、それはそのォ……書物の上だけで……」
「なにを言ってる……おまえさんに叱言《こごと》いうんじゃない。家は鼈甲問屋だからねえ、店の者が一人ぐらい吉原に明るい人がいたって、そう恥にはならない。おまえでなくちゃならないこともありますからね、おまえだけはひとつ、もう半刻ばかりつきあってもらいたいねえ……じゃ、番頭さん、どうもご苦労さまでした。文七や、おまえも寝てしまいな。さ、さ、店の者、これで散会にしましょうね。ああ、ご苦労さま」
 あくる日になると、
「番頭さん、ちょいとあのう、文七を呼んでくださいよ……ええと、おまえを連れてね、わたしァあのう、浅草の観音さまへお詣《まい》りをして、帰りに本所ゥ方《がた》へ用足しをしたいとこうおもうんだ。供はおまえに限る、おまえ、供になってておくれ。それから……番頭さん、文七に少うし細《こま》っかいのをね、あのう余計に持たしてくださいよ。じゃ、行ってまいりますよ」
大勢の店の者に送られて、まっすぐ観音さまへ参詣をした。橋を渡って本所の方向へ……、
「なにを足を止めている」
「へッ、旦那、昨晩《さくばん》あたくしが身を投げようとおもったのはこの辺でございます」
「ここらかい、へえ? ちょうど橋の真ん中だね」
「へえ、いまここをのぞいて見ましたらば、水が轟々《ごうごう》と音がして流れております。ここから飛びこみゃあ、もう生命《いのち》はございません。ああ、ばかなことをしたもんだ」
「おいおい、そこの角にね小西という酒屋があるな。あすこへ行ってね、お酒の切手を買ってきなさい。上等なお酒をくださいまし、二升のよい切手をってな。そいから、あのう、ついでに聞きなさいよ、このご近所に左官の親方で長兵衛さんという方がおいでンなるはず、そこへ持ってまいりますんでって、角樽《つのだる》を借りてきな。長兵衛さんの家もよく聞いてくるんだよ」
「へえ」
「お待ちどおさまでございます、へえ。これが角樽で、これがお酒の切手でございます」
「ふん、お宅聞いたかい?」
「へえ、長兵衛さんのお宅はどちらでございましょうッたら、店の人が、この酒屋の路地を入ってくと、すぐわかると、こう言うんで……」
「ほォう、酒屋の路地だな、ああ何軒目だい?」
「あたしもそう言って聞いたんですよ、何軒目でございましょうったら、酒屋の若い衆やなんか、みんな笑いだしましてね。『世の中にあんな夫婦|喧嘩《げんか》をする家はめずらしい。いままでは時たまやってたんだが、昨晩《ゆんべ》っからの喧嘩は少うし長くって、ずうーッといままで続いているから、喧嘩を目当てに行きゃあ長兵衛の家へ入っちまう』って言いました」
「だから言わねえこっちゃねえよ。おれがなあ吾妻橋まで来るってえと、色の生白《なまつちろ》い野郎が身投げしようてんだ。ふんづかまえて聞いてみたらば、五十両なくちゃ生きていられねえてえ言うから、おれがやろうったら、そん畜生、また依怙地《いこじ》に、いえッ頂戴ができないの、滑ったの転んだのぬかしゃがったから、面倒くせえから、いい加減にしやがれってんで、横面《よこつつら》ァにおれァ、五十両、叩きつけて逃げてきたんだ」
「そこがあたしァ何度聞いてもおかしいね。世の中にお金を盗って逃げるってえ人はあるが、お金をやって逃げるなんてえのはおまえさんぐらいなもんだよ。だから、やるなじゃないよ。やるのは結構、他人《ひと》を助けるのはいいけれどもさ、そんならそのように、向こうさままで送ってって、この方が死のうってえところへあたくしが通りあわせましたが、五十両なくちゃ生きていられないとおっしゃいますから、それはあたくしが持ってますから、差しあげますと、そこで出したらよかりそうなもんだ」
「それが、女の浅はか[#「浅はか」に傍点]だ。なあ、野郎と女と了見がちがうッてえのは、そこを言うんだ。その野郎にやるから、金が生きるんだ。迷子じゃあるめえし、向こうまでおめえ、いい若え者を引っぱってって、そこで金を出すッたって、向こうで金を受け取る気づかいはなし、余計しくじるもとじゃあねえか。おれの言ったことにまちがいはねえ。金ェやって逃げて来たんだ」
「そんなことを言ったって、あたしゃほんとにできないよ。博奕に負《と》られちまったから言いわけがないから、それでそんなことを言ってやがんだろ、畜生めッ! 赤ん坊の前で風車《かざぐるま》まわすようなことを言ったってだれが本気にするもんか、ばかばかしい」
「やったんだよ、おい。おれァ嘘をつきゃしねえ、たしかにやった」
「やったもなにもない、畜生めッ! これからあたしァ吉原へ行ってくるよ」
「吉原? 吉原行ってどうするんだい」
「女将さんにも会うし、娘にも会って、よおッくこの事を言ってやる心算《つもり》だァほんとうに、くやしいッ」
「お、お、おい! てめえの着ているのはなんだァ、おい。鳶細川のおめえ法被《はつぴ》一枚じゃねえか。そんな身装《なり》をしやがって、真っ昼間、大門が潜《くぐ》れるか潜れねえか考えてみやがれッ」
