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落語特選08

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:宮戸川「番頭さん、伜はまだ帰りませんか? 困ったやつです。今夜は、もう家《うち》へ入れてやりませんよ。毎晩毎晩、碁《ご》
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宮戸川

「番頭さん、伜はまだ帰りませんか? 困ったやつです。今夜は、もう家《うち》へ入れてやりませんよ。毎晩毎晩、碁《ご》だ、将棋だと遊んでばかりいて……そりゃ若い者《もん》だから、たまにはしかたありません。しかし、道楽も程度ですからね。それにいくら伜だからといっても、店《みせ》の者たちに示しがつきません。ですからね、番頭さん、そのつもりでどうか口添えをしないでくださいよ。さあ、今夜はもう休んでください。いいえ、遠慮しないで……それにしてもだいぶ遅いなあ」
「茜屋《あかねや》さん、茜屋《あかねや》さん」
「噂をすれば影、伜のやつ、帰ってきたな……番頭さん、構わないから先に……」
「開けてください」
「はいはい、夜分遅いもんでございますから、店はもう閉めてしまいました。質入れのお客さまなら、明朝お早くねがいます」
「お父っつあん、あたしですよ」
「どなたですか? わたしではわかりません。はっきりお名前を言ってください」
「伜の半七です」
「ああ、半七のお友だちのかたでございますか。ええ、てまえどもにも半七という伜がございましたが、ちっともわたくしの言うことを聞きませんで、勝手に遊び歩いてばかりおりまして、店の奉公人の示しもつきませんし、いかにも成らんやつでございますから、もはや見限りまして、勘当をいたしました。どうぞ半七にお会いになりましたら、親父がかよう申したと、お言伝《ことづて》をねがいます」
「お父っつあん、半七でございます。誠に遅くなってすみませんが、どうぞご勘弁ねがいます」
「なに? 遅くなってすみませんからご勘弁をねがうだと? いいかげんにしろ。今夜はじめてならば、勘弁もしてやろうが、こう毎晩になっては、もう愛想もこそ[#「こそ」に傍点]も尽き果てた。たとえ、碁であろうと将棋であろうとも、あたしは勝負事は大嫌いだ。碁将棋に凝れば、親の死目に逢えないと言うだろう。なぜおまえは親の嫌いなことを逆らってする。無駄口をきくには及ばないから、どこへでも勝手に行きなさい。店には若い奉公人がたくさんいる。伜だからいいわと捨てておいてみろ、奉公人にあいすみません。おまえのような者はどこへでも行ってしまえ。……いいかい、店の者たちも、戸を開けて伜を入れてはいけませんよ」
「お父っつあん、これからは、きっと夜分表へ出ないようにしますから……碁も将棋も断ちますから、どうぞご勘弁を……だれかお父っつあんに詫言《わびごと》をしておくれ……だれかっ、あれっ、みんな寝ちまったのかい。不人情なやつらだね」
ちょうど隣家の船宿の桜屋でも、
「おっ母さん、おっ母さん、お花ですけど、まことに遅くなってすみませんが、戸を開けてくださいな」
「いいえ、いけませんよ。赤い布《き》れをかけた、年ごろの娘がいまごろまで表をほっつき歩いていいものか、考えてごらん。しまいには碌《ろく》なことをしでかしゃあしません。明日、お父っつあんがお帰りになるから、よくお父っつあんに承った上で開けましょう。女親だと思ってばかにおしでないよ」
「いえね、おっ母さん、みいちゃんの家《うち》のまえを通りかかったら、みなさんがお酒をあがっていて、おばさんがお酌をしてくれ、と頼むんで……家《うち》もこういう商売をしているのでしかたがないじゃあないの。そのあとおしゃべりしてたら、つい遅くなったの……明日の朝、みいちゃんのおばさんに、はなしてもらいますから、すいません、開けてくださいな。夜ももう遅くて犬に吠えられて、あたし恐いから……」
