「ェェこんちは……こんちは、いますかね? ご隠居」
「はい、どなただよ……おや、八っつぁんかい。おめずらしいね。こっちへお入り」
「へい、ありがとう存じます」
「お天気がよくって結構だね。春はそんなに忙しくもなかろうから、今日はゆっくりしておいで」
「へえ、今日、仕事が半ちくになっちまったんで、休んじゃったンですがね。で、家で、ずらりぼらりしていても、おもしろくもなし、茶ァ飲んでいても、家《うち》の茶が……隠居のまえで白状しますけれども、家の茶は番茶《ばんちや》でしょう。番茶てえやつはガブガブ飲んで、腹ばかり張って、小便《しようべん》ばかり出やがってしょうがねえ。そこへいくと、お宅で出る茶はいいお茶で、甘《あめ》えような苦《にげ》えような茶でがしょう。それにおまえさんとこは、空っ茶ってことはない。いつもお茶碗……じゃない、なんだっけね。お茶托《ちやたく》でもねえ、なんとか言ったけね、お茶……お茶桶《ちやおけ》じゃァねえ、鉢でもねえ、なんと言ったっけね」
「お茶うけか」
「そうそう、その桶でも受《う》けでも大した違《ちげ》えはねえや。とにかく、お茶のほかにお茶うけがあらァね。ひとついいほうの茶をいれてもらいましょう。番茶なら家《うち》でもありますからね。いいほうをね。空っ茶じゃァいけねえ、お茶うけはあるでしょう。ほら、いつもの羊羹《ようかん》?」
「今日は生憎《あいにく》ないよ」
「おやおや、ねえもんはしかたがねえ。じゃァカステラ?」
「ないよ」
「えッ、今日はねえんですかい? じゃァ、最中《もなか》?」
「ないよ」
「なにもないの。買っておけばいいじゃァねえか。あきれ返《けえ》ったもんだね。いくらけち[#「けち」に傍点]でもお茶うけぐらい買っとけばいいのに」
「いま婆さんが湯に行ってるから、帰って来たらなんでも買いにやるから、そう、愚痴を言うもんじゃァない」
「そうですかい。それは済いません。じゃァ婆さんが帰《けえ》ったら、どうせ買うなら、おれは甘《あめ》えもんよりさっぱりしたもんがいいね。ひとつ鮪《まぐろ》の赤身を一両ばかり、狸婆《たぬきばば》ァに言いつけて……鮪をひとつ」
「おいおい、いくら居ないからって家《うち》の婆さんを狸婆ァってえやつがあるかい。口の悪い江戸っ子とはいえ、面と向って言うやつがあるかい」
「いえ、いつも居ねえところで言ってるもんで、ご隠居の前《めえ》なら気がつくめえと思ってつい」
「あたしのかみさんだよ。忘れるやつがあるかい。……まあ、久しぶりのことだし、あたしもご相伴をするから、婆さんがもうすぐ帰って来るから、支度をさせて、鮪をご注文どおりご馳走しよう。……じつはこのところ退屈してたんで、ゆっくり遊んでっておくれ」
「そう来るだろうと思ったんだ。こう念を押しておけば、いくらおまえさんがけち[#「けち」に傍点]でも……、まァ鱈腹《たらふく》食い倒して、腹がはち切れそうになったら、お暇しようと、こういうぐあいにしますから……どうか、よろしく……」
「まァ遠慮なく、話し相手になっとくれ」
「ところでご隠居さん。そこの床の間に掛物《かけもの》が掛って、なんか高慢な面《つら》をしているが、どうですえ、もうちったァきれいな、ちょっと見て見心《みごころ》のいいやつを掛けちゃァ……あんまりこいつァ汚なすぎるねえ」
「いや、おまえの目から見れば汚ないかも知れんが、この古いところに価値がある。汚ないところに味わいというものがある。よほど渋味があって、こうして眺めているのがまことに楽しみなものだ」
「へえー、おまえさん、ちょいちょい掛物を舐《な》めるんだね。道理で端のほうが剥《は》げていて変だと思ったよ」
「舐めたのではない、眺めて楽しむのだ」
「へえーそうですかい。味わいがあるの、渋味があるのと言うから、舐めて楽しむのかと思った」
「こりゃァまァ、あたしの独楽《どくらく》だよ」
「ええ、ええ、ね。どくらく[#「どくらく」に傍点]ってえと、地獄の向こうにある?」
