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落語特選27

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:中村仲蔵初代、中村仲蔵の実話に基づく噺。中村仲蔵は、元文元年(一七三六年)に江戸に浪人の子として生まれたが、幼くして両親
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中村仲蔵

初代、中村仲蔵の実話に基づく噺。
中村仲蔵は、元文元年(一七三六年)に江戸に浪人の子として生まれたが、幼くして両親を失い、中村座の長唄の地方《じかた》の養子となり、七歳で舞踊の志賀山流の家元、中村伝次郎の弟子となり、仲蔵を名乗った。
中村座へも子役として出勤……最下級の下立役(稲荷町《いなりまち》、中通り、相中《あいちゆう》、相中|上分《かみぶん》、名題下《なだいした》、名題と身分、役付が厳重に守られている封建的な門閥社会にあって、仲蔵のように下立役から名題まで出世した役者はなく、幕末に市川小団次が一人いるだけの異例の存在。
その陰には、五代目市川団十郎に「芸気狂い」と認められるほどの芸熱心さと人気があった。仲蔵は二十九歳で名題昇進、名題役者になると屋号を呼ばれて、俳名が付く。仲蔵は屋号を栄屋《さかえや》、俳名を秀鶴《しゆうかく》と称した。
 名題昇進の翌年の明和三年の夏のこと。市村座で「忠臣蔵」の上演が決まった。「仮名手本忠臣蔵」は、ご存知のように名狂言、�独参湯《どくじんとう》�と言われ、いついかなる時代でも大当りをする。
名題になった仲蔵に、何役が配役されるか、待っていると、「五段目」の斧《おの》定九郎、一役が回ってきた。
その当時の、定九郎は名題下の役で、脚光を浴びるようないい役ではない。
与市兵衛のあとから、山賊の扮装《なり》で……縞の平袖という|[#「糸+囚/皿」]袍《どてら》に丸ぐけの帯を締めて、顔も砥粉《とのこ》を塗《ぬ》って、髭ェつけて、山岡頭巾《やまおかずきん》をかぶって、山刀を一本腰へぶち込んで、紐つきの股引をはいて、素足に五枚草鞋を履いて、のそのそと出てきて、
「おォい、とっつァん! 連れになろう」
と、花道で見得を切り、
「あとの宿場《しゆく》からつけて来た。金の高なら四、五十両……二、三日こっちへ……ァ、貸ァしィてくゥれェ」
という名題役者の演《や》る役ではない。
江戸時代の芝居は、午前七時に開幕。
「忠臣蔵」の場合だと、「大序《だいじよ》」が一幕目、それから二段目の「松切り」、三段目の「殿中の喧嘩場」、四段目の「判官の切腹」と見世場が続いて、これで正午《ひる》になる。この四段目の上演中は、�出物止め�といって、茶屋のほうもお客の誂えた飲食物はいっさい客席へ運び込まない。
この四段目の「判官の切腹」の場が終わると、いっせいに客席へ誂えたものが入れられて、お客のほうはお昼の食事にとりかかる。五段目の舞台なんか見るより、ひと息入れて飲んだり、食べたり、しゃべったり。舞台のほうは与市兵衛がとぼとぼ出て来て、そのあとから定九郎が現われて、与市兵衛を殺し、懐中の五十両を奪って退《さ》がろうとすると、猪《いのしし》が出てきて、これに追われて架稲《かけいね》の間に隠れてしまう。二度目に定九郎が現われるときは、勘平の鉄砲の流れ弾《だま》に当たって絶命してしまう。勘平は、名題役者、何の某《なにがし》という人気役者が登場するから、それまでは気ままに食事ができるというので、この幕は�弁当幕�と称していて、……仲蔵に付いた役が、この定九郎、たった一役……だった。