「勝手に遊んできて、犬に吠えられたって、そんなこと知りませんよ」
「おっ母さん、おっ母さんてば……ここ、開けてくださいな……人がおっ母さん、おっ母さんと言えばいい気になって、おっ母さんもないもんだ。あたしのおっ母さんがお塩梅の悪いときに雇いに来て、お父っつあんが多淫《すけべえ》だから、こんなことになってしまったんだ」
「そこにいるのは、お花さんじゃあありませんか?」
「あら、半七さんじゃありませんか。あなたどうなすったの?」
「締出しを食っちゃいました。お花さんは?」
「わたしも締め出し、食べちゃったの」
「………?」
「だって、わたし女だから、食《く》ったって言えないじゃない。だから締出し、食べちゃったの……半七さんはこれからどうなさいますの?」
「しょうがありませんから、霊岸島のおじさんのところへ行って厄介になろうと思ってます」
「まあ、近くにおじさんがあっていいわねえ……あたしはどこにもないのよ」
「どうするつもりです?」
「半七さん、一生のおねがい、今晩ひと晩だけ、おじさんの家《うち》へごいっしょに泊めていただけないかしら?」
「なに言ってるんです。冗談言っちゃいけません。おじさんてえ人は、家《うち》の親父とちがって、若いうちからたいへんな道楽者、身上《しんしよう》を潰して、いま霊岸島の裏長屋に住んでいますが、そりゃあ万事に早飲み込みで……いま時分あなたと二人で行ってごらんなさい、とんでもないことになっちまう……わたし一人で行きますから、お花さんは、ここでひと晩じゅう、立ってなさい」
「まあ、酷《しど》いわねえ。連れてってくれなければ、あたし犬に噛《か》まれて死んじゃうわ」
「勝手になさい」
「意地悪っ」
「第一、夜中に男と女と歩いていれば、怪しまれますよ……ついてきちゃいけませんよ。駄目だったら……袖《そで》ェ引っぱんないでください。切れちゃいますから……図々しいもんだな、ほんとうに……ついてくると、石をぶっつけるぞ」
「駈け出しても駄目よ。あたし駈けるの速いんだから……」
「しょうがねえな、いけないっていうのに……来ちゃあいけないっていったら、ええ、勝手にしろいっ」
「あいよ。はいはい……いい気持ちになって寝たところをドンドン戸を叩いて……あいよ、いまごろ、どなたです?」
「おじさん、あたしです。小網町《こあみちよう》の半七です」
「なんだ、半七か。どうも聞いたような声だと思った。待ちな。どうも腰が痛くっていけねえ。いまばあさん起こすから、もう叩くんじゃねえぞ……ばあさん、よく寝てるところをすまねえのう、小網町の半七が来たんだ、起きてやってくれ。このばばァよく寝るばばァだ……寝てるんだか死んでんだかわからねえ。また寝相がわるいやァ……若い時分にゃあ丸ぽちゃな乙《おつ》な女だったが、年はとりたかねえもんだ。おやおや、歯ぎしりをしたって歯がねえから、おめえのは土手《どて》ぎしりてんだ、そりゃあ。おい、ばあさんや、小網町から半七が来たよ」
「はい、はい、そりゃあたいへんだ。この節はほんとうに物騒《ぶつそう》だね。うかうか寝てもいられないよ」
「おいおい、ばあさん、なにを慌《あわ》ててるんだい? あれ? 腰巻きにご先祖の位牌《いはい》をくるんでどうするんだ?」
「だっておじいさん、小網町で半鐘が鳴ったって……」
「なに寝呆けてるんだ。半七の野郎が来たんだ」
「おや、そうかい。まあ半坊、よくおいでだね。おまえ、ちょっと見ない間《あいだ》にずいぶん老《ふ》けたね」
「これァおれだよ。半七はまだ表にいるんだ」
「おじいさん、寝呆けちゃいやだよ」
