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落語特選28

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:文違《ふみちが》い江戸時代、品川、新宿、板橋、千住を四宿《ししゆく》と称した。四街道筋の親宿として要衝《ようしよう》であ
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文違《ふみちが》い

江戸時代、品川、新宿、板橋、千住を四宿《ししゆく》と称した。四街道筋の親宿として要衝《ようしよう》であった。
新宿は、甲州街道の第一の宿場町。
この宿駅は、幕府が信州|高遠《たかとお》藩内藤若狭守の下屋敷の一部に町屋とともに馬継ぎの施設を設けたため、内藤新宿と呼ばれた。
参勤交代で往来する大名は、高遠藩内藤氏、高遠藩諏訪氏、飯田藩堀氏の三大名だけだったが、奥多摩と秩父の石灰や綿、また西方の農家から米、野菜、薪炭などの集散地として繁栄し、ここで集められた物資は馬で江戸へ運ばれた。
また往来する旅人相手の茶屋や旅籠屋が五十軒以上も立ち並び、ここで働く飯盛女(遊女)が大勢いて賑い、品川に次ぐ岡場所となっていた。
※[#歌記号、unicode303d]四谷新宿|馬糞《まぐそ》の中で あやめ(遊女)咲くとはしおらしい……
という「潮来節《いたこぶし》」の替え唄が流行した。
「どうも困ったじゃあねえか、お稲。くわしいことが手紙に書いてねえからわからねえが、どういうわけなんだ?」
「どういうわけだって、半さん。おまえさんも知っての通り、わたしのおとっつァんはほんとうのおとっつァんじゃない、六つのときから育ててくれたけど。生みの親より育ての親ってえ言うけど、そのおとっつァんのためにわたしはこの新宿に売られて来て、こういう勤めをしているのに、そのうえ育てた恩を着せて、五両貸せの、十両貸せのって、のべつの無心、それじゃァ生涯わたしの身抜けが出来ないから、今度はなんとかはっきり決まりをつけてしまおうと思うんだよ。まあ、年期《ねん》があけて、おまえさんと夫婦になっても、あのおとっつァんにのべつ強請《ゆす》られては、おまえさんに気の毒……いいえ、いまはいいたって、それが長い年月になれば、わたしもどんなにおまえさんに気の毒だか知れない。どうにかならないかと思っていたら、こんども三十両の無心だろ? そんな大金はとても出来ないと言ったら、今度だけはなんとか助けてくれ。その代わり親子の縁を切ってもいいから、三十両だけはなんとか都合してくれと、こう言うんだよ。おまえさんにねえ、お金の心配をさせても気の毒だと思うけども……そういうことなら、なぜおれのところへ言って寄こさねえと、あとで言われてもなるまいと思って手紙を出したんだよ。……で、どうなの? お金のほうは?」
「どうも弱っちゃったなあ。おれもなんとか拵《こせ》えようと思ったんだが、十両だけできて、不足額《たらずまい》だけども、なんとかこれで工夫はできないかい?」
「そりゃわたしだっていろいろ都合しているんだが……じつはね、おまえさんの懐中《ふところ》を痛めたくないから、わたしのところへ通ってくるね、角蔵《かくぞう》てえやつがあるんだよ。そいつが今夜来るだろうと思うんだが、そいつが来さえすれば、どうにか跡金《あとがね》の十両か、まァ二十両はいつでも持っているからね。金のことで遂にはおまえとわたしの仲も気まずくなるといけないから、それでわたしはいろいろと心配しているのさァ……」
「ェー……お稲さんへ」
「あいよ、なんなの? 喜助どん、いいや構やしないよ。うちの人だもの、半ちゃんだから……だれかお客が来たの?」
「角蔵さんがお見えになりました」
「あら来たの? まァそう。来やがったのあいつ……いいえ、いま噂をしていたんだ。……ちょっと、いい塩梅だよ。その角蔵てえ田印《たじるし》が来たんだよ。……どこへ入れたの、お座敷は?」
「ェー……三番でございます」
「三番はいけないよ。あまり近すぎるよ。五番のほうへ廻しておいておくれよ。……じゃァ半ちゃん、少し一人で飲んでいておくれ」