「こんだの狂言……なんでしたね」
「おきし、見てくんなよ。おれンところィ五段目の定九郎……一役もって来たぜ。いま、おいらァ考《かんげ》えてるんだ。とても市村座じゃァ出世ができねえからねえ。名題になってこんなみじめな思いをするのァいやだから、上方《かみがた》へでも行こうか、さもなけりゃァ宮地ィでも落ちようか……と思ってねえ。おいらだって緞帳芝居へ行きゃァ、少しゃァ役が付くんだよ」
「そうですかねえ、名題下の役……定九郎をおまえさんのところへ持って来たのも、あたしの考えじゃァなんかこりゃァ……魂胆《こんたん》があるんじゃァないかと思うんですがね。てえのが、名題になったおまえさんに、定九郎一役ってえのは、いままでにないような……いい定九郎を工夫してね、ご見物にも幕内《まくうち》にもあたしたちにも、見せてもらいたいと思いますがねえ。おまえさん、なんとか工夫して、いい定九郎を演《や》ってくれませんかねえ」
女房のおきしというのは当時、長唄の三味線弾きで名人と言われた杵屋喜三郎の娘で、仲蔵を見込んでくれたという、幕内に通じた出来た女で、それとなく仲蔵を諫《いさ》めたり励ましたりした。
これから仲蔵は、日ごろ信仰している柳島の妙見様へ、一七日《いちひちにち》の間、日参をした。
一心に拝んだ満願の日。
ぼんやりと割下水《わりげすい》のとこまで来ると、どうも空合いがだいぶ悪い。これは一雨《ひとあめ》ありそうだが、早く家へ帰らなければと、急ぎ足で報恩寺橋まで来ると、ぽつッ、ぽつッと降り出した。傍《かたわら》に蕎麦屋があったので、急いで軒下へ入ると、ざァーっと来た。しかたがないので、なかへ入って、
「あァ困ったなあ、もう初日が迫っているのに、いまだに工夫がつかない、どうしたものか……」
と、食べたくもない蕎麦を口へ運んでいると……、
「許せよ」
ガラリッと、表の腰障子が開いた。
「ああァ、ひどい降りだ」
破れた蛇の目傘ァたたんで、土間へ投げ捨てて……、
「いやァどうも、濡れたァ、濡れた……」
と、髷《まげ》の雫《しずく》を手で払い、濡れた袂《たもと》を絞る……と、乾いた蕎麦屋の土間に、時ならぬ絞り模様が出来た。
見ると、年ごろ三十二、三。背の高い、痩《や》せぎすで、色の抜けるように白い、髭《ひげ》の跡を青々とさして、月代《さかいき》が生えている。黒羽二重のひきとき[#「ひきとき」に傍点]と言う、袷せの裏をとったものを着て、これへ茶献上《ちやけんじよう》の帯、蝋色艶消《ろいろつやけ》し大小を落とし差しにして、着物の裾をはしょり、茶のきつめの鼻緒の雪駄を腰へ挟んで、濡れた着物からたらたらと雫が流れ落ちている。
「うーんッ……これだッ。……うーんッ、これだ。いい、こしらえだなァ。あァ、定九郎はこれにしよう。着物がこう、体へ纏い付いているところなんぞどうも、なんともいえないな、どうも。いい、いいっ……」
「なんだ、貴様。さきほどから拙者のほうを見て、なんだ、いい、いいっとは?」
「あ、どうも……失礼をいたしました。たいへん、お武家さま、濡れましてございますなあ」
「うーン……傘があったから濡れたよ。破《や》れた傘ァ貸しゃァがった、小旗本とあなどってのう」
「さようでございますか。へえ、ちょっとこのお傘を拝見さしていただいてよろしいでございましょうか」
「そんな壊れた傘をどうする?」
「いえ、ちょっと拝見をしたいので、よろしいでございましょうか……有難うございます……あァなるほど。たいそうよく破れておりますなあ、どうも……お召しになっておりますのは……黒羽二重でございますな、へえへえ。茶献上の帯……だいぶこれも山が入っているご様子……」