「潜れたって潜れなくたって、あたしゃこうなりゃあ、一所懸命……どこでも行きますよ」
「どうでも出かけんのかウヌ[#「ウヌ」に傍点]は、亭主の言うことがきかれねえのか。ようし、そういうかかあならこっちも、了見がある。上げ板|背負《しつちよわ》せるから覚悟しやがれ、ほんとうに!」
「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」
「だァーッ……(女房に小声で)おいおい、だれか来たよ……(表に向かい)ちょいと待ってくださいよ。むやみに開《あ》けて入《へえ》んなさんなよ。いいってまで開けっこなしだよ。その雨戸に節穴ァ開いてるがねえ、そんなとっからよろこんでのぞいてやがるてえと、こっちから火箸《ひばし》でもって目の玉ァ突っついちまうから、畜生め……(女房に)おい、人が来たからちょいと屏風《びようぶ》ン中|入《へえ》ってくれよ、後生だからよ。屏風ン中へ……その陰じゃなんにもならねえからよ、屏風ン中へ、いいか。屏風が低いからぐうッと平《たい》らンなるんだよ、突っ伏して。頭ァ持ちゃがってるよ、頭をぐうッと。あれッ? 尻が持ちゃがるじゃねえか、お尻《けつ》をぐうッと下げて……また頭ァ持ちゃがるね。どうしてそう不器用なんだよ、ぐうッと平らンなるんだ、ぐうッと。よし、それでいい、動きなさんなよ……(表に向かって)ええ、お待ちどおさまでございました。どうぞお開けなすって」
「ごめんくださいまし。これはお初にお目にかかりましてございますが、左官の長兵衛親方はあなたさまでございますな」
「てへッ、親方てえほどの代物《しろもん》じゃねえ、長兵衛というのはあっしでございます。あなたさまは?」
「へい、てまえは横山町二丁目に、鼈甲《べつこう》問屋を営んでおります、近江屋卯兵衛と申しまする商人《あきんど》にございまして……」
「ああァッ、鼈甲屋さんか、そいつは家がちがうね。あっしの家《うち》にもかかあみてえなのはいますがね、頭髪《あたま》の物《もん》で苦労したことはねえんだからね。中挿《なかざ》しなんざァそば屋の箸《はし》をおっぺしょって、挿しておくほうなんだから、そりゃあ家主《いえぬし》のほうじゃありませんか、家がちがってるよ」
「へえ、こちらへちょっとお邪魔《じやま》にまいりましたもんでございますので、お手間はとらせませんから、少々お邪魔をさせていただきたいもんで……(表に向かい)文七や、こっちィ入んなさい。そこへね、品物を置いてこっちィおいで、おまえはこの親方をよく知っているだろうね?」
「え? どの……あ、ああァッ、昨夜《ゆんべ》、あの、吾妻橋でもって、あたくしを助けて、お金をくださいましたのは、旦那、この方でございます……昨晩はありがとうございました、ありがとうございました……」
「えっ? 吾妻橋で、金……おッ、おめえだ、おめえだッ。ああよく来てくれたなあ……たしかにおれァやったね、やったな? (屏風の陰の女房に)そゥれ見やがれ……いやいや、だれもいませんがね。へェえ、よかったねえ」
「ェェわたくしは、これの主人でございますが、なにからお礼を申し上げてよろしいやら、昨晩は生命《いのち》を助けていただきました上に、五十金という大金をお恵みにあずかりました。ありがたいことにございまして……ェェさて、親方、あたくしはどうも、お世辞の言えない性質《たち》でございますので、なにもかも洗いざらい申し上げますが、じつは、この文七が盗られたとおもいました金子《きんす》は、お屋敷へ忘れてまいりました。これの帰りませんうちに、お屋敷から金は届いておりましたが、当人が戻らない……店じゅうで心配しておりますところへ、立ち帰っての話に、あなたさまに生命《いのち》を助けていただいた上に、大金をお恵みにあずかった。まことにありがたいことと心得まして……なにはともあれ、昨晩お恵みにあずかりました、この五十金、これはお手元へご返済にうかがいましたので、とりあえず、これを先へお納めを願いたいものでございますが……」
「なんだい、忘れたのと盗られたんじゃあ、大《てえ》したちげえじゃあねえか……若い者ってえのは、生命《いのち》を粗末にしてしょうがねえねェ……けど旦那、目の前に置いて褒《ほ》めちゃすまねえが、この人は正直者だねえ、ご主人にすまないすまないの一点ばりだ。あっしはこの人の気性に惚《ほ》れこんじゃったよ。この金はね、あっしの懐中《ふところ》から跳び出しちゃって、この人ィいったんやったんだからね、金が出たからって、おうそうかいッて、受け取れねえやね、そうでしょ? この人だって、腰の曲がるまでおまはんの店《うち》へ奉公している気づかいはねえ。いずれ一軒、店《みせ》を持つでしょ? そのときにね、おう、こうしてもらおう、これはね、暖簾《のれん》の染め代に、(うしろで女房が袖を引っぱるのをふり払って)あっしが清くこの人にお祝いをしようじゃねえか、ねえ。いえ、ま、旦那、そうおっしゃらないでね、こりゃ、あっしがね、この人にやっちゃった金だからね、まあま、取っといてください、ね? こりゃあこう……(うしろで女房が袖を引っぱる)ええ、これ、そっちへね、そっちへひとつ持っててくださいな」
