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落語特選43

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:居残り佐平次品川は四宿のなかでも、いちばん旅人のいききのはげしい宿《しゆく》で、それにまた春は御殿山の花見に潮干狩《しお
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居残り佐平次

品川は四宿のなかでも、いちばん旅人のいききのはげしい宿《しゆく》で、それにまた春は御殿山の花見に潮干狩《しおひがり》、夏は牛頭《ごず》天王の神輿《みこし》の海中渡御、秋は八ツ山の二十六夜の月待ち、海晏寺《かいあんじ》の紅葉などと、都心を離れた景勝の地でもあった。
(中略)
一方にそうした海道を持つそのかわりには、遊女屋の裏にはまた、冬ならあくまでくっきりと晴れ渡った安房《あわ》、上総《かずさ》の見える海を持っている。
安い鬢《びん》つけ油の女の髪のにおいがする部屋のなかには、汐の香もまた漂っていたことであろう。
[#地付き](安藤鶴夫著『わが落語鑑賞』より)
「大勢集まってるが、どれもこれも女に好かれそうもねえ面《つら》だな」
「なにを言やァがるんだ、憚《はばか》りながらこちとらァ面で好かれるんじゃァねえや、ただこの胸三寸だ。生意気なことを言うようだが、ちと[#「ちと」に傍点]はおれにあやかりねえ。吉原《なか》の女がそう言った、ひと晩でもおまはんに逢わなきゃァ、この世に生きている甲斐がねえてんだ」
「そんな面《つら》をか?」
「おとといの晩だ、行くとばかにお客が立て込んでいるんだ。一杯飲んでお引けになった。こんな晩に来て貰っちゃァしみじみ話をしておれない、悔しいっ、ちょっと行って来るから横になっていておくれ、寝るときかないよ……ってんで、女はすゥーッと行っちまった」
「……だろう?」
「朝になっても帰《けえ》って来ねえや」
「それじゃァ、振られたんだろう」
「まァ早く言えば……」
「遅くったって同じことだァな、それでおめえ、どうした?」
「悔しいよ……悔しいから、台屋《だいや》の鍋《なべ》を二枚、背負《しよ》って来た」
「泥棒だね……おゥ、みんなもその仲間だろう」
「だから達者で帰《けえ》って来たんだ」
「口のへらねえことを言うない……おまえもなんか持って来たのか?」
「湯呑みを二つ召上《あげ》て来た」
「おやおや……おめえはなんだ?」
「おれは鉄瓶《てつびん》」
「どうして持ち出した?」
「褌《ふんどし》で結《い》わえて肩から吊《つ》って股《また》ぐらへ下げた」
「考えたね」
「梯子段へ来ると、トントン底を突いた、すると湯がこぼれたね」
「湯の入《へえ》ったままか?」
「若い衆が驚いて、そこいらで小便《ちようず》をなすっちゃァ困りますッて、とたんに蓋《ふた》を落としたんで見《め》っかった」
「だらしがねえな」
「おれは獅噛《しがみ》火鉢」
「おや、大変なものを持ち出したな」
「どうして持ち出したと思う?」
「わからねえなァ」
「灰をあけて頭へ被《かぶ》って、その上から褞袍《どてら》を被って『お獅子だお獅子だ、おめでとうござい……』と、悪魔払いと獅子の真似をして飛び出した」
「なるほど、こいつは気がきいてるな」
「おれは金盥《かなだらい》を背負《せお》って入口まで来ると、女が『お近いうちにおいでなさいよ、浮気をするときかないよ』って、背中をぽんと叩いたから、ボァーンと鳴った。女が『なんだろうね?』ってえから、『おめえと別れの鐘だろう』ッて……」
「しようがねえやつだなァ……いつもいつもけち[#「けち」に傍点]な遊びばかりしているのは気がきかねえや。どうでえ世直しに景気をつけようじゃァねえか」
「そりゃァいいが、兄ィ、佐平次兄ィ、どうしようてえんだ?」
「まあ、おれに任せておきねえ……どうでえ、ひとつ気を変えて、久しぶりに南へ押しだそうじゃァねえか」
「品川かい」
「そうよ。なにも女郎買いは、吉原とばかり相場が決まっちゃァいねえよ。品川となると、また気が変わるじゃねえか」
「そうよ。だいいち食いものは旨《うめ》えしな」
「なにも食いものを食いに行くと言うんじゃァねえが、とにかく遊《あす》びは気のもんだ」
「そうとも……それで、なにかい……品川はどこへ登楼《あが》るんだい?」
「どこの、ここのと言ってるのは面倒だから、向うへ行ってみて……とにかく大見世《おおみせ》へ登楼《あが》っちまおう」
「そうよなあ、小見世の遊《あす》びは、どうもこせついていけねえからな」
「まあ、どこか大見世へ登楼《あが》るとして、酒は飲み放題、旨えものをうんと食って、芸者の二た組もあげて、わッと騒いで、ひと晩泊まって、しめて一両なら高かァないだろう」
「一両……一人前の割り前がかい? それじゃァ勘定が合わねえじゃねえか。だってそうだろう……品川で、ただ遊ぶだけだって、小見世で二、三両、中見世で六、七両、大見世とくりゃあ、どうしたって十両から十五両ぐらいはかかるぜ。玉代だけだって一両じゃァ収まらねえぜ」
「いいんだよ、いくらかかっても……あとはおれが一人で引き受けるってえ寸法なんだ、いやか」
「行こ行こ、行こ、行こ……」
「行こ行こ……」
「行こ……」
「行こ……」
「早いね、決まるのが……じゃァみんな揃って行こうじゃァねえか」
 その日の夕方、五人揃って品川へ出かけて行った……。
「さあ、兄ィそろそろ坂を下りはじめたが、どこへ登楼《あが》るんだい?」
「そうよなあ……ここはどうだい? え? 少し大見世すぎるって?……いいよ、まあ任しときなよ……おい、若い衆やい」
「こんばんは」
「こんばんは?……気のねえ若《わけ》え衆だなあ、よせやい、面白くもねえ。女郎屋の若え衆は若え衆らしくやってくれ。なんだい、こんばんはってえ挨拶があるけえ。『少々ものを伺います、これから青物横丁はどう参りましょう』てんじゃねえや。今夜厄介になろうてんだ」