「おめえが寝呆けてるんだ。早く表を開けてやってくれ……どうせ半七のことだ。また碁か将棋でしくじって来たんだろう。しょうのねえ野郎だ。おれなんぞ若《わけ》え時分、人の家《うち》へ一人で行ったことはなかった。女の一人ぐれえいつも引っぱって行ったもんだが、あの野郎と来たひにゃあ、満足《まんぞく》な面《つら》を持っていながらだらしがねえじゃあねえか……おい、ぼんやりしてねえで、早く開けてやれよ」
「あいよ、半坊。さあ早くお入り……なにをもじもじしてるんだよ。あれっ、娘さんがいっしょだね。ちょいと、おじいさん、寝てる場合じゃないよ」
「なんだい?」
「半坊がね、きれいな娘さんを連れて来たんだよ」
「ふーん、そうか。そりゃあ大出来だ。……おう、半七、おめえ、とうとういけどったな……早く入って、こっちへ来い」
「おじさん、勘ちがいしちゃあ困ります。来ちゃあいけないというのに、この人がついて来ちゃったんですよ」
「なにを言やがる。おまえはなにも言うねえ。……万事はこのじじいの胸に……わるいようにはいたしませんてんだ。ええもう気がねをする者はだれもおりません。わっしと寝呆けばばァの二人ぎりで……おや、お隣りのお花坊じゃあねえか、ばばァが寝呆けてとんちんかんなご挨拶を……明朝改めてご挨拶いたしますが、へ? ばあさんにご挨拶? いや寝呆けてますから挨拶は無駄でござんす」
「こんなに夜分遅くお邪魔いたしまして、伯父さん。まことにご面倒をおかけいたします」
「いや、こういうことは夜分遅いほうがいいんですよ。真っ昼間ってえのは、どうもぐあいがわるい」
「半ちゃんがいやだと言うのに、あたしが無理に……」
「みなまで言いなさんな。こういうことは男のほうが無理を言うもんです。わたしの若え時分にも覚えがありますよ。方々《ほうぼう》の女に無理を言いましてね。無理のつきじまいが、このばばァなんで、どうにもしようがねえもんにつきじまいしたと、後悔はしてますが、もう手遅れで……まあ、この野郎を、半七をよろしくおねがいします」
「おじさん、困りますよ。ちがうんですから……」
「なにを言やがる。おじさんは、そんな野暮《やぼ》じゃねえ。おめえのおやじとはちがうんだ。まったくおめえの親父くらい堅物《かたぶつ》はありゃあしねえ。この間《あいだ》も、おれが、少しは世間をひろく眺めろと言ったら、物干しへ上がってあたりを見回してやがるし、金はきれいに遣わなくっちゃあいけねえと言ったら、小判を磨いてやがる。じつにどうもあきれけえったもんだ。そこへ行くと、このおれなんぞは色で鍛えたこの体躯《からだ》、万事心得てるから、まあ安心しろ……お花坊もなかなかきれいになったなあ。半七、よく引っぱって来たな。おれは、おめえを子供だ、子供だと思っていたが、なかなかやるじゃあねえか。うん、感心、感心。さあ、夜も遅いんだから、二階へ上がって、戸棚を開けりゃあ蒲団があるから早く寝ちまえ。なにをぐずぐずしてるんだ。早く二階へお連れしないか」
「いいえ、そりゃあいけません。わたしは、今夜は、伯父さんといっしょに寝ます」
「ばかあ言うな。女を引っぱって来て、おじさんと寝るやつがあるもんか。さあ、お花さん、早く二階へお上がんなさい」
「まあ、おじさん、それでは、わたしが半七さんにお気の毒さまで……今晩はそういうわけには……」
「いいから、半七、早くお二階へご案内しろ。なんだい糞詰《ふんづ》まりの狆《ちん》みたいにぐるぐる回ってやがる……どたばた上がんなさんな、艶消しな野郎だ。蒲団はいつものとこへ入《へえ》ってる。わかってるかあ……お花さんも、さ、どうぞお二階へ……いや、世話の焼けることでございましょう、からきし世間見ずでな。汚《きた》のうございますよ。ほんのお休みになるだけで……」
「おじさん、すみません」