「うん、金が欲しいと思うところへそいつが来るなんてえのは、芝居でするようだなァ。早く行って来ねえ」
「なにを言うんだよ。おまえさんは、すぐにちんちん[#「ちんちん」に傍点]なんだから……立ち聞きなんぞしちゃァやだよ。金を取るには少し甘いことも言わなくちゃならないがねえ、おまえさんと来た日にゃァほんとうにすぐ怒るんだから……あとでおまえ怒ったりなんかしちゃァいやだよ。いいかい?」
「ああ、そんなこたァねえから、とにかく、早く行ってみねえ」
「じゃァね、ちょっとの間だから待っておくれ」
 お稲は廊下へ出ると、厚い草履をつっかけて、わざと足音をバターリ、バターリとさせて筋向いの座敷へ……。
「角《かく》さん、来たのかい? どうしたの? 呆れ返ったねえまァ……生きてたの、おまえさんっ」
「へっへへへ、ばかめ吐《こ》いてやがら……生きてたかってやがらァ。へへへへ、おらが面《つら》ァ見さえすりゃァ甘ッたれやがってへェ……生きてるからおめえがとけェこうして来てべえに……まあ、ちょくら此処《こけ》へこう、こけへこう」
「なんだい、鶏《にわとり》だねまるで、コケッコウだって……おまえさん、あたしゃ死んじまったもんだと思っていたよ。なんべん手紙をやったって返事一つ寄こさないんだからねえ、こんな不人情な人はありゃしない」
「そりゃあ三本はおらがとこへ届いているだが、こんどのことと言うものは並大抵のことでねえ。村のもめごとが持ち上がっただ。それを収めるにも角蔵でなければなんねえ。ようやく話がついたと思うと、すぐ鎮守《ちんじ》さまの祭りだ。それについて、ばか囃子の小屋の掛けかたもおらが指図しなければ、だれもわかんねえというでねえか。そもそもばか囃子ちゅうものは……」
「なに言ってるんだよ。いまさらばか囃子の講釈なんぞ聞いたってしょうがないやね……いいんだよ。なにもとぼけなくったって……たんと浮気をしてお歩きよ」
「ばかこけ。われを差し置いて浮気が出来るか出来ねえか、考《かんげ》えてみるがええ」
「そんなこと言うだけに面《つら》憎いんだよ。そんならなぜこの間、大美濃《おおみの》へ遊びに行ったんだい?」
「あり?……あれなにけ、おめえ知っとるけ?」
「なんでもお見通しさ。蛇《じや》の道は蛇《へび》、あァ、あたしのほうはちゃァんとご注進があってね、おまえさんがなにをしているか、ちゃァんとわかってるんだよ。ふん、そうして浮気をする暇はあっても、あたしンところへ手紙一本書く暇はないんだからね」
「いやァ……そうおめえ、へッへッへ、言われちゃァおらも困るべえに、そりゃァ……別に浮気ちゅうわけじゃねえで……ありゃあ交際《つきあい》で行っただよ。一晩ぐれえは交際ならしかたなかんべえに……なにしろ上《かみ》の村の杢太左衛門《もくたざえもん》が一緒に行ってくんろちゅうで、そんで、おらもやだっちゅうわけにはいかねえで交際《つきあう》ことになっただ。すると、下新田《しもしんでん》の甚次郎兵衛が『ま、こんで祭りも何事もねえで、えかったなあ、若《わけ》え者頭《もんがしら》だけで行くべえでねえか』ちゅうことになって、杢太左衛門と、甚次郎兵衛と、三人で行っただ。そんとき、おらの相手に出た女子《あまつこ》の面ァちゅうのはねえ、まァ長え面ちゅうが、あんだなまァ長《なげ》えのは見たこともねえね。あっははは、上ェ見て真ン中見て、下ァ見るうちに上は忘れべえちゅうほど長え面でなァ、馬が丸《まる》行燈銜《あんどんくわ》えたようで……」
「そんな長い顔があるかね。ふん、呆れたね、あたしンとこへ来ちゃァ向うの悪口を言う。向うへ行きゃァあたしをなんと言ってるかわかりゃしないよ、この人は……ちょいと、ちょいと喜助どん、ここへ来てごらん。この角蔵さんてえ人は、ちょいと見たところは野暮《やぼ》に見《め》えるだろ? ところが、それが野暮じゃあないんだよ。うわべは野暮に見せて、芯《しん》は粋《いき》なんだからね。うわべ野暮の芯粋てんだよ。だから女の子がうっちゃっておかないんだよ。それで方々の女ばかり騙《だま》して歩くんだからね、こんなほんとうに、罪つくりはありゃしないよ。憎らしいっ」
