お馴染の幇間《たいこもち》の一席。
三代目柳家小さんのマクラから……お聴き願います。
……稼業となりますとやさしいというものはただの一つもございませんが、いろいろ種類がございますうちに、なにがむずかしいと言って、幇間がいちばんむずかしいとか申します。
もっともわれわれ噺家から見ますと、一人のお客様の相手を致しますことですから、なんの仔細《しさい》もないことでございますが、ご洒家《しゆか》のお客様へ出ますと、自分が下戸《げこ》でもお酒のお相手をしなければならず、自分が上戸《じようご》でも下戸のお客のまえでは飲むわけにいかんという、まことにむずかしいものです。
ぜんたい幇間の本業というのは、お客のお供をして、正直な者が幇間ですけれども、ただいまでは芸人になりまして、何か桜川《さくらがわ》あるいは歌沢《うたざわ》とか称《とな》えまして、それぞれ芸名を付けますが、昔は、札差《ふださし》のかたが一人で遊びに行くのは、まことにいかんからだれか供に連れて行こう……と、この幇間に紙入れをそっくり渡しますから幇間が会計をやります。自分が一人で遊びに行って何十円というものが掛かりますが、幇間を連れて行くといくらか安く上がったという、それが幇間の働きでございます。ただいまではどうもそうでなく、世の中につれてでございますから、客が十円持っておれば残らず遣《つか》わしてしまうという、不人情のことになりました。お客様のほうでなるべく幇間を連れれば、昔は安く上がって残りは幇間の給金に遣《や》ったのであります。
浅草阿部川町に久蔵という幇間が、昔のことですがございました。幇間に久蔵と言うのは可笑しいようでございますが、俗名で稼業をしました時分でございます。
この人の一つの癖《へき》というものは、酒をひどく好みます。酒を始終飲んで酔っぱらって……さァ、今度はおしゃべりになる。眠くなるのはよくあるものですが、その晩のことは知らんことでも済ませますが、酒を飲むと機嫌の悪いほうですから、喧嘩をする。厭味を言う……そんな風でございますから、幇間には不都合な証拠でございます。あちらでもこちらでもそれをしますから、お客様は給金を遣《や》って、それでご馳走をして、それで喧嘩を吹っかけられて、再び買うものではございませんから、お客様残らずしくじってしまいました。
芸人にお客がなければしかたがありませんが、元の家にも住めません。女房は愛想をつかして出て行ってしまう、下女の一人も置きましたが家におりません。うって代って汚ないところへ這入って、髭面《ひげづら》でぼんやりしております。
[#地付き](「百花園」明治三十年四月刊より)
もっともわれわれ噺家から見ますと、一人のお客様の相手を致しますことですから、なんの仔細《しさい》もないことでございますが、ご洒家《しゆか》のお客様へ出ますと、自分が下戸《げこ》でもお酒のお相手をしなければならず、自分が上戸《じようご》でも下戸のお客のまえでは飲むわけにいかんという、まことにむずかしいものです。
ぜんたい幇間の本業というのは、お客のお供をして、正直な者が幇間ですけれども、ただいまでは芸人になりまして、何か桜川《さくらがわ》あるいは歌沢《うたざわ》とか称《とな》えまして、それぞれ芸名を付けますが、昔は、札差《ふださし》のかたが一人で遊びに行くのは、まことにいかんからだれか供に連れて行こう……と、この幇間に紙入れをそっくり渡しますから幇間が会計をやります。自分が一人で遊びに行って何十円というものが掛かりますが、幇間を連れて行くといくらか安く上がったという、それが幇間の働きでございます。ただいまではどうもそうでなく、世の中につれてでございますから、客が十円持っておれば残らず遣《つか》わしてしまうという、不人情のことになりました。お客様のほうでなるべく幇間を連れれば、昔は安く上がって残りは幇間の給金に遣《や》ったのであります。
浅草阿部川町に久蔵という幇間が、昔のことですがございました。幇間に久蔵と言うのは可笑しいようでございますが、俗名で稼業をしました時分でございます。
この人の一つの癖《へき》というものは、酒をひどく好みます。酒を始終飲んで酔っぱらって……さァ、今度はおしゃべりになる。眠くなるのはよくあるものですが、その晩のことは知らんことでも済ませますが、酒を飲むと機嫌の悪いほうですから、喧嘩をする。厭味を言う……そんな風でございますから、幇間には不都合な証拠でございます。あちらでもこちらでもそれをしますから、お客様は給金を遣《や》って、それでご馳走をして、それで喧嘩を吹っかけられて、再び買うものではございませんから、お客様残らずしくじってしまいました。
芸人にお客がなければしかたがありませんが、元の家にも住めません。女房は愛想をつかして出て行ってしまう、下女の一人も置きましたが家におりません。うって代って汚ないところへ這入って、髭面《ひげづら》でぼんやりしております。
[#地付き](「百花園」明治三十年四月刊より)
「久蔵さんじゃァねえか、こんなとこィいたのかい」
「おや、文《ぶん》さん、お久しぶりで」
「お久しぶりじゃァねえぜ、どうしなすッた、こんなとこで。大きな声じゃァいえねえが、たいそうまた汚ねえとこへ住んでるじゃァねえか」
「面目|次第《しでえ》もねえ……。いえね、かかァがああいうことになっちまってからというものは、お客というお客はこれみんなしくじり。ご近所には借金だらけの、いまじゃァあなた売り食いをしてるてえ始末で」
「そりゃ困ったことだねえ。ところで、よけいなこッたが、どうだい、元手入らずという仕事をやってるんだが、やっちゃァみねえかい」
「泥棒でげしょ?」
「泥棒とはご挨拶《あいさつ》だな。あたしもいつまで幇間をやってられなくて、知ってのとおりたいそうこの節は富《とみ》がはやるんで、じつはいま富の札を売って歩いてるんだが」
「あなたが富の札を? そりゃァまたあなたの身体にはまってますな。だいいち身装《なり》の拵えが粋で、それに威勢がいい」
「変なとこで世辞を言っちゃァいけねえ。どうだい、百枚売っていくらという割《わり》を貰うんだが、自分の売った籤《くじ》から当たりが出りゃァまた割が入るという寸法なんだ、売れるぜなかなか」
「へえ、けど、あたくし富というものを買ったことがないんで」
「なァに一分《いちぶ》で買って、運がよけりゃァ千両|富《どみ》が取れる。二番富が五百両。中富が三百両、二百両、百両といろいろある」
「一分が千両? たいした儲けじゃァありませんか。くだらねえ、売るよりは買いやしょう、何番が当たります?」
「そりゃァわからねえ」
「わからない? あなたまたずるいね」
「ずるかァないよ、当たりがわかるくらいならおれが買う」
「なるほど」
「こりゃァ深川の八幡だが、この札なんざァ木で鼻ァくくったような数だ、えてしてこんなのが当たるもんなんだ」
「何番てえんです?」
「松の百十六番」
「松の百十六番? 買いましょう」
「いいのかい、無理ィして」
「古川に水絶えず、一分ぐらいはあなた……、で、いつ当たります? 明日《あした》ですか」
「そうどうも急いじゃァいけねえ、まだ半月ばかり間《あいだ》がある。万が一に当たるかも知れないから、その札はなくしちゃァいけないよ。向うには台帳みたいなものがあって、それへ第何番、久蔵と、ちゃんと名前が書いてあるが、それが手形だ。そいつを持っていなければ金がとれないんだよ」
「へえー、なくすとどうなるんです」
「深川八幡のほうへ納まる」
「千両の金が納まるんですか。大変なもんだ……この札が千両と、なかなか大したもんだ」
「そりゃ当たれば、千両だが、当たらなければただの紙屑。でもなくしちゃァいけない」
「もしなくなると、胴屋《どうや》のかすりだ」
「胴屋のかすりてえことがあるもんか。寺社奉行の預りになる」
「へえェー、では、もし当たったら、別段にたいしたこともできないが、昔の好誼《よしみ》で、お礼に、金を十両、それから着物の表に羽織を……」