「なんだ、貴様は……おれの身装《なり》ばかりじろじろ見て、無礼なことを申すと許さんぞ」
「いえいえ、どうぞご勘弁を願います……あのう親方、代金《だい》はこれへ置きますよ……どうも失礼をいたしました」
仲蔵は、雨も小やみになったので、急いで妙見様へとって返してお礼参り。
「役の工夫がつきまして、ご利益《りやく》でございます。ありがとう存じます」
ついでに御籤《みくじ》を引いてみると、『人人《じんじん》の人《じん》』……『天地人』の中で、『人』という字が三つの珍しい札で、……後にこれが仲蔵の紋になって、源氏模様で人という字が三つ重なった紋章。
その時代の名題役者は、衣装、鬘《かつら》、小道具など全部、自分持ちで拵えるのが慣例《ならわし》で、古着屋へ行きまして、黒羽二重……もう羊羹《ようかん》色になっていて、丸い鷹の羽のぶっ違い。これは拝領の着物が古くなったという心持ちで、茶献上の帯を締めていたが、舞台では映えないと、白献上にして、蝋色艶消しの大小は、朱鞘《しゆざや》のほうが色彩的に引き立つと変えて、雪駄を腰に挟んでいたが、山崎街道に出る山賊が雪駄を挟んでいるのは変だから、これは福草履に代えてみた。
月代《さかいき》の生えている鬘には、熊の皮を張ったが、本来、月代は後ろへ向けて毛を張るのだが、頭髪を左右に振ったときに、含ましておいた水が少しでも遠くへ、飛沫《しぶき》が飛ぶように工夫して、毛を前へ向けて張って……入念に準備し、万事整えた。
それから与市兵衛を演《や》る役者を招んで、
「さて、この度《たび》はこういう段取りで、定九郎を演《や》ってみる趣向だから、どうぞお力添えを願います。ついては初日の開《あ》くまでは、どうかこのことは他言はご無用に願います」
これから地方《じかた》の囃子、竹本、鳴物等々……すっかり狂言方にまで祝儀を行き渡らして、これも初日が開くまでは伏せておいて頂きたいということを頼み込んだ。
 そして、九月一日、猿若町の市村座で「仮名手本忠臣蔵」の初日の幕が開いた……。
大序、二段目、三段目、そして四段目の切腹の場と舞台が進行して行くと……仲蔵は、名題と言ってもまだ一部屋を一人で使うことが出来ず、四人の相部屋の、一番奥、上座の鏡台前へ座を占めて、顔を塗りはじめた。手足、胸……全身を真っ白に白粉《おしろい》を塗ったから、傍《はた》の役者連中は、
「おやおや? 五段目の定九郎だろ? 赤っ面《つら》じゃァねえのか。ええ? 今日は真っ白だ。へーえ、真っ白な定九郎……ふふふゥ、芸気狂いがまたなにかやるのかな」
と、怪訝《けげん》な目でうかがっている。
いよいよ出番が迫ると、仲蔵は、鬘をかぶり、衣装や大小を小脇に抱えて、そのまま三階から湯殿へ降りて行った。ここですっかり衣装を付けて、ころ合いを見計らって、頭から手桶の水を五、六杯、ざァーッと浴びて、ぽたぽた、ぽたぽた、水のたれるまま揚幕へ……。
「五段目」の松の吊り枝、浅黄幕の舞台へ、勘平と千崎弥五郎と二人が出て、台詞《せりふ》のやりとりがあって……※[#歌記号、unicode303d]さらば、さらばと双方へ……と左右に別れ、袖に退《さ》がると、チョーンという柝がしらで、浅黄幕がぱらッと振り落とされる。
野遠見の山崎街道のこしらえで、正面に稲むら、架稲があって、下手に松の立木が二、三本……。竹本が済み、下座の弾き流しで花道へ与市兵衛が出て来て、七三のところでちょっと台詞を言って、また竹本になって本舞台へかかって行く……。
そのとき、揚幕のうちから、
「おーい、とっつァん……」