「痛えでねえか、人の膝なんぞ抓《つね》って……よせよ、よせっちゅうに……へへへへ……若《わけ》え衆《し》が見てるっちゅうに、小っ恥《ぱず》かしいでねえか」
「へへへ、どうもお仲のよろしいことで……」
「喜助、困るなァ、われがそこにいては、少し邪魔になることがあるだ。あっちへ行ってくんろ」
「どうも恐れ入りました。大変に気の利かないことで……お邪魔になってはなんとやらでございますから、わたくしはご免|蒙《こうむ》ります」
「なんぞまァ、旨《うめ》えもんを持って来い。おめえに任すべえ。あとでこけェ来て、おめえもまた飲んだらよかんべえに」
「ありがとう存じます。ではお誂えは……へえへえ、見計らいまして……へい、承知いたしました」
「喜助、そこをぴったり閉めて行けよ……お稲、われは困ったもんだなあ。二人差し向《むけ》えのときはなにを言ってもかまわねえが、喜助という他人が一人おれば、口を利くにも気をつけねえでは駄目だ。おらはええ、おらはええが、われの勤めの邪魔になるべえと思って心配ぶつだ」
「それだからねえ、おまえさんは、あたしの思う半分でもないてんだよ。おまえさんのことは、あたしゃァ隠したことはないんだよ。おまえとあたしの浮名てえものは、この新宿中で知らない者はないんだから……それをおまえさんが隠すなんて、ほんとうに水臭いよ。あたしがこんなに心配して痩《や》せたのが目に入らないのかねえ」
「だれが痩せた?」
「あたしがさ」
「なーに、この前《めえ》よりゃあ、ちょっくら太ったな」
「あんなことを言ってる。人が痩せたと言えば太ったって……ほんとうに憎たらしい……あたしなんぞこのごろは寝《ね》る目《め》も寝ないで廊下をお百度踏んでいるから、こんなに痩せちまったんだよ」
「いくらお百度を踏んだっても、用があれば来られねえ」
「おまえさんのためにお百度を踏んでるんじゃあないよ。あたしのおっかさんがね。明日にも知れないという大病なんだよ」
「なんだと、かかさまが塩梅《あんべえ》が悪《わり》いだと? そらァおらァ知らなかった。たまげたな、われがかかさまなれば、おらがためにもかかさまだ。年期《ねん》があければ夫婦《ひいふ》になって、肥《こ》い桶《たご》の底を洗いあうという間柄だ。大切なかかさまでねえか。医者どんに診せろ」
「おまえさんに言われるまでもないよ。お医者さまには診せてあるんだけれどもねえ、もう年も取っているし、なかなか治《なお》らないんだよ。普通のお薬じゃいけないから唐人参《とうにんじん》を服《の》ませたらって言うの」
「うん、服ませたらよかんべえ」
「服ませたらッたってね。それが高価《たか》い薬なんだよ。おっかさんにもしものことでもあったら親不孝になるから、どうしたらよかろうかと、おまえさんのところへ手紙を出しても来てくれず、あたしはもう心配し抜いていたんだよ」
「そうか、その金は、おらが出してくれべえ、幾らだ、金高は?」
「二十両なの」
「うん? 二十両っ……そりゃまたえかく高価《たけ》えでねえけ。おらが村だらば一分《いちぶ》も買えば、馬に二駄《にだ》ぐれえあんべえに……」
「いやだね、この人は。そんな人参とはちがうんだよ。人参といっても、朝鮮から来る人参で、少しばかりでも二十両するんだよ」
「えかく高価《たけ》え薬があるもんだね」
「二十両、持ってるだろ?」
「ねえ」
「あらっ……ないって、お金がないの?」
「ねえ」
「まるっきりないの?」
「そりゃァねえことはねえけども、この二十両は、上《かみ》の村の辰松《たつまつ》が手付を打って馬ァ買っておいただから、この金渡して馬ァ引っぱって行くだが、われがにこの二十両貸せば明日馬ァ引っぱって帰ること出来ねえだ。おらの金じゃねえから駄目だァな」
「へーえ、そう。じゃァ、馬を引っぱって帰《かい》りゃァおっかさんが死んでもいいのね? まあ、おまえさんぐらい不人情な人てえものはないね、呆れ返ったね……あたしのおっかさんを殺すつもりなんだろ、人殺しっ」
「あンとまァ、ばかなことォ言わねえもんだな。あンだ、人殺しとはっ」
「そうじゃァないの、おっかさんが死んでもいい……」
「死んでいいてえことはねえが……」