「そんなに頂くほど、お世話はしてないよ」
「遠慮するには及ばない。千両のうちの僅か十両くらい」
「もし、当たったらだろう? そんな心配はいらないよ」
「そう言わずに取っときねえ……まァ、なんにもないけど、汲み立ての水でも飲んでってください」
「冗談じゃァねえ。この師走の寒空だてえのに汲み立ての水は遠慮しとこう」
久蔵は、もう富が当たったような心持ちになって、大神宮のお宮の中へ富の札をおさめて、まず前祝いにと酒を五合買ってきて、お神酒を上げて、お下りをちびりちびりとやり始め、とうとうみんな飲んで、いい気持に酔ってしまった。
「(柏手《かしわで》を打って)天照皇大神宮《てんしようこうだいじんぐう》様、どうぞ富が当たりますようお願い申し上げます。あたくしはねェ、大神宮様のまえですけど、突き留め千両なんてそんな図々しいことは申しません。へえ、ェェ二番富の五百両であたくしは結構でございます。このたびの富が当たりませんと、源兵衛さんに申しわけがございません。五十両借りがございます。あのほうを何分《なにぶん》か利分をまけて貰いますつもりで、どうかお願い申します。それに久蔵もこんな家《うち》に住まっていたくございません。横丁の新道に二間半間口、奥行が五間ございまして、少しばかり庭がとれまして、ちょっと粋な家《うち》がございますが、四十五両ならば確かにまけるんでございます。あすこへ越しとうございますから、どうかお願い申します……ふふふ、有難てえな、こうなるとかかァを出さなけりゃァよかった。酒を食《く》らって威張《いば》ったんで驚いて出て行っちまいやがった。八丁堀の玉子屋へ嫁《かたず》いたというが、こっちに土台があるんだから、向こうへ掛け合い込むんだねェ、そうすりゃァ帰《けえ》(孵)ってくるだろう……いや、子供が出来たというから、戻らねえかしらん。なんとか女房を持たないとねェ、他人《ひと》が信用しませんから、あたくしゃ女房……女房てえことについていろいろねェ、考えているんですがねェ。どうもねェ芸者衆はあたしの商売を知ってますから、ばかにしていけません。花魁《おいらん》はだらしのないのがあっていけません。乳母《おンば》さんと子守《こもり》っ子は生意気なことを申し上げるようですが、あたしのほうからご免|蒙《こうむ》ります。お妾《めかけ》さんも悪くはないが、旦那がいるんだから罪になるね。堅気《かたぎ》の娘さんはむろん来ないね、赤ん坊じゃァ間に合わない……こりゃないね。……あ、あります。万梅《まんばい》のお松っつぁん。あたしゃ好きだね、主人思いで、人間が悧巧で、お客様を大事にして、お世辞がいいときている。もっともね、あすこのまた女将《おかみ》の仕込みがいいよ。『お立ちでらっしゃいますか、お危《あぶの》うございますよ。おみ折はあたくしが持って参ります。まッすぐお帰り遊ばせよ、ご心配をおかけンなっちゃいけませんよ、お近いうちにまた……』かなんかてえんで……、あたしァお松っつぁんに決めました。けど、こっちばかり決めたって先方《むこう》は決まらないよ。へい、大神宮様、どうぞひとつ何分《なにぶん》よろしくお願い申します……」
独り者の気散じ、前へのめると、ぐゥ……ッという高鼾《たかいびき》。
十二月の半ば、戸外《おもて》はぴゅうッという風……。
「おや、文《ぶん》さん、お久しぶりで」
「お久しぶりじゃァねえぜ、どうしなすッた、こんなとこで。大きな声じゃァいえねえが、たいそうまた汚ねえとこへ住んでるじゃァねえか」
「面目|次第《しでえ》もねえ……。いえね、かかァがああいうことになっちまってからというものは、お客というお客はこれみんなしくじり。ご近所には借金だらけの、いまじゃァあなた売り食いをしてるてえ始末で」
「そりゃ困ったことだねえ。ところで、よけいなこッたが、どうだい、元手入らずという仕事をやってるんだが、やっちゃァみねえかい」
「泥棒でげしょ?」
「泥棒とはご挨拶《あいさつ》だな。あたしもいつまで幇間をやってられなくて、知ってのとおりたいそうこの節は富《とみ》がはやるんで、じつはいま富の札を売って歩いてるんだが」
「あなたが富の札を? そりゃァまたあなたの身体にはまってますな。だいいち身装《なり》の拵えが粋で、それに威勢がいい」
「変なとこで世辞を言っちゃァいけねえ。どうだい、百枚売っていくらという割《わり》を貰うんだが、自分の売った籤《くじ》から当たりが出りゃァまた割が入るという寸法なんだ、売れるぜなかなか」
「へえ、けど、あたくし富というものを買ったことがないんで」
「なァに一分《いちぶ》で買って、運がよけりゃァ千両|富《どみ》が取れる。二番富が五百両。中富が三百両、二百両、百両といろいろある」
「一分が千両? たいした儲けじゃァありませんか。くだらねえ、売るよりは買いやしょう、何番が当たります?」
「そりゃァわからねえ」
「わからない? あなたまたずるいね」
「ずるかァないよ、当たりがわかるくらいならおれが買う」
「なるほど」
「こりゃァ深川の八幡だが、この札なんざァ木で鼻ァくくったような数だ、えてしてこんなのが当たるもんなんだ」
「何番てえんです?」
「松の百十六番」
「松の百十六番? 買いましょう」
「いいのかい、無理ィして」
「古川に水絶えず、一分ぐらいはあなた……、で、いつ当たります? 明日《あした》ですか」
「そうどうも急いじゃァいけねえ、まだ半月ばかり間《あいだ》がある。万が一に当たるかも知れないから、その札はなくしちゃァいけないよ。向うには台帳みたいなものがあって、それへ第何番、久蔵と、ちゃんと名前が書いてあるが、それが手形だ。そいつを持っていなければ金がとれないんだよ」
「へえー、なくすとどうなるんです」
「深川八幡のほうへ納まる」
「千両の金が納まるんですか。大変なもんだ……この札が千両と、なかなか大したもんだ」
「そりゃ当たれば、千両だが、当たらなければただの紙屑。でもなくしちゃァいけない」
「もしなくなると、胴屋《どうや》のかすりだ」
「胴屋のかすりてえことがあるもんか。寺社奉行の預りになる」
「へえェー、では、もし当たったら、別段にたいしたこともできないが、昔の好誼《よしみ》で、お礼に、金を十両、それから着物の表に羽織を……」
「そんなに頂くほど、お世話はしてないよ」
「遠慮するには及ばない。千両のうちの僅か十両くらい」
「もし、当たったらだろう? そんな心配はいらないよ」
「そう言わずに取っときねえ……まァ、なんにもないけど、汲み立ての水でも飲んでってください」
「冗談じゃァねえ。この師走の寒空だてえのに汲み立ての水は遠慮しとこう」
久蔵は、もう富が当たったような心持ちになって、大神宮のお宮の中へ富の札をおさめて、まず前祝いにと酒を五合買ってきて、お神酒を上げて、お下りをちびりちびりとやり始め、とうとうみんな飲んで、いい気持に酔ってしまった。