「どうもお見逸《みそ》れいたしました。ェェ五人様で、ああさようで……どうぞお登楼《あが》りを……えー、お登楼《あが》んなさるよ」
若い衆が送り声というものをかけると、別の若い衆が案内して、幅の広い梯子段をトントントンと駈け上がって、引付《ひきつ》けという座敷へ通される。
「へい、どうも、今晩は有難う存じます」
「えへへへ……いい心持ちだなあ、おらァこの気分が好きなんだ。客を見ただけで、一文も貰わねえうちから、『有難う存じます』って喜ぶのァこの商売ばかりだからな。……若え衆、そんなにうれしいかい?」
「まことに有難いことで……」
「そうかい、そんなに有難いかい? それじゃァこれで帰《けえ》っちまおう」
「そりゃいけません」
「そりゃァまあ冗談だが、とにかくみんないける口なんだ。酒はどんどん持って来ておくれ。それから、ここは品川だ、魚は新しくって旨えや、刺身はふんだんに……皿ばかり大きくて、中身がこう衰弱してンのはよくないからねェ、刺身と刺身が二寸五分ずつ離れたりなんかしてるのはさびしいから、こて盛りにしてな」
「畏まりました。それから、お馴染さまでいらっしゃいますか?」
「いいや、お馴染じゃァねえんだ。みんな初会だ……あ、それから断っとくが、この四人《よつたり》のかたはお客様で、その中の勘定係があたしてえことになっているんだ、いいかい? 見世《うち》じゃァいい花魁《おいらん》ばかりだろうが、まあその中でもすぐっていいやつをひとつ四人《よつたり》のかたへ世話してもらいたい、いいかい? 頼むよ」
「へえ、畏まりました」
「で、おれのはなにもとくに悪いのを選《よ》るにァ及ばねえ、よけりゃそれに越したこたァねえ、まあそっちに任しておくから……それから、座敷が浮かないといけねえから、ひとつ芸者に口をかけてくんねえ、わッと騒いで浮かれようという寸法だ、いいかい? 早場に頼むぜ」
「へえ、畏まりました」
座敷が変わって花魁の引付《ひきつ》けへ行くと、酒肴が運ばれる、芸者が繰り込んで来る、唄うやら踊るやら……どんちゃん騒ぎ……。
「おゥおゥ、もういいかげんにしろ、そろそろお引けにしよう」
「いいだろう、みんな部屋へ引き取りな」
「おっと待ちな。みんな部屋が決まったら、あとでちょいとおれの部屋まで来てくんねえか……一人じゃいけねえ、四人《よつたり》揃ってなくちゃァいけねえ、わかったか」
「ああわかった……あとでな……」
ということで、それぞれいったん部屋へ引きあげた四人が、……言われた通り佐平次の部屋へ再び集まった。
「兄ィ、開けてもいいかい」
「ああ、お入りお入り。……なに、開けていいも悪いもありゃァしねえ、だれもいねえから……」
「あははは、そうかい、では入るよ……おれはまた遊女《れき》がいるんじゃねえかと……なんだい? 四人揃って来てくれてえが……」
「みんなこっちへ入《へえ》んな、あと閉めてな……いやどうも、なにもわざわざ呼びつけなくてもよかったんだが、ほかでもねえ。じつはおれのほうでも切り出しにくかったんだが……割り前のことなんだがなァ」
「今夜、こりゃ大変な費用《かかり》だぜ」
「たいした大尽《だいじん》遊びだ」
「酒もたらふく飲んだし、芸者もお直し、お直しとずいぶん口がかかったし……大変じゃァねえか、どうなったんだ?」
「いや別にどうなったわけじゃァねえ。みんなに極《き》めだけひとつ、ここへ出してもらいてえんだ」
「極めって、一両でいいのかい? これ、三人から預かってるから……おれのを足して、四両でいいかい?」
「いいんだよ。おれも江戸っ子だ、追割《おいわり》をしてくんねえなんてしみったれなことァ言わねえ。とにかく、その四両だけは貰っておく」
「そうか、済まねえな」
「その代わりな、明日《あした》の朝は済まねえが、みんな一足先に帰ってくんねえか」
「先に?……明日の朝、どこかで飯《めし》でも食って揃って帰《けえ》らねえのかい?」
「おめえたちは夜が明けたら、すぐ顔を洗って引き上げてくれねえと困るんだ」
「そんなに早く用はねえや」
「それには少しわけがあるんだ。あとへ残ってこの始末をつけなきゃァならねえばかりでなく、ことによると、おれは当分帰らねえかも知れねえ、けれども……断っておくが、心配して迎えになんぞ来られちゃァ困るから、みんなにそう言ってくんなよ」
「なんだかちっともわからねえなあ」
「心配することはねえよ。それから済まねえが頼まれてくれねえか。このおめえたちの金の四両を、これをおふくろに届けてくれ。で、おふくろに、この金で当分つないでやってくように言ってくんねえ。年寄りのことだ、それだけありゃァなんとか暮らしていけるだろうが、もし足りなかったら、この煙草入れを質屋へ持って行って、番頭にわけを話すと、いつもの通りちゃんと貸してくれるから、それでやっててくれ、とこう言ってな」
「ふうん、それはいいけれども……じゃァ明日、なにかい、一緒に帰《けえ》らねえのかい」
「おれか……おれはな、ここンとこォ身体の具合が悪くってしようがねえんだよ。医者に診てもらったところが、転地療養するといいてんだ。どっか海辺かなんかで暢気にぶらぶら遊んでいりゃァ、自然と病いは癒《なお》るてんだが、どこへ行くったって金がなきゃァしようがねえや。そこで気がついたのが品川だ。ここなら海辺で空気もいいし……そこで、おれは当分このまんま居残りになって、ゆっくり養生をして、身体がよくなった時分にまた会おう」
「おお、驚いたなあこいつァどうも……話が変だ変だと最初《はな》っから思ってたんだが、居残りてえのはおだやかじゃねえぜ。そりゃァいけねえ、金はなんとかするからよ……おめえ、そりゃァ駄目だ」
「いいんだよ、そんなことはお手のもんだ」
「そりゃァひでえや……いいのかい」
「まあいいからってことよ……それ、足音がして来た、部屋へみんな、帰んな、帰んな……」
「あいよ……じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ……」
「へえ、こんばんは」
「おゥ、若い衆さんか?」
