さる藩に粗忽の殿様と家来がいて……別名「主従の粗忽」という一席。
「これこれ三太夫、三太夫」
「ははっ」
「他《ほか》のことではないが、この庭の築山《つきやま》の赤松だが、だいぶ繁茂して、月を見るときに邪魔になっていかん。泉水の側《わき》へ曳きたいと思うが、どうじゃ?」
「恐れながら申し上げますが、あの松は、先代のご秘蔵の松でございますから、あれを曳きまして、もしも枯《か》れるようなことになりますと、ご先代さまを枯らすようなものではないかと心得ます」
「松が枯れたからと言って先代を枯らすと言うのはおかしな話だが、曳けば必ず枯れるということもない。枯れるか枯れぬかわからん」
「さようでございます。これは、その下世話《げせわ》の譬《たとえ》にも申しまする通り、餅《もち》は餅屋《もちや》と申しますから、これへ餅屋を呼んで、松が枯れるか枯れんか、とくと質《ただ》した上、申し付けてはいかがでございます?」
「うーん、なにか、餅屋というものが、この松の枯れるか枯れんかと言うことが、わかるのか?」
「いえ、その餅は餅屋という譬がございますので、餅屋……いや、これは植木屋でございます」
「さようか。今日は植木屋がだいぶ入っておるようじゃ。植木屋を呼んで問うてみようか?」
「それはよろしゅうございます」
殿様は、つかつかと縁端《えんばな》へ進んで、
「これ植木屋、植木屋はおらんか?」
垣根を隔てて、植木職人が一休みしていて、
「おいおい、兄ィ」
「縁側に立って、ここの大名《でえみよう》が呼んでンじゃァねえか?」
「兄ィ、行って来ねえ」
「だれか、代りに行け」
「兄ィ、おめえが行かなくてよ……おい、呼んでるよ」
「だから屋敷の仕事は嫌《いや》だってンだ。平身《へいつく》ばかりして、なんだって糞やかましいこと言やがる」
「おいおい、手招きして、こっちを呼んでるぜ」
「知らん顔してろ……こないだも花壇のうしろへ立ちやがって、植木屋、白い牡丹《ぼたん》がどう、赤いほうがどうだの、言うことがさっぱりわからねえ。こっちは、ただへえへえ言って、向うの言うことばかり聞いて、ときどきわからねえから、お辞儀ばかりして、汗をびっしょりかいちまって、かた[#「かた」に傍点]がつかなかった。おれァ嫌《きれ》だァ」
「だっておめえ、おとっつァんの代りに来てんだから、そんなこと言わねえで……」
「おっ、来やがった。へんてこなやつが……」
「殿様か?」
「殿様じゃァねえ。あの、お傍《そば》にいて、いつもぱあぱあ言うやかましい……なんとか言ったな?」
「三太夫」
「そう。田中三太夫」
「どうもあいつにこられちゃァたまらねえ。おらァ、隠れるから、来たら、居ねえって言ってくれ」
「これこれ、植木屋」
「へえー、なにかご用でございますか?」
「いや、他《ほか》のことではないが、いささか尋ねたき儀《ぎ》がある。今日は染井の植木屋八右衛門病気につき、その伜が参っておるということだが、そこにおるか?」
「うしろに小さくなってお隠れでござる」
「なぜ隠れておる?」
「おい、八兄ィ、もう駄目だ。出て来いよ」
「間抜けめっ、余計なことを言うない。……へえ、どうも……その、隠れてたわけじゃァねえんで、ちょっと用があって、うしろへひっ込んでたんで……ェェ、なにかご用で……?」
「なんじが八五郎か?」
「へえ、なんじが八五郎で……」
「他《ほか》のことではないが、じつはなにか御前《ごぜん》が御縁へならせられ、直々《じきじき》その方に尋ねる仔細《しさい》あるとのこと、御前体《ごぜんてい》へ罷《まか》りはじけろ。しかし御前において無暗《むやみ》に頭《どたま》むくむくおやかすこと相成らんぞ」
「はー、さようでございますえー……なにを笑ってるんだよ」
「言うことがわからねえじゃァねえか……」
「はじけろってえのが、ちっともわからねえ」
「どうでもいいから、はじけてしまいねえ」
「なんだい、どたまをむくむくおやかすてえのは?」