「どういたしまして……島田がよくお似合いでございますな、ええ? お髪《ぐし》がよろしいから……親御さんおたのしみだぁ……梯子《はしご》は猿梯子《えてばしご》で急でございますよ。滑らないようにね……取り外《はず》しのできる梯子で……いま時分こんな梯子のある家はございませんで、貧乏長屋なればこそで、これも話の種でござんす。しっかりと、おつかまんなすって、お危《あぶ》のうござんすよ。……ああ、危《あぶ》、危《あぶ》ないっ……これ、半七やお手をとってあげな」
「おじさん、いけません。この人を上げちゃあ」
「そこまで行っててなにを言ってんだよ、ほんとうに。何をしてんだ。お手をとってあげるんだ」
「だめです。この人を上げちゃあ。あたし降りますから」
「降りる? どこまでおれに苦労をかけるんだ。てめえがそういうわがまま言うなら……こっちにも考えがあるぞ。ええい……降りられるもんなら、降りてみろ」
「あっ、しょうがねえなあ。梯子ォ外《はず》しちゃっちゃあ。おじさんねえ、あたしゃあいやなんですよ。困っちゃうなあ」
「なにを言いやがる。二階から首出すと突っつくぞ、早く寝ちまえ」
「だって、ちがうんですから、わたしはおじさんと寝ます」
「ばかっ、まだあんなことを言ってやがる。なんでもいいから早く寝ろっ、明日になったら伯父さんがちゃんと話をつけてやるから……」
「そんなこと言ったって、わたしはいやなんですから……」
「ふざけたことを言うな。そんないい娘さんじゃあねえか。てめえが気に入らなければ、おれがもらっちまうぞ」
「なにを言うんですよ。おじいさん……」
「あれっ、ばかばばァ、やきもち焼いてやがる」
「やきもちじゃあないけどさ……だけれども、おじいさん、若いうちはきまりのわるいもんだよ」
「そうよなあ。お互《たげえ》に覚えがあるからな……半七はいくつだっけな?」
「ことし十八になったんだあね」
「そうか、あの娘《こ》はいくつぐれえだ?」
「そうさねえ、十七ぐらいかねえ」
「ふーん、一つちげえか。いい夫婦だ」
「おじいさん、昔が思い出されますねえ」
「あのころは、富本《とみもと》や常磐津《ときわず》が流行《はや》ってな。おめえが常磐津の稽古に通っていて、おれもあとから通ったもんだ」
「おじいさんは、いまとちがって、あのころは、男前がよくて声もよくってさ」
「ばあさん、おめえも十七、八のころは、ふるいつきてえようないい女だったぜ……それに引き換えて、……狸ばばァになったなあ」
「おじいさん、おまえも鄙《しな》びたねえ」
「化けたなあ、お互《たげえ》に……」
「わたしゃ、忘れもしない、柳橋の増田屋てえ船宿で、富本の温習《おさらい》があったとき、山台へおじいさんと二人で上がって、わたしの三味線で、おじいさんが見台のまえにきちんと坐って、幕が開くと、町内の見物衆が、『よォっ、待ってました。ご両人。似合いました』と言われたときには、わたしもぽーっとしちゃって、冷汗がたらたら出て来て、ぶるぶるっと震えて、お手水《ちようず》へ行きたくなっちゃった」
「おれだって、あんときゃ夢中で、床本《ゆかほん》の字ァ見えねえ、なにを語ったんだかわからなかった」
「あたしも夢中で三味線を弾いて、あれがあたしとおじいさんのそも馴《な》れ初《そ》めだったのさ。ちょいと、おじいさん、もっとそばへお寄りよ」
「よせよ。ばあさん、うすっ気味がわるい……思えば、いっしょになったとき、おれが十八で、ばあさんが十七だった」
「そうそう、おじいさんとわたしは一つちがい……ねえ、おじいさん、おかしいですね」
「なにが?」
「だって、いまだに一つちがいだねえ」
「あたりめえじゃねえか」
「ごらんなさい。階下《した》で、おじさん、勘ちがいしてるじゃありませんか。だから言わないこっちゃない」
「半ちゃん、すみません」
「お花さん、そばへ寄っちゃいけませんよ」
「寄りゃあしませんよ」
「わたしが蒲団を敷きますから、どいてください」