「有難う存じます。つけ[#「つけ」に傍点]を持って参りましたが……」
「よろしい、残らずでいくらだ?」
「四十七両五十文」
「みんなでかい? 安いねえ、たいそう勉強するね。気の毒だが、いまみんな払うだけここに持っていないんだ。え? みんなのところへ取りに行け? そりゃァいけないよ、なぜって、花魁と一緒にいるところで、持っている者はいいが、ない者は花魁の前へ対してだれら[#「だれら」に傍点]ァな、器量を下げらァ、明日の朝までに纏めておくよ」
「如何でございましょう、どちらも宵勘定《よいかんじよう》に願っておりますが……」
「野暮《やぼ》なことをお言いでないよ。いまじゃァ刻限が悪いんだよ。きみだって近ごろここへ来たんじゃァなかろう、いずれ道楽の末だ、男ぶりはよし、容子《ようす》はよし、人柄なところを見ると、まんざら消炭《けしずみ》(廓の若い衆)の腹から出たんじゃァないや、苦労していらァね。女が出来てしようがねえだろうね、此楼《うち》の女郎衆はおよしよ、お部屋(楼主)の通《とお》りが悪いからね。如才《じよさい》ねえからそんなことはなかろうが、やはり橋向う(南品川)かい? ひと晩つき合おうじゃァねえか」
「へえ、ご冗談さまで」
「とにかくわたしが呑みこんでいるから、心配なしに明日の朝にしておくれ」
「では、なにぶんよろしくお願い申します」
「じゃァお休み……」
 四人の友だちは言われた通り夜が明けると早帰りで、先へ帰り、佐平次だけがあとに残った……。
「へい、お早うございます」
「おう、若え衆か、お早う」
「ええ、お目覚めでございますか」
「ああ、天気はいいようだね。いまね、顔を洗って……これから宇治を頂こうてえところ……まあ、こっちへお入り。どうも昨晩《ゆうべ》は大変いい心持ちに遊ばせてもらったよ」
「有難う存じまして……昨晩は久し振りに景気をつけて頂きまして、大喜びでございます」
「いやァ、どうも景気どころじゃねえ、あんまりばかっ騒ぎをしたんでな、どうも近所迷惑をしたろうと思ってね。……ところで連中は帰ったかい?」
「へえ、暗いうちにお帰りになりました」
「そうかい、みんな朝の早え稼業だからね、無理ゃァないよ。その代り朝ひと廻りするってえと百両とか二百両とかいう金がぽんと懐中《ふところ》へ入る人たちだ。昨夜はだいぶご機嫌だったし、それに遊びの好きな連中だから、気に入ると、猪じゃァないが一本|槍《やり》にこの楼《うち》へ来る。みんな金払いのいい連中だから、これから裏、馴染と、とんとんっと通って来るうちには、ここの楼《うち》へさあっと金が降るようになる。まず福の神が舞い込んだぜ、おめえ」
「へへへへ……どうも有難う存じまして、なにぶんまた、ご贔屓《ひいき》を頂きますように……」
「いや、ご贔屓だなんてことを言われても困るがね。あ、それからね、昨夜《ゆうべ》少し飲みすぎたねえ……なんだか頭がぼやッとしているんだが、お迎酒《むかえ》てえのをいきてえんだ。一本、持って来てくれ、頼むよ。そうだな……朝直しは湯豆腐だってえが、なにも湯豆腐と限ったこたァねえから、牡蠣《かき》豆腐なんぞも乙なもんじゃねえか」
「へェへ……と、お直しになりますので?」
「野暮なことを言っちゃいけねえぜ。お天道様が高くなって、これからのそのそ帰《けえ》れもしなかろう、直してくんねえ」
「へえ、承知いたしました」
「早えとこ頼むよ」
……酒肴《さけさかな》が来て、一杯はじまる、酔ったというんで、ごろッと横になる。上から掻巻《かいまき》がかぶさって、寝てしまう。そのうち、昼を過ぎて、そうそう寝かしておけません。
「ええ、お目覚めになりましたか?」
「ああ、いい心持ちだ、いま何刻《なんどき》だい?」
「ただいまは八つ半(三時)を過ぎました」
「ああそうかい、ついとろとろしちまった……この楼《うち》では、湯は沸いてるかい?」
「へえ」
「そうかい、じゃあひとっ風呂浴びて、さァーッと昨日っからの垢《あか》を落として、さっぱりしてこよう。手拭を一本貸しておくれ。いい男になってくるから……」
「へえ、へェ……それから、てまえが替り番になりますので……」
「なに、替り番? あ、そうですか。遠慮なくお替りください……ご苦労さまでした」
「ええ、つきましては、ちょっと一段落区切りをつけて、あとはまた別の勘定ということに……」
「なんだい? はっきり言っとくれよ、そんなもそもそ言ってないで……どうするの?……あァあァ、あれかい、勘定? 心得てますよ、うん。しかし、面倒だなあ、おまえさんの前だが、遊びなんてものは、どのくらいやったらほんとうに嫌ンなるものか試したいね、飽きるまで、とことん遊んでみようと思っていたんだ、なのに、これが昨日で、これが今日の分なんという勘定は面倒臭いから、よしましょう。きみから帳場へそう言って、纏めてもらおうじゃねえか、ねえ。山のように貯まったところで、さーッと払いたいね……なにしろ、手拭を取っとくれ、お湯へ行って来よう」
ちっとも動じない。……湯から上がって来ると……、
「いやァどうも、湯上がりというやつは、なんとなく乙な心持ちだねえ、生まれ変わったような気分になるね、せいせいとして……だがね、昨夜からの飲みすぎで、どうもまだ胸がこう……もやもやしているんだがねえ、こういうときには、なにか熱いお汁《つゆ》でも吸ってみたいというような心持ちなんだが、�毒は毒をもって制す�の譬《たとえ》。�酒でしのがす苦の世界�てえことがあるからね。熱くして一本持って来てもらいたいねえ。それからね、ご当家のご酒《しゆ》はだいぶ甘口だねえ、わたしは辛口のお酒が好きなんだ。いいかい、お酒の口を変えてすぐつけてもらっておくれ。あ、それから、なにか食べたいねえ。青柳鍋かなにかそう言っておくれ」
「ええ畏まりましたが……てまえは構いませんが、帳場がうるそうございますので、ちょっと一段落をつけて頂きたいもんで……」
「勘定かい、わかったよ。うるさいなあ、ひとがいい心持ちでいるのに……つまりね、そういうことを忘れてんだから、いま、ね。勘定、勘定って……それじゃあ勘定(感情)を害するってもんだ」