と、一声かける。
ちゃりっと揚幕が開く。
四斗樽《しとだる》の中へ破《や》れた蛇の目の傘が漬けてあって、それを取り出して、半開きにして、花道へタッ、タッ、タッと駆け出して行って……与市兵衛を下手へ往《い》なしておいて、傘をいっぱいに開いて……、
やあ、からりッ
と、見得を切った。
客席は�弁当幕�で、みんな飲んだり食ったり忙しい最中で、舞台のほうはろくに[#「ろくに」に傍点]見ない。褞袍《どてら》を着たやつがもそもそ出て来て、爺ィさんとごちゃごちゃ演《や》るだけで、あまりおもしろくない場面なので……。
ところが、定九郎が出て来たが、いままでとはまるっきりちがう。上のほうが真っ黒で、下のほうが真っ白で……これが疾風《はやて》の如く飛んで来て、破れた蛇の目の傘をいっぱい開いて、水をぼたぼたと垂らして、……やあ、からりッ……と、反《そ》り身になって見得をきったから、客席はびっくりして、呆然として、声も出ない。手にしたものを下へ置いて、舞台に魅入られて、息をのんで見入っている。
「よッ、栄屋ッ」
「日本一っ」
と、声がかかるところだが、観客はしーんッとして、
「ううーん」
と唸っているだけ……満員の客席はざわめき一つない……。舞台の上の仲蔵は、
「こりゃァ演《や》り損《そく》なったな。……もう江戸の檜《ひのき》舞台は踏んでいるわけにはいかねえから、きょうが名残の最後の定九郎。こうなった限りは、やるだけのことはやってみよう」
と、傘をたたんで傍《かたわら》に投げ捨てる。
ここらが、のちに名人となる人の面目躍如たるところ、たたんだ傘は投げても、決して芝居は投げやしない。
……腰の一刀を引き抜いて、与市兵衛と立ち廻りをしながら、向うの財布を口にくわえて、ずぶりッ……と突き刺して、ツゥツゥツゥツゥと押してって、左足をぽーんと上げて蹴り倒しておいて、端折《はしよ》っている着物の裾で段平《だんびら》をすうーッとふきながら次第次第に顔を上げて見得になる。
所作の名人といわれた仲蔵の、そのかたちのいいことといったら……ここでまた見物が、
「ううーんッ……」
刀をぱっちり鞘《さや》に納めて、月代をぐうッと手で押えると雫がたらたらッと流れる。見物がまた、
「ううーんッ」
財布の紐を首からかけて、その中へ手を入れて金勘定をし、にっこり笑って、
「五十両ッ……」
財布へくるくるッと紐を巻いて、懐中に入れる。
与市兵衛の死骸へ気がつき、足で転がす……※[#歌記号、unicode303d]死骸をすぐに谷底へ、はね込み蹴込み泥まぶれ、はねは我が身にかかるとも、知らず立ったる向うより……。
という竹本につづいて、ここから早笛という鳴物になって、定九郎は落ちている傘を取って、ぽーんと右手で片手開きにし、肩へひっかけ、花道へかかるが、ひょいと向うを見る……猪が来たという思い入れで、後へ退《さ》がって、傘をたたんで、ぽーんとそこへ放り出し、大小を腰から抜いて、架稲、稲むらへ入る……。
二度目に出て来るときは、卵の殻の中に蘇芳紅《すおうべき》を入れて、これを口の中へ含んで、稲むらから裏向きに出て来て、猪の行手を見送っているところへ、ダァーンッという鉄砲の音で、そこへ倒れ込む。そのとき、卵の殻を噛み砕いた。
※[#歌記号、unicode303d]チリチリチリ、チチチ……チ、チ、チ、チ、チ……チチチーン。
正面を向いて起き上がると、白塗りの黒羽二重の衣裳、白献上の帯に朱鞘の大小、月代の鬘……口中から流れ出た血が踏み出した右の股のところへかかる。これから股をひろげて、向うからなにかに引き戻されるように、ぐうーッと苦しみ悶える。