「それじゃァあたしに、お金をくれたっていいじゃないの」
「だって、おめえにこの銭をやれば、馬が受け取れねえで、おらァ辰松に合わす顔が……」
「なにを言ってるんだ、呆れたよ……あたしはもうね、おまえさんてえ人にはつくづく愛想が尽きた。年期《ねん》が明けたら、夫婦《めおと》になるという約束したこともなんにも反故《ほご》にして、夢と諦めてくださいね」
「そんだにおめえ、なにも怒《いき》ることはあんめえに……あンでだ?」
「ふん、なんだったって、おっかさんと馬と一緒にするやつがあるかね。そういう人とは夫婦ンなって末《すえ》始終、あたしはどんな目に合わされるかわかったもんじゃない……」
「そう一途《いちず》に怒《いき》っちまっては手に負《お》えねえ……困ったな」
「いい加減におしよ。いままでのことはみなこれまでの約束として、これから先、年期《ねん》が明けてどこへ行くとも、おまえさんにぷっつりとも言わせないから、そのつもりでいておくれよ、角さん」
「いやいや、そんだなことでおらァ言ったじゃねえに……まァ、そう怒《いき》るでねえちゅうに……さあ、怒《いき》るでねえ……うん、そうだ。この二十両は、おめえに置いてくべえ。置いてくから持ってけ」
「いりませんよ……」
「いらねえって言わねえでよ。出したもんだから取ったらよかんべえに……そんだにおめえ、怒《いき》るでねえちいに、まァ……なるほど、おらが悪かった。おらが悪かったから、この通り……謝《あやま》るべえ。謝るから、この金遣うがいい。謝るから、持ってけちゅうに……」
「なにもおまえさんに謝らしたり、お金を貰ったりするような、わたしゃそんな甲斐性ある女じゃあないけど、おっかさんは病気だし、お金は出来ないし、なにもかもうまくいかなくて、むしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]するもんだから、それでおまえさんに当たり散らしたんだけども、じゃあ、このお金を、少しの間貸しておいておくれ」
「そんな、貸すの貸さねえのって、水臭えことを言うもんでねえ。われがものおれがもの、おれがものわれがものだ。年期が明けたら夫婦《ひいふ》になるべえちゅう間柄でねえけえ」
「そうだったねえ。それじゃァお願いだから……階下《した》へ使いの者が来ているから、すぐにあたしが届けるからね。ま……少しの間一人で飲んでいておくれ……喜助どん、どこへ行ったんだろうねえ。いままでここにいろいろ話をしていたのに階下《した》へ行ったのかしら……喜助どんを寄こすから少しの間待っていておくれよ」
「いいよ。早《はえ》えほうがええ。早く渡してこうよ」
「じゃァそうさせてもらうよ。済いませんねえ。すぐだから、待ってておくれよ」
 角蔵を座敷へおいて廊下へ出ると、今度は足音のしないように、そうーっともとの座敷へ……。
「ほんとに嫌だよ、半ちゃん。あんなとこから覗いたりして……あたしゃ気が差して話もろく[#「ろく」に傍点]にできないじゃないか」
「へへへ、勘弁してくれよ。お稲。おれも覗いちゃ悪《わり》いと思ったんだが、どんなやつか、まだ見たことがねえから、ちょいと障子の穴から覗いて見たけども、どうも大変な面《つら》してやがるな。角蔵ってのかい? ありゃ? 鼻の穴ァまともに上ェ向いてやがる。煙草をのむと煙《けぶ》がまっすぐのぼって行きやがる。どうも呆れたもんだ。それになんだい、年期《ねん》が明けたらひいふ[#「ひいふ」に傍点]になるってやがら……二十両の人参ってったら、えかく高価《たけ》え、一分《いちぶ》も買えば馬に二駄《にだ》もあるってやがる。間抜けな野郎じゃあねえか。しかし、おめえはてえした腕だなあ、あいつと肥《こ》い桶《たご》の底を洗いあう約束するところなんざ……おらァ、あぶなく吹き出しそうになったぜ」
「いやだよ。笑いごとじゃないよ。あんなことでも言わなければ、金を持って来やァしないやね。だから、勤めはいやだと言うんだ。察しておくれよ。ほんとうにおまえの懐中《ふところ》を助けたいと思うからこそ、いやな気休めの一つも言わなくちゃァならないんだから、これを思ったら、半ちゃん、生涯見捨てられないよ」