「いいえ、わたしが敷きますよ」
「蒲団は一組しかありませんから、あなた寝てください。わたしが起きてますから……」
「いいえ、半七さんこそ、お休みください。あたし、起きてます」
「寝なきゃあ毒ですよ。じゃあ、帯でもってこう仕切りをして、この帯からこっちへ入っちゃいけません。いいですか?……これを境《さかい》にして、なるたけ小さくなって寝てください」
いつとなく寝床《とこ》へ入ったが、お互に若い者同士できまりがわるいから、はじめのうちは背中合せに寝《ふせ》っていた……。
芭蕉の句に
木曾どのと背中合せの寒さかな
……そのうちに、ざァーと降り出して来た雨。ピカリッ……と光る稲妻、ガラガラガラッ……、
「あれっ、こわいっ」
と言ってお花が、思わず半七の肩へ、抱きついた。髪の油の匂い、白粉《おしろい》の香りがぷゥーんと鼻へ、木石《ぼくせき》ならぬ半七も、思わずお花の肩に手をかけて引き寄せた。曇《くぐも》る声は、顔に袖に、濡れてうれしき夕立の、如何なる神(鳴神)の結び合《お》う、帯地の繻子《しゆす》もつゆとけて、ふたりはそこへ稲妻の、光にぱッと赤らむ顔、鼎《かなえ》にあらぬ兼好《けんこう》も、筆も及ばぬ恋の情、家を忘れ身を忘れ伊勢の道、巧拙は論ずべからず……。
[#3字下げ]□
翌日、早朝に目を覚ました半七は、おじさんの枕元に来て、昨夜の様子と打って変って、
「どうぞおじさん、お花といっしょにさせてください」
と頼み込んだ。
「おっと引き請けた。酸いも甘いも心得ているおれに、万事任しとけ」
と、早速、小網町の船宿のお花の家へ掛けあいに行くと、父親も帰っていて、
「茜屋のご子息の半七さんならば結構でございます。願ったり叶ったりで……なにぶんよろしくねがいます。あなたにお任せ申します」
と、二つ返事で承諾してくれた。
さて、次に茜屋半左衛門は自分の兄弟だから話は簡単だろうと、切り出してみると、
「他人《ひと》さまの娘御《むすめご》をかどわかしのような真似をした不行跡《ふぎようせき》なやつを、家へ入れるわけにはいかない。勘当する」
と、頑固なこと言い出したので、おじは怒って、
「そんなら勘当しねえ。半七は、おれが貰って、おれの伜にしよう」
と、父親から勘当金といって、当座入り用の金をとって、おじが万端世話を焼き、両国横山町辺へ小ぢんまりした家《うち》を持たせて、下女と小僧をつかって小|商《あきな》いをさせ、夫婦仲もむつまじく暮らすようになった。おじが時折やって来ては、商いのやりかたを指図《さしず》したり、なにかとよく面倒をみ、場所柄もよいせいか、商いも繁昌して、若夫婦は幸せな日を送っていた。
一年たった夏の日のこと。半七の代わりにお花が初めて浅草へご挨拶に行くことになり、一人では心配なので小僧の定吉を供に連れて出かけることになった。
「おい、定吉、お使いを頼みましたよ」
と、送り出したあと、半七は帳場で帳付けをはじめた。お花と定吉は用達のあと、観音さまにお詣りをして、雷門のところまで来ると、ぽつり、ぽつり降って来た。
お花は、駒形《こまかた》の知り合いのところで傘を借りてくるように定吉に言いつけた。その間《あいだ》、お花は、雷門の軒下に立って雨宿りして待っていた。雨はますます凄《すさま》じくまるで車軸を流すよう、日はぱったり暮れ、空の底が抜けたかと思うような夕立ちになった。周辺《まわり》の屋台は店を片付け、商人《あきんど》はみな戸を閉めて、さすがの盛り場も、日が暮れたばかりというのに、人通りが絶えてしまった。
すると、吾妻橋の向う側に落雷があって、ガラガラズーンというもの凄い音に、お花は驚き、癪《しやく》を起こし、歯を食いしばって石畳の上に倒れてしまった。
ふだんなら、だれか介抱することができるが、この雷雨、あいにく通りかかる人もなく、そこへ倒れたまま……。