「(柏手《かしわで》を打って)天照皇大神宮《てんしようこうだいじんぐう》様、どうぞ富が当たりますようお願い申し上げます。あたくしはねェ、大神宮様のまえですけど、突き留め千両なんてそんな図々しいことは申しません。へえ、ェェ二番富の五百両であたくしは結構でございます。このたびの富が当たりませんと、源兵衛さんに申しわけがございません。五十両借りがございます。あのほうを何分《なにぶん》か利分をまけて貰いますつもりで、どうかお願い申します。それに久蔵もこんな家《うち》に住まっていたくございません。横丁の新道に二間半間口、奥行が五間ございまして、少しばかり庭がとれまして、ちょっと粋な家《うち》がございますが、四十五両ならば確かにまけるんでございます。あすこへ越しとうございますから、どうかお願い申します……ふふふ、有難てえな、こうなるとかかァを出さなけりゃァよかった。酒を食《く》らって威張《いば》ったんで驚いて出て行っちまいやがった。八丁堀の玉子屋へ嫁《かたず》いたというが、こっちに土台があるんだから、向こうへ掛け合い込むんだねェ、そうすりゃァ帰《けえ》(孵)ってくるだろう……いや、子供が出来たというから、戻らねえかしらん。なんとか女房を持たないとねェ、他人《ひと》が信用しませんから、あたくしゃ女房……女房てえことについていろいろねェ、考えているんですがねェ。どうもねェ芸者衆はあたしの商売を知ってますから、ばかにしていけません。花魁《おいらん》はだらしのないのがあっていけません。乳母《おンば》さんと子守《こもり》っ子は生意気なことを申し上げるようですが、あたしのほうからご免|蒙《こうむ》ります。お妾《めかけ》さんも悪くはないが、旦那がいるんだから罪になるね。堅気《かたぎ》の娘さんはむろん来ないね、赤ん坊じゃァ間に合わない……こりゃないね。……あ、あります。万梅《まんばい》のお松っつぁん。あたしゃ好きだね、主人思いで、人間が悧巧で、お客様を大事にして、お世辞がいいときている。もっともね、あすこのまた女将《おかみ》の仕込みがいいよ。『お立ちでらっしゃいますか、お危《あぶの》うございますよ。おみ折はあたくしが持って参ります。まッすぐお帰り遊ばせよ、ご心配をおかけンなっちゃいけませんよ、お近いうちにまた……』かなんかてえんで……、あたしァお松っつぁんに決めました。けど、こっちばかり決めたって先方《むこう》は決まらないよ。へい、大神宮様、どうぞひとつ何分《なにぶん》よろしくお願い申します……」
独り者の気散じ、前へのめると、ぐゥ……ッという高鼾《たかいびき》。
十二月の半ば、戸外《おもて》はぴゅうッという風……。
ジャンジャアン、ジャンジャアン。
「おう、ぶッつけてんなァ、熊公」
「この風だ、どっかで燃えなきゃ、おさまらねえ」
「ひとつ、屋根ェ上がって見つくれ。おめえ、何やらせてもドジだけど、火事見るのは上手《うめえ》や」
「よせやい、こんなときばかり、おれをあてにしやがって」
「二《ふた》つ半《ばん》だ、近くはねえだろ」
「ウウ、寒《さぶ》いや、こりゃあ」
「どうだ、どこらあたりだ?」
「待てよ……ええと、芝見当じゃねえかな」
「芝はどのへんだ?」
「そうだなァ、金杉《かなすぎ》でまえ……東へ振れてるねェ」
「知ってる家《うち》ァあるかい」
「ねえ」
「おれもだ……おお寒い、一杯呑んで寝ちまおうぜ。やい、早く下りてこい」
「すまねえな、いつもご馳走《ち》になって」
「誰もおごるとは言わねえや」
「ああ、そう。じゃ、小便して寝ちゃお」
「おい、待てよ。久蔵の野郎ォなァ……」
「奴がどうした?」
「何だか金杉あたりにいい旦那があったが、しくじった[#「しくじった」に傍点]って、さんざんこぼしてたじゃねえか」
「ああ、ああ、おれも愚痴をきかされたことがあるぜ」
「火事見舞に駆け付けりゃあ、詫びが適《かな》うかもしれねえぜ」
「そうか。ひとつ、起こしてやるか」
「……久さァん、いるんだろ?」
「へぇ?」
「火事だよッ」
「間にあってます」
「押し売りじゃねえや、起きねえ、火事だ」
「よござんす。焼けて困るもんはありゃしねえ、家は家主のもんで、蒲団は損料屋のもん……火事があったほうがぽかぽかあったまって、ありがてえ」
「暢気《のんき》なことを言ってらあ、火事は芝見当、金杉でまえなんだ」
「そこまであったまりにゃあ行けねえや」
「久さん、金杉に旦那がいたんじゃなかったのかい」
「金杉? そうそう、いたいた、いましたとも。いい旦那だったねえ、田島屋さん。あすこさえしくじらなきゃあ、今頃こんなとこでくすぶってなくともよかったんだ」
「どうだい、行ってみちゃあ。ひょっとすると詫びが適《かな》うぜ」
「ああ、火事見舞、熊さん、いいこと教えてくんなすった、ありがてえ」
久蔵は、酔いもさめ刺子《さしこ》なんて気の利いたものはないから、汚れた褞袍《どてら》に縄だすきをかけ、これに足袋|裸足《はだし》で横っとびに跳んで行った。
「おう、ぶッつけてんなァ、熊公」
「この風だ、どっかで燃えなきゃ、おさまらねえ」
「ひとつ、屋根ェ上がって見つくれ。おめえ、何やらせてもドジだけど、火事見るのは上手《うめえ》や」
「よせやい、こんなときばかり、おれをあてにしやがって」
「二《ふた》つ半《ばん》だ、近くはねえだろ」
「ウウ、寒《さぶ》いや、こりゃあ」
「どうだ、どこらあたりだ?」
「待てよ……ええと、芝見当じゃねえかな」
「芝はどのへんだ?」
「そうだなァ、金杉《かなすぎ》でまえ……東へ振れてるねェ」
「知ってる家《うち》ァあるかい」
「ねえ」
「おれもだ……おお寒い、一杯呑んで寝ちまおうぜ。やい、早く下りてこい」
「すまねえな、いつもご馳走《ち》になって」
「誰もおごるとは言わねえや」
「ああ、そう。じゃ、小便して寝ちゃお」
「おい、待てよ。久蔵の野郎ォなァ……」
「奴がどうした?」
「何だか金杉あたりにいい旦那があったが、しくじった[#「しくじった」に傍点]って、さんざんこぼしてたじゃねえか」
「ああ、ああ、おれも愚痴をきかされたことがあるぜ」
「火事見舞に駆け付けりゃあ、詫びが適《かな》うかもしれねえぜ」
「そうか。ひとつ、起こしてやるか」
「……久さァん、いるんだろ?」
「へぇ?」
「火事だよッ」
「間にあってます」
「押し売りじゃねえや、起きねえ、火事だ」
「よござんす。焼けて困るもんはありゃしねえ、家は家主のもんで、蒲団は損料屋のもん……火事があったほうがぽかぽかあったまって、ありがてえ」
「暢気《のんき》なことを言ってらあ、火事は芝見当、金杉でまえなんだ」
「そこまであったまりにゃあ行けねえや」
「久さん、金杉に旦那がいたんじゃなかったのかい」
「金杉? そうそう、いたいた、いましたとも。いい旦那だったねえ、田島屋さん。あすこさえしくじらなきゃあ、今頃こんなとこでくすぶってなくともよかったんだ」
「どうだい、行ってみちゃあ。ひょっとすると詫びが適《かな》うぜ」
「ああ、火事見舞、熊さん、いいこと教えてくんなすった、ありがてえ」
久蔵は、酔いもさめ刺子《さしこ》なんて気の利いたものはないから、汚れた褞袍《どてら》に縄だすきをかけ、これに足袋|裸足《はだし》で横っとびに跳んで行った。
「ありゃありゃありゃありゃ、やァい。うえェい、こりゃこりゃこりゃこりゃい……あァあ、有難てえ、間に合った……へえ、こんばんは、お騒々しいこって、旦那はどちらに……? へえ、こんばんは」
「だれだ? おゥ久蔵か、よく来てくれた」
「へえ」
「おまえ、浅草から駈けつけたのか?」
「さいで」
「よしッ、いままでのことは忘れてやる、出入りを許してやる」
「有難う存じます。……それがこっちの付け目で」
「なんだい?」
「いえこっちのこッて。旦那、働きましょう。なにかお大事なものがあったらお出しなすって……」
「おいおい、久蔵はとても重いものはいけねえ、なるたけ軽いものを持たしてやれ」
「いえ、軽いものなんてあなた、火事のときの力は別でございますから、芸人はしておりましても、こんなときてえものはまた三人力ぐらいは出ますもんで。……この葛籠《つづら》を」
「これは掛物が入ってるから重いよ」
「いえ、こんなものぐらいあなた、あい済みません、この上へその火鉢をお載せなすって。へい、いえ、まだ載りますとも、それからその針箱を、へい、こりゃァあい済みません。あ、火鉢ン中にその鏝《こて》をどうぞお差しんなって、ついでにその瓢箪《ひようたん》を」
「おいおい、大丈夫かいそんなに背負《しよ》って?」
「なに火事のときの力は別でございます。旦那のまえですが三人力ぐらいは出ようってえもんで……芸人はしておりますが、いざお家の大事だなんてえときァ持てる力をふりしぼり……そのウッ……ッ、ちょっと載せ過ぎたな、旦那ァ、あい済みません。その瓢箪をお取んなすって」
「瓢箪ぐらい取ったっておまえ……」