「……でございましようが……なにしろてまえ……」
「だがね、おい若え衆、お客商売をするなら、もう少し目先が利かなくちゃァ駄目ですよ。……これであたしがちびりちびりと飲《や》っているうちに、あたりは小暗くなって来てあっちの家で鼠《ねずみ》鳴きの声、下足札を撒《ま》いて、花魁のお化粧《つくり》が出来上がって、見世を張る時分になると、坂の上から威勢のいい駕籠が四挺、ここの楼《うち》の角へぴたりと止まる。それが、昨夜《ゆうべ》の四人《よつたり》だ、ね? 遊びをして裏を返《かい》さないのはお客の恥、馴染をつけさせないのは、花魁の腕のにぶいぐらいなことは充分に心得ている連中だからね。どうせ返す裏ならば、ほとぼりの冷めねえ昨晩《ゆうべ》の今夜で、『また来たよ』ってなことで、縞《しま》を着ていた人が絣《かすり》に変わって、『おう、昨晩の芸者でも呼んでくんねえ』と、陽気にうわーッと、ひとっ騒ぎをして、それぞれへすうーッと祝儀をわたして、一同揃って当家を退散しようという寸法だ。それをわたしがつないで[#「つないで」に傍点]待っている、そこへ気がつかないのは少々恐れ入ったね」
「はァはァ、お連れさまが……へえへえ、さようでございましたか……、では、ただいま、お誂えを……」
と、また誂えものが来る。そのうちにほかの客がどんどん登楼《あが》るから、その晩はなんとなく紛れてしまう……。
 明くる朝。
「昨晩はお友だちのかたがいらっしゃいませんでしたな」
「来なかったね。昨晩はへぼへ(まずいほうへ)逸《そ》れたね。なんかよんどころない……この支障《さわり》があったね。まあまあ、もう少しお待ち、今日の昼前後というところで、俄然面白くなるよ。この楼《うち》へすうーッと入って来るのが、一昨日《おととい》遊んだ四人《よつたり》だ、ね? 遊びをして裏を返さないのはお客の恥、馴染をつけさせないのは、花魁の腕……」
「いえ、そのお話なら、昨夜伺っておりますので承知しておりますが。てまえは構いませんが、どうも内所のほうからやかましく言われておりますので、恐れ入りますが、ひとつご勘定を……」
「へへへ、どうもきみてえものは困るねえ……。忘れかけてるてえとこへ来て勘定なんぞ思い出させるんだよ、いやだよ。そんなことしちゃァ……罪だよ。思い出させて罪じゃぞえ……ッてやつだよゥ、ほんとうに、悔しいね……抓《つね》るよ、おい」
「……で、ございますが、なんとかご勘定を願いたいのでございます」
「あァようがすとも、願われましょう、あァ、万事心得てるからね……うーん、あァ、よろしい」
「お支払《はら》いを、いただきたい……」
「おはらいを頂きたい……あァあァあァ、なんのお払い? 屑屋おはらい……ちがう? つまりいままで遊んだ金を、あたしがここへすぱッと、出せばいいんだ、そうだろ?」
「へえへえ」
「ないよ」
「へ?」
「ない」
「ない……ないとおっしゃると……?」
「だから……ないと言えばわかりそうなもんじゃないか、お金のことだよ」
「でも、あなた、万事心得てると言ったじゃありませんか」
「そりゃァ心得ているんだ。心得てるのはばかな心得方でねえ、ただ心得てるだけなんだから、あははは……懐中《ふところ》のほうは心得てねえんだ、面白《おもしれ》えや」
「冗談じゃありませんよ、じゃァなんですか、いったいどうなるんです?」
「なにが?」
「どうなるんです? お勘定のほうは?」
「きみもあまりいい頭じゃないね、え? どうなります? どうなりますって、あたしに聞いてどうしようてんだ、友だちが来るやなんか言ってるのは、だれかわたしを身請けに来るやつがあるだろうから、それを待ってるんじゃねえか」
「では、お友だちのところへ、お使いとか、お手紙とかを……」
「そりゃあ家がわかりさえすりゃあ、迎えもやりてえけれども、どこなんだかわからねえんだ」
「どこなんだかわからねえって……あなた。お友だちでしょう」
「友だちたってごく近ごろの友だちだからね」
「いつごろからので」
「一昨日《おとつい》の晩からの友だちなんだ」
「一昨日の晩」
「とんでもねえことをしてしまったな、ついおれが大風呂敷を広げたもんだからね。じつは、いままでいろいろのこと言って、景気をつけてつないでいたが、ねェ若い衆、残らず話すがこういうわけなんだ。……ここへみんなで来たろ、あの晩に友だちになったんだ。おれが新橋の軍鶏屋《しやもや》へ上がって酒を通《とお》したが、ばかにお客が立て込んでなかなか銚子を持って来ねえ、焦れていると、隣りにいたのがあの四人連れなんだ。中の一人が、『どうです、つなぎに一杯、献じましょう』てんで、おれに盃を差してくれたんだ。とたんにこっちの酒も来たんで『ご返盃』てえことになった。それが始まりでやったりとったりしているうちに、『こうして飲むのもなんかの縁《えん》でしょう、四海《しかい》皆兄弟だ、揃って表へ出ようじゃァありませんか』てんで、向うが四人とおれで五人景気よく飛び出した。『このまま別れるのも惜しいから、どうです、今晩ひとつ品川へでも繰り込みましょう』『よう結構、結構毛だらけ、猫灰だらけ』ってんで、わァーッとこの楼《うち》へ来て遊んだ明くる朝、ぱっと別れちまったんだが、ありゃあいったいどこの人だったんだろうねえ」
「ばかにしちゃァ困りますぜ。途中で会った人に兄ィごかし[#「ごかし」に傍点]にされて、一人で居残りになるやつがありますか」
「どうもいまさらしようがねえ」
「おい、大変だァ、清さん、ちょっと来ておくれよ」
「なんだよ、聞いたよここで……だからおれがいくども念を押したろう、『変なことばかり言って様子がおかしいが、大丈夫かい?』って言ったら、『そんなことは任しといてくれ。洲崎《すさき》に八年、吉原《なか》に十何年いた』やなんかおめえが生意気なことを言うから、こんな事になるんだな、なぜもっと早く、けり[#「けり」に傍点]をつけねえんだ。見ねえ、とうとうこんな深みへ陥《はま》っちまって、どうするえ」