そこへ、一人は頭から米俵を被《かぶ》って雨をしのぎ、一人はまっ裸で褌ひとつ、もう一人はぼろぼろの着物を着てなにやら頭へのせ、雨の中を駆け出して来た三人の男が、雷門の軒下へ飛び込んで来た。
「どうでえ、おっそろしい雨じゃあねえか。あの雷は凄かったなあ、目の中へ飛び込んだかと思ったぜ。ま、どこへ落ちたろうな?」
「そうよ、吾妻橋向う……枕橋辺りへおっこったろうよ」
「そうよな。ここで少し雨止《あまや》みをしていこう」
「いかに夏とはいいながら、まっ裸じゃ、少し冷《つべ》たくなった」
と、体躯《からだ》を拭い、着物をしぼったりしていると、まっ暗な軒下に倒れている女が目に入った。
「おや、なんだ? たいそうなものが倒れてるな」
「おお、さては、いまの雷に目を回したのかな? いい女だぜ」
「いくつぐれえだろう?」
「そうよなあ、ようよう十九《つづ》か二十《はたち》というところかな?」
「助けてやろうじゃあねえ」
「よし、助けようぜ」
と、まだ呼吸《いき》があるので、一人が抱き上げて、雨水を口に飲ませようとしたが、お花は歯を食いしばって、水も喉へ通らない。
すると、一人がお花の顔を穴のあくほど見つめて、ほっとため息をついて、
「いい女だなあ。こちとら、このくれえな女、抱いて寝ようたって、生涯とてもかなわねえや。どうだ? 三人でなぐさもうじゃあねえか?」
「そんなことが天下のお膝もとでできるもんか」
「なあに、介抱してやった礼がわりだ。よかろう?」
「いいってことよ。これまでさんざんわりいことをして来たから、磔《はりつけ》、獄門は免かれねえぜ」
「そう言われてみりゃあ、ひとつ太く短く生きようじゃあねえか。やるか?」
「これくれえの女を見逃がす手はねえぜ……ここじゃあいけねえ、どっかさびしいところへ連れてって……まわりを見張れっ」
人通りはなく、灯りひとつ見えず、しめたとばかり、三人の男はお花を担いで、吾妻橋のほうへ消えてしまった。
そのあとへ小僧の定吉が傘をぶらさげて、雷門のほうへうろうろしながらやって来た。
「おかみさん、おかみさん。……どこへ行っちまったんだろうな? 待ってると言ったのに……おかみさん、傘を持って来ましたよ。おかみさァーん」
すると、傍に寝ていた乞食《おこも》が、むっくり首を上げて、
「小僧さん、小僧さん。おまえ、おかみさんを捜してるようだが、あらい薩摩《さつま》の浴衣《ゆかた》着ている、かわいらしい女《かた》でしょ? おかわいそうに、さっき、雷に驚いて倒れているところへ、ならず者らしいのが三人来て、どっかへ担いで行ってしまって……さて、どこへ行ったか」
「えっ、そりゃあたいへんだ」
と、定吉は急いで帰って、半七にこのことを告げた。
半七は、驚いて早速、八方に手分けをしてお花を捜させたが、その夜はとうとう行方《ゆきがた》が知れず、翌日、おじに相談して、お上《かみ》へも訴え、江戸市中を捜したが、遂にお花は行方《ゆくえ》不明。やむをえず、お花がいなくなった日を命日として、野辺の送りも済ませた。
月日に関守《せきもり》なく、翌年の一周忌。橋場の菩提《ぼだい》所へ墓詣りをして、親戚の者とも別れてから、半七は、今戸辺りでちょっと用達をして、あまり暑いので、堀の船宿から船に乗って両国まで帰ろうと、船宿の門口へ立ち、
「はい、ごめんよ」
「いらっしゃいまし」
「元柳橋まで片道ねがいます」
「お気の毒さまで……このとおりの暑さで、屋根船がみんな出払っております。猪牙《ちよき》ではいかがでございましょう?」
「ああ、猪牙でもなんでもいい。どうせ一人だから……」
「さようでございますか。では、どうぞ」
「それからお手数《てかず》だが、ちょっとひと口いただきますから、なにかみつくろってください」
「はい、畏まりました。召し上がりものは? 水貝に洗いかなんかでは?」