「いえ、瓢箪を取ったなというところで、心持ちがまたちょっと違いますんで。へい、どうもあい済みませんッと……、あのゥ、少ゥし重いな、ついでにその鏝を取っていただきたいんで、あ、済みません。なァにこういうときてえものは……ッと、先日、腰を痛めまして、あい済みません。火鉢をおろしていただきますてえとまた……」
「冗談じゃねえ、だから言わねえこっちゃァねえ。そんなに背負《しよ》えるもんか……そら、いいかい?」
「へえ、よろしゅうございます。それさえおりればもうこっちのもので……おかしいな? こんな筈じゃァねえんだが。旦那、恐れ入りますが、その葛籠をひとつ」
「うるさいな、手数がかかってしようがねえ、おめえが来たために、かえって用がふえた。ほんとうに厄介な男だ……そらきた、おろしたよ」
「へえ、有難うござんす……へへへへ、どうも恐れ入りますが、その箱の蓋を開けて、中のものを出して……」
「だから言わねえこっちゃァねえ。それじゃァしまいになんにも背負わないことになるじゃァないか。……おや、湿《しめ》り(鎮火)ましたか、どうも有難う存じます。おかげさまで、危ういところでございましたが、どなたさまも、どうもお互いさまにおめでとうございます。ご苦労さまで……。おい久蔵、荷物はもういいよ。湿ったそうだ」
「湿りましたか、ああくたびれた」
「まだなんにもしてやァしないじゃァないか。……棟梁《とうりよう》、はい有難う。おかげさまで消えたそうだな。はいはい、番頭さん、店の者も大働きだったな、はい、ありがとう。久蔵、おまえはもういいから若い者に任せて、そうだ、おまえはみなさんと顔見知りが多いから、お見舞のほうのお名前をね、その帳面へ付けておくれ。落ちなく付けるんですよ」
「へい畏《かしこ》まりました。では、あたくしはひとつ帳場ンとこへ坐らしていただきまして。あ、お志津さん、そのお水を少しここへ入れてください。へえ、どうも済みません。ありがとうございます。(硯《すずり》の墨をすりながら)あちらはご町内のかたでいらっしゃいますか。こりゃァどうもみなさんお揃いで有難う存じます。あ、旦那、黒川の旦那がお見えンなりました、へい、有難う存じます、いい塩梅《あんばい》に早いとこ湿りまして、へえ、おや、吉国さんに土屋さんです、有難う存じます。片山の高坊? さいですか、いえ、こりゃァどうも見違えましたねェ、ご立派になって……それだけこっちは年ォとっちまったんだ。へい、どうぞお宅様へよろしくおっしゃっていただきます。有難うございました。万定《まんさだ》さん、有難う存じます。おかげさまで、一時はあなた火の粉《こ》をかぶりましてね、へえまったくどうもそのゥ。それはどうも、有難う存じました。……旦那ッ、ご本家からお見えンなりました。こりゃァどうもお早々《はやばや》とお見舞で、……へ? さいですか、それでは頂戴いたしておきます。旦那ァ、石町さんからお見舞を。お重詰に、ご酒《しゆ》が二本、おや、一本はお燗《かん》がついております、有難う存じました。どうぞご本家の旦那様にもよろしくおっしゃいまして、へえ、有難う存じます。……旦那、どういたします? これ。さいですか、ではこちらへ置いときます。旦那、ご本家からお重とご酒が届きました。一本は冷《ひや》ですが、一本はお燗がついております。どういたしましょ? さいですか。へ、ではこちらへ、こういうふうに、ちゃんと置いておきます。……加賀屋さんでらっしゃいますか、どうも有難う存じます。お宅へお帰りンなりましたら、この春の花見には、久蔵たいへん失礼申し上げましたとお詫びをおっしゃっていただきます。旦那様にくれぐれもよろしくお伝えくださいまし。有難う存じました。……旦那、一時はまったくどうなるかと思いましたが、おめでとう存じます。あの、ご本家からお重とご酒……」
「あんなことばかり言ってやがる、飲みたいか、飲め飲め、けど、たんとは飲むなよ」
「へ? いただいてよろしゅうございますか。あい済みません。えへ、いただけた義理じゃァござんせん。よくわかっておりやす。なにしろお酒でしくじったてえやつですから。へえ、駈けつけまして、その時にゃ、かっかいたしておりまして……いまンなって急に寒くなってきたようで……風邪でもひくと、このなんですから……(重箱の蓋をとり)旦那、どうも、さすがは石町の旦那だねェ、急に弁松《べんまつ》へそういったって間に合わないから、本町の四っ角で夜明かしの旨いもの屋を総仕舞にするというのは気が利いてるねェ。このおでんねェ、串ィ刺してあるところなんざァ乙でげす。お店《たな》の若い衆がお湯ゥの帰りに食《あ》がるんだから旨いや……まだ暖《あ》ったこうござんすよ。その下がと、あ、目刺しが焼いてあります。なんご[#「なんご」に傍点]の腸抜《わたぬ》きときましたね(一口たべ)、こいつァ乙だ。うッ、おあきさん、あい済みませんが、ひとつ湯呑を貸してください。へい、それで上等、あい済みません」
「大きな湯呑を持って来たな。大丈夫か?」
「おや、番頭の佐兵衛さん。お久しぶりでございます。お酌を……あい済みません」
「おい、湯呑を下へさげるやつがあるか。上へ持ち上げるもんだ」
「いえ、上へあげると注ぎが悪うございますから……(飲み)へえ、ようやく酒の味がいたしました。いままで水ばかり飲んでおりましたから。へえ、またこのお燗をしたやつは格別な味でござんす」
「今日はほどほどにしておけよ。酒でしくじったんだからな、おまえは」
「いえ、これに一杯や二杯ぐらいではなんのご心配はいりません。佐兵衛さん、胡麻《ごま》じゃァありませんけど、あたしァあなたのおかげで、どのくらい助けられたか、感謝してもしきれない……半年まえ、夏の暑いときに、こちら田島屋の旦那に一杯やっていけと言われて、台所で頂戴しましたが、ついつい飲み過ぎて、あたしがなんか毒づいて、佐兵衛さんに叱られて、土蔵に莚《むしろ》を敷いて寝かされて、目が醒《さ》めて見れば、身体が荒縄で縛《しば》られて、そのときは酷《ひど》いことをすると思ったが、あとであたしは涙が滴《こぼ》れました。それもみな佐兵衛さんのお指図で、有難うございました。いくら芸人でも面目ない、きまりが悪いことは知っております。ほんとうに申しわけなく思っております。……今夜はまた結構な火事のおかげで……いえ、火事も無事になぐれて、ほんとうにおめでとう存じます。でも、火事と聞いて駈けつけて、旦那からお出入りが許されて……こんなうれしいことはありません(飲む)……おや、金十《かねじゆう》さん、有難う存じます。あたくしですか? へえ、今夜駈けつけましたんで、旦那にようやっとお詫びが適《かな》いました。へえ、もう気をつけます。金十さん(帳面に付ける)、渡辺さんで? どうぞご隠居様によろしくお伝え願います。(飲む)山喜さん? あ、山喜の旦那だ。こりゃァどうもご遠方から、有難う存じます。(注ぐ)いえ、ただいま二杯目をいただきましたから。へえ、もう、これでもうお仕舞ちゃんちゃんに。(飲む)おあきさん、済みませんねえ。そのご酒を奥へやッといていただきます。こっちのはお燗がついてますんでね。そいから、これがお重箱、気が利いてらァね、ねえ、石町さんはまた。(飲みかけて)む、ウゥむにゃむにゃ……」
「そのね、どうでもいいが、飲むとかしゃべるとか、どっちかへ片っぽづけたらどうだい」
「あい済みません。へい、これでもうほんとうにおつもりに。……あッ、おあきさん、それをどこへ持ってくの? じゃァわたくしがひとつ何を、お蔵《くら》へ持って行きましょう」
「なにを……そんなことをしなくてもいい。おいおい、箱を蹴とばしちゃァ困るじゃァねえか。床の間のほうへ押っつけておきねえ」
「ェェよろしい……」
「よろしかァねえ、おめえは酔ってるからよしなよ」
「いえ大丈夫、お吸物膳二十人前? 心得た」
「それァおまえ、二十人前揃ってるんで、おれが秘蔵にしているんだ、おまえ手をつけなさんなよ」
「大丈夫大丈夫、ェェ大丈夫……よッ、しっかり、心得た……」
がらがらァ……がッちゃん!