「そりゃあ言われるまでもないんだよ。それァもう、いくども勘定をってもらいに行くんだが、この人はおれに口をきかせねえんだ。おれが勘定のことを言い出すと、わかってる、心得てると、止めちまうんだ。勘定のことは忘れてる、面白くねえって……自分でしゃべりまくっておれに口をきかせてくれねえんだよ。そうなると、おれは因果と、舌がつっちまって口がきけなくなるんだ」
「おまえがだらしがねえんだ……まあ、いいや、どきな、どきなよ。おれが掛け合ってやるから……おい、どうなんだい? こりゃ」
「いよう……へへへ、恐い顔して入って来たね、……さあてねえ、どう……なりましょうかなあ」
「落着いてる場合じゃないよ……どうなるって聞いてるんだよ」
「さあ……どうも困ったもんだ……」
「他人《ひと》事のように言うない、困るのはこっちなんだ。どこかで金の出来る当てはないのかい?」
「金? ものごとは諦めが肝心だよ。災難だと思って諦めろい」
「ふざけるんじゃねえ、この野郎」
「覚悟はしておりますよ」
「覚悟とは、なんだ?」
「花魁に煙管《きせる》の悪いのを一本貰ってね、刻煙草《きざみ》もいっぱい貯めたし、袂にマッチが二個あるし、これで当分|籠城《ろうじよう》も出来ましょうから、とにかく行灯部屋へ下がりましょうか」
「おお、大変なしろもの[#「しろもの」に傍点]だよ、こいつは……いつまでも部屋をふさがれちゃァ困るから、出てくれ出てくれ」
「あァあァ、出ますよ出ますよ。どちらへでも参りましょう。どこですな、所は?」
「ひとまずこの夜具部屋へ入ってろい」
「結構、お世話さま……あァあァ、蒲団が……いいね、ぽかぽかして……」
「蒲団に倚《よ》っかかっちゃいけないよ」
「大丈夫だよ、蒲団に倚っかかれば縁起に障《さわ》るぐらいのことは心得てるから、安心して……そこはお閉めになって頂きましょう。ェェ、ちょっとお手隙《てすき》に遊びにいらっしゃい、失礼ご免……ひひひひ……」
 灯火《あかり》が入るとがらりと変わる別世界。
大見世ともなれば、新造も若い衆も大勢いて、二、三十人の奉公人が働いているが、替り番やなにかで、客が立て込むとちょっと手が足りなくなったりすることがある。
佐平次は、楼内《みせうち》が騒々しいので、夜具部屋からのこのこ出て来て、二階の梯子段のところまで来ると、魚屋の若い衆が刺身皿を担いで来た。
「おゥご苦労さま、どこの部屋だい?」
「千代鶴さんのお部屋です」
「何番だか知っているかい?」
「六番でしょう」
「そうか六番だね……(と受けとり)へい、お待ちどおさま、お誂えを」
「ちょいとおまえさん肴《さかな》が来たよ」
「旦那、今晩はいらっしゃいまし、ご機嫌よろしゅう、しばらくお見えになりませんでしたな、しかしいつもお盛《さか》んでおめでとうございます」
「見慣れねえ若い衆だが、なんてえ名だ?」
「若い衆の名前……? あら、あきれた人だね」
「面白そうな若い衆だ、なんてえ名だ?」
「これゃァうちの居残《いの》……」
「伊之どんてえのかい? 伊之どん、ひとついこうぜ」
「よゥよゥ恐れ入ります。花魁、お酌有難う存じます。わたしが明日《あした》、按摩《あんま》をいたします……これはご祝儀有難う存じます。お返盃を……へえ、ごゆっくり」
と、客を取り巻く……。
朝になると、雑巾《ぞうきん》がけの手伝いから湯殿へ行って焚《た》きつける、台所へ行って水を汲んでやる、昼間は花魁や新造衆が遊んでいるところへ飛び込んで行く……。
「ご免」
「ちょいとおまえさん、こんなところへ来ちゃァいけないんですよ」
「大丈夫、夜具部屋で絵草紙を見ていたら、ここで三味線の音、お安どんからお許しが出て、あまり音締《ねじ》めがいいからのこのこ上がって来ましたが、ちょっとお三味線を拝借、こんな唄がありましたっけ」
と、爪弾《つまび》きでやってみると、音締めがいい上に声がいい。浮気稼業の妓《おんな》だからうれしがって、
「まあ聴いたことのない面白い唄ね、あとでその文句書いておいておくれよ。なにか旨いものでも買うからさあ」
というような具合……。
夜になると、お客が立て込んできて、
「ちえっ、なにをしてやがんだなァ、ほんとうに……来てくれ来てくれって、来てみりゃァ妓《おんな》ァまるっきり面ァ見せねえんだ、忙しいからしようがねえったって、遣手《ばあさん》も新造衆《しんぞしゆう》もまるっきり入って来ねえんだ……けッ、刺身を持って来やがったって醤油《したじ》がねえじゃねえか。醤油なくって生魚が食えるかい、猫じゃねえや、ほんとうに……手を叩いたり怒鳴ったりすりゃァ野暮な客だとかなんとか言やァがんだからなァ、銭を遣《つか》っちゃ神経を痛めてやがんだ。なにをしてやァがんだなァ……ここの楼《うち》ァ空店《あきだな》か……」
「へい、こんばんは……へい、こんばんは」
「なんだ、おれンとこか?」
「へい。お刺身の醤油《したじ》を持ってあがりました」
「なにをしてやがんだ、冗談じゃねえ。持ってくんなら早く持って来い」
「どうもお待ち遠さまで……いえ、なにしろどうもお客さまが立て込んでますもんで、……とんだ、どうも失礼をいたしまして、……あ、はははは、よくいらっしゃいました」
「よくいらっしゃいましたって、おめえ、見たことがねえが、ここの若い衆かい?」
「まあ、若い衆みたいなもんで……、つかんことをお伺いいたしますが、ェェ紅梅《こうばい》さんとこの勝《か》っつあんでいらっしゃるんでしょ?」
「よせよ、なにも紅梅さんとこの勝っつぁんてえことはねえけれども、おれァ勝太郎ッてんだ」
「よゥ、勝っつぁん、あなたが、やっぱり……かねがね伺ってますよ。あなたのお惚気《のろけ》……花魁が、暇がありさえすりゃあ、うちの勝っつぁんはこうなんだよ、うちの勝っつぁんがああなのさって……うちの勝っつぁん、うちの勝っつぁんてえことについては、あたしもじつに弱っちまって……」
「変な世辞《せじ》を言うない」
「いえいえいえ、まったくの話が……とにかくお近づきのしるしにお盃をご拝領願いましょう」
「なんだ、手を出してやがる。どうも厚かましいやつが来たもんだ。……まあ、酒は一人で飲んでたって旨かァねえや。話し相手がいなくって退屈はしていたんだ。……じゃ飲みな、やるよ。……おい、どうした? 飲めねえのかい」
