まさか、そんなはずはない……。
生まれたときの私の髪の色は、父の意に反して、真っ黒。
職業がら、いまは褐色(かつしよく)に染(そ)めているが、私の髪の本来の色は黒。でも、三歳ごろまでは、派手(はで)な赤茶色をしていた。いや、させられていた。
父は若いころからアメリカが好きで、それこそ自分がアメリカ人になってしまいたいくらいに好きだったみたい。だけど、日本人としての自分の顔はどうしようもない。白人の女性と結婚して金髪の子どもをつくるというのがせつなる願いだったというから、わが父親ながら、おかしな人だと思う。
アメリカ人の白人女性である母を見初(みそ)めて結婚したのは、まずは予定どおり。もっとも、バツ一同士、しかも、できちゃった結婚だったそうだけど。
自分の子どもは、絶対にかわいい子がほしい——父はそう思っていたと言うけれど、それはどこの親も同じ、わざわざみにくい子を望(のぞ)む親などいない。でも、「きっと金髪でかわいいだろう」と思ったあたりが、単純明快な父らしいところ。それが間違いのもと。
スペイン系の血をひく母(ドイツ系とのハーフ)の髪の色も黒かったが、母の兄の髪は褐色だったので、隔世遺伝(かくせいいでん)かなにかで絶対に金髪の子が生まれるに違いないと確信していたらしい。あまりに有頂天(うちようてん)になりすぎて、生まれてくる子どもに、さらに生粋(きつすい)の日本人である自分の血が混(ま)じることはすっかり忘れていたようだ。
生まれてきた娘の髪が黒かったことに、父はあせった。父は、娘の髪の色を人工的に変えるよう母に命じた。母は、オキシドールを使って私の髪の毛を脱色させ、レモンの汁から、はてはコカ・コーラまでぶっかけてゴシゴシモミモミ、私の頭をさんざんいじくりまわして、なんとか父の希望どおりの赤茶色に仕立てあげたのだった。
新しく生えてくる毛は黒だから、定期的に脱色しなければならない。私は自宅の庭のすみで、いつも頭にオキシドールをかけられていたような気がする。
父はそれでもなお私のストレートヘアが不満で、パーマまでかけさせた。おかげで私はどこから見ても巻き毛の外国人の子ども。
私はそんな親たちのお人形さんごっこがいやだったかというと、そのころは自分も一緒になって楽しんでいたのだから、一家そろってノーテンキ。