「そうじゃァない。ひとりで楽しむから独楽と言うんだ」
「へえェ……。なんかこう書いてありますね」
「へえー感心だね、どなたが描いたかわかるかね」
「そりゃわかりませんよ。なんというやつが描いたかなんて……」
「やつは乱暴だね。画は探幽、芭蕉翁の讃《さん》だ」
「へえー、その絵は笹っ葉の塩漬でしょう?」
「笹っ葉の塩漬なんかじゃない。これは雪折笹《ゆきおれざさ》だ」
「ああ、そうですか」
「ご存知か?」
「ええ、知ってますとも、雪折笹に群雀《むらすずめ》、如何《いか》に年期が増せばとて」
「それは投節《なげぶし》だ」
「ちがいますか?」
「これは堪忍の心持を書いたものだ」
「へえー、上のほうに書いてある能書はなんです」
「能書というのはおかしい、翁の讃だ」
「へえー、なんと読むんで」
「�しなわるるだけは堪《こら》えよ雪の竹�」
「へえー、なるほどね」
「わかったかい?」
「わからねえ」
「なんだい、わからねえで感心するやつがあるか」
「ェェこれァ、なにがどうなったんです?」
「これはな、雪が積って竹をこう倒している図なんだ、な? 竹を倒している雪は溶けてしまえば跡形もなくなってしまって、倒された竹は元の通りになる。してみれば、ものは堪忍が肝心だという、意味が表わされているんだ。�しなわるるだけは堪えよ雪の竹�」
「ああなるほど、へえ、こいつはすばらしいもんだね、見事なもんだね、日光の日暮《ひいぐ》らしの門だ」
「なんだい、日光の日暮らしの門てえのは」
「褒《ほ》めたんで」
「妙な褒めかたをするね、それじゃァ折角褒めてもかえって他人《ひと》に笑われる」
「へえー、なんと言えばいいんで」
「こういうものを見たときは、結構な讃《さん》でございます。いい讃だと言って褒めるもんだ」
「なるほどね。おまえさんが持っていりゃァいい讃で、女の年寄りが持ってりゃァ婆さん」
「婆さんって言うやつがあるか。いい讃……そうすると、人がまァおまえさんをあの人は見上げたって言うよ」
「あっしは、あれェ履きにくくっていやだよ、庭下駄だろ?」
「庭下駄じゃァない。あの人はものを識っているというので、たいへんおまえさんを見直すね。おまえさんのことをみんななんと言う?」
「みんなは、がらっ八《ぱち》って言わァ」
「がらっ八なんてのァ有難いこっちゃァない。仮にこういうものをいい讃ですね、と言って褒めると、おまえさんのことをがらっ八と言っていた人も八っつぁんと言うようになる」
「へえェ。じゃァ八っつぁんと言ってる人は?」
「八五郎殿だとか様だとか言うだろう」
「へえ、八五郎殿だの様だの、たいしたものだねえ」
「他人《ひと》から敬《うや》まわれる」
「なるほど、お賽銭を上げて手を合せ……」
「それは拝むんだ。人が重んずるようになる」
「ちげえねえ、釣鐘を持ち上げるんだ」
「それは重いんだ。人が尊《とうと》ぶということだ。おまえの言うことはみんなとんちんかんだ」
「じゃ、殿だの様だのの先はどうなります?」
「しつッこいね、そう根掘り葉掘り聞かれちゃァ困るね。その先はないよ」
「じゃァ殿だの様がドンづまりの突き当たりかい。てえとしかたがないから逆戻りして、元のがらっ八かい」
「ものがわかれば、そんなことはない」
「じゃァ、これからあっしァ、がらっ八がらっ八ってばかにしているやつのとこへ行って、いい讃だって褒めて、ひとつ驚かしてやろう」
「おいおい、待ちな。いま婆さんが帰って来て、おまえにご馳走するから、ちょっと待ちな」
「いいよ、ちょっと町内をひと廻りして、いま教わったとおり、ひとつぶっつけておかねえと明日《あした》ンなると忘れますから、急いでやっつけて……その間にご隠居さんとこで、鮪を誂えて支度が出来た時分に、八五郎殿になって戻って来るってえ寸法にしやしょう。じゃあ、ちょっと行ってくらあ」