「いいえ、頂けないというわけではございませんが、どうせ頂くなら、大きいやつのほうが……その後《うしろ》の茶箪笥《ちやだんす》の中に湯呑みがありますから、その湯呑みでひとつ、えへへへ、頂くということに願いたいもので……」
「大変なやつが入《へえ》って来やがった。それじゃ……湯呑みに注《つ》いでやるぜ」
「へい、有難うございます。頂戴いたします……あなたさまが今晩お登楼《あが》りになったのは、たしかあれは五つ(夜八時)を少し回ったという時分でしたなあ」
「よく知ってやがるな」
「花魁がみんなにいじめられてましたよ、『ちょいとおまえさん、あの人が来てよかったわね』……かなんか言われてね、花魁もまたうれしそうな声を出して、『はァ、有難う』なんて……、『この人はとぼとぼしてるわ、じれったいね、しっかりおしよッ』なんてんで、朋輩衆《ほうばいしゆう》から背中をどやされたりなんかしてェたが……あの紅梅さんがとぼとぼするんだから、あァたはなにかこの、婦人を迷わせる術を用《もち》いるでしょう……え? 憎いね、色魔、女殺し……へへへ、口惜しいね。なにか頂きたいなどうも……ご祝儀というようなものを……」
「おいおい、手を出すなよ。どうも大変図々しいやつが入って来やがった。……初めて顔を見て、銭を取り巻くのはひどいじゃねえか」
「いえ、ほんのお名刺代わりに……」
「こっちで言うこったい、そんなことァ……どうも、しょうがねえ……じゃ煙草を買ったお釣りがあるから、これで示談にしろ」
「よう、よう、ようッ……恐れ入りました。話がじつによくわからァ、では頂きます。だからあなたは、婦人にもてる[#「もてる」に傍点]んですよ。この間ね、雨の降る日にあなたの惚気《のろけ》を言ってましたぜ」
「よしねえよ。うめえことを言うのは……」
「ほんとうですよ。あなたのことで新造衆と諍《いさか》いをして、花魁が怒ったね、『ほんとうにじれったいよ』と言いながら、燗ざましを熱くしたやつを湯呑みへ注いで、ぐいぐい飲んで、目の縁《ふち》がほんのり桜色……掛けてあった三味線をとって、爪弾《つまび》きで都々逸《どどいつ》を唄ってましたぜ。その文句をあなたに聴かせたかったねえ」
「そうかい」
「花魁はいい咽喉《のど》してますねえ。その文句というのが、※[#歌記号、unicode303d]来る筈の人は来ないで、蛍《ほたる》が一つ、風に追われて、蚊帳《かや》の裾《すそ》……なんてね、都々逸の唄尻をすッと上げて唄ったから、いやさすが江戸っ子だなと思って、あたくしはじつにどうも感服……ちょっとお箸を拝借……」
「おいおい、食い物を取り巻くなよ」
「どうも遅くなって済みません。……あら、ちょいと、勝っつあん、おまえさん、この人を呼んだの?」
「別に呼びやァしねえやな、向うで勝手に」
「勝手に? あきれたねえ、この人は……」
「なんだい、こいつは?」
「うちの居残りよ、この人……」
「いのこり?……なんだ、おめえ居残りなのかい?」
「へ? てまえ? あっはははは……いや、どうや、面目次第もない……あァ、(額を叩いて)居残りというわけで……どうぞ、なにぶんご贔屓を……」
「冗談じゃねえやな……若え衆かって聞いたら、若え衆みたいなもんだってえから、変だと思ったんだが……いえ、刺身の醤油《したじ》がねえッたら、この人が持って来てくれたんだ」
「まあ、気がきいてるのね。でも、よくおまえさんわかったねえ、どこから持って来たの?」
「いいえ、先ほどお部屋の前をぶらぶらしておりますと、『醤油がなくって生魚が食えるかい、猫じゃねえやっ』なんて粋な啖呵《たんか》が聞こえたから、『ようッ、来たり来のすけ、おいでなすった、ここが忠義の尽しどころ』と廊下を見回すと小町花魁の部屋へ蕎麦の台が入りまして……これが突き出してあったので、徳利をとって、耳のところで振ってみるとがばりッと音がしたから、小皿へわけて『ようッ』てんで、こちらへ運搬を……」
「なんだい、こらァ蕎麦の汁《つゆ》か? 道理でさっきいやに甘ったるい醤油だと思ってたんだ。ひどいことをするない」
「はははは、どうも……あいすみません。急場のことで、まことにどうも失礼……花魁、ただいま、こちらからご祝儀を頂きました。花魁からもよろしく……どうも旦那有難うございました。……へい、あまり長居をしてお邪魔になるといけませんから、このへんでお暇を頂きます。ごゆっくりおたのしみを……よいしょッ、いよゥッ」
 と、どさくさに紛れて二階で働きはじめた。
なにしろ気転《きてん》がきいて、酒の相手が出来て、人間がまめ[#「まめ」に傍点]で調子がいい……まるで幇間同様。そのうちに、あっちこっちからお呼びがかかる。お客のほうにもだんだん馴染が出来る……。
「伊之どん」
「へい」
「いま芝口《しばぐち》が来てるんだよ。ちょっと行ってくる間、八番の部屋へ行って少し旦那の相手になってつないで[#「つないで」に傍点]いておくれな、お小遣いを上げるよ」
「おッとよろしい、心得た、行ってらっしゃい……八番と、ここだな……へえ、今晩はいらっしゃいまし」
「伊之公か、大変に忙しそうだな」
「へえ、おかげさまで……ただいまじきに花魁が参ります。なにか召し上がりものは……? ああさようで……畏まりました。旦那、大変、お久し振りじゃァござんせんか、もっともお出かけになる先が多いから、無理はないや、この間、花魁があなたがお見えンならないってェ、さびしそうに涙かなんか流して、わたしにお惚気《のろけ》をありったけ聞かして……だんなァ、罪なお人だァ、よゥッ」
「よせよ、ばかなこと言うなよ」
隣りの部屋から、
「伊之どォん」
「へぇーい」
「火種を持って来てくださいな」
「へい、ただいま」
また別の部屋から、
「伊之どォん」
「へぇーい」
「水を持って来ておくんな」
「へえ……お待ち遠さま」
「早いわね」
「お隣りのを持って来たんで」
「あら、お隣りのを持ってきちゃァいけないよ」