「ばか言え。そんな気持はこっちにはねえが、おめえのほうにあると思うと心配だよ」
「いい加減におしよ……それじゃァね、ここに二十両あるから、この二十両へおまはんの十両足して三十両、いま帳場に坐り込んでいるおとっつァんときっぱり決まりをつけるから、その十両ちょっとこっちへ出しておくんな」
「じゃァなにか……二十両で話がつくめえかな……」
「そんなこと言わないで……三十両と切り出したのだからお出しよ」
「だけどもよゥ、じつのところを言うと、おれは、この銭がねえと困るんだ。だから、今日のところは、その二十両でなんとか話をつけてくれ」
「あたしもねえ、なんとかおとっつァんと縁を切っちまいたいんだからさ、きっぱりと。どうしても三十両渡してしまいたいんだよ。後生だから出しとくれな。ねえ、出しとくれってのに……駄目? どうしても?」
「いや、どうしてもってえわけじゃァねえけどもよゥ。なろうことなら助かりてえからよ。おれもこの銭がほかにちょいと入用だから……そうしてもらいてえ」
「そう、わかりました。やっぱり駄目? ふーん、あーあ、あたしゃやっぱり生涯あのおとっつァんのために苦労するようになっているんだねえ……もういいよっ」
「なんだなあ、おめえ、そんなに拗《す》ねるこたァねえじゃァねえか……怒ったのか?」
「怒ったわけじゃないけど……あんなおとっつァんにつきまとわれた日にゃァあたしとおまはんと夫婦になったって、どうせうまくなんかいきっこないと思うから、それでおまえさんに頼んでいるんじゃないか……ようござんすよ、あたしさえ辛い思いをすれば済むんだから……」
「そんなおめえ……泣くなよ。……じゃあいい、いい……やるから十両、持って行きねえ」
「もういいわ、いらないわよ」
「そんなおめえ、いらねえなんて言わねえでよ。出したもんだから……なあ、出し渋ったのは、たしかにおれが悪かった。だから、謝るから持ってけよ。なあ……機嫌を直して、謝るよ」
「おまえさんに謝らしたり、お金を貰ったりするような、そんな甲斐性ある女じゃないけれど……じゃァね、済まないけど貸しておくれよ」
「貸すも貸さねえも……水臭え……じゃおい、ちょっと待ちな、それからここに別に二両あるから、こいつをおとっつァんに渡して、なにか旨《うめ》えもんでも食って帰れって言ってやれ……なーに、いいってことよ。どうせ半端になっちまった銭なんだから……」
「まァ、済まないねえ。おまえさんは実があるねえ……じゃ、階下《した》で待ってるから、これを渡して早く帰しちまうから……」
 お稲は金を懐中にして座敷を出て、今度は裏梯子を駆け降りて、廊下づたいに表梯子をまた上がって行って、表座敷の障子を開けると……。
年のころ、三十二、三歳。色の浅黒い、目のぎょろッとした、鼻筋のつーんと通った、眉《まみえ》の濃い、苦み走ったいい男で、茶微塵《ちやみじん》の結城の着物に博多の平行帯《ひらぐけ》をきゅッと締めて、その上に西川手《にしかわで》の古渡《こわた》りの絆纏を羽織り、眼が悪いと見えて紅絹《もみ》の布《きれ》でしきりに目を拭いて、ときどき嘆息《ためいき》をついている。
「芳《よ》ッさん、済まなかったわね、待たしてね」
「おお……お稲か……いろいろ気を揉《も》まして済まねえ」
「そんなことはいいけどもさァ、お金がねえ……なかなか出来ないもんだから、あたしも気を揉んだんだよ。やっとのこと、いままとまってねえ、拵えてきたんだよ。それからあの、三十両と別に二両あるからねえ……おまえさん、少し旨いもんでも食べて、元気になっておくれ」
「ありがとうよ。この恩は忘れない」
「なんだって水臭い。女房に向って、そんな礼を言う人があるかね」
「いや、なんの仲でも銭金《ぜにかね》は他人というぜ。まァ、おめえのお陰でおれァ目が助かる。改めて礼を言うよ」
「そりゃあいいけども、目のほうはどんな様子なの?」
「うーん……どうも、思わしくねえんだ」
「見たところはなんともないようだけどもねえ……もう少しこの行燈《あんどん》のほうを見てごらんよ。こっちを向いて……おかしいねえ?」