「気が付かなかったねえ。結構な讃でございますと言やァ、八五郎殿だの様だのになっちまう。わけはねえや……さて、掛軸のありそうな家は……なにしろ、この町内は貧乏町内だから、気の利いた掛軸のある家なんぞまるでねえ。情けねえや……おお、そうだ、易者の先生のとこに床の間がある。こいつはいいや……こんちは、先生」
「はい、どなた? こっちへお入り」
「へえ、ごめんなさい。先生、ご在宅ですか?」
「おお、珍しい、だれかと思ったら八五郎さんか、こっちへお入り、どうしたい、八五郎さん」
「へえ、八五郎さんか。まだ讃を言わねえうちに、さんになっちまやァがった。この調子なら、すぐ八五郎殿に」
「なにを言っているんだ。入口はこっちだよ。構わずお入り」
「ごめんなすって……じつは先生のお宅の床の間の掛軸を見に来たんですが……そこの掛軸……おや、先生ンとこの掛軸は鯱《しやち》こばった字が書いてありますね。先生が鯱こばってるから字まで鯱こばってやがる。先生、あの鯱こばった字ィなんて書いてあるか、あっしには読めねえから、ひとつ読んでおくんなさい」
「ときどき、家へ来てはおまえさんは妙なことを言うが……これはな、滑稽《こつけい》なこと、愉快なことが書いてある」
「へえ、どんなことが書いてあるんです?」
「こう書いてある。�仁《じん》に遠き者は道に疎《うと》し、苦しまざる者は知に于《うと》し�と書いてある」
「へえ、ニョゴニョゴニョゴ、ニョゴニョゴ、ちっともわからねえ」
「はははァ、おわかりにならぬか、これはこういう意味だ。忠孝仁義ということをご存知だろう。仁義の道を知らぬ人間は、人道にはずれている。人間の道にはずれた人間である。また苦しまざる者は知に于《うと》し、苦労をして来ない人間は知恵がない愚かである。まあ早く言えばばかである、とこういう意味だ」
「へえー、どこが滑稽か、あっしにはわからねえ。ずいぶんむずかしくて、さっぱりわからねえ」
「そりゃァ、おまえにわからないのは、もっともだ」
「だって先生、滑稽で、愉快なことが書いてあると言ったでしょう」
「これは棒読みすると、滑稽になる。おわかりになるかどうか……ごらんよ、|遠[#レ]仁者疎[#レ]道《じんにとおきものはみちにうとし》、|不[#レ]苦者于[#レ]知《くるしまざるものはみちにうとし》で、遠《えん》の字が上《かみ》になって、仁《じん》の字が下《しも》になっているだろう。この遠《えん》の字はおとも読む、そこでこれを上から棒読みにするとおにはそとふくはうち[#「おにはそとふくはうち」に傍点]となるのだ」
「ははァ、こいつは結構な讃でござんすね」
「讃というやつがあるかい。これはな、連詩と言って、詩だな」
「四だァ? 嘘でしょう、三でしょう。どうでも四なんですかい?」
「詩だね」
「し[#「し」に傍点]と来た日にやァ、ぼくめん[#「ぼくめん」に傍点]次第《しでえ》もない」
「なんだい? ぼくめん次第と言うのは」
「面目次第を逆さにしたんで」
「つまらないものを逆さにするな、おまえさんは妙なことばかり言うなあ」
「どうも失礼しました。また伺います。さようなら……」
「はい、どなた? こっちへお入り」
「へえ、ごめんなさい。先生、ご在宅ですか?」
「おお、珍しい、だれかと思ったら八五郎さんか、こっちへお入り、どうしたい、八五郎さん」
「へえ、八五郎さんか。まだ讃を言わねえうちに、さんになっちまやァがった。この調子なら、すぐ八五郎殿に」
「なにを言っているんだ。入口はこっちだよ。構わずお入り」
「ごめんなすって……じつは先生のお宅の床の間の掛軸を見に来たんですが……そこの掛軸……おや、先生ンとこの掛軸は鯱《しやち》こばった字が書いてありますね。先生が鯱こばってるから字まで鯱こばってやがる。先生、あの鯱こばった字ィなんて書いてあるか、あっしには読めねえから、ひとつ読んでおくんなさい」
「ときどき、家へ来てはおまえさんは妙なことを言うが……これはな、滑稽《こつけい》なこと、愉快なことが書いてある」
「へえ、どんなことが書いてあるんです?」