「あァ、しまったッ」
「それっ、真っ二つになっちまった。ばか野郎っ」
「あははは、めでたい」
「なにがめでてえんだっ」
「二十人前真っ二つ……四十人前にふえた」
「ばかっ、なにがふえただァ。酔ってるからよしなってえんだ。もういい、邪魔にならないところで寝てしまえ」
「へい、まことにあい済みません。じゃァあたくしはお先にご免|蒙《こうむ》ります……」
久蔵は帳場格子の中へ入って、肱《ひじ》を枕にぐゥっと高鼾……。
火早《ひばや》い晩とみえて、またジャン/\、ジャン/\。
「おや? またぶッつけてるじゃァないか。番頭さん、だれか大屋根へ上がってますか、どっちだい見当は、北? なに浅草? 浅草はどの辺か訊いとくれ、鳥越《とりこえ》の方角? 番頭さん、鳥越見当にはお取引きのお店はなかったかい? そうか。……あ、久蔵ン家《ち》は阿部川町だったな、起してやれ起してやれ」
「おゥ、久蔵、起きろッ」
「へえ、どうもいろいろご馳走さま……」
「まだ飲むつもりだ。おい、火事だよ、久蔵」
「しめしめ……」
「なにがしめしめだァ。おゥ、おまえ、阿部川町だろ、えッ? 鳥越いまわり[#「いまわり」に傍点]だとよ」
「あ、さいですか、へ、それではあたくし、失礼いたします」
「おいおい、久蔵に蝋燭《ろうそく》を五、六本持たしてやれ、提灯をつけて行かなくちゃァいかねえ」
「へッ、有難う存じます。じゃ旦那、あたくし行って参りますから……」
「早く行け、行け……」
「どうも驚いたね、どうも。ひと晩のうちに火事のかけ持ちてえなァはじめてだ。……しょい……こらしょッ、しょい、こらしょッ、しょいこらしょッ……」
「あらよッあらよッ」
「威勢のいいお兄《にい》さんだね。そッ、そッそッ……これァこっちの火事のほうが大きそうだな、よっぽど汚ねえ家が多いとめぇて、煙が黒いや。そッ、そッ、そッ……」
「あらよォ、あらあらァ……ッ」
「あァ今晩はッ、あッ、今晩はッ……火元はどこです……?」
「おめえンとこの隣りだ」
「おいッ、隣りとくると……ああ糊屋の婆ァだ。爪の先ィ火をとぼして、始終けちけちしゃァがって、その火からぽォッ……」
「だれだ? おゥ久蔵か、よく来てくれた」
「へえ」
「おまえ、浅草から駈けつけたのか?」
「さいで」
「よしッ、いままでのことは忘れてやる、出入りを許してやる」
「有難う存じます。……それがこっちの付け目で」
「なんだい?」
「いえこっちのこッて。旦那、働きましょう。なにかお大事なものがあったらお出しなすって……」
「おいおい、久蔵はとても重いものはいけねえ、なるたけ軽いものを持たしてやれ」
「いえ、軽いものなんてあなた、火事のときの力は別でございますから、芸人はしておりましても、こんなときてえものはまた三人力ぐらいは出ますもんで。……この葛籠《つづら》を」
「これは掛物が入ってるから重いよ」
「いえ、こんなものぐらいあなた、あい済みません、この上へその火鉢をお載せなすって。へい、いえ、まだ載りますとも、それからその針箱を、へい、こりゃァあい済みません。あ、火鉢ン中にその鏝《こて》をどうぞお差しんなって、ついでにその瓢箪《ひようたん》を」
「おいおい、大丈夫かいそんなに背負《しよ》って?」
「なに火事のときの力は別でございます。旦那のまえですが三人力ぐらいは出ようってえもんで……芸人はしておりますが、いざお家の大事だなんてえときァ持てる力をふりしぼり……そのウッ……ッ、ちょっと載せ過ぎたな、旦那ァ、あい済みません。その瓢箪をお取んなすって」
「瓢箪ぐらい取ったっておまえ……」
「いえ、瓢箪を取ったなというところで、心持ちがまたちょっと違いますんで。へい、どうもあい済みませんッと……、あのゥ、少ゥし重いな、ついでにその鏝を取っていただきたいんで、あ、済みません。なァにこういうときてえものは……ッと、先日、腰を痛めまして、あい済みません。火鉢をおろしていただきますてえとまた……」
「冗談じゃねえ、だから言わねえこっちゃァねえ。そんなに背負《しよ》えるもんか……そら、いいかい?」
「へえ、よろしゅうございます。それさえおりればもうこっちのもので……おかしいな? こんな筈じゃァねえんだが。旦那、恐れ入りますが、その葛籠をひとつ」
「うるさいな、手数がかかってしようがねえ、おめえが来たために、かえって用がふえた。ほんとうに厄介な男だ……そらきた、おろしたよ」
「へえ、有難うござんす……へへへへ、どうも恐れ入りますが、その箱の蓋を開けて、中のものを出して……」
「だから言わねえこっちゃァねえ。それじゃァしまいになんにも背負わないことになるじゃァないか。……おや、湿《しめ》り(鎮火)ましたか、どうも有難う存じます。おかげさまで、危ういところでございましたが、どなたさまも、どうもお互いさまにおめでとうございます。ご苦労さまで……。おい久蔵、荷物はもういいよ。湿ったそうだ」
「湿りましたか、ああくたびれた」
「まだなんにもしてやァしないじゃァないか。……棟梁《とうりよう》、はい有難う。おかげさまで消えたそうだな。はいはい、番頭さん、店の者も大働きだったな、はい、ありがとう。久蔵、おまえはもういいから若い者に任せて、そうだ、おまえはみなさんと顔見知りが多いから、お見舞のほうのお名前をね、その帳面へ付けておくれ。落ちなく付けるんですよ」