「外《おもて》から見るとなんでもねえようだが、医者が言うには、こういうのがいちばん質《たち》が悪いんだそうだ。外《おもて》の悪くなってるほうが、かえって療治しやすい。下手をすると、瞑《つぶ》れることがあるから、医者が早く手当てをしろと言うんだ」
「そうかねえ、素人だからそんなことはわからないけれども……なんてえ目なの?」
「え? うん……その……な……内障眼《ないしようがん》とかいうんだそうだ」
「内障眼?……聞いたことがないけど、治るのかねえ?」
「医者の言うには、真珠《しんじ》という薬を付けると、確かに治ると、請けあってくれたんだ。おめえのお陰で銭は出来たし、なんともありがてえ。じゃ、こいつを貰って、おれは早速、医者へ行って来るから……」
「あら、ちょいと芳ッさん。すぐに帰っちまうの? いいじゃァないのさあ。今夜は泊って行ってもいいじゃァないの」
「いや、それがいけねえんだ。医者が言うには女のそばに寄ってもいけねえと言うんだ」
「なにも泊って寝るぐらい寝て行ったって……わたしだってまだ話したいことがいろいろあるんだから……あんたの寝顔が見たいじゃない」
「いや、おれもいろいろ話があるが、目というものはほんとうに一刻を争うてんで、瞑れちまった日にゃあしょうがねえから、今夜は帰《けえ》してくれ。おれァすぐ、医者へ行くんだから」
「そんなことを言わないでさ、ねえ……泊ってって、お願いだからさあ」
「そんな無理を言うなよ。病気が治《なお》りゃァどうにでもなるんだから……なァ、帰《けえ》してくれ」
「どうしても帰るの?……折角お金を拵えたのに……あたしだって拵えるにはずいぶん気を揉んだんだよ。そのお金が出来りゃあ、持ってすぐ帰っちまうなんて、そのお金を……じゃ返してよ」
「じゃあなにかい、泊って行かなけりゃァくれねえってのか?……ふーん、そうかい、じゃ、金は……折角だからお返《けえ》し申しやしょう。どうもお邪魔でござんしたね」
「ちょいと、ちょいと、芳ッさん、どうしたの? いきなり立ち上がったりして……怒ったの?」
「なにを言ってやんでえ、怒りたくもならァな。おめえだってあんまり話がわからねえじゃねえか……おれのほうで、よし泊ると言っても、早く病気を治してくれ、目は大事なもんだから早く医者へ行けというのが人情じゃねえか。それを泊って行かなきゃ銭はやらねえ……ふん、そんな未練のかかった銭でな、おらぁ目が開いたところで後生が悪いや。そんな銭ァいらねえやっ」
「そんなつもりで言ったんじゃあないよ。ねえ、いまのは冗談だから……」
「冗談にもほどがあらあ」
「済いません。堪忍してください、あたしが悪いんだから。ね、芳ッさん、機嫌を直して、お金を持ってって……」
「いや、いらねえ。もう銭なんかいるもんか。目なんぞどうなったって構うこたァねえ」
「……そんなことを言わないでさァ……ねえ、あたしが謝っているじゃないの、悪いからさ……そんなに怒らないで、芳ッさん、持ってっておくれよ、後生だから……」
「なにもおめえに謝らしたり金をもらうような、そんな甲斐性ある男じゃねえが……おれも目が悪くってもうむしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]してしようがねえんだ」
「……済いません。おまえさんが病気なのにあたしが逆《さか》らって悪かったから、堪忍して……じゃ、すぐ帰るわね。お医者さまへすぐにおいでよ。ちょっとお待ち、いま、だれかに送らせるから……ちょっと、喜助どん、あの、うちの人が帰るんだから……済まないが、目が悪いんだからそこまで手を引いてやって……ちょっと待って、これはうちの人から、まァ、煙草でも買っとくれな。いいから取っておいて……」
「そりゃどうもありがとうございます。では遠慮なく頂きます……へえ、お手をとります。へえへえ、お危《あぶ》のうございます……お目がお悪いそうで、ご不自由でございましょうな」
「どうもね……目の悪いなんてものはほんとうに意気地のねえもんでね」
「ええ、お気をつけになりまして……一段、低くなりますから……」
「あァ、わかったよ」
「芳ッさん、あたしが心配してるんだからね、手紙でもいいから、すぐに知らしとくれよ。いいかい?」