 昼間は昼間で、花魁からいろいろ相談事がある……。
「伊之さん、ちょいと、男の筆跡《て》でなきゃいけない手紙があるんだけど、書いてもらえないかねえ」
「花魁、なんでげすか、お手紙の上書き? ようがす、あまり名筆とはゆきませんが、てまえでよかったら、書いて差し上げましょうか……」
「あら、書いてくれる?」
「ええ、ようがす……住所《ところ》書き? ああ、これね、はいはい……これでよろしゅうございますか」
「あらッ、おまえさん、上手ねえ。感心しちゃうわァ」
「じゃァあたしも頼むわ。女の筆跡《て》で出しちゃ困るのよ。お願いします」
「あァ、よろしゅうがす。わたしでよかったら、お書きいたしましょう」
「救《たす》かるわねえ」
「八千代花魁のは、もう一本書いておきました、余分に。あとまた、お役に立つように日付《ひ》だけ入れりゃァいいようにして……じゃァこれで……。ほかになにかございませんか……おたくも? あァ、よろしゅうがす」
「それからねえ、これもひとつお願い……」
「あァ、ようがすようがす。では、これで、万事よろしいわけですな……ところで、みなさんも、さぞ、ご退屈でしょうから花魁がたに、なにかてまえが余興を……お聞きに入れましょうか、……小噺をね、申し上げよう……こういう、面白い噺がありまして……」
花魁を集めてバレ(艶笑)の小噺を聞かせて、
「あらまァ、おまえさん、なかなか役者ねえ。うまいねえ」
「それもいいけど、あたしはなにかこう、悲しくなる、涙の出るような話を聞きたいわ」
「いろいろご注文がありますな。じゃァ、ここにある本を読んで聞かせましょう。ただ読んだんじゃ面白くないから」
と、声色《こわいろ》をつかい、仕種《しぐさ》をまじえて……噺家の真似事をして、人気者になる。
「あらまァ、伊之さん、おまえさんは、なんでも器用ねえ、感心したわ。手も器用なんでしょう? いまこれが壊れちゃって困ってんのよ」
「なに? ちょいとこちらへ……あァ、これですか、こんなものはわけはない。直しておきましょう」
「ちょいと伊之さん、これも、頼むわ」
と大忙しで、あっちこっちでひっぱり凧になる。
となると、ほかの若い衆が黙っていない。
「おい、みんなこっちィ入ってくれ。松どんも、亀どんも……このごろまるっきりもらい[#「もらい」に傍点]がないだろ? あんなに客があってどうして祝儀《もらい》がねえんだろうと思ったら、ねえ筈だよ。居残りのやつがほうぼう回りやがってひとりで占《し》め込んでやがる。どうもあきれ返《けえ》ったねえ、どこに居残りが座敷で稼ぐということがあるんだい。ひでえ話じゃァねえか。昨晩も中橋の連中が来て、『座敷がさびしいから、口をかけろ口をかけろ』と言っているから、芸者《はこ》でも入るんだと思ってたら、そうじゃねえんだ、居残りを呼べ、てんだ。すると新造衆ものんきだねえ。梯子段のところで『伊之さァーん』ったら、あいつがまた『へぇーい』って返事をしやがって……『十一番さんでお座敷ですようッ』ったら、『よいしょッ』って言《や》がって、じんじんばしょりをして……変な股引《ももひき》を出して、扇子をパチパチやりながら、『ちゃちゃちゃ、ちゃらちゃっ』って、踊りながら入《へえ》って行きゃがった。お客がまたそいつを見て、喜んで祝儀をやってるんだ。ばかばかしいったらありゃァしねえ。ところがあとから烏森《からすもり》の連中が来て、『居残りはまだ居るか。芸者より居残りのほうが面白いから、居残りに口をかけてくれ』『居残りはただいまふさがっております』『じゃ早く、もらいをかけろ』って……なんだかわけがわからねえんだ。あんなやつにながく居られた日にゃァこちとらの飯《めし》の食い上げだ。届けるったって、いまさらになっちゃァもう手遅れだし、ことによりゃァあべこべに叱言を言われるし、そんなばかばかしいことがあるもんか。じつはね、旦那にもそう言ったんだ。いままでの損は損として、どうにかしてあんなやつは叩き出してしまわなければ、楼《みせ》のしめしがつかねえと……」
「まったくだ。あんな図々しいやつは、いますぐに追っ払っちまおう」
「おいおい、来やがった来やがった……見ろい、あの身装《なり》を……おい、居の、居残りさん」
「へいへいへい、どうも有難うございます……、お座敷はどちらでがす?」
「なにを……お座敷を勤める気でいやがら……。いまね、旦那が話があるってんだ、ちょいとご内所のほうへ来ておくれ……へい、旦那様、居残りを連れて参りました」
「あァ、こちらへお入り、遠慮なく……さァさァ……どうぞお敷きください。あたくしが当家の主人《あるじ》で……くわしい話は若い衆から聞きましたが、悪い友だちに騙されて、楼《うち》へ居残りをしたそうで、それをうちの者が友子《ともこ》友だちのように思って用なぞを言いつける、またおまえさんも大変によく働いてくださるので、もういまとなっては勘定をすると言ってもわたしのほうで頂くわけにはいかない。おまえさんだっていつまでこんなことをしていたってしようがなかろうから、まァとにかく、帳面は残らず棒を引くから、家へお帰りなさい」
「へえ、有難う存じます。旦那にそうやってご親切にしていただくと、穴があったら入《へえ》らなくちゃなりません。不思議なご縁でご厄介になりましたが、楼中《うちじゆう》の衆がいいかたばかり、もうこうなればわたくしは生涯《しようげえ》、こちらへご厄介になりたいと……」
「そりゃわたしのほうでもいてもらってもいいんだが、ずるずるに奉公人にしてしまうわけにも行かない。なに、じつは妓《こ》どもたちの評判もよし、わたしもいてもらいたい。ただ困るのはここにいる若い衆だが、このほうへはまたなんとか話をするが、それにはこういうところへ人をよこす桂庵《けいあん》がある。そこへ行って話をしてから、大びらでいてもらえるから、そうしてください」
「有難う存じます。それにつきましてはくわしくお話し申したいと思うことがございます、どうかお人払いを願います」
「みんなあっちへ行っていな、そこを閉めて……用があったら手を叩くから……なんです? そのお話というのは……」