「へい畏《かしこ》まりました。では、あたくしはひとつ帳場ンとこへ坐らしていただきまして。あ、お志津さん、そのお水を少しここへ入れてください。へえ、どうも済みません。ありがとうございます。(硯《すずり》の墨をすりながら)あちらはご町内のかたでいらっしゃいますか。こりゃァどうもみなさんお揃いで有難う存じます。あ、旦那、黒川の旦那がお見えンなりました、へい、有難う存じます、いい塩梅《あんばい》に早いとこ湿りまして、へえ、おや、吉国さんに土屋さんです、有難う存じます。片山の高坊? さいですか、いえ、こりゃァどうも見違えましたねェ、ご立派になって……それだけこっちは年ォとっちまったんだ。へい、どうぞお宅様へよろしくおっしゃっていただきます。有難うございました。万定《まんさだ》さん、有難う存じます。おかげさまで、一時はあなた火の粉《こ》をかぶりましてね、へえまったくどうもそのゥ。それはどうも、有難う存じました。……旦那ッ、ご本家からお見えンなりました。こりゃァどうもお早々《はやばや》とお見舞で、……へ? さいですか、それでは頂戴いたしておきます。旦那ァ、石町さんからお見舞を。お重詰に、ご酒《しゆ》が二本、おや、一本はお燗《かん》がついております、有難う存じました。どうぞご本家の旦那様にもよろしくおっしゃいまして、へえ、有難う存じます。……旦那、どういたします? これ。さいですか、ではこちらへ置いときます。旦那、ご本家からお重とご酒が届きました。一本は冷《ひや》ですが、一本はお燗がついております。どういたしましょ? さいですか。へ、ではこちらへ、こういうふうに、ちゃんと置いておきます。……加賀屋さんでらっしゃいますか、どうも有難う存じます。お宅へお帰りンなりましたら、この春の花見には、久蔵たいへん失礼申し上げましたとお詫びをおっしゃっていただきます。旦那様にくれぐれもよろしくお伝えくださいまし。有難う存じました。……旦那、一時はまったくどうなるかと思いましたが、おめでとう存じます。あの、ご本家からお重とご酒……」
「あんなことばかり言ってやがる、飲みたいか、飲め飲め、けど、たんとは飲むなよ」
「へ? いただいてよろしゅうございますか。あい済みません。えへ、いただけた義理じゃァござんせん。よくわかっておりやす。なにしろお酒でしくじったてえやつですから。へえ、駈けつけまして、その時にゃ、かっかいたしておりまして……いまンなって急に寒くなってきたようで……風邪でもひくと、このなんですから……(重箱の蓋をとり)旦那、どうも、さすがは石町の旦那だねェ、急に弁松《べんまつ》へそういったって間に合わないから、本町の四っ角で夜明かしの旨いもの屋を総仕舞にするというのは気が利いてるねェ。このおでんねェ、串ィ刺してあるところなんざァ乙でげす。お店《たな》の若い衆がお湯ゥの帰りに食《あ》がるんだから旨いや……まだ暖《あ》ったこうござんすよ。その下がと、あ、目刺しが焼いてあります。なんご[#「なんご」に傍点]の腸抜《わたぬ》きときましたね(一口たべ)、こいつァ乙だ。うッ、おあきさん、あい済みませんが、ひとつ湯呑を貸してください。へい、それで上等、あい済みません」
「大きな湯呑を持って来たな。大丈夫か?」
「おや、番頭の佐兵衛さん。お久しぶりでございます。お酌を……あい済みません」
「おい、湯呑を下へさげるやつがあるか。上へ持ち上げるもんだ」
「いえ、上へあげると注ぎが悪うございますから……(飲み)へえ、ようやく酒の味がいたしました。いままで水ばかり飲んでおりましたから。へえ、またこのお燗をしたやつは格別な味でござんす」
「今日はほどほどにしておけよ。酒でしくじったんだからな、おまえは」
「いえ、これに一杯や二杯ぐらいではなんのご心配はいりません。佐兵衛さん、胡麻《ごま》じゃァありませんけど、あたしァあなたのおかげで、どのくらい助けられたか、感謝してもしきれない……半年まえ、夏の暑いときに、こちら田島屋の旦那に一杯やっていけと言われて、台所で頂戴しましたが、ついつい飲み過ぎて、あたしがなんか毒づいて、佐兵衛さんに叱られて、土蔵に莚《むしろ》を敷いて寝かされて、目が醒《さ》めて見れば、身体が荒縄で縛《しば》られて、そのときは酷《ひど》いことをすると思ったが、あとであたしは涙が滴《こぼ》れました。それもみな佐兵衛さんのお指図で、有難うございました。いくら芸人でも面目ない、きまりが悪いことは知っております。ほんとうに申しわけなく思っております。……今夜はまた結構な火事のおかげで……いえ、火事も無事になぐれて、ほんとうにおめでとう存じます。でも、火事と聞いて駈けつけて、旦那からお出入りが許されて……こんなうれしいことはありません(飲む)……おや、金十《かねじゆう》さん、有難う存じます。あたくしですか? へえ、今夜駈けつけましたんで、旦那にようやっとお詫びが適《かな》いました。へえ、もう気をつけます。金十さん(帳面に付ける)、渡辺さんで? どうぞご隠居様によろしくお伝え願います。(飲む)山喜さん? あ、山喜の旦那だ。こりゃァどうもご遠方から、有難う存じます。(注ぐ)いえ、ただいま二杯目をいただきましたから。へえ、もう、これでもうお仕舞ちゃんちゃんに。(飲む)おあきさん、済みませんねえ。そのご酒を奥へやッといていただきます。こっちのはお燗がついてますんでね。そいから、これがお重箱、気が利いてらァね、ねえ、石町さんはまた。(飲みかけて)む、ウゥむにゃむにゃ……」
「そのね、どうでもいいが、飲むとかしゃべるとか、どっちかへ片っぽづけたらどうだい」
「あい済みません。へい、これでもうほんとうにおつもりに。……あッ、おあきさん、それをどこへ持ってくの? じゃァわたくしがひとつ何を、お蔵《くら》へ持って行きましょう」
「なにを……そんなことをしなくてもいい。おいおい、箱を蹴とばしちゃァ困るじゃァねえか。床の間のほうへ押っつけておきねえ」
「ェェよろしい……」
「よろしかァねえ、おめえは酔ってるからよしなよ」
「いえ大丈夫、お吸物膳二十人前? 心得た」
「それァおまえ、二十人前揃ってるんで、おれが秘蔵にしているんだ、おまえ手をつけなさんなよ」
「大丈夫大丈夫、ェェ大丈夫……よッ、しっかり、心得た……」
がらがらァ……がッちゃん!