「こう書いてある。�仁《じん》に遠き者は道に疎《うと》し、苦しまざる者は知に于《うと》し�と書いてある」
「へえ、ニョゴニョゴニョゴ、ニョゴニョゴ、ちっともわからねえ」
「はははァ、おわかりにならぬか、これはこういう意味だ。忠孝仁義ということをご存知だろう。仁義の道を知らぬ人間は、人道にはずれている。人間の道にはずれた人間である。また苦しまざる者は知に于《うと》し、苦労をして来ない人間は知恵がない愚かである。まあ早く言えばばかである、とこういう意味だ」
「へえー、どこが滑稽か、あっしにはわからねえ。ずいぶんむずかしくて、さっぱりわからねえ」
「そりゃァ、おまえにわからないのは、もっともだ」
「だって先生、滑稽で、愉快なことが書いてあると言ったでしょう」
「これは棒読みすると、滑稽になる。おわかりになるかどうか……ごらんよ、|遠[#レ]仁者疎[#レ]道《じんにとおきものはみちにうとし》、|不[#レ]苦者于[#レ]知《くるしまざるものはみちにうとし》で、遠《えん》の字が上《かみ》になって、仁《じん》の字が下《しも》になっているだろう。この遠《えん》の字はおとも読む、そこでこれを上から棒読みにするとおにはそとふくはうち[#「おにはそとふくはうち」に傍点]となるのだ」
「ははァ、こいつは結構な讃でござんすね」
「讃というやつがあるかい。これはな、連詩と言って、詩だな」
「四だァ? 嘘でしょう、三でしょう。どうでも四なんですかい?」
「詩だね」
「し[#「し」に傍点]と来た日にやァ、ぼくめん[#「ぼくめん」に傍点]次第《しでえ》もない」
「なんだい? ぼくめん次第と言うのは」
「面目次第を逆さにしたんで」
「つまらないものを逆さにするな、おまえさんは妙なことばかり言うなあ」
「どうも失礼しました。また伺います。さようなら……」
「なんだいばかにしやがる、隠居は三だって言うし、易者の先生は四だって言やがる。ありゃァ字ばかり書いてあるから四《し》と言うのかな? 絵と字と両方書いてあれば三四と言えばいいんだ。ところで、どこかねえかな、し[#「し」に傍点]を用いるところは……と、ええと、ああいうものをぶる下げてる家はねえかな……あ、あるある、表の医者のとこにあるよ……先生、こんちはァ」
「おお、珍客到来だな」
「先生、欲張っちゃァいけねえ、巾着《きんちやく》頂戴なんて」
「そうではない。珍しい客だから珍客と言うんだ」
「へえー、珍しいのは巾着で、ちょくちょく来ンのァ蝦蟇口《がまぐち》で」
「なに言ってんだ。どこか患ったのか?」
「いえ、生憎《あいにく》、丈夫だよ」
「丈夫に越したことはない。今日はなんの用だ?」
「先生のとこに掛物があるでしょ?」
「そりゃァあるよ」
「ちょいとそれをあっしに見せてください」
「粗末な、ごらんに入れるほどのものもないが、そこにあるよ」
「ああ、なるほど、お粗末だね」
「これはご挨拶だ。粗末とはこちらで言うこと。ちと大幅《たいふく》だが」
「ああ大福だ。こりゃ大きいや。中に餡こが入《へえ》ってますか?」
「大幅ってえのは、大きな軸のことを言うんだ」
「へえー、なんて書いてあるんです。どうか先生、ひとつ読んでくれませんか。あっしが片っ端から褒めるから……」
「いやァこれが褒められるとは、じつに不思議だァ」
「なんです、不思議だって?」
「まァおまえさんには褒められない」
「いやァ褒めるんだよ。いいから読ンどくんなさい」
「�仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は経を売る。汝《なんじ》五尺の身体《からだ》を売って、一切衆生の煩悩を安んず。柳は緑花は紅のいろいろか。池の面に月は夜な夜な通えども、水も濁《にご》さず影も宿さず�」
「南無阿弥陀仏……」
「混《ま》ぜっ返しちゃいけない」
「ェェわかりました。こいつはァどうも結構な四だ」
「これは一休禅師の悟《ご》だよ」
「四じゃねえのかい。こいつは驚いた……さようなら」