「そこいらでよかろうな」
これから猪牙へ酒、肴《さかな》を入れまして、船頭が一人付き、堀を出る。
「さようならば、お近いうちに……」
と、艫首《みよし》の先にちょいと船宿のおかみさんが手をかけるのはなんの多足《たそく》にもなりませんが、まことに愛嬌《あいきよう》のあるもので……いま舟が出ようというところへ、渾名《あだな》を正覚坊《しようかくぼう》の亀という船頭が、小弁慶の単衣《ひとえ》に、紺|白木《しろき》の二《ふ》た重《え》まわりの三尺を締め、したたかに酔って、
「おお、仁三《にさ》」
「なんでえ?」
「両国まで頼まあ」
「ばかなことを言うな。屋根がなくって、この旦那でさえ猪牙にねがってるんだ」
「いいじゃあねえか。両国まで行くんだ。隅のほうでもいいから頼まあ」
「いけねえってことよ」
「旦那に頼んでくれ」
「いけねえよ」
「もしもし船頭さん。両国まで行くのなら、遠慮はいらない。わたしも一人でぽつねんとしてるより、お酒の相手がいたほうがいいから、乗せておやりな」
「あまり食らい酔っておりますから……」
「なあに、酔ってても構やあしないよ」
「さようでございますか、まことにすみません。なに、ふだんは猫みたようなおとなしい男なんでございますが、酒が入るとからっきしだらしがありません。おい、亀、旦那が折角ああ言ってくださるから、ご迷惑をかけちゃあいけねえぜ」
「じゃあ、旦那、ごめんこうむります」
船に乗って来た亀、
「どうも旦那、とんだご厄介になります。この通り食らい酔って歩けませんから、ご無理をねがいました。どうもありがとう存じます。しかし、今日はばかにお暑うございますな……船ぐらい、いいものはございません。うぬが田に水を引くのではございませんが、夏は船に限ります」
「さあ、やります」
船頭が櫓《ろ》へつかまって漕《こ》ぎはじめ、船はすーっと堀を出た。
半七は盃を取って、亀に差し、
「さ、ひとつお上がりな」
「これはとんだご馳走さまで……」
「お酌しよう」
「いいえ、どうぞお構いなく……さいですか、旦那さまにお酌をしていただいて……これは恐れ入りますな……では、遠慮なく頂戴します」
と、差し向いでやったりとったりしている。
「ねえ旦那、あなたなぞはなんでございましょうね、ご器量はよし、お身装《みなり》はよし、お若くはあるし、女がうっちゃってはおきますまいな?」
「ばかなことをお言いでない。わたしのような野暮《やぼ》な者になんで女が惚れましょう。女が惚れたりする稼業はおまえさんがただ。おまえさんがたは、粋な稼業だからね」
「そりゃあ旦那、粋なことをする船頭もございますが、この野郎や、わっちには、なかなかそんなことはできません。わっちの面をごらんなせえ。魔除け、女除けの面ってえやつで、色気がありませんから……しょうがねえから、酒でも食らってぽんぽん言ってるんで……この野郎もやっぱり女にかわいがられねえ面で……」
「うまいこと言ってるね。そう隠すとなお聞きたいね。なにかお酒の肴にのろけを伺おうじゃあないか」
「冗談言っちゃあいけません。女に惚れられたり、もてたりしたことはありません。この野郎とわっちと、年じゅう女郎《じようろ》買いに行きますが、いつでも振られっぱなし……自慢じゃねえがもてたことさらになしというやつ……ま、女に縁があった話といえば、去年のちょうど……いま時分だったかな? なんでも暑い時分で、凄い夕立があって、この野郎とわっちの友だちと三人で、すってんてんにとられ、わっちなんかまっ裸で、雷門まで参りました。すると、雨はますます強く降り出し、雷は鳴るし……」
「やいやい、亀っ、なにを言い出すんだ。つまらねえ話をするなよ」
「いいじゃあねえか。ねえ、旦那」
「おもしろそうな話だね」