「お楼《たく》へご厄介になっておりますれば、無事にこうしていられますが、うっかり敷居をまたいで外へ出りゃァ、御用とったと十手風《じつてかぜ》、縄目にかかり、ことによれば暗闇《くらやみ》の国へやられなきゃァならない体、どうぞご慈悲をもちまして、お匿《かくま》いのほど願います」
「じゃァおまえさんはどこかで悪いことでもして来たのかえ?」
「へえ、悪いことはするものでないと、いまじゃァすっかり改心をいたしましたが、なんの因果かさほど[#「さほど」に傍点]困る者の腹から出たんじゃァございませんが、餓鬼《がき》の折《おり》から手癖《てくせ》が悪く、抜け参りからぐれ[#「ぐれ」に傍点]だして、旅を稼ぎに西国《さいこく》を、廻って首尾も吉野山……」
「まるで芝居だね」
「人殺しこそしませんが、夜盗、追剥ぎ、家尻《やじり》切り……悪いに悪いということをしつくしまして、五尺の体の置きどころのない身の上でございます」
「これは驚いた。おまえさんがねえ……どうも、そんな悪事を働いたようには見えないが……」
「へえ、親父は神田の白壁町でかなりの暮しもいたしておりましたが、持って生まれた悪性で、旅から旅を稼ぎ廻り、碁打ちと言って寺々や、物持ち、百姓の家へ押し入りまして、盗んだる金が御嶽の罪とがは、蹴抜《けぬけ》の塔の二重三重《ふたえやえ》、かさなる悪事に高飛びなし……」
「どこかで聞いたような文句だね」
「もしも御用と捕まった日にゃ、三尺高え木の上で、この横っ腹に風穴があきます。どうぞ旦那、不憫《ふびん》と思召して、ほとぼりのさめるまで、少々の間、こちらへお匿いなすってくださいまし」
「とんでもないことだァ、どうも。知らない昔ならいざ知らず、知ってて匿うなんてえことはできませんよ。わたしの楼《みせ》に十手風に舞い込まれてごらん、身代限りをしなきゃァならない」
「もし捕えられて、いままでどこに匿ってもらっていたと訊かれりゃァ、ひょっとしたらこちらのお名も出し、ご迷惑がかかるかも知れません」
「そんなことをされてたまるもんか。そういうことのないように、どうにか逃げてもらう工夫はないかい?」
「そりゃあ、わたしだって、こちらへご迷惑をかけたくはございません。高飛びもしましょうが、一里でも踏み出しゃァ旅の空、金という蔓《つる》がなきゃァなりません」
「それでは、この手文庫の中に、金が三十両ある。これを路銀にしてどこか遠いところへ逃げておくれ」
「へえ、有難う存じます。それではお言葉に甘えて頂戴いたしますが、なにしろこの身装《なり》じゃァ身分不相応に金があると疑われ、これがまた足のつく元になります。恐れ入りますが、旦那のお着物をひとつ頂きたいもので……」
「そりゃあ、着物ぐらい上げてもいいが……」
「どうせ頂きますなら、先だって出来て参りました大島紬《おおしま》をお願いいたします」
「よく知ってるね、しかし、丈《たけ》が合うかどうか……」
「大丈夫でございます。旦那の丈が七寸五分、わたしと寸法もぴったりおんなじで……」
「まあ、見込まれたのが災難だから上げるよ、早く着て出てっておくれ」
「へい、有難うございます。ついでに帯も一本……」
「では、茶献上のをあげる。……さァこれを締めておいで……」
「ですが、旦那、着流しというのは人目につきやすいもんで、羽織も一枚どうぞ」
「じゃァ、羽織は胡麻《ごま》柄の唐桟のでいいだろう」
「有難うございます。お金は頂きましたが袂《たもと》から金を出すのは、なんとなく人柄が悪く見えますから、紙入れも一つ頂きたいので……」
「はいはい、ではこれを持っておいでなさい。……それじゃ煙草入れに、半紙を二帖、手拭を一本、あたしの下駄が玄関にあるから、それだけあればよかろう」
「へい、なにからなにまで……遠慮なしに頂戴して参ります。それでは旦那、これでご免蒙ります。みなさんにどうぞよろしく、たいへんお世話になりました。どうもおやかましゅうございました。……では、さようなら……」
 佐平次が出て行ったあと、旦那は楼《みせ》の若い衆を呼んで……、
「おい、あいつが楼《うち》の近所で捕まったりすると、こっちが迷惑だから、松どん、あとをついて行って、どんな様子だか見て来ておくれ」
「へい、行って参ります」
若い衆が佐平次のあとを追って行くと、佐平次は鼻唄まじりで、悠々と歩いている。
「おい、おい、居のさん、おい」
「おう、松どんじゃァねえか、どうしたい、お使いかい?」
「そんなことはどうでもいいけど、おまえさんも暢気だねえ、鼻唄なんか唄っていて……もしも捕まったらどうするんだい?」
「捕まる? おれが? あはははは……いやどうも済まなかった。おめえのところの旦那はいい人だねえ」
「品川じゅうで、楼《うち》の旦那くらいいい人はいない、仏様か神様のように言われてる。旦那のご恩を忘れちゃ、おまえなんざ済まねえぜ」
「まァ、よく言えばいい人、仏様にゃァちがいねえが、早く言えばばかだ」
「なにがばかだ」
「おう、おめえも女郎屋の若え衆で飯《めし》を食うなら、おれの面《つら》をよく覚えておけ。吉原《なか》へ行こうが、新宿へ行こうが、どこでも相手に仕手のねえ居残りを商売にしている佐平次とは、おれのことだ。まだ品川じゃァ一度もやらねえからと、おめえのとこを見込んで登楼《あが》ったんだ。おかげで小遣いも出来ました。当分楽に暮らせますからと、楼《うち》へ帰って旦那によろしく言っとくれよ。いや、ご苦労さまでした。はい、さようなら」
「あっ、畜生めっ。ひどい野郎だァ、あいつァ……旦那、行って参りました。大変でございます」
「どうした? 捕まったか?」
「いいえ、あいつの言ったことはみんな嘘ですぜ。盗っ人でもなんでもない。ほうぼうで居残りを商売にして歩いてる、佐平次てえ野郎ですとさ」
「そうか。居残りを商売にする? それじゃァあいつの詐欺《おこわ》(お赤飯)にかかったのか」
「道理で旦那の頭が胡麻塩《ごましお》です」
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