「ああ、そうするよ」
「身体を大事にしておくれよ……」
「おめえも身体を大事におしよ……」
「ちょっと杖を……こちらでございます……お頭《つむり》をどうぞお気をつけになりまして……」
「いや、喜助どん、いろいろ済まないね」
「どうぞ、お気をつけて……」
ガラガラガラッ、どーんッと潜り戸を閉める。芳次郎は、杖をついて出て行った……。
お稲のほうは張店のところへ行って、鬼簾《おにすだれ》を上げて芳次郎のうしろ姿を見送っていると……、二、三間先まで行くと、軒下からすうっと駕籠屋が出て来て、
「へい、お待ちしておりました」
「静かにしねえ。話ァ長引いてね。遅くなったから、早くやってくんねえ」
ぽーんと杖を放り出して、駕籠へ乗り込むと、四ッ谷の方へ……。
「あら、あんなところへ駕籠屋を待たしておいてどうしたの? 駕籠を乗りつけては、気がひけるって、遠慮をしたんだね。気の毒だねえ。ふふ、あの人にお金の心配をさせちゃって可哀相なことをしたねえ……」
 お稲は、芳次郎といままで話をしていた表座敷へ戻って見ると、芳次郎が坐っていた座布団のところに手紙が落ちている。
「……あら、芳ッさんだよこりゃ、手紙を落としてった。目が見えないもんだから……困るねえ。もう追っかけてっても間に合わないだろうねえ。なんの手紙だろう?……『芳次郎さま参る、小筆《こふで》より』……あら、やだよまァ、女の手紙だよ。いやだねまァ……はァーい、いま、行きますよォー。……女の手紙なんぞ持って……あら、あら、きれいな筆跡《て》だね。『一筆しめし上げ参らせ候。先夜はゆるゆるおん目もじいたし、やまやま嬉しく存じ参らせ……』あらいやだ、こんな女と逢ってるのかねえ……なんだねえ、女のそばへ寄ってもいけないなんて言ってる癖に、だから男てえものは油断が出来ないよ。えェ……『おん目もじいたし、やまやま嬉しく存じ参らせ候。その節お話いたせしとおり、わたしの兄の欲心より田舎の大尽へ妾《めかけ》に行け、それが嫌なら五十両寄こせとの無理難題、親方に話をし、二十両は整え候も、後金三十両に差支え、余儀なくおん話し申し候ところ、新宿の女郎お稲……』あらいやだ、あたしの名が出ているよ。なんだね? 『新宿の女郎お稲とやらを騙し拵えくだされ候……』あらいやだよ、目が悪いのじゃァないんだね、この女にやる金なんだね。道理で、外《おもて》から見てなんでもないようだってったら、内障(内緒)眼だって言《や》がる……ばかにするにも程がある。『もし左様なこと義理|詰《づ》めとなり、そのお稲とやらを女房にお持ちなされ候かと、それのみ心にかかり参らせ候。行末頼りなきわたし故《ゆえ》、なにとぞお見捨てなきように神懸け念じ参らせ候。まずはあらあら目出度く、かしこ』……なにがめでたいんだいっ、畜生めっ……はァーい、いま、行きますよ、うるさいね。畜生っ……芳ッさんばかりはこんな人じゃないと思っていたのに……」
 半七のほうは、部屋でいらいらして……。
「ああ、なにをしてやんだなァ、銭をやったら、それぎり鉄砲玉で、さっさと帰《けえ》ってくるがいいじゃねえか。いつまでくだらねえことをぐずぐず言ってやがんだろう? どうだい、まあ、おとっつァんの前へ行くってえのに、あわてやがって、煙草の箱へつまずいて、転《ころ》がして行きゃあがった。困ったもんだぜ。これじゃァ年期《ねん》が明けて夫婦になったって案じられるぜ。なんだろう? 煙草の箱からはみだしてやがる。辻占だのくだらないもん……あれっ、手紙が出て来やがった。男の筆跡《て》だな。なんだと、『お稲さまへ、芳じるしより』……ふん、いやに色男ぶってやがらあ、芳じるしだってやがる。へへへ、ここに半ちゃんてえいい人のあるてえことを知らねえんだからなあ。もっとも、この里《さと》はこれで保《も》つんだ。こういう間抜けなうぬぼれ野郎が来ゃがるから……どれ、読んでやろうじゃあねえか……『おん前さま、いつもいつもご全盛にお暮らしなされ、陰ながらお喜び申し上げ候。それに引き代え私こと、この程よりの眼病にて打ち伏し申し候』……ああ、なるほどねえ、目が悪くっていま行かれねえかなんか、断りの手紙を寄こしたんだ。