「あァ、しまったッ」
「それっ、真っ二つになっちまった。ばか野郎っ」
「あははは、めでたい」
「なにがめでてえんだっ」
「二十人前真っ二つ……四十人前にふえた」
「ばかっ、なにがふえただァ。酔ってるからよしなってえんだ。もういい、邪魔にならないところで寝てしまえ」
「へい、まことにあい済みません。じゃァあたくしはお先にご免|蒙《こうむ》ります……」
久蔵は帳場格子の中へ入って、肱《ひじ》を枕にぐゥっと高鼾……。
火早《ひばや》い晩とみえて、またジャン/\、ジャン/\。
「おや? またぶッつけてるじゃァないか。番頭さん、だれか大屋根へ上がってますか、どっちだい見当は、北? なに浅草? 浅草はどの辺か訊いとくれ、鳥越《とりこえ》の方角? 番頭さん、鳥越見当にはお取引きのお店はなかったかい? そうか。……あ、久蔵ン家《ち》は阿部川町だったな、起してやれ起してやれ」
「おゥ、久蔵、起きろッ」
「へえ、どうもいろいろご馳走さま……」
「まだ飲むつもりだ。おい、火事だよ、久蔵」
「しめしめ……」
「なにがしめしめだァ。おゥ、おまえ、阿部川町だろ、えッ? 鳥越いまわり[#「いまわり」に傍点]だとよ」
「あ、さいですか、へ、それではあたくし、失礼いたします」
「おいおい、久蔵に蝋燭《ろうそく》を五、六本持たしてやれ、提灯をつけて行かなくちゃァいかねえ」
「へッ、有難う存じます。じゃ旦那、あたくし行って参りますから……」
「早く行け、行け……」
「どうも驚いたね、どうも。ひと晩のうちに火事のかけ持ちてえなァはじめてだ。……しょい……こらしょッ、しょい、こらしょッ、しょいこらしょッ……」
「あらよッあらよッ」
「威勢のいいお兄《にい》さんだね。そッ、そッそッ……これァこっちの火事のほうが大きそうだな、よっぽど汚ねえ家が多いとめぇて、煙が黒いや。そッ、そッ、そッ……」
「あらよォ、あらあらァ……ッ」
「あァ今晩はッ、あッ、今晩はッ……火元はどこです……?」
「おめえンとこの隣りだ」
「おいッ、隣りとくると……ああ糊屋の婆ァだ。爪の先ィ火をとぼして、始終けちけちしゃァがって、その火からぽォッ……」
「ぼんやりしてどうした? こっちへ入れ……てめえの家が焼けたか? そりゃァかわいそうなことをした。よしよし、家《うち》へ見舞に来て留守中焼けたというのは気の毒だ。心配するな、うちにいな」
「へッ、有難う存じます。旦那、どうぞよろしくお願いいたします……」
そこは芸人の有難さで、芝の旦那の家に厄介になった。
「へッ、有難う存じます。旦那、どうぞよろしくお願いいたします……」
そこは芸人の有難さで、芝の旦那の家に厄介になった。
半月ばかり経ったある日。
「旦那、お早うございます」
「なんだい、久蔵。……おゥ、そうだ、おまえの家のことを忙しいのですっかり忘れてたが、これに帳面を拵えて初筆《しよふで》に金一両とわたしの名前と仕切り判を押しておいたから、これを持って、話はしてあるから最初に深川の豊島屋へ行って、これこれと言えばいい。それから両国へ行って柴崎さんのとこへ行って、ひと廻りして来れば五両か六両になる。それで家は持てるだろうよ」
「へえ、有難う存じます」
旦那の拵えた帳面を持って、深川の豊島屋へ行くと、一両出してくれて、ご馳走になって、八幡様のところへ来ると、ぞろぞろ人だかり……。
「おや? 年の暮れにお祭りかい?」
「富ですよ」
「富ッ……? ああ、おれも一枚買ってたが、暮れンなってから家が焼けるようじゃァ当たりっこはねえ。……もし、だいぶ済んだんですか? へェェ、中富も二番富も? さいですか、ちょっと伺いますが、その中に松の百十六番てえのはありませんでしたか? へえ、みんな千台《せんだい》? おや今度が突き留めですか」
わァわァ言っている境内が、水を打ったようにしィーんと鎮まり返る。
突き留め千両取りとなると、人の気が寄って箱の中の札が音をさせて動くというくらいの緊張が奔《はし》る。箱の両側へ稚児《ちご》が出て来て、がらがらッと振って札を掻き廻し、よく響く鈴のような声で「今日《こんにち》のォ」というと、かちり、柝《き》が入って「突きィ留めェー」とひとっ調子張り上げる。
三尺七寸五分という長い錐《きり》で、箱の穴へ……。
「御富《おんとみ》突きまァーす」
一瞬、だれもが固唾《かたず》をのむ。
「松の百十六番……松の百十六ばァーん」
「あァ……当たったっ」
「おゥ、ひっくり返っちゃった、おい、おい、しっかりおしよ……あ、久さんじゃねえか」
「へッ、大丈夫でござんす、どうぞご安心なすって、大丈夫で……文《ぶん》さん、当たったねェ」
「当たったァ。おい久さん、おまえ、突き留めだよ。おまえの来るのを待ってたんだ」
「火事で焼けてねぇ、どうにもしようがねえんだ。済まねえ、すぐに金を貰い……」
「あッ、すぐ取って来てやらァ。取って来てやるけど……今日はよしたがいいだろ、え?……お立替料一割、ご奉納金一割、二割、引かれるよ」
「ああいい、いいよ、二割なんぞいい。二割引かれようが五割引かれようが、十割引かれようが……」
「おい、十割引かれたら取るとこはねえじゃねえか……ああ、おめえが承知ならいいや、取って来てやろう。札をお出し……」
「あァ札?……札は、ぽォッ……」
「なんだい? 札はぽォッてなあ、え? 火事で焼いたッ? あの札をかい?……あッ、久さんそれァ駄目だ」
「なにが駄目なんで……」
「札ァ焼いちゃ駄目だ」
「そんなばかな話はねえじゃねえか、文さん。おめえが売ったんだろ? あたしが買ったんだ。松の百十六番。同《おんな》し札が二枚あるわけがないでしょ、売った者《もん》と買った者《もん》がここにいるんじゃありませんか」
「そりゃそうだよ、そりゃそうだけども、肝心の証拠の札てえものがなくちゃ駄目だよ」
「駄目? どうしても? なにもあっしァねェ、千両貰おうってんじゃないんですよ。じゃまけようじゃありませんか、五百両にまけよう……」
「いや五百両だって二百両だって駄目だよ」
「そいじゃ、そいじゃこうしてください、あたしゃ家さえ持てりゃァいいんですから、十両にまけましょう」
「十両が五両でも……鐚《びた》一文駄目だよ」
「そんな……いらねえやッ。胴屋のかすりだ」
「な、なんだい」
「なれ合ってやがって……おれぐらい情けねえ者はいねえや。ジャン、と言うからお客様の店《たな》へ行って詫びが適《かな》い、よかったと思ったら、こんだおれの家が焼けてしまう。家がどうにかなりそうになって、富が当たったら札がねえ。よくもなァ、首くくりの足ィ引っぱるようなことォしやがったな、畜生めっ。覚えてやがれ。おれは先ィ死んで、てめえェ、取り殺すからッ……」
「旦那、お早うございます」
「なんだい、久蔵。……おゥ、そうだ、おまえの家のことを忙しいのですっかり忘れてたが、これに帳面を拵えて初筆《しよふで》に金一両とわたしの名前と仕切り判を押しておいたから、これを持って、話はしてあるから最初に深川の豊島屋へ行って、これこれと言えばいい。それから両国へ行って柴崎さんのとこへ行って、ひと廻りして来れば五両か六両になる。それで家は持てるだろうよ」
「へえ、有難う存じます」
旦那の拵えた帳面を持って、深川の豊島屋へ行くと、一両出してくれて、ご馳走になって、八幡様のところへ来ると、ぞろぞろ人だかり……。
「おや? 年の暮れにお祭りかい?」
「富ですよ」
「富ッ……? ああ、おれも一枚買ってたが、暮れンなってから家が焼けるようじゃァ当たりっこはねえ。……もし、だいぶ済んだんですか? へェェ、中富も二番富も? さいですか、ちょっと伺いますが、その中に松の百十六番てえのはありませんでしたか? へえ、みんな千台《せんだい》? おや今度が突き留めですか」