「てめえが助平だから、おやかすなと言ったんだろう」
「ばかにするない」
「なにをぐずぐずしておるか。早速、てまえの尻について、前へ罷りはじけろ」
「へえ、どこへでもはじけます」
「粗相《そそう》ないようにせよ」
三太夫が先に立って、庭を回って行くと、縁側に殿様が着座していた。
「下に居ろっ」
「……びっくりしたっ」
「芝の上に控えろ……頭《どたま》おやけておる」
「はー」
「頭《どたま》おやけておる……下げろ、頭《ず》が高いっ」
「ちっともわからねえ……へえー」
「ェェ、殿、申し上げます。そこへ植木屋八右衛門の伜、八五郎なる者が罷りはじけました」
「さようか。それへ控えおるは八五郎とか。近う進め」
「おい……もっと前へ罷りはじけろ。……はじけろ」
「股引《ももひき》をはいて座り込んだんで、はじけるにもどうするにも身体がすくんではじけられねえ」
「早くはじけんか」
「尻《けつ》押しておくんなさい……あ痛ててっ」
「静かにいたせ。手荒なことをいたすな。これ八五郎、もっと前へ這って出ろ、話が出来ぬによって……面《おもて》を上げい……顔を上げるのじゃ」
「へえ」
「なんだかだいぶ眉間《みけん》が赤くなっているが、うしろから押されて、額《ひたい》を擦《す》ったのか?」
「へえ……」
「他ではないが、その築山の赤松であるが、先代秘蔵の松ゆえ、それを泉水の側《わき》へ曳きたいと思うが、曳いて松は枯れるか枯れんか、どうだ? 鑑定をいたせ」
「こりゃ八五郎、直《じか》に返答を申し上げるのは甚《はなは》だ畏《おそ》れ多いことである。てまえがいちいち取り次いで申し上げる」
「これこれ三太夫、取り次ぐには及ばん。直《じか》に申せ」
「はっ……これ八五郎、返答を申し上げろ。言葉を慇懃《いんぎん》に申し上げろ」
「いんげん豆をどうするんで?」
「そうではない。丁寧に申し上げるのだ」
「どんなふうに?」
「ものの頭《かしら》には〈お〉の字を付けて、あとは〈奉《たてまつ》る〉と言えば、自然に丁寧になる」
「へえ、なるほど……上へ〈お〉の字が付いて、下へ〈奉る〉……おったてまつるかァ」
「なんだ、おったてまつるとは」
「ェェー、さて、恐れながら、お申し奉ります。ただいまお聞き奉ったところの、お築山のお松さまを、お泉水さまのお側へ、お曳き奉りますと、お松さまがお泣き遊ばすか遊ばないかということでございますが、それはその、てまえのほうでお掘り申し奉りまして、お油糟《あぶらかす》の五升もお盛《も》り奉り、小太《こぶと》い根へ鯣《するめ》をお巻き申し奉りまして、お曳き遊ばしますれば、お枯れる気遣いはございませんと心得ござり奉りますので、へえ、なんともはや、恐れ入り奉りました。まことにめでたく候かしく、恐惶謹言、お稲荷様でござんす……」
「なにを申しておるか、彼の言うことは、余にはさっぱりわからん」
「あたりめえでさあ。自分でしゃべってて、自分でわからねえもン」
「こりゃ三太夫、そちがとやかく申したのであろう? かようにいたせ。これこれ八五郎、堅苦しゅう申すから、わからんのだ。よい、無礼講じゃ、苦しゅうないから、そのほう朋友に話をするように、遠慮のう申してみよ」
「へえ、じゃあ、なんでございますか。わっちの言うことがさっぱりおわかりがねえから、遠慮なく、ふだん友だちにしゃべるようにってんですかい? じゃあ、ご免蒙って、おったてまつるは抜きにして、ざっくばらん[#「ざっくばらん」に傍点]に……行くよ」
「これこれ、なんてえ口の利きようだ」
「三太夫、いちいち口出しをいたすな。八五郎、許す」
「ェェ、あの松を泉水へ曳いて、枯れるか枯れないか、とお尋ねですが、そりゃ、あっしも稼業《しようべえ》ですから、ひと月も前《めえ》から油糟の五升も奢り小太い根へ鯣を巻き付けて、こいつをこっちへ曳けば、大丈夫、枯れる気遣いはありません。きっと請けあいます」