「ありがとうございます。そのお志《こころざし》だけは頂戴いたします。いったん出ました金子を、またあなたさまからいただくというわけにもなりかねます。近卯《きんう》がこのとおり両手をついてお願いをいたしますが、曲げてもそれはお納めを願いたいもので……」
「旦那、旦那……そりゃいけねえや。手をあげてください、手をおあげなすってください。あっしゃあ大家《たいけ》の旦那さまから両手をつかれて頼まれるほど、ほんなァ偉《えれ》え職人じゃねえんだい、ねえ。じゃ、これさえもらっておきゃいいんですね? もらいますよ、もうつかんだらはなさねえよ、いいかい? じゃ、頂戴しますよ……ありがてえ、ありがてえ……じつはねえ、旦那、この金のために、あっしァ、昨晩《ゆんべ》っから寝ねえんでござんす……ありがとうございます」
「つきましては、お願いでございますが……」
「へえ、壁の塗り替えかい?」
「いや、そんな事《こつ》ちゃございません。あたくしもずいぶん奉公人を扱っておりますが、見ず知らずの者に五十金という大金を投げ与えて、生命《いのち》を助けるという気持が、さあ、そのときになりまして、いかがなものでございますか……。親方のそのお心持ちには、つくづく感心をいたしました。いかがでございましょう、てまえ宅と親戚のおつきあいを願いたいもんで、せめてお供餅《そなえ》のやり取りだけでも結構でございますから、ご承諾を願いたいもので……。もう一つは、この文七でございますが、これはいささか遠縁の者になっております。行く末には他《ほか》商売なりさせて、一軒、店を持たしたいとおもいますが、ェェそれには、後見が入り用でございます。あなたさまが生命を助けてくださいました命の親というところでこれの後見もついでにお願いをしたいのでございますが、お聞き届けくださいますでございましょうか」
「なんだな、旦那。……なんですって? おまえさん、親類のつきあいをする。待ってくださいよ。おまえさんの家《うち》と、あっしの家《うち》は、たいへん身代がちがうんだが、お供餅のやり取りたって、おまえさんの家は大家だからね、二尺のお供餅なんぞ担ぎこむだろうがね、お返しは二寸だよ」
「結構でございます」
「それにこの人の後見するったって、あっしは読み書きもろくすっぽ[#「ろくすっぽ」に傍点]できねえ、鏝《こて》ェ持つよりほかに能がねえ。大丈夫かね?」
「さっそくのご承引《しよういん》で、ありがとうございます。つきましては、これはお金の出ました身祝いでございます。どうぞ、そちらへお納めを……」
「あ、ありがてえね、この角樽ってえやつはいつ見ても景気がいいね。こりゃあ小西の切手だね? 二本《りやんこ》だねえ、とんだ散財をかけちまったねえ。すいませんねえ、いただきます」
「つきましては、お肴《さかな》でございます」
「おッ、肴はやめてもらおう。あっしはねえ、枡《ます》の隅からきゅうッとやってね、塩ォつまんで口ン中へ放りこみゃあいいんだ、肴はむだだよ」
「あいにくの時化《しけ》でございまして、お気に召しますやら、いかがなものでございますか……ただいま、お目にかけますんで……(表に向かって)おォーい、栄次郎、ここだようー」
「へえーい」
刺青《ほりもの》揃い、三枚のできたての四つ手|駕籠《かご》が、長兵衛の長屋へタタタタタタタッ……と入ってくると、家の前でぴたッと止まった。
駕籠屋が垂《た》れをぐいとあげると、中から出たのが、娘のお久、昨日に変わる立派な姿になって、
「おとっつぁん、あたしゃ、この旦那さまに身請けをされてきました。おっかさんは……?」
「おッ……おう、おめえは、お久じゃねえか?」
「このお肴は、いかがさまで……」
「へえ、ありがとうございます……おい、お久が帰ったよ」
屏風の中の女房は、さっきから、出たい出たいとおもっている矢先、頭の上で、お久……という声がしたので、
「まあーッ」
と、立ち上がったら、法被《はつぴ》に継ぎの当たった腰巻だけなので、ぐるぐるとまわって、その場へ、ぺたぺた……と座りこんでしまった。
このきまりの悪いというのも打ち忘れて、屏風の陰から這《は》い出してきて、親子夫婦がうれし涙にくれた……。
この文七とお久と、夫婦《めおと》になって、麹町貝坂《こうじまちかいざか》へ元結《もつとい》屋の店を開いた……文七元結、元祖のお噺——。
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