「そうでしょ。それで、三人で雷門の軒下へ入《へえ》って休もうとしたら、そこに年ごろ、十九、二十《はたち》くらいのいい女だ。雷が近くへ落っこったもんで、驚いて目ェ回して倒れてる」
「え?」
「介抱してやろうと思ったけど、さて、旦那、薬はなし、あたりに人はいない……しょうがねえ、と……」
「やいやい、いいかげんにしろ。こいつは渾名を千三《せんみ》つ、てえくれえなんで……旦那、ほんとにしちゃあいけませんよ」
「黙ってろい。仁三の言うとおり、わっちゃあ千三つでございます。ほんとうのことは三つしかございません。その三つのうちを申し上げますんで……そばから口を出すから、話がめちゃめちゃになっちまわあ」
「おめえの話なんぞ、最初《はな》からめちゃめちゃじゃねえか」
「うるせえや。わっちがその女を介抱しようとすると……この野郎だ。この野郎が、このくれえないい女は生涯抱いて寝ることはできねえから、強淫《ごういん》をしようと、そこからその女を担いで、三人で多田薬師《ただのやくし》の石置き場まで行くと、人通りはなし幸いだと、この女をなぐさんで、さて、わっちの番になると、その女が息を吹っけえした」
「よせよ、なにを言うんだ」
「ちょうど月が出て、わっちの顔を見て、その女が、亀さんじゃあないか、とこういうン……みんなが、てめえ知ってる女かと言いますから、よく考《かんげ》えてみると、その女は、小網町の桜屋てえ船宿の娘で、お花というんで、わっちのためには少しばかり主人筋の家《うち》の娘だから、驚きましたな……この野郎が、『知ってられちゃあこうしちゃあおかれねえ。三人の素《そ》っ首《くび》が飛ぶ仕事だ。やっつけてしめえっ』と、三人で手拭いでもってその女の口を結《いわ》いて、無慙にも縊《くび》り殺し、吾妻橋から川ん中へ放り込んでしまいました。いま考《かんげ》えますと、気の毒なことをいたしました」
半七は、手にしていた盃をぽんと落し、
「はあ、とんだ面白い話を聞きました。さあ、ひとつ献じましょう」
「へえ、頂戴……」
と、これに出した亀の手先をひん握って、
(これより芝居がかりになる)
「これで様子が、カラリと知れた」
と、キッと見得を切る。
……よろしく誂えの合方になり、
「しかも去年六月十七日、女房お花が観音へ、詣る下向《げこう》の道すがら」
「おれもその日は多勢《おおぜい》で、寄り集まっての手なぐさみ、すっかり取られたその末が、しょうことなしの空《から》素見《ひやかし》、すごすご帰る途中にて、俄《にわか》に降り出す篠突《しのつ》く雨」
「暫《しば》し駆け込む雷門、十五《じゆうご》の上が二つ三つ、四つに絡んで寝たならばと、零《こぼ》れかかった愛嬌に、気がさしたのが運の尽き」
「丁稚《でつち》の知らせに折りよくも、そこやここぞと尋ねしが、いまだに行方の知れぬのは」
「知れぬも道理よ、多田薬師の石置き場、さんざなぐさむその末に、助けてやろうと思ったが、後《のち》の憂いが恐ろしく、不憫《ふびん》と思えど宮戸川」
「どんぶりやった水煙」
「さてはその日の悪者は、汝等《わいら》であったか」
「亭主というはうぬであったか」
「はて、いいところで……」
「わるいところで……」
「逢《お》うたよなあ」
「もしもし、旦那さま、旦那さまっ、たいそう魘《うなさ》れておいででございますが、どうなさいました?」
「ううう……おお、定吉じゃないか、どうした、帰ったか、お花は?」
「はい、いま浅草見付まで来ますと、雷が鳴って、大粒の雨が降って来ましたので、おかみさんを待たしておいて傘を取りに参りました」
「それじゃあ、お花に別条はないか?」
「お濡れなさるといけませんから、急いで傘を取りに参りましたんで……」
「ああ、それでわかった。夢は小僧(五臓)の使い(疲れ)だわい」
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