「うん、枯れんか。よいよい。早速、曳け、うい[#「うい」に傍点]やつだ……なにか取らしたいが、なにかそのほうはどうじゃ……ささ[#「ささ」に傍点]はたべるか?」
「いくら植木屋だって、笹っ葉なんぞ食いません」
「いやいや、ささ[#「ささ」に傍点]とは酒じゃ、酒は飲むか?」
「え? 酒? 酒なら飲むのを通り越して浴びるねェ」
「おもしろいやつだ。そのほう一人ではあるまい?……三太夫、酒を取らせよ」
「御前体におきましては……」
「いや、苦しゅうない。これへ大勢呼んで、余も一献《いつこん》いたす。みな、これへ呼べ、これへ呼べ」
「恐れながら、かようながさつ[#「がさつ」に傍点]な植木屋どもを大勢お召しになりましては、それはあまり……」
「ねえ、殿様、この爺ィは、お宅の番頭さんですかい? なんだか知らねえが、うるそうござんすね、このひとは……なにかと言うと、すぐに尻《けつ》をつつきゃァがってね、ここンとこで、わけのわからねえことを、ぱあぱあ言ってやがる。よくこんなくだらねえ爺ィを飼っとくねェ」
「飼っておくとは、おもしろいことを言うやつじゃ……早速、酒宴にとりかかれ、これへ呼べ」
「殿様は話がわかるよ……おーい、みんな、どうしたんだ? なにをぐずぐずしてやがんだい。こっちィ来い。おめえたちに酒を飲ませるって言うんだ。安心して出て来いよ。こっちの爺ィはしょうがねえが、殿様はさばけてらァ。おれの友だちでえ」
「これこれ、友だちとはなんだ」
「三太夫、よいよい。控えておれ」
「三太夫、よいよい、控えておれってんだ。おーい、みんな、飲もうぜェ」
植木屋連中は、みなぞろぞろ出て来て、庭で酒宴がはじまり、殿様も一緒になって酒を飲んで、よろこんでいる。
田中三太夫へ、お小屋から急なお迎えが来て、御前を下がって、その場からいなくなった。
勤番なので、小屋には吉次に久兵衛という下男が二人いるだけ、他に家来はいない。
「ただいま帰った」
「三太夫様、お国表から至急の飛脚で、ご書面がただいま届きました」
「ああ、さようか。なにごとだろう? 茶を持って来い……ええ、なにごとだろう? ご書面は?……早く茶を持って来い」
「茶はいま、お手に持っておいでで……?」
「おっ、あわてておった……書状はこれか?」
「さようで……」
「これは変だな、文字がさっぱりわからんじゃァないか」
「それは、裏でございます」
「いや……なるほど、気が急《せ》いてるからな……ェェ、なになに……前文御用捨くださるべく候。国表においてお殿様お姉上様、ご死去に付き、この段ご報《しらせ》申し上げ……えっ、お殿様、お姉上様ご死去! こりゃあ、たいへんなことだ。あー……困ったことだ、殿においてはいま、植木屋どもを集めて、ご機嫌よくご酒宴を催しておられる。ご愁傷のことであるけれど、早速、申し上げねばならん……なに、それ……これでは出られん。服を改めるから……なにを出せ……それ……」
「なんでございます」
「それ、なんだ……上下《かみしも》、上下、早く出せ」
あわてて、上下を着《つ》け、再び御前へ出た。
「おお三太夫。なんじゃ?」
「へえー」
「なんじゃ、改まって……」
「恐れながら国表より至急の飛脚が……」
「なにごとか?」
「恐れながら、お人払いを願います」
「うん。さようか。これこれ、みなの者、遠慮して、そこを立て」
植木屋連中は、なにごとかと、みんな出て行った。
「近う進め、三太夫、して、なにごとか?」
「ははっ、なんとも申しようもございません。まことにご愁傷、お察し申し上げます」
「愁傷とは、なんじゃ?」
「ははっ、ただいま申し上げました儀で……」
「まだ、なにも言わんではないか」
「あっ、さようで……じつは、その、国表のお殿様お姉上様ご死去、とのご書面でございました」
「お姉上ご死去だ……さようか。なるほど愁傷じゃ、それは知らぬこととは申しながら、酒宴などしておって相済まんことを……」
「ご愁傷お察し申し上げまする。この上は組頭《くみがしら》へ申し渡して、上屋敷へ停止《ちようじ》を申し付けましょう」