女郎のところへ断りの手紙を寄こすなんて、またご丁寧な野郎がいたもんだ……『医者の申すには、真珠とやらの薬を付けぬ上は目も瞑《つぶ》れ候とのことにて、その価三十両……』おそろしく高価《たけ》え薬だね、どうも……『三十両に差支え、是非なくご相談申し候ところ、馴染客にて日向屋の半七……』あれ、なんだ、おれの名が出てやがる。『日向屋の半七を親子の縁切りと偽り……三十両拵えくだされ候よし』うーん、畜生めっ、あいつばかりはそうじゃねえと思ったら、とうとういっぺえ引っ掛った。油断ならねえもんだな。『ェェ……いずれ晩ほどお目もじの上、万々お話し申し上げ候。草々。芳次郎より、お稲どの』……畜生めっ畜生めっ、よくもおれを騙しゃあがったな。いまいましい……だれだ? 障子の外に立っていやがるのは? お稲か? こっちへ入《へえ》れっ」
「静かにしておくれよ。入れって言わなくても、あたしの部屋だから入りますよ」
「ばかにしやがるないっ」
「ほんとにばかにしてるよ。なにさ、色男《いいひと》ぶって、ぽんぽん言っておくれでないよ。なんだい、ひとの煙草の箱なんか放り出して……大事なものが入ってんだからね」
「で、で、大事《でえじ》なもんの入《へえ》ってるとこを開けて悪かったな。おうおう、なにつっ立ってるんだ。そこへ坐んねえ。坐れってんだ。そりゃあ女郎は人を騙すのが商売かも知れねえが、騙すにも騙さねえにもほどがあるもんだ。ふん、おめえなんざァ、大《てえ》した女郎《じようろ》だ。いい女郎だよ」
「ふん、こんな女郎を騙してどこが面白いんだ……うるさいね、人間はね、虫の居どころのいいときばかりはないんだよ。あたしゃあ、いま、むしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]してるんだから……」
「なにを言ってやんでえ。こっちのほうがよっぽどむしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]してらあ。ふん、ふざけやァがって……なにがおとっつァんだ。いいおとっつァんだ。おとっつァんのところへ沢山《たんと》行ってろい。ふん、色男のあることは、ちゃーんと知ってるんだ」
「色女のあることも知ってるよ」
「なに言ってやんでえ。こっちは十二両騙された」
「こっちは三十二両騙された」
「いい加減にしろ、人の真似ばかりしやァがって……その上、目が悪いまで聞かされりゃ沢山だ」
「目が悪いと思ったら、悪くもなんともないんだ」
「なにを抜かしやがる。てめえなんぞ、こうしてくれらあっ」
「痛いっ、ぶったね。あたしだってぶってやりたいやね、あの野郎……さァ、思い切りぶっとくれ。あたしの身体《からだ》じゃァない、年期のある間は金で買われた身体だ、好きなだけおぶち……」
「なにをッ、こん畜生め」
「またぶちァがった……殺すともどうとも、勝手にしろっ」
「殺さなくってどうするものかっ」
「殺せ、殺せ、殺しゃあがれっ」
 五番の部屋のほうで、手を叩く……。
「おいっ……だれかいねえけ。おい、だれかいねえけえ?」
「へーい、……お呼びでございますか」
「おい、ちょっくらこう、ちょっくらこけえこう」
「へえへえ」
「喜助どん、いま、向うの座敷でえかくたたかれて喚《わめ》いているのは、ありゃお稲でねえけ?」
「へえ、たいへんな騒ぎをお耳に入れまして、まことに恐れ入ります」
「恐れ入るの入らねえのって……いま、おらがここで聞いていれば、色男に金を貰ったとかどうとかしたって、揉めてるようだが、われ、向うへ行って止めてやったらよかんべェ」
「へえへえ」
「あの金は、色男でもなんでもねえ。ほかの客人でごぜえます。かかさまが塩梅《あんべえ》が悪いちィから二十両恵んでやりやした金で、決して色男がくれたもんではねえ、と言って、早く行って止めてやれ」
「へえ、畏《かしこ》まりました。では、早速……」
「あ、あ、ちょっくら待て……だめだ、だめだ。そう言ったら、おらが色男《いろ》だちゅうことが、ばれ[#「ばれ」に傍点]てしまわあ」
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