「おお、珍客到来だな」
「先生、欲張っちゃァいけねえ、巾着《きんちやく》頂戴なんて」
「そうではない。珍しい客だから珍客と言うんだ」
「へえー、珍しいのは巾着で、ちょくちょく来ンのァ蝦蟇口《がまぐち》で」
「なに言ってんだ。どこか患ったのか?」
「いえ、生憎《あいにく》、丈夫だよ」
「丈夫に越したことはない。今日はなんの用だ?」
「先生のとこに掛物があるでしょ?」
「そりゃァあるよ」
「ちょいとそれをあっしに見せてください」
「粗末な、ごらんに入れるほどのものもないが、そこにあるよ」
「ああ、なるほど、お粗末だね」
「これはご挨拶だ。粗末とはこちらで言うこと。ちと大幅《たいふく》だが」
「ああ大福だ。こりゃ大きいや。中に餡こが入《へえ》ってますか?」
「大幅ってえのは、大きな軸のことを言うんだ」
「へえー、なんて書いてあるんです。どうか先生、ひとつ読んでくれませんか。あっしが片っ端から褒めるから……」
「いやァこれが褒められるとは、じつに不思議だァ」
「なんです、不思議だって?」
「まァおまえさんには褒められない」
「いやァ褒めるんだよ。いいから読ンどくんなさい」
「�仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は経を売る。汝《なんじ》五尺の身体《からだ》を売って、一切衆生の煩悩を安んず。柳は緑花は紅のいろいろか。池の面に月は夜な夜な通えども、水も濁《にご》さず影も宿さず�」
「南無阿弥陀仏……」
「混《ま》ぜっ返しちゃいけない」
「ェェわかりました。こいつはァどうも結構な四だ」
「これは一休禅師の悟《ご》だよ」
「四じゃねえのかい。こいつは驚いた……さようなら」
「なんだばかばかしい。三だと言やァ四だと言うし、四だと言やァ五だと言う。一つずつ上がって来やァがる。するてえとなんでも一つずつ上がって行きゃいいんだな。三から四、四から五、こんど順に行きゃァ六だな……よしよし、一目っつ上がって行きゃァいいんだな……あははァ、そうとは気がつかなかったねえ」
「おう、がらっ、どこへ行くんだ?」
「おッ、がらっ八ががら[#「がら」に傍点]だけになっちまやァがった……おう、半公。おめえンとこに、凹《へこ》の間があるか?」
「凹の間?……そんなものはねえ」
「凹んでるから凹の間だよ。わからねえのか。そこンとこへなんかぶら下がってるものがあるだろ?」
「え? ぶら下がっているもんだって言やァがる。情けねえ野郎だァ。軸かァ?」
「軸だァい、軸軸ゥ」
「なんだい、じくじくって、腫物《できもの》がつぶれたのか。……で、どうしようてんだ」
「おれがそれを読んで褒めてやろうてんだ」
「生意気なことを言うな。友だちが集まって噂をしてなんて言ってるか知るめえ。世の中にてめえくれえわけのわからねえやつはねえ、それが軸を見たってわかるわけがねえ」
「なにを言やァんだ。褒められるとも……聞いて驚くなこん畜生っ」
「じゃァ、こっちへ入《へえ》れっ」
「上がるとも泥棒、え? どこにあるんだ」
「こっちィ来ねえ、これだ」
「ああなるほど、こいつは絵だな?」
「そうよ」
「絵とくりゃ、こっちのもんだ。字じゃァどうもいけねえけど、絵なら読める」
「なんだい、絵が読めるってなァ」
「こりゃァ、船へ大勢乗ってらァ。渡し場かい?」
「渡し場じゃァねえや」
「だっておめえいろんな人がいるじゃァねえか。恐ろしく頭の長《なげ》えやつがいるね。餓鬼の時分に寝かしようが悪かったんだな。脇にいやに大きな腹ァ出してるのがいる、十日も通じがつかねえのか」
「そりゃ金山寺の布袋《ほてい》和尚だよ」
「金山寺の、太《ふて》え和尚!?」
「布袋様だ」
「へえー、この頭の長えのは?」
「これは福禄神《ふくろくじん》だ」
「ああ百六十ゥ……」
「百六十じゃァない。福禄神」
「男ばかりの中に女が一人だけいるね、大勢で口説こうてんだろう?」
「そりゃァ弁天様だよ」
「この上に書いてあるのは能書か」