「うん、さようじゃ。質素にせよと申せ」
「ははっ」
「これこれ三太夫、姉上ご死去は幾日《いつか》であったな?」
「ははっ」
「幾日じゃ?」
「ははっ、取り急ぎましたので、よく書面を見ずに参りました」
「すぐ見て参れ。粗忽《そそつか》しいやつだ」
三太夫は失態したと思ったから、頭に血がのぼって、肩衣《かたぎぬ》も曲がって駆け帰った。
「お帰りなさい。たいそうお早く……」
「あまり急いで、なにを見なかった……あわてるな」
「旦那様が、あわてておいでで……」
「先刻の書面はどうした?」
「てまえ、存じません。手紙は旦那様が読んでらっしゃいました」
「あれがないと、申しわけが立たん。そこらを捜せ」
「どこにもございません」
「書棚を開けて見ろ」
「書棚に入れるわけはございませんが……」
「これ、たわけ。いまここで読んでいたのに……けしからんっ」
「それでも、てまえは存じません」
「あー、困った、たいへんなことになった……あ、あった、あった」
「旦那様、どこに?」
「わしの懐中《ふところ》に入っておった……それを忘れるとは……あわてるな」
「それは、旦那様で……」
「ええと、なんとあったかな。……前文御用捨くださるべく候。国表において、ご貴殿《きでん》お姉上様ご死去……え? ご貴殿お姉上様……ご貴殿!?……おっ、これはたいへんなことができた、いや、お殿様ではない……ご貴殿というのをお殿様と読みちがえ、とんでもない間違いをした……てまえは小さい折柄、粗忽でならんと父上からよく注意されたが、武士がかようなことを間違えては申しわけがない。この上は潔く切腹いたして相果てる。そちどもはあとに残って始末をしてくれ。国表において、姉上が死去なされ、江戸表において、拙者が切腹するということは、なんたる因果因縁であろうか。しかし、形骸として、生き恥を晒すことは、拙者の矜持《きようじ》が許さん。情けないことだ。……なにを持って来い、俎庖丁《まないたほうちよう》を取り揃えろ……」
「それはとんだ間違いでございます、旦那様。むやみにご切腹なさらなくとも、お殿様へ、旦那様があわてて間違えたと申し上げれば、ひょっとして、百日ぐらいのご蟄居《ちつきよ》で相済めば、お命にもさわらず、このくらいめでたいことはございません。また、そうでなく、お殿様がご立腹のあまりお手討ちとか、ご切腹を申しわたされても、死ぬのは、いつでも死ねます。こういうときは、よくお考え遊ばして……」
「そちの言う通りであるな、死んだあとで�美しい死�なぞと言われたところで、あとの祭りだ。じつに死は易《やす》く生は難《かた》し。そちの申す通り、殿様に申し上げた上のことにいたそう」
と再び三太夫が御前へ戻って来たときは、しおれ果て、顔色も血の気がひいて、進みかねている。殿様のほうも、落胆してぼーっとしていた。
「おー、三太夫、待ちかねた。近う進め、……して、姉上ご死去は、幾日であったか?」
「ははっ……それが……とんでもないことを仕《つかまつ》りました」
「いかがいたした?」
「じつは、立ち帰って、書面をつくづく見ますと、お殿様ではなく、ご貴殿お姉上というのを、てまえがお殿様と読み違えたのでございます。とんだ間違いをいたしまして、なんとも申しわけございません」
「なんじゃ、間違いじゃ? 貴殿というのを読み違えた。けしからんやつだ。どうも粗相とは申しながら、武士がさようなことを取り違えて相済むと心得るか……」
「恐れ入りました。この上は、お手討ちなり、切腹なりとも仰せ付けられますよう……」
「手討ちにはいたさん。刀の穢《けが》れだ。切腹を申しつける」
「へえ……切腹仰せ付けられ、身にとってありがたき幸せにございます」
「これこれ、小屋へ立ち帰らず、余の面前にて切腹せよ」
「ははっ」
三太夫は肩衣を脱ぎ、腰の小刀を抜いて、腹へ突き刺そうと……。
「待て待て、三太夫、切腹には及ばん。よくよく考えたら、余に姉はなかった」