これは仲蔵が、初めて血を吐いて死ぬところを見せた演出で……また、見物は割れ返るように、
「うわァーッ」
十分に苦しんで、右足を引いて下手へ向いて、せきば[#「せきば」に傍点]という所作で、仰向けにどーんッと舞台へ倒れる。
客席はもう、わッわッと、勘平が出て来てもまるっきり目を向けず、勘平のほうがまごつく始末……。
定九郎の懐中へ手を入れて、金があったという思い入れ。勘平はびっくりして下手のほうへ逃げにかかるが、また思い直して引っ返し、金包みを出して、
「天より我に与えし金。ちえェェェかたじけなしィィ……」
竹本が、※[#歌記号、unicode303d]と、押し頂き……押し頂き……チンシャン
※[#歌記号、unicode303d]猪《しし》より先へ一散にィ、飛ぶがァ……ごと……チリチリン……くゥ
下手のほうへ勘平が、たたたッと駆け出す。と、首にかかっている紐に引かれて定九郎が、ぐうーッと起き上がった。目をぱっちりと開き、口をあんぐりと開《あ》いて、その顔のまた怖いこと……仲蔵は演り損なったと思って、恨めしいと、かァーッと睨《にら》みつけるから、余計に怖い。子供などは「ぎゃァ」と泣き出す始末。
勘平が財布の紐に気づいて、小刀を抜いて、ぷつっと紐を切る。と、猿返りをして、定九郎がとーんッと倒れる、同時に、ちょーんッと柝の音、ちょん、ちょんちょんちょんちょん……。
幕は閉まったが、見物はまだ、わッわッ、わッわッという騒ぎ。
仲蔵は急いで湯殿へ行って、紅を落し、白粉を落し……。
「あァ……えらいしくじりをしたもんだ。見物にはいけなかったが、楽屋ではなんとか言ってくれるか……」
と、部屋へ戻ったが、だれも口をきかない。褒めようにも、あまり度外れていいんで、みなあっけにとられて、ただ黙っている。
「あ、いけねえ。やっぱり……もう駄目だ」
鬘、衣裳を相中の役者に預け、急いで化粧をおとして楽屋を出た……。
「おい、いま帰ったよ、おきし」
「あら、お帰ンなさい。どうしましたえ……今日の……ねえ、おまえさん」
「……駄目。ものの見事に演《や》り損《そく》なった」
「そうお」
「客はおまえ、悪落ちがして、さんざんな目にあった」
「まあ、……あたしはうまくいくだろうって……おまえさんの出たあと、妙見様へ無事に勤まりますようにってお詣りしてたんだけど」
「その妙見様にも見離されちゃァ、もう駄目だ。おれァ、これから上方へ帆《ほ》を掛けるよ」
「そう。しょうがないねえ。あたしはおとっつァんの長唄の真似事をして、お飯《まんま》はなんとか食べられるから、安心してね。三年や五年……そのうちまたなんとかなるからさあ」
「すまねえな、役者稼業はつくづく辛いもんだ」
おきしはすぐに酒の支度、涙の顔を見せまいと、そっと差し出した膳には尾頭付き、赤の御飯。仲蔵は喉へ通らない。
そのうち、時刻も経って、人に顔を見られるのもいやだと、一切の支度は品川の宿でしようと、わずかの荷物を振り分けにして、脚絆甲掛、頭へ手拭で姉さん被り。
葭町《よしちよう》の自宅を出て、親父橋を渡り、江戸橋の手前まで来ると、床屋があってその前で、
「おじさん、どうしたい? 昼間ァいなかったじゃァねえか?」
「おれァ、市村座の初日、『忠臣蔵』よ」
「どうだった?」
「よかったのなんのって」
「そうだろう? こんどの由良之助はたしかにいいだろうと……」
「由良之助じゃァない。定九郎だよ」
「へーえ、あ、そういやァ、こんだ栄屋が演《や》るってんだが、だってえ……」
「それが、いままでとまるっきり違うんだよ。仲蔵はいい役者だねえ」
「どう……いいんだよ?」