「ばかだなこの野郎は、能書じゃァねえ、これは歌だ」
「へえー、なんてえ歌だ」
「�なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな�……�ながきよのとおのねふりの�ってえから、人間がおっ母さんの胎内にいるときのことを言うんだな。�みなめざめ�ってえなァ、オギャアと生まれたときのことを言うんだ。な? �なみのりふねの�というのは、人間の一生は波の上へ船が浮いてるようなもので、浮き沈みはあるけれども、しまいはよく終りたいと言うので、�おとのよきかな�と言うんだ」
「へえー、流行《はやり》唄か」
「これは、春には縁起をかついで、どうしたってなくちゃァならねえもんで、上から読んでも下から読んでも読声《よみごえ》が同じなんだ。�ながきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな�ごくめでたい歌だ」
「こいつは、結構な六だな」
「ばか言え、こりゃ七福神だ」
「おう、がらっ、どこへ行くんだ?」
「おッ、がらっ八ががら[#「がら」に傍点]だけになっちまやァがった……おう、半公。おめえンとこに、凹《へこ》の間があるか?」
「凹の間?……そんなものはねえ」
「凹んでるから凹の間だよ。わからねえのか。そこンとこへなんかぶら下がってるものがあるだろ?」
「え? ぶら下がっているもんだって言やァがる。情けねえ野郎だァ。軸かァ?」
「軸だァい、軸軸ゥ」
「なんだい、じくじくって、腫物《できもの》がつぶれたのか。……で、どうしようてんだ」
「おれがそれを読んで褒めてやろうてんだ」
「生意気なことを言うな。友だちが集まって噂をしてなんて言ってるか知るめえ。世の中にてめえくれえわけのわからねえやつはねえ、それが軸を見たってわかるわけがねえ」
「なにを言やァんだ。褒められるとも……聞いて驚くなこん畜生っ」
「じゃァ、こっちへ入《へえ》れっ」
「上がるとも泥棒、え? どこにあるんだ」
「こっちィ来ねえ、これだ」
「ああなるほど、こいつは絵だな?」
「そうよ」
「絵とくりゃ、こっちのもんだ。字じゃァどうもいけねえけど、絵なら読める」
「なんだい、絵が読めるってなァ」
「こりゃァ、船へ大勢乗ってらァ。渡し場かい?」
「渡し場じゃァねえや」
「だっておめえいろんな人がいるじゃァねえか。恐ろしく頭の長《なげ》えやつがいるね。餓鬼の時分に寝かしようが悪かったんだな。脇にいやに大きな腹ァ出してるのがいる、十日も通じがつかねえのか」
「そりゃ金山寺の布袋《ほてい》和尚だよ」
「金山寺の、太《ふて》え和尚!?」
「布袋様だ」
「へえー、この頭の長えのは?」
「これは福禄神《ふくろくじん》だ」
「ああ百六十ゥ……」
「百六十じゃァない。福禄神」
「男ばかりの中に女が一人だけいるね、大勢で口説こうてんだろう?」
「そりゃァ弁天様だよ」
「この上に書いてあるのは能書か」
「ばかだなこの野郎は、能書じゃァねえ、これは歌だ」
「へえー、なんてえ歌だ」
「�なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな�……�ながきよのとおのねふりの�ってえから、人間がおっ母さんの胎内にいるときのことを言うんだな。�みなめざめ�ってえなァ、オギャアと生まれたときのことを言うんだ。な? �なみのりふねの�というのは、人間の一生は波の上へ船が浮いてるようなもので、浮き沈みはあるけれども、しまいはよく終りたいと言うので、�おとのよきかな�と言うんだ」
「へえー、流行《はやり》唄か」
「これは、春には縁起をかついで、どうしたってなくちゃァならねえもんで、上から読んでも下から読んでも読声《よみごえ》が同じなんだ。�ながきよのとおのねふりのみなめざめなみのりふねのおとのよきかな�ごくめでたい歌だ」
「こいつは、結構な六だな」
「ばか言え、こりゃ七福神だ」