わァわァ言っている境内が、水を打ったようにしィーんと鎮まり返る。
突き留め千両取りとなると、人の気が寄って箱の中の札が音をさせて動くというくらいの緊張が奔《はし》る。箱の両側へ稚児《ちご》が出て来て、がらがらッと振って札を掻き廻し、よく響く鈴のような声で「今日《こんにち》のォ」というと、かちり、柝《き》が入って「突きィ留めェー」とひとっ調子張り上げる。
三尺七寸五分という長い錐《きり》で、箱の穴へ……。
「御富《おんとみ》突きまァーす」
一瞬、だれもが固唾《かたず》をのむ。
「松の百十六番……松の百十六ばァーん」
「あァ……当たったっ」
「おゥ、ひっくり返っちゃった、おい、おい、しっかりおしよ……あ、久さんじゃねえか」
「へッ、大丈夫でござんす、どうぞご安心なすって、大丈夫で……文《ぶん》さん、当たったねェ」
「当たったァ。おい久さん、おまえ、突き留めだよ。おまえの来るのを待ってたんだ」
「火事で焼けてねぇ、どうにもしようがねえんだ。済まねえ、すぐに金を貰い……」
「あッ、すぐ取って来てやらァ。取って来てやるけど……今日はよしたがいいだろ、え?……お立替料一割、ご奉納金一割、二割、引かれるよ」
「ああいい、いいよ、二割なんぞいい。二割引かれようが五割引かれようが、十割引かれようが……」
「おい、十割引かれたら取るとこはねえじゃねえか……ああ、おめえが承知ならいいや、取って来てやろう。札をお出し……」
「あァ札?……札は、ぽォッ……」
「なんだい? 札はぽォッてなあ、え? 火事で焼いたッ? あの札をかい?……あッ、久さんそれァ駄目だ」
「なにが駄目なんで……」
「札ァ焼いちゃ駄目だ」
「そんなばかな話はねえじゃねえか、文さん。おめえが売ったんだろ? あたしが買ったんだ。松の百十六番。同《おんな》し札が二枚あるわけがないでしょ、売った者《もん》と買った者《もん》がここにいるんじゃありませんか」
「そりゃそうだよ、そりゃそうだけども、肝心の証拠の札てえものがなくちゃ駄目だよ」
「駄目? どうしても? なにもあっしァねェ、千両貰おうってんじゃないんですよ。じゃまけようじゃありませんか、五百両にまけよう……」
「いや五百両だって二百両だって駄目だよ」
「そいじゃ、そいじゃこうしてください、あたしゃ家さえ持てりゃァいいんですから、十両にまけましょう」
「十両が五両でも……鐚《びた》一文駄目だよ」
「そんな……いらねえやッ。胴屋のかすりだ」
「な、なんだい」
「なれ合ってやがって……おれぐらい情けねえ者はいねえや。ジャン、と言うからお客様の店《たな》へ行って詫びが適《かな》い、よかったと思ったら、こんだおれの家が焼けてしまう。家がどうにかなりそうになって、富が当たったら札がねえ。よくもなァ、首くくりの足ィ引っぱるようなことォしやがったな、畜生めっ。覚えてやがれ。おれは先ィ死んで、てめえェ、取り殺すからッ……」
「おい、そこへ行くのァ、久蔵じゃァねえか」
「……(しょんぼりして)あッ、鳶頭《かしら》ですか」
「おい、しっかりしろよゥ。おめえくれえ暢気《のんき》な男ァねえな、おい。火事だってのにおめえどこへ行ってたんだ。あの火事のときィ、一人で困ってるだろうと、奴《やつこ》を連れて飛んで行ったところ、家に錠《じよう》が掛ってて開かねえから、叩っ壊して中へ入《へえ》ってみると、別に金目のものもねえが、布団と釜、そいつを出させて、家《うち》にあるから、取りにおいでよ」
「へッ、有難うござんす」
「おい、しっかりしろよ。おい……さすがは芸人だな、え? 大神宮様のお宮、立派だねえ。あんまり立派だから、おれが家《うち》へ持って来た」
「こン畜生っ」
「おい、なにするんだッ……離せっ、おゥ、痛えっ」
「この泥棒っ」
「なにを言やがんだ、この野郎、いつおれが泥棒を……ばかァ、放さねえか、まァ家《うち》まで来ねえ……おい、おみつ、久蔵が来た。蒲団と釜ァ出してやれ」
「まァどうしたんだえ? 鳶頭《かしら》ァ」
「久蔵ンところの蒲団と釜ァ出してくれ……さァ、持ってけっ」
「こんなものいらねえやい」
「あっ、放り出しやがった」
「大神宮様を出せッ、大神宮様をッ」
「それ、大神宮様だァ」
「こ、こン中にあればよし、もしなかったら……」
「何だよ……おい久蔵、よく見ろよ、なに一つあとから手はつけてねえんだぜ」
「(お宮の中を開けて)あッたッたッたッた……」
「なんだ? おッ、おい、しっかりしろよ。どうしたんだ」
「あい済みません、有難う存じます」
「どうしたんだ? 急に」
「鳶頭《かしら》、胸倉ァ掴んだりして……申しわけありません。じつは、この札ァ千両富に当たりまして、この札がないと金が貰えません」
「えッ、当たった。めでてえな……おっかァ、久蔵に千両富が当たったとよ。運のいい男だな、この暮れンなって千両当たるってえのも、豪気《ごうぎ》だなァ。これもおめえが大神宮様を祀って、ふだん正直|者《もん》だからよ。正直の頭《こうべ》に神宿るてえなァこのこったァ……こんなめでてえこたァねえな、で、久さん、千両取ったらどうするィ?」
「へえ、これも大神宮様のおかげでございます。ご近所のお払い(お祓い)をいたします」
「……(しょんぼりして)あッ、鳶頭《かしら》ですか」
「おい、しっかりしろよゥ。おめえくれえ暢気《のんき》な男ァねえな、おい。火事だってのにおめえどこへ行ってたんだ。あの火事のときィ、一人で困ってるだろうと、奴《やつこ》を連れて飛んで行ったところ、家に錠《じよう》が掛ってて開かねえから、叩っ壊して中へ入《へえ》ってみると、別に金目のものもねえが、布団と釜、そいつを出させて、家《うち》にあるから、取りにおいでよ」
「へッ、有難うござんす」
「おい、しっかりしろよ。おい……さすがは芸人だな、え? 大神宮様のお宮、立派だねえ。あんまり立派だから、おれが家《うち》へ持って来た」
「こン畜生っ」
「おい、なにするんだッ……離せっ、おゥ、痛えっ」
「この泥棒っ」
「なにを言やがんだ、この野郎、いつおれが泥棒を……ばかァ、放さねえか、まァ家《うち》まで来ねえ……おい、おみつ、久蔵が来た。蒲団と釜ァ出してやれ」
「まァどうしたんだえ? 鳶頭《かしら》ァ」
「久蔵ンところの蒲団と釜ァ出してくれ……さァ、持ってけっ」
「こんなものいらねえやい」
「あっ、放り出しやがった」
「大神宮様を出せッ、大神宮様をッ」
「それ、大神宮様だァ」
「こ、こン中にあればよし、もしなかったら……」
「何だよ……おい久蔵、よく見ろよ、なに一つあとから手はつけてねえんだぜ」
「(お宮の中を開けて)あッたッたッたッた……」
「なんだ? おッ、おい、しっかりしろよ。どうしたんだ」
「あい済みません、有難う存じます」
「どうしたんだ? 急に」
「鳶頭《かしら》、胸倉ァ掴んだりして……申しわけありません。じつは、この札ァ千両富に当たりまして、この札がないと金が貰えません」
「えッ、当たった。めでてえな……おっかァ、久蔵に千両富が当たったとよ。運のいい男だな、この暮れンなって千両当たるってえのも、豪気《ごうぎ》だなァ。これもおめえが大神宮様を祀って、ふだん正直|者《もん》だからよ。正直の頭《こうべ》に神宿るてえなァこのこったァ……こんなめでてえこたァねえな、で、久さん、千両取ったらどうするィ?」
「へえ、これも大神宮様のおかげでございます。ご近所のお払い(お祓い)をいたします」