「おらァいつもあの芝居《しべえ》見るたびに、おかしい……とは思ってたんだが、仲蔵はさすがだね。斧定九郎てえのは九太夫の伜だよ。五万三千石の家老の伜が山賊ンなるてえのは、どうもおかしいと思ってたら、仲蔵はものの見事に絵解きをして見せてくれたよ。黒羽二重の一重、これへ白献上の帯、朱鞘の大小、……水のしたたる浪人姿。あれなりゃおめえ、祇園、島原で遊びすぎて、金がねえから人殺しをするってえのは、よくわかるよ。それが破れた蛇の目傘ァ肩に担いで、かァーッと見得を切ったとこなんざァ、まるで錦絵から抜け出たようで……ああいうものを見てね、初物《はつもの》だから、七十五日、おいらァ生き延びるよ。ああ、よかったよ」
という話をしているのが仲蔵の耳に入った。
「……あああ、ありがたい、広い世間にたった一人、おれの芸をいいって言ってくれた客がいた。これを女房に置土産にして……それから上方へ……」
と、取って返し、葭町の家へ戻ると、
「あら、どうしたの? おまえさん」
「なに……どなたか見《め》えてんのか?」
「そうなんだよ。おまえさんと行き違いに、師匠のところから伝助が来て、おまえさんにすぐ来てくれと言うんだよ」
「おうおう、栄屋さん、来てみたところが、どこへ行ったかわかんないって、おかみさんが言うんで、弱ったなと思ってたんですが……どこへ行ってたんで?」
「え?……ええ、いえなに、へへ、近所のお稲荷様へちょっと、お詣りを……」
「へえ? 近所のお稲荷へ行くのに、脚絆甲掛で……? そのままでいいから、あたしと行きましょう。師匠の家《うち》へ……」
「おう、待っていた。仲蔵っ」
と言う、師匠の中村伝次郎のまえへ出て、
「どうも、師匠、このたびは申しわけございません」
と、深々と頭を下げた。
「なに、申しわけねえ?」
「定九郎を、あのように勝手なことをして……申しわけがございません」
「なにを言ってるんだよ。仲蔵、おめえのために、とんだまあ……おれまで鼻が高《たけ》えんだよ。おまえの定九郎なあ、市村座ァ、明日《あした》っからおめえ、爪も立たねえような大入りだァ。この芝居は幾日《いつか》何十日続くかわからない。江戸の盛り場所という盛り場所っから、みんな総見をするという言い込みがあって、さあ場割に大変だァ、表方《おもてかた》はえらい騒ぎだよ。ええ、よかったねえ。おめえのおかげでほんとうに、おいらまで鼻が高《たけ》え。……これは、煙草入れだが……これをおまえに上げるから持っとくれ」
「へえ、ありがとうございます。じゃあ、あの定九郎は、演り損なったんじゃァないんで?」
「ばかなことを言うな。おまえのやった定九郎は、後の世に残る手本だよ」
「へえ、ありがとうございます。あたしも……これで上方へ行かずに済んだ」
「呼びにやったのは、これから内祝に、一杯、飲んで……」
「いえ、それならば、家へ帰って女房に……酒はいつでも飲めますから……これでお暇を……」
「おいっ、おきし、おめえなあ、師匠からこんなものを貰っちゃって……上方へ行かなくてもいいんだよ……これもみんな……おまえのおかげ……かかあ大明神さまさまってのはこれだ。ありがと……」
「なんだね、おまえさん。芝居から帰ってきた、と思ったら、演り損なったから上方へ行くって、家を出てってさァ、途中で帰って来て……こんだァ伝助さんと師匠の家へ行き、また家ィ帰って来るてえと、あたしを拝んだりして……ほんとうに煙にまかれるよう」
「煙にまかれる? あああ、貰ったのァ……煙